自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

インドに居ます!’

2018年06月30日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

’ありがとう’と伝えたくて  ♫♫♪・・・・・

**************************2018・6/30

 

おはようございます。

今現在、私はインドにおります。

いよいよ、住み慣れたアパートを手放すことに

たしましたので、最後のお別れに来ています。

 

帰国は7月中旬すぎを予定しています。

その間、ブログはしばらくお休みさせていただきますが、

お許しください。

 

 

この部屋は、13年間、インド・ニューデリー生活における

最後の砦(インドでは、4回引っ越ししましたが・・・)でした。


窓の外に広がる動物保護地区の草原に目を癒され、

入居当時は舗装されていない建物前の道は、土で、草と野生の

匂いが溶け込んで、素朴な大気と大地の土の匂いがあり、

インドらしい陽性なエネルギーを存分に与えてくれた、

身も心も癒すことができた、最高の砦でした。

 有難う~~~~♫♫♪・・・・・

 

それから、もう一つ、私事ですが、今や、インド音楽、

シタール演奏家として、巨匠の1人となった、グルジーに、

10年振りにレッスンを受けてくることになりました。


10年ひと昔と言いますが、ひと昔前には、”忠実な弟子”

としてシタールの研鑽をしていた自分ですが、帰国してからは、

練習から遠ざかってましたので、今回、お会いして、師から、

匙(さじ)を投げられるか、はたまた、再び、インド音楽へ

の情熱が芽生えるのか? ~ 

 

というわけで、帰国までしばらくブログはお休みさせて

いただきますので、ご了承くださいませ。

 

 

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私とウニヒピリとの対話(3)

2018年06月25日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

 ”自分が変われば、すべてが変わる”の、モ―ナ女史風の理由づけ

*********************************************2018。6.25

これまで私の精神的探訪の中には、潜在意識を見つめなおすとか、

感情や感覚(今、この瞬間の)に自覚を持つとかいう、コンセプト

はなかった。

 

むしろ、超越意識にスポットライトを当てて、現在意識(顕在意識)

をそこに重ねていくとの方が、ディヴィニティ(神聖なる資質)に

つながることだと思っていた。

 

ところが、ウニヒピリとい潜在意識の存在にどう対応するか

が、他者に対して、家族に対して、現在の自分が反応している態度と

同じだという意見を聞いた時、戸惑った。

 

1人で生きているわけではない。

他者や家族との輪の中で生かされている~とわかっていながら、

現実には、他者を生かしていたのだろうか? 


ウニヒピリを無視していたということは、ある意味、家族を

無視していたということにつながるのだろうか? 

 

自問自答した。

しかしたら、悟り~という目的で、自分自身の中心への焦点

に集中するあまり、周りへの配慮とか理解しようという気持

を含め、視野が狭まっていたのではないのか?と省みた。

 

そこで、さらに、数冊の本を取り寄せて、ウニヒピリの存在と

自分の関係について、考えてみた。


様の中で、すでに、このあたりのお話は個人的に勉強されたり、

実行されたり、詳しい方たちがられると思う一方で、このブログ

読みながら、’一体、何のこと?’と思うかたもいらっしゃるのでは

ないかと思う。

 

そこで、今日は、直接、ヒューレン博士たちの語る、’もう一人の自分’、

ウニヒピリ、についての言葉を掲げさせていただき、私の無為な

説明を抜いて、皆様に直接、ウニヒピリという存在を感じて

いただければ幸いだ。

****

ウニヒピリ(潜在意識)は私たちがこれまでに経験して

きたあらゆることに関する情報を持っています。

 

情報、すなわち、それは記憶です。

あなた自身が体験した数十年という間の記憶だけではありません。


宇宙の誕生から現在まで、すべての生命体、すべての鉱物

などが体験した記憶、です。

 

あなたの身の回りで起きること、問題も含めて、それはすべて、

ウニヒピリの持つ記憶が原で起きています。 

だから、その問題の原因となっている記憶を消去すれば、

問題は解決できると考えています。

 

なぜなら、この記憶は、誰のウニヒピリにも共通している記憶、

(情報)ですから、もし、の前の人に起きている問題

であっても、あなたがあなたのウニヒピリと交流し、記憶を

去することで、他人の問題も解決できるというユニークな点

を持ってるからです。

 

例えば、あなたが、誰かに対して恨みを持っているとします。

あなたはそこで、恨みという感情を経験しています。


それはウニヒピリが保管しているメモリーバンクのなかにある、

’過去に何かを恨んだ体験’という記憶が再生されたからなのです。

 

ですから、あなた自身、そのものが何かを恨んでいるわけでは

ありません。 

ウニヒピリが経験したことを、あなたが感じただけなのです。

 

ウニヒピリそのものが、怒り、恨んでいるわけでもありません。

ウニヒピリの中で怒り、恨みの記憶が再生された結果、

あなたが怒りや恨みを体験していだけなのです。

 

