自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

癌宣告[父の場合]

2021年01月31日 | 介護と自然治癒力

父の望む、最期を見届けられた・・・ 2021年1月31日

 

****************************************

父は、2007年6月、体調を崩し、病院に入院した。

2月から食が細くなり、食べ物を受け付けなくなっていた

以外には、特に日常生活に異常はなかった。

母方の叔母は、私のクライアントでもあり、アートマセラピー

の効力を十分に理解してくれていたが、父の不具合を知って、

次のようなアドヴァイスを私に電話でしてきた。

 

”ヤスヨちゃん、今まで お父さんは、あなたのセラピーで

事なきを得てきたけど、万が一、何かお父さんにあったら、

病院で診察を受けていないということで、警察が入って

ややこしくなるから、一度は病院に行った方が良いと思う”

という叔母の意見だった。

 

2005年当時 父は、腎不全で国立S病院で治療を受けていた。

”彦田さん、次に血尿があったら、即入院ですから”~と主治医に

言われていた。私がその時、たまたま、一時帰国をした。

 

実家に戻ると、父が血尿を出したばかりでY先生の忠告通り

入院する準備をしている最中だった。

私は大胆にも、自分のセラピーで父の腎不全を治したいと思った。

私は父にそのセラピーの概要を説明した。

すると、父は傍で心配する母をしり目に、私に任せることを、

決断すると、こう、母に話した。

 

”おれは、ヤスヨの手当(セラピー)に任すことにするよ。” 

自ら受話器を取って、病院に電話をいれて、入院ベッドを

キャンセルした。

 

それから、約一月間の間、私は父の施術に必死だった。

毎日、体温、尿の量、色、回数、食餌内容、などなど、メモに

とりながら施術をした。

症状は、一進一退を繰り返していたが、確実に螺旋状の階段を

上る如く、結果は良くなっていった。

 

或るときは黄疸になった。本当に皮膚が黄色くなった。

或るときは、血尿の血の色が異常に濃くなった。

或るときは、食餌も細く、水分などの補給に心を配った。

 

あとは、父の神経が正常になるように、新陳代謝が活発化

するように、経絡の順気は気功を使って、注意深く整えた。

毎日数時間、父の体を言霊(祝詞やマントラ)で清め続けた。

こうして、父の生命力の強さのおかげで、自然治癒力は全開した。

 

セラピー開始後からひと月後、血尿はとまり、食欲は戻り、

途中で数日続いた黄疸も無事に乗り越えた。

私は主治医Y医師のことが気になった。そこで、検査入院を父に

薦めた。

 

もう父の身体は正常値を示すだろう。検査を受ければ完治したことを、

専門医に認めてもらえるだろう。

その時は、父は自信をもって、本格的な回復を実現できるだろう。

 

父は納得して、検査入院した。

初日は、ナースステーションに一番近い、重篤な患者の寝ている部屋

をあてがわれた。

検査の結果が出た。

主治医Y先生は、家族の目の前で首をかしげた。

 

そのレントゲン写真には、以前、父が通院中撮った写真に写っていた、

腎臓の結石まで 消えているのが不思議だといぶかしがった。

予想通り、検査結果の数値はそれぞれ、正常値になっていた。

こうして、入院数日後には父はナースステーションから一番遠い、

大部屋に移った。

  

しかし、2年後の同病院での入院時は状況は違っていた。

2007年、2月、私が実家に、一時帰国したおりのことだ。

父は食欲不振だった何を食べても、砂を噛むように味が感じら

ないといい、食欲は薄れだんだんと痩せてきていた。

 

不思議なことに、その父を見たとき、私にはある種の運命的な

予感を感じざる得なかった。

そしてこのときばかりは、自分自身のセラピーの限界を感じた。

施術しても無駄だと、なぜか思った。

インドの師が教えてくれたように、その運命を受け入れるべき時は、

その運命を覆すような努力は無駄であるという言葉を実感で感じた。

 

父は2年前の回復を期待して、再び、私に、セラピーしてくれと言う。

その父に対して、無情にも出てきた言葉は、

”お父さん、私のセラピーでは今回は無理かもしれない”と、小さな声で

つぶやいた。

 

それから間もなく帰国した。父が固形食を受け付けなくなってきて

いたので、点滴だけでもうってもらいたいと、S病院への入院に

踏み切ったのは、6月だった。

主治医は 幸運にも、先回2005年の検査入院の主治医Y医師と知己

であるK医師であった。

 

2005年に冒頭のお話しの、腎臓病が完治した際の、”自然治癒的回復力”

は多少、医局で話題になったようで、今回も又、”自然治癒”的回復力を

重視したいという私の意向は、理解していただけた。

そこで、塩分と水分補給点滴’のみで、しばらく、入院しながら様子を

見ることになった。

 

父は、かろうじて、点滴で生命を保っているものの、ますます痩せてきた。

しかし、本人は、重篤な患者であるという自覚は全く無く、むしろ自分の

退院を信じていた。

6月に見舞いに行った私は、父が リハビリルームで生き生きと、歩いたり

階段を上ったりして、自主トレに頑張っている姿を見て、嬉しかった。

 

K主治医が 父のレントゲン検査結果を家族に、報告した。

驚いたことには、父の体のある部位に、”癌の可能性”があるという

痩せ衰えた父の体力からみて、精密ながん検診は 消耗が激しく行えない

が、と言葉を濁した。

 

