自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

劇薬も聖者には効き目がない

2019年03月28日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

恐れがなければ劇薬も影響を与えない;その理由

*******************************2019・3/28

 

アニ―タの臨死体験中アニータは

”すべてはそのままで完全だ。

だから私には病気などに本来負けるはずがないし、

すでに癌だって、癒えている

という確信のもと現在意識が肉体に蘇り、奇跡的な回復を

見せて、退院したお話を、すでにご紹介した。

 ここまで書いて思い出した話がある。

私のクリヤヨガの師であるヨガナンダ師の自叙伝に、書かれていた

ある聖者の話。

それも合わせてご紹介したい。

 

このエピソードはパラマハンサ・ヨガナンダ師著 

”あるヨギの自叙伝”の31章載っている。

この話の中の、ラヒリ・マハサヤ師はヨガナンダ師の先生、

スワミ・ユクテスワ師の師匠にあたる。

 つまり、ヨガナンダ師の先生の先生に当たる方だ。

少し長いが、本誌より引用させていただく。

 

ラヒリ・マハサヤは、有名なスワミ・トライアンガと親交があった。

このスワミはすでに3百歳を超えているという噂だったが、二人の

ヨギはよく並んで一緒に瞑想していた。

トライアンガの名前はすでに広く世に知れ渡っていたので、彼の行った

奇跡を信じないインド人はほとんどいないくらいだった。

 

もし今の世に、キリストが再び現れて、ニューヨークの街を歩き

その神通力を表して見せたとしたらどうだろう。

トライアンガ師は人込みの中を歩きながら、まさにそれに似た驚きと

畏敬の感動を人々の心に呼び起こしたのであった。

 彼は唯物主義の波に洗われているこの時代の流れの中で、インドを

その浸食から守った偉大なシッダ(’完成者’)たちの1人であった。

 

スワミ(トライアンガ師)はたびたび人の面前で恐ろしい毒を

飲んで見せたが、なんの害も受けなかった。

また、彼がガンジス河の水の上に浮かんでいるのを見た人は

何千人もおり、その中には、今日なお生きている人もいる。

彼は何日も続けて水の上に座っていたかとおもうと、また、

何時間も水中にもぐっていることもあった。

 マニカルニカの水浴場で、このスワミが容赦なく照り付ける

太陽にさらされながら、焼けつくような石畳の上に不動の姿勢で

座っている姿はよく見られる光景であった。

トライアンガはこれらのわざを通して、人間の生命が酸素や

一定の環境、条件等に依存するものではないことを、人々に教えよう

としたのである。”(引用終わり)

 

さて、このトライアンガ師に事件が起こる。

毒を飲んでも効き目がないという噂が本当かどうか確かめるために、

に毒を飲ませようとした輩(やから)が現れた。

 その計画を実行に移し、実際に、トライアンガ師はその毒を飲んで

しまった。

どうなったか? 

ヨガナンダ師は次のように記している。

 

マーヤの宇宙の夢から目覚めて、この世を神の心の顕現として

真に認識している偉大な聖者たちは、自分の肉体が意志によって

自由に操ることができるエネルギーの凝縮であることを知っている。

 

それゆえ、(偉大なヨギは)意のままに自分の肉体を支配する

ことができるのである。‥略・・

この偉大なヨギは沈黙の習慣を守っていた。

彼はまた、肉付きの良い顔を巨大な太鼓腹を持っていたにも

かかわらず、食物はほんのたまにしかとらなかった。

 

何週間も断食をしては、ときどき弟子のすすめるヨーグルトを

器に一・二杯飲む程度だった。

 

ある時、1人の懐疑論者がトライアンガをいかさま師と決めつけ、

その正体をあばいてやろうとたくらんだ。

彼は塗装料などに用いる石灰をヨーグルトに混ぜて、大きな器に

いれてスワミ(スダ注;トライアンガを指す)の前に差し出した。

 

トライアンガは、このゲキレツな石灰の混じったヨーグルトを

なんの躊躇なく最後の一滴まで飲み干してしまった。

 すると、一、二分たつかたたないうちに、悪事を企んだその男は、

胸をかきむしりながら床に倒れて苦しみ出した。” (引用終わり)

 

トライアンガ師が毒を飲んだにもかかわらず、平然としていて、

事もあろうに、毒を飲ませた本人が苦しみだしたというのは

どういうことだろう。 

続けてその様子が記されている。

 

” ’この馬鹿者め!’

