ルターの徒然なる感慨 2014・4・29
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基準値というのがある。
これが普通です、標準です、健康ですと判断するところの
数値だが、標準体重もその一つで、これ以上だと
健康的でないと決められている数値だ。
五木氏は 慶応大学病院の近藤誠医師との対談の中で
次のように語る。
”僕は一般に言われる、標準体重とは 美容体重のこと
だと主張しているのです。”
すると近藤医師は
”コレストロール値は体重と相関がありますが
日本人の調査では、通常だと高脂血症と診断されるぐらい
の値の人のほうが、長命だという結果がでています。
福井氏での大規模な調査でも、コレステロール値が
220~250と高い人が一番長生きをしていた、
痩せて抵抗力がなくなるより、少し太っているくらいの
ほうが健康的なのです。”
と応えている。
ここで基準値という一般的な話にうつるのだが、
近藤医師の持論
”基準値から逸脱しているからといって
それが直ちに異常だとはいえない”
という話に展開する。
”職場で、定期健診を強制的に受けさせるのは、
個人の尊重を定めた憲法13条に違反する
とすら思います”
”生活習慣病の多くは、老化現象の一部分裂ですが
生活習慣という語感は、ライフスタイルを改善すれば
予防できるというイメージを与え、人々をいたずらに
焦燥させている。
でも、たばこ以外の生活習慣の変更に予防効果が
あるという証拠は乏しいのです”
あくまで近藤医師の見解は 臨床観察に基づいている。
患者を観察していくうちに、”これまでのデータや医学的知見を
解析すると、かなり矛盾が見えて”くるようになったのだという。
その矛盾を堂々と公けに指摘する。
そうした、近藤医師の勇気ある言動は、五木氏をして
”マルティン・ルター”のようだと言わしめるほどだ。
現代の医学界に鋭い切り口を入れ、常識を覆すような
言動で議論を呼ぶ近藤医師を、カトリック教を批判して
プロテスタント派を造った宗教改革者であるルターに
重ね合わせている五木氏。
波風や抵抗があったにもかかわらず、平然と
医学界の常識を破るような持論を展開する近藤医師にも
本音があった。
五木氏に次のように近藤医師は、語っている:
”1988年に文藝春秋に乳がんの 乳房温存療法の論考を
書いたのですが、そのとき、シミュレーションしたのです。
これは大学や医学界の姿勢に反する論だから、出世は講師どまり
だろうと。
その一方で、学問の自由があるなかでは 辞めさせられは
しないはずだ--とも踏んだんです。
孤独になるだろうと覚悟していましたが、世の中に
一人でも理解してくれる人がいれば、自分はその一人のために
発言しようと決めました。”
アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群
近藤医師が医学界のマルティンルター....?
話しは変わるが、マルティン・ルターといえば、
筆者は、2005年に ルターの生誕地アイスレーベンと
ヴィッテンベルクにあるルター博物館を 当時学生だった
息子と、訪れたことがある。
ヴィッテンベルクは95か条の論題が提示された、
ルターの宗教活動の上で改革の中心地と言われ
ルターの業績を知るにはこの博物館を
見逃せない。
特に印象に残った場所が ルターホールといわれる、
生前ルターが住居として使っている建物だが、博物館
として今は温存されている。
当時の修道僧の重々しい服や展示品や飾られ 宗教改革史の
ヴィデオ上映も行われている。
この場所には鮮明な記憶が今でもある。
階段を上って、2階の修道僧の服が展示されている
入り口で、文字通り足がすくんで一歩も踏み出せなくなった。
今でもよみがえる、理由のない、恐怖心に 一瞬 襲われた。
恐る恐る足を運んでみようとしたが、ルターの着用していた
重々しい僧侶の服を左手にして、もはや足は一歩も前に
進まなかった。
オカルト的な話だが、展示されていた遺品や家具の間から
亡霊の”声なき声”がのしかぶさってくるような圧力感と
存在感に圧倒され、恐怖心とともに、立ちすくんで
しまったのだ。
そこを通り抜けるのには、一足先に入って、すでに次室の
展示部屋に、どんどん進んで行ってしまった息子の名前を
大声で呼んで、戻ってきてもらうほかに手立てはなかった。
他に誰も部屋におらず、その立ちすくんでいた数分の
出来事は荘厳な雰囲気に包まれ、まるで当時に
タイムマシーンで連れ戻されたような不思議な
感覚もあった。
この場所は ルターの住んでいた家でもある。
主観的で恐縮だが、プロテスタントが生まれる時代
の背景やルター自身の苦悩と祈りのつまった、この空間は
ある意味、とても強いパワースポットであることも
確信できた。
次に向かったのが町の教会。
マルクト広場に寒い冬であったが、そびえるように
建っていた。
ここでルターは説教を行っていた。
カソリック教に反した、プロテスタントを生むルターの
宗教運動は 、ローマ法王に対する反逆ともとらえられる
ものだったろう。
五木氏は 近藤医学博士をルターに喩えているのも
現代の医学の常識に反旗を翻す、異端の医師という意味では
うなずける。
五木氏が”最近の医療は病気を見ても人をみていない~
と思います”と言えば
近藤医師は
”病気だけを見ようとするから薬漬けの医療になる”
と応える。
薬、たとえば、抗がん剤でもその使い方は”人を観る”ことから
はじめるべきだというのだろう。
”抗がん剤だって、すべてのがんに対して悪いわけでは
ありません。
たとえば、子どもの急性白血病や悪性リンパ腫などの
リンパ系、白血球系のがんは良く治る。
ところが普通の臓器の癌、胃癌 肺がん 乳がんと
いったものは抗癌剤では治らないのです。
薬が癌細胞と正常細胞を区別できないから。”
ということらしい。
早期がん発見、早期手術で助かると言われていた癌治療も
近藤医師の持論によって、疑問符がおかれた。
”抗がん剤は、細胞毒で一種の発がん物質だから、それを
使うことで、癌の性質が悪くなることも有り得ます。
ただ手術の場合は、癌細胞自体は病巣にメスが
入ったからといって、、性質は変わらないのです。
しかし、手術することで、これまで癌細胞
とある程度仲よく付き合ってきた正常細胞
までが傷つくから、術後にがんがワッと広がる
のではないでしょうか?”
という。
癌は放っておくのが一番と言う、近藤医師の
見解もこれに基づいている。
お医者様の見解はさまざまだ。
病院によっても 診断が異なる場合は多々ある。
一般的でない 常識はずれな見解は時として、さまざまな
圧力を受けるだろう。
それは、ちょうど ルターが受けたそのものと同様だろう。
信じて、自分が信念を持って、善かれと思うことを
実行する勇気、人頼み、医者頼みではなく、自分の体
は自分で守る という気概は患者自身、忘れない事が
大切だと思う。
引用箇所)文藝春秋 2014年一月臨時増刊号