自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

幽体の私から幽体のトラが逃げて行った!!

2021年04月22日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

 

2012年4月23日 虎さん バイバイ   2021 4/22

****************************

動物写真フリー素材tiger に対する画像結果

① 以下③で平成25年に発表した記事を皆さん、

読まれたでしょうか?

これはとても私的体験です。 

自分の心の檻中にいる虎が、突然、雄叫びをあげて、

暴れ出すのです。 

始末に負えないぐらい、私はそのたびに不安定な心持に

さいなまれていました。

 

初めて平成25年に発表して、それから4年前にも 

同じ詩をあげて、再考しています。

肝腎な詩で表現されている”虎”の内容は一字一句、

最初の原稿と変えていません。

変わったのは私の心です

 

何故 トラ? 虎は私の心の中にいた、怒りや苛立ち、

欲求不満や焦りのような観念の象徴です。

10年前以上、インドの家を引き払うとき、このブログにも

たびたび登場する、同じアパートの一階に住む霊能力者の

セラピー・クライアントMrs.Bedi からこう言われたこと

があります。

 

”スダの幽体は、半分は真っ白、半分は虎の顔が見えるの。

虎は放逐した方がよいわ。これが私からのあなたへの言葉”

 

それは、突然、インドの住み慣れたアパートから、半永久的

にお別れする時に言われた言葉でした。

鳥肌が立ちました。

何故って、それはわたしにしか 知らないはずの、私の奥底の

心の秘密でしたから・・・

 

でも、あることが私の心の中に変化を与えてくれました。 

私にとってはとても大切な方(人だけとは限りませんよ・・)

の強い祈りと祝福が私を替えてくれたようです。

 

それは、また、機会があったらお話ししましょう。

そして、私自身、 虎を持てあましながら、数十年の間

さまざまな試みをしてきたことは無駄ではなかったのだ

と思います。 

 

ちょうど、フラスコの中の塩を溶かすのに、温度を上げて

行くと、飽和点ですっかり融けきってしまうように、虎は、

私の心にぼぼ、半透明の状態で今は、無害な影だけを

のこしています。

 

心は変わります。

どんなに嫌な自分の性格でも、必ず、変わります。・・・

と今、私は、体験したばかりなので皆様にお話しできます。

 

②にはまだ、虎に翻弄されている時の私の記事、

③には、この虎を初めて、言葉にしたときの記事を載せて

あります。

 

追記です・・どうして、虎がいなくなったのか、確証が

あるのかって?

それは、先日、このブログで登場する私の大切な友人で

霊能力者のRさんから、朝、電話が入り、

 

”昨日、あなたが虎と一緒に、私のところ(夢というか、ヴィジョン)

に出て来て、虎が私を威嚇するように吠えているの。

大丈夫?何かあった?”

 

というので、今お話ししたような、事の顛末を話すと、

”ああ、虎の最後のあがきだったのね。”とその霊能力者も

納得した次第でした。

 

そして、”きっと、力のあるかたがあなたを浄化して

くださったのね・・”ともいわれ、早速、心当たりのあるかたに 

そのお話しをしたところ、Rさんの言葉は当たっていますね・・

ということで、虎さん解放の確認がとれたという次第です。

 

付け加えさせていただけるのなら、何より、平和で穏やかになった

心の有り難さを味わっているところです。

 

② 虎の咆哮(ほうこう): 

自分のマイナスメンタル意識の清算行動か? 2017.7.5

 

*************

 

” 自閉症スペクトラム‥自分は第二自我意識が芽生えた

中学生時代から、自閉症症候群の性癖を持っていたようだ。 

学校で、家庭で、それに気づく人はいなかったが、常に、

心の中で野獣(虎)の雄たけびが聞こえてくるような

場違いなもう一人の自分を意識していた。

 

同世代の友達と一緒にいても何を話していいか

わからず、口に出る一言は”変わった人”という

レッテルを貼られるのに十分だった。” 

 

この上の記事を投稿した4年前は、最大の小自我を 

虎 になぞらえていた。

 

また、折々に感じる不安は他者の不幸や不安と

連結しているものだと考えていた。

さらに、人は大体が、その場しのぎで、不安を酒や

物質的享楽で紛らわしているが、自分のメンタリティー

も大差ないことを自覚していて、自虐的批判に

満ちていた。

 

