脳の閃光=大気圏の稲妻 2014・7・31
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脳の働きに脳のシナブス回路と呼ばれるものがある。
専門ではないので詳述は避けるが、この回路は電流が
流れており、一種の閃光がみられると言う。(*1)
私たちが”考える”というとき、この”回路の中で反応”
が起きているというのだ。
先回のブログでお話しした、宇宙の意識 という
第7の意識に共調するとき、頭の中の閃光は、大気圏で
起きている稲妻の光と本質的には変わらないとさえ
いわれている。
想像していただきたい。
宇宙にも “わたし” という感覚があり、それが、“想像”
したり、“創造” のために 私たちが日常、考えるという
同様の働きがあるということを。
前出のチョープラ博士は言う。
“宇宙が考えるから、私たちも考える”と。
もう少し平べったく言えば、
“宇宙のもつ、意識が、私たちの中の意識に滲透している”
という言い方もできるだろう。
つまり、宇宙の思考と 私たち本質の考える思考とは
波動が同じであると チョープラ博士は考える。
宇宙の意識と我々の脳裏によぎる考えとの共通性って?
この場合の意識は昨日までの話しの中の言葉でいえば
高次元 あるいは第五意識層以上の意識、自分の心を
コントロールできるという段階に至っている場合に
言えるのだろう。
その意識の中では
自分の周りに起きるすべては 一過性の現実に
とらわれる’小我’にどう対応すれば、高い意識を
維持できるかということを知っている。
例を言えば、
1)何も悩みのない人がいるとしたら、悩みが
無いのではなく、心に浮かぶ、くよくよした感情
に捉われない意識。
2)何も体の不調を気にしない人がいたら、その症状が
どうであれ、痛みや熱などの,不調と受け取られがちな
状況は 体の自然調整が働いていて、正常に戻る過程で
あると捉える意識。
3)他者に対して親切で、どんな相手でも苦手と思わず、
楽しくお付き合いできる人がいるとしたら、相手の欠点が
解らないからではなくて、自分自身の中で不満を
プラス思考に持っていける意識。
4)悲しみがあるのに、笑顔を見せられる人がいるのなら、
全く悲しくないからではなく、どんなに悲しくても、感情は
一過性のものであり、雲のようなものだから 時とともに
消滅すると達観できる意識。
5)自分を誤解している人にも臆せず、変わらない友情を
示すことができる人がいたら、空気が読めないからでは
なくて、自分と相手が同じアートマの資質を共有して
いることを信じれる理解の深さ。
こうした意識を持つことによって、
自分の周りに起きるすべてを、一過性の現実として
受け流し、心のバランスを保ち、正常心を失わないだけ
の術(すべ)、言い換えれば、自分自身の一時的な
感情の声に、どう対応するかが解るのだと思う。
話しは飛ぶが、正夢と 呼ばれる夢がある。
夢で体験したことを 後日 現実に体験する。
そのからくりは、自分の強い想念で造りだした形を
取っていない世界が、現実世界に投影されて現実化
するのだという。
想念はエネルギー。
エネルギーは力。
そのエネルギーと同質のものを引き寄せるという法則が
あるのなら、自分の周りを形成する、人や環境は、
自分の想念に引き寄せられてきているともいえる。
喩えれば、現実生活で、演じている舞台(環境設定)、
登場人物の所作には演出家がいる。
その演出家こそが、自分自身の想念 ということだ。
芸術性を高め ロングランを続ける舞台とするためには、
自分の意識を 第一レベルか、第二レベルか、それとも、
第五、第七、どの次元に合わせるかによって、決まる
だろう。
その設定は 今の人生、監督である 自分自信で
選ぶしかない。
私は最近、誤解の連鎖 という体験を味わった。
ある人に、何を言っても真逆に近い意味合いで
とらえられるという体験だ。
誤解されていると思い、さらに、メールで訴えても、
理解を求めても、増々 ギャップが広がった。
そういう相手が、一人ではなかった。
数人の人達との間でこうしたことがほぼ、同時に
起きた。
弁明しようと思えば思うほど、事態が余計、こんがら
その、こんがらがった糸を、ほどこうと必死になれば
なるほど、さらなる言葉が必要になり、その説明に
対してまた誤解が広がるという、精神的にかなり辛辣な
体験であった。
誤解を説明して 相手にいくら理解してもらいたいと
あがいても、こういう時は、言葉はほとんど無力だった。
