自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

問答に入る前に(2)バカヴァッド・ギータの占める精神的世界での大きさ

2016年06月11日 | 自然治癒力とヴェーダ哲学の関係

 ギータとヨガ、序章における祈りの言葉    2016/6/11

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聖賢ヴャーサは ギータを“ヨガ・シャーストラ”、つまり、

ヨガの聖典と称している。 


日本でも昨今“ヨガ”教室は盛んだようだが、印度においての

ヨガの歴史はギータの時代に、さかのぼることが知られている。 

ギータの中でクリシュナがヨガの正方について語っていることは

有名だ。


“吸う息を吐く息に提供することで、ヨギはこれら二者を中和する。

こうして彼は、心臓からプラ‐ナを解放し、生命力を自己の支配下に置く

(ギータ4章29節)、さらに、


“至高の目標を置き、視線を内なる眉間の一点に集中し、

鼻孔と肺の内を流れるプラーナとアパ―ナの均衡した交互の流れを

制しすることによって外界の刺激を断ち、感覚と理知の

働きを制し、我欲と恐怖と怒りを追放させ、瞑想の達人は

こうして永遠の解脱を得るに至る”(同5章2728節)

 

この二つのクリシュナ神の言及からすでに、わかることは、

紀元前何千年も前から、インドにはヨギが存在し、永遠の解脱 

の意味を知り、その方法としてヨガ(解脱のための呼吸法に則った瞑想)

を行っていたことだ。


クリシュナ神は“生命力を人間は自らの支配下に置くことができる”

とギータで述べているのは意味深い。 


私たちは本質的に、その能力が具わっているということだ。 

生命力を支配下におくということは、肉体の法則を超越する

域に達し、若返りも、それ相応の年の取り方も、健康の保持も、

飴細工のように意識一つで、いかようにもできるということだろう。


生命力の存在すら、無意識に生きている私たちだが、その存在を

意識し、さらに、自由自在に操る~

それが本来のヨギ(その目的でいきる修行者)のゴールなのだ。


ギータでは、この二か所でしか、クリシュナ神はヨガについて

語っていないが、ヨガの王道はクリシュナ神の大いなる智慧を

以て後世インドの聖賢、ヨギ、聖者たちが実践する秘法として

残され伝えられていった。

あるヨギの自叙伝でヨガナンダ師もそう、語っている。

(“あるヨギの自叙伝”日本語版244頁)

 

ヨガが手段で“自己本質と神への合一”をゴールとするのなら、

ギータも同様に、手段であり、目的そのものであるとされる。


どういう意味かと言えば、ギータを書き留めた聖賢ヴャーサは

ヨガの聖典とギータを称したが、ほかにも“ブラハム・ヴィドゥヤ

BrahmaVidya)とも称している。


その意味はギータを読んで得た智慧の実践が、無償の愛の体得と

常住(常に変わらない)の存在に、触れえる体験を重ねることが

できるということだ。

 

さて、ギータは18章あり、ここで取り上げるのはその全部ではなく、

特に感銘深い章と節を選ばせていただいた。

第一章に入る前に序章からご紹介したい。


1:母なるバカヴァッド・ギータよ。

クリシュナ神自らアルジュナにお説きになった、古代聖賢ヴャーサ

によりマハバラータ(Mahabharatha)の中、18章に記された。


母よ、あなたの言葉は私の本質を呼び戻し、誕生来の罪を祓って

くださる。

此処に深い感謝をあなたに捧げ、瞑想してあなたに集中いたします。


2:ヴャーサに祈ります。

あなたは広大な心とその眼(まなこ)のような蓮の花びらを

お持ちだ。

マハバラータを燃油として智慧のランプに光をともされた。


3: クリシュナよ。あなた様について尋ね、あなた様への愛を常に

心に抱く者を引き寄せ満たしてくださる方。

牛の群れを手に持つ羊飼いの杖で統率し、ギータという万能薬を

与えてくださった方。


4:*ウパニシャッド(Upanishads)は乳牛たちで、そのミルクを

絞るのはクリシュナ。

(*注:ヴェーダ聖典の一つで、特に真理に言及している。

ギータはヴェーダの真髄が書かれていると言われる由縁はそこにある。) 