偉大なヨギは日頃の沈黙を破って大声で言った。

お前は自分の生命が私の生命と一つであることも知らずに、

私に毒を勧めた。

 もし私が、万物の原子の中に宿っておられる神が、私の胃の中にも

おられること知らなかったら、この劇薬で殺されていただろう。

どうだ、これで自業自得ということの神性な意味がわかったか!’

引用終わり)

 

トライアンガは悟っていた。

それは、”自分の体は神の生かす力が胃袋の原子ひとつひとつに

宿っているか何も自分を害するものはない”という自覚があった。 

 何か(誰か)が自分を弱めたり、傷つけたりすることがあるだろう、

が、世間的常識や物理的法則は、自分には無関係なものだ。

そういう化学反応が自分には適応しないのだ。

なぜなら、自分の細胞一つ一つの動きは、神が自分を造り給いた

完全なる意識にいよって、守られ生きているからだ。

 

自分にとって、何も恐れることはない“とトライアンガ師は、

強く意識をもち、その波動通りに、体の細胞が働いていたからだ。

ヨガナンダ師は著書の中で、それを次のように表現している。

 

”愚鈍な心の持ち主は神が実際に正義であり、愛であり全知であり、

不滅あることを信じようとしない。

彼らはそれらを、ただ聖典の絵空事としか思わない。” 

 

”この苦痛の逆転化は大師の意志によってなされたものではない。

それは、宇宙の秩序を維持している正義の法則が自然に働いたのである。

 

トライアンガのように、神と一致している大師たちは、神の法則の

自然作用を妨げる自我意識を、自己の中から完全に追放してしまって

いるため、神の法則が即座に働くのである。”

 さて、これを読まれて、皆さまは、いかがお感じだろうか? 





 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

癌は自分になりきれない、余った自分のエネルギーが表出したもの

2019年03月20日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

”恐れを自分の心から抹消できれば癌も癒える”の意味再考  2019・3.20

************************************************


前置き)

先日、何年振りかで渋谷のスクランブル交差点を渡った。

学生時代の仲間たちと会うためだ。

 その折、数人の仲間が癌の摘出手術を余儀なくされたことを知り、

心を痛めた。

アニータの例は特別かもしれない。

誰もが臨死体験をするわけではないし、彼女が悟ったような、

素晴らしい自分の本質を自覚できる機会はめったにない

といってもよいだろう。

 

でも、彼女がこの体験を発表した意義は深いと思う。

それは、彼女が語る、愛されるべき、そして無条件に愛されている

自分の魂の本質は、誰にも共通だということだから。

 私自身、余命宣告を受けた体験者としていえば、当時の自分の生き方

や考え方と照らし合わせてみると、’恐れ’とは別名、’怒り’と

言い換えてもよいかもしれないと考えた。

 

それは外部に対しての’怒り’であると同時に、自分に人知れず向けられて

いる’怒り’であることが多いのではないか~と感じる。

***********************

 ”恐れを自分の心から抹消できれば癌も癒える”というタイトルで

連続して記事を書いている。 

このタイトルを見て、どのくらい、”うん、そうだ”と、ピンと

その意味合いを察してくださる方がいるのかと訝った。

むしろ、抽象的でわかりずらいタイトルだと思う。

”恐れ? 

今現在、癌や病気になっていないのだから、癌が見つかったら、

考えてみよう。

でも、癌が見つかったら、誰だって怖いでしょう。

恐怖が原因だというのは、おかしくない?”

思う人が大方だと思う。

なので、もう一度、アニータがここでいう”恐れ”について、

少しまとめさせていただこうと思う。 

アニータは彼女の自著(*1)で次のように書いている。

”While I was in that state of clarity in the other realm, I instinctively 

understood that I was dying because of all my fears"

 訳すと、

”私が臨死の世界にいた間に、直観でわかったのだ。

それは私が(癌で)死につつあるのは、すべて私の’恐れ’から

きていたことだった~と。”

 

そのことはどういうことかといえば、次の言葉がそれを

具体的に説明している。

”I wasn't express my true self because my worries were preventing 

me from doing so.”

つまり、

”私はいつも心配ごとをかかえ、それが自分を本当の自分たらしめる

ことに妨害となっていたというのだ。

 

そして究極的なアニータの癌に対する見方は次の言葉にある。

”It was just my own energy , manifesting as cancer because 

of my fears weren't allowing me to express myself as the 

magnificent force I was meant to be."

