自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

息栖神社の由来(下)

2024年03月03日 | 超古代日本の精神(ホツマツタヱ)


2024年3月3日
***************
今日は、ひな祭りです。
ひな祭りは、夫婦道にも関連して、古代日本では大切に守られて
きたものです。

前回と今回の主人公である、姫君と夫君(アメノコヤネ命)が
仲良く夫婦道を、歩みつつ、最初の学びのお話、第一歩、
妊娠学を、子守神から学んだお話です。
****************

子守神は姫君に、男女の違いが胎児に現れる背景を、
こう教えています:

(男の子が生まれるためには)朝日を拝み、
陽の気を中心軸(心身の)に向かって左側に置き、
それから、陰の気を招くことです。

はじめに陽の気が軸を回り、陰を包み込めば、
陰は包まれて狭くなり、そこに、花茎が生えるから 
男の子の元ができて、男子が生まれるのです.

女子の場合は、夜の月に祈り、母の眼に受けた
月の霊気が、子宮を潤し、中心軸より少し外れて、
陽の気を交わりによって受けると、陰が最初に軸を
めぐり、陽を包みます。

陽は花茎を形成せずして、子宮がつぼみのように
身体の内側につくられ、これが女子の初めであり、
女の子が生まれてくるのです。

女子は月の巡りのように、ゆっくりとめぐるので、
日々の呼吸数は347回と男子を孕んだときより、
少ないのですが、29日目には11063回、30日目には、
一回減って31日目より、33日目までの三日間は、
一日19回減っていきます。

34日目には、一回さらに、減り、35日目から、また、
日々の呼吸数は347回ずつ増して、40日目には 
元の数の位の260372回となり増加は止まります。

胞衣(えな)のめぐり方も月に準じて男子に
比べると、少ないのです。”

としたうえで、帯をしめる理由を、教えます:

“豊受の神(玉杵尊)の造られた教えの帯は、
その人の身に合わせ、怨念から身を岩のように
強固に守り、国を安らかに治めるための神器なのです。
                                                        
男は下腹に、女は腹の上に締めます。
(その起源は)葛城山(かつらぎやま)に 豊受神が、
世嗣社を建てたとき、イザナギ・イザナミの両神に
世継子が授かるように祈られました。

そのとき、天から丹鳳(にひとり)の羽が落ちて
きました。
それを見た豊受神は、‘天の啓示で、近江国の伊吹神の
紅葉と化して、鳳の羽となって、葛城山に落ちてきたの
だろう’と思い、鳳山(いとりやま)と名付けました。

その羽を割いてみると、24筋になりました。
吉数ではあっても、常の鳥ではないため、他の鳥の羽
で調べてみると、15に裂けました。

また、日高見に献上された鶴の羽は24に裂けました。
そこで、それらの羽を撚り正して、雄のツルの羽を縦糸に、
メスのツルの羽を横糸に、羽でできた細い布をおって
みると、48筋となりました。

この腹帯を、母のイザナミ尊が身に着けたものの、
長い妊娠期間となり、96ヶ月たってから、御子を
産んだのでした。
天照大神の誕生です。

それを阻もうと ハタレ魔たちが寄ってきても、
腹帯の48筋は48神の守りの効果を生み、ハタレ魔たち
を寄せ付けませんでした。

その事例から、姫君も着帯することで、息数も整い、
無事に御子を御生みになれるのです。“

と、子守神が言うと、姫君の父親のたけみかづちの命は 
不審に思うところあり、質問しました。

“呼吸を整え、肥立ちを助ける帯の神通力はどこから
来ているのですか?“

子守神の答えるには、

“昔、豊受神は云われました。
‘天神より授かったこの帯は、天の法則に則り父の丈に
合わせて、帯丈を決める。 

大地の法則に則った母の、日ごとに変化する生きを、
帯の衣によって抱くのです。

腹帯をすることで、天より抱かれ地の気の母から
慈しみを受け、天照大神は、その意味を忘れまいと、
糸24筋をより合わせ、メス雄の羽二重の御衣を、
誕生後に着衣なさった。

この羽二重の御衣をお召しになって、朝毎に、天地を
祀り、ご両親の御心に沿うように、お仕えされたのでした。

(父母に礼拝しその孝を示した)それが君(大神)です。”

この話に深く感銘を受けた、姫の父君、タケミカヅチ命
は、自ら、羽二重を用意することを決め、姫と
アメノコヤネ命の新居として、息栖の宮を建てたと
”ホツマツタヱ”16紋には書かれています。

そして、同じ茨城県の、とある場所で、姫のため
羽二重の帯を造られた父君、そのとき、滞在していた
ところが、常陸と呼ばれ、今の日立市でもあります。

日立のもともとの語源は、この、肥立ちの帯、それが、
肥立となり、日立となっていったのでしょう。

ホツマツタヱの中には、こうした、現代と関係の深い、
日本文化の数々が多く、出てくるのです。

そして、前回からお読みの方たちには、明白でしょう
けれど、息栖神社は、息栖の宮があったところと
されております。





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息栖神社の由来(上)