恨み以外にも、怒り、悲しみ、孤独、あきらめ、喜び、楽しさなど、

あらゆる感情を抱く理由は、ウニヒピリの中でそれらの

記憶が再生されているからなのです。

****以上引用部分

 

ヒューレン博士は、記憶とか情報という言葉の代わりに、東洋風に

カルマという言葉に置き換えても可能だと、他のところで、

書いていた。


ウニヒピリの情報というのは、昔、自分が体験して感じた

感情や感覚などが、今、また、似たような状況下で再生される

という意味であるし、昔の清算されていない”豪”カルマの感情だ。

 

だから、博士自身、常に水蒸気のように湧き上がっている、

今の心の中の感情をクリーン、浄化しているという。確かに、

不安や嬉しさ、イライラ感や幸せ感、などの通常の感情の他にも、

欲望に関する情感などがの中で、今、感じられている

だろう。

 

普段私たちは、これらを、制御しながら、日常生活を送っている。

ウニヒピリだけは、あなたが何を

感じているのか、ありのままのあなたを知っている”

ということになる。

 

その感情たちを、常に、クリーンする。


ホ・オポノポノの、4つの言葉、

ありがとう、ごめんなさい、愛しています、赦してください~

を心の中で反芻(はんすう)するというシンプルな手段で

”クリーン化”が進められるという。


それをしない限り、こうなるよ・・

とヒューレン博士は言葉を続ける。

****

あなたが自分からウニヒピリに働きかけてクリーニングして記憶

を消去してもらわない限り、問題はいつまでも再生され続けます。

 

ウニヒピリはというと、あふれそうなほどの記憶で、常にパンパン

になり、身動きが取れない状態です。


あなたが意識していようと、いまいと、あなた自身の中にウニヒピリ

がいます。”

 

”今ここで、体験したり、感じたりしていることは、問題や苦悩なんか

じゃない。

ただ、あなたが保管してきた記憶が再生されているだけだよ。


そしてその記憶は手放せるんだよ~ウニヒピリに話しかけてみて

ください。


焦らなくてもよいのです。”

****以上引用部分

 

モ―ナ女史は言う

”人は過去の情報か、神聖から来るインスピレーションか、

どちらかに従って生きるほかない”

と。

 

自然治癒力セラピー協会で、ヒューレン博士の持論をご紹介

するのは、共感するところが大あり、目指している山の頂上が

一つであるという実感があるからだ。

 

私たち流に翻訳理解させていただくのならば、次のように

なるかもしれない。


ウニヒピリ~(潜在意識)の抱えた膨大なメモリー~カルマ~を、

クリーン(浄化)させる。


すると、自分の本質と繋がることで、感情的、欲情的に心が揺れ動いて

いる不安定な状況、それがもとで引き起こされる現状問題から

逸脱できて、インスピレーション(アートマの声)、本来の私~

(無限供給、大調和、光明の中にいる自分)を自覚する。

 

その状態こそ、ヒューレン博士が必ず、ご自身の手紙の最後に

サインのに添る、”peace of I” だと思う。


つまり、”私の中の平安” を得ることが、ウニヒピリとともにクリーン

作業を続けてられる”すべての問題の解決策”ということでもあろう

 

 

********************

 

 

 

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’わたし’と’ウニヒビリとの会話 (2)

2018年06月20日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

心を構成する家族関係、父親にあたる意識は?

******************2018・6・20

インナーチャイルドと、モ―ナ女史の”ウニヒピリ”の

概念の間には,完全な一致があり得ないので、

ここでは、S.R.T.H (Self Realization Through Hooponopono)

の考案者モ―ナ女史の定義に従って、

ウニヒピリという言葉で統一させていただく。

 

(あなたと‘わたし’ というモ―ナ女史の

詩編を先回ご紹介して,尻切れトンボで終わりましたので、

その続きから今日は、‥)

********

新しい朝に、蒼く暮れていく夕べに、

‘わたし’はいつでもどんなときにもあなたと出会う。


‘わたし’はあなたを感じ、あなたに触れ、あなたを見失う

ことは無い。


あなたは光の子。美しい存在。だから、あなたが怖いと

思うときでも、心のどこかで思い出して。


‘わたし’は,決してあなたを見捨てたりしていないと

いうことを。

いつも心のどこかで あなたの輝きを感じていて。

‘わたし’が息づくこの宇宙の中で、あなたは美しい星。

どんな瞬間でもいつも輝いている存在だということを。


‘わたし’からあなたが始まった。

あなたのことは、だから、全部知っている。

過去も今も、これからも、ずっと一緒にいる。


あなたが‘私’から離れたとしても、過去も今も、

これからもずっと、私の腕の中にいる。


あなたが‘私’から去ったとしても、私はあなたを見守り

続けている。・・・以下略

~~~~~~~~~~~~

先回は、モ―ナ女史の言葉から、皆様が読んだ印象を

大事にしていただくために、この詩に書かれてる

‘わたし’とはどういう存在なのかには、触れなかった。


”(鍵【】)の中に入っているわたし”は、宇宙的

大きさの存在、モ―ナ女史の言葉では”Divinity" 

と呼ばれる聖なる存在と理解できるだろう。


さて、”インナーチャイルド(ウニヒピリ)”については、

どのようにうたっているのだろう?

続きを読んでみたい。

~~~~~~~~~~~~~~~

ウニヒピリ、そこにいますか?