彼らの事を、”飽食を甘受する人”と呼び、感情を制御

できない人を、次の詩の中では、”心の動物園の檻(おり)が

開いて逃げ出した猛獣たちに占領された人たち”と呼んでいる。

 

今は、当時と感じ方が変わってきている。 

猛獣達の幻影は影をひそめ、もし、たまにばったり出会っても、

通り過ぎるのを待つだけだ。

そのたびに暗い心持になるより、飛翔して、明るい自分を

保持している方がよっぽと難しくはあるが、

意義あることだと感じるようになったようだ。

 

 心の檻(おり) 平成25年1月28日初投稿

 

*******************************   

 

動物写真フリー素材tiger に対する画像結果

 

最近、パンドラの箱をあけてしまったのか、いろいろな 

雄叫(おたけ)びが 心に こだま しているのです。

 

”心の動物園の檻(おり)”の箍(たが)が はずれて

しまったようなんです。

月が満ちてくると、檻から、抜け出した野獣たちが 

私の心を自由自在に動き始め、満月に近づくにつれて、

彼らの雄たけびがますます悲痛に こだますのです。

 

時々、月の光に、一瞬、 大きく開いた口が、牙をむいて、

何かを、飲み込もうとしているのが見えます。 

ええ、昨日、デニーズでお話しした、A さん、

あなたの言葉も聞こえてきます。 

 

”すべては、合わせ鏡ですものね。” って・・・

 

そうなんです。 

彼らは 実は、私なんです、きっと。

                                                                                                                 人の心は ”動物画”のモザイク張り。 

猫やウサギやハイエナ、ナイチンゲールやオウムまで。

 

”猫”をかぶることもできるし、”兎”のように、つぶらな瞳で、

無垢に装うこともある。

ある時は、獲物を狙う”ハイエナ”のように、抜き足差し足。

 

美しい”ナイチンゲール”の夜明けを告げる鳴き声で、

あたりを、魅了させるかと思えば、

時には、”鸚鵡(オウム)”のように、意味のない言葉を 

仰々しく羅列して、喚(わめ)き散らしてみたり。

 

ええ、昨日、デニーズでお話しした、Aさん、あなたの

言葉を思い出しました。

”これからは、独り立ちしていかないと、生き残れないです

よね、もちろん、霊的に、精神的に・・” という言葉・・・

 

”同感です”って答えましたっけ。

独り立ち?”動物モザイク” の寄せ木のような 

心模様(こころもよう)・・

それを、統一している自分が ”自分” ですか?

 

それとも、統一させて、独立していると思っている 

この”自分”も もしかしたら寄せ木の一部ですか?  

”統一している”と思っていること自体、

”妄想”ですか?

独り立ちって何ですか? 

 

虎がささやく・

”私を開放できるときだよ”

 

さてさて、月明かり、真夜中3時、外に出てみよう、

冴えわたる月光の下、

彷徨う トラが 鏡のような、月にむかって、振り向いた

 

おとなしい ”兎”が土の下で眠る。

こざかしい ”フクロウ”が 木の上で様子を見守る。

天空には 無数の星があるはずなのに、今は、何も見えない。

 

”トラ”が また、月の下で、牙を出して、声なき唸りを

上げ始めようとしてる。

 

静けさ・・ただ地球のあちこちで、悲しいすすり泣きが 

かすかに響いている。

 

その鳴き声はだんだん大きく塊のようになって、

いつの間にか、虎の開けた口に吸いこまれる。

 

シリアの難民が、 内戦で親を失った罪のない子供たちが、

アルジェリアの無機質な打ち合いの目撃者が、

貧困で子供を売られる母親が、アフリカで 痩せ細った

乳幼児たちが・・・

悪夢の中で夢うつつに絞り出す、すすり泣き・・・

いつの間にか、不条理の摂理のガス に覆われていく・・

この世界は、悲しみ模様。

 

様々な ”涙模様”の寄せ集まり。 

人の心は、”心の檻(おり)の野獣”に占領され、

手も足も出ない豊饒(ほうじょう)と飽食(ほうしょく)

に 慣れっこになった 肉体と心。

 

”Please! Do not disturb” 

(お願い!!ドアをノックしないでください)のプレートを 

心の外にぶら下げよう。

 

雪で洗われた、月で照らされた 心野原の霊妙さを確保して、

しばし、落ち着かない野獣たちにも味わさせよう。

雑念も、欲望も、入り込まないで。お願い、ドアをノックしないで。 

 

だれにも  心の中の、野獣の牙を見せたくないから・・・

 

”あんた、そうこうして、もう、何十年たったんだっけ?!” 

