自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

村上博士の考える死後の世界

2025年01月29日 | 健全生活のために”死”の常識を反転



最先端の科学者が認める科学で証明できない世界

*********************

最先端の遺伝子研究を、科学的に進めながら、
その工程に、偉大なる存在(サムシング・グレート)
を認め、そこに想いを馳せながら
研究を続けるその姿は、ある意味、とても
スピリチュアル的に感じる

そんな村上博士が考える死後の世界観が
次のように、語られている:
 
 
“‘’死んだら生まれ変わる‘という人たちがいます。

何に生まれ変わるのか?

一般に考えられている生まれ変わりというのは、

自分の魂みたいなものがあって、それが体に宿っ

この世に現れる。

この魂の連続性を、生まれ変わりと称しているのです。”
(以上引用)

ここで、博士は”魂”の存在を認め、
それが死後も残って、新たに、別の肉体に、宿る
ということを、科学者でありながら、認めているのが
興味深い。

科学者というのは、データや事実を基盤として、
話を展開させるのが通常だが、まだ、死 という
今生では、未知の段階で、そう言い切れるのが、
興味深い。

さらに話題は、‘魂’についてと移っていく。
村上博士は 次のように言う。

死んで肉体が滅びても、魂はなくならない。

死ねば肉体から離れるが
また別の肉体を借りてこの世に現れる”(以上)
 

このあたりの話題になると、
そのことを証明できるか?”という人が必ず出てくる。

”魂はなくならない”とは、どういうことか、キチン
と例を挙げて科学的に説明せよ~と言う。

残念ながら、それは無理なのだ。

無理だということを 科学者として最前線で功績を
残した、村上博士も認めている。

次のようには言う;(以下引用)
 

“これらのことは遺伝子レベルでは説明できません。

遺伝子は物質であり、魂を物質レベルで説明する
ことは今のところ無理なのです。

とはいえ、説明できないことが‘無いこと’には
ならない。

私も魂は‘あるのではないか’と思っています。”(引用以上)
 

魂を物質レベルで説明することは無理

目に見えない世界が、目に見える世界の科学で
少しずつ解明されているが、

死後の世界や生まれ変わりというような、
目に見えない科学は、魂で理解することが
一番手っ取り早いということだろう。

だから、”わかる”。
私もあなたも、皆、魂(たましい)をもって
いるのだから。
 
 
**********
*1)~サンマーク文庫“生命(いのち)の暗号”、
①巻と②巻  
サンマーク出版 2009年、

(*2)村上和雄
1936年生まれ 筑波大学名誉教授。
78年 筑波大学応用生物学化学系教授になり、
遺伝子の研究に取り組む。
83年 高血圧の黒幕である酵素“レニン”の
遺伝子解読に成功。
先端学際領域研究長を94年より務めた。
96年 日本学士院賞受賞。
 
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昨日の記事の補足(カルマの証明) 

2024年10月07日 | 健全生活のために”死”の常識を反転
自殺者の魂が、なぜ、両親が訴訟を起こさないように
飯田氏を通して 強く伝えようとしたのか?

************************

昨日の記事では、自殺者の霊が、飯田氏(当時は唯脳論者)
にコンタクトをとり、巧みに、自宅にまで案内して
両親に メッセージを伝えようとしたお話でした。

具体的には、両親の、息子が勤めていた会社への訴訟の
準備を取りやめにさせたいという思いからでした。

両親は、息子の自殺の原因が、勤めていた
会社の過剰働きにより、疲労から精神的に、自殺に
追いやったと信じていました。

実際は、恋愛の成就が叶わずに、発作的な自殺でした
が、なぜ、息子が両親に、訴えを退けるように、
渾身の願いを、飯田氏に託したのか・・・

といえば、以下の理由からでした:

一つ目には、自分が親より先に、自らを死に追い込み、
非情な悲しみと、落胆を親に与えてしまったという
自責の念から。

二つ目は、親が、”訴訟”という、カルマを積んで、次の
生に影響を与える痕跡を造らないため。

一つ目は、理解できますが、なぜ、二つ目の、”次の生への
影響を与えない”ことが、それほど、大事なことなの
でしょうか?

