自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

エディ夫人と生命力と、般若心経(4)

2023年11月26日 | 健康と直結する”一元論”について

2023年11月26日 生命力を第一義に・・
*************************************

病(症状)が消えると,また再発するかもしれないのに,
私たちは癒されたと思う。

しかし本当に癒されたと言うのには,病気が再発する状態が
根こそぎ,取り除かれるまでは早い。”(*1)
 
このエディ夫人の、言葉。

これには逆説的な意味があります。

つまり、”症状があっても、病気とは限らない”という
ことです。

上の鍵かっこの中の言葉、
”癒された”という意味は、その病が
再発することなく”、完全に原因から根こそぎ治療
されたというのが、エディ夫人の定義です。

すると、現代医学の、対症療法では根こそぎ治療が可能か?
という疑問がわきます。

たとえば、風邪の例をとってみると、その根本原因が
どこか?というより、今の医療では、気管支などの炎症を
まず抑え、症状をなくすことで、治療が完了したことに
なります。

熱もなく、症状が出ていた箇所が、正常に戻れば、
風邪の完治と、なるのでしょう。


ところが、病が癒えた理由は、薬のせいか?といえば、
それだけではないと思います。

普段、健康を掌る”生命力”が、働いた、ことが、症状が
とりあえず、抑えられ、その後、健康になっていく
第一要因でしょう。

生命力がなければ、つまり、亡骸には、どんな薬も
効き目はありません・・・

生命力の神秘は、医学では、まだ、解き明かされよう
とされていないようです。

生命に、本当にメスが入れられていないのが現状と
云われます。

医師たちは、臓器の機能レベルを、正常数値に戻す
ことが、健康のバロメーターとしているかもしれません
が、本当のところ、患者自身の”生命力”が、その人を
健康に導いていく、源だと、私は思っています。

生命力は、細胞の微細な波動レベルの研究が必要です。

”波動レベルの医学”に関して、三上博士(*2)の言葉
が以下です:

”細胞は、原子よりまだ小さい素粒子、さらに 超素粒子
にまで連なっているのです。

人体は原子―分子ー細胞ー諸器官―組織の順で
成り立っていると普通考えられています。

ですが、原子のさらに小さな素粒子、まして超素粒子の
ことなど、医療の対象には考えに入っていないのが
現状です。”

ところが、生命研究となると、医療対象研究では
なくなるのわけです。

三上博士は、その研究が”病の真の原因根絶”のためにも、
必要だと次のように述べています:

”病気の治療は通常、諸器官の段階で診断が行われ、
薬が投与されます。

病気によっては、原子、分子、細胞、それ以上まで
掘り下げた治療手順が考えられなくてはなりません。

だが、そこまで手が及んでいなのです。

徹底した治療、健診のためには 原子より小さい
素粒子、超素粒子までさかのぼる必要があります。

超素粒子の段階はいわゆる、”波動”段階ですから、
全くといってよいほど、手が入れられていません。

このあたりのことは、医学の限界を超えた、手の
届かないものだと考えられているのでしょう。

しかし、このあたりの領域が肝心要(かんじんかなめ)
のポイントではないでしょうか。”


何故、この領域の研究が、必要であるか?
には、博士は、次のように回答しています;

”あらゆる病源は、このあたりの領域で生命体に侵入して
くるからです。”

”このあたりの領域”とは、言い換えると、心の想念波動と、
身体の量子波動が 密着関連しあっている領域です。


つまり、患者の感情波動は、肉体細胞の波動に影響を与え、
ある細菌の波動と似たものだと、細菌は、その肉体細胞
に入り込みやすいと考えられます。

音叉の共鳴増幅と同じ原理です。

周波数が同じだと、音が重なり合い、溶けあい、一体化
して、さらに大きな音が出るのと似ています。

さて、ここで、疑問が出ます。

それは、
”卵が先か? 鶏が先か?です。

この場合、卵は心の波動を比喩しています。

当然、今までの記事で述べてきた、エディ夫人の答えは、

”意識・想念(卵)が、🐤(現象)の前に存在していた”

