自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

不安定・欠点だらけのアンバランス人生も芸術だ!

2017年06月25日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

自然治癒力は芸術作品と同じ~非対称を見直そう。

2017.6.25

*****************************************************

 今日の記事は”生きていること矛盾だらけ、それでも進む 前向きに”

というタイトルで、2015年7月31日に投稿したものをベースに書き

換えています。

 

生きているというのは、躍動、動いていることだ。

心も体も生きている証として、寝ていても‘動いている’、

自律神経が心臓を動かせ、脳では夢の世界を提供している。 


そして、動いている限り、必ず、そこには、誤差が生じる。

 

自然界を見ても、無機質の機械でさえ、動き続け、そして、

誤差が生じ、アンバランスが生まれ、壊れたり、破損したり

している。

 

私たちが平面の図面でコンパスを使って描く完全な円も、動き

ながら造ると、どんなに正確に動いても、多少のほんのわずか

でも歪みを生んでいるという。

今日のテーマはこの アンバランスな歪みが自然治癒力でも

大切という話。

 

左右若干の歪みがある場合、それはアシンメトリー

=不対象といわれる。

不対象 であるのは、不完全か?といえばそうでもない。


生命的、躍動的な動きを示すためには、むしろ、不完全

でないと、心を打たない。

躍動的だから美が生まれる。

たとえば、芸術で言えば、生け花の極意も 左右不対象

に生けられた空間(間合い)によって決められる。

西洋の壮大な建築物はほとんど、左右対称に作られるが、

法隆寺などの仏塔の並び方や日本庭園などは、むしろ、

左右不対象で物体との間にある、空間で、奥深い味を

演出している。

 

有名なレオナルドダビンチのモナリザの絵も、彼女の

口唇の端はわずかな角度でずれているといわれるし、

ギリシャ彫刻のヴィーナス像にしても、顔の部位は

それぞれわずかに左右歪みがあるという。

 

その歪みやブレが 生きているような躍動感や生命感

を人に伝える。

歪みといえば、原子の世界でも同じで、1957年 

中国人の物理学者 李政道らが コバルト60の原子核

から出る電子は S極から出る電子のほうが、N極から

出る電子より多いという実験結果を得て、のちに

ノーベル賞をとっている。


原子の世界でも左右不対象であることが証明され、自然界

や宇宙スケールの観方でも、アシンメトリーの規則を 

科学的視点からも、無視できなくなったようだ。

 

ベルギーの物理学者 イリヤ・ブリゴージンは1977年 

ノーベル化学賞を受賞し、次のような言葉を残している。


“宇宙の起源が大きな爆発(ビッグバン)で始まったとしたら、

宇宙は単なる花火だ。

自然界はビッグバンで説明がつくほど、簡単単純ではない。

近くに寄れば寄るほど、複雑な世界がみえてくる。 

その複雑で豊かな想像力にあふれた宇宙ではすべてのものが

流転する。 

そう考えると、確率の法則など、冗談にもならない。

本当の世界はもっとデリケートだ。 

法則もあれば、例外もある。

時間もあるが永遠もある。 

世界を自動装置の機械とする考えは古い。 

古代ギリシャの発想に戻ろう。世界は結局芸術なのだ。“

 

法則のみで問題を解決しようというのに無理があるのは 

人の体も同じだ。

上記の言葉の中で、”ギリシャの芸術”とは、何なのだろう?


躍動を現す、わずかなアシンメトリ―がアンバランスの

中に美をもたらし、動きをだすことで、絵や彫刻が、

より生命的に感じられるというその美的感覚を取り入れた

芸術にほかならないだろう。

 

一方、左右対称の差が大きくなればなるほど、不安定感

は増すのも事実のようだ。

あるところまでは 芸術的アンバランスが鑑賞されても、

それ以上崩れると、単なる駄作になってしまうから面白い。

心に訴えかけるには、アンバランスの割合も大切なのだろう。


千島学説の研究家 枠山紀一氏はその著(*1)で10項目を

挙げている。

中でも、

“すべての事物は矛盾対立を内包し、その葛藤が進歩や

変化の原動力となる”

さらに、

“生命の形態はアシンメトリー(左右不対象)である。”

というのがある。

 

“生命の形態”とは、言い換えれば“大自然の形態”とも

いえるだろう。

電子の小さな極点の形態から 宇宙のしくみにいたる

まで左右不対称、陰陽のエネルギーが上手にバランスを

取りながら全体として平衡状態を保っている~という

ことのようだ。


分かりやすい例を言えば、

私たちが歩くとき、右足に全体重を預けるとき左足は

上に上がっている。


左足を前に一歩進めて、それから右足を挙げれば左足に

全体重がかかる。

こうして交互に 左右不対象の動きを続けることで

前進できる。


だから、“生命は動いている”というのも こうした 

“足で前進する動き”に似ているのかもしれないと思う。

 

歩き続けていても、ふと、立ち止まることもある。

途中でくたびれれば、休むこともある。

立ち止まれば左右両足に体重は二分されてかかり安定する。


それでも又、時がたてば ダイナミックなアンバランス

行動を無意識に始める、つまり、歩き出す。


完全にバランスが保たれたとき、平衡状態になったとき、

それは肉体の死を意味するだろう。

 

ヴェーダ哲学でもいうところの、総ては一(ひとつ)に帰結

するという、一の意味は、生命の原点をさす。

冒頭に例を出した、コンパスで円を書くときの、コンパスが

当たる位置をさす。

それを、“ひふみ神示”では一が動いて二になり、何かが

生まれる三”になるというような表現をしている。

 

一、二、三、という数は 生命弁証法にとっても、象徴的だ。


もともとすべては一である。 

一から始まる。 


それが二つに分裂したかのように見える。

(かのように見えるというのは 生まれた二つのものが別個

であるという勘違いに基づく)物理的な意味ではなく、

ここでは精神的な意味で使っている。


そうすると、二つの相反する価値観が生まれる。 

美と醜、善と悪、などなど・・

今、二極化された精神世界の中で 私たちは無意識のうちに 

それが当たり前と考えている。

 

‘好きか嫌いか’、‘良い感じ、悪い感じ’、‘できるかできない’、

‘楽しいか苦しいか’などなど・・・二つの価値観は、今の次元

には、常識だ。


この二極化された価値観が、ある意味必要で、アンバランス

の中の、前進を生む役目をするのだろう。

 

そう考えると、私は 今の私で良いのだろう。

人とは違っていてよいのだろう。

批判されても、仕方がない。

その人の価値観と違うのだから。


私は欠点だらけと言われても、気にすることはない。

アンバランスな人と思われていても、それは当然だ。

大切なことは、そのアンバランスを逆手にとって、前に
進ことなのだと思う。


生命も同様で、生物の中の矛盾対立とよばれるように、

完全な平衡状態あり得ることではなく、多少なりとも

どちらかがより力を持ったり、無くしたりして、生体は

保たれているようだ。

 

風邪をひくのもその一つ。

”矛盾対立“が存在していて、それが風邪の症状を引き出す、

引き金になる。


体の中のアンバランスが崩れて、より良い平衡をつくろうと、

熱や鼻水、咳や痛みが伴う症状が現れる。

 

これこそ、体の自然治癒の働きの一つと、生体を知る人

は考える。

クライアントで膝小僧に水が溜まって心配している人がいた。

セラピーで体の有機的つながりが正常になると、この

アンバランスがほどけて、足の異常は消えた。


癌患者は腹水がたまる。 

末期的症状といわれる。 

これも、考えてみれば腹水をためて、芯の体温が上昇して

いくのを下げようと生体の自然治癒力が必要性に応じて

働いているからだ。

 

私たちは症状が出ていると、即座に”どこが悪いのだろう?”

と不安になる

その時、生体はこうしてアンバランスを創りだして体を

整えようとしているのかもしれない。

 

生体の仕組みは、研究室で研究を重ねても、わからない

ものだ。

物理的法則は試験管内では100%外れはないだろうが、

生命となると、プラス@が必要になるから、そう簡単

には理論どおりにいかない。


むしろ、体は 物理的法則を取り込みながら 独自の

“生命法則”をつくりだしている。


たとえば、外科手術で片方の腎臓や肺臓を切り取っても、

片方が大きくなって、その不足を補う。 


眼の視力が失われた人は、他の器官の感覚が、その分

発達していて、正常の人以上に、回りが見えていること

も考えられる。


こればフラスコや試験管の中では知りえない生命の法則

の一つだろう。

自然治癒力というのは、まさに、この生命の法則の

最たるものといってよいだろう。


アンバランスを、いろいろな意味で味わい、生きて

いけたら、心身ともにだいぶ楽になるはずだ。

 

(*1)“ 蘇る千島学説 ”2004年 なずなワールド発行

 

 

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あわ(天地)の歌とリンポチェの教えの関連性

2017年06月20日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質

 

私(須田)はこの歌で、変わりました  2017.6.20

******************************************

フリ―画像 宇宙 に対する画像結果

 

”あかはなま” で始まる、あわ(天地)のうた(注:2) 

は、強力なマントラである。


私は、必ず、自然治癒力セラピーを数回受けられた自分の

クライアントには、この歌をイニシエーションさせていただく。 

そしてほとんどの方たちは、ご自分の体が、唱えることで、

その言霊に反応して変化を感じられていく。


効果を感じると、このうたを、進んで唱えられるようになる。 

すると、まもなく、自己セラピーをしているのと同様の

”反応”が体に出てきて、爽快になり、いわゆる、自然治癒

していることがたびたびこれまでも見られた。

 

イニシエーションというのは、歌の言霊が、身体に影響を

直接に与えることができるように、身心共々の浄化をしながら、

この歌のスピリットを伝授する。


アワの歌は、ネットでも出てくるから、一人で唱えることは

可能だが、唱える人の身体を高速道路に喩えると、

イニシエーションの意味が、説明しやすい。


高速道路で、いくら100キロで走りたくても、道路上に未処理

の事故車があれば、どうだろう?

事故車が取り除かれるまで、道路は渋滞するから、先に進めない。


どんなに性能の良い高級車に乗っていても、渋滞していれば

関係ない。

高速道路は、身体の気の流れで、事故車は、その気の流れを
阻害する、”身体のつまり”とか、"凝り”をさす。

イニシエーションをするとは、まず、アワの歌の言霊が心身
を流れることができるように、つまり や 凝り を解いて、
この歌を、教えて差し上げることだ。


”詰まり”と呼ばれる 順気経路に、”滞り”があると、その滞りを

除かない限り、あわの歌;あかはなま の歌を いくら唱えても、

なかなか、その歌のもつ、言霊の恩恵を受けることはできない。


このうたの出だしは あ行、か行、は行、な行、ま行 の 

母音ア からその一節は始まる。


日本の超古代秀真(ほつま)文字で見ると、象形文字のような 

の形が母音アをあらわしていて、その中に点を入れたり、

天地を結ぶエネルギーの縦線と、地のエネルギーの横線が

加わって、子音が構成される。


母音あ音が ”あわの歌”の最初の節にあらわされているのにも

意味がある。

”あ”の音は、物質の最初の形に現れる以前のエネルギー体、

つまり、”物事の本質”を示しているからだ。

 

これは、普遍性のあるものだから、チベットの教えの内容

にも、垣間見られる。

チベットから古く伝えられる、ゾクチェンの教えには、

“ア” の響きに、純粋性の空の本質を理解する言霊がある

と考えられている。


リンポチェの著書 (*2)から 空(くう)の本質を観じる

ための、”ア観想法”を 少し、ご紹介させていただく。

 

*********

アの音を繰り返し歌おう。呼吸とともに響きを吸い込み、

吐き出す。


呼吸は生命の息吹。

呼吸に意識を向けよう。

呼吸と響きは表裏一体だ。


アの音の響きには、精神面と肉体的側面がある。 

息を吸い込んだり吐き出したり、意識をそこに向ける

ことで心と呼吸が一つになる。


心は御者で、呼吸は馬だ。

馬は今、走りだし駆け抜けようとしている。


そこにはチャクラが並んでいる。

繰り返し ア音を歌おう。

その響きに守られプラーナは心と体を駆け巡り、

肉体的、感情的障害、心の妨げを浄化していく。


かたくなな思い込みも消える。

“ア”の響きは、こうして、あなたの奥深いところ

にある空間を開く。


今すぐ気がつかなくても、自分自身が開かれた状態

であることに気付く瞬間が必ずやってくる。

その具体的方法は以下だ。

①  アの音を歌うときははっきりと明瞭な声を出す。

 ②  意識は額のチャクラに向け、音と肉体がつながる

イメージを持とう。 

 その時、音に秘められたエネルギーや振動を感じ取ってみよう。

 ③  額のチャクラから白い光がほとばしり出ている。

それを心の中で映像化してみよう。

この光が存在の基盤となる次元を司っている。

 ④  アの響きを瞑想しよう。 

アの音を歌いながら、無限に広がる空間と、自分がつながって

いることに集中しよう。


アの響きは 妨げとなるものを解き放つ力を持っている。

自分ですら気づかない奥深い場所にある妨げ物もすべて

解き放たれるので、その空間はますます広がりを見せ、

自分とつながっていることを知る。 


歌い続けることにより、こうした効果が高まる。

 

⑤  その瞑想が深まると、自分が忘れていた存在、

太古から変わることのない完全な魂、

例えれば、砂漠の上に広がる雲のない晴れ渡った

青空のように広大なオープンな存在であることを

かんじられる。

 

⑥  時々、雲のように、悲しみや狼狽が思い起こされた

ように浮かぶかもしれない。

それはアの響きによって、徐々に消え去り、そのあと

に青空が見える。


アの言霊は、こうして青空の視覚を妨げる障害物を

浄化し、空間を広げる力を持つ。


⑦  空間を創りだそうとするな。

すでにその空間はあなたの中に存在していることを知れ。

自分の中に純粋で無限に広がる次元が存在している

ことに気付く。

それが阿音の持つ言霊の力である。

 

 

注1~ テンジン・ワンギェル・リンポチェ 

インド北西部、アムリッサル生まれ。

 ~ チベットポン教・ゾクチェン思想を西洋社会に

広めた先覚者で、米国 バージニア州で

リグミンチャ研究所運営。


注2~あわ の うた

あ か は な ま 

い き ひ に み う く

ふ ぬ む え け

へ ね め お こ ほ の

も と ろ そ よ

お て れ せ え つ る

す ゆ ん ち り 

し い た ら さ や わ  

(前半部分を イザナギ尊 後半部分を 

イザナミ尊 がうたわれた)

 

秀真文字 に対する画像結果 秀真文字

 

青線引用参考:”チベット聖なる音のパワー” 

2010年 KKベストセラーズ発行



 

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3つの塔と鳩

2017年06月16日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

平成24年8月18日投稿、タイトル: (協会の方針)3つの塔と鳩

************[p

昨日 2017年6月15日に この場所を開いてくださった方へ:

見直してみたら写真がなぜか消えていました。

改めて載せます。

 

チャンネル名

3つの塔と鳩

 

 

鳩が飛ぶ~3つの塔の狭間に~どこに行くの?~青い空に向かって~
私の心も飛ぶ
3という’表象の間’で

”肉体・霊体・幽体”の三(3)
~”過去・現在・未来”の三(3)
”ラジャス(激性)・タマス(鈍性)・サットワ”浄性”の三(3)
~”三位一体”の三(3)

そして、アートマ(自己の本性)と
アハンカーラ(エゴ)と
肉体の三つの谷間に・・・・

落とされ、空を見つめ、果てなき頂き(いただき)の高さに絶望し、

暗闇の中で人知れず慟哭の涙を幾度、落としたことだろう。


長い旅でもあったようで
一瞬の間でもあったようで

気が付けば、ふと見上げると、そこに青い空が広がっていた。

真実を求めて彷徨ううちに
自分の本当の力に気づき実感した。

鳩はあなた、そして、私。


地に伏せ、闇におののき、孤独に星空を仰ぎながら、
あの、頂きにたとりつくことを信じて、這い上がって・・


気づいた、今 翼を開いていたのだ。

くじけなかった
あきらめなかった
そこには太陽がいつも照らしていることを、たぶん、知っていたから。信じていたから。
闇の中でも 宇宙の星の輝きに慰められたから。

この鳩はそう、
アートマに向かって、歓喜に向かって、不完全に見える
’自分’を 心から祝福してくれている生きとし生けるものに対して、

’感謝’とともに舞い上がり
”自分を見よ、自分とともに、ともに、羽ばたこう”と見上げる人に呼びかける

三つの塔に、もはやしがみつかなくても、
落ちることもなしに

その広げた翼で、どこにでも飛んでいこう。

太陽の光をもっともっと浴びながら、空気の逆流を感じながら 

飛んでいる自分を縛るものはない、

それが
私の姿、
そして
本当の、あなた自身。

”究極の自分になろう”と飛び続ける。

PS>

因みに、このサイトはこのブログの最も初期、たぶん、三回目に載せられた

ものです。(

 

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霊的・魂の話と自然治癒力(ルルドの奇跡)

2017年06月15日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 

スピリチュアリティと世間の風当たり 2017・6.15

************************************

 ルルドマリア像 に対する画像結果人間・この未知なるもの” の著者 アレクシス・カレル

は ノーベル・生理医学賞を1912年に受賞した。


組織培養法を発見し,血管縫合術,臓器移植法を考案して 

現代医学の礎を築いた功績が、たたえられた。

ところが、氏は、1904年に故国フランスを離れ、アメリカ・

カナダにわたっている。


その一番の大きな理由が、1902年に、巡礼団付き添い医師

として,キリスト教聖地、聖地ルルドを訪問した際、

重症の結核性腹膜炎の少女,マリ・バイイが聖水を浴び,

急速にその症状が回復した事実に遭遇したからだ。


そして、この時の事例を、「ルルドの奇跡」が実在したと

して、リヨンの医学会で発表。

これが、きっかけとなり、医師仲間からは非科学者と

そしられ、実質的な医療活動が 故国ではできなく

なったという背景があった。


カルル博士のような業績を残した医師でも ひとたび

霊的な話を業績に付け加えようとしただけで、いわゆる、

バッシングを受けるのは、きっと現代もあまり

変わりないのかもしれない。

 

シャーロック・ホームズの名前を知らない人はいない。

彼は、アーサー コナン ドイルが生み出した推理小説

の中の有名な主人公だが、この生みの親、コナン も

また、イギリスの王室からサーの敬称を与えられたにも

かかわらず、教会からは疎んじられる。 


なぜなら、彼は心霊学に傾倒して、キリスト教では人は

救えないと背反的意見を述べていたからだ。

結局、没後小さな名も知られない教会の墓地に眠った。

    

科学のみならず、文学の分野でも、なかなか霊的なこと

や魂の話を溶け込ませて発表するのは、一般的には

難儀なようだ。

 

私は、宗教心理学研究会の末席にメンバーとして参加

させていただいている。

自然治癒力を語るのには、人の神秘性の洞察や深い内面

という形而上的な気づきがかかせない。 


それは、日常と異なる宗教的次元の話になることから、

自然治癒力もその意味で”宗教的心理”と呼べるであろう

意識が関連してくる。 


しかし、宗教 というと特定の限られた集団の信奉する

教えを指すと考えると、矛盾が出てくる。

 

私が考える、’宗教’ というのは、あくまで、人間の内面性

への憧憬と探究、そして人間の本質とか、生きる上での

道理などをさしている。

 

最近、研究会代表を務める先生とメールでこんなやり取り

をさせていただいた。 

それは、宗教というのはスピリチュアル という広範囲な

捉え方で呼ぶことができるか?という質問と、 心療内科

設立者、池見博士が提唱している信条(*注2)は 

宗教心理学の分野として考えて良いかという確認だった。


二つの質問に対して、肯定的お答えをいただいた。 

が、心療内科でいう所のスピリチュアル的提示の方法は、

今後の課題となるだろう、というコメントも頂戴した。

 

やはり、専門的学会や、学者集団の中で、魂や霊的な

話はタブー視される風潮があるのかもしれない。

カレル博士がルルドのマリヤの奇跡によって、癒された

少女の事実を認め、かつ 医学分野の学会にその信念に

沿った意見の提唱を試みたことは 勇気ある行動で

あった。

 

カレル博士の心情を顕わした言葉をご紹介したい。


“祈りは、人間が生み出しうる最も強力なエネルギーである。

それは、地球の引力と同じ現実的な力である。

 医師としての私は、多数の人々あらゆる他の療法で

失敗した後に、祈りという厳粛な努力によって疾病や

憂鬱から救われた例を目撃している”

 

カレル博士は、祈りがエネルギーであることを認識

している。 

普通、人は漠然と祈る。 

りながら心の隅で、この祈りが本当にかなうの

だろうかなどという猜疑心が浮かんでいたりする。


が、本当に祈る時は、宣言になる

宣言というのは、すでに、その事は成し遂げられて、

必ず、現実になるという確信に近い感情で、

現実になったヴィジョンすら心に明瞭に浮かぶほどの

集中力で、祈るから、宣言に近いものとなる。

 

そのくらいの信念がある祈りならば、祈りの言葉と

ともに、大きな創造エネルギーが その間、放出され、

空間にいきわたり、その祈りの成就にふさわしい、

対象物を引き寄せている~と先覚者は言う。 


カルル博士は、そうした祈りの本質を魂で知って

いたのだろう。


だから、博士は 祈りを“現実的な力”と評している。 

地球の引力と同様の力だという比喩は、祈りの法則、

つまり、祈った時、必要なものが引力のように、

引き寄せられるという、祈りの本質を知っているから、

そう言えるのだろう。

 

”自分は治る” と信じれば、本当に治るのだ。 

”本当に信じれば” の条件が付くけれど。 


自分は成功するのだ~と本当に信じている人は、

どんな困難があっても、困難と思わずに

障害物競争のように、突破していくだろうし、

反対に、恐怖心を持っている人には、その恐怖して

いる対象がいつもその人に付きまとう~だろう。

 

私自身、少しずつでも カレル博士のように、

勇気をもって、自然治癒力体験、信念と体の

関係、そして、人間の本質が’神性’という資質で

あることを、発信し続けていければと改て思った。

 

 

引用部分: 

1. 人間-この未知なるもの:アレキシス・カレル著,

渡部昇一訳・解説,三笠書房(1992)

 

2.池見博士は人間回復を目指す医学のかなめは、

むしろ、”宗教と医学の出会い”だと、明言されてる。

心理学会でも人間回復の心理学(humanistic phycology)

指針が池見博士の信条と重なる。


それは、人間回復の医学に重要とする考え方と

以下のような 共通項が見られる。

 

( 1).  人は人間として全体的な総合性をもち、

単なる部分(パーツ)の集合体ではない。

 

(2).  人間は自分の意思があり、自ら選択する自由がある。 

自由があることは責任を負うものでもある。

それは生涯的事実であり、幼児期に個性が形成される

という決定論からははみ出す存在である。

 

(3).  人間には気づきがある。

知的解釈のみならず、体験的、直観的に把握される。

気づきを考慮しない抽象的な心理学は 観念的に

なりやすく本来の人間の実態に反する。

 

(4).  人間は身体と感情をもつ。 

否定的・肯定的感情に限らず、身体と感情の関係、を

見直しする必要性。

 

(5).  人間は、一人では充実した生活を送ることは

困難だ。本当の自分を把握するには、他者との関わり合

いぬきには難しい。


“彼に実在を与えるものは他者である” というインドの

詩聖タゴールの言葉の意味は真実である。

以上

 

 

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地球のバイオリズム (4)ムー大陸~日本の関係

2017年06月10日 | 健康のための心の波動

 

 日本がエネルギー中心点に回帰するのは あと300年後?2017.6.10

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この本*(ガイアの法則 千賀一生 2010年 徳間書店)

の最終頁の裏側に数行こんな言葉が添えられている:

”本書はファンタジーであり、すべてフィクションです。 

登場する人物、団体、地名、国名などは

すべて架空の世界です。本書の内容が現実の出来事と

一致しているのは、偶然の一致とお考え下さい。” 


この著書の言葉を尊重したうえで、今日から私が主観的に

同調して数回にわたり、ご紹介する、

ブログの内文は ’この本’の引用部分を中心にした、

ファンタジーとしてお読みいただければ幸だ。

 

 皆既日食

 

皆様は肉眼で、皆既日食(かいきにっしょく)をご覧に

なったことがあるかもしれない。

このように、星が重なり合ったときに、表面には現れない

ところに”何か” 存在すると、シュメールの賢者、

大神官は述べる。


たとえば、太陽と月と地球が一直線にならんだとき、月は

満月か新月になる。 


特に満月の日は、狼男の血が騒ぐという小説の題材になる

ほど、実際人間の生理に変化を及ぼすことは、科学的根拠

があるらしい。 

この特別な日には、人間の脳にも変化が起こると大脳生理学

ではいわれている。

 

この’何か’は、女性の美容にも関係がある。

美容’に関連ある睡眠の適切な時間帯が’夜10時から深夜2時

まで’で 、その時間帯に深い睡眠をとると、美容と健康に

一番効果的だという。


その時間帯は、地球と人間の位置関係を探ると

“太陽との一直線上に地球の中心が来た位置

ということになる。

つまり、星が並ぶとき’生じる 何か’ とは、恒星の中心軸と

惑星の中心軸が一直線上に並ぶときに生まれる、

一つのリズムの中の節目(ふしめ)”をさすようだ。


今まで見てきたように、地球には独自のバイオリズム

リズムがあるように、宇宙スケールでリズムが脈動し、

ある節目を造るのだろう


このリズムの節目は、生命を蘇生させる作用を持っている。”

とシュメールの神官は言う。

 

人間の生活は自然界のリズムの中で営まれている。

私たちの身体は小宇宙と言われる理由は、大自然のリズムに

呼応しているからなのだろう。


身体を構成している人間の細胞が、一定の’生命のリズム’

よって動かされているとしたら、地球はこうした宇宙を貫く

リズムによって地球上の変化を促していく。

 

今まで述べてきたように、1611年ごとに22.5度軸で歴史の

大きな変遷が見られてきた事実は、地球のバイオリズムの一つだ

と、神官は教えた。


地球のバイオリズムは地球が存在したときから 心臓の鼓動の

ように働いていた。 

地球が存在し、人類が出現し、文明が造られる・・・


古代文明を築き上げたシュメール文化は、メソポタミア文化

より古いとされるが、最古ではない。 

シュメール文化の前はどこで繁栄がみられていたのだろう?


それは今から1万2千年前にあたる。

そのころは、伝説の文化が存在し、影形なく消えた時期にあたる

と一部の考古学者たちには言われている。

今は沈没したが、かつて、太平洋上にあった陸地に栄えた 

最高度の文明とは?


1万2千年前にその文明が突如として消えたその文明のあった

地とは? 

それが、いわゆる、ムー大陸だ。


そしてイギリスの反対のスピンに、日本が位置するように、

ムー大陸の文化圏と対極にあったのが、アトランティス

文明の地であったと、神官は語った。


1万2千年前の地球バイオリズムのスピンの位置は、

① 西回りスピンと東回りスピンが180度の角度で開いていたという

(先回までご紹介した計算方法でいくと・・)


② そして、その反対の東回りスピンではどこに、脈動ポイントが

あったかといえば、大西洋の中央、西経34.25度だった。

その位置が、ムー大陸崩壊期に存在していたといわれる、

アトランティス文明の地を意味している。

 

この二つの地球の”脈動地点”が180度に離れた位置にあったとき、

ちょうど、星の位置が一直線に並び、宇宙リズムをさらに節目に

までもっていくほど、高まらせるように、この時は、地球上に、

大変動を招いたという。


その結果、大地の分離と収縮の作用が強まり、ムー大陸文明が

海底に沈んだという。

 

興味がある点はここからだ。

聖なるリズムを知り、海底に沈むことを予知していた、ムー大陸の

賢人たちは、太平洋周辺の各地に移住したという。


その周辺の地域に移住した中でも、日本列島を選ぶ叡智グループの

人々は多かった。

なぜなら、

“神官たちにとって、日本列島は、最初から彼らの文化圏の一つで

あったため、他国への移住というより、地方への首都移転に

等しい感覚だった”

とシュメールの賢人は言う。

 

当時の日本列島の超古代文化は、かなり、高いレベルに達して

いたのだろう。

彼らの文化圏に属していたというのは、ムー大陸の文明レベルと

同様の文化が日本に築き上げられていたということだ。

 

日本とこうした海に消えた超太古時代の叡智ある国の人々

との関係は次のようだと、シュメールの神官は語る;


“現在の人類の文明が、今から約6400年前にシュメールから

スタートしたように、さらに、もう6,400年前からはじまった 

文明周期は今のあなたの国、日本列島からスタートしたのだ。


彼らは南米大陸まで行けるほどの航行技術と知識を持つ平和

な人々だった。”

 

私は今、古代文字で書かれた日本超古代史ホツマツタエを読みながら、

この神官の言葉をかみしめてみる。


日本はトの国と言われ、地球の創生時期は、他に、オの国、カの国、

ミの国、ヤの国、ヒの国、タの国、メの国、を開くため、地球上に

クニトコタチの神が地球上に分散し、治め、日本古代文化のような栄光

ある古代文明をそれぞれの地で築き上げた~


と、ホツマツタエ(秀真伝え)に書かれている。 


中国 インド、エジプト、などなどの古代文明の恩恵に浴した国々が

それにあたると考えられる。

 

さらに、神官は言葉を続ける:

 ”この失われた文明の叡智を受け継いだ一団は日本の各地に

移り住んだが、その中心者は淡路島のある東経135度の位置に

定住した。”


 日本の創生にあたり、淡路島はとても重要な場所として

ホツマツタエにしるされているのも事実である。 

天照大神の父君の、イザナギ(伊弉諾)の尊は、淡路島で

お生まれになっているのだ。

 

日本の文化は、中国や朝鮮から伝わったと歴史では教えられて

きたが、そうした古代文献や シュメールの神官が語る内容も

含めて、また ホツマツタエの内容を読む限りでは、むしろ、

天成る道(あまなるみち)を 超古代日本人は実践しつつ、

様々な分野で他の国をリードする立場にあったようだ。


最後にシュメール神官の言葉をご紹介して終わりたい。

“今がまさに新たな時代を築く節目の期間なのだ。


人間の思念は、常に同じ影響力を未来に発するわけではない。

それが強く働くときと、弱く働くときとがある。


このリズムには個人のリズムもあるが、万人に共通の頂点

となるポイントは 一日の中では早朝と就寝前、月の周期に

おいては、満月と新月、公転周期においては、夏至と冬至

などがそうだ。


この期間の意識はその後の期間に強い影響を与える。 

地球は今、巨大なサイクルの夏至の期間に相当している。


この時代に生まれた人々の思念は、後々の時代まで影響を

与える重要な思念となる。

あなたがたは新たな文明の創造にとって、最も重要な役割

を担わなければならない。”

 

“新たな文明サイクルの誕生を促す脈動は、東経135度ライン

で始まりつつある。 

東経135度を中心に広大な範囲に対して、この誕生作用は

働き始めている。

当然、日本人はその影響下にある。” 

 

実際には、地球バイオリズム計算でいくと、西暦2400年に

その脈動の力は最大になるという。


日本を中心にアジア全体が活気づき、対照的に 0度地点、

つまり現在のロンドンを中心としていたアングロサクソン文化

は衰退する。


だからこそ、“今がまさに新たな時代を築く節目の期間なのだ

と神官は述べる。

今の私たちの意識が反映され 西暦2400年に日本を中心とした

アジア圏の文明の力は、ピークを迎えるということに

なるからだ。

壮大なファンタジーであり、一方、実現可能な夢物語のような

気もする。

 

 

 

 

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