牙をむけたトラは 私の目を見て、声なき声で問いかけてくる。 

”そろそろ、出してくれないか!” と虎が吠える

 

”あなたが、牙をむかなければ、そうしたら、ドアを開けてもいいわ。” 

と、やっと答える私。

”詭弁だね” トラは せせら笑う。

”今開けなくて、いつ、開けられる?” 虎は聞く。

”開けたくても開けられないのよ” 

とジレンマで私も 一緒に叫ぶ。

 

トラは再度、怒涛の声を 喉の奥から絞り出す。

”お前は内の静けさ、を求め、オレは外の自由な世界 

を求め、ちょうどよい。

オレが外に行けば静けさが戻るのだから。

 

”ドアを開けてくれ!”  

”ドアを開けて オレを解放してくれ!”

”オレの首にかかった、この鎖を外してくれ!” 

”オレは帰るところに帰りたいだけだ!” 

 

とうとう、夜があけた。陽が昇る。

動物園のざわめきが、一瞬のうちに、消えていく。

何事もなかったように、すべての動物の檻が閉じられる。

 

意識は目覚め、人は、”蟻”(あり)のようにモザイク張りの 

パズルに向かい 動きはじめた。

豊饒の中で。

飽食の中で。

慣らされた肉体の手足を動かして。

 

私の心は、まだ、パズルを はめ込む主(ぬし)の手を

懸命に探している。

星が出れば、見えるかも。

月灯りでわかるかも。太陽は眩しすぎて。

肉体は忙しすぎて。

 

夜になって、トラの雄叫びに耳をふさぎながら・・

昨日の眉間のしわがまだ消えていないのに、

眼を細めて探し続けるだろう。 また月が昇って来た ~

”虎がお前だ”

”お前がトラだ。” 

”お前が私だ。”

”私がトラだ。”

 

昨日のデニーズで会ったAさんの言葉が 心に

蘇(よみがえ)る。

”そう、ゼロにして、もう一度、リセットする

ことも 必要よね。” って。

 

”リセット”? 

寄せ木細工の心のパズルを逆さまにして、全部バラバラに

してしまうということ? 

わかった。

そうしよう。リセットだ。

 

そうつぶやく私の心で 檻(おり)の中で寝ていたはずの 

トラの瞼(まぶた)がピクピク 動いた。

 

疑惑の眼(まなこ)を そっと 開けた・・・・・

 

”オレを、どうするつもりだい?” 再び 咆哮!

心を飲み干してしまいそうな、大口をあけながら・・・

 ”自由よ! リセットできたらお互いに自由になるの。” 

 ”ゼロになったら、うまくいったら・・・”

 私の声はか細く、虎の口に吸いこまれていった


***************

 

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宇宙からのメッセージについて

2021年04月20日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

自分をハッピーにしよう・・・”自分”って??? 2021年4月20日

*********

(Unsplash 無料使用写真集から)

昨日、ユーチューブのスピリチュアル系のサイトを

初めて見てみました。

宇宙からの交信について多々あげられていることを、

先日、ほつま会の参加者からお話しを聞いて興味を

持ったからです。

引き寄せの原理 ということを中心に話が展開して

いました。

それを見て、私は在る意味ハッピーになりました。

なぜって、この原理は、同じ波動のものが寄せ集まる

法則を認めたうえで成り立っていますから、

波動の概念、素粒子や量子物理学とのスピリチュアル

の連動的考え方、意識をコントロールしていつも

前向きに今を生きる姿勢、利己主義といわれようと、

自分がハッピーにいられることを第一に考える、

宇宙と自分という大局的な視野で日常の現象を捉えて

行く、などなど、言い方は異なっても、主題とする

ところは、全面的に賛成できることが多かったからです。

 

でも、一つだけ、少し違和感を感じた点があれば、自分を

ハッピーにしよう、というときの、”自分”とは?

