ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

ひねくれ者の共感:植物男子・ラベンダー

2015-05-16 09:35:23 | アート・文化
 僕はそうとうなひねくれ者と自負している。映画を見ても、舞台を見ても、生半可のことじゃ褒めたりしない。まして、共感だとか、熱中なんどとはおよそ縁遠い。

 とりわけテレビだ。バラエティ番組の騒々しさばかばかしさなど最初からお断りだが、ドラマだって余程のことがない限りチャンネルを回す、完全な死語だろ、ことはない。自慢じゃないが、半沢直樹だって、あまちゃんだって見てはいないのだ。て、自慢するところがそんぴん、米沢弁でひねくれ者、だ。

 台本を書く身として、評判の作品に触れていないというのは、かなり問題だとは思う。今時の流行言葉や現象をつい書き込んで、うん?これって違ってない?と不安に襲われることも時にはある。

 世間の評判が沸騰し、猫も杓子もその話題に盛り上がる、なんどという事態になれば、これはもう、金輪際見るものか、その時間帯、テレビそのものにさえ近づかなくなる。これ多分、面白いよな、と内心心をそそられても、偏屈の虫は断固として居座り続けるのだ。

 そんな僕だが、いや、僕だから、心底惚れた作品には出会いたいと渇望している。しかも、それはお茶の間の評価が上がらないもの、あるいは上がる前のものを先取りしたいとのマニア感覚でもある。

 僕にとってだけ優れたドラマなんてあるわけはないので、目を付けた作品が、後々評価が上がってくるのは致し方ない。いや、そうなれば、最初ではないだろうが、早期発見者としての自負心に胸を張ることができる。

 今でこそ、伝説の名作として知れ渡っているが、『木更津キャッツアイ』などは、まだ注目が集まらぬうちに、その斬新さ、面白さ、に一人?取り憑かれ、密かに熱烈なラブコールを送り続けた作品だ。その後、くどかんや古田新太や小日向文世や岡田准一や櫻井翔なんかが一気にブレイクして行った、こうなると、なんか御ひいき筋の大旦那:タニマチの気分なんだなぁ、なに、若い奴らわからない?パトロンだよ、パトロン!まっ、金は出してないけど、フレーフレーって精神的な旗振りってことで。

 で、久しぶりに影の応援団を買って出たい作品が現れた。

 『植物男子ベランダー』(NHK木曜23:15~23:45)!まず、大切なのはこの時間帯だよ。それとNHKってとこ。見ないよなぁ、こんな時間にNHKなんて、しかも「趣味の時間」?って誤解されそうタイトルだ。

 これが実にいい!原作はいとうせいこうの『ボタニカル・ライフ 植物生活』、主演は田口トモロヲ。都会のマンションのベランダで様々な植物を育てるバツイチ独身中年男の、こだわりひたむきガーデニングライフだ。可憐な花々や清楚な植物とはおよそ縁遠い主人公が、毎回、これはと心惹かれた植物とぶきっちょな格闘を繰り広げる。

 前回はたまたま貰った花束に紛れ込んでいた「細くて緑色のくねくねした奴」。その旺盛な生命力に感嘆し、「のっぽ」と命名して偏愛するのだが、こだわりは、自ら名付けた「のっぽ」という名称にもなだれ込む。

 前々回は「シクラメン」。あの名曲「シクラメンのかほり」ともども女々しい奴と毛嫌いしていた主人公が、しだいしだいに引き寄せられ、ついには頬をすり寄せるまでに溺愛するまでの切ない愛の物語だ。

 何が良いって、このひげ面田口と植物とのミスマッチ、アンマッチ?それ自体がもうすでにコミカルだが、そこに、松尾スズキ扮する盆栽至上主義者が盆栽への浮気を誘ったり、岩松了の売れないシンガーソングライターがギター片手、ただし弾かない、伴奏はCDラジカセ、に和服のストリートミュージシャンになって登場したりと、芸達者たちが、思う存分楽しんで、珍役、迷役を作り上げている点も見ていて、おうおう、やるやる、良いぞ良いぞ!のはじけ方満載なのだ。ただし、おふざけでは決してない。とても上品で不思議なセンスに溢れている。

 この不思議だが心地よいセンスは、劇中の植物に関するラップとか、花の曲とか、草冠のエッセー、松尾スズキの朗読!もうこれがめちゃめちゃ魅力的、とか、一歩外した、でも結構本質を突いているコーナーにも徹底している。

 さらに、さらに、BGM選曲のこだわりと品の良さ。これは番組でも自慢なんだろう、ホームページでは、使った曲全曲のラインナップまで載せてある。さらに、さらに、さらに、画面の美しさも感動ものだ。花や植物の美しさは勿論だが、街の公園だったり、地下道だったり、ベンチだったり、一つ一つのシーン選びにさりげないこだわりが込められている。

 と、こう語り続ければきりがないのだが、最後に一つ。それは主人公の語りの文体の魅力だ。園芸とはおよそ不似合いな、漢語多用の生硬な文が連なる。これがこのドラマの偏屈度を一層際だたせていて、ふん、ぜったい人気番組になどなるものか!とのひねくれ者の矜持をあからさまにぬけぬけと表明しているのだ。

 そう、ひねくれ者なんだよ、これ作ってる奴らは。愛されてたまるか!でも、わかる奴にゃわかるよね、これだよ、この精神に共感するんだよ。

 

 
 
コメント
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