自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

意識の飛翔(4)スピリチュアリズムって?

2024年10月11日 | 自然治癒力とヴェーダ哲学の関係



霊的とスピリチュアリズムとは何が違う?
**********************2024/10/11

Shrirum Sharma (シャルマ)Achariya は、
現代のヨギの一人ある。


ヒマラヤで修行し、その麓の地、ガンジス川の
岸辺にアシュラム(道場)を開き、多くの修行者が、
短期間なり長期間なり、都合に合わせて様々な
瞑想の行を中心に世界中から集っている。


私も、何度かその地に訪れ、ご指導をいただいた。

今では、創設者シャルマジは幽体となり、肉体を
脱いでしまわれたが、多くの弟子たちが忠実に、
シャルマジの残した教えを継承している。


さて、シャルマジはその著書*(1)で
スピリチュアリティについて次のように、
語っている:

Evolution of the soul is always show and gradual.
It takes time and needs endurance coupled
with persistent efforts.


One must not lose his patience if it takes a
few rebirths to cleanse up the evil sanskars
(intrinsic impressions in the inner self)
accumulated over in the previous births
traversing through ’84 lack yonis’(numerous
life forms).



一行目に、
‘魂を変えようしても、それはゆっくりと
少しずつ変化が現れるものであって 時間がかかるものだ。‘

と述べている。

だからこそ、“忍耐とたゆみない努力”が必要とされるという。

第二節のはじめでは、
時間がかかるものというその単位は、
~時間というものではなく、‘何度も生まれ変わる’ほどの
覚悟が必要だ
という。 



うして、心の中にインプットされた悪が浄化される。 

その悪はどのぐらいの間に積もり積もったものか?

シャルマジは‘’84 lack yonis’(numerous life forms).’
と表現している。
途方もない時間だ。

数知れない生態系の中を何度も生まれては死に、
微生物から植物、動物、人間にと輪廻を遂げてきての、
地球がたぶん創生された時代からのお話のように伺える。

私たちの魂は初めから人間だったとは限らない~と
インドでは考える。


私自身も、今の私の意識のはじめは”鉱石”だった
ような気がすると、以前ブログに書いたことがある。



石、植物、動物、昆虫、?? 

本当に魂といっても、様々な形で、この世に生まれ 
意識を重ね、体験を積み上げ、輪廻転生の輪(サイクル)
から逸脱できる’大覚の智慧’を持つことができる、と、
考えられているのだ。

印度の大師は よくこういう話をする。 

それは、私たちが今‘人間’というフォームで現世に
生を受けて、それは、ほぼ、考えたら奇跡に
等しいのだと。

その意義をよく考えてほしいと。 

漠然と過ごすにはあまりにも、もったいない、
奇跡であるのだから、今こそ ‘自分の魂’は?
と内面を見つめてほしいと。

なぜなら、それができるのは、人間の‘特権’だからだ。


人間として生まれてきた‘特権’として、そうした
抽象的で哲学的で、宇宙や大自然との関係、人が
人らしく生きる意味、愛とは、智慧とは、無私とは、
奉仕とは、などなどを考えることができるチャンス
なのだから~と。


さて、シャルマジの話に戻ると、そうして、自分自身
の中に積み重ねられてきた‘悪’を浄化するために、
輪廻転生を繰り返して、私たちは今ここに生きて
いるが、それほど、魂の質を上質に替えることは、
時間がかかる作業であり、真摯な努力と忍耐が必要だと
いうのだ。