その”自分”の置き所が、違うのかもしれません。

 

幸せになりたかったから、まず、”本当の自分を知る”

ことだと私は思います。

”本当の自分”はとてつもなく、大きく、寛大で、愛深く、

能力に富み、生命に満ちて、善意の塊りのような”私”。

その自分がハッピーになるということは、自分に戻ること

でもあるのだから、そうなれば、とりもなおさず、

周囲が一緒にハッピーになることでしょう

’本当の自分の波動’は’他者の本物の自我’を共振させること

でしょう。

つまり、他者の”愛”を引き出し、それだけで、他者は

幸せな気持ちに満たされるでしょう。

 

だから、人を愛せよ、とか、社会のために尽くせよ、

とか、隣人愛が大切だとか、社会的貢献を目指せよ、

とか言っても自己犠牲を強いながらするのは

本当ではないような気がします。

 

本当の自分を知り、本当の自分の心が欲するまま、

目の前のことを、一つ一つ対処していけば、無限

のプラス結果が生まれると思うのです。

この地球上の私たちは、一人ひとりの心に

広がる宇宙観は異なるはずです。 

たとえば、同じ環境で同じことをして、同じものを

食べて、同じ音楽を聴いて、同じ景色を観賞して

いても、その人一人ひとりの心の中で、感じるもの

や受け入れるものは少しずつ異なっているはずです。

ということは、その人の魂の土壌は、それぞれ、

異なるということでは?

もし、色で同じ体験の感じかたを表現できれば、

在る人の心はブルー、在る人の心は紫、

在る人の心は灰色がかっているかもしれない。

そんなふうに、その人が通じている宇宙空間と

いうのは、一人ひとりが異なるところとつながって

いるのかもしれません。

 

一方、”本当の自分”というのは、誰もが、一つの

ところに帰る気がします。

谷口雅春師は、をの資質を、”無限の愛”’大調和”

”無限の供給””無限の生命””無限の智慧”と表現して

います。

 

先に話題にした、宇宙との交信は肉体レベルで

感知するものでしょう。。

一方、本当の自分を知ることは、もはや、五感

の感覚レベルを越えた、魂の無次元レベルで、

掘り下げながら、自覚していくものです。

なので、宇宙交信で、精神文明の進んだ星から

のメッセージを受け取る事も大切ですけど、

この地球上で、本当の自分を自覚できることが

できたら、それに勝る真実はないような気がします。

その自覚こそ、どこの星に居ても、通用する、ヒトの

真のアイデンティティの証明書のような気が

します。

 

きっと、そのために、私たちは、どこかの星から、

この地球学校へやってきているのかもしれませんね。

戦争が繰り返されている、この星で、”本当の自分を探る”

ことは、かなり、しんどく、大きなレッスンでもあるの

ですが・・・

 

(Unsplash 無料使用写真集から)

 

***********************

 

 

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8年前の神気法の記事に関して

2021年04月19日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

号外版です; 引きつれ・つまる・身体をほぐす             平成25年1月16日  

 *************************************************************************************************

補足前文)2021年4月19日

以下の記事は、8年前に書かれたものです。ここでは、姑(はは)の神気法の

施術をまとめた文庫本発売の報告となっています。

そして、最後に、アートマセラピーのことも、神気法にかぶせて

少し触れています。

 

しかし、今、私は、姑(はは)のセラピーと、今の自分のセラピー方法とでは、

確実に異なる点を見出しています。

それは、神気法では、身体の物質的実在を前提にしていますが、

アートマセラピーでは、アートマ(人間の実相)のみを実在としているので、

身体はそのアートマを知覚したとき、必然的に自然治癒力の発動で

癒される、という前提の違いがあります。

 

もう少し、砕いて申しますと、アートマの実在の知覚、ということは、

身体の経絡や順気の流れのつながりは勿論大切なのですが、

自分自身の心の内側に付いている魂の眼が、自分自身の実相を見て

いるかどうか、それを感じるよう努力しているかどうか、

自分自身の完全性(宇宙の生命力と同じ資質であること)を

信じられているかどうか、が、身体の癒しに直結するということでも

あります。

 

自己セラピーをしていただく際も、真言を唱えたりしながら、

順気を整える手順は、姑のセラピー方法と同様ですが、唱える真言

の中にある、本意”神は人なり、人は神なり”の言霊をきちんと意識して、

魂の眼を、カッと見開く気持ちで順気を整えているかどうか?

 

そして、宇宙を駆け巡る気の流れの一部に自分自身の身体の、

気の流れが重なるぐらいの自覚で、24経絡の順気を整えているかどうか?