私と母に、”抗がん剤治療”を医師は、薦めてきた。さらに、その背景を

担当医師の本音として 躊躇しながら、次のように語った。

 

”病院としては、西洋治療を彦田さんは受けていないので、病院経営の

困難な状況の中では、自宅療養として退院をお勧めしてます。

処置を取らしてもらえれば、入院持続は可能です。

とりあえず、癌の可能性が高いということで、抗がん剤の治療を

受けていただきたい。”

 

私は その話を聞いて即答ができなかった。

もし、自分が日本に居住していたのなら、すぐにでも父を自宅に引き取り、

自宅療養に踏み切ったに違いなかった。

 

しかし当時、住民票がまだインドにあり、会社勤めをしていた。

自分が責任を持たなければならない、仕事や、インド人のスタッフたちが

待っていた。責任を放棄して、会社を見放してこのまま日本に居続けて

介護をすることは不可能に思えた。

 

かといって、母一人で、父の自宅療養で面倒を見てもらうことも難しかった

結局、苦汁を飲む気持ちで、私は次のように医師に答えた。

”父に直接、どのようにしたいか、本人の意見を先生から聞いてもらえますか?”

 

主治医は了解して父にありのままを伝えた。

父は、”癌宣告”に驚きつつ、”病院に入ったからには、医師を絶対的に

信頼する”という 当初からのぶれることのない、生真面目は心情で、

”どんな対症療法でも受ける覚悟はついている” 

と述べ、”よろしくお願いします” と言って、その医師に頭を下げた。

 

しかし、私の目の前で、本音が漏れた。

”おれは癌で死ぬのか・・”というポツリ独り言を漏らした。

その直後から、すぐ、抗がん剤が投与された。

父にとっては 肉体的より、精神的打撃のほうが大きかったように

見受けられた。

風邪薬も服用したことが無い父だった。ただ、”癌らしい”という

精密検査ができないままの判断と、入院するのには、医学的対処が不可欠

ということで、抗がん剤を身体に入れることを余儀なくされたのだった。

 

翌日、抗がん剤の副作用結果が出た。

父の心身はみるみる内に萎んでしまったかのようだった。

それはまるで、小さくてもしっかり咲いていた野草花が 湯をかけられて、

急に萎れたかのようだった。水槽で元気いっぱいに泳いでいた金魚が、

ほんの、一滴の不適当な薬剤を垂らされて一瞬のうちに水面上に浮かび、

白い腹を見せて息絶えてしまうようでもあった。

 

父は抗がん剤を一度打たれただけで、身体の中を回っていた”順気”が

一晩の内にひからびてしまった。医学的に言えば、内臓機能の数値が

一晩で半減したからだ。

 

リハビリを、一日も、欠かしたことが無かった父は、抗がん剤を受けた

次の日には、生きる意欲を亡くしたかのようにぐったりベッドに横たわり

本物の病人に化した。翌日から、医師は抗がん剤の投入を止めた。

 

私は、2月から7月までに、父の容態が気がかりで、4~5回ほど、

印度と日本を往復していた。交通費もエネルギーも大変だった。

思い出す。5月、まだ自宅にいた、父の容体が悪化したというので、

インドから駆け付けて、実家で父の介護を数日した。小康状態

で父は落ち着いた。

 

数日後には成田を出て、印度に深夜到着。 

ところが、翌日、会社に出勤した朝に、”父が倒れた”という母からの

国際電話を受けて、再び、飛行機に飛び乗ってトンボ返りした。

 

こんなことが数回あって、遂に7月、入院中の父の容体悪化という

知らせて、印度をたち、病院に成田からはやる気持で、駆けつけた。

父は、弱り切り、ほとんど言葉を発することのない状況になっていた。

枕元にいる私の存在を認識した。すると、懇願するように、父は

絞り出すようなかすかな、かすれた声で訴えた。

 

”家に、帰りたい”

 

その父の意思を、私は慎重に真摯に、受け止めた。

印度の会社を辞める覚悟もできた。

人生の最期を迎えている、父に真正面から、その願いを聞き届けたい

と心に決めた。

 

どんなことをしても今度こそ、自宅療養に切り替えて、病院から

自宅に、移そうとその場で決意した。

 

すぐ、父が自宅に戻れるよう様々な手続きに取り掛かった。

自宅点滴のための資格者の確保、

ケアマネをつけて訪問診療の事務的手続き、

Y医師の自宅診療の同意などを済ませた。

そして、たった一日の抗がん剤投与から約1か月半後、骨と皮になった

父を、父が切望した愛する我が家に戻すことができた。

 

自宅療養をするに滞りのない体制を整え、母と二人三脚の父の

自宅ケアが始まった。

尿は管で直接、体外に排出できた。

便の排出の自覚は残っていたので、父は、手で示して教えた。

 

母がそのたびに、局部を消毒して清潔に保ち紙パンツを取り換えた。

点滴も時間通りにその資格者が来て水分補給は完璧だった。

何かあればいつでも呼んでくださいというY医師のご理解も

有り難かった。

 

自宅療養して1ヶ月月たらず、在る夏の明け方、私と母は父のベッドの

そばで、ウトウトしていた。その夜、軽く、唸っていた父の声が止まって

いた。一瞬のまどろみから覚めた目に、傷みもなく、苦しむことなく

眠るように、息を引き取った父がいた。

8月20日の明け方5時だった。

 