まず、会社には何も、責められる理由はないこと。

なぜなら、原因は、私事の恋愛問題だったからです。

それを知らない、両親の誤解から、会社に損害賠償を
求めるような裁判をひきおこすことは、両親の魂が
これからの生まれ変わりに響く、カルマを背負って
しまうからでした。

そのことを、この霊魂は、あの世にいって、深く
理解できたのでしょう。


カルマを作ることは、キャッチボールに似ています。

相手から飛んできた球を、どのような想いで、どのような
形で投げ返すか?

それが、カルマ原理です。

相手の球が、悪意をこめたものであっても、いじわるで
あっても、そうでなくても、それは、相手のカルマとなる
行為です。


一方、受け側が、それに対して、どう反応して行動するか?

それは、投げられた球の良し悪しには、無関係に、
受け手側の、カルマとなるからです。


訴訟 という相手を責める心と行為は、両親の、カルマ
となり、それが、カルマ貸借票に、きちんと明記される
以上、そのバランスを次の生で返さなければならない
ということになるわけです。


ましては、息子の自殺の背景に、会社側の手落ちがない
としたら、そのカルマの質は、なおさら、重いものに
なるでしょう。


この何気ない、飯田氏への、自殺霊が両親に一番伝えたい
メッセージ:自分の死は、会社のせいではないこと、

そして、自分は魂として、両親の身近にいること、
それを知ってもらい、死を悲しみで受け止めないで欲しい
というメッセージ、

それを考えると・・

生きている時に、投げる球いかんでは、その負を
背負ってしまう、カルマの法則が、厳然と、
生きているような気がします。


やはり、カルマの種は、死んでも、次に生まれて
くるべき人生を左右させると知ることで、今の生きている、
一瞬一瞬の 人への、事象への、向き合い方の大切さを、
感じます。




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意識の飛翔(3) 異次元にいる魂(自殺者)からのメッセージ 

2024年10月06日 | 健全生活のために”死”の常識を反転



”無条件の愛”の存在:生きている間は気が付かなかった・・
*******************


タイトルは、8月30日の、ブログの中の言葉。

’生まれる前の魂が、これまでの、カルマ総得点に
より、次の生では、穏やかな死に方には点数が足らず、
自殺を選択した。

彼は、次の生では、カミソリでバスタブのぬるま湯で
動脈を自ら切る~設定を、すでに、おぎゃーと産声を
上げる前から、プログラミングしていた。’

というお話だった。


以前、昔の話だが、自殺者は、往生(おうじょう)
できない、
あの世でも、苦しむ という話を 知り合いのお坊様
から聞いていた。

私の知り合いで、数人のそうした人たちの顔が今でも
脳裏に思い浮かべられる。

大学時代、”どうして人は生きていると思う?”と、私に
笑顔で聞いてきた友人は、翌月、命を絶った。

結婚前の会社務め時代、職場のエンジニアの奥様が、
東横線に身を投じたと聞き、その通夜に伺い、友人を
慰めた。

しかし、彼もまた、数日後、線路に奥さんの跡を
おうかのように、飛び込んだ。

親友のお兄様もそう・・だった。


自殺者は救われない・・あの世で苦しんでいる・・
と長年、私は、そう思っていた。

が、ドチュー氏の逸話【8/30日記事】を読んで、
そして、飯田史彦氏(*1)の書籍を読んで、私は、
考えが変わった。


死んだというのは、どんな手段にせよ、地球服を脱いで、
魂態で、異次元に移行することである。

そして、異次元に移行するとき、無条件の愛 という言葉
では表せない、あたたかな、和(やわら)かな、包んで
くれる、空気に包まれる~と、誰もが(臨死体験者)が
述べている。

自殺者は例外かと思ったら、そうではなかった。

飯田史彦氏の本(*1)に、実体験が、詳しく、述べられて
いるが、自殺した霊と、コンタクトが取れてのやり取りが
ある。

自殺者が自ら、飯田氏に送ってきたメッセージは以下の
ようであった。

。。。。。。。

真っ暗闇の中で、自分が犯してしまった罪をひたすらに
反省している。
 
② そこは、非常に寂しいところだが、‘愛に満ちている’
 
