自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

アダムとイヴの話-谷口師の説く無明縁起説

2013年12月27日 | 健康と直結する”一元論”について

因縁の無い世界~エデンの園    平成25年12月27日

***********************

誰でもご存知のアダムとイヴのお話し。

旧約聖書によると、人類の祖先にあたるアダムとイヴは

エデンの楽園で過ごしていたが、狡猾な知恵を持った

蛇の誘惑で、禁断の実をイヴが食べてしまう。

その判断の実は、自分たちが裸であることを、恥じらわせ、

そして 神の怒りに触れて、楽園を追放された。

 

この聖書の有名な話を 真理を含んだ寓話とみなす覚者

は多い。日本で、光明一元論を掲げる、谷口雅春師は、

この寓話の真意を次のように解釈している:

 

”自己の実相が神であり、仏であり、自己のうちに無限

の生かす力があり、仏の無限の救う力があると悟らずに、

どこか、よそに自分を生かすものがあると思って 

を頼ったり、親の財産に頼ったり、何かほかのモノを

持ってきて補わないと、完全に生きられない。

 

自分は足りないものだと思う。これがアダムが神の前

に出るときに、裸のままでは不完全だ、何か足りない、

恥ずかしいと思ってわざわざイチジクの葉で体を

覆って出たという寓話の意味であります。”

 

アダムは外からの自分の醜さを隠そうとする。

同時に、自分の完全な内面をも 隠してしまった。

そこから、アダムの子孫は、エデンの楽園、つまり、

不幸も病もない楽園から、罪と病の意識が織りなす、

不完全な現象世界に住むことになったという。

 

自分の内に本来備わっている、完全な資質(光)を

包んでしまう。覆(おお)われたことで、暗闇が広がり、

光りの無いところに不完全さ、不幸や病、悲しみや

苦しみがあるように、錯覚する。

 

後世、聖書の神学的解釈が、その錯覚を強める。

教会では、”人間は、楽園から追放された。

神の怒りをかった存在”と 教えられ、人間は原罪を

持ち、生まれながらに罪深い存在であるという定説が

確立した。

キリスト教文化を背景とする西洋世界では、それは、

常識的共通認識になった。

 

私たち罪深い人間は、神に救いを求めなければ地獄に

行くのだ~と、教会から離れる事への恐れも植えつけ

られた。

実際には、 地獄は人間の意識の中以外に存在しない~

古今東西の覚者は伝えている。

 

地獄とか、罪深いという、一種の強迫概念は、宗教組織

が多くの信者を得るための、方便として使われてきた

とする観方も 一方にはある。

 

さて、仏教でも同様に (無明縁起説)(*1) を

お釈迦様はある壱時期 衆生に、説いている。

この考え方によれば、私たちは”無明”から生まれ、すべて

の存在物ど同様 ”無明” に還る儚い存在だと教えられる。

 

さらに 因縁(いんねん)と 業(ごう)によって縛られ、

因縁の世界にいる限りは何度も転生する運命であると説く。

この法話の中には、なかなか”因縁を超越する”という意識

までに自分が高められるところまで行かない要素があった

ようだ。

 

しかし、後世の御経に見られるように、人の仏性への開眼、

解脱のための積極的姿勢が説かれるようになる。

そのあたりを谷口師は以下のように述べている:

 

”因縁を超越する道を説くのでなければ本当の救いには

ならないのであります。しかし、有り難いことに’法華経’

や’涅槃経(ねはんぎょう)’では釈迦がちゃんと因縁を

超越する道を説いてくれていられます。

 

法華経 涅槃経を説かれたときには、自分は因縁を超越

して百千万億阿僧祇劫前(ひゃくせんまんおくあそうぎ

こうぜん)から存在する、久遠の昔から生き通しの存在

であることを説法されているのであります。

 

’涅槃経’の中には、’解脱の中に因なし、因なきをもって

解脱となす’ということが書いてありますが、まことに

その通りであって、因がなければ縁も果もありようが無い。 

それで因を超越してこそ、初めて本当の救いに到達する

であります。”

 

つまり、”解脱するということ”は、因となる、原因があって、

縁(触媒となる機会)があり、結果が出るという,その

サイクルから飛び出すことだという。

”因縁を超越する”ということは 解脱するということであり、

病も不幸も、因があって結果として現れているのだから本来の

人間の実相に戻り、因縁のない世界に行けば、抑圧された

状態から解放されるという意味でもある。

 

お釈迦様は "自分は因縁を超越して百千万億阿僧祇劫前

(ひゃくせんまんおくあそうぎこうぜん)から存在する、

久遠の昔から生き通しの存在であることを明言された。

 

法華経や涅槃経には人間の本質が久遠の昔から行き通しの

生命であるということがはっきりと説かれているという。

 

もし、罪もなく、永遠行き通しの生命が私たちの本質だと

するのなら、私たちは、どのようにして、アダムの楽園に

戻ることができるのか?