 

私はウハネ あなたのことをずっと、

無視してきました。 


何億年もの間、あなたを一人ぽっちにしてきて本当に

ごめんね。 


ウハネは今まであなたの声気が付かなかった

~~~~~~~~~~~~~

’ウハネ’とは、私たちの心の、現在意識’を指す。

傍線をひいた、’あなたの声 というのは、ウニヒピリ

潜在意識)の声、それは、感情、体の不調、

抱えている問題などを通して、現在意識(ウハネ)に

語り掛けている。 

 

ハッピーな状態もあれば、憂鬱な時も、良い時も悪い時

も、注意してみると、ウニヒピリの声は、瞬時、

何かを語りかけていることがわかる。

 

病気のときや、問題を抱えているときは、特に、

現在意識”に その原因が自分の潜在意識の中に

あると、注意を喚起する声の代わりに 病気や

問題そのものとして、現れてウニヒビリは、喚起

してくれる。

何のために?
その原因になっている、潜在意識の”何か”を浄化させ
問題の種を消滅するために。


言い換えれば、クリーン、浄化を促す、声でもある。

ホ・オポノポノでは病気・不調和・問題・軋轢など、

肉体を含め、自分自身のすべてをとり囲む事象は、

この潜在意識が過去のメモリー(記憶)アプリを開かせ

’自分の顕在意識に対して、ウニヒビリの声として、

浄化が必須だと赤ランプで教えてくれているような

ものなのだ。 

 

現在意識に、今持っている’考えかた’や’マイナスの

エネルギー想念’や’独りよがりの見解’などに

’気が付いて!そして、潜在意識につまった、

’メモリー’を、あなた(現在意識)

の号令(浄化のアクションを起こす)

で、消去してください!” という内なる声がウニヒビリ

の声だ。

 

何億年もの間~とモ―ナ女史は書く。

つまり、そのメモリーたるや、私たちの生命が宇宙

のどこかに発現して以来(当初はアメーバのような

単細胞単体だったかもしれないが)意識の中に、

蓄積されているものだ。

 

莫大な量といえるだろう。

気が付いた時、浄化の一歩が始まる。


このことに気が付いた、ウハネ(現在意識)に反応して、

ウニヒピリは次のように、ウハネに語る:

~~~~~~~~~~~~~~~~

わたしはウニヒピリ、ここにずっといたんだ。


お母さん(須田注:ウハネをさす)がわたしのこと

なんて気にも留めず、ただただ、押し付けてくる

いろいろな期待や欲求、執着などを、受け止め

続けてきた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

(ウハネがウニヒビリに対して)

わたしはウハネ、あなたの存在を今はもう知っているよ。

あなたがかけがえのない存在であることにやっと

気が付いたから。


”わたしが’わたし’”でいられるのは、ウニヒピリのおかげ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

”私が’わたし’”でいられる・・・

この一行をわかっていただくために、

先回のブログの中でモ―ナ女史の詩編をご紹介

させて頂いた。

 

母なる現在意識が、ディヴィニティ―(本来の私の源)

と直結して、私らしくいるためには、潜在意識のメモリー

(過去生の記憶)をゼロにする必要がある。

 

そのために、クリーン(浄化)作業が始まる。

つまり、ウニヒピリの存在の意義がそこにあると、

モ―ナ女史は言う。

 

母の存在が、現在意識であるのなら、父の存在は

何に喩えられているのだろう?


それは、”超越意識”に喩えられる。 

モ―ナ女史は、アウマクア(父親)と呼ぶ。

ここでアウマクア(父親、超越意識)

に登場してもらおう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

わたしはアウマクア. わたしはわたしの家族をつなぎ、

”本当の自分”へと届けるためにいます。


もしも、あなたがウニヒピリを大事に、自分を大切に

するのなら、わたしはこの家族を一つにつなげられる。 

 

わたしは、’本当の自分’が、どういう存在か、良く知って

いる。

’本当の自分と1つになること’がどんな体験なのかも、

熟知している。 


わたしの手をとって。命が元々あった、あの場所へ

連れて行こう。

わたしたち、三つ(の要素)が一つの家族になったとき、

光り輝く道、命の道が見えるだろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

超越意識は、アウマクア と呼ばれる。

私たちの持つ3つの意識、現在(顕在)意識、潜在意識、

超越意識の内、最後の意識にあたる。

 

アクマクアの役目は、命の源(生命の原点)

~ディヴィニティ(聖なる存在)に私たちの現在意識

を繋げていくことだ。 


それは、インスピレーションという形で、表層意識に

降りて具体的な問題の解決方法が伝えられる。

 