ここは、一度、理解を求め、押し切りたい心を引いて、
むきになりがちな姿勢をとどめて、冷静に”時と成り行き”
に 事の推移を任せてみるということが必要だと感じた。
宇宙意識とほど遠い、人の執念とエゴのからんだ糸に
意識ががんじがらめに縛られていくのがわかった。
宇宙意識にもどって 周囲を見るとき、壮大なスケール
で、天体がそれぞれの星の周期と軌道を守って動いて
いくように、身の回りも本来、バラバラのパズルの一片
が治まる場所にはめ込まれるように うまく展開して
いくはずなのだ。
あたかも、宇宙の意思が、存在する星それぞれの特性を
保ちながら、調和を保って ”宇宙の智慧”とともに
動いていることを、想いだした。
こんなに こんがらがったのは、相手のせいでは
なかった。
自分の 何かに固執したい習癖、自分流の観方を
相手に理解してもらいたい、という 相手への期待と、
自分のエゴの強さがその原因であることはわかって
いた。
エミール大師が調査団に述べていた言葉が
ここであてはまるだろう。
“何度もこうしてくださいと神に祈るのではなく、
自分の好ましい状態を祈ったら、あとは、神の意思に
任せていなさい。
考えすぎることなく、必要なタイミングで必要なことが
起きて、願いはかなうはずだから。“
宇宙の意思にまかせていれば、必ず、うまい具合にことは
運ぶという宇宙を貫く叡智への信頼を忘れてはいけないと
いうことでもあった。
そして、宇宙の意思こそ、第七の私たちの意識と
共通しているのだ。
だとしたら、為すべきことは一つ。
自分の意識の羅針盤の針をただして、物事の成り行きを
静かに、見守ること。
すべては自分の心の反映鏡だから、自分の心をリラックス
して宇宙の軸の傾きに戻すこと。
チョープラ博士(前出)はそれについてこう語る。
“すべては意識の投影です。
‘人’という個別の存在は実存していません。
私たちが人と呼んでいるのは、一過性の行動パターン
として顕れている無限の意識の一部なのです。“
彼岸と宇宙意識)
日本人は、宇宙の意識を知っているから、
ご先祖様を祀り、大事にするのだろう。
顔を見たことのないご先祖様の墓前で、手を合わせる
ときでさえ、自分の命とつながっている一連の絆を
感じるものだ。
それは理屈ではなく、肉体は別々でも、代々の命を
受け継いで生きている、という実感でもあるのだろう。
生命の連鎖とつながりを大事にする日本民族は、
永遠に魂を受け継ぐという 神秘に満ちた宇宙の
営みを、心の奥底で知っていたのだろう。
お彼岸、お盆 には、故郷に戻って、親類縁者と
一緒に家族の弔いを習わしは、他国にはない。
インドでは屍(しかばね)は プージャと称する
儀式がすむと、ガンジス川などの、聖域の河に
流されるのが常だ。
それが一番天国へ行く救われる道であると古代より
信じられている。
だから、墓という概念はなく、先祖に手を合わすという
習慣もない。
生命の循環と連鎖を敬い、
自然の中に散在している宇宙の意思を見出し、
一粒の露に、大海を想い、
一片の木片に数百年の年輪を重ねた大木を想像する。
高校野球で、惜しくも敗れた選手が甲子園の土を
一握り掴んで、故郷に記念として、持って帰るのも、
選手達の闘志みなぎる心が、甲子園のグランドの土に
反映していることを知っているのだろう。
こうして、土、水、風にいたるすべての自然の要素
に対して、日本人は宇宙の意思(神の創造力)を
見出してきた。
覚者が最後にこう言った。
“癒しはまさに、そこから来る。
全体性を想いだし、命の連鎖に宇宙の意思
あるいは神性を見出すことから始まる。“
お盆と第七の意識、日本人の自然崇拝の意識、
命の連鎖を敬う心、
展開が支離滅裂になってしまったが 最大公約数が
そこにあることを感じる今日この頃だ。
最大公約数…たぶんそれは、日本人の持つ、全体性[和]
の協調意識や命の連鎖[先祖供養]を大切にしてきた、
無意識の宇宙意識につらなる第七意識の特性なの
かもしれない。
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*1)
ニューロンとシナプスの基本構造
(平成24年1月20日 科学技術振興機構(JST)作成)
頭の中の閃光に関して・・・・・
ニューロンは、樹状突起が広がる細胞体部分と、
そこから長く伸びる軸索とで構成され、
ほかのニューロンから受け取った情報を処理して、
ほかのニューロンに伝えていく。
シナプス部分では、神経伝達物質を使って情報を
ほかのニューロンに伝える。(東京大学 大学院薬学系研究科)