となるでしょう。

つまり、冒頭の彼女の言葉の中にある、再発を防ぐための
根こそぎ取り外す必要があるのは、現象(病症状)ではなく、

患者の”想念”の中にある、病の真の原因を、知る必要が
あるということになります。


ここで、私は次の、般若心経の経文を思い出しました。

無有恐怖遠離一切顛倒夢想”(むうくうふおんりいっさい
てんどうもうぞう)
意味は、

恐怖心は、本来、人の心で想像されるものだと知り、
ないものだとわかれば、価値観のひっくり返った夢のような
一切の妄想をたちきれる。”

つまり、心が恐怖を手放すと、それによって現れている
夢のような、逆さまな(無いのに有ると感じるような)
現象は、消えるというわけです。

いいかえれば、心が恐怖を手放すと、それによって、あると
思われている病気の症状も、消えていくということになります。


私たちは、毎日、ネットやニュース、さまざまな情報機関から、
無意識に、あらゆる種類の恐怖を心に引き起こし、積み重ねて
生きています。

そして、それによって、”生命力”の噴射を弱め狭めていると
いえるのです。


続く・・・・


*************************
(*1)"Christian Science " 創始者,マサチューセ
ッツ形而上学大学学長で,ボストン市所在第一
科学者キリスト協会名誉牧師の メリー・ベーカ
ー・エディ女史が残した,"Science and Health
with Key to the Scriptures",New York, in 2012

(2)三上 晃(みかみ あきら)(1921年~2004年)                                   
 拓殖大学で中国語を学び、中国(昔の満州)に渡る。
帰国後、広島で県立高校教頭を経て、広島県立廿日市
養護学校校長就任。
「人間と植物との意思疎通」をテーマにした独自の研究
や著作をおこなった。
教職を退いたのちは昭和57年4月日本相対磁波研究所を
開設。
長年の研究を積み重ね「人間の問いかけに対して植物の
意思(Yes, Noのランプ表示)を
読み取ることができる」という機器(LBS-Leaf Bio Sensor)
を開発した。
著書「植物は警告する」や「植物の超能力」等に詳細が
述べられている。
一教員であった著者がこの研究に入ったきっかけや、
植物の「驚異能力を知る」過程は、最初の書「木の葉の
テレパシー」に書かれている。

また、著書の中で、「太陽には水がある」との説を発表。
この説は、当時奇異に感じられたそうだが、その後アメリカ
の科学雑誌「SCIENCE」に「Water on the sun」という
論文発表があり、研究成果の裏付けがなされたという。

著書に ”木の実のテレパシー” ”植物の超能力” 
”植物は警告する”(すべてたま出版)がある。
勲4等瑞宝賞受賞。 理学博士。





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エディ夫人と般若心経(3)

2023年11月22日 | 健康と直結する”一元論”について
 

"恐怖が病を造っている" の現代の体験者  2023年11月22日
***********************

引き続いて、クリスチャンサイエンス創始者のエディ夫人
の言葉から・・・

聖典によれば,病人は決して薬剤や衛生学,
その他いかなる物質的療法によっても,
本当に癒されることはない。

これらの方法は,問題の矛先をそらし,
子供が快適に眠れるよう甘いシロップを与え,
恐怖を鎮める鎮静的な、一時的役目を
するにほかならない。”(*1)
 

”聖典”とは、聖書をさしているのでしょうか?
実は、エディ夫人のこの言葉と同義な教えを
インドのヴェーダ哲学(ヒンズー教の大本)では
述べています。

薬剤や衛生学,その他いかなる物質的療法
よっても,本当に癒されることはない。”