ということが、主眼となっているところが、アートマセラピーの特徴です。

 

この数日間、このページにアクセスしてくださった方たちが

おられましたので、改めて、その点を、はっきりさせて、現在進行形

で書いている、形而上的癒しと矛盾がないように、つなげたいと思いました。

 

*********************************

 

昨日、1月15日、母(姑)、須田痲紗子の治療(神気法)体験記が、

文芸社特選文庫本シリーズとして一冊にまとまり、発売の運びになった。(*1)

 

母の治療法が、”神気法” という名前をつけられるきっかけに 少々私も

関与させてもらった。

”まえがき” の冒頭にこう書かれている。

神気法 を 皆様に、ご紹介するために、引用させていただく。

 

”平成3年2月上旬、息子の嫁から電話がかかってきて 

’お母さんの治療の本を再度読み返していたら、

不思議な素晴らしい体験をしました。 

本から私の全身に ’滝の気’が注がれたのです。’

と興奮気味の声で話し出したのだった。

 

其の後、一週間経て、(嫁が)我が家に来たとき、その時に

体験した神示を書いてくれたのである。

’東洋の古来のさまざまな療法を統合せしめ、宇宙の磁気が肉体の順気と和合し、

人間が小宇宙であるという真実を、明らかにせしむる治療法である。

この本に流れる、滝の気”とは、修験者が己を清らかにせしめんがため、

修行する神気あふれる滝の水に、身を清めるのと同じ力を持つものである。

とある。

 

母はさらに、こう 綴っている。

”日本の神霊の導きであることが疑いようもないほどに、

種々の体験をさせられた。

そして、この治療法を息子の嫁とともに、神気法と名付けたのである。・・略・

身体の不調の原因を、引きつれ・つまりであるという。 

この不調は服薬するだけでは治すことは無理であり、かえって”服薬によって、

体質を改悪させられている場合も多い”と推理している。

 

食餌療法だけでも、”改善できる”とするなら、

”片手落ち”と母は書いている。

それは、

”正しい食餌法は健康への最善の道と思われるが、

過去に大きな損傷を受けている場合は、

食事の改善のみでは不調は消えない”

からだとする。

 

さらに、”今や流行の気功のみでも、過去の酷使・損傷は治っていない”として、

”身体は正常な気の流れ(電気波動)によって、健康が保たれているが、

この気の流れに狂いが生ずると不調を感じるようになり果ては臓器自体も

むしばまれてくる” と述べている。

その気の狂いこそ、

先天的体質に、過去の労働による酷使、スポーツによる過度の酷使”を

はじめとして、今までの物理的損傷や慢性的睡眠不足、食事の不摂生などが

要因となり、”ひきつれ・つまり”を体に引き起こし、不調をもたらすと

書いている。

 

様々な症例がこの後に続く。

目次は以下のようになる。

第一章  引きつれ・つまりとその治療法

第二章  脳と眼の酷使が原因の引きつれ・つまりをほぐす

第三章  損傷による引きつれ・つまりをほぐす

第四章  幼児期・少年期の損傷、交通事故の後遺症をほぐす

第五章  身体の酷使とけがによる後遺症をほぐす

第六章  悪習慣による引きつれ・つまりをほぐす

第七章  過労と運動による身体の酷使をほぐす

第八章  健康生活の知恵と実践

第九章  古人の養生方法と不思議な話

さらに付録として、治療体験記が 医師である、今井浩之氏が補足している。

 

今日は第一章から少し抜粋してしてみたい。 

身体は長い年月をかけて、木の年輪のようにめぐって、引きつれ・つまっていく

ので、急速に治療の成果を期待することは無理である。

ある程度の期間をかけて、一枚ずつ、薄紙をはくごとくに、ジョジョにほどいて

いくのである。

人体には、おびだたしい数の筋肉・靭帯・腱などがあるので、その ひきつれ・つまり

をバランスを崩さぬようにほぐしていくのは、ちょうど、こんがらがった毛糸を

ほぐしていくようなもので、丹念に、しかも、時をかけてほどかなければならない。

 

もし、一気にほぐそうとすると、たいへんな危険をともなうのである。 

というのは、身体は引きつれて、つまっているなりに、バランスを取って

いるので、この凝りをほぐすときには、現在のバランスをできるだけ

急速に崩さぬよう、細心の注意が必要である。

以上のようにして、何回も、治療を重ねながら、正常な身体の働き・

体型を取り戻せるように、いわば、身体を根本より改善させ、若返りの

方向に逆戻りさせるのである。

 