 

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エミール大師が語るキリストの出生(4)

2021年01月25日 | 健康と直結する”一元論”について

エミール師ができることは私たちもできること・・・・ 2021年1月25日

*****************************

前書き

科学とオカルトの距離を。量子物理学の最新の発見に

よって、縮めて行くことを先回、話題にしたが、今日

最後のエミール大師の奇跡の話だ。

 

 

著者はしがきから

わたしは、1894年に 極東を訪れた11人の

調査団の一員であった。3年半にわたる極東滞在中

ヒマラヤの大師ちに接触した。

大師は私たちが 偉大なる法則の働きを実証される

のを実際に見るために、大師がたの生活の中に親しく

入り込むことを許してくれた。

 

私のノートを今ここに、“極東における、大師たちの

生活と教え”と題して、発表するが、そこに盛られた

内容をそのまま受け入れるか、否認するかは、読者の

自由である。

*******************************

エミール大師の言葉は続く。

キリストの出生についてであった。隊員達は皆、

ほとんどクリスチャンだったので、最も、彼らに

馴染みのあるキリスト教を紐解くことで宗教を

超越している、すべての宗教を縫合させる、本当

の真理について語り始めた。

 

さて、キリストの生まれた経緯はこうでした。

まず偉大なる母、マリアが 理念を覚知し、それが心

抱き続けられてという土壌の中に育まれ一時、

そこにとどまり、やがて、完全なる長子、神のひとり子

なるキリストとして生まれました。それから、女性の

最良のものを与えられつつ、養育と保護を受け、見守られ

つつ慈愛の下に少年期を経て、成人に達したわけです。

 

内在するキリスト(実相)が私たちすべてに、実現する

過程も、同じです。まず、最初に、神の土壌、すなわち、

神のまします、中枢部に 理念が植えつけられ、完全なる

理念として、心の中に維持され、やがてついに、完全なる

神の子、即ち、キリスト意識として、現実に、生まれ出て

くるのです。“(41)(引用終わり)

 

 

 

そう語りながら、エミール大師のこれまで隊員たちに

見せた奇跡的行いに、疑いの残る隊員達の気持ちを察して、

大師は次のように続けた。

 

“あなた方は、今しがたの出来事を見はしたものの、

自分自身の目を疑っています。しかし、私は、あなた方

を責めようとは思いません。皆さんの中の誰からか知らない

が、催眠術だ’いう念派を受けましたが、兄弟たちよ、

今晩あなた方が目撃したような 神の与え給うた、すべて

能力を行使する力が、自分には無いと思っている人が

いるのですか?

 

私が 何らかの方法で、あなた方の考えや視力を私の、

支配下に置くと,一寸の間でも想う人がいるのですか?

あなた方の中の誰かに、いや、あなた方全員に、私が

催眠術的魔力を投げようとすればできるとでも、思う

んですか?

 

あなた方は知らないのですか?

あなた方の偉大なる著、聖書に、‘イエスは 戸が閉

まっているのに、入ってきた’と記録されているでは

ありませんか。

 

イエスはちょうど私がしたように、入ってこられた

のです。偉大なる導師にして、また、教師でもあり

給うイエスが、いかなる方法にせよ、他人を催眠術

にかける必要でもあるとお考えなのですか?

 

イエスは今晩の私のように、神の与え給うた、

彼自身に内在する力用いたまうたのです。

くれぐれもことわっておきますが、私は、あなた方

誰にでもできること以外のことは、決して、

してはいないのですよ。

あなた方だけではない、この世、いや、この宇宙に、

今生まれてあり、また、生まれたことのある子らには、

すべて今晩のようなことを成し遂げる力があるのです。

 

あなた方は自由意思であって自動人形ではない

イエスには催眠術を他人にかける必要はなかったし、

私もまた然りです。私の正直さが 完全に納得できる

までは、完全に疑うがよい。

しかし、催眠術という考え方だけは、ここしばらくの

間でも、捨ててしまうか少なくても、あなた方の仕事

がもっと、深く進むまでは、心を受け身に保つがよい。

私たちが皆さんにお願いすることは ‘心を解放して

おく’ ということです。“(42

 

*****編集後記

エミール大師は、ドアーが閉まっていても、部屋の

中に入ってきたりすること、それは誰にでも 備わって

いる能力という。確かに、人がこの世を去るとき 

肉体を離れるその寸前に遠距離にもかかわらず、

愛する人の、枕元に顕れたという話しは、良く聞く

 

姿を見ないまでも、虫が知らせたというように、

何かのメッセージが伝わり、後から死亡事実を知って、

”ああ、あの時・・”と 納得したという話も、良く聞く。

 

 

私自身も不思議な体験をしている。 

南インドで不二一元説のヴェーダのアドヴァイタを説いて

くださったサイババ師は、20年ほど前、私がバンコク

滞在中、タイ人の友人の前に、忽然と、幽体として姿を

顕したのだ。 

 

場所は、バンコクの中心街の、シーロム通り。

友人はアテネフランセでフランス語を勉強し、その帰り

道のことだった。人ごみの中から自分の方に向かって、

奇妙な恰好をした僧侶が近づいてくるのに目が留まった。

 