これが彼の言う、スピリチュアリティ―である。


つまり、魂を昇華させ、より高い次元へと変容
させること、その一連の、心の流れと意識をこう
呼んでいるのだろう。


印度の大師達は、だから、霊的なことを
スピリチュアリティ―とは 決していわない。


霊視や霊能者、霊的にまつわる、お清めやお祓い、
幽霊と意思疎通したり、空間から物質を出したり、

物を瞬間移動させたり、そういうことと、
スピリチュアリティとは無縁である。

スピリチュアリズムとは一線がひかれる話である。 

スピリチュアリティ―とは、シャルマジが上記で
述べているように、いかに魂を本質的に
変革させて高次元に高めていくか~その関連で使

われる言葉なのだ。


その意味では、時としては、宗教者はスピリチュアルな
探究者と言えるだろう。 


神を求める真摯な求道者や、神と一体になろうと
修行するヨギ達
は言うまでもない。

しかし、最近、私はシャルマジのおっしゃるご意見と
少し違う考え方をしていることに気が付いた。


スピリチュアルに生きるというのは、もっと、
自然体なのではないか?ということだ。

気張らなくても、気張っても、人の本質は、
ある一定の聖なる神の資質と智慧を
兼ね備えた魂の投影されたものだと思うからだ。 

それに努力して近づこうというより、それを
思い出すためにはどうしたらよいかと
いうアプローチをしている限り、力まず、
自然体でゴールに近づくことができる
のではないか?

確かに、数知れない生まれ変わりを余儀なくされる
人の魂も存在するだろう。

が、時間というのは、この世のもの。 

もし、その人が‘解脱したい’ と願ったとき
には、それは半分以上成就したものだと思う。 


そう願うときが、どの次元においてであっても、だ。 

幽体時でも霊体時でも、あるいは、地球上で肉体を
もって生きているときでも、その人が より高次の
意識の高揚を、発願したとき、すでにゴールは見えて
いるのだという気がする。


解脱にはある意味時間があって、ないようなものだ。 

解脱(意識の高揚)は 瞬時の次元の超越でもある。

ある意味、その時は 一瞬のうちに変容ができるのだ
と思う。

変容を遂げた人には、時間は存在しない。 

多くのヨギ達が極めて長寿を持っていることを
考えれば、それは事実だろう。 



最も、彼らはほとんど、下界に降りてこないから、
知る人ぞ知る存在であるようだ。 

なん百年も生きているヨギは現代でも実存するのだ。

話を戻すと、そうした遠回りをした人は、つまり、

いろいろな生を生まれ変わってきた人は単に、
そうした、さまざまな体験をしたかったからだと
考えることはできないだろうか?


往々にして、苦しみや悲しみに満ちた人生が
多いのかもしれない。

が、気を楽にして考えれば、彼らがその体験を
望んだから、体験の場を創り出し、ある意味
楽しみながら、その時間を
享受したと考えたほうが、自然だ。

苦しみに満ちていても、それはそれで、やはり、
私たちの潜在意識の奥底で、願っていたこと
なのだろう。

その苦しみがあったからこそ、次のステージが
来ることを、私たちは知っているのだ。


それは時が過ぎてみれば その苦しみや悲しみを
通り抜けてきた意味 や意義がわかるときが来る
のだろう。

そう考えると、単に私たちがスピリチュアルに生きる
ためには、そう(スピリチュアルに)生きよう という
発心があれば、それで良いのだという気がする。 


勿論 満足する段階にいたるまでは、時間は
かかるように見えるだろう。

が、すでに、私たちは、もう、スピリチュアルに
生きている存在なのである~

無意識であるにせよ・・・誰もが、スピリチュアルな
本質を持っている・・

と信じている。

*******************



*1~”What is spirituality?"
Gayatriteerth Shantikunj, Haridwar ,2010


 
無料写真自然風景 に対する画像結果
月はスピリチュアルのシンボル的意味があるようです。
 
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とっつきやすいスピリチュアリズム;

2024年09月28日 | 自然治癒力とヴェーダ哲学の関係



世界的デザイナー コシノ姉妹の母上の言葉  2024/09/28
****************

二回に分けて、”チベットの死者の書”をほんの、触りの
触り部分のご紹介で終わったが、スピリチュアリズムの
触りでもあるように思う。

スピリチュアリズムとは何か?