③  愛’という言葉が不適切なら、‘感謝の念’と‘確信’がある。

絶望のなどん底にいても、‘確かなる希望’をあたえてくれる
‘何か’が存在し それを‘愛’と感じる。
 
④ 真っ暗闇の中に 贖罪のために、身を落として
(両親を悲しませるという最大の罪の一つを犯した
ことをここでは、さしている猛反省して、
‘自分は誰かに愛されているという確信ができた
 
⑤ 誰から?愛されているかといえば、‘すべて’に
愛されている。

自分自身を含んだあらゆる存在が、自分を愛して
くれている
 
⑥    このことは、そちら(肉体の世界)で生きている間は
理解できなかった。

体を離れてから、ようやく、‘すべて’を理解できた・・・、
まるで、ただ、’忘れてしまっていたことを思い出した’
ように。

************

この時の記事は、ブログ2017年9月18日と23日に書いて
いる。

興味あるかたは、是非、ご覧いただきたい。

当時、私は、飯田氏のこの体験を読んで、とてもホットした。

それは、自殺霊が、

あの世では

絶望のなどん底にいても、‘確かなる希望’をあたえてくれる
‘何か’が存在し それを‘愛’と感じる。

と、語った言葉。

それを、”愛”と表現していた。

さらに、”自分自身を含んだあらゆる存在が、自分を愛して
くれている”という言葉。

本当は、常に、娑婆世界にいても、肉体服を着ていても、
着ていなくても、”愛”に取り囲まれていたのだが、肉体服を
着ていたときは、それに、気が付かなかっただけだ・・

と、この霊は言う。

忘れてしまっていたことを思い出した’ように” 
あの世の次元に移行して、初めて、そのことがわかった
という。

今の私たちが、この地球に、三次元世界に感覚をもって
生きている限り、それを”思い出すこと”は難しいのかも
しれない。

が、本当は、今も、意識次元を変えれば、そのリアリティー
に気が付くことは、可能だと思う。

私たちのリアリティーは、三次元の私? 
死んだら土にかえる骨の中に、私はいない。

この世とあの世は、とにかく、すべてと言っていいほど、
多くの物の価値感、基準、考え方、とらえかたが、
真逆なことが多いのだから。。。苦しみと執着が生まれる。

飛翔した、意識へと、現在意識の舵取りを、していくことが、
大いなる修行の一つ/この世に生まれた目的の一つ、
なのかもしれない― 



*1) ”生きがいの創造”Ⅱ PHP研究所 2005年






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コナンドイルが参加した交霊会;死後に持ち越すもの

2023年09月18日 | 健全生活のために”死”の常識を反転
 
’老いても生きがいを見出せる’霊界からのメッセージ  
9月18日(月曜日)
*********************************************************
 
9月13日からの続きとして、お読みください・・・

では、死後の世界について、コナンが参加した霊界通信では
どんな情報を送ってきているのだろう?
コナンは記している:

死後のことについて、送られてくる通信は、楽しいこと
ばかりである。

人類のメッセージとして、これほど、重大な意味をもつものは
ないと私は考える。

いたずらに恐怖と幻想の世界へ閉じ込めてきた、おどろおどろ
しい想像の産物である’天国と地獄’などは、どこにも見られない” 

そして、コナンのスピリチュアル的解釈が、加えられた意見が
続く;
 
“死後に迎える生活が、幸せに満ち足りたものである、といっても、
その目的とするのは、自分の内部に滞在している霊的資質を発達
させることにある。”

死後も、魂は、その人のアイデンティティーを持ちつつ、
霊的資質を発達させるための精進が霊界で待っているという。
が、肉体次元の時より、それは、幸せに満ち足りているという
ことだから、苦悩の精進ではないことがわかる。