インスピレーションを得るためには、潜在意識に

へばりついた、メモリーを落とさなければならない。


PCで言えば、ディレイ、消去をクリックして

古くなった、不必要なメモリーの除去ということになる。

 

その時、子供であるウニヒピリは、どの情報を

消し去ればよいか、聖なる存在の協力のもと、

私たちが覚えていない、はるか昔の記憶(生命体として

宇宙に存在した当時からの)の中から適切な情報(カルマ)

を消去してくれるのだ。

 

つまり、消去しよう~と決意するのは、現在意識にあたる、

’母’の役目で、子供のウニヒピリは、母のその決意を

喜んで受け入れ、自分の重荷でもある、過去の記憶

(カルマ)を消去する作業を手伝ってくれる。 

 

それには、ウニヒピリの存在意義を知り、大切に

扱うことが大切~とモ―ナ女史は教える。


私が個人的に惹かれる女史の言葉の1つに、

人はメモリー(過去生の記憶)で生きるか、

インスピレーションで生きるか、どちらかしかない”

というのがある。

 

過去生の記憶というのは、私の言葉でいえば、カルマ

であり、過去の自分の体験から基づく五感器官の

反応であったりする。


誰にでも、あるタイプの人はどうしても苦手だとか、

他人にとっては何気ないのに、自分にとっては傷つき

やすい言葉、つい、平衡感覚を失って、バイアスに

反応してしまう、’何か’の存在などが、ある。


昔々の自分が受けたある体験による記憶が基に

なっているから、すべての人の過去が異なる

ように、その反応や個性も各人異なると考えられる。


記憶に振り回されながら(無意識に)言動している

のが、普通の生き方、つまり、メモリーで生きるという

ことである。

 

一方、インスピレーションで生きるいうのは、

そうした、カルマに縛られない、神聖な意思からの

ひらめきのようなアイデアや感覚で生きる、言い換えれば

過去のメモリーが浄化された状態をさす。


つまるところ、クリーン(浄化)し続けていく目的は、

最終的に、このカルマに縛られないゼロの地点に到達し

(その時は、いわゆる’空’の境地を体得するだろう)、

本来の’自由な束縛のない、安寧の心持、揺れ動くことない、

平安な心境’に至るためだろう。

 

そういう意味では、私たちの人生の目的は、

モ―ナ夫人の言葉でいえば、ウニヒピリの抱える

膨大な執着や思い込みや苦しみ悲しみなどの、過去何億年から 

積み重ねられてきた、自分のあるいは、人類の、集積された

メモリーの消去にほかならない。


 

続く~

 

 

参考:

①~“はじめてのウニヒピリ”、宝島社、2015年  

②~”叡智のしずく” SITH ホ・オポノポノ’ アジア局、2012年

③~”ウニヒピリ・ホ・オポノポノ’で出会った’本当の自分’” 

イハレアカラ・ヒューレン、KR, 平良アイリーン、サンマーク出版、

2010年

 

 

 

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私とウニヒビリの対話(1)

2018年06月15日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

今回、息子との会話で気づかされ、

痛みに近い”心の内観”をはじめました  2018・6・15

**********************************************

(前書き)

これまで数回、帰国後ヴィシュヌデヴィ参拝記をブログに

書かせていただいているので、今回、私が受けた

そのインパクトの強さは、皆様に、ご想像ができると思う。

 

同時に、そのインパクトは自分自身の内側の眼力を強く

させたようだ。


というと、恰好の良い、表現だが、現実的に言えば、

私自身と息子との間にある、“業”(カルマ的関係)

に向き合わざる得ない心境になったといえよう。

 

そして、息子(もし、娘だとしても)との関係は、

モ―ナ女史のいう所の、”現在意識”の”母”と、”潜在意識”の

”子供”との関係に、限りなく似ていると感じた。


他者の方のカルマを受け取る作業(アートマセラピーをさす)

休止して、徹底的に、自分の中のインナーチャイルドの

側面に意識の焦点を当て続けた。

 

彼(インナーチャイルド)に いつ、目をつぶってきたのか、

真正面から向き合ってきたのか、顔を背けてきたのか?


虐待的行為(精神的な意味で)をしていなかっただろうか?

彼(息子)を そんな行為で、ゆがめてきてしまったのでは

ないか? 