私たちの持つ、潜在意識 現在意識、の二つの意識を超えた 
もう一つの意識が”触る”ところが、スピリチュアリズムと
いえそうである。

もう一つの意識とは、超越意識=super conciousness 
のこと。
この意識がスピリチュアルに興味ある人の特徴かもしれない。

なぜなら、その資質によって、イデオロギーや、宗教を超える
ことができるしエゴ意識=小我と大我意識 の使い分けが
自覚できるからだ。 

今まで、”これが自分である”と 思っていた意識は 
ほとんどの場合、小我 に属していたと気が付く。

だから、”自分と思っている自分を観ているもう一人の
自分” が 超越意識 と言えるだろう。
*****************

人が、娑婆世界でスピリチュアル的かどうかを
判断する場合、以下のような 指標がある:

・真の自我(大我)の自覚が芽生えているか?

・大我を観念的ではなく(現実生活に生かすように)
とらえているか?

・大我は完全円満調和のエネルギーであることを
感じているか?

・娑婆世界に見えるものの中で究極に残るものは、
大我に基づいた意識であることを信じられるか?


エゴ意識は、感覚機能で 見えたり感じたりする
物質を ”認める意識” でもある。

どういうことかと言えば、小我の意識は 見たり聞いたり
して 脳に送られた対象を ”見えた通りに、存在する
と認めるということだ。

だから、自分の体も、病気も、お金も、美味しい料理も
”存在するもの”として認める。

が、スピリチュアルな観方を付き進めていくと、肉体次元
でそうは、感じていても、第三の眼が、それを砂上の存在
として、見つめていることを感じる。

第三の眼は、誰もが持っているのだが 超越意識と共に
開いていくようだ。


第三の眼は、知っている。
五感の感覚ほど疑わしいものはない~と。

現に今、地球はものすごいスピードで動いているにも
かかわらず、私たちの五官は、それを察知しない

感覚機能は結局のところ、本当の姿をつかむのには、
限界があるということすら わからない。

だからといって、感覚機能と、エゴ意識を軽視する
ことはできない。

なぜなら、五感の感性と、それをもとに生まれるエゴ
意識がなければ、地球上で普通の生活をするには、
支障があるだろうから。

同時に、普通の生活(生老病死と四苦八苦)の中で、
スピリチュアル的な人は、その感性を超越したいと願う。

なぜなら、生老病死より 不自由な状態が、恐怖と自分を
限定して執着に束縛する状態だと、知っているからだ。

その状態にいる限り、現世的な苦しみや悲しみ、絶望や
恐怖から自由になれないと、思うからだ。

本来の魂の姿に戻る事、それが、大我の自覚に変える事だと
スピリット(魂)は知っている。

誰もが、知っている。
なぜなら、誰もが、スピリットだから、本質は。

本来の魂を自覚するために、インドでは、古代から様々な
行があったが、現代にまで伝わる、ヨガ行は、今でも
ポピュラーといえそうだ。

ヨガには、以下のような種々の分類がある。

(1)  ハタヨガ =  

アサナと呼ばれる身体の体系化されたポーズを
とりながら行う。

目的は肉体浄化、コントロール、深い瞑想に
適した内面の整合化など。

(2)  カルマヨガ = 

結果にこだわることなく、
他者への奉仕を、自身のアートマに向き合いながら行う
行(ぎょう)。 

自分が成すのではなく、神のために、神に対して
行っているという意識を要求される。

(3)  マントラヨガ = 

ジャパ といわれる、数珠(じゅず)を数えながら、
一定の回数だけ、神の名前を唱えたり、マントラを
唱えたりして、自分の意識を自己の本質に近づけていく行

(4)  バクティ ヨガ = 