ドイルは、ここで、伝えたいこと・・それは、
”人は、死を迎え、地獄か天国へ行くという裁判にかけられる” 
という 地獄の存在否定と あの世は幸せに満ち足りている
のだという確信だろう。

ドリルは、霊体からのメッセージをいくつも体験して、
死後は、不滅の’魂’の存在と、三次元の現世とは、反対の価値観
を持つ異次元に、帰還できると、考えた。
 
たとえば、ドイルが霊界通信で受けたメッセージには次のような
ものもあった。

“地上で愛し合っていたものはいずれ再会する。
が、地上時代のような肉体関係はないし、したがって、出産は
ない。

強烈な親和力による、深い親密度を実感する。

地上で真実の愛を実感することなく終わった者も、霊の世界に
来て、遅かれ早かれ、霊的配偶者を見出す

幼くして他界した子供は、霊界で自然な成長をする。
それゆえ、たとえば、2歳の女の子の母親が、20年後に他界
して霊界入りした場合、22歳に成長した娘が迎えに来てくれる
という。”
 
愛する家族や、先に逝った友たちとの再会。
地上で真実の愛を知らない者でさえ、霊界では、新たな愛への
体験があるという。
これは、死が恐怖に満ちているのではなく、愛と安らぎの世界だ
ということがわかる。

ドイルは、”肉体の障害は、死後に持ち越さない”というメッセージ
を紹介している。
 
障害ある肉体をもって生まれてきた理由は、その魂が、むしろ
強靭な意思と強さを持っていたから~という解釈とともに。

つまり、そういうハードな身体状況を、”自分の今世の体”として、
敢えて自分で選んで誕生してきた魂は、それなりのハンディ
意義を 生まれる前から知っているわけだ。

その意義とは、ハードルの高い人生を送ることで、普通の身体で
生まれた人より、一層、高い霊的進歩を遂げることが可能になる
ということだ。
 
さて、私にとって、ドイルの霊界通信によって得た情報の中で、
特に、印象的だった言葉をご紹介させていただきたい。
それは、この人生で懸命に努力したり、苦労したりしながら
獲得(開発)した、資質(技能、能力、人格、など)は、
この世限りで終わりにはならないという、嬉しいメッセージ
だった。

“あの世にいけば、自我の成長度が容貌にあらわれる。
老人は、若返るのであるから、女性は老化による美の衰えを
嘆き必要はなく、男性は、体がいうことをきかなくなったこと
や、頭脳の衰えを嘆き必要はないわけだ。

あちらへ行けば、失ったものがすべて取り戻せるのである。”

とした上で、

“技術、文学、音楽、その他の才能は脳の産物ではなく、その
人間の自我の属性であるからには、死後、それを失うという
ことは、その人物の同一性を失うことに等しい。

つまり、全く、’別人となる’ことになる。
それはだから、あり得ない。
死後も、’個性が存続する’ということは、そうした才能も
存続していくことを意味する。”(引用以上) 
 
 
このことが事実ならば、どんな状況になっても、いくつ
歳を重ねても、常に、人は生きがいを、見出すことに、もっと
一所懸命になるだろう。

死後も引き継がれていく、自分を磨くために、”向上心”と
”目標を、持ち続けていられるからだ。

ドイルは霊的徳性の資質について、次のようなメッセージを
受け取っている。

“無欲性と忍耐力、霊性に富むものは、地上と同じく、魂の
が高いということを示す。” 
 
そして、
”それは、霊界入りする以前の、地上での幾多の苦難の
体験によって、培われていることが多い。”

 苦労続きだ~とため息をついている人は 少なくない。
’いつまで、この状態が続くのだろう’と、経済苦、病苦、
不運を嘆いている人も多い。

が、それこそ、永遠に続くものではないということ。
そこで鍛えられた、強靭な忍耐力や理解力は、死後の
異次元の世界では、高く評価される、その人の徳性に
なるという。
無駄な労苦は、一つもないということだ。
 
参考)”The Vital Message by Arthur Conan Doyle ”(1919) 
Psychic Press Limited 23 Great Queen Street, London,
 WC 2B 5BB, England
本文(ドイル言葉)引用部分: 
”コナン・ドイルの心霊学” 新潮選書、コナン・ドイル著、
近藤千雄翻訳 1992