第一回目の治療は、身体の引きつれ・つまりをほぐす、糸口を探り、整理する

だけに費やされるが、二回目から本格的な治療が始まる。

最初は、治療のたびごとに反応を顕わすことが多く、あらかじめ、好転反応

が出ると忠告しておいても、実際に起きてみるとうろたえて、医師に診察を

乞う人もあった。 

東洋医学的な知識を持っている場合は別として、ほとんどは反応に驚き、

かつ不安に感じるようである。

治療後に多いのは、反応としてのけだるさである。 

これはコリの重いほど強く現れ、長くて、1.2日、普通は数時間もすれば収まる。

 

治療の積み重ねによって、身体の懲りが軽くなってくると、治療中より快適な

気分になるらしく、寝返るときなど”気持ちが良い”と言い、治療の終わった途端

”すっきりした”という。” 抜粋 以上

 

               

 

これはアートマセラピーを受けられた方達なら 

同様の体験と実感をされていると思われます。

また、反応 ということですが、これに関しては、

施術側にも 鏡の光の跳ね返りのように、

被施術者の反応が、自分自身の肉体に、如実に

現れることがあります。

私自身、腰の抜ける体験をして、腰がたたなく

なったことや、喘息の方の好転反応から、数日

体がだるくて、寝込んだり、時には発熱する

ことも間々あります。

 

続く

 *1~”引きつれ・つまる・身体をほぐす”  

著者 須田痲紗子” 462頁 

初版 平成25年1月15日 文芸社文庫本 

 

  Copyright : NPO Spontaneous Healing Therapy Japan: All Rights Reserved.

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ヨガのイロハ=ヴェーダ 一元論(いちげんろん)思想(8)

2021年04月13日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

5つの種類の知識と活用                            2021年4月13日

*******************************************************************

まえがき)

すでに、南インドのサイババ師が、肉体の衣を脱いでから7~8年

たつのだろうか・・

これまで、自然治癒力協会では自然治癒力という意味を、

多方面から見てきた。

 

最近、本当に私が皆様にお話ししたいことは、

”メタフィジカㇽヒーリング”と呼ばれてきた”、形而上的癒し”

ついてのことであると思った。 

 ”メタフィジカㇽヒーリング”とは、簡単に言えば、自分の本質

”アートマ=神性”に心を振り向けることで、身体の波動を替え、

順気の流れを良くして、自然治癒力の発動に拍車をかけることが

できる、ということ。。。。

 

その根本的な考え方を、サイババ師は独自の言葉で講習して

くださった記録が手元に残っている。

それを基にして、今回の、”ヨガのイロハ=ヴェーダ一元(いちげん)思想

’”シリーズを書かせていただいている。

****************************

先先回は、サイババ師の、身体の中のアートマと、苦行の関係に

ついてのお話しでした。

今日は、その続きからです・・・・

 

 ”身体は水のアワのようなものです。 

アワは自ら現れて、しばらくの間、水の上に留まり、また、元通り、

水に溶けていきます。

同様に'ナラ’(人)と呼ばれるアワも、’ナラヤナ’(神)とよばれている

水から現れて、また、元の水に戻って、溶け込みます。

 人間のこのような神聖な起源を認識する時初めて、私たちは正しい

やり方で人間の身体を、維持し使用するようになるでしょう。

身体はただの道具ですが、その用い方は定められた基準と限界に

したがって、規制されなければなりません。

この世のあらゆるものは、何らかの規制によって、支配されています。

そのような規律を守らずに何らかの成功、または、進歩に達することは

できないということはあります。

 

身体もまた、在る規制に支配されています。

私たちは自分の想念、感情、外観、行為において、純粋性を発達させる

べきです。

他方、もし、人が自分の感覚と四肢を不純な方法で用いるのならば、

人の性質は人間的というより、悪魔的に堕落するでしょう。

私たちの人生は企業(Limited. Company) に喩えることができます。

その理由はこうです。

 

人間の体温は98度Fですが、たとえ体温が99度Fに上がっただけでも、

それは病気の症状になります・

わたし達の血圧は、120/80mmですが、もし、それが上下したら

病気と考えられます。

わたし達の眼球もある範囲内に限って、光を見ることができます。

その範囲からの逸脱は、網膜に損傷を起こすでしょう。

私たちの耳は、一定の範囲内の音を聞くことができますが、その限界

を超えれば、鼓膜が傷つけられるでしょう。

 このように、私たちの身体をLimited Companyと呼んでも

いいでしょう。

わたし達が身体を使用しながら、これらの限界を守っているわけです。

口に入れる飲食物でも、話したり、聞いたりする言葉でも、事実上、

あらゆる生活習慣において、主音(基調)として、節制と中庸が

守られるべきでしょう。

 