タイ人の僧侶は黄色い衣を着ているが、その僧侶は、

頭がカーリーヘアで、橙色の衣をまとっていた。

通りすがりの瞬間、彼女とその僧侶は眼があった。

その僧侶は、印象的だった。素足で、サンダルも履いて

いなかった。

あまりに、不思議な恰好なのでとおりすがった後も、

後ろを振り向いて確認すると、その僧侶も振り向いて

彼女を再度、見つめていたという。

 

後日、その友人宅泊まったとき、当時私が持って

いた、サイババ師の顔写真を見て、彼女は、”この人を

最近見たことがある” と言って、私を驚かせ、上記

の体験を語ってくれた。

 

サイババ師はインドのブッタパルチという、バンガ

ロールから車で5時間以上かかる辺鄙なアシュラムで

普段は生活していて、南インドの各所に赴いたり、

たまに、デリーにも来られたりしていたが、海外に

行ったことは生涯に一度もなかった。 

 

にもかかわらず、サイババ師と昼間街中で会ったと

主張する彼女の話を聞いてもさほど、驚かなかった。

 

このエミール大師が行った奇跡と同様、幽体離脱して

どこにでも行くことは可能だと思ったしサイババ師

ならそれはできたことだろうと納得がいったからだ。

 

”内在するキリスト(実相)が私たちすべてに、

実現する過程も、同じです。

まず、最初に、神の土壌、すなわち、神のまします

中枢部に 理念が植えつけられ、完全なる理念として、

心の中に維持され、やがてついに、完全なる神の子、

即ち、キリスト意識として、現実に、生まれ出て

くるのです”(以上引用)

とエミール大師は隊員たちに語っている。

 

奇跡を起こしたり、ハイヤーセルフと繋がる本質の

自分になるためには、理念(想念)がそこに種まかれて、

そして心の土壌の中で育まれて、芽を出すように実現

していく。

だから、希望を棄てずに、その自分がなりたいと思う

理想の雛形を理念として、心に置いて、根気強くその

想いを維持していくことが、無駄な努力をすること

なく、自然にそうした理想の自分に近づく一歩なの

だろう。

 

何事を成すにも、まず、根気が必要かもしれない。 

疑わずに、そうなる~という信念も必要だろう。 

種を植え付けたからには、後は、大いなる力の

御加護があることを疑わず、時間を待ちたい。

あれやこれや考え、疑問を抱き、その種を掘り

起こすことだけは避けたい。

そうしなければ、一度心に蒔いた種は、必ず

芽を出す。つまり、現実に私たちの夢は、必ず、

実現するはずだ・・・・

 

 

 

 

 

参考)

 ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 全5巻

S54年6月5日第五版 ベアード・T・スポールディング著 

仲里誠吉訳 霞が関書房

 

 

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科学とオカルト話が距離を縮めて行く~話

2021年01月13日 | 健康のための心の波動

 光速より早い粒子の発見と奇跡の関係   2020年1月17日

*******************************************

オカルト的といわれがちな、エミール大師の霊的な世界の

体験談をいくつか、先に発表させていただいた。

中には光速を超えて、時空の制限のない世界でしか

起きそうもない瞬間移動にも触れた。

今日は、その辺りを少し、かいつまんだ量子物理学の

お話しのファンタジーとして読んでいただければ幸いだ。

 

それは日本昔話の浦島太郎を思い出させる。

竜宮城という三次元を超えた世界で,”時”を過ごした

太郎が時のある今にもどったとき、いきなり白髪の

おじいさんになってしまった話である。

浦島太郎の竜宮城は、もしかしたら、宇宙空間の

どこかの星にあったのかもしれない,というような

仮定をしたことがある。

 

これから一般的に宇宙旅行が可能になる時代が来た

とき、宇宙旅行から帰ってきてたら、何かの計算

違いでまわりは総て知らない人たちばかり~という

SF的想定も、あり得ないことはないかもしれない

からだ。

 

これはアインシュタインの”運動と時間の方程式”

から編み出される考え方が基本になっている。

つまり、宇宙船のように高速で動くものの中では時間

の進み具合が遅くなるという理論

そのあたりを、医学博士長堀博士は次のように触れて

いるので引用したい:

 

“もし、高速を超えるロケットに乗ることができた

としたら・・…略…この運動の方程式から、アインシュ

タインは‘現実の世界では光速を超えることは不可能‘

と主張し、この説は広く受け入れられてきました。

 

ところが、まさに事実は小説よりも奇なり何とも

驚いたことに、高速を超える現象が確認されたのです。

1982年物理学者アラン・アスべは光子を用いた実験

より、超遠方に離れている粒子同士の信号は 光速

を超え、瞬時に伝わる(テレポーテーション)ことを

証明するのに成功しました。 

 

アスべが、この超光速現象を確認し、いわゆる、素粒子

の非同在性を実証した瞬間、‘いかなるものも光速を

超えることはない‘と強固に主張してきたアインシュタイン

ポドルスキー、ローゼンらの局所実在論が敗れ去り、

物理学の世界が一変することなりました。“

(以上引用終わり)

 

この考え方が応用できるには あくまでも質量を

もたない粒子に限定されているというから、質量をもつ

物質については、光速を超えられないというアインシュ

タインの説はまだ健在である。

 