無明を超えた、因縁を超越した生命に復帰できるのか?

 

覚者は語る:

物質的な自分を飾る、さまざまな形容を取り去るうちに、

楽園にいたときの、”素の本来の自分”を見出すだろう~と。

どうすれば、因縁を断ち切れるのか?

自分とはだれか?” と、問い続ける姿勢によって。

因縁に左右されない”変わらない本質の自分”を 私たちは

心のどこかで多かれ少なかれ知っている。

 

実は、大概の人は、皆 心の奥底でそう思っているものだ。

私たちの本質は、表面的な他者との関わり合いの中では、

おいそれと簡単に、見せられないものなのだ。

今、できることはただ一つ・・

本当の智慧と愛に満ちている自分を想いだすこと。

無明の砕波(さいは)”という言葉がある。これは、本来の

明るい光を取り戻すこと。その結果、あらゆる迷いや妄想、

その影として現れる不完全な姿も 打ち壊されるという

こと。

本来の自分、を想いだすこと。

なぜなら、本来の自分は光そのものであるから・・・

無明は、光が無い所を言うのなら、本来の自分の光を

照らせば、無明は自然と消える。

 *1)

無明縁起説には以下の12の因縁が関係し合っている

①(むみょう、巴: avijjā, 梵: avidyā) -

過去世の無始の煩悩。煩悩の根本が無明なので代表名とした。

明るくないこと。迷いの中にいること。

(ぎょう、巴:saṅkhāra, 梵: saṃskāra) -

志向作用。物事がそのようになる力=業

(しき、巴: viññāna, 梵: vijñāna) -

識別作用=好き嫌い、選別、差別の元

名色(みょうしき、nāma-rūpa) -

物質現象(肉体)と精神現象(心)。実際の形とその名前

六処(ろくし無明ょ、巴: saḷāyatana, 梵: ṣaḍāyatana) -

六つの感覚器官。眼耳鼻舌身意

(そく、巴: phassa, 梵: sparśa) -

六つの感覚器官に、それぞれの感受対象が触れること。

外界との接触。

(じゅ、vedanā) - 感受作用。六処、

触による感受。

(あい、巴: taṇhā, 梵: tṛṣṇā) - 渇愛。

(しゅ、upādāna) - 執着。

(う、bhava) - 存在。生存。

(しょう、jāti) - 生まれること。

老死(ろうし、jarā-maraṇa) - 老いと死。

 

参考文献

 ”生命の実相” 第21巻  昭和44年 日本教文社

 

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貴方とお会いできますように: on 1月19日

2013年12月25日 | 協会ホームページ

自然治癒力セラピー協会;初めて公の企画参加!    平成25年12月25日

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                              スタッフの作品:先生の講習を受けて・・・・

 

今日はクリスマス・・・

朝から快晴で気持ちの良い一日の始まりです。

読者の貴方にとって、幸せな温かい時を

過ごされますように・・・

 

十五夜のお月見にワクワクしていた子供のころ

サンタクロースがいるとは思えず、

でも オルガンで讃美歌などを弾いて、クリスマスという

言葉の不思議な余韻をそれなりに感じていた気がします。

 

大人になるにつけて、クリスマスはお祭りだって

わかってきたのです。

だって、東京の街のクリスマスは ”I am dreaming of a

white X'mas" とうたうのには、ミスマッチな賑やかさで

あふれていたからです。

ホワイトクリスマスもサイレントナイトもあまり似合わない街・・・

雪も 静けさも 家族の心温める暖炉も 祈りの声も聴かれずに・・・

 

ケーキを食べて、プレゼントを交換し・・・

街は華やかに、広告塔のイルミネーションで活気づいて

喫茶店にも ジャス風のクリスマスソングが雰囲気を

盛り上げています。

 

筆者は少々臍が曲がっているのでしょうか?

あちらのお祭り、よく、意味もわからないで、

浮かれた気分で、周囲がざわめくほど

白けた気分になってきます。

パーティーと言えば、近頃はクリスマスより

ハロウィンパーティーが一般的だとか聞くのですが

ハロウィンって何のお祭りでしたっけ? 