牛たちを守り幸せをあたえ、アルジュナは子牛。


クリシュナの与えるミルクは何処にもない花蜜水(ネクター)。 

真の智慧者は大いにいただき、堪能するが良い。


5:クリシュナに祈ります。 

ヴァスデヴァ(Vasdeva)の息子でカムサとチャヌラを滅ぼし、

デヴァキの喜び、偉大なる師であり、宇宙を守り導く方。


6:パンダヴァ兄弟たちは人生の河を渡る。

渡し船に乗って、その船頭はKesava(ケイシャヴァ)

(注:クリシュナ神のこと)。


其の河はビシマ(Bhishma)とドロウナ(Dhrona)のいる両岸

の間を流れる。

Gandhara王は青い花。

Satyaはサメ。 

Kripaは力強い河の流れ、

Jaythrathaは水、Karnaはそこの大きな波、Aswathama  と

Vikurnaは 恐ろしい獰猛な大魚、Dhuryodhana は河の

大きな渦を表す。


まことに、この闘いはこの河を渡るに似て、クリシュナに導かれ、

パンダヴァ兄弟は、渡り終えることに成功したのだ。

(注:下線傍線を引いた名前はギータに出てくる人物たちで、

それぞれの性格から、比喩的に説明されている。)


7: マハバラータを読むものに、カリユガ(注:ブログ61

に説明)に生きる人々の罪咎(つみとが)が取り除かれ、健康的で

幸福生活の秘訣が降り注がれる。


8;Madhava(クリシュナ神の別名)に頭(こうべ)を垂れ、

山々を超え、唖(おし)が話だし、足萎えが飛び跳ねることが

できるほど 素晴らしい、恩寵を乞い願う。


9:輝くばかりの本体(Self)に祈る;Brahma, Varuna, Indra, 

Rudra Maruthの神々たちが聖なる経を唱え礼拝する対象、

讃美歌を歌う者たちが、ヴェーダの聖なる句を輪唱しながら

称えるその対象、ヨギ達が深い瞑想の中に心の中で抱くその対象、

天使も悪魔も掴見えないその聖なる対象、私は、光そのもの、

輝けるその実相に祈りを捧げる。GV,1~11頁)

 

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アルジュナとクリシュナ神との真理問答の前に

2016年06月07日 | 自然治癒力とヴェーダ哲学の関係

 

アルジュナの人柄の純粋さと闘いへの動揺と迷い 2016/6/07

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アルジュナが,鞭を片手に操る戦闘の馬車にクリシュナが乗り込んだ。

そこで,不安や迷いに揺れ動き質問するアルジュナは,クリシュナと

問答をする。 


それらの質問の意味や,クリシュナの答えの真意を理解するために、

アルジュナの人柄について触れてみたい。


アルジュナは 勇気ある負けを知らぬ兵士であると同時に、他者を

無意味に傷つけることを避け、目上の人たち、恩師たち、親族に

敬意を以て接していた。


クルックシェトラの戦場で いよいよ向こう側に並んだ敵軍を

目にする。

その時、彼の人生でこれまで深いかかわりあいを持つ尊敬すべき

人たちが,敵軍として佇んでいる姿が目に飛び込んだ。 

そして、困惑する。

闘うことは相手を負傷させ 時には死をもたらす覚悟を持つことだ。

武器を持つべきか、否か、大切にしてきた自分が属していた一族の

長老や友人たち、これまで愛情を以て接してきた,かけがえのない

人たちを殺めるのは,この上もない罪を背負うことになるのではないか?


ダルマ(dharma)の法を破るのではないのだろうか …

( 注:ダルマとは人間の生命、この世界、さらに宇宙全体を

司っている“実質的存在”をさし、時には“正義”という意味合いで

使われることもある)


もし、ダルマに反した行いをすれば、世の中を乱す原因にもなる。

社会に有害な行為をあえて自分はしようとしているのではないか?

彼は、それだけは、避けたかった。 

 

そうした行いであるのなら、闘いを放棄したほうがましだと

アルジュナの心は揺れた。

こうまでして、本来の彼や兄弟たちの取るべき領地を奪い返す

のなら、むしろ戦闘をやめて、その権利を放棄しても良いと

さえ考えた。


アルジュナは涙を落とした。 

純粋で子供のように穢れの無いその心は、ついに、クリシュナ(神)

に対して、’どのように考えたらよいのか?’