すべての素粒子は フェニックスのように自由に宇宙

空間をエネルギー体として飛び交っている~つまり真空

の中にあるエネルギーが、質料を持つことで物質的存在

に変容する~というのが最新の物理論だ。

 

それによって、”色即是空”という仏教の真髄の解釈も

科学的な解釈が可能になってきた。

つまり、物質の実態は”真空の中にあるエネルギー”

あり、それが、すなわち、”空”(void)というわけだ。

 

空のエネルギーは、波動体のようなものだが、それが

質量をもつように展開していくと、この世の中の物質

へと変容する~というように。変容という宿命を持った

物質は、随時姿を替えているから、諸行無常であり、

盛者もいつかは必衰するというあの、平家物語の琵琶

法師が語る、冒頭の言葉も納得できる。

 

ところで、宇宙の起源とされるヒッグス粒子が数年前

に、脚光を浴びた。

これらのエネルギーが ヒッグス粒子と衝突すること

質量ができ、光速以上のスピードを落とすことに

よって、時間と空間を超えた空間から 時空の束縛ある、

3次元に、落ち着くと解釈されている。

 

一方、オカルトといわれがちな、霊的な世界の体験談

には,”光速を超えて時空のない世界で’起きることが

現実に起きている話がたくさんある。

例えば、一瞬のうちに、トンネルをくぐって,あの世を

垣間見た人の話、幽体離脱体験の話、ヒマラヤの聖者

たちの幽体離脱と瞬間移動の話などである。

 

インドのヨギ、アメリカSRF創始者のヨガナンダ師

も実際にご自身で、聖者と呼ばれる、ヨギ達を訪ね、

著書に時空を超えたそれらの奇蹟体験をあるヨギの

自叙伝”の中で、多く綴っている。

 

その中の一つのエピソードがヨガナンダ師の師匠で

あるシュリ・ユクテスワが 死後、再びヨガナンダ師の

目の前に生前と同じ姿で復活して顕れた話がある。

ユクテスワ師は死後間もなくヨガナンダの前に現れ、

驚いて茫然自失としているヨガナンダ師が,生き返って

現れたユクテスワ師に抱き着くと、師は、死後の生活

語リ始めたという行(くだり)である。

 

”他の星に転生して スピリチュアルな師として指導的

存在になっていること”、そして、どのようにして、

その暖かい生前そのまま体を肉体死滅後も、弟子の前で

具現できたかを説明している。

一言で言えば、それができる理由は、”自由自在に

エネルギー体としての粒子を操作して、肉体に近い物質を

作る技術的”な方法を獲得したからだという。(*1)

 

すでに先日、このブログで発表した、半世紀以上前の

”ヒマラヤの大師”の調査団報告書にも、それに近い

話はいくつか記録されている。

 

大師たちがヒマラヤの山を瞬時に移動したり、空中

から物質化して必要な物を調査団に与えたりしたこと、

どうしてそのような奇跡が可能かが、詳細に記述され

ている。(*2) 

 

これらの時空を超えた現象の背景には、心(意思)

のエネルギーの存在があり、それが物質を粒子エネルギー

に転換させたり、その反対に物質化させたりできると

いう事実がヒマラヤの大師からも、ユクテスワ師からも

語られているとは興味深い。

 

つまり肉体の細胞波動を超微妙に周波数を高く振動

させていくと、それは光のようになり、それを使い、

姿を消したり、瞬間に遠くに出現させることが可能

であるという話である。

 

さて、これらの話に関連して心と体の癒しのポイント

からアインシュタインの方程式風に言えば、以下、

興味ある点を挙げることができそうだ。

 

1)“人間の身体は すべてはエネルギーに変換される

ことが可能である“

2)“変換する際、そうしようと動く意思も、身体を

変えるほどのエネルギー体である”

3)“ある閉じた系の中のエネルギーは質量を替えず、

形を変えながらも保存される。

よって、身体も幽体というエネルギー体に本来変わる

ことが可能だ“

  

超光速や時空を超えるという話は、オカルト的として 

科学外に扱われてきた、しかし、量子物理学の新たな

深い研究とともに、霊的な眼に見えない分野での、

研究との接点が見つかるかもしれない。

そしてそれが私たちの健康とどう関係があるのか?

 

こうした時空を超えた次元があることを知る事、物質

が波動であること、などを改めて見直してみると、

本当の病の原因が、単なるMRIやレントゲンや人間

ドッグのテストで測られるのではないかもしれないと

いうことがわかる。

 

個人個人の病の背景には、メンタルな原因、時空を

超えた(つまり過去生からの)原因、カルマやトラウマ

などの原因、あるいは先祖代々引き受けているその家

ならではの因縁や精神的軋轢などの遺伝子、などなど

起因しているという話も理解しやすくなるだろう。

 

たとえ、ガンで余命宣告されたとしても、多岐にわたる

背景を考えると、自分なりに適したガンの対処方法が

みつかるかもしれない~と思う。

その余命宣告を超えて生きることも可能だろうし、

私のように、宣告6年を遥かに超えるどころか、ガン細胞

が体に負荷を与えないところまで小さくなっているケース

もある、ということも付け加えさせていただきたい。

 

 

 

 

*1)Chapter 43:     

 "Autobiography of a Yogi"   Paramanansa Yogananda 

,SRF publication, Calif.U.S.A

*2) ヒマラヤ聖者の生活研究―自由自在への道 

全5巻、S54年6月5日第五版 

ベアード・T・スポールディング著 仲里誠吉訳 

霞が関書房

 

 

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若返りの極意

2021年01月08日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方
 

新しい年に向かって~年はとりたくない人に                  1月8日 2021

***************************************************

久遠の今”という言葉は”くおんのいま”と読みます。 

では、久遠というのは、永遠のこと? 