すべての創造物、
身の回りの物に神聖な愛を見出すよう献身的な
自己(小エゴ)の服従を心掛ける行

(5)  ギャーナヨガ = 

アートマの智慧を知り
自己の中の無智と無明から脱し、輪廻のサークル
からはずれられるよう、解脱を目的とした真の叡智
を身に着ける行

(6)  ラジャヨガ =

紀元前2世紀にはじめられたといわれる、ヨガの王道。

パタンジャリ聖人によって確立され、今まで述べてきた、
ほかのヨガのエッセンスをも含蓄した行
*****

スピリチュアルといわれる行は、数々あるが、たぶん、
上に書いたヨガの行法でも、無意識に、そうした意識を
日常生活に生かしている方は少なくないと思う。

最近、’徹子の部屋’にゲスト出演していた、コシノ ヒロコ
ジュンコ、ミチコの三名の、世界的デザイナーの言葉が
心に残った。

”うちのお母ちゃんは、ほんまに、聖書の言葉を大阪弁ふうに
いつもいっていた。
もらうより、上げる方が、うんと幸せだって・・・”

つまり、ヒト様から自分に何かを、してもらうことより、
ヒト様に、自分の方から、お役に立つように何かをすることが
本当の幸せだと、子供のころから教わってきたという。

これこそ、バクティヨガの手法でもあり、スピリチュアルな生き様
だと、心から思った。
それを守っていらっしゃる三人姉妹と、お見受けした。

コシノヒロコさんは、86歳というのに、特にお若い。

妹さんのジュンコさんも、ミチコさんも、同じく、活き活きと
80歳に近い年齢とは到底思えない。

まさに、ヨガを体得した、年齢を超越したヨギのようだと
しみじみ、そのお姿を拝見しながら感じた。



 
 

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不名誉の長生きより、名誉ある死を・・

2024年01月10日 | 自然治癒力とヴェーダ哲学の関係

“赤穂浪士とアルジュナの軍” 
*******************
前書き)
昨年12月18日の記事からの続きとなります。
ここでのお話は、ヴァカバッド・ギータの中にあります。
ギータには、世界最古の哲学といわれるヴェーダ哲学の真髄がクリシュナ
(当時の王族であり、ヴィシュヌ神の化身とされる)の言葉に 詰まってます。

これから、御紹介するところは、ギータの2章です。 
 背景からお話いたしましょう。
ここは、戦場です。
親戚同士の闘いが控え、緊張するアルジュナがいます。
彼は総大将にもかかわらず、これから繰り広げられる、親類縁者の殺傷を
想うだけで、士気がなえていくのでした。
そこで、自分のチャリオット(騎馬車)に同乗するクリシュナ(神)との、
会話が繰り広げられます。

敵陣には、自分の親類や師匠などの面々の顔が見えます。 
彼らに、刃を向けることに ますます罪悪感がつのっていく、アルジュナでした。
すでに、アルジュナ心は萎えて、戦う意欲を失っていきました。
***********
話は一転しますが、日本では、赤穂有浪士の敵討ちの話が、歌舞伎や舞台で
いまだに演じられているのはなぜか?
今日ご紹介するお話は、そのヒントにつながるような気がいたします。

さて、話を戻して、アルジュナは、敵陣にいる、尊敬する人たちに弓矢を向ける
ことに、心を痛め、クリシュナにこう、質問します。

”クリシュナ、教えて下さい。
かにしてBhishma Dhronaといった、自分が敬愛してきた人たちに
弓を射ることができるのでしょう? 

物乞いの人生の方が、よっぽど尊敬する師を殺すより良いほどだ。
師を殺め、そのあとに得る世俗的喜びは結局、その血で台無しになるのです。

歓びなど、考えることすらできない。
彼らが、われわれを負かすのか?
われわれが、彼らに勝つのか?

どちらが良いかなどわからない。
が、生きていてほしくないDhritharashtra家の兄弟たちは今、目の前に闘おうと
立ちはだかっている。

クリシュナよ、師に対する同情と、何が正義かわからない私の心は、あなたに
頭を垂れます。
あなたの意見に従います。
あなたの弟子として私を受け入れ、私を導いてください。

確信の持てる、確固たる善き行いを教えてください。
天使の住む世界、敵のいない豊穣な世界を治めたとしても、今の悲しみと不幸を
もたらしている感情と、心の問題を解決することはできないでしょう。”
248節)

その言葉に応えて、クリシュナは言います。
 
“まるで誇らしげな学者のような語り口だ、アルジュナ。
しかし、汝は、悲しむべきでない事を悲しんでいる。

真理を学ぶ者たちにとって、生きとし者へも、死んだ者へも、悲しみはない。
そのわけは我も汝もいかなる支配者たちも、’死ぬ(non-existent)’
いうことがないからだ。

ご覧。
この肉体の中に、子供時代、壮年期、老年期に至るまで一貫して、人生を
楽しむ“居住者(in-dweller” が存在しているのを。

肉体が滅したら、その居住者は古びた体を棄てて、他の体に移り住む。 
だから、智慧者は身体の変化やその経過に煩わされることはあり得ない。”
21113節)

さらに クリシュナはアルジュナに向かって、言葉を続けます:

Kunthiの息子、アルジュナよ。
感覚器官は自然な働きとして、感覚で判る対象体に、触れる。
感覚は触れたことで、冷たさ、熱さ、喜び、悲しみなどの感情をもたらす。

この感情は、来ては行き、顕れては消える。
移りゆくものだ。

アルジュナよ、不屈の精神を抱け、そして耐えなさい。
アルジュナよ、汝は優れた者だ。

覚えておくが良い、
人生の喜びやみじめさが汝を煩わせ、心を占めることはない。
優れた者は智慧を生かし、変化の中に恒常性を見出す。

そういう者だけが、常に幸せにみちた者といえる。 
真理を理解したものは、見られる側と、見る側の二つの見方の結末を
体験するのだ。”(2141516

 

次に、クリシュナは、意気消沈しているアルジュナに兵士の徳を説き、
この闘いが世の中のために、大いなる意味があることを諭すのでした。

swa-dharma(人類幸福のための行い)の観点からしても、何も傷つく
必要はないのだよ。
なぜなら、軍人は社会の秩序と平和を守ることほど、大事なことはないからだ。

好運な軍人だけが、そのような天に通じる道を開くような闘いに、参戦できる。
この闘いこそ、賞賛に値するもの、それに参戦しないことは軍人の責務を
放棄し、罪をつくることにもなるだろう。

汝のような誉ある人間にとって汚名をつけられることは死より始末の悪い
ものではないか?

素晴らしい軍馬車の兵士たちは 汝が恐れから闘わないのだと考えるだろう。
過去のそんな汚点を残せば、人の噂話の種になるだろう。
敵軍は汝のヘッピリコシを嘲笑し、卑劣な罵倒を浴びせるだろう。 
それ以上に胸の痛むものがあるのか?

もし、この闘いで敗れ殺されても天国に到達する。
勝てば、この世を支配し現世を楽しむ。 
さあ、立ち上がって、闘いに挑む決意を今こそなせ“23137

赤穂浪士との関係?
紫色で書いた上の数行をもう一度、ご覧ください。
この言葉は、そのまま、赤穂浪士たちへの、言葉のようです。
つまり、赤穂浪士たちは、主君のために、大義名分を果たし、汚名を
後世に残さず、吉良上野介の主君への慇懃無礼な態度を、世の中に知らしめ
忠実忠誠な、武士魂の名誉を得たわけです・・・

これこそ、クリシュナのいう、名誉ある死です。
それをもって、武士の何たるかを、世に示したことは当時の武家社会の人々
の心を、打ったのだろう・・と思います。

そして、潔い散り方、死への恐れより、汚名のまま恥をさらした浪士として
生きるよりは・・討ち入りをする・・という大石内蔵助の総指揮官としての
覚悟が、アルジュナの闘いに挑む覚悟と、似ているのかもしれません。


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なぜ、今、私たちの本質(アートマ)を知ることができないの?(2)

2023年12月24日 | 自然治癒力とヴェーダ哲学の関係
あの世に行って、”すべて良し”の意味    12月24日 2023年
**************

前回の続きです。
何故、アートマ意識を、娑婆世界に生きている私たちは、感じられないのか?
という疑問です。

ヴェーダでは、こう説明しています。
その理由は、肉体を持っている間は、この真実を見る眼が、二元論という常識
(二つの対照的な事象は存在するとする考え方)に、おおわれているからだと
いうのです。
 
ところが、肉体を去ったとき、誰にでも、忘れられた感覚が呼び戻される
ように、アートマ意識を体感します。
何故って、本当の自分の本髄は死後も継続して、残っているからです。

その時、あちらの世界の 光に満ちた愛の温かさと安寧を実感できるといいます。
私も、貴方も、それを体感しているのですが、この肉体を持っていると、まるで
記憶喪失のように、忘れ去られているだけですが・・・

このことは、体験者(死後の世界から戻った人たち)からも、聞いています。

さて、クリシュナが説くには、死んだ瞬間、その時、敵も味方も存在しないので、
相手も自分も光の中にいると、実感するそうです。

そして、肉体世界に生きていたときのそれぞれ、憎んだり、憎まれたりした
演じるべき役割をねぎらう気持ちになるといいます。

ギータの最後の最後、つまり、闘い終わってあの世に行った兵士たちが、役割
を地上で果たした同士として肩を抱き合うともいうシーンも描かれています。

次の場面は、アルジュナが闘いに挑み、へっぴり腰になり、弱気になっている
のでクリシュナが声をかけるところです;

”だから、アルジュナ、この闘いに従軍せよ。
或る者は、我々の実質が相手を殺し、殺されると思うが、それは真実を知ら
ないからだ。

我々の内奥に住む実質、これをthe Atoma(アートマ)とよぶが、殺されたり、
殺したりするものではない。

アートマは生まれたこともなく、死滅することもないから、〝無い”という
ことはない。

太古の昔より存在し、今この瞬間にも存在している。

たとえ肉体が殺されても、アートマの消滅はない以上、一体、誰が殺す者
で誰が殺される者になるのか?

われわれの本質は、この古くなった肉体を棄て新しい服(肉体)身に着け
ながら存在している。

武器によって破壊されるか?
火によって燃やされてしまうか?
水に湿ってしまうか? 
風によって乾いてしまうか?

この実質的存在は切られたり、焼き尽くされたり、ぬれたり、乾いたりはしない。 
破壊されることがないのだ。
常に存在し、あらゆるところに、確固として存在している。

五感感覚を超越しなければわからない。頭で理解するには無理がある。
何にしても、変化衰退、無常なものではないのだ。 
これを良く理解すれば、(戦いを前にして)意気消沈することもないだろう。“
21725) 

こうしてアートマという実態が少し、垣間見るように、クリシュナから
教えられます。
変化衰退、無常な世界に生きている、私たちには、この肉体的感覚で
捕らえることはできません。
でも、自分の中にある、アートマを見据える訓練を、日頃していれば、誰に
でも、その意識と共に、無常世界を生きることは可能なことです。

特に、健康増進したいかた、薬を減らしたい方、には、この内観をお薦め
いたします。
誰にでも死期はあります。
それまで、健康に生きていたい、ならば、自分のアートマを良く知ること、
が、一番の秘訣であるのだと思います。
そのあたりを、もう少し、詳しく、次回、お話させていただければと
思います。



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自然治癒力とアートマと、クリシュナの関係

2023年12月18日 | 自然治癒力とヴェーダ哲学の関係

健康とアートマ 2023年⒓月18日
*********************************************
数回にわたり、ギータのお話を書いています。
体調を良くしたい、風邪をひきたくない、自然治癒力を理解したいと、
それぞれの目的で、このブログを開けてくださっている方たち・・

インドの神様の昔話は、関係ない・・と思わないでください。
特に”アートマ”のお話・・
実は、これが、私が、人間界でいうところの、老年にあたる現在まで
薬も飲まず、自然治癒力で、活動的に、元気に、過ごしていられる、
大きな秘訣なのですから・・・

でも、しかたありません。
日常の中で常住不滅な、アートマの存在を自覚することは、数千年前から、
現代にいたるまで、なかなか難しいものだからです。

紀元前5千年前に、クリシュナはアルジュナに応えた言葉がそれを物語って
います。

“真に内在する本来の自己、つまりアートマを不思議な想いで見る人もいる。

不思議な想いで語り、その言葉を不思議な想いで聞く人もいる。
が、誰も、それを本当に知っているものはいない。

アルジュナよ、アートマと呼ばれる、総ての人に宿る真の体の居住者は
死なないのだ。

だから、汝も、肉体に所属する事項に関して、心を破られる思いをすることは
ないのだよ。”(ギータ 2章29~30節)


この言葉は、現代にも まさに、通用すると思います。

アートマと聞いても、ほとんどの方たちは‘自分には関係のない、’観念’として、
興味ないものをしまう引き出しに、放り込むでしょう。

でも、私には、それが、”自然治癒力”を発揮させ、心身ともに、健全で、若く
いられるための、現実的で、一番大切な、“薬”に思えるのです。

まぜかといえば、アートマを知ることで、心が”わずらわしさ”から飛躍できる
からです。
飛躍できれば、心は、解放されて、そこで、身体は、自由になり、本来の治癒
(免疫力など)が活性化するのです。

誰でも、多かれ少なかれ、問題をかかえ、”わずらわしさ”に、心をひきつけられ
悶々としているものです。

周囲の状況、他人の言葉や態度、仕事やその環境の不具合などに、五感(肉体
的感覚)は敏感に反応し続けています。

でも、肉体を越えた、アートマに意識を持っていけば、そんな煩わしさも、
サーフィンのときの波のように、ゲレンデの急滑降の道のように、スポーツ的
なチャレンジ対象とするような、余裕を持った、違う観方ができるでしょう。

自然治癒力は、本来、人に備わった、生命力の発露です。
そして、生命力は、人の本然(ほんねん)である、アートマが支配していると
いっても過言ではないから、アートマ意識を持つことで、生命力が活性化して
身体の不調も自然(知らない間)に改善され、心も前向きになるわけです。

ギータは、実は、アートマ世界と、現象(肉体)世界の象徴的闘いのお話です。

盲目の王、ドゥリタラシタラが登場します。 
この王は、眼が見えない分、他の感覚器官が発達して、この世の楽しさと
快楽に傾倒しました。
この王の一族と対峙する、アルジュナ軍。

アルジュナが属する、パンドゥ家、のPANDUはサンスクリット語のPANDから
来ていて、“白い、純潔な”を意味してます。 
クリシュナは、アルジュナの純粋で、クリシュナにすべての統御を全宅する心に
応えて、共に戦う騎馬車に乗り込み、彼の、御者を務めたのでした。

“私たちの人生もこれと同じようもののだ”とギータは暗黙に教えています。

人生行路の馬車を操っているのは“クリシュナ“であり、クリシュナこそ、
アートマの象徴でもあるからです。

アートマを知り、理解して、自分の中の、アートマ意識に、託するとき、
人生行路は、最も、自分に適した道を選びながら、進んでいくことでしょう。
五感(肉体的な現象世界)に右往左往して、悶々としながら、回り道したり、
迷い込んだりせずに、すむでしょう。

そして、何より、心身健全に、楽しく、明るく、前向きに、進む自信が
生まれるのだと思います。


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