 

そんな質問は、今回のデリー滞在中、息子と交わした会話

のいくつかの中から、彼の頑なな、心を開ききっていない、

母(私)への’わだかまり’を感じたことが発端となった。


今回のインド旅中で、デリーにおける、小さなアパート、

その拠点を失なう前の最後の旅と受けめると、インドでの

生活が走馬灯 のように脳裏を巡っていた。

 

帰国してから、さらに、走馬灯の景色は鮮やかになり、

鮮明な記憶がプレイバックして、私は、まともに、

そのフラッシュバックを見据えながら、浮かんでくる

様々な感情や想いを受け止めようと、神経を集中させた。

 

インド生活は、幼い息子と一緒だった。

彼に対する母親としての自分を採点したら、及第点では

なかっただろうと思える多々の場面が次々と、脳裏によぎった。

 

シタールというインド民族楽器と出会い、音楽の道一筋と

いっても過言ではないほど、専心してきた自分の生活の中で、

どれほど、幼かった息子が 心の交流を満足に得れないまま、

寂しさや無視されたという感情の犠牲になったのだろうと

考えたのだ。

 

私の従来のわがままで、マイペースな性癖は、息子のみ

ならず、自分の周りの人達をも、知らないうちに、振り

回していたのだろうと 反省した。

 

インド時代だけのことではなかろう。


自分が生まれて、成人するまでのプロセスに、青年期、

結婚してから・・・私なりに、セラピーなどの実践で

生命力の素晴らしさを習得してきたとしても、


手入れを怠った機械についた、油のように、まだ”何か”が

べっとりとこびりついていることを、今回、痛烈に感じた。

 

皆様は、精神的に深い洞察力をお持ちだろうと推測する。

私自身、スピリチュアルな洞察力をもってして、”感情”や

”五感から得る感覚”は、切り捨てるに足りうるものという、

確固たる確信が出来上がっていたのかもしれない。 

 

感覚的、感情的な想いは、アートマ、つまり、人間の本質的

な部分であり、”善と完全の神性”と相反する立ち位置に

あるものだという信念が、どこかで、曲折されてきたような

気持ちになった。

なぜなら、それは、モ―ナ女史のいう、潜在意識~ウニヒピリ

への切り捨て行為ともいえるからだ。


ウニヒピリの言葉、感情を通して、現在意識は、自分の

知らない潜在意識にこびりついた、油の分解掃除

ができるのなら、こうした、感情は大切なものだった。

 

ところで、潜在意識が’子供’、つまり、’インナーチャイルド’

という言い方に、ピント来ないかたもいらっしゃるだろう。

 

モ―ナ女史(注1)の言葉を借りれば、ウニヒピリと

ハワイ語で呼ばれる存在でもあるらしい。


肯定的でも否定的な意味合いを持つものではなく、

単に、人が生きてきた(現世のみならず、生命を得た瞬間

から生きてきた)すべての記憶の倉庫、‘潜在意識’

を意味する。

 

モ―ナ女史の一番弟子が、自分の現在意識とウニヒピリ

(潜在意識)との関係につして、以下のように言う;


”自分と家族、自分と周囲の人々、との関係は、自分の

中での現在意識と潜在意識、との関係である” 

(カマイリ・ラファエロ・ヴィッチ女史~注2)

 

息子が小さい時、1人の時が多かった。

そんなとき、彼の寂しさはどのようなものだったか?

 

当時の私は、きちんとそれを理解していたのか? 

理解していなかったと思う。


その埋め合わせとして彼にどのように対応してきたのか? 

彼の言葉にならない声を、十分に理解してあげられる

精神的ゆとりはあったのだろうか? 

 

無かったと思う。

”自分の道”のことで、心も頭も一杯だったようだ。

 

彼が成長していく段階で、人間教育という場面では

どうだったろう?


母親の言うことは間違いがないのだから、”聞きなさい”

という威圧的な心が、息子との会話のどこかになかった

だろうか?


息子に対してだけではなく、周りの人に対し、十分な

想い測る心を忘れていたことがないだろうか? 


自分の立ち位置だけで’こうなるべきだ’と独断的

信じ込んでいなかっただろうか?


私の日常生活の選択基盤は、非常に自己中心的だった。

これらの質問は、ある意味、自分の中のウニヒビリ(潜在意識)

との関係に対しても共通した質問であると考えた。 


自分の中での現在意識、潜在意識(カルマ的意識)は、

モ―ナ女史の言葉でいえば、母親と子供の関係だ。

超越意識は父親に当たる。


これまでの、私の内側の、その三者の関係は不完全だった。

母親と父親しか存在していなかった。

 

誰の心にも存在する、超越意識はディヴィニティ(神や生命力)

と直接、結びついている。

しかし、深層部分に置かれたこの超越意識に、現在意識

(私というエゴ)が結びつくためには、ウニヒビリの存在は

思ってもいなかった。


ただただ、超越意識とつながるためには、内観に徹することと

思ってきた。


そのようにして、負のカルマを相殺(そうさい)

できると信じていた。(今でも、この信念は変わりはない

のだが・・)

 

しかし、そのように努めてきた自分の中で自分自身の統合性

が取れていたのか?


自分自身の中での、協調性を見出していたか?という質問が

湧いた。 

息子との関係が、ウニヒピリとの関係と一致すると示唆を受けた

からだ。

 

もし、本当に自分自身の協調性を知らないでいるとしたら、

どうして、息子を含めて、他者との協調性を創造できるのだろう?