一度も 教会で祈ったことのない人達が

”メリークリスマス!” (クリスマス、おめでとう)って

言い交していると、

’こんにちは’同様、季節の挨拶言葉なんだと納得。

 

クリスマスってなあ~に?

子どもの頃 母親に聞きましたっけ・・

 

キリストさまを救い主だと信じる人達の

敬虔な祈りの後の家族で祝う

神聖な喜びの日なんですよね、ほんとうは。

 

心浮き浮き、デートの約束、贈り物のおねだり、

美味しい御馳走、楽しいアトラクション、ワクワク、

ざわざわ、”心の中核に響”くものを脇に置いて、

サーフィンするような、”軽さ”と”ノリ”で

クリスマスを、楽しむ・・・  

それはそれで悪くないでしょう・・・

 

”お祭り”は、誰でも嫌いではないはずですから。

 

そうです!・・・ね・・・      

理屈抜きに 私たちはお祭りが好きなんです、きっと。

 

さて、お祭りはお祭りでも 今日は 非営利法人団体

の 地味なお祭りのご案内です。

 

 

来年1月19日、一日限りのNPOの団体のお祭りが

東京、町田市の市役所を会場として

行われます。

街カフェ という名前がつけられ、去年は来場者が

3千人以上だったとか・・・

 

たくさんの 団体がブースを設けて、とても賑やか

だそうです。

ワークショップや販売店など、ステージでは催しものや

いろいろあるようですが 自然治癒力セラピー協会も

お招きをいただき、

初めて参加させていただきます。

 

デリーの某ブランド紅茶店のマスター

(日本ではインターネット販売してます)のご協力で

この日のためにバックしてくれた

マンゴ、ライチ、ブラックベリーなどインド特産

の果物入り、フルーツティー(有機栽培紅茶)

新鮮パックが、数日前に 届きました。

 

 

上記写真のバラのコサージュを、スタッフ一同

頑張って創作しています。

製作者自らモデルになって つけてみました。

 

何で 当協会がバラの花かと言えば

特に理由はないのです。

手先を使って、脳の活性化に~と 

実演ワークを当初企画してましたが

我々スタッフが四苦八苦で作品に取り組んでいるうちに

短時間で完成するほど、

簡単ではないということがわかりました。

でも、希望者の方には、お教えいたしますね。

心(パワー)こもった バラのコサージュも

実演即売いたします。

 

他にも 都内某有名デパート 編み針講師が

ボロンティアとして100%ウールのニット帽を

制作中です。

当日までに いくつ間に合うかなっていう感じです。

以上 すべて実費でお分けさせていただくものと

なっています・・・・(非営利団体ですので)

 

そして、当日は

ブログでおなじみの元気になったMさんはじめ、

日本とアメリカで 創造性を開く子どものアートクラスを

長年 開催してきたA先生 

20年余の アジアやヨーロッパ各地異文化間の生活で

様々な勉強をされて 去年帰国した、バラのコサージュ

M先生もご一緒に皆様をお待ちしています。

 

 

それでは 1月19日、このブログの読者の方達とも一人でも

多く、お会いできますように・・・

                 

 

                

 

 

 

 

 

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東洋的一元論で述べる真実と科学の法則

2013年12月23日 | 健康のための心の波動

 自然科学の最先端と色即是空  平成25年12月23日

*****************************************

 科学と一口に書いても、自然科学、人文科学と大きく

分かれ、扱われる範囲は多岐にわたるのは周知のと

おり。

生命を扱う科学が医学であると定義するならば、その

生命科学は西洋医学が主流を占めているのも周知の

事実である。

ところで、その西洋医学に最も影響を与えている科学

といえば、自然科学だろう。

物理・化学・生物を 理科 という科目でくくるが、

それらを扱う領域が自然科学というようだ。

 

その自然科学で重視されることといえば、”事象を

客観的に観察して”得られた情報を ”分析”すること、

次に、言語や数式による仮説をたてて、”実験で実証

しながら“一般的法則”を発見していく過程だろう。

近年の、精密な観測機器の発達にともない、我々の

学生時代で習った自然科学の範囲は今や、拡大して、

素粒子など超ミクロの世界から無限大の宇宙まで、

拡がっている。

 

この西洋的科学と対照的な、東洋的一元論を踏まえて、

自然科学の最先端といえる、量子論を展開させて

いくとどういう結果が引き出されるのだろうか?~

というのが今日のお話。

先回、カプラ博士の量子論のところでもご紹介したが、

東洋的一元論で述べる真実と科学の法則が、限りなく

一致しそうだというのが、今日のテーマだ。

 

長堀教授は 著書の中で、摩訶不思議なミクロの世界

称して以下のような次の論を展開させている。

 

私が高校時代に物理で習った原子の構成はラザフォード

の古典的なモデルに準じ、’中心に原子核があり、その

周囲を電子が衛星のように回る’というものでしたが、

これをとことん突き詰めていけば、’原子はほとんどが

空間になってしまう’と言ったら信じていただけるで

しょうか?