2024年02月28日 | 超古代日本の精神(ホツマツタヱ)


東国三大神社
********************2024年2月28日

昨年から今年に入って、よく、息栖神社の名前を
耳にするようになった。

香取神社と鹿島神社と息栖神社を、東国三大神社と呼ぶ。

香取神社と鹿島神社は、古代日本史”ホツマツタヱ”
中でも、たびたび登場するし、実際、拝啓に伺っている
ので、由来などは馴染みあるものであったが、息栖神社
との関連性が、今一つ、ピンと来なかった。

たまたま、ホツマツタヱの16紋(あや)を読んでいたら、
簡単に一行だけ、’息栖の宮’と、それが現在の’息栖神社
であるという確証に出会えたので、今日は、それを
ご紹介させていただきたい。
****************

”ホツマツタヱ”16紋には、妊娠とそれに伴う’吸数の数’
詳細と、”腹帯の謂れ”が詳細に書かれている。


その舞台が、鹿島神社と香取神社であり、鹿島宮の姫君
が、妊娠後に住まわれたのが息栖宮(息栖神社)である。

鹿島神社には、タケミカヅチ命が、香取神社フツヌシ命
が居住してらした。

タケミカヅチ命には 一人娘(名前は特になく、’姫’と
よばれる)がおり、年頃になったので、お相手を賢者で
知られる、アメノコヤネ命に決め、その段取りを考えた。

アメノコヤネ命は、香取宮のツヌシ命の甥にあたる
ことから、タケミカヅチ命は、まず、香取神社へ 
フツヌシ命訪問し、是非、叔父君にあたる、フツヌシ命
から アメノコヤネ命をご紹介願いたい由を伝えにいった。

その話を聞くと、喜んでそれをひきうけた、フツヌシ命は、
仲人役を果たして、アメノコヤネと姫との婚姻が成立。

時は、天照大神の御子 アメノオシホノミミ尊が、東北地方の、
伊雑宮で政事を行っていた時代である。

結ばれて間もなく、姫は妊娠をした。

その、妊娠期間を恙なく過ごせるように、子守神が呼ばれ、
姫に妊娠中の慎み(心身両面での)を教えることになった。

そこで、息栖神社の名前の由来にもなっている、“息数”の
大切さが子守神によって、説かれる。

そのあたりを、具体的に、ホツマツタヱの16紋から
抜粋してみると;

”男子の呼吸数は、1万3千6百8十回、女子は
1万3千百8十6回だが、妊娠することで、女子の
呼吸数は増加する。

1日目は360回、翌日は720回、3か目は、1080回、
30日目は、10800回、38日目には13680回と増し、
26846回となると、増加が止まる。

卵子の回転数は、二か月後に、3日間速くなり、
しわ(羊膜や絨毛膜など)ができて、これを‘きさら’
といい、母親の慎みが必要だ。

卵子の回転数は64日目に64回転で最高となる。
旋回総数は1080回となる。

こうして種として、オノコロが創成されたように、
エネルギーが回転して、胎盤が形成され、胎児と
臍の緒で結ばれ肉もつく。

ゆえに、旋回の速度は落ちて、65日目は63回転、
66日目は、62回転と減っていく。

妊娠三か月めに入り、39回転となり、3日間は
その回転数のままである。

男女の別もはっきりとわかるようになり、胎児が
八夜(やよ)その変化のために勇むため、
母親は慎みが必要な時期である。”

このように、生物学的にもかなり、詳細な胎児の
成長が記載され、基本の呼吸数によって、その発育が
正常に行われているか否かも、判断できるように、
誕生までの1年間を、その生育月に合わせた形で記され
ている。

もう一つ興味深いことは、今、上に挙げた中で、
古来の月の読み方が、出てきていることだ。

一つは、”きさら” 二つ目は”やよい”である。

これは”如月”(きさらぎ)や”弥生”という月の名
の根源となっている。

因みに、須田麻沙子著の完訳 ホツマツタヱ に
よると、詳しくはこうなる:

師走(しはす)~ 精子(し)が走る時の因み合い

睦月(むつき)~ 睦の因み合い

如月(きさらぎ)~ 皺がさらに、増える着更

弥生(やよい)~嬰児が花茎(男子性器)が造られ
八夜(やよい)勇(いさ)

卯月(うつき)~ 嬰児うるおうも、慎みよ

皐月(さつき)~ さつさ腹帯締める

水無月(みなづき)~ 六月いたれば、水かわく

あふみ月 ~ あふみして臓器を分かつ

葉月(はづき)~ 五臓六腑・命門の12葉をわきまえ、他のかたち備わる

長月(ながつき)~ 表は32相 裏は脈14経、音道48源、備わる

神無月(かんなづき)~ 嬰児、肉こえて、神位をともなう。

霜月(しもづき)~ ホツマツタヱには記載なし。

これらの、12ヶ月にそった、胎児と母体の変化が、
子守神によって、細かく説明されているのが、
ホツマツタヱ”16紋である。

また、妊娠時の特徴が、月の由来になっているのも、
現代人はほぼ、想像しえない深い超古代日本人の、
智慧を感じる、一紋でもある。

加えて、腹帯(皐月にしめる)に関しての説明が
子守神によって語られる。

それを合わせて、息栖神社の由来に関しての
後編は、次回3月3日に・・・








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”鏡”への深い日本人特有の、考え方

2024年01月03日 | 超古代日本の精神(ホツマツタヱ)

初詣に際して・・・一月三日 2024年

***************

正月1日の能登半島地震により 亡くなられた方々に深く

哀悼の意を表し、被災された皆さまに心よりお見舞い

申し上げます 

***************

初詣を済まされた方は多いことでしょう。

神社の聖域の中心に、鏡が置かれています。
この謂れ(いわれ)をご存じですか?

超古代史として現存している、”ホツマツタヱ”の

8綾には、三種の神器の一つ

“まふつの鏡”の記述があります。


この鏡に身を照らすと、”真の姿”を映し出すと

いわれてます。

この鏡に身を合わせると、人に似ているが、人では

ないはたれ魔”の醜い部が 映し出される鏡

なのです


どういうことかと言えば、ハタレ魔の種類は、
*鵺(ぬえ)に似て、翼を持ち、人をたぶらかせるもの’、
とか、
*狐の影を持つもの’、などなど、何種類か存在していた
ようですが、この鏡をかざすと、憑いているハタレの
本性が暴かれました。

こうして、天照大神の時代に、何千というハタレ魔が
捕らえられました。

有名な、二見ヶ浦は、当時、”二見の岩” と呼ばれ、
この鏡は、その岩に置かれていたようです。

潮にも色を変えることなく、映った者の本性が
映し出されるという、鏡でした。

ホツマツタヱの8綾には、こう記されています:

”のちのハタレの 人となる マフツの鏡 みる
ために 二見の岩と名付けます”

人に災いをなす、ハタレ魔たちにも、この鏡を
かざすことで、その本性がばれて
しまいました。
しかし、その根性を改めることで、人に生まれ変わり
できたことも、添えられています;

”すべて 七ます 九千人みな 人なる法(のり)の 
御鏡を、セオリツ姫の 持ち出でて、後のハタレの 
人となる”

8綾には、ハタレ魔退治のお話が、描かれています。

9千人のハタレ魔が捕らえられたが、人となることを
教える、この鏡をかざすことでハタレ魔たちは 
生まれ変わって、人間になることができたというのです。

そして、次の文章には、ハタレ魔といえども魂を改める
ことで、神になれたという、最後の締めが、とても
魅力的です。

”万者(よろもの)斬れど 魂がえし 乱れ緒 
解けば 神となる”

こうして、様々な妖術を使い、人々を困らせ、悪徳
をはびこらせてきたハタレ魔たちも、捕らえられ 
処刑されても、”魂返し法”という 特別な祈りで、
その魂の乱れた緒を解き、神になれたという結末が
書かれています。

ホツマツタヱには、三種の神器についての箇所が
あります。

“『勅宣(みことの)り;

(なんぢ) (おし)(ひと)(註:天照大神の嫡子)

()が代理(かわり)(つね)の任(よさし)

()(たたし)ぞ。


千々(ちぢ)の春秋(はるあき)(たみ)()で、

この八尺(やさか)()勾玉(まがるたま)

()が奇(くし)()()(もち)ゆれば、

中心(なかご)()(すぐ)に保つなり。


八咫鏡(やたのかがみ)は縦(たて)に振()れ、

諸人(もろと)の善悪(さが)(かんが)みよ。


(また)八重(やえ)垣剣(がき)は剣()に預(あづ)け、

荒神あらばよく()けて恵み和せ』


と御手づから賜う、三種神宝(みぐさ)を給え、

(なお)も思えよ宝物、見ること(われ)を見る如く、

(めと)る千乳(ちぢ)(ひめ)相共に、常睦まじく

情愛(みやび)なせ。“

 

ピンクで書いた三つの宝が、三種の神器といわれる

ものです。

私たちが、正月に神社に初詣をすると、社(やしろ)

の中に、鏡が飾られてます。

この鏡に込められた(ホツマツタヱの超古代史から
窺い知れる)日本人特有の赦しの考え方”と、どんな
悪人でも、神の心を持っていることを教える、
超古代から受け継がれてきた日本人独特の精神的遺産”
を、もう一度、初詣にあたり 思い出すきっかけ
なればと思います。