モ―ナ女史は 今、改めて、私に、この重大な疑問を投げかけて

くれたような気がした。


直接、インナーチャイルド のことを触れている詩ではないが、

次のモ―ナ女史の詩を、ご紹介したい。

******************************

“こころの海”

1.それはもう長いこと、あなたは感情の海原に放り出され 

溺れ、漂い続けてきた。


かつてキリストが荒れ狂う嵐の海を、鎮めたと言われた

ように、今、あなたは人生の荒波を鎮める方法を知った。


そして、あなたは、こうも知っている:その方法を

知ったからと言って、海がいつまでも静かなわけ

ではない。 


また、きっと、嵐はやってくることを。

でも、あなたの心の奥には、人生で現れる嵐や波乱を

鎮める力がみなぎっているのだ。

 

できるだけ、‘本当のあなた’こころに描いて、

それを言葉にしてみよう。 


そのことが、貴方の今を、創造していくのだから。


2.それでもきっと、あなたはこれからも、嘆き、悲しみ、

絶望するだろう。 

それはどうしようもないこと。


だって、あなたがとてつもなく長い時間をかけて、積み重ねて

きた記憶が、まだまだ残っているのだから。

 

でも、覚えていて欲しい。

あたには、‘わたし’という家族がいる。 

あなたを心から愛する存在がいる。


‘わたし’は、あなたに贈り物を送った。

今のあなたはそれを手にしている。

 

3.‘わたし’が、一緒にあなたと、共にいること。

こんな素晴らしいこと、他にはない。


さあ 見に来てご覧。

すべてを真に求め、調和と平和を望むのなら、それらは

あなたの内側に見つけられるだろう。 


自分の心の海の中で、あなたは見つけるだろう。

そのとき、あなたの家族に出会うはずだ。

 

4.まず、‘わたし’を見つけること。

そうして、あなたの家族を自分の内側で出会うこと。


あなたにも、あなたの周りの人達にも、内側に

それぞれ家族を持っている。

************************

番号とアンダーラインは私が、後からふらせていただいた。


1のフレーズに“あなたの心の奥には、人生で現れる嵐や

波乱を鎮める力”があり、本当のあなた”を知ることと

ある。


ここで、モ―ナ女史の語る、“本当のあなた”とは?