 訳すと

”癌は私自身のエネルギーの現れ、なぜなら私は自分を外に

表現できず、表現することに恐れを持ち、

本来の自分の持つ力を抑えていたからだ。”

 

もっとこの言葉を突き詰めるのなら、彼女は

恐れ=他人・家族・社会が自分をどう評価するか心配=を持ち、

自分を外からの基準で審判し、批判し、自分自身に

つらく当たりながら生きてきたーということだろう。

そんなアニータだったが、臨死体験中、自分の’小我’が’大我’

となるのを体験した。

そのとき、自分は愛すべき、愛されるべき自分だったという

事実に気が付き、同時に、自分が癌になり今、瀕死の床について

いるのは、すべて自分が持っていた、”恐れ”から来ていた

と悟るのだった。

”It had nothing to do with  anyone else. I was the one who was

 judging me, whom I 'd forgiven, not other people. 

I was the one who was judging me , whom I'd forsaken, and 

whom I didn't love enough. 

It had nothing to do with anyone else. I saw myself as a beautiful 

child or the universe. 

Just the fact that I existed made me deserving of unconditional 

love.

I realized that I didn't need to do anything to deserve this- 

not pray, nor beg,not anyathing else. 

I say that I'd never loved myself, valued myself, or seen

the beauty of my own soul."

”私が、ほかの誰でもなく、私自身が赦されていた。

自分を批判したのも、愛情をかけなかったのも、見捨てようと

していたのも、私がそうしていただけ。

事実は、無条件の愛情を受け取るために、私は存在

しているということ。

そのために、特別に何かしなければいけないわけでない。

祈ったり、懇願したり、ほかのいろいろな手段は必要なかった。

私は、今まで自分を愛したことはなかった、自分の価値を知らず、

私の魂の美しささえ、見ていなかったことに気が付いた。”

 

こうしたアニータの気づきは,自著の中で語られる。

が、くどいようだが、一番の癌になった要因についてアニータは、

'恐れ'が原因だという。 

その恐れがあるために、楽しく美しく愛されるべき自分であることを

忘れ、人の価値感や社会の価値観の定規で、いつも自分を批判してきた

アニータの、つもりつもったエネルギーが癌となって表出したと、

アニータは知ったのだった。

 人が社会人、家庭人、良識ある人間として生活するなかで、

本当の自分を見失っていく要因になるもの、の一つも、

”恐れ”ということになるだろう。

言い換えれば、恐れがあるから、”本当の自分を見せたくない”、

人から悪く思われたくない”、”批判されたくない”、”無視されたくない

人と違って変わっていると、つまはじきされたくない”、ということに

なる。

中高生の間で、一時、話題になった話がある。

”ラインの友達からくる返事に、一喜一憂するほど、誰かと

つながっていたい” という思いから、返事がなかったり、既読にもならず

無視されると、’恐れ’が増長して、いてもたってもいられなくなるという。

そうした’恐れ’が、’自分’を見失うきっかけになっているとアニータは

言う。

自分がそのままで無条件の愛情に包まれていること、無限の大いなる力

の具現した存在が自分だと悟ったとき、”恐れ”の、根っこは

深いところから断ち切れることも、アニタの体験記から確認した。

その時こそ、冒頭のタイトルの”恐れがない”という状態になった。


 

(*1) " Dying to be Me"My journey from Cancer, to Near Death

to True Healing by Anita Moorjani Hay House , 2012 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恐れを自分の心から抹消したら癌が消えた(4)

2019年03月15日 | 健全生活のために”死”の常識を反転

 

臨死体験をした筆者の親戚とアニータの話の共通点。 2019・3・15

****************************************************

私の親戚、(といっても血はつながっていないが)妹の嫁ぎ先の90歳を

過ぎた父上も臨死体験をしている。 

大戦中、特攻隊員として訓練を受けていた。 詳細は避けるが、

病院に運ばれ家族が見守る中、死の宣告を受けた。 

が、その方は、棺の中で息を吹き返した。

 意識が戻り、自分がすでに葬られる寸前にあることを察知して、慌てて、

棺桶の中から釘を打たれる前にこんこんと蓋を内側からノックして、周囲

の人たちが驚愕する中、無事お棺の蓋は開き、事なきを得た。

 

