私のシタールの師 と 偉大なそのまた師 平成25年3月31日
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下は私のグル Ustad Shujaata Khan師からいただいた写真、
ご自身の幼少時代、御父上のUstad Vilayat Khan師に自宅で
稽古をつけてもらっているときです。
ある人は、師 は必要ないという。
それぞれ、自分の中に、本来の自己(実相)があるから、
それが自分の師である、という。
それは、とてもリーズナブルな言葉に響く。
しかし、ほんとうにそうだろうか?
誰でも生まれてきたときは、傷つきやすい 小さな存在だった。
保護され、養育され、いろいろ 教えられて 成長してきた。
子どもにとっての、最初の教師は母親だという。
次に、父親が 理性をもって、もう一面の”躾”をする。
夜道を歩くには、昔なら行燈‘あんどん)や 提灯(ちょうちん)
が必要だっただろう。
今でも変わらない。
懐中電灯でもなければ、光りのない真っ暗な夜道は歩けないのと
同様、真の自分を見つけるために、手さぐりで目的地にたどり
着くまでに、手引きしてくれる人が必要なのかもしれない。
その 自分の足元を照らす光が、いわば、先生 の役目だと思う。
必ずしも、先生という名称は必要ないときもあるだろう。
伴侶だったり、友人だったり、先輩だったり、知らない間に、その人
に足元を照らしてもらっていたと気が付くこともあるかもしれない。
その写真の裏側には、グルジーの筆跡で、”With all my love to Fatima
(私のもスリム名)とあり、私の音楽があなたの心に末永く残りますように”
とサイン入りで書かれています。
足元があかるければ、転ばずに、目的地に着く。
目的地は、本人が知っている。
目的地へ、行く方法も、本人が、選ぶ。
師との関係も同様だと思う。
本人の中にすでに そこに到達するだけの、意思と資質はある。
ただ、無駄な時間を使って遠回りしたり、危険な目に合う必要も
ないだろう。
但し、歩む道が真理の道で 悟りが目的地であるのなら、
その道を歩んだ人、少なくても自分より遙かさきに
進んでいる人でなければ、正しい道しるべを示すことが
できない。
だから、真理の探究においては、誰にでも”師”に対応する
人が必要だというのがその理由である。
その、資質を、安全に引き出して、目的地へ行く助けをもらう、
それが、弟子の特権でもあるのかもしれない。
とはいっても、昨今は、いろいろな 先生がいる。
先生とは名ばかりで、生徒を傷つける先生もいるらしい。
国会議員や、予備校・習い事教師、医師も、みんな、先生と呼ばれる。
インドの、グルシシャパランパラ(伝統的師弟制度)
では、先生をグル、あるいは、グルジーと呼んだ。
グルは、本来、自ら弟子を探す~と言われている。
探す という言葉が妥当でなければ、
グル自身が 自分を受け入れる用意
のできた弟子を、自分のそばに呼ぶと言える。
”グルが弟子に近づく” というのは、その生徒が、
学びを受け入れる準備が整ったとき、生徒を
自らの弟子として、目前に偶然必然にかからわず、
顕れて、受け入れる~という意味だ。
もちらん、傍からみていれば、弟子が、先生のところへ行って、
”自分に~を教えてください” という形をとる場合が多いだろうが、
この言葉の裏には、弟子が先生を選ぶことはできないという、
意味合いが含まれている。
古来の師弟制度は、ビジネスとは無縁であり、
ほんとうに教えたい生徒を選ぶ権利を持つのは、師であった。
師が“教えてあげる”といわなければ、どんなに、
弟子になりたいといっても、断られるか、その機会が与えられない
かどちらかだっただろう。
その考え方は、現代では 一般的ではないかもしれない。
月謝をとって、何かを教えるというシステムの中では、
教えてもらうのは、月謝を払った側の、権利だと考えられているだろう。
ところが、徒弟制度というのは、グルの世話をしながら、見習いとして、
グルのそばで 日常的な世話をしながら、 その道の、奥義や
さまざまな技術・技巧、あるいは、考え方や真理へのアプローチを
習得していくというものだった。
だから、月謝とか金銭授受の関係は、インドの指定制度では
見られなかった。
バンコックのワットアルンは 暁の寺 といわれ、それを題名に、
三島由紀夫が小説を書いている。
三島が言ったのかどうか、わからないが、タイの寺に詣でるのは、
その寺の神様の招きがあって、可能になる、という考え方を
バンコク時代に聞いたことがある。
インドでも同じような言い回しをする。
ある聖地に行くとき、
神様の招きがあれば、行くことができる、無ければ 行きたくても
願いはかなわないという。
同様に、グルに何かを習うとき、指南してもらうとき、グルの招き
(外からはわからないが) が必要だという意味では、
”招かれる”という発想は、似ているかもしれない。
さて、冒頭にかかげた写真の幼少のグルジーはその後、
インド古典音楽 シタールの世界のレジャンドになった。
私は、グルからシタールの手引きだけではなく、人として、
謙虚に、思いやりをもって相手に期待をせず、自分の責務を
行うということを師の後ろ姿から学んだ。
そして、音に対しての鋭敏な耳と、音の裏にある本当の音
への聞こえない魂の耳を持つことを、その父上である、
ヴィラヤット・カーン師から教えていただいた。
シタールは大げさでなく私の人生を形作ってくれたものだと
言えるかもしれない。