’そしてどう、行動するべきなのか?’~ と問う。

その心をクリシュナは理解し、受け止めた。


途方に暮れた子供が、母親に助けを求めてくれば、それに

応えない母親はいないだろう。

同様に、クリシュナ神もアルジュナの深い矛盾と悩む心に

答えを導き出していく。

それがこのギータが生まれた背景でもある。


アルジュナの質問に絞って答えているクリシュナ、その答えを

アルジュナの他に三人が聞いていた。 


一人は聖賢ヴャーサ(Vyasa)、この話を記録していった人だ。 

もう一人は、サンジェイ(sanjaya)という、ドリィダラシタラ

Dhridharashitra)王のもとで大臣を務めていた人。

三番目の証人は アルジュナの乗るチャリオット(馬車)に

同乗していたアンジャネイア(Anjaneya)。 


ギータの話は戦闘の話でもなく、兵としての心構えを教えられた

話でもない。 

アルジェナが抱えているこの葛藤こそ、私たちが日常生活の中で

揺れ動く感情の波と、同一であるということだ。


何をどうすべきなのか? 

正しい方法は何か? 

どう対処すべきか? 

家庭で、職場で、学校で、教育や道徳問題を含め、さまざまな

場所で起きえる問題。 


相手を傷つけないために、改善するために、人間関係に誤解を

生じさせないために、どのように心穏やかに、幸せに人生を、

送れるかという問題に 答えを提示する。


私たちの心の中にも クルックシェットラは存在している。 

葛藤の場、その原因は常に日々の生活に現れる。


力やパワー、権力や富が支配する世界で 人が抱く野望や野心を

どのようにコントロールし、それを社会のためにプラスになるよう

導き、周囲に平和をもたらすのか?

ということまでこのギータの中では回答される。

 

アルジュナという人物は比喩的に言うのなら、私たちの中にある

純粋な心を刺すのだろう。

クリシュナ神というのは、遠い所に存在していた異教の神ではなく、

私たちの最も深い心に住む、自分を声なき声で導く良心である

のだろう。 


敵対するカウラヴァ兄弟たちは6人の盗賊でもある。 

何を盗むのかといえば、私たちの心の平和、安寧を奪う象徴だろう。

その六人とは具体的に、欲望、怒り、迷い、プライド、強欲、

そして嫉妬の六つの私たちの心に潜む、敵だ。


結局クルックシェトラは、ギータに出てくる戦場でもあると同時に

私たちの日常の心の中の、闘いの場でもあるようだ。 

ここで自分しか知らない闘いを、自分の中にいる敵を相手にして、

毎日、闘っているのが人生の日常というものだろう。 


だからこそ、ギータの内容は時代を経てもなお、私たちの心を

打つのかもしれない。 

これは時代を場所を超えた“真の勇者”になるための読本だから。

 

 

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ギータとセラピー協会の接点序章

2016年06月02日 | 自然治癒力とヴェーダ哲学の関係

 

バカヴァッド・ギータ~序章~  平成2861

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長いお話しになりそうだ。

自然治癒力の話はさらにギータを理解していただいてからになる

のだろうか?

とりあえず、お付き合いいただけたら幸甚です。

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神話はどこの国にもある。 

現代人は、御伽話し的な感覚で現実の生活とは離れた架空の世界の

伝承されたお話しとしてとらえる人たちがいる一方、実際、古代の昔

に起きたこととしてとらえる人もいる。

印度には、バカヴァッド・ギータと呼ばれる古典聖典がある。

 

実際そこに登場する人たち、場所は実在に存在した人たちである~と

考えられている。

どのくらい前のお話しかといえば、気の遠くなるような数字が

出てくる。

インドのスピリチュアルな世代区分として以下のような時代が

現在までに存在していると聖者は言う。


クリタユガ(Krita Yuga= 1,728,000

スレタユガ(Thretha Yuga= 1,296,000

ドワパラユガ(Dwapara Yuga= 864,000

カリユガ(Kali Yuga= 432,000

この4つのサイクル(ユガ)が交互に地球支配し、物質文明が

栄えたり、宗教的、精神的な暗黒時代が訪れたり、滅んだり

していると教える。

 