いえ、少しニュアンスがちがいます。

永遠は、限りない時の流れ、それは、”時間の推移”

です。一方、”久遠”は、”永久の久(きゅう)”の

字を使っていますが、時間の流れを飛び越えた、

”とき”を意味しています。

 

今日のテーマである若返りの極意、つまり、

老いない方法を理解していただくためには、

この言葉がキーワード になるはずです。

****************************************************

 

誰でもできるなら、いつまでも若くありたいと

願っているだろう。若くいるということは健康で

あり、生き生きして元気のない老人にはならない

ということ。

 

元気のない老人にならないというのは、肉体的

にも健全であるとともに、精神的に年を取らない

ということ。精神的に年をとらなければ、心と体

は一体だから、自然老化は多少、そのスピード

を押さえることができるかもしれない。

では、”心が年を取らない”ということはどういう

ことだろう?

 

周りにも、溌剌としたエネルギーに満ちている

70代・80代の方たちがいらっしゃるが、それなり

に秘訣があるのだと思う。

私は、16年のインド生活の中で、ヒマラヤの聖者

たち、ヨギからそれを間接的に教わった。

そのお話しを今日はさせていただきたい。

 

まず、伝授された”年を取らない秘訣”の答えを

お教えしたい。それは、”久遠の今”に生きること、

だった。

その”久遠の今”というのは、どこにあるのだろう? 

わたし達の意識の中にあるのだ。

 

それでは、どのように意識を持って行けば良いのか?

といえば、丸い円を想像していただきたい。

 

まず、円を描くには、精巧なコンパスと紙が、

ここにある。 コンパスを置くと、そこが円の中心

となる。円の中心点は、スピリチュアルな意識の中

では、”空(くう)点”という。

 

空点を、ハワイのポオポノポノでは、"ゼロ・

リミッツ"という言葉を使う。

空は何もないemptyと異なり、voidという訳が

適切だろう。実は、そこが、すべての現象や、物質、

意識の”本髄”であり”実質”だからだ。

 

さて、円の中心から半径を決めて一回りコンパスを

動かすと、コンパスを調整すれば、最小から、無限大

の円まであらゆるサイズの円がほぼ無限に書ける。

この半径が”時間”と仮定されるものだ。

長い時間がかかるものは、半径がとても長いものと

いえるだろう。

瞬時の意識レベルの円では、ミクロの半径の長さで

コンパスを一回りさせれば、微細な円も描ける。

 

このように、半径(時間)はいくらでも延ばしたり

縮めたりできるが、コンパスの足が刺さっている、

だが、円の中心は微動だにさせてはいけない。 

わずかでも、コンパスの軸がずれれば、円の中心

が動くので、書いている円自体が、歪(いびつ)

になったり、ぶれてしまったりする。

 

それは意識の世界では、どういうことかといえば、

中途半端な体験となったり、納得がいかない

理不尽な体験となったりするだろう。

 

記憶に留まっている経験(意識体験)というのは、

潜在意識に積み重なり、こうして、ぶれない中心軸

に置かれたコンパスが、人生に多多無数の円を

創造していくように、作られていったものだ。

そういう意味では、人生の中で起きた事柄は、

’円を描く’という自分の心が創り出した円の形かも

しれない。

 

時間というのは、中心(空)点から発生している

から、その点自体は、時間を創りだすが、時間に

左右を受けない場所である。

それこそが、”久遠の今”、と言える場所だ。 

 

さて、コンパスの足の長さをいろいろ調整されて

できた、円の領域を”空間”と仮定する。

”空間”も”時間”と、私たちの意識が、作り出して

いるものであるから、私たちの意識が”久遠の今”

にしっかりと固定されていれば、意識自体が、

いくらでも 半径の長さを意図的に調整して、

円自体を、拡大・拡小させられる。

 

だから、人は、時として意識が宇宙の無限に

飛び出していけたり、ミクロの量子物理学の理論

を生み出すような場も容易に意識できるのだろう。

こうしてできた無数の意識の場や空間の場は、

言い換えれば、その人自身の選択で、その人が

創りだしているものにほかならない。

 

さて、話がややこしくなってしまって恐縮だ。

私自身が、この概念を、きちんとしたロジカルな

言葉の羅列でお伝えできないのは、まだ未熟さ

があるためだ。

この記事は、分りずらい内容だと、ここまでに、

何人もの読者から、感想を頂戴しているので、

その未熟さをお許しいただきたい。

 

ここで、質問を最初に戻し、”年を取らない”こと

と、”コンパスで円を書いたときの中心点=久遠の今”

とどういう関係にあるのかに話題を転じたい。

私たちの意識を、この円形の”中心点”にもし、

常時、瞬時瞬時に、ぶれることなく中心ピンを

留めることができれば、何がおこるのだろう?