その方から直接その話は伺う機会もあった。 述べたように、すでに、

心肺停止で棺に入れられたが幸いにまだ釘が打たれていなかった。

心臓が止まり、死の宣告を受けているとき、その方の意識がどこにあった

のかというと…伺ったお話では、魂があの世の際(きわ)に行き、

肉体に戻るかどうかを、あの世とこの世のすれすれの地点で生か

死の決断をさせられた~という。

その際、現れた霊人に、“まだ幼い子供たちがいるから心配だ。死に

きれない”と強く訴えたら、 いつの間にかお棺の中に横たわっている

自分の肉体に意識が戻ったという。

 

その話によく似たことをアニータは次のように自著(*1)に書いている。

“医師は私の臓器の機能を検査して、すでにその報告書を書いていました。

・・・検査結果には臓器機能不全と書かれ、もし、身体に戻る選択をすれば、

臓器が再び機能し始めたと記されるでしょう。

 

その瞬間、私は、‘もう、戻りたくない’と決意しました。そして、自分の

身体が死んでいくのを感じ、臓器機能不全による死だと医師が家族に

説明している場面を目にしました。”

 

何故ここで、アニータは戻りたくないと感じたのだろう? 

その理由をアニータは次のように回想している。


“無条件の愛あと自分が受け入れられた感覚は素晴らしいものでした。

私は永遠にその状態にいたかったので、境界線(注:生と死の)を

超えようと思いました。そこには、痛みも苦しみも、ドラマもエゴも、

存在せず、私はあらゆる生き物と創造物の純粋な本質に包まれて

いました。 

 

まさしくすべてが一つであると感じていたのです。”

 

一方で、アニータはそう思いつつ、結果的に肉体に戻る選択をした。

そこには、新たな人生を歩むという大きな決意があったからだ。

愛と本当に純粋な自分の姿、すべてが繋がりあっている宇宙の

タペストリーを垣間見ることで、アニータの魂は、すでに新生

していたのだ。彼女の言葉を引用しよう。

 

“死の方へ歩き続けると決心した瞬間、私は新しいレベルの真実に

気が付きました。自分が本当は確かに気づき、本当の自分のすばらしさを

理解したので、もし身体に戻る選択をすれば、病気は急速に治癒するだろう

とわかったのです。

 

それも何週間や何か月かけてとかではなく、わずか2,3日のうちにです。 

もし、身体に戻ったら、医師は癌の痕跡すら見つけられないでしょう。”

 

“どうやって?どうしてそれが可能になるの?”と聞きたくなる。

アニータは自ら、その答えを出している。

 

“身体は自分の内側を反映したものにすぎないと悟りました。

もし、内なる自己がその偉大さと、おおいなるものとの繋がりに

気づけば、私の身体はすぐにそのことを反映し、病気は急速に

治るでしょう。”

 

そして、彼女はこの経験を多くの人に知ってもらうことで、

癌や難病で苦しむ人たちに希望と勇気を与えることができると考えた。

どうやって? どうしたら多くの人達に知ってもらえるか?” 

とまた次の疑問がわく。アニータは答える。

 

“何千人という人達、おそらく、何万もの人達を手助けすることと

関係しているようでした。

彼らと臨死体験で得たメッセージを分かちあうのかもしれません。

でも、自分から追い求める必要はなく、また、それをどうやって

表現するかを考える必要もないのです。

ただ自然の展開に任せていればよいことでした。”

 

“自然の展開にまかせるって?” という質問が出てくる。アニータは答える。

自然の展開へ到達するために、私がすべきことは、ありのままの自分

でいることだけなのです。

私はこれまでのすべての年月において、自分に必要だったのは、ただ

ありのままの自分でいることだったと悟りました。

自分を非難したり、欠点があると思ったりせずにです“

 

ありのままの自分って? こんなに欠けている所がある自分で

良いというの?” と聞きたい。アニータは答える。

 

“私たちの本質は純粋な愛だとわかりました。

誰もが純粋な愛なのです。

完全なるものからやってきて、それに戻るのであれば、そうでない

はずはありません。

このことを理解したら、自分であることをもう恐れることはないでしょう。

愛であることと、本当の自分であることは、ひとつであり、

同じことなのです。”

 

そして、臨死体験の経験を他人とシェアーすることで、多くの人達の

手助けになると語ったアニータだったが、もっと、簡単に人を癒せる

確実な方法を知る。

 