当時の参考書に ’中心にある原子核を野球のボールに

喩えると、原子核よりも小さな電子が周囲する軌道

は 野球場の外周に匹敵するほど離れている。’

説明されていたので、驚いたのはもちろんですが、

と同時に なんでそんなにスカスカな原子で固い物体

ができるのだろうという疑問が、当然のように湧いてき

たのでした。”

さて、現在ではそれがどのように観察されて実質が

明らかになっているかというと・・・

 

”かつては、原始の質料の大部分を占める原子核は、

原子全体の10満分の壱と言われていたのですが、

子、クウォーク、へと素粒子がさらに詳細に分析

されるに従い、原子核の実質はますます、微小化され

在では 原子全体の一兆分の一にしかならないと

まで言われている”

 

さらに、たびたびブログでも登場する、フリチョフ・

カプラ氏は ”原子をローマのサンピエトロ寺院のドーム

(直径34m、周囲100m)に置き換えると、中心の

原子核は塩粒程度であり、周りを巡る電子は 埃(ほこり)

にしか過ぎない”と言い切っている。

 

こうした空間の中において、物質が生成されるすると

したら、まさに、色即是空 の 空(間)=眞(空)

の中に 色[物質)が 存在すると説く仏教の教えの

真髄は、実に科学的ということもできるのではないか?

 

アインシュタインは 公式 E=mc 2  (E=エネルギー、

m=質料、c=光速)を発表した。

それは、すべての質料(電子のような埃のような小さな

ものでも)はすべて、エネルギーに変換されることを

示し。”ことであり、スカスカの空間を持つ原子が 

どのように固い物体を構成しているかという疑問に対して、

次のように言う。

 

素粒子は、位置と運動量を同時に知ることはできず、

粒子は確率波としてあらわされるという 不確性原理

が当てはまる”。

 

そのことを 長堀博士は ”思い切った比喩を使えば、

電子の激しい’回転’が’あやふやな原子’をあたかも剛体の

ようにしている”と 言い換えて表現する。

 

回転というエネルギーに変化させること広大な空間に

物質のような剛体を生み出す。だから、”空が実は物

である”~という解釈が成り立つというのだ。

 

実際 最新科学において、”(非情な力と勢いを持った]

竜巻と(静かで無のような)空気とが、互いに分かち

がたい存在であるのと同様、超ミクロの世界では、

エネルギーである波動が’激しく振動し’、固体と考えら

れてきた粒子と分かちがたい状態を保っている” 

と量子論で説明されるようになった。

 

“われわれが普段目にする世界からは全く想像が

つかない世界ですが、このエネルギーに満ちあふれた

真空から粒子が創生され、さらには、その粒子が消滅

して再び 波動であるエネルギーに戻る場、こうした

ネルギーと粒子が互いに渾然一体となった極微の場

を、‘量子真空’と呼んでいる“

 

と長堀博士は記している。さらに、ノーベル物理学賞

を受賞した量子物理学者ヴェルナー・ハイゼンベル

グは次のようにる。

 

“原子や素粒子そのものは、形を持っていません。

それらは、物とか事実というより、潜在性や可能性の

世界を形成しているのです。“

 

もし、この量子論が最前線の現代自然科学として医学界

に影響を与え始めてくれば、第一に身体は個体がちがち

に剛体物質であること、身体は物質でできているという

概念、が 覆されることだろう。

 

これまでの物質という観念が、実は波動体としての

ネルギー体であるとういことが もっと明確に理解

されると、これまでの医学の常識が崩れ、“医学の

よりどころを失ったと言っても過言でありません“ 

と長堀医師をして言わしめる影響が出てくるかも

しれない。

 

ここで、般若心経を見ると、色即是空=物質はこれ、

空なり。しかし、物質は 空と言い切って空中には

物質はない、という。

 

空中無色無受想行識空=空の中(間)には 物質は

無い、感覚器官から受ける想い、行い、識別なども

い~と矛盾めいた説き方をしている。

 