 

すると、時間や空間に、左右されないその中心点

では、時間・空間の、三次元的限界を感じること

なく、時空に、影響されないポイントであること

を、自意識が認識するだろう。

そして、意識をその点に、留まらせようという

意志があれば、その人は、三次元的周囲の

要素を超越したところに留まることが可能だろう。

 

それこそが、本来の自分自身の姿であり、

”あるがままの自分”、感情や、空気や時間に制限を

受けない、自分への自覚が可能になるのだと思う。

 

それをインドの聖者は、”超越意識が到達する、

完全調和の点を求めよ”と教えた。

 

久遠の点に心の重心が留まることができれば、

”時間”にも”空間”にも影響されない自分を発見する

と同時に、時間の長さも、空間の広さも、自分の

観念の中で自由自在に規定できる。

例を考えてみたい。

 

たとえば、久遠の点に意識を置いた、時間や

空間に左右されない体験は、”時間を忘れる体験”

と言い変えられる。

狭いところにいても、その狭さも窮屈に感じ

ないほど、心が豊かに広がる体験をお持ちの方

もいるだろう。たとえば、

茶道を嗜む方にとっては、狭い4畳半の茶室に

数名の客が、座していても、そこに、広大な

宇宙の空間の広がりを感じたり、そこで戴く

お作法に則ったお茶のお点前の所作に、優雅な

時間の流れを感じることだろう。

 

懐かしい友人や、恋人や家族との、親睦の

楽しい時間が、あっという間に過ぎた経験や、日常

と離れた旅先で、数日間の体験が、数年をかけた

体験と匹敵できるほど、中身の濃いものとなったり

することもある。

 

そうした体験の裏には、私たちの意識が、特別な

時を忘れるほどの体験、という円(場)の中心

にいたからだと思うのだ。

言い換えれば、通常の意識の置き場と異なる、

時空を超えた点に、意識が置かれていたからこそ、

そうした、特別な感覚を得ることができたのだと思う。

 

その点が、”久遠の今”の場所だ。ぶれやすいが、

ぶれなければ完全円が描ける、特別な中心点的な存在点だ。

そして、若さの秘訣があるとしたら、そこに居る時間が

長い人ほど、年を取るという現象が、反比例して見られ

ないらしい。

 

私たちは瞑想をする。

日常生活の、無意識に過ぎ去っていく”今”を

しっかり、みつめるために、無心になって、

空のこの中心点に焦点をあてるためだ。

絶えず、落ち着きのない蟻やハエのように、

動き回って止まることをしらない、私たちの

”想い・意識”を、真の自分の心の一番深い

ところに潜む、その中心点に、止めるためだ。

 

無心になるとは、この、”空の一点”、”真空の点”

に意識を集中することなのだ。

般若心経でいうところの、”般若バンニャー

(サンスクリット語]意味は、(悟りにいたる

大いなる叡智)” ということ。

 

悟りに至る大いなる叡智を知るとは、空(kuu)

を観じることで、意識が、久遠の今につながり、

そこから湧きい出てくる智慧波動に、心が満たされた

ときだろう。

 

その智慧波動により、本当の、ぶれない自分を

ヒトは知る。本質の自己の存在。

その”本質の自分”こそ、生命力という創造の源の

資質を受け継いだ、本当の我そのものであり、

生き通しの魂の別名でもある。

 

だから、その点に留まることが、肉体年齢を

超越し、年を取らない秘訣となる。

生きとおしの自分の顕現・・壮大な人生の目的

であるとともに、物質世界を凌駕した大きな

ロマンを感じる。

 

 

補足)

空の中に入りきる意識というのは自我がない、

無執着の意識でもある。 

”老いる”という言葉は、"時"というベルト

コンベアーに乗っかって,大衆意識や常識観念、

マスコミの創った世の中の風潮に逆らわず、

生きて与えられる、言葉のような気がす。

 

たとえば、40代からは、少しずつ、筋肉が衰えて

いくこと、同時に、頭脳の細胞が収縮して アルツ

ハイマーに向けて、脳内の海馬が縮むだろうと

いう常識、60代以降は、血圧問題や血糖値の問題が

当たり前、腰痛や関節痛があるのは日常で、その

理由は、関節などの軟骨が年と共にすり減るから、

背骨も同様で次第に曲がってきて、80代90代では

認知症になる・・

 

云々というように、世間一般で言われる常識が、

年齢というベルトコンベアに乗った人には、その

通りに、その人に型押しされていく。

 

そして、その型押し通りに、その人の意識は、

自分の身体に老いを受け入れていく。 

意識が受け入れたことは、ほぼ、実現するから、

人は期待通りに、老けて行くわけだ。

 

一方、久遠の今、を求める人には、そう簡単に

は、”老い”のマイナスエネルギーはやってこない。

それは、そうしたベルトコンベアの上に乗る

代わりに、本質の神性なる自己の中心点を凝視

する時間を人生に設けてきたからだ。

 

自分の本質が、物質の法則とは次元が異なる

波動で 包まれていることを理解しているから

だろう。

余談だが、人間以外の生き物たちは、ヒトと違い、

過去を思わず、今のみを生きているという。

だから、人間のように、計画を立てながら生きる才能

はない。

 

私の身近なペットたち、猫や、犬や、鳥・金魚にも、

”過去も未来の観念は無い”ようだ。

彼らには、”今の意識しかない”から、ある意味、”久遠

の今” しか知らないといえる。

その証拠に彼らは、人間のように老け顔になったり、

皺だらけになったり、年寄り然とした風貌とは、

無関係で生きている。

 

 

 

 

 

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正月のスピリチュアル的即興の和歌

2021年01月01日 | 協会ホームページ

あけまして おめでとうございます   2021年 1月1日

********************************************

新しき年の第一日目に、次々と心にわいてきた5・7・5・7・7・の言葉。

これは歌? 