“大きな新事実、それは雷光のとどろきのごとく、やってきました。

単に自分の本当の姿である愛でいれば、自分も他人も癒せると

わかったのです。

それは明白なことに思えました。

もし、私たちがみんな一つで、無条件の愛という全体のさまざま

側面であるなら、私たちみんな愛の存在だということです。

私はそれが人生の唯一の目的だと知りました。

つまり、本当の自分でいて、自分の真実をいき、愛であることです。“

 

こうしてアニータは、自分の体験を多くの人たちに伝えることを

人生の目標と定め、精力的に活動を始めた。

話の冒頭に戻ると、私がお会いしてお話を伺ったその方も、

生還後?銀行業務の傍ら、精神界のお話を多くの人たちに伝えることに

何十年も真摯に努められている。

アニータも妹の嫁ぎ先の父君も、死と生の境界線に立った体験は、

その後の人生を変えるほど、大きな影響を与えたことは共通していえそうだ。

 

 

*1  ”喜びから人生を生きる!”~臨死体験がおしえてくれたこと~ 

アニータ・ムァジャーニ著、2013年  (株)ナチュラルスピリット

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恐れを自分の心から抹消したら癌が癒えた(3)

2019年03月08日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 クライアントAさんと.父.のセラピー施術結果の医師の反応      2019年3月8日

*****************************************

 

現代医学の物理的法則では”ありえない”アニータの、

末期症状の癌が全部消えてしまったという結果は

こうして生まれた。(前々回までの記事参照してください) 

 

私事で恐縮だが、私自身のクライアントAさんのケース

をここで思い出した。

Aさんは北里病院で、直腸がんと診断され、病院側の

治療方針として、30回ほどの放射線治療のあと、

手術もあり得るといわれた。

何としても手術は避けたいというご本人の強い願いで、

藁をもすがる思いで私の元にいらした。

 

初回は私の腰が立たなくなるほど、患部からの

手ごたえは大きかった。

しかし、徐々にその手ごたえが薄れるとともに、

15回位(2か月ほど)の施術後には、癌特有の波動を

感知しなくなったので癌が癒えたと私は思った。

 

そこで、Aさんに告げた。”検査を受けて、放射線

をおやめになっても良いのではないですか?”

 

あまりにも唐突なタイミングだったのだろう、

そして、そんなことがあり得ないという疑いとともに

Aさんは困惑した様子で、返答の言葉も出なかったが、

その後まもなく病院で再検査をした。

 

結果が出た。 その結果を私に報告してくれるAさんの

口どりは、おかしそうだった。

というのもアニータの癌細胞が陰性の結果を見た医師の

反応に似た言葉が、医師から発せられたからだった。

 

担当医師の、心配そうに結果を聞くAさんの前で、

開口一番の言葉が、、”大変ことになったんですよ。”だった。 

 

’大変なこと?’ その言葉の意味合いに検討がつかない

Aさんは、恐る恐るその理由に耳を傾けた。 

医者はつづけた。”こんなことがあり得るはずがない。

 

予定放射能照射が半分も満たない段階で、直腸癌が

消えてしまったのですよ。。。

大変なとです”ということだった。

 

’何が大変だったのでしょう?’とAさんは最後に

そう付け足しで、笑顔でその喜ばしい知らせを届けてくれた。

 

私の実父の検査結果を見た担当医師も、ほぼ同様の

態度をとった。父は血尿が出て、病院で診察を受けていた。

再び血尿が出た時は ”入院ですよ”と担当医師に言われる

ほど、状態は良くなかった。

 

そんな折、たまたまインドから一時帰国した私は、

父の容態を聞いた。血尿が再度、出たというのだ。

以前からの医師との約束で入院する予定だという。

 

れまで日本にいる家族に施術をしたことが

なかったが、この時ばかりは、病院に任せる気ちが

なかった。私は父に、ぜひ、入院せずに、私に施術を

させて欲しい、と切り出した。 

 

その原因は私なりにつかめていた。父は腎臓病になる

数年前に天井の電球を取り替えようとして、2メートルほどの

脚立に乗ったが、重心を崩して転落して、を打っていた。 

その後、左足のひざ下がしびれ、スリッパが脱げていても

気が付かず、足をひきずりながら歩いている状態の時、

やはり帰国していた私は、セラピーを父に施したことがあった。

 

結果は良く、痛みや簡単な脳梗塞気味の左下半身の神経も

順調に、回復した体験があったので、この申し出に、父は快く

承諾した。

 