空(実存のエネルギー)、そのエネルギーの間に

位置する空間に モノがあるように見えるがほんとう

に 存在しているのではないという意味として捉え

られるだろう。

 

まさに私たちの肉体も空間だらけの中にある。

なぜなら、私たちの体は本来、隙間だらけなのだから。

こんな風に考えていくと、般若心経の一元論は、科学

の最先端の観方と重なり合うような気がしてならない。

 

20127月にピーター・ヒッグス博士は ヒッグス粒子

の存在を提唱して翌年のノーベル物理学賞を受けた。

これは素粒子を加速して衝突させ、小規模のビッグバン

創りだして解明される。 

 

欧州原子核研究所が 大型のハドロン加速器を使い

実験し宇宙の起源に迫る素粒子”として注目された。

エネルギーと粒子(物質)と渾然一体になっている

極微の世界が、さらに無限大に広がってこの宇宙を創

りあげているという。

極微の世界を構成するエネルギーも 無限大の宇宙を

構成するエネルギーも同質であるから、量子の世界

の探求が宇宙の探究にと繋がるというのだ。

 

私たちは “宇宙的想念”とか “宇宙の意思”とか、

“肉体は小宇宙”という言葉を今まで直観的に使って

たが、科学的根拠がそれらの言葉の裏にあること

わかってきた。

つまり、私たちが自然とつながり、宇宙とつらなって

いるということ。

想念がエネルギー態として存在し、素粒子が或る

ときは波動のエネルギー体にと姿を変え、世界の

物質を生み出しているということ。

人間の体を構成する最微粒子も、宇宙ができたとき

最微粒子も 同じ微粒子の動きから始まった。

 

こうして考えていくと、宇宙の意思を 私たちの体

細胞レベルで知っているということになる。

調和、完全、進化、回転、前進、深淵、沈黙、無限

というような言葉で宇宙を描写してきた詩人の直観は

空想だけではないだろう。

私たちが宇宙の意思の一部であること、宇宙と響き

あう存在ゆえの表現なのだろう。

 

まさに、私たちの身体も心も 小宇宙に匹敵するほど

壮大無辺のものなのかもしれない。

******************
******************

 

長堀 優(ゆたか)氏について)

日本外科学指導医、日本消化器外科科学指導医、

日本がん治療認定医

機構癌治療認定、財団法人船員保険会横浜船員保険病院 

副院長・外科部長

 

参考図書)”見えない世界の科学が医療を変える” 

長堀 優著 でくのぼう出版 2013年

 

 ”タオ自然学” フリチョフ・カプラ著 工作舎 1979

 

 

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囚人収容所の閉鎖(潜在意識のクリーンによって)

2013年12月21日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

ハワイの州立病院から消えた病棟    平成25年12月21

******************************************

 

12月11日、言葉の伝達ゲームの最終者のような塩梅で 

曖昧な内容をブログに発表したのかもしれないと思い、

早速訂正かつ正しい情報をお送りしたい。

友人から、この話を口頭で聞いたとき、収容者という

ので刑務所の話しと勘違いした。収容所でも精神障害

で囚人でもあった重度の収容者の”病棟”での話だった。

 

ご記憶のかたもいると思うが

Thank you

I love you

Please  forgive me

I am sorry

 

を 口に出して言い続けるだけで周囲が平和に変化

していく話しを12月11日に投稿した。

すると、それが掲載されている本を偶然に見える

必然から、最近手にすることができた。

 

この本によれば、この方法は、アメリカの心理

学者 イハレアカラ・ヒュ―レン博士が実践した

方法で、その結果 暴力沙汰を起こして職員を

震え上がらせているような収容者たちが 

落ち着きを取り戻し最後には平常者と変わら

なくなって、退院していき、この病棟自体が

閉鎖されるまでになったという話だった。

 

場所は、ハワイ州立病院、”触法精神障害者収容

病棟”と呼ばれ、殺人のような犯罪を犯しても、

精神的に病んで責任能力がないと診断された

精神疾患犯罪者達の病棟。

 

当然といってもおかしくないほど、ここでは暴力

問題が日常茶飯事で、収容者のみならず、病院

職員にも周に何度かは、被害が及んだという。

博士はこの病棟の精神科医代理として勤務した。

ところが、なぜか、博士は収容者たちとの

接触をせず、カウンセリングや面接なども

一切行わずにいた。

 

収容者のカルテを見ながら、自分自身のどの部分が

この収容者の欠陥と結びついているのか?