限界を超えれば、危険を招くからです。食べ過ぎや話過ぎは、

心の変調をもたらしますが、適度の食事と話は、人生の喜びを

もたらします。 

身体の使い方をそのように、気をつけていれば、人間の生活にも

喜びが生まれます。

 

人間の知識は、五つのカテゴリーに分類されます。

こんにち、最も広くいきわたっている種類の知識は

①書物による知識です。

それは、表面的なものにしか過ぎない、書物の知識を得るために、

私たちは多くの時間を浪費しています。

このために、

②一般的知識

③常識

が著しく少なくなってきています。

この二つ、一般的常識と一般的知識は、書物からは得ることが

できず、実際の日々の生活、特に社会への奉仕を通じて、種々の

体験から得られるものです。

 

④番目は識別的な知識です。

この種類の知識は現在、利己的な目的のために歪んで

用いられています。

これは、識別力の正しい生かし方ではありません。

かけているのは、利己的な個人の利益ではなく、社会全体の

集合的利益を失い種類の識別です。

若い人たちは、自分の利害のための識別力の悪用を正当化

することを、避けなければなりません。

普遍的な識別の力、それが大切です。”(以上スワミの言葉)

 

利己的な識別と普遍的な識別、違いはなんだろう? 

以下のようにスワミは方程式を使って説明した。

 

”3-1=1、というのは、霊的計算による方程式です。 

あなたがたはこの方程式を間違いだと言うが私はそれが、正しいことを確信を

もって、主張します。

なぜなら、この方程式は、世間の計算に基づくものではないからです。

世間的というのはとかく利己的ですね。

霊的計算の方程式は、普遍的な福祉をめざしている、無我のアートマ(人間の神格)

の計算によるからなのです。

 

もう少し説明しましょう。 

神とマーヤー(幻)と宇宙、この三つの実体を考えてください。

神は実質であり、マーヤーは鏡であり、宇宙は神の反映です。

もし、鏡を取り去るならば、マーヤーも宇宙も存在しなくなります。

そのとき、神だけが残ります。それだから、3-1=1になるのです。

世間の人はこういうことを理解できません。

なぜなら、彼らには⑤番目の種類の智慧が欠けているからです。"(以上)

 

こうして、スワミは5つの知識のうち、4つまでを説明した。

一つ目は、書物の知識、二つ目と三つ目は一般的な知識、一般常識、特に、

社会でのそれぞれの立場で習得する知識、4つ目は識別的知識だった。

では、5つ目は何かというと、実際的知識だという。

(スワミの講義はカルナタカ語で行われ、英語の通訳が入る。

よって、それを日本語にするので、知識の名付け方よりも、スワミが説明している

内容を重視していただければ有り難いと思う。)

 

それは何を指しているか?

社会福祉への関心、身体へのせわ、食べ物への注意などがはいるようだ。

スワミの講義の内容がそれを、詳しく語っている。

 

”多くの人は自分自身の面倒をみるだけで充分だと思ってます。

しかし、総ての人は社会の一員でもあります。

社会全体の福祉に関して、自分自身のことのように、関心がいだかれるべきです。

太陽とその光線、海と波の関係、それらにはまったく差がありません。 

太陽と光線は一つ、海と波は一つです。

 

同様に、神と愛のあいだには、何の差別もありません。神は愛の本源だからです。

身体とアートマの関係も同様です。

この二つは相互に深く結び合っています。

身体は かりそめのものですが、アートマを実現するまでは、正しくその世話を

しなければなりません。

多くの人々は身体を無視し、多くの病気にかかる危険があるのです。

 

4つのプルシャルタス(人生の目的)があります。すなわち、ダルマ(道徳律)、

アルタ(富)、カーマ(欲望)モクシャ(解放・解脱)、それらを達するためにも、

身体の健康は絶対に必要です。”(以上スワミの言葉)

 

この続きは次回で・・・・

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ヨガの大元の教え=一元論のサイババ師の講義から(6)