当時、父が落ちて打撲した頭部箇所から派生した、体の

ひずみがまだ癒されておらず、内臓の方に影響が出ている

のかもしれないと感じた。 

全体の順気を整えることが必要だと思った。

こう書いてもあまりピンとこない方が多いと思う。

 

’全体の順気を整える’という意味を例えると、公園の池に

石ころを投げ入れる。

すると、水面には四方八方さざ波がたち、振動が伝わっていく。

人体も同様で、何か大きな損傷や刺激を受けた場所は一時的に緊張して、

つまりが生じ、体全体に刺激が伝わっていくにつれてだんだ

とおさまっていく。

 

人によっては、その人が本来弱い部分にその伝わった衝撃が

そのまま影響して、’つまり’が生じて、硬くなっていくと、

凝りとなり、そこから、細胞の順気が滞る。

すると、何らかの症状が身体に出てくる。

 

だから、その時も、古傷がまだ完全に癒えておらず、

父の体全体の順気を整えたいと思ったのだ。

 

父は、私に任せようと、決断するや否や、医師の忠告を

反故にした父を不安そうに見つめる母のまなざしを

よそに通院していた病院に電話をかけた。

 

’娘が帰国していて、インド式施術を受けるので、

入院のベッドはキャンセルさせてください”と 自らその

決意を伝えた。

 

ここまで信頼を寄せてくれる父に対し、私も必死だった。

予定では、数週間日本に滞在したあと、たまったマイルを

利用して、米国ミシガン州の大学に留学していた息子を

訪れることを楽しみにしていたが、そのような状況下、

その航空券がやむなく無効になるのも辞さず、ひと月以上、

父の傍らで、施術に全力を注いだ。

 

毎日、トイレに行く度に尿の状態と量を図り、

食事の献立、食べた量、などを慎重にチェックしながら、

施術を続けた。 

山や谷のある状況を何度か超えて、完全に血尿がなくなり、

症状もなく安定した生活に戻りつつある父に、けじめを

つけるため、再度病院に行き検査をけるよう私は勧めた。 

 

私にはもう大丈夫だろうという自信があったが、その結果

を医師から聞くことで、母や父自身の精神的安堵も保証

されると思った。

 

状況がまだわからない病院側は、入院一日目は重篤患者

が入る,ナースステーションに一番近い部屋を父に用意した。

たが、数日後には、トイレに行くのにもナースステーション

からも一番遠い部屋に

移された。

 

検査結果はすべて正常値だった。特に、父親の臓器に

映っていたレントゲン写真上の”石ころ”は消えていた。

私は父とともに、そのレントゲン写真を前に、医師の

検査結果説明を聞いた。

ところで、何故、アニータの癌が消えたのか?

アニータ自らがその答えを知っている。

”それは恐怖心が消えたから”とアニータは言う。

以下、著書から引用する。(*1)


”私には抗がん剤治療が必要ないとわかっていました。

医師たちは私のためではなく、自分たちの理由付けのために

それを行ってきたのです。

私は、自分ば無敵で何者も自分をやっつけることは

きないとわかっていました。

今、血管に注入されている劇薬でさえもです。

 

れは長年私がずっと恐れていたものでした。

そして興味深いことに、今回はいつもの副作用が全く

現れませんでした。

 

医師チームは抗がん剤投与に伴う、吐き気がみられないので、

とても驚いていました。

私は勝利を得た気分でした。その時の私は、死ぬことから

癌や抗がん剤まで、あらゆるものに対する恐怖心を完全に

乗り越えていたので、自分を病気にしていたのは、恐れの

気持ちだった確信しました。

 

し、これが向こう側の世界を体験(注:臨死体験)をする前

だったら、大きな赤い文字で書かれた劇薬という言葉も

それから身を守ろうとする看護師たちの厳重な装備も、

きっと私に死ぬほどの恐怖感を与えていたでしょう。

心理的な影響だけでもきっと私の息の根は止まっていたかも

しれません‥“

 

最後のラインにある、”心理的影響だけでもきっと私の

息の根は止まっていたかもしれません”というアニ―タの言葉。

 

心理的影響だけというより、心理的影響が病に一番

直接の影響を与える。

恐れ自体がすでに感情である以上、恐れがなければ

心理的影響はないといってもよいだろう。

 