自己内診をし続け、4つの言葉を四六時中念じ、

唱え、自分自身のクリーニング’を ただひたすら 

行い続けていたという。

 

クリーニング とは浄化ということだ。

どうして、何のために? 具体的にどうして効果が

出たのだろう?と誰もが不思議に思うだろう. 

博士の信念は強かった。それは、次の2点に

裏打ちされていた。

 

1・総ての現象・対人関係・自分の環境は 

自分の心(潜在意識)の顕れであること。

2  総ての人や生物と 自分の命は、本当の

意味でつながっていること。

 

1番目の、自分の心の顕れとは何だろう?それは、

顕在意識[感じられる意識]ではなくて、今生

以前の幾世代もの間の現在意識が忘れている

記憶をさしている。その積み重なった潜在意識

の中の過去の記憶には 現在、解放されていない、

あるいは、解決されていない問題が残っている。

 

その記憶は想念エネルギーなので、火種のように

くずぶって、機会があれば今世で、発火しようと

しているのだ。

発火すれば 新たな問題として現れる。

それをうやむやにしたり、 解放しないで放って

おくとまた違う形(舞台設定)をとって、

幾度でも自分の環境に現れる。

 

そのために、クリーニングを行う。自己の膨大な

記憶の中にある火種となる、問題をクリーニング

(浄化)する。

火種を消すためには、理由づけや理論は必要ない。

4つの魔法の言葉を ただ、口にだすだけ。

問題が浮上したら、その 火種を消す良い機会

ととらえる。

 

 

 

その火種を消す、そうすれば、現在目の前に現れている

問題なる現象も消える。

これは、徹底した(唯心所現)の論理である。 

さらに (2)番目の、信念、すべての人や事象は

自分と無関係ではなく、繋がっていると信念がある

から実行できるのだろう。

 

博士は 収容者のカルテを見ながら、”何故、この人

の不完全さが自分の目の前に現れているのか?”

それは自分自身の中に 原因があるからだ~”と 

受け止めて、4つの言葉を繰り返しながら、自分

自身の潜在意識をクリーニングし続けた。

 

その結果、どうなっただろうか?

2~3か月後には ”暴れないよう手足を縛られ 

薬を大量に投与されていた収容者達が穏やかに

なり、自由に歩くことを許され、多量の投薬が

必要だった人もそれが不要になった” と報告

されている。

 

こうして、博士の徹底した自己クリーニングの成果

として収容者の素行と健康が改善されていった。

収容者のみならず、暴力に恐れをなして、

欠勤していた病棟の職員にも 仕事を楽しむ” 

ことができるようになったため、病院は効率よく、

平和な場所へと変わっていった。

こうして、博士が勤務して4年たつと、総ての

収容者が退院して、その病棟が閉鎖されたこと

は冒頭に述べた。

 

博士が用いた方法はハワイに古くから伝えら

れる、自己治癒方法を基盤にしている。

ホ・オポノポノ’療法 と呼ばれている。

 ハワイの古くから伝わる療法は、問題解決の

方法にも応用されている。

例えば、誰かが問題を起こす。

すると、その人にかかわるすべての人が集まる。

外部に問題の原因を探るためではなく、一人

ひとりが自分自身の内省をするために。

そこに集まった誰もが、その人と問題に関与

しているということを知っているからだ。

 

どう関与しているのだろうか?それを知る由も

ない、知る必要もない。

ただ、目前にある問題は、その人と自分がどこか

で、繋がって関与しているから自分の目の前に、

当事者を通して浮上しているのだととらえる。

その知人の問題だけではない。自分の過去生から

蓄積されている”火種”が燃えたているのだ。

内省をする~といっても理屈はいらない。

その問題を引き起こした皆に共通する火種に

対して浄化を行うだけだ。

 

浄化して消し去るだけだ。

すべてのその問題に関係ある人がこうした内省

をして、4つの魔法の言葉を真剣に念じ口に

出せば、問題の一番良い解決方法が必ず見つ

かるだろう。

 

4つの言葉は、自分の知らないところで人を傷つけ

たり過ちを犯していた、至らなさを謝罪し、赦しを

乞い、自分も相手も愛で包み、そして感謝で心を

満たすという作業だけ・・・。

 

その人の不注意だとか、運が悪いとか、自分とは

関係がないと想いがちな他者の問題に、自分自身を

クリーニングすることで、その問題が解決すると

いうのだ。その事例が先に上げた、問題病棟の閉鎖

でもあった。

 