2021年04月01日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム


アートマとは何?       2021年4月1日

****************************************************************************

いつもの講義の第一声は、サイババ師の美しいサンスクリット語の

朗詠から始まった。

唄うように、柔らかく、心を溶かすような優しさと、凛とした

品格がある、

うっとり聞き惚れる一瞬でもあった。

この肉体は無価値な鉄の金庫だ。

それが、以下の詩だった。

その日の講義の真髄を、こうして歌にして第一声をあげられた。

 

”その中に貴重な宝石がしまってあるように、

肉体の中には、聖なるものがある。

あなたが神と呼ぶものは、どこか遠い場所にはいない。

この神はあなたの身体そのものの内部にいる。

あなたが罪と呼ぶものは、遠い外国にはない。

それはあなたが為す行動そのものにある。

******************

 先回では、人間の身体は無常ではかないものだが

、”聖なるアートマ”という神格が存在している、

お宮でもあるから、身体を清潔に保ち、身体に影響を与える

想念も悲観的でマイナスなものとせず、大切に扱うことが、

人間の第一義務であることを、スワミ(サイババ師のこと、

以下、スワミと記載)は述べていた。

今日は、その肉体の宮に輝く、光の存在、アートマのお話しです。

 

スワミは、こう、それを表現した。 

”アートマは身体とともに、成長するものではなく、

身体とともに朽ち果てるものでもありません。

アートマ原理は成長や廃頽(はいたい)の影響は受けません。

それは、常に純粋で、尊く、普遍のものであります。

たとえ、ダイヤモンドが、ごみ山の中に見つかったとしても、

それは本来の輝きや価値を失うことはありません。

たとえ、クジャクの卵が普通のメンドリの腹の下で暖められて

孵化したとしても、そこから現れる若い、クジャクは

その美しい羽毛の色を変えることはありません。

 

同様に、無私の汚れなき永遠の’、アートマ原理’の素晴らしさ

輝きは、それが不浄のもので充満している、人間の身体と

関係を持ったとしても、少しも、減退するものではありません。

 

それゆえ、身体と呼ばれるこの聖なる神殿をおろそかにせず、

その適正な維持のために、また、人生における義務を果たす目的で

これを使用するために、身体を特に管理することは、人間の

第一の義務であります。

 

この真理を認めない人々は、礼拝、宗教的誓い、断食、悔い改め

の苦行の名において、身体を様々の苦しい試練に合わせます。

そういう苦行によって、そのような人々は永遠の’アートマ原理’

を悟るという目標を取り逃がしています。

 アリ塚をたたくことによって、その中のアリを殺すことが

できますか?

身体を苦しい目に合わせることによって、アートマを実現(実感)

できますか?

良い食べ物と水を断つことによって、あなたがたは、解放に達する

ことができますか?

’自己実現’は自分自身の本性を、認識することによってのみ、

可能です。

 それゆえ、’自己認識’探究の第一段階は、人間の本性を理解すること。 

今までに何回、生まれ変わったにせよ、人が現在まとっている、

身体は新しいものです。

これでも’神性’が人間に内在していることがわかります。

 人間のこの’神性’または、’真我’の発見には、’真実’の知覚をめざす、

適切な探究が必要です。


’大我’についての長い観想を通して、人が本当の’自分’を認めるとき、

彼はドラシュタ(賢者)になります。

バクティ(献身)の究極の目標は、そのようなドラシュタになり、

この霊的な眺望、または、視野において、世界を体験することです。

ここまで到達しなければ、人間はその’真我’を実体験しないままの、

形だけの人間に留まります。

 

サンスクリット語に、”マナヴァ”という言葉があり、これは、

人間をさします。

その意味は、”新しくない”ということです。

なぜなら、人間の実体は、太古から永遠に存在する、

アートマだからです。

”マナヴァ”のもう一つの意味は、"マ”(内在するアートマについての無知)、

”ナ”(なしで)、

”ヴァ”(振る舞う)の

合成です。つまり、”無知なしでふるまい行動する者”だけが、

マナヴァ(人間)の名にふさわしいのです。

 

緑の鳥は、その全部がオウムのようなしゃべり方が、できますか?

花の上に群がるすべての虫を、ミツバチと呼ぶことができますか?

ロバにトラの皮をかぶせるだけで、ロバは虎になれますか?

ブタが象のように大きく成長したというだけで、それを象と

呼ぶことができますか?

同じように、人間の形を持っている者を全員、真の人間と

考えることができますか?

自分の思想と、言葉と、行動を調和させた人だけが、

真に人間と呼ばれることができます。”

 

スワミの言葉は、続く・・・・・・

 

 

 

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