初詣に際して・・・一月三日 2024年
正月1日の能登半島地震により 亡くなられた方々に深く
哀悼の意を表し、被災された皆さまに心よりお見舞い
申し上げます。
初詣を済まされた方は多いことでしょう。
超古代史として現存している、”ホツマツタヱ”の
8綾には、三種の神器の一つ
“まふつの鏡”の記述があります。
この鏡に身を照らすと、”真の姿”を映し出すと
いわれてます。
この鏡に身を合わせると、人に似ているが、人では
ない”はたれ魔”の醜い部が 映し出される鏡
なのです。
“『勅宣(みことの)り;
汝(なんぢ) 忍(おし)仁(ひと)(註:天照大神の嫡子)
朕(わ)が代理(かわり)、常(つね)の任(よさし)も
御(み)糺(たたし)ぞ。
千々(ちぢ)の春秋(はるあき)民(たみ)を撫(な)で、
この八尺(やさか)瓊(に)の勾玉(まがるたま)・
朕(わ)が奇(くし)日(ひ)霊(る)と用(もち)ゆれば、
中心(なかご)真(ま)直(すぐ)に保つなり。
八咫鏡(やたのかがみ)は縦(たて)に振(ふ)れ、
諸人(もろと)の善悪(さが)を鑑(かんが)みよ。
又(また)八重(やえ)垣剣(がき)は剣臣(つ)に預(あづ)け、
荒神あらばよく平(む)けて恵み和せ』
と御手づから賜う、三種神宝(みぐさ)を給え、
尚(なお)も思えよ宝物、見ること朕(われ)を見る如く、
娶(めと)る千乳(ちぢ)姫(ひめ)相共に、常睦まじく
情愛(みやび)なせ。“
ピンクで書いた三つの宝が、三種の神器といわれる
ものです。
私たちが、正月に神社に初詣をすると、社(やしろ)
の中に、鏡が飾られてます。。
古代日本人の、宇宙観の象徴として・・・ 2023年8月24日
前回からの続きです・・・
****
さて、前回からのお話、前方後円墳の形をもう一度、
見てみたい。
○の形、これは 秀真文字でいえば、空(うつぼ)を、
□は、地を意味している。
どういうことかといえば、秀真文字は、○・△・□など
の象形に、天地からのエネルギーを表す線をいれて、
四角の象形を意味するものは、’’囲まれている’、つまり、
限界の存在する、土地に関連する言葉に使われ、丸は、
天に関連する言葉に使われる。
例えば、〇に中心点を入れると、”あ” のオンになり、
天地(あわ)の、天 を意味する。
たとえば、国という漢字をみると、外枠が四角に
取り囲まれ、その中に 王 が取り仕切っている。
つまり国とは、王が取り仕切る境界線のある土地を
意味する。
他にも、固定の 固 も四角に覆われている。
宇宙の元素が集まると、塊となり、固くなるという
意味だろう。
さて、話を元に戻して、古墳に、それ以外の、五元素は
どこに表現されているのか?
水・・・その周りに堀がほられ、”水”の存在がある。
火・・・”火”は、その古墳のもともとの色、”赤土” に
象徴され、一緒に埋められた”埴輪”にも、焼き物として、
火の要素をみることができる。
こうしてみると、古墳は、空(丸)と地(四角の形)、
土(赤土)や、水(堀)などで、宇宙構成の五元素
の象徴であることがわかる。
そこに、故人が葬られたということは、古代日本人
の宇宙観を表している古墳で、故人の肉体と魂は、
五つの大きな宇宙を構成する元素に戻るということを
示唆しているのでは? と私は考えた。
6~7世紀、蘇我入鹿が力を持つようになり、朝鮮から
仏教文化を導入してから、この本来の日本人の墓観念は
変化して、7世紀以降は古墳が造られることはなかった。
それはちょうど、日本古来の超古代史 ホツマツタエが
世の中から、隠蔽され、古事記が編纂されていった時代
に即応する。
現在でも、5千基ほどの、3世紀から6世紀にかけて造られた
とされる古墳が日本全国 北は青森、岩手、南は鹿児島
まで残っている。
高崎市にある、保渡田(ほどた)八幡塚古墳は 5世紀に
造られ、火山噴火で埋まっていたおかげで、ほとんど当時
のままで残されている。
埴輪などの付属品も当時の色合いや原型をとどめ、多く
出土された。
琴を弾く王や、力士なども認識できて面白い。
福岡県の王塚古墳は 6世紀のもので、レプリカが用意され
古墳内部も見ることができる。
赤黒緑の三角形の模様が多く壁に描かれ、遺体が横たわった
であろう石段の上には一杯の星が描かれている。
興味深いのは、奈良県の巣山古墳では2006年に古墳の脇土下
から 長さ8mの木造の船が出土されたことだ。
以前、エジプトピラミッドで見た、パピルスに絵に描かれて
いた、船とよく似た船であった。
エジプト古代王と船、日本の古代史の君と船、これも、古代人
の死に対する発想に共通点があったのだろうか。
***********************************
いつかだいぶ前になるがNHKのヒストリア~という
番組で、何故、古墳の形が前方後円墳、手前が四角で
後方がマルの形をしているかという解明をしていた。
同志社大学の元教授が 語っていた:
“古墳はツボの形をしていて、中国では不老長寿の
ユートピアの国をツボの上にかたどり、埋葬品と
一緒に埋めたことから、それに由来するのではないか”
日本超古代史、秀真伝(ほつまつたえ) は 古事記や、
日本書紀より古く編纂された~と認める人たちが増え
てきている。
6世紀以後、仏教文化の促進のため、聖徳太子以後、
”秀真伝”は、世から消え、密閉された。
心ある人達によって、それを、後世に伝えるために、
しかるべき処々に、保管されながら、最近、ようやく、
陽の眼をみて、今、多くの研究者たちに、解読読解と
普及が試みられるようになった。
神道関係者には、宗務庁が、”古事記”を正式な古文書
と認めている以上、秀真伝え(ほつまつたえ)の内容は、
公にはされていないのが現状である。
”古事記”と比較すると、”秀真伝”は、単なる神話以上
の、現実的かつ、科学的、史実的表現が見られる。
’現実的’というのは、何に関してかといえば、
日本人の現代にも続いている、独自の日本文化的遺産
のルーツが、精神的にも、歳時記的にも、明確に
記されているところだ。
さて、今日のテーマである、”古墳”と、”秀真伝”の
関係に戻ると、秀真伝には、古墳を通して、日本人
特有の宇宙観が 垣間見られる箇所をみつけた。
14綾に以下の記述がみられる:
”此処に於いて子守神は、御(み)種(たね)紀(ふみ)に
ついての教えを講ずるなり。
「古、天地の未だ分離せざる時、初に一元の気ありて其の
貌(かたち)は円(まどか)にて鶏卵の如きなり。
この気、動きて陰陽に分かれ水に膏(あぶら)の浮く如く、
陽(お)先づ昇りて天となり、陰は後に降りて地(くに)埿(どろ)
を成す。
更に土(はに)・水を分け土(はに)は山(やま)と成り、水は海
と成る。
天の気を空(うつお)と云い、空の動きて風を化(な)し、
風の動きて火(ほ)と化(ば)けるなり。“
・・・・・”空・風・火・土・水の五気が交(まじ)わりて
人と成り“
ここでは、私たちの世界を形造る、5元素が明らかにされる。
空、地、水、風、火 である。
それぞれがどのように誕生したか、上記の記述には書かれて
いる。
そして、その五元素、五気が合わさって、人間ができた。
稲作も大陸文化とされているようだが、イザナギ尊が、
それでは、先の同志社大学の先生が述べていた、東の国に
ある’不老長寿の国’ は、どこだろうか?
そう、”日本”である。
秀真伝えでは、そのことが明記されている。
それは、不老長寿の国と呼ばれていた理由は、富士山に
生えていた、“千代見草”と呼ばれる不老長寿の草が存在
していたからだと記述がある。
さらに、15綾には “支那王~しなきみ~出でて、
千代見草 尋ぬと嘆く”とある。
どういうことかというと、ここでは、蓁の始皇帝が、
不老長寿の仙薬(千代見草)を 東方海上にあると
聞き、探しにきたが、見つけられず落胆したと
いうのだ。
秀真伝研究家である、姑(はは)須田痲紗子に
よると、
“ 和歌山県新宮市と 熊野市に、それにちなむ
(草を探しに来た)徐福の墓があり、現代の中国
の学者たちの間では、蓬莱島は日本だったという
説を裏付ける。” としている。
さらに、蓁時代をさかのぼる、中国の春秋時代にも、
東方海上にあるといわれる、’神仙’に仙薬を求めに
出向いたということが記されている。
つまり、中国の墓からの出土品の、ツボの形の上に、
仙薬を求めにいくモチーフの彫刻から、このツボを、
無くなった魂が永久に生きるための、死者とともに
葬った、不老不死の仙薬を入れるツボであったので
はないかという仮説がある。