目の前に現れる問題は’すべて’’私の記憶が造り

だした’”とこのメソッドでは教える。

記憶というのは、潜在意識が覚えているものだ。

その記憶が消えない限り、問題はいつも違う形と

なって、自分の前に浮上するだろう。

心理学者である、ヒュ―レン博士は次のように述べる。

 

顕在意識が一秒間に15~20ピットの情報量を送って

来るのにたいし、潜在意識は1100万ピット。

これは太刀打ちしようのない情報量であり、顕在

意識はとてもかなわない。

私たちの現実の世界は、ほとんどがこの 潜在意識

の記憶をフィルムとして再現した映像なのだ”

 

光り”を映した映像には光のみが映るはずだ。

しかし、フィルムにゴミがついていれば、どんなチリ

や埃のような小さなものでも、スクリーンには影が映る。

同様、私たちの潜在意識をクリーニングするとは

こうした、今は知らないが 過去から潜在意識に

浸み込んだチリや埃という、心の汚れを落とすため

だという。

 

その方法は?

それは、感情を入れなくても良いからただひたすらに、

4つの文章を、呪文のようにとなえることによって、

その言霊が記憶の清浄化を図るようにシステム化

されているという。

 

ヒューレン博士は 触法精神異常者収容病棟という

暴力が日常的な空間で 人間の”暴力”と向き合った。

だからこの”言葉の力”こそ、その時点で、博士と

収容者たち共通の’クリーニングしなければならない

記憶’だと博士はとらえた。

  

そして、ついに、共通の記憶から、博士自身の暴力性

が消えたことで収容者たちの 暴力性が消えた。

暴力性が消えたから、彼らは正常に戻った。

最後に次の博士の言葉をご紹介したい。

誰をも何をも、操作しようとしたり、画策しよう

としたりせず、ひたすら クリーニングし続けて

ください。そうすれば、道は自ずから開かれる

でしょう”

 

そしてこの4つの言葉を 感情こめなくても成果が

あがる理由も以下のように述べている。

コンピューターで間違った文章を打って、それが

メモリーで残っています。

それを修正するとき、いちいち、ごめんなさい’とか

愛しています’とか心をこめて、言って消す必要が

ありますか?

この4つの言葉、’I love you'を例えばいうのは、パソコン

のデリート(消去)キーだと同じようなものだと

考えてください。一文字消すのに、一回押す。

自分の過ちの記憶を消すのに、一度言う。

ただ’言う’だけでいいのです。

言葉そのものにパワーがあるからです。”

 

 

 参考書:

”ホ・オポノポノ” 

滝沢朋子著 Bankshia Books 2009年

 

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松田優作の強い決意と癌のコントロール

2013年12月17日 | 健康のための心の波動

現場で注目される心の力  平成25年12月17日

****************************************

12月5日のNHK・夜のニュースの後の特集でノーベル賞を

受賞された山中伸也教授のIPS細胞の今後の期待と

問題点について特集が組まれていた。

 

言うまでもなく、IPS細胞によって、将来の医療展望が

見えてきたと言えるだろう。移植再生医療における画期的な

道が開けたと専門家は語る。

 

最新医学的研究においては、癌細胞を標的として攻撃する

分子標的薬が開発されている。これによって、これまでの

医療界の常識が変わりつつあるとさえ言われている。

 

これまでの医療界の常識・・・たとえば、“病気の原因は

おしなべて、身体の不具合に基づく。病気は悪いもの、

身体を失うことになる死は、敗北で消滅そのもの“という

原則に基づいた考えかたが根本にあった。

 

その考え方は、唯物論的二元論の上に成り立つ。

つまり、体は物質が構成しているから健康か不健康

か、生か死かという二元的な価値に基づいて“病気の

原因となる物質”の究明がなされてきた。

 

二元論は 体と心を別々のものとして切り離して見る。

それぞれ別個の存在であるから それぞれの研究が

それぞれの方法で進められてきた。こうして、一方

では”心を側道に置いた”近代医学が発展してきた。

 

その発展はある時期まで目覚ましいものがあり、

西洋医学は世界的医療現場で、絶対的な位置を確立

したかのようだった。

ところが、近年、意外な声が現場の治療者側から

聞こえられるようになってきた。それは、”現場の患者

さんの心の声が医師側にきちんと届いていない”という

意見だったり、心のケアが忘れがちにされている”

いう不満だったり、人間性をもっと加味した医療が

望ましい”という希望であったりする。

 

