やたら面倒になって来てる、何もかも。
農作業とNetflixと菜の花座と書くこと以外、どうでもいいよ、って、あっ、けっこうこだわってることあるか。おっと走ることもあったっけ。
人生のカウントダウンに入ったからね、気の進まないことはとことんサボる、そのことに罪の意識を感じなくなって来てる。残された時間少ないんだし、勝手にさせてもらうぜ、ってところかな。
もともと自分勝手な性格のうえに無精者なんだが、義理欠くわけにゃいかんだろって、これまでは我慢でお付き合いもしてきたんだが、もういいんじゃねえかここらで、って思うのさ。
で、さっさと一抜けしたのが、葬式だな。
★菜の花座公演『てんこ盛り』より質素な葬儀のシーン。遺影は俺!
先日も昔の仲間が亡くなったんだが、ちょっと悩んだ末に、参列はキャンセル、自宅にてねぎらいの言葉を頭に浮かべて許してもらった。葬儀会場、ちょっと遠いし。
若くして亡くなったとか、非業の死ってことなら、弔問の気持ちも浮かばぬじゃないが、70歳の半ばを過ぎれば、まっ、そこそこ生きたしいい思いもしたことだから、いいでしょ、皆さんに手厚く送られなくたって、って思うのさ。
ご近所さんの婆ちゃんが亡くなった時も同様、ほとんど面識のない人なのに、近所付き合いで参列、なんてもう、勘弁してもらおうか、ともね。
そうやって割り切れるのは、俺の葬儀もいらんからね、って決めてることもある。老いて弱って死んでいく、自然の摂理ってやつだ。
人間だれしも死ぬ、そこら中で日々ありきたりの死、その一つに過ぎない、って思い定めてるから。
ひっそり消えていくのがいいのさ、恨まれこそすれ、惜しまれるほどの人生送れたわけじゃなし。死んだ後で騒いでもらうなんて、罪を重ねるようなもの、皆さんにご迷惑かけぬよう、静かにそっと退場、それが相応しい。
当然、墓もいらない。先祖代々の墓に同居させてもらうなんて、お断りだぜ。
もちろん、死後の世界とか霊的存在なんて信じちゃいないからそう言えるんだけど。
なんだ、なんだ、霊が活躍する芝居『蒼き森の館』作っているくせに。
すまん、信じてもいない霊を活躍させたりして。
ロウソクが燃え尽きるように、とか、残雪がいつの間にか融けていた、みたいに静かに消えて行くのが目標なんだが、その前に、老化、要介護って難題が立ちはだかってるんだよな。
できるだけ迷惑はかけたくないし、無様な姿をいつまでも晒していたくもない。できるだけ、短期間でここを乗り切るには、体の自由が持続する必要がある、これが今の課題で、
となると、適度に負荷かけつつ体を鍛えていくことなのかな、って、
なっ、ほれ、死の設計図にしたがってのランニングだってこと、知っておいてくれよ、って、そんなもん、俺がわかってりゃいいことだった。