目標は黙っているべきか、否か? ところが、よく読んでみると、

これは今年の目標の枠よりはみ出て、そもそも、この自然治癒力

セラピー協会を立ちあげた当初からの、スピリチュアルな指針でも

あったのだと気がつきました

 

① コロナ禍は 夢幻(ゆめまぼろし)よ  おのが(己が)内  

常に光は 満ち溢れるゆえ

② 神は人 人は神なり ほつまみち 今年も探らん 奥深くまで

③ 一人来て 一人で去るも その間は  一人で生きれぬ人の  

さが(業)かな

④ 執着を 捨てんと凝視! わが心内  それぞ執着! 天の喝(かつ)

 

少し言葉を付け足させてくださいね。

①のコロナ禍では、今も緊張が続いた状態が続いています。

私の知人も何人か外国人ですが、持病を持っていたため、若くして

コロナで命を奪われた人がいます。 

それなのに、この歌のように、コロナは、夢だとか、幻だとか書けば、

不快な思いをされるのは当然でしょう。 

コロナ禍だけでなく、災害事故など、人生の不幸と見える事象は、

しかし、魂の世界からみたら、夢と同じではないかというのが

この歌の真意です。

コロナで亡くなる人、交通事故など、不慮の事故で亡くなる方、が、先人
は言います :それらは、自ら、この世に生まれる前に予定して起きたこと。
肉体は灰と化しても、そこに居た、魂は、その人らしさを持ったまま、あの世
に移行していくのだ・・・”と。
私はそれを信じています。

芭蕉の読んだ、”夏草や つわもの(兵)どもが 夢の跡” や秀吉公

の辞世の歌の中の言葉のように、”夢のまた夢” と死の床から、人生

を振り返ってつぶやいた、”夢”のことであります。

 誰もが、嬉しく神々しく感じる元旦の御来光を感嘆できるのは、私たち自身が

光り輝く魂の実相を、知っているからだと思うのです。

 ②そう思うと、2番目の歌は 秀真伝え(ほつまつたえ)の中に出てくる 

”神は人、人は神なり”の言葉に続きます。

私たちは本当の奥底で繋がっている対象は 親神様なのです。 

神様はどの神様でもかまいません。

ただし、善なる創造主として 私たちの身体を一瞬ごとに生かして

くれる機能を司る力のことです。

キリスト教でもイスラム教でも、あるいは、神様の存在しない仏教が

説く、”中道”の”無我”の”空”の点でも、その心髄は、この”生かす神様”

です。

それらの神聖で誰もが手を合わせたくなる”存在”、こそ、人の本質だと、

”秀真伝え”では説きます。

そのような神様がたも、多元化して、人の姿を取って、この地球に

顕現して、プロデュース・演出をして、いろいろな人間模様を演じている

のかもしれません。

ヒンズー教では、神様の”リーラ”と”この世の展開”を呼びますが、

リーラとは、”神様の自作自演の劇”という意味です。

だから、人が死ぬという形で、人生劇のどん帳が下がると、そこには、

敵も味方もなく、愛憎劇のプロットは消えて、皆、役者として、

”お疲れ様”を掛け合う世界に自分がいることに気が付くといいます

この世の、”不幸”は見えているようで本当は、劇中劇で、本来は、真に、

存在するものではない、というのが、ヴェーダ思想にあります。

 ③ 死ぬときは一人、なにもモノは持っていけないし、生まれた時の

ように無一物の姿です。

でも、この世に生きている以上、一人では生きていられません。

誰かとのかかわりあいがあるから、生活ができていけます。 

コメの一粒も自分では作れないし、清浄な水の一滴でさえ、

自分一人ではどのようにして確保したらよいかわからない。 

だから、一人で生きれない以上、今、接している人たちを大切に、繫がりに

感謝して、生活していくことが大切だということを最近、痛感しています。

 が、なかなか、思うとおりに行かないこともあります。 

その原因がどうやら、執着らしい。そこで次の歌がでてきました。

 ④ 執着を棄てるためには自分の心の何かを是正しなければ、と、

瞑想にふけっていると、”オイ、コラ、本末転倒だぞ、それでは、余計 

執着しておるぞ。”と 心の奥底から響く声があり、喝を入れられたのです。 

”無い心”、この場合は”執着心”ですが、それが”何か何か?”と、

模索していても、始まらないというわけです。

つまり”無いもの”を握りしめて、いかにも在るように感じている

”錯覚”であり、それに固執することが、執着の始まりだというのです。

 ”無いものは無い”のに、執着するまいと思うほど、どうも、執着して

しまうのです。 

これは私にとってはとても難しいところです。 

無い、それも無い、これも無い、心も無い、執着も無い、無い、・・と

放していくということが大切、わかりました;

それならばと、今度は、”離す”ことに、力をいれれば、これが又、

執着の元になる~という。 

ウ~ン、本当に、難しいです。

でも、今がどうやら、本当の執着を離す、どうも、その時らしいのです。

 

以上

 

 

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