事象の観測が自然科学の基礎になっているように、

西洋医学にも その方法論は適応されている。

“客観的な事実の観測”その結果から一般的な病理を

引き出す”ことが 第一義となるため、血液検査、

レントゲンなどの、検査が重要視され、データで

判断される。一方、心の通い合う医療の取り組みは

自然科学や医学の目覚ましい発達に比べてかなり、

遅い歩みで進んできたと言えるのかもしれない。

 

長堀博士は 著書の中で次のように述べている(以下引用):

 

30年ほど前には、身体の造りから各臓器の働きとその

病態、さらに治療に至るまで、いやになるほど、細かい

講義が行われていました。

しかし、その反面、患者さんに対する基本的な診療法

についてきちんとした授業がほとんど行われ

いなかったのです。”(以上引用終わり)

 

長堀博士はこうしたことに関して、(以下引用)患者さん

の個人的違いというものは必ずしも、重きを置かれない

のです。本来、医療の現場においては、患者さんご本人

がどう悩んでいるのかという主観的な訴えや、一人ひとり

まったく異なる身体の状態について、十分な聞き取りや

観察がなされなければならないはず“(以上引用終わり)

 

と 記した後で 癌患者への告知の配慮として、(以下引用)

癌といっても、状況によってさまざまです。

余命は一般的には X月と言われますが、これはあくまでも

全体の平均に過ぎません。個人差が大きいので、一日でも長く

するように協力しあって行きましょう”(以上引用終わり)

 

というような声掛けも 患者の不安を最小限にするための、

寄り添う医療の一環としている。寄り添う医療、それは、

医療者と患者さんの気持ちをかみ合わせる’ことから

始まる。寄り添う医療が注目されてきた背景の一つとして、

東日本大震災が日本人の心に与えた影響があると長堀医師

は言う。

 

大津波は、一瞬にして目の前の命を次々と、飲み込んだ。

余りにも非情に見える生死のドラマを、日本中の人達に見せ

つけ、震撼させた。だから、こうして当たり前の仕事が

できて、穏やかに毎日が過ごせることの幸せ” の実感を 

その状況を知った人すべてが理屈ぬきに 感じることが

できた。

 

互いに、生きている、それは言葉を変えれば生かされて

いる ということ。互いに、生かされ、互いに繋がりあって

いる今だからこそ、大切にしたい命、同じ目線で皆が

を見つめ、相手を想い、共感意識で結ばれる。

 

のど元過ぎれば熱さ忘れる~の諺にあるように、痛い思い

を味わってこそ初めて失ったものの価値を実感することも

思い知らされた。

 

失う前に、それに気がつければ幸いだ。或いは、失うかも

しれないという予感があれば、その前にこそ、価値を十分に

味わっておきたいと思う人もいる。

 

例えば、以前、ブログでも多くの人たちが 死を宣告されて

から、それまでと違う心構えで生きられ、周囲の人々に

感銘を与えた事実を取り上げた。宣告されたことにより 

さらに、充実した人生を送ろう、後悔しない余生を過ごそう

として人生観を見直し、明るい笑顔を取り戻そうと努力

された。

 

家族に感謝し 社会的に自分が残せることを探し出した

人もいた。そういう方達は、予測された余命よりはるかに

長く生きられ周囲を勇気づけた。

 

松田優作という俳優は若くして癌を宣告された。

そんな折、ハリウッド映画 “ブラック・レイン” の出演が

決まり、 映画のクランクインが開始された。

松田氏は、驚くことに、撮影が終わるまでの間だけ 

(膀胱)の進行を食い止めた。

それは、”必ず映画を撮り終わる、しかも誰にも癌だと気づか

せる演技をさせたくない” という、強い意思と仕事への

責任感と情熱が癌へのコントロールを可能にしたのだろう。

 

心の力の大きさは、多くの実例を持って語ることができる

だろう。”患者の心に寄り添う”という意味の裏側に、

患者の心の働きを無視することができなくなってきた

医学界の変化があるようだ。

 

さらに、余生が伸びたり、癌の進行が止まったりと、

そういう例が多く発表されるようになると 今後の

ホスピス医療やターミナルケアにも、影響がでてくる

だろう。

 

 

続く~

 

 

 

長堀 優(ゆたか)氏について

日本外科学指導医、日本消化器外科科学指導医、

日本がん治療認定医

機構癌治療認定、財団法人船員保険会横浜

船員保険病院 副院長・外科部長

 

参考図書)”見えない世界の科学が医療を変える” 

長堀 優著 でくのぼう出版 2013年 

 

 

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