********************
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ドイルの交霊会の真実性への意見

2023年09月13日 | 健全生活のために”死”の常識を反転


著名な科学者を交えた交霊会  2023年9月13日
**********************

ドイルが私たちに残した、スピリチュアル的な功績は二つある
と思う。
一つは、’魂の不滅説’であり、もう一つは、すべての宗教の基
にある、‘普遍的原理’ への提言だ。
 
*今日は、最初の、魂の不滅説について・・
 
ドイルは、多くの霊媒を通して、亡くなった魂と、霊媒
エクトプラズムを利用して交霊会で会った。
その時、亡くなっている霊たちは、現世で生きていた時の
肉体をまとっていた。
ドイルは、自らの著書(①)に、その実験時の、霊体写真を
公開している。
 
が、そのようなことを公言するには、はばかれる風潮があり、
科学的ではないと一笑された。
社会的知名度があればあるほど、その風当たりが強かった。

そうした偏見を少しでもなくすために、ドイルと、心霊学会
メンバー達は、当時の科学界の重鎮を占める学者達に、
ある誘いを もちかけていた。
自分たちの実験会に、彼らが、オブサーバーとして参加して
科学的実験であることを、証明してもらうためだ。
そして、その霊的実験の結果を共有してもらうために。

しかし、なかなか、快く応じてくれる科学者はいなかった。
 
ドイルは自著に書いている:
“ウィリアム・クルックス博士は、王位協会(英国学士院)
事務局長のジョージ・ストークス卿に、博士の研究報告書
を、協会機関紙に掲載することを頼んだ。
が、それを拒否されたので、ぜひ、一度自分の実験室へ
来て欲しいと要望した。
しかし、ストークス卿の。拒否する態度は変わらなかった”

 
しかし、なかには、霊的実験会の参加に応じた著名人たちもいた。
ドイルによれば、
“まじめに心霊現象を検証して、是認した学者は50名を超える。
その中には時代を代表する顔が少なくない。”(*1)
 
こうした実験会で行われる交霊は、’胡散臭い心霊現象’という
イメージは、当時も今も、あまり変わらないようだ。

これに関して、ドイルは次のように、語っている:

“その真実性の証拠を、どこに求めるのかといえば、それは、
その通信の内容を検証する以外には、なんの手がかりもない。

端的に言えば、霊媒が知っているはずがない、プライベートな
ことを述べていることが、最も有力な証拠である。
それをテレパシー説=霊媒が出席者の心の中から読み取って
述べた、などという、飛躍した説で、片づけるべきではない。
 
 さらに続けて・・

“スピリットからのメッセージの中に、自分たちの世界のこと
ばかりではなく、地上世界についての正確な情報も含まれている。

地上世界の事情に通じているものが、自分自身のいる【霊の】
世界について、間違ったことを伝えてくるということは考え
にくい。” 
 
と述べて、さらに続けている:

“無数の霊能者を通じて、届けられている情報に驚くほどの
共通点があるということである。

‘正真正銘’のレッテルを貼る、審査基準というものは、存在
していなくても、人間の常識的判断基準に照らしてみたとき、
そのすべてにかなっている。”

一方、すべての霊的実験会が、完璧ではないことも認めて
いる;
 
“すべてが成功だったわけではない。
完全な失敗に終わったケースもある。
が、その失敗の数は、全体の割合からいえば、英国の
公衆電話の故障の回数よりも少ないといっても、過言では
ない。” 
 
ドイルは、
“これだけの事実を前にして、なお死後の存続を否定する
には、そうした事実を歪曲するか、無視するかのどちらか
でしかない。” とも述べている。




①”The Vital Message by Arthur Conan Doyle ”(1919) 
Psychic Press Limited 23 Great Queen Street, London,
 WC 2B 5BB, England
本文(ドイル言葉)引用部分: 
”コナン・ドイルの心霊学” 新潮選書、コナン・ドイル著、
近藤千雄翻訳 1992


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