それをモ―ナ女史の言葉で、彼女のほかの詩(注3)から

拾ってみたい。

~~~~~~~~

(同書 P・103) 

あなたの命の源が光さ。

‘わたし’がいる場所。(P.95) 

人が本当に‘わたし’、つまり‘本当の自分’を

受け入れるとき、

つまり、宗教や儀式などを超えて、

あなたが‘わたし’を受け入れるとき、


‘わたし’の方からあなたに向かってきちんと

姿を現すよ。

 

‘わたし’は今までほんのわずかな人にしか、

自分の顔を向けたことが無い。(P.96)


 もしも、だれか‘わたし’の顔を見たことがある

という人がいたとしたら、

それは‘わたし’の顔をみたのでは

なく、‘わたし’の影かしるしを見たのだろう。

(P・104) 


‘わたし’はいつもあなたと一緒。

あなたが吐く息や吸う息の中にいる。(P.105) 


何度も何度もあなたは自分を見失ってきた。

何度も何度も、‘わたし’はそれを見た。


あなたの星の輝きが、失われて行くのを。 

でも、あなたの本質の中では、その光の輝きは永遠。(P.107) 


永遠は、あなたの中にいつでも息づいている ‘わたし’ が 

ほんの一瞬、現れているときのこと。


‘わたし’の中に永遠がある。(P.108)

 あなたは無限の中にいる。

それ以外の中にいない。

戻っておいで!

光に、あなたのホームに、‘わたし’のもとへ。

********

 

モ―ナ女史はここで、私が理屈めいた言葉を並べて、

その定義を分析することは決して望まないだろう。


それぞれ、皆様が、この詩を読んだ印象を大事にされて、

‘わたし’の存在がどういうものかを感じ取って

いただくのが、一番大切なことだろう。

 

次回は、先の途中で文章を止めた箇所:

1のフレーズの言葉、“あなたの心の奥には、人生で

現れる嵐や波乱を鎮める力”

があり、

本当のあなた”を知ることとある’ 

までもう一度戻って インナーチャイルドとの

関係を考えてみたい。

 

 

続く~

注1) モ―ナ女史 

Morrnah Nalamaku Simeona

ハワイで人間州宝に認定された

伝統医療のスペシャリスト。

複数で話し合うことで問題

解決策を探るハワイの伝統的な

問題解決方法の’ホ・オポノポノ’を、

人を介するのではなく、

改心を通して自らの力で、

潜在意識の浄化を図る方法で、

超越意識と繋がり、問題の本質

を解決できるように、進化させた。

彼女の改定された’ホ・オポノポノ’は’

SITH ホ・オポノポノ’と呼ばれている。

 

注2)カマイリ・ラファエロヴィッチ女史

Kamaile Rafaelovich,MBA,MAT

~モ―ナ女史の一番弟子。

ハワイでは不動産業を営み、

ホ・オポノポノ’を使った

経営コンサルタント、

ボディーワークを行っている。

著書’ウニヒピリ’など

注3)”叡智のしずく” SITH ホ・オポノポノ’ 

アジア局、2012年

 

参考:

~“はじめてのウニヒピリ”、宝島社、2015年  

~”叡智のしずく” SITH ホ・オポノポノ’ アジア局、2012年

~”ウニヒピリ ホ・オポノポノ’で出会った’本当の自分’” 

イハレアカラ・ヒューレン、KR, 平良アイリーン、サンマーク出版、2010年

~”春夏秋冬” モ―ナ・ナラマク・シメナオ、イハレアカラ・ヒューレン、KR

 

 

 

 

 

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母なる女神と娘のセクシャルハラスメントへの対応

2018年06月10日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

ヴィシュヌデヴィとの縁はこのアパートをゲットする時からあった?

のかしら~の巻  

2018・6.10

*******************************************

 

 

これほど奥深まった地、高い峰を超え、昔は、多くの難関を

潜り抜けて到達できたであろう、標高2000メートル以上の

山の一角の岩屋の寺院になぜ、多くの人々が古代より訪れ、

信仰が絶えることなく、女神信仰のメッカになって

いるのだろうか?

 

色々な説が残っているようだが、一言でいえば、誰もがここに

参拝に来た折り、巡礼道の此処かしこに、目に見えぬ、“女神の力”

(Shaktipeeths)を感じ取るからかもしれない。 


私自身、このそびえる山を、ジャムカシミール飛行場から現地に

いくまでのタクシーの中から発見したときは、正直、その険しさ

と標高にうなってしまった。


それまで、せいぜい高尾山を、遠足で上った思い出があるだけで、

体力的にも精神的にも、眼前にそびえる海抜2000メートルは

超えていそうな、の頂上を見て、その近くの寺院に上る自信

は砕けそうになっていた。


しかし、実際、上り始めて、4時間経過して、周りの空気が

希薄になるのを感じながら、頂上近くにいたとき、次の朝に

再度上りたいと思ったのだから、不思議だ。

”もう度、日を改めて上りなおそう

次回はサリー(印度女性の正式な服装)をまとって、女神

挨拶に出直そう”と考えていた事自体、すでに、

シャクティ(女神の力)の後押しがあった

証拠かもしれない。 


少し前に、このことは、詳しく、ブログに書かせて

いただいたので、簡単にお話させていただく。


現地に着いた翌日、一度目の登山を試みるが、山に入る

許可証、山に入っての数回の検閲、所持していた

携帯電話すら、ロッカーに預けなければならないといわれ、

そのロッカー待ち・・


すべてに長い行列の後ろに並ばざる得ないほどの、人だった。

それだけで、すでに相当のエネルギーが消費されて、肝心の、

参拝時には疲労感は限界に達していた。


道中、心の中に、声なき声が走った。

‘もう一度いらっしゃい。サリーを着て・・“という(女神からの?)

メッセージを、 心に受け取り、一日目の参拝を終えてホテルに

戻った。


私は、二度目の参拝の準備に向けて手順を整えていた。

そして、その2度目の登山。


一度めの巡礼と異なり、身体チェックや神殿拝観パス取得

の列に並ぶことなく、登頂まで、不必要なエネルギーや緊張を