先に例をあげた、クライアントのAさんの場合は、

恐れは常にあったがそれ以上に、’手術をせず、何とか

乗り切りたい”というAさんはさんの強い思いに ご家族ぐるみ

で協力されて、その愛情ある支援が大きかったのだろう。

もちろん、私の施術に対する’信頼’もそこにはあったように思う。

 

父の場合は、もともと薬嫌いで病院に行くこともほとんど

ないほど健康体であったが、私が父に、施した脳梗塞気味の

左下半身のしびれや感覚がないような状況が良くなった

という体験から、私の施術に絶大な信頼を寄せてくれていた

というのが大きな理由だったと思う。

 

信頼と不安は反比例する。何に対しても信頼、信仰を

純粋に持てば持つほど、不安の入る隙は小さくなる。

 

アニータの”恐れが病の原因だった”という彼女の言葉の裏

にも、彼女の強い信念を感じる。自分の本当の姿を臨死体験中に

味わい、本当の自分にとっては、怖いものがないという

自覚に至ったアニータ、

 

これまでの人生の節々で感じていた恐れや不安が抜き去られ、

でに癌も癒されているという信念の確かさは、

ゆるぎないものだった

 

 

*1  ”喜びから人生を生きる!”

~臨死体験がおしえてくれたこと~ 

アニータ・ムァジャーニ著、2013年  

(株)ナチュラルスピリット

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感謝とともに、シタール演奏(10年前)を皆様に捧げます。

2019年03月01日 | 協会ホームページ



今弾くシタールの波動が違ってきていることをいつか証明するために、

これを残します。  

2019年2月27日(3月1日再投稿)

**********************************************

前置き)

父の13回忌が本年にありますが、

亡くなった年、私はインドでの15年間の

生活(国立デリ―大学、大学院芸術学部

で文学修士号、哲学修士号、芸術学部

古典音楽科・博士号取得後、2年間の

ワーキングヴィザでの滞在)にけりを

つけて、帰国しました。

 

それから10年以上、一昨年、母が他界

するまで、シタールから離れ、要介護3

の母のもとで介護を続けてきました。

 

その間、シタールをつま弾くことが

申し訳ないほどの自分のメンタル状態、

まり、世俗的なあわただしさと

身体的疲れからくる精神的波の不安定

さで、シタールからは遠ざかって

しまいました。

 

去年、13年ぶりに私の師匠である、

Ustad Shujaat Khan に個人的お稽古

をいただくことができ、周期的に年に数回、

再び、シタールの研鑽が師匠のもとで可能

になりました。

 

そういうわけで、今、皆様に聞いていただく

記録が残っているものですぐアップできたのが

この二つのインド時代に残した10年前の演

というわけです。

 

”皆様にささげる”インド音楽と申しても、

そのインド音楽に関しては、まだまだ

若輩者で修行中の私です。ですが、シタール

という楽器の音色をご存知のないかた

も多くいらっしゃると思い、ご紹介させて

いただきたいと思いました。 

 

これを機に、少しずつ、まだまだ前進の余地

があると思って、その真髄に向かって

研鑽していけたら幸いです。

 

 

皆様、いつもブログを読んでくださって

ありがとうございます。

私のシタール演奏が二本、アップされました。

もし、ご興味のある方がいらっしゃれば、

googleで、以下のように検索して

下されば幸いです。

① "Japanese sitar player plays Japanese Old Songs"

 

Japanese Sitar Player Plays Japanese Old Songs

 

”Japanese sitar player plays "Raga Malkauns"  

 

Japanese Sitar Player Plays "Raga-Malkauns"

最初のは 民謡、ソウラン節や、日本の童謡を

、即興的にアレンジしたものです。

後者は代表的なインドのラガで、どちらかと

いうと教的な荘厳な”マルコス”

と呼ばれるラガです。

 

私が弾いているパートは コンサートで

、最初に弾かれる”alaap”とと呼ばれる

リズムのない、最も、曲の特徴を表すパートです。 

 

このパートは特に、演奏者の個性が出る

ところで、楽譜やこう弾くべきである

という決まったメロディーがなく、

弾くときの旋律につける装飾的要素は

気分次第ですので、西洋音楽のように

同じ仕上がりで毎回演奏することは二度と

100%不可能なパートの一つでもあります。

 

これはインド時代に残した記録の一つです。

今聞いて、とても不足感のあるものでは

ありますが、皆様、どうぞ、ぜひ、

よろしければご鑑賞くださいませ。 

よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする