自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

私とウニヒビリの対話(1)

2018年06月15日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

今回、息子との会話で気づかされ、

痛みに近い”心の内観”をはじめました  2018・6・15

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(前書き)

これまで数回、帰国後ヴィシュヌデヴィ参拝記をブログに

書かせていただいているので、今回、私が受けた

そのインパクトの強さは、皆様に、ご想像ができると思う。

 

同時に、そのインパクトは自分自身の内側の眼力を強く

させたようだ。


というと、恰好の良い、表現だが、現実的に言えば、

私自身と息子との間にある、“業”(カルマ的関係)

に向き合わざる得ない心境になったといえよう。

 

そして、息子(もし、娘だとしても)との関係は、

モ―ナ女史のいう所の、”現在意識”の”母”と、”潜在意識”の

”子供”との関係に、限りなく似ていると感じた。


他者の方のカルマを受け取る作業(アートマセラピーをさす)

休止して、徹底的に、自分の中のインナーチャイルドの

側面に意識の焦点を当て続けた。

 

彼(インナーチャイルド)に いつ、目をつぶってきたのか、

真正面から向き合ってきたのか、顔を背けてきたのか?


虐待的行為(精神的な意味で)をしていなかっただろうか?

彼(息子)を そんな行為で、ゆがめてきてしまったのでは

ないか? 

 

そんな質問は、今回のデリー滞在中、息子と交わした会話

のいくつかの中から、彼の頑なな、心を開ききっていない、

母(私)への’わだかまり’を感じたことが発端となった。


今回のインド旅中で、デリーにおける、小さなアパート、

その拠点を失なう前の最後の旅と受けめると、インドでの

生活が走馬灯 のように脳裏を巡っていた。

 

帰国してから、さらに、走馬灯の景色は鮮やかになり、

鮮明な記憶がプレイバックして、私は、まともに、

そのフラッシュバックを見据えながら、浮かんでくる

様々な感情や想いを受け止めようと、神経を集中させた。

 

インド生活は、幼い息子と一緒だった。

彼に対する母親としての自分を採点したら、及第点では

なかっただろうと思える多々の場面が次々と、脳裏によぎった。

 

シタールというインド民族楽器と出会い、音楽の道一筋と

いっても過言ではないほど、専心してきた自分の生活の中で、

どれほど、幼かった息子が 心の交流を満足に得れないまま、

寂しさや無視されたという感情の犠牲になったのだろうと

考えたのだ。

 

私の従来のわがままで、マイペースな性癖は、息子のみ

ならず、自分の周りの人達をも、知らないうちに、振り

回していたのだろうと 反省した。

 

インド時代だけのことではなかろう。


自分が生まれて、成人するまでのプロセスに、青年期、

結婚してから・・・私なりに、セラピーなどの実践で

生命力の素晴らしさを習得してきたとしても、


手入れを怠った機械についた、油のように、まだ”何か”が

べっとりとこびりついていることを、今回、痛烈に感じた。

 

皆様は、精神的に深い洞察力をお持ちだろうと推測する。

私自身、スピリチュアルな洞察力をもってして、”感情”や

”五感から得る感覚”は、切り捨てるに足りうるものという、

確固たる確信が出来上がっていたのかもしれない。 

 

感覚的、感情的な想いは、アートマ、つまり、人間の本質的

な部分であり、”善と完全の神性”と相反する立ち位置に

あるものだという信念が、どこかで、曲折されてきたような

気持ちになった。

なぜなら、それは、モ―ナ女史のいう、潜在意識~ウニヒピリ

への切り捨て行為ともいえるからだ。


ウニヒピリの言葉、感情を通して、現在意識は、自分の

知らない潜在意識にこびりついた、油の分解掃除

ができるのなら、こうした、感情は大切なものだった。

 

ところで、潜在意識が’子供’、つまり、’インナーチャイルド’

という言い方に、ピント来ないかたもいらっしゃるだろう。

 

モ―ナ女史(注1)の言葉を借りれば、ウニヒピリと

ハワイ語で呼ばれる存在でもあるらしい。


肯定的でも否定的な意味合いを持つものではなく、

単に、人が生きてきた(現世のみならず、生命を得た瞬間

から生きてきた)すべての記憶の倉庫、‘潜在意識’

を意味する。

 

モ―ナ女史の一番弟子が、自分の現在意識とウニヒピリ

(潜在意識)との関係につして、以下のように言う;


”自分と家族、自分と周囲の人々、との関係は、自分の

中での現在意識と潜在意識、との関係である” 

(カマイリ・ラファエロ・ヴィッチ女史~注2)

 

息子が小さい時、1人の時が多かった。

そんなとき、彼の寂しさはどのようなものだったか?

 

当時の私は、きちんとそれを理解していたのか? 

理解していなかったと思う。


その埋め合わせとして彼にどのように対応してきたのか? 

彼の言葉にならない声を、十分に理解してあげられる

精神的ゆとりはあったのだろうか? 

 

無かったと思う。

”自分の道”のことで、心も頭も一杯だったようだ。

 

彼が成長していく段階で、人間教育という場面では

どうだったろう?


母親の言うことは間違いがないのだから、”聞きなさい”

という威圧的な心が、息子との会話のどこかになかった

だろうか?


息子に対してだけではなく、周りの人に対し、十分な

想い測る心を忘れていたことがないだろうか? 


自分の立ち位置だけで’こうなるべきだ’と独断的

信じ込んでいなかっただろうか?


私の日常生活の選択基盤は、非常に自己中心的だった。

これらの質問は、ある意味、自分の中のウニヒビリ(潜在意識)

との関係に対しても共通した質問であると考えた。 


自分の中での現在意識、潜在意識(カルマ的意識)は、

モ―ナ女史の言葉でいえば、母親と子供の関係だ。

超越意識は父親に当たる。


これまでの、私の内側の、その三者の関係は不完全だった。

母親と父親しか存在していなかった。

 

誰の心にも存在する、超越意識はディヴィニティ(神や生命力)

と直接、結びついている。

しかし、深層部分に置かれたこの超越意識に、現在意識

(私というエゴ)が結びつくためには、ウニヒビリの存在は

思ってもいなかった。


ただただ、超越意識とつながるためには、内観に徹することと

思ってきた。


そのようにして、負のカルマを相殺(そうさい)

できると信じていた。(今でも、この信念は変わりはない

のだが・・)

 

しかし、そのように努めてきた自分の中で自分自身の統合性

が取れていたのか?


自分自身の中での、協調性を見出していたか?という質問が

湧いた。 

息子との関係が、ウニヒピリとの関係と一致すると示唆を受けた

からだ。

 

もし、本当に自分自身の協調性を知らないでいるとしたら、

どうして、息子を含めて、他者との協調性を創造できるのだろう?


モ―ナ女史は 今、改めて、私に、この重大な疑問を投げかけて

くれたような気がした。


直接、インナーチャイルド のことを触れている詩ではないが、

次のモ―ナ女史の詩を、ご紹介したい。

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“こころの海”

1.それはもう長いこと、あなたは感情の海原に放り出され 

溺れ、漂い続けてきた。


かつてキリストが荒れ狂う嵐の海を、鎮めたと言われた

ように、今、あなたは人生の荒波を鎮める方法を知った。


そして、あなたは、こうも知っている:その方法を

知ったからと言って、海がいつまでも静かなわけ

ではない。 


また、きっと、嵐はやってくることを。

でも、あなたの心の奥には、人生で現れる嵐や波乱を

鎮める力がみなぎっているのだ。

 

できるだけ、‘本当のあなた’こころに描いて、

それを言葉にしてみよう。 


そのことが、貴方の今を、創造していくのだから。


2.それでもきっと、あなたはこれからも、嘆き、悲しみ、

絶望するだろう。 

それはどうしようもないこと。


だって、あなたがとてつもなく長い時間をかけて、積み重ねて

きた記憶が、まだまだ残っているのだから。

 

でも、覚えていて欲しい。

あたには、‘わたし’という家族がいる。 

あなたを心から愛する存在がいる。


‘わたし’は、あなたに贈り物を送った。

今のあなたはそれを手にしている。

 

3.‘わたし’が、一緒にあなたと、共にいること。

こんな素晴らしいこと、他にはない。


さあ 見に来てご覧。

すべてを真に求め、調和と平和を望むのなら、それらは

あなたの内側に見つけられるだろう。 


自分の心の海の中で、あなたは見つけるだろう。

そのとき、あなたの家族に出会うはずだ。

 

4.まず、‘わたし’を見つけること。

そうして、あなたの家族を自分の内側で出会うこと。


あなたにも、あなたの周りの人達にも、内側に

それぞれ家族を持っている。

************************

番号とアンダーラインは私が、後からふらせていただいた。


1のフレーズに“あなたの心の奥には、人生で現れる嵐や

波乱を鎮める力”があり、本当のあなた”を知ることと

ある。


ここで、モ―ナ女史の語る、“本当のあなた”とは?

それをモ―ナ女史の言葉で、彼女のほかの詩(注3)から

拾ってみたい。

~~~~~~~~

(同書 P・103) 

あなたの命の源が光さ。

‘わたし’がいる場所。(P.95) 

人が本当に‘わたし’、つまり‘本当の自分’を

受け入れるとき、

つまり、宗教や儀式などを超えて、

あなたが‘わたし’を受け入れるとき、


‘わたし’の方からあなたに向かってきちんと

姿を現すよ。

 

‘わたし’は今までほんのわずかな人にしか、

自分の顔を向けたことが無い。(P.96)


 もしも、だれか‘わたし’の顔を見たことがある

という人がいたとしたら、

それは‘わたし’の顔をみたのでは

なく、‘わたし’の影かしるしを見たのだろう。

(P・104) 


‘わたし’はいつもあなたと一緒。

あなたが吐く息や吸う息の中にいる。(P.105) 


何度も何度もあなたは自分を見失ってきた。

何度も何度も、‘わたし’はそれを見た。


あなたの星の輝きが、失われて行くのを。 

でも、あなたの本質の中では、その光の輝きは永遠。(P.107) 


永遠は、あなたの中にいつでも息づいている ‘わたし’ が 

ほんの一瞬、現れているときのこと。


‘わたし’の中に永遠がある。(P.108)

 あなたは無限の中にいる。

それ以外の中にいない。

戻っておいで!

光に、あなたのホームに、‘わたし’のもとへ。

********

 

モ―ナ女史はここで、私が理屈めいた言葉を並べて、

その定義を分析することは決して望まないだろう。


それぞれ、皆様が、この詩を読んだ印象を大事にされて、

‘わたし’の存在がどういうものかを感じ取って

いただくのが、一番大切なことだろう。

 

次回は、先の途中で文章を止めた箇所:

1のフレーズの言葉、“あなたの心の奥には、人生で

現れる嵐や波乱を鎮める力”

があり、

本当のあなた”を知ることとある’ 

までもう一度戻って インナーチャイルドとの

関係を考えてみたい。

 

 

続く~

注1) モ―ナ女史 

Morrnah Nalamaku Simeona

ハワイで人間州宝に認定された

伝統医療のスペシャリスト。

複数で話し合うことで問題

解決策を探るハワイの伝統的な

問題解決方法の’ホ・オポノポノ’を、

人を介するのではなく、

改心を通して自らの力で、

潜在意識の浄化を図る方法で、

超越意識と繋がり、問題の本質

を解決できるように、進化させた。

彼女の改定された’ホ・オポノポノ’は’

SITH ホ・オポノポノ’と呼ばれている。

 

注2)カマイリ・ラファエロヴィッチ女史

Kamaile Rafaelovich,MBA,MAT

~モ―ナ女史の一番弟子。

ハワイでは不動産業を営み、

ホ・オポノポノ’を使った

経営コンサルタント、

ボディーワークを行っている。

著書’ウニヒピリ’など

注3)”叡智のしずく” SITH ホ・オポノポノ’ 

アジア局、2012年

 

参考:

~“はじめてのウニヒピリ”、宝島社、2015年  

~”叡智のしずく” SITH ホ・オポノポノ’ アジア局、2012年

~”ウニヒピリ ホ・オポノポノ’で出会った’本当の自分’” 

イハレアカラ・ヒューレン、KR, 平良アイリーン、サンマーク出版、2010年

~”春夏秋冬” モ―ナ・ナラマク・シメナオ、イハレアカラ・ヒューレン、KR

 

 

 

 

 

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