恐れがなければ劇薬も影響を与えない;その理由
*******************************2019・3/28
アニ―タの臨死体験中アニータは
”すべてはそのままで完全だ。
だから私には病気などに本来負けるはずがないし、
すでに癌だって、癒えている”
という確信のもと現在意識が肉体に蘇り、奇跡的な回復を
見せて、退院したお話を、すでにご紹介した。
ここまで書いて思い出した話がある。
私のクリヤヨガの師であるヨガナンダ師の自叙伝に、書かれていた
ある聖者の話。
それも合わせてご紹介したい。
このエピソードはパラマハンサ・ヨガナンダ師著
”あるヨギの自叙伝”の31章に載っている。
この話の中の、ラヒリ・マハサヤ師はヨガナンダ師の先生、
スワミ・ユクテスワ師の師匠にあたる。
つまり、ヨガナンダ師の先生の先生に当たる方だ。
少し長いが、本誌より引用させていただく。
”ラヒリ・マハサヤは、有名なスワミ・トライアンガと親交があった。
このスワミはすでに3百歳を超えているという噂だったが、二人の
ヨギはよく並んで一緒に瞑想していた。
トライアンガの名前はすでに広く世に知れ渡っていたので、彼の行った
奇跡を信じないインド人はほとんどいないくらいだった。
もし今の世に、キリストが再び現れて、ニューヨークの街を歩き
その神通力を表して見せたとしたらどうだろう。
トライアンガ師は人込みの中を歩きながら、まさにそれに似た驚きと
畏敬の感動を人々の心に呼び起こしたのであった。
彼は唯物主義の波に洗われているこの時代の流れの中で、インドを
その浸食から守った偉大なシッダ(’完成者’)たちの1人であった。
スワミ(トライアンガ師)はたびたび人の面前で恐ろしい毒を
飲んで見せたが、なんの害も受けなかった。
また、彼がガンジス河の水の上に浮かんでいるのを見た人は
何千人もおり、その中には、今日なお生きている人もいる。
彼は何日も続けて水の上に座っていたかとおもうと、また、
何時間も水中にもぐっていることもあった。
マニカルニカの水浴場で、このスワミが容赦なく照り付ける
太陽にさらされながら、焼けつくような石畳の上に不動の姿勢で
座っている姿はよく見られる光景であった。
トライアンガはこれらのわざを通して、人間の生命が酸素や
一定の環境、条件等に依存するものではないことを、人々に教えよう
としたのである。”(引用終わり)
さて、このトライアンガ師に事件が起こる。
毒を飲んでも効き目がないという噂が本当かどうか確かめるために、
師に毒を飲ませようとした輩(やから)が現れた。
その計画を実行に移し、実際に、トライアンガ師はその毒を飲んで
しまった。
どうなったか?
ヨガナンダ師は次のように記している。
”マーヤの宇宙の夢から目覚めて、この世を神の心の顕現として
真に認識している偉大な聖者たちは、自分の肉体が意志によって
自由に操ることができるエネルギーの凝縮であることを知っている。
それゆえ、(偉大なヨギは)意のままに自分の肉体を支配する
ことができるのである。‥略・・
この偉大なヨギは沈黙の習慣を守っていた。
彼はまた、肉付きの良い顔を巨大な太鼓腹を持っていたにも
かかわらず、食物はほんのたまにしかとらなかった。
何週間も断食をしては、ときどき弟子のすすめるヨーグルトを
器に一・二杯飲む程度だった。
ある時、1人の懐疑論者がトライアンガをいかさま師と決めつけ、
その正体をあばいてやろうとたくらんだ。
彼は塗装料などに用いる石灰をヨーグルトに混ぜて、大きな器に
いれてスワミ(スダ注;トライアンガを指す)の前に差し出した。
トライアンガは、このゲキレツな石灰の混じったヨーグルトを
なんの躊躇なく最後の一滴まで飲み干してしまった。
すると、一、二分たつかたたないうちに、悪事を企んだその男は、
胸をかきむしりながら床に倒れて苦しみ出した。” (引用終わり)
トライアンガ師が毒を飲んだにもかかわらず、平然としていて、
事もあろうに、毒を飲ませた本人が苦しみだしたというのは
どういうことだろう。
続けてその様子が記されている。
” ’この馬鹿者め!’
偉大なヨギは日頃の沈黙を破って大声で言った。
お前は自分の生命が私の生命と一つであることも知らずに、
私に毒を勧めた。
もし私が、万物の原子の中に宿っておられる神が、私の胃の中にも
おられることを知らなかったら、この劇薬で殺されていただろう。
どうだ、これで自業自得ということの神性な意味がわかったか!’
引用終わり)
トライアンガは悟っていた。
それは、”自分の体は神の生かす力が胃袋の原子のひとつひとつに
宿っているから何も自分を害するものはない”という自覚があった。
何か(誰か)が自分を弱めたり、傷つけたりすることがあるだろう、
が、世間的常識や物理的法則は、自分には無関係なものだ。
そういう化学反応が自分には適応しないのだ。
なぜなら、自分の細胞一つ一つの動きは、神が自分を造り給いた
完全なる意識にいよって、守られ生きているからだ。
自分にとって、何も恐れることはない“とトライアンガ師は、
強く意識をもち、その波動通りに、体の細胞が働いていたからだ。
ヨガナンダ師は著書の中で、それを次のように表現している。
”愚鈍な心の持ち主は神が実際に正義であり、愛であり全知であり、
不滅であることを信じようとしない。
彼らはそれらを、ただ聖典の絵空事としか思わない。”
”この苦痛の逆転化は大師の意志によってなされたものではない。
それは、宇宙の秩序を維持している正義の法則が自然に働いたのである。
トライアンガのように、神と一致している大師たちは、神の法則の
自然作用を妨げる自我意識を、自己の中から完全に追放してしまって
いるため、神の法則が即座に働くのである。”
さて、これを読まれて、皆さまは、いかがお感じだろうか?