と、いう、インドのリシといわれる、聖者たち
の言葉を集めた本が、想いうかびます。

実は、”本当に癒される”というところが、ミソで、
症状がなくなり、一時的に健康と診断されても、
それが、本当に癒されているのか?_
”再発の心配はないのか?
という疑問が残る限り、本当に癒されていない
のかもしれません。

”本当に癒され”ているのなら、病の本源を断ち切って
しまったわけで、再発はあり得ないでしょう。

これらのリシ達の考え方は、”本当の病の原因は、
私たちの心にある”というのです。

心の中にある、病を表している”何か”を徹底的に
排除するか、あるいは、心持を、次元を超えた
アセンションをするほかない、ということになります。

次元を超えたところへのアセンションとは、
三次元に束縛されている心を、高次元に解き放ち
肉体意識を超越する、という意味でもあります。

エディ夫人の言葉も、このあたりを、ついているのだ
と思います。

つまり、病とか不完全な状態は、私たちの、
心の振り向け方と強い意識で、消える代物だというわけ
です。

それで、エディ夫人は、薬を含む物質療法は、一時的な
”気を紛らわせる”手段だと表現します。

”気を紛らわせる”というのは、どういうことでしょう?

”薬”を飲んだから、”良くなるだろう”と患者の恐れを、
薬によって安心に代替えすることに、ほかなりません。

つまり、心と意識を、プラスに振り向けるスイッチの
役目です。

いわゆる、”名医”と呼ばれる存在。

彼らは、患者との間に人間的なつながり、や、信頼関係
をつくるに足る人格者であったことでしょう。

そういう名医が、患者に、薬を、”これで良くなる”
と言って渡せば 患者に、安心感と自信を与え、
その心持でさらに、”思いは実現化する”の法則どおりに、
良くなっていくことでしょう。

安心感は、なによりもの、自然治癒力の発動に影響を
与えます。

もちろん、名医の出す薬にも、効力はあったと思います。
その効力を、どのくらい、発揮させて、持続させ、
自らの、生命力につなげるか・・というところが、
その名医の名医と呼ばれる手腕だと思います

実際、患者が医師の言葉を信頼して、、’良くなる”確信したら、
身体は、すでに良好に向かう方向に、動き始めています。


さて、ワクチンの効用や効果、副作用など、いろいろと
議論が、出ています。

今までの私でしたら、即座に、ワクチンは打たない方が
良いという結論を口にしていたと思いますが、最近、
少し、変わってきました。


それは、人の自然治癒力は、ワクチンに対しても、
薬の副作用にも負けないだけの、強いものでは無いのか?
という考えが出てきたからです。


以前、インドの実際に存在したヨギ(聖者)のお話を
書きました。

かいつまんでお話すると、聖者に、毒をもった男が
いたのです。

が、毒は、実際飲んだ聖者には効かずに、反対に、毒を
もった男が苦しみ始めたという目撃者の証言です。

聖者がその結果について一言、理由を、こう添えました

”私の身体が、神が創られたという真理を知っていることで、
毒に反応せず、私の心は、すべての者同士、繫がって一つ
いうことを知っているがゆえに、私の代わりに、お前が
苦しむことになった”


そして、もう一つの実例があります。

それは、ゴルフボール大の腫瘍が あちこちにできて、
骸骨のように痩せこけ、首も支えていられないほどの
女性が、二週間ですべての症状が消えた実話です。

彼女の名前は、アニタ ムールジャー二。

医師たちが、死の宣告をだす寸前、あの世に移行し、
そこで、本当の自分の価値を知り、”恐怖が癌を造っていた” 
ことを、深く知り、それを伝えようと、癌で苦しむ体
に 三途の川を渡っている最中に、戻ってきた魂の持ち主
です

これは般若心経でいう、”恐怖”が”顛倒妄想”を創り出し、
その一つが病であるということを、証明してくれている、
現代の実証例です。

 


 
*1)"Christian Science " 創始者,マサチューセ
ッツ形而上学大学学長で,ボストン市所在第一
科学者キリスト協会名誉牧師の メリー・ベーカ
ー・エディ女史が残した,"Science and Health
with Key to the Scriptures", New York, in 2012
(邦題: ”科学と健康” )
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キリスト意識と般若心経(2)

2023年11月17日 | 健康と直結する”一元論”について


無苦集滅度 無智 亦無得 以 無所得 故 菩提薩埵 
依 般若波羅蜜多  心 無罣礙 無罣礙    
2023・11月17
***********************
”むくじゅうめつど むち やく むとく い むしょとく こ
ぼだいさった え はんにゃはらみた こ しん むけげ むけげ”
*********************
前置き)
私たちは本来、健康です。
野生動物が、怪我や不調でも、自然治癒力と智慧で自ら
癒せるように、私たちも、備わった治癒力本能を、もっと
生かすことができるはずです。

本来の自分に”回帰”するために、生命力を発揮できるように、
エディ夫人の言葉と、般若心経の接点を考えたいと思います
*************


”病気という不完全な状態を、真に本当にある(実存)と認めるか
否かで、病気を打破できるかどうか、変わる”と、
エディ夫人は言う。

”本当にある”(実存)とは、般若心経でいうところの、
“不生不滅”の存在をさす。

つまり、現れたり(生)、いなくなったり(滅)というように、
状況によってコロコロと変わる姿ではなく、常に、変わらず
普遍的に存在している、という状態をさしている。

だから、エディ夫人は、”病気は本当にある”と認めることは、
病は、どんな形に変形しても、”常にそこにある”ということ
だから完治させることは不可能になってしまうということになる。

病気が実在するのなら、般若心経の”不生不滅”(” immortality)=
(死なない)にあたり、薬を用いて、病気をなくそうとする努力も、
無意味になってしまうのだ。

しかし、病気は完治したり、好転したり、悪化したりと様々に
変化する。

もし、病気が実存しているのなら、完治したり、好転することは
無いだろう。

ということは、つまり、病は不滅性(immortality)のものでは
ないわけだ。


が、病気は、あらわれている(ように見える)。
何故、本当は無い(実存しない)ものが、現れてくるのだろう?

エディ夫人は、その理由は、私たちの五感の迷い”のためで、
という妄想を現実にしているという。

しかし,もし病気や罪が幻想であるのなら,この滅ぶべき夢,
つまり,幻想(顛倒妄想)から目覚めることが,真の健康と
私たちの本質である清らかさや不滅性に導くのである” 
 
上の言葉をもう少し、砕いてみると・・・

”もし、病気や罪が、感覚諸機関が伝える、一時的な肉体的な
幻影であるとわかればこの幻想を捨てさえすればよい。

そうしたら、私たちの本来の健康や、もともと備わっている
完全性、つまり、神から受け継いできている不滅の生命力を
表すことができる。”

その考え方は、般若心経には、このように説かれる。

無苦集滅度 無智 亦無得 以 無所得 故 菩提薩埵 依 
般若波羅蜜多  心 無罣礙 無罣礙” 

つまり、
苦しみや迷いは 本来、無い。

(現世の)知恵は本当の智慧ではないから、その知恵で真理を
得れるかと言えば、得ることはできない。

だから、菩提薩埵 (菩薩のこと)
=ボーディサットヴァ(梵語原語)
=修行して心の安寧・真理を求める人(意訳)は、バンニャー(般若)
智慧
=人間の知恵を超えた真理に至るための智慧)~に立ち返る
ことで  
心に 何も捕らわれるものが 無くなり、障りが消える。”

この ”何も捕らわれるものが 無くなり、障りが消える”の 
”障り”の箇所に、”病気” を入れてみて、もう一度、ご覧いただき
たい。

先にあげた、エディ夫人の言葉と、重なるかと思う。

ただし、例外もある~。

敢えて、病気がちの身体に、入る魂がある。
そうした慢性的病を持つ 虚弱体質の身体を あえて
生前に選んでこの世に生まれた魂だ。

その場合は、障害を持つ身でありながら、ハンディを
プラスに変える不屈の精神を、この生涯で取得すると
いう、強い目的意識を持っている。

人それぞれ、この世での目的が異なるので、病をもって
生まれても、あるいは、人生の途中で不治の病になっても、
必ず、そこには、その人の魂の本質【神聖な資質)が 
納得している ”使命感”が、あるのだ思う。


**********************
(*1)"Christian Science " 創始者,マサチューセ
ッツ形而上学大学学長で,ボストン市所在第一
科学者キリスト協会名誉牧師の メリー・ベーカ
ー・エディ女史が残した,"Science and Health
with Key to the Scriptures",New York, in 2012
(邦題:” 科学と健康” ) 





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健康と、キリスト意識と般若心経(1)

2023年11月12日 | 健康と直結する”一元論”について


無色聲香味蝕法 無眼界 乃至 無意識界 無無明 亦 
無無明尽 乃至 無老死 亦 無老死尽 

むしきしょうこうみそくほう むげんかい ないし 
むいしきかい むむみょう やく むむみょうじん 

*************2013年11月12日
前置き)
私たちは本来、健康です。

野生動物が、怪我や不調でも、自然治癒力と智慧で自ら
癒せるように、私たちも、備わった治癒力本能を、
もっと生かすことができるはずです。

本来の自分に”回帰”するために、生命力を発揮できる
ように、エディ夫人の言葉と、般若心経の接点を
考えたいと思います


はたして、私たちの感覚は、正確に、情報を伝えて
いるのだろうか?

その情報は、感覚器官(五感)を通して、脳という
プロセッサーでかみ砕かれたものだ。

そうして得られた情報を私たちの’意識’は、”本物”、
”事実”として受け入れる。

その意識が”考え”て、その情報を基に、行動を決める。
 
しかし、もし、その得た”情報認識”が実は真実で
ないとしたら?

真実でない、というのは、”本当”で”事実”と感じても、
実際のところ、本当でも事実でも無い、一種の錯覚
だとしたら?

エディ夫人が”病”が在る、というのは、錯覚だと
いうのも、この情報の虚妄から結論つけている。

”在る”というのは、厳密に言えば、”本当に有る”、
そして、”実在(実存)”ということ。

もし、”病が実存する”のなら、人類は、病を、永久に
根絶することは不可能だろうとも言う。

実存するものを消すことができないからだ。

それは、神という言葉を、人類の言語からなくすこと
ができないのにも似ている。
 
でも、病は確かに存在している。

闘病している人たちにとっては、病は現実に”在る”
のだ。
どうして、それを、“無い”とか、”錯覚だ”とかいう
言葉で片づけられるのだろう?と誰もが思う。

が、その病は良好に癒され、完治する場合もある。

だから、”病は、無い”ともいえる。

病の症状は、不快感をともなう。

が、この“不快”な、という感覚は、もしかしたら、
その症状からきているというより、根本は、その人の、
病への恐怖から来ているとしたら?

具体的に、高熱や、痛み、だるさや吐き気などは、
不快なこの”感覚”は、身体が病に陥る前兆なの
だろうか?

そういう場合もあるかもしれないが、健康な人に
とって、時には身体の自然治癒力が発動して、浄化作用や、
ヴィールスなどを滅する働きを 症状と感じる
場合も多々ある。

インドで16年生活していると、さまざまな修行者に
出会った。

中には、手術を余儀なくされたとき、麻酔を拒否して、
そのまま医師と時折、談笑しながら、手術を終えた
聖者を知っている。


私たちの感覚。

今この瞬間、地球が、とてつもないスピードで動いて
いることは、誰一人、実感としてつかめない。

私たちの五感機能は、それをとらえられない。

犬や猫の嗅覚でさえ、彼らのほうが、はるかに鋭い。

臭いをかぎ、私たちの想像を越えた、より多くの情報
得ている。

嗅覚だけでなく、見る、聞く、という能力は、
野生動物たちのほうが、はるかに優れている。
 
でも、彼らに持ちえない、そして、私たちが、
日頃意識していない、素晴らしい”意識感覚”が、
誰にも備わっている。


その意識を、クリスチャンサイエンス創始者
エミール夫人は、
”キリスト意識”と呼ぶ。

キリスト意識は、他の言葉でいえば、人の本質の
神性意識といえるだろう。

その意識で物事をみれば、宇宙(私たちの心身を
含めた)の実相を知りえる


その意識で””や”不完全な状態”を見たとき、
それらの原因は見いだせないということを、エディ夫人
は、言っている。

なぜなら、その意識で、病気を観たとき、病は無く、
不完全な状態が、その次元の意識の中には、映らない
からだ。


エディ夫人のいう、”病の原因を抹殺する”、という意味は、
”肉体意識”を超えた意識で、病の原因を見たときに、
それはすでに’無いものだ’と、理解できるという意味
だろう

そのとき、すでに、”病自体が無い”から”病の原因も
ない”ということになる。


まとめると、これらのことを、エディ夫人は、
次のように、表現した。(*1)

①”病の原因は神聖なる科学( ChristianScience ) に
おけるキリストによって,抹殺されなければならない。

もしそうでなければ,いわゆる,肉体的感覚
(physical sense)勝利するだろう。” (*1)”
 

般若心経の、”無色聲香味蝕法 無眼界 乃至 無意識界 
無無明 亦 無無明尽

乃至 無老死 亦 無老死尽 ”の境地に匹敵する。

つまり、無色聲香味蝕法”と、五感を"無い”と喝破したうえで、

無明(迷いや顛倒夢想など)は本来、無い(存在しない)
から無明を滅しようということも必要ないし、

老死は、本来、無い(存在しない)から、老死を滅しよう
とする意味もない”という

般若心経のこの意味と、エディ夫人の言葉は、同意だと思う。


”病自体は無いから、その原因を探っても、見当たらない”
というエディ夫人の考え方は、キリスト教も、仏教も、
宗教という枠に当てはまらない、真理のように思う。

 


(*1)"Christian Science " 創始者,マサチューセ
ッツ形而上学大学学長で,ボストン市所在第一
科学者キリスト協会名誉牧師の メリー・ベーカ
ー・エディ女史が残した,"Science and Health
with Key to the Scriptures", New York, in 2012
(邦題:” 科学と健康” より引用)


 
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日常で見るグナの色合い

2023年11月07日 | 自然治癒力とヴェーダ哲学の関係


 三つのグナ特徴色の具体例 2023年11月7日
************************
 
(前回の続きです・・・)
上の絵には、三つのグナの象徴的色合いが、出ています。

左から、赤色は、ラジャス(激性)黄色は準激性、緑色や水色
は平穏のサットヴァ(淨性)、周囲の黒色は、タマス(鈍性)です。

サットヴァの象徴色は、”白色”ですが、ここでは、緑色は、木々の
フレッシュさから準サットヴァ、水色は、海の落ち着きを示すので、
やはり、準サットヴァ的と解釈しました。

花嫁が白いドレスを着るのは、’純性と淨性’の象徴色で、花嫁の
純白を表し、喪服は 死という’安らぎと永遠の眠り’についた死者への、
寄り添いと共感から、タマス的な黒をまとうのかもしれません。

睡眠時は、タマス(鈍性)の時間帯=黒の闇の時間、であることは
前回のお話にも書きました。

そういえば、私たちの”目の色”も、この三つのグナの特徴をよく
表現してくれてます。

ほろ酔い加減のとき、眼の外側の淵は、少し赤みがかかってきます。
怒っている人も、そのように見えるときがあります。
お酒を飲むと身体がある意味、活性化しますので、ラジャス的に
なるからでしょう。
目の周りに紅みのアイシャドウをいれたり、紅い隈取りをする化粧
は、’色っぽさ’の性的エネルギーや、生命力のエネルギッシュさを
強調します。

眼(まなこ)の中には、白目と、黒目(東洋人の場合)の部分
に大別できます。
白目の部分はサットヴァを、中央の黒い角膜は、タマスを象
しています。
”目は心の窓”といわれるように、心を表現している、この三つの
グナの象徴色が、眼に配色されているのですね。

経済事情と、このグナの色は、少し関係があるかもしれません。
その時代の流行色は、その時の経済状態などが関係しているという
意見を聞きました。
たとえば、街に黒色の服をよく見かけるようになると、不景気だと
いいます。 
理由は、黒はタマスの色=不活発=経済の循環が落ちている、という
わけです。

でも、私は、その反対の解釈もあると、思っています。
年を重ねるほど、明るい色を着たいという感覚は、年を重ね衰える
活発さを補うために、色でエネルギーの活性化を図っていると思う
のです。

そう考えると、赤色に惹かれるときは、エネルギーを欲している
ときなのかもしれません
黒色の服を着たいときは、タマス的な気分だからではなくて、
自己の内なるエネルギーを過多に感じていて(ラジャス的)その
バランスを取りたいからかもしれません。

白色は、純潔で純正の色、サットヴァ的な意味を持つことは、誰も
疑わないでしょう。
巡礼するとき、黒装束は見かけたことがありません。
むしろ、黒装束で聖地を訪れたとき、”あなたは魔女か?”と皮肉な
質問を投げかけられたことがあります。

日本の国旗は、”白地に赤く日の丸染めて”と、歌にあるように、
白と赤。
赤は、太陽(ラジャス的な生命エネルギーを表します)・
白色は、純性な平和と協調、サットヴァ的な色
日本の国旗はこの二つのグナの組み合わせです。

国旗は、この国土のエネルギーの象徴なら、そこに住む国民は
そのエネルギーから影響を受け、歴史を紡いできました。
’太陽エネルギーと平和的協調’・・の、精神的日本的遺伝子を、
今こそ、思い起こして、それぞれの立場で、世界の平和のために、
行動を起こして、少しでも、貢献できたらと思います。

太陽の赤色を、ラジャス的で’激性’と訳してきましたが、それは、
攻撃的の激性だけではなく、エネルギッシュで、生命力に満ちている
という意味での肯定的意味であることも、付け加えさせてください。

同様、タマスは、ラジャス的な活動を補うための’休息’、という肯定
的な意味もあり、いわば、陰陽のバランスの′陰’の役目です。

サットヴァは、’中庸’です。
陰陽のエネルギーがバランスがとれているとき、サットヴァ的と
表します。

心身ともども、健全であるために、バランスが大切という意味は、
具体的には、こうした三つの要素を、上手に、絡み合わせていく
ことでしょう。
でも、マニュアル化はできないのです。
人それぞれ、三つの要素のバランスのとり方は、異なるので、
パターン化は無理でしょう。

一つ言えるとしたら、’自分が一番心地がよい’自分を知ること
でしょう。
それが、自分のための適度なバランスにつながるからです。
ただし、私の体験からは、”本当に自分が心地よいと思う”自分
を探すのがたいへんでした。
”これだ”と思っても、ラジャス的に偏っていたり、”今度こそ
これだ”と確信しても、むしろ泥沼に入っていくような、不安な
精神状態に陥ったりーの繰り返しでした。

心地良い自分でいられるように、バランスを保つことは、想像
以上に難しいものでもあります。
その努力が、本当の意味での、”自愛”の一歩だと思うのです。








 
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