さぁ、台本書き始めるぞ!だが、待てよ、大正期の朝鮮の様子、全然知らないじゃねえか、って、今さら気付くなよ。『閔妃暗殺』読んで、少しは事情も分かってきたが、どっちかって言うと朝鮮皇室と陰謀関連が主体。そのころの人々の暮らしや考え方とか、知識ないよなぁ。
ってえか、何故か、朝鮮・韓国の歴史ってすっぽり抜け落ちてんだよ、俺の中で。満州事変から日中戦争、そして太平洋戦争と、中国とのいきさつはそれなりに頭に入ってる。が、何故か、朝鮮はすっ飛ばされてんだ。これ、やっぱり差別意識の現れ方なんだ、って、今は反省しきりだぜ。なんとなく、後回しでもいい国、的な選別意識が働いてたんだと思う。いかん!
朝鮮抜きで大正期を語るってどうなのよ?まして主人公は娼婦としてアジアをさすらってきた女性なんだ。彼女が経営するダンスホールだったら、一人くらい朝鮮人が出入りしてた方が時代の雰囲気を伝えられるんじゃないか。当時の朝鮮に対する意識なんかも描けるかもしれない。って、おいおい、まるで知らんじゃないか。
そうか、締め切り迫っちゃいるが、大急ぎ1冊読んでおくか。
『植民地朝鮮と日本人』趙景達著・岩波新書。うーん、新書なのに、読みやすい本じゃないなぁ。やたらと登場人物が多い。しかも、その名前に朝鮮読みが1度しかふられていない。ちょっと待ってくれ、一度正しい呼び名書かれてたからって覚えられるもんじゃないよ。ふた昔前のように、日本語読みで平気でぶっ飛ばすわけにいかんしなぁ。光ってコウじゃないよな、たしかグァンって読むんじゃないか?とか、いちいち気になってなかなか進まない。しかも、いろんな人名が立て続けに現れては消えて行く。
これ、著者の歴史上人物への限りない愛情なんだと思う。だれ一人だってもらすもんか!みんな朝鮮のために精いっぱい生きた先人なんだから、って熱い思いの迸りなんだろうな。人名ばかりじゃない、関わった運動や組織や宗派ももれなく?掬いとっている。それって、新書でやられてもなぁ!
でも、最後まで読み進めて、この百花斉放、談論風発の議論好き、これが朝鮮人の特徴だってことが判って来た。労働運動にしても左派運動にしても親日運動にしても、いや、新興宗教の宗派争いにしても、ともかく四分五裂、常に分派間のぶつかり合いなんだが、これを著者は儒教的民本主義の現れとして紹介する。世の中、誰にでも公論が認められる。言いたいことがあれば言えばよい。上に立つ者はそれらの意見を聞かねばならない。この、一種平等、対等主義の意識が人々の意識行動を支えている。それが一面人々のまとまりにくさとして現れているのかもしれない。
日本の植民地支配については、断固として植民地支配の確立を目指した武断主義の時代、朝鮮の人々の自主性を生かそうと試みた文化政治期、そして名目的にはアジア主義を標榜しつつ強引な皇民化を推し進めた戦時体制と時代の要請に応えつつ大きく支配方法を変えて続けられた。だから、どの時代にフォーカスするかで、支配のイメージも違ったものになる。ここらが、朝鮮支配を肯定的にとらえたい一部の日本人の拠り所になっているんだろう。朝鮮人の企業もあった、沢山の工業が起こった。でもその7割以上は日本の財閥の下にあったんだ。どの期にあっても朝鮮人を下層とみなす意識はほとんど変わることがなかった。
創始改名への対応とか、徴兵に対するしたたかさとか、日本への出稼ぎ、その逞しさとか、植民地支配=悲惨、を超えた朝鮮人のありのままの姿も教えてもらえた。金日成がどうやって北朝鮮の支配者になったか、なんてことも興味深かった。あっ、これも儒教的民本主義の偏頗な現れ、一君万民思想ってことらしい。
先日行われた韓国の大統領選挙、平日ながら投票率77%!この投票意欲、さらに、不正行為や失政に対する大衆的糾弾、日本との違いに呆然とする思いなんだが、その政治行動にも、儒教的民本主義の底流が流れていると指摘されると、なるほど、西欧民主主義の遅発とか権威主義時代の体験なんてことで理解できないものなのかもしれないなぁ。現代の韓国、北朝鮮の政治体制をまとめとして論じた、おわりにの章が一番読み応えがあった。
よしっ、著者の別の1冊『近代朝鮮と日本』も読もうぜ、って、アマゾンページを開いたが、いかん、まず台本書いてしまわねば!って思い止まった。そう、このあと、いよいよ執筆開始だぜぇぇぇ!