我々が生きている現代はカリユガの時代にあたり、精神的真理

が隠されてしまった時代だ。 


今日からのテーマである、バガヴァッド・ギータ(以下、

省略してギータと呼ぶ)はドワパラユガ期、およそ、5200年近く前

に書かれたという。


因みにカリユガのカリとはカーリー、つまり、黒く真理が隠されている

時代とされる。

実相の本質を忘れた精神的智慧の無智の時代である。


ギータは戦場が舞台だ。 

その戦場で戦うのが、カウラヴァ家(The Kauravas)とパンダヴァ家(ThePandavas)父親方の血を分けた兄弟たち。 


カウラヴァ家にドリタラシタラ(Dhritarashtra)という名の盲目の

王がいた。

彼の長男はドゥリョダーナ(Dhuryodhana)、弟にドゥサッサーナ

Dussasanaがいる。

一方、パンダヴァ家には若くした死んだ末息子のパンドゥ(Pandu)、

長男のユディシトラ(Yudhishtra)、ビーマ(Bhima)、アルジュナ

Arjyunaらがいた。


パンダヴァ家とカウラヴァ家が争う前、彼らの幼い時は一緒に育ち、

暮らしたのだが、兄弟たちが成長するにつれ、パンダヴァ兄弟は

何事にもカウラヴァ兄弟より長けていることで、カウラヴァ兄弟

たちはおもしろくなかった。


パンダヴァ兄弟たちの愛と懐の深さ、強さ、他者からの人気度の 

どれをとっても、カウラヴァ兄弟たちが、彼らにかなわないこと

を知るにつれ、嫉妬は憤怒へと変わり、その憤怒で現世的欲望

が助長するという悪循環だった。


そこで、ドゥリョダーナはパンダヴァ兄弟たちの土地を取り上げ

13年間彼らを放逐した。

13年後、戻ってきたパンダヴァ兄弟たちに言う;

“元に戻りたいか?

なら、私を殺せ、戦場で闘い、土地を取り戻せ”と。


平和的に、友好的に問題の解決を図ろうとした、パンダヴァ兄弟たち

の申し出を無視して敵対心をあらわにした、ドゥリョダーナと結局

パンダヴァ兄弟たちは闘うことになる。

 

両軍はクルックシェトラ(Kurukshetra)に軍をそろえた。

私はこの地を特急電車で通ったが、広大のフラットな土地が

デリーの北側に広がっていた。


カウラヴァ軍は11軍編成隊(一つの軍は21870の戦闘馬車で

成る)と同数の像、さらにその三倍の騎馬と、5倍の歩兵、

さらに、多種の兵器とその他の設備を取り備えた万全なもの

だった。


一方、パンダヴァ軍は、7軍編成隊のみ・・・軍隊の規模の

比較では、カウラヴァ軍にとても太刀打ちできなかったが、

彼らには、クリシュナ神が味方としてついた。


クリシュナ神は、この闘いに参加する条件として、騎乗しても、

闘わないnonfighting)ことを伝えた。


冒頭に戻るが インドではクリシュナ神は神として現代に

至るまで崇められているが(ビシュヌ神の化身として)

マトラの国に皇子として生まれ、ちょうど 実在したブッダ

(ゴ~タマ・シッダ=仏様)がそうであったように、歴史にその名を

残している。

 

ギータは、インドの子供たちなら小学生で学校で習い、テレビ

や演劇、古典芸能でも登場するヒーロー的存在、クリシュナ神

の語る言葉でつづられた聖なる本であるが、もともとは

“マハバラータ”の中に納まっている。


聖者 ヴャ―サにサンスクリット語で記された“マハバラータ”は

クリシュナ神がのべたとされる1万行の内容で、その中の

25章から42章までの“Bhishma Parva” を独立させて、

Bhagavad Gita”(バカヴァッド・ギータ)と呼んでいる。

 

ヒンズー教の聖典のみにとどまらず、その内容は西洋でも研究され、

仏教の基になる“空”の考えが貫かれて、東洋の宗教哲学の

土台である無の思想、空の理論、人間学、人生論、人の本質

などの基本が説かれているとされる。


だからこそ、古今東西を問わず、多くの真理を求める人たち

の指針書になっているのだろう。


自然治癒力との関連性は?と問われれば、その形而上的癒し

とこたえたい。

ギータを理解すれば、私たちの本質も理解できるだろう。

理解が深まれば、信念になり、信念は病をも癒す働きを、時には

持つことができる。


少なくても、体の免疫力を高め健康力を増すことは、インドの

ヨギの人生を見ても理解できる。

少しずつ、入門書的に バカヴァッド・ギータを皆様に

ご紹介していきたい。

 

 

  

クリシュナ神~ギータの中でアルジュナに教えを説く神

 

 

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