費やさずに、スムースに事が運んだのは、女神のご招待ゆえ

と勝手に想像した。


こうして、聖なる岩屋の寺院に到着できた。

さらに、一般参詣者が、一息(ひといき)ほどの、短時間の

ダルシャン(女神に手を合わせ祈ること)が赦されている中、

私の番では、数分の時間をかけることが赦された。


その間、神官の説明やら、ご神体の拝観時間をいただくと

いう、特例となった


二度目の参拝で、こうして、聖なる岩屋の中の深淵な空気を

胸いっぱい吸い込めたことは、やはり、女神からの招待を

受けての巡礼かと、納得したものだった。


 

さて、今回の巡礼の旅では、まだ、話題に出ていなかったが、

実は、女神参拝をした後、もう一つの寺院を参拝した。


そこに立ち寄らなければ、女神からの真の功徳はないという。

バイローババ という本尊を祀る寺院。

彼は、聖者でもなく、むしろ、女神を追い回した、図太い神経
の不埒者である。

何故、ヴィシュヌデヴィを参拝したあと、神様でもない、

バイローババ の所に寄るのか?


そのお話を今日はさせていただきたい。

前のブログの続きとなるので、内容を理解していただくために、

できれば、前回を読んでから以下の続きをご覧いただければ幸いだ。

 *********

ラーマ皇子の予言どおり、ヴィシュヌナヴィの栄光は広く

遠くにまで及んだ。


人々は大勢、彼女の瞑想する岩屋に祝福を得るために群がっていた。

時は移り変わっていった。


ある時、ゴラクシ ナタ 師(Goraksh Nath ji)と呼ばれる

偉大なるヨギは、昔から伝えられてきたこの話の光景を

夢の中でありありと見た。


そして、今、ヴィシュヌナヴィは果して、高い霊的レベル

に到達しているのかどうか知りたいという好奇心に

駆り立てられた。


そこで、彼の一番弟子である、バイロン ナス(Bhairon Nath)

にその真相を探りに行かせた。


バイロンが洞窟に着くと、ヴィシュヌナヴィを密かに観察した。

すると、ヴィシュヌナヴィは、弓と矢を常に身に着け、そばには

猿たちや獰猛そうなライオンがいた。


バイロンはヴィシュヌナヴィを一目みて、この世のものでない

美しさに心を奪われた。


そして、良識を忘れ、自分の役目も忘れて、ヴィシュヌナヴィと

結ばれたいと強く願った。

 

外では食事の用意が信者たちの手で進み、村中の人たちや

偉大なヨギ、ゴラクシとその信者を招いた宴会の準備が

できていた。


バイロンはヴィシュヌナヴィの心をつかむため、様々な

手法で、アプローチをするものの、それらの努力は

あわのように効果はなかった。


一方、執拗なバイロンの誘惑を拒み、ヴィシュヌナヴィは

山のに逃げ込もうと席をたった。 

バイロンは彼女の跡を追い続けた。


ヴィシュヌナヴィは、やっとのことで、多くの峰を

通り抜け、(現在神殿が置かれている)山中の岩屋に

姿を隠した

追い続けたバイロンは、最後の砦にまで姿を現すと、

女神(ヴィシュヌナヴィ、つまり現在のヴィシュヌデビ)

は、身を守るためには、彼を殺すほか手段はないと

追い詰められた。


洞窟の入り口で、女神は彼の首を打ち取った。

はねられたバイロンの首は、離れた丘の頂上に落ちて行った。 

 

命が切れる寸前、首の無いバイロンは気が付いた。

自分に与えられた役目を思い出した。


そして、師の命令を無視して、自分の欲望に我を忘れたことを

悔やみ、神に対し、赦しを乞いた。

その悲痛な後悔と、悔い改めたいというバイロンの祈りの

波動は、至高の女神(ヴァシュヌナヴィを生んだ女神たち)

にまで届いた。


女神たちは、哀れに想い、慈悲をもって、次のように

宣言した。


“女神を信じる者たちよ、あなたの願をかなえたければ、

女神の寺院に詣でた後はバイロンに会ってから

(バイロンが祀られた寺院を詣でてから)立ち去るがよい。

そうすることによって、あなたの巡礼の目的が完全に果たせる

ことだろう”


バイロンの寺院は、ビシュヌデヴィ寺院から、3キロほどさらに

登ったところにある。

その後は、ヴィシュヌデヴィ女神を参拝した後、多くの信者

たちは、バイロンの寺院に詣でるようになった。

 

方、ヴァシュヌナヴィはこのバイロンの事件以後は、

美しすぎる女性としての、人間の姿を葬ることにした。


そして、一つの黒い石を彼女の顔面に見立て、シンボルとする

ことで、魂は、半永久的に瞑想して至福の中に包まれている

という。 


その魂こそ、深淵で’オーム’と空気が震えて音を出している。 

岩屋の寺院の洞窟に 今でも満ちているかのようだ。

 

 

 ドルガ女神(ヴィシュヌデヴィ)は 必ず、ライオン、もしくは 

虎にまたがっています

 

後記)

さて、とりあえず、ここで私のインド旅巡礼手記は終わりです。

もう一つ 余談ですが、冗談のような名刺を古い鞄から、

つけました。

ヴィシュヌデヴィの名前の不動産会社の名刺です。

来月、いよいよ、インドのアパートの荷物を処分です。 

そのための、書類を整理していたら、当時の不動産屋さん

の名刺が出てきました。

この不動産屋を介して、今のアパートに住む事に

なったのでした。

その不動産屋の名前は、

vishunu navi property : sweety DiDiでした。

ブログ冒頭の写真)

”ヴィシュヌデビ女神不動産”です!sweety Didi とは、

優しく導いてくださる女神様 といったところでしょうか… 

この不動産の社長が ヴィシュヌデヴィの信奉者

であったようです。

色々なインドの聖地に、このアパートを拠点として

行きましたが、最後の巡礼の旅がヴィシュヌデヴィ寺

であったというのは何か不思議な因縁を感じます。


そして、1人で10年以上、このアパートに暮し、

母の介護で日本に帰国しても無人の部屋になったに

かかわらず、安全にこれまで、保たれてきたのは、

やはり、大きな力のお守りがあったような気がいたします。

 

  

ヴィシュヌデヴィ寺院のある、山の目の前の、

ホテルの前の窓から見えた、この参道の灯りの道は 

心の道しるべにも通じるものがあり、

印象が深いものでした。

 

 

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