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古墳と三次元世界の五元素・・

2023年09月05日 | 超古代日本の精神(ホツマツタヱ)


古代日本人の、宇宙観の象徴として・・・ 2023年8月24日

。。。。。。。。。。。。。。。

前回からの続きです・・・

****

”秀真伝”14綾(あや)には、人間が、五元素でつくられ
その背景が次のように、書かれている;

天地や人が分かれていないとき、
天御神(あめのみおやかみ)の一息によって、
すべてが動き始めた。

すなわち、その息は、東に昇り、西では
下るように、ぐるぐる回り、空点に深く巡り、
さらに、アワ(陽)とウビ(陰)が、一緒ごたに
かき回されるがごとく、動転した。

ついに、そのエネルギーは万物を産みだす、
御柱(みはしら)のごとく、一つにまとまり、
そこから、陰陽が分かれて生まれた。

は、清らかな軽やかな要素で、天に上り、
は、重く、中に、凝り固まる質をもつゆえ、
に降りた。

そして、陰は、’土泥’と、’水’のふたつに、形状を分けた。

一方、天に上った陽の気は、空(うつほ)を産み、
それがとなり、を産み、三種類の形状が
生まれた。

は三種の形状、は、二種の形状に、この世を
構成する要素として、ここに生まれた。

陽の源は、太陽、陰の源は、月となった。

空、風、火、地(埴)水の5つの要素がこうして
生まれ、誕生する基盤がつくられた。”

さて、前回からのお話、前方後円墳の形をもう一度、

見てみたい。

丸と四角の形が目をひく。


の形、これは 秀真文字でいえば、空(うつぼ)を、

は、地を意味している。 


どういうことかといえば、秀真文字は、など

の象形に、天地からのエネルギーを表す線をいれて、

表す。


四角の象形を意味するものは、’’囲まれている’つまり、

限界の存在する、土地に関連する言葉に使われ、丸は、

天に関連する言葉に使われる。


例えば、〇に中心点を入れると、”あ” のオンになり、

天地(あわ)の、天 を意味する。

私は、この秀真文字の象形は、漢字にも、生かされて
いるように思える。


たとえば、国という漢字をみると、外枠が四角に

取り囲まれ、その中に 王 が取り仕切っている。

つまり国とは、王が取り仕切る境界線のある土地を

意味する。


他にも、固定の  も四角に覆われている。

宇宙の元素が集まると、塊となり、固くなるという

意味だろう。 


さて、話を元に戻して、古墳に、それ以外の、五元素は

どこに表現されているのか


水・・・その周りに堀がほられ、”水”の存在がある。

火・・・”火”は、その古墳のもともとの色、”赤土” に


象徴され、一緒に埋められた”埴輪”にも、焼き物として、

火の要素みることができる。


こうしてみると、古墳は、空(丸)と地(四角の形)、

土(赤土)や、水(堀)などで、宇宙構成の五元素

象徴であることがわかる。


そこに、故人が葬られたということは、古代日本人

宇宙観を表している古墳で、故人の肉体と魂は、

五つの大きな宇宙構成する元素に戻るということを

示唆しているのでは? と私は考えた。


6~7世紀、蘇我入鹿が力を持つようになり、朝鮮から

仏教文化を導入してから、この本来の日本人の墓観念は 

変化して、7世紀以降は古墳が造られることはなかった。 


それはちょうど、日本古来の超古代史 ホツマツタエが

世の中から、隠蔽され、古事記が編纂されていった時代

に即応する。

前方後円墳 に対する画像結果




 

後記)

現在でも、5千基ほどの、3世紀から6世紀にかけて造られた

とされる古墳が日本全国 北は青森、岩手、南は鹿児島

まで残っている。

 

高崎市にある、保渡田(ほどた)八幡塚古墳は 5世紀に

造られ、火山噴火で埋まっていたおかげで、ほとんど当時

のままで残されている。 

埴輪などの付属品も当時の色合いや原型をとどめ、多く

出土された。

琴を弾く王や、力士なども認識できて面白い。 

 

福岡県の王塚古墳は 6世紀のもので、レプリカが用意され

古墳内部も見ることができる。

赤黒緑の三角形の模様が多く壁に描かれ、遺体が横たわった

であろう石段の上には一杯の星が描かれている。 

 

興味深いのは、奈良県の巣山古墳では2006年に古墳の脇土下

から 長さ8mの木造の船が出土されたことだ。 

以前、エジプトピラミッドで見た、パピルスに絵に描かれて

いた、船とよく似た船であった。

エジプト古代王と船、日本の古代史の君と船、これも、古代人

の死に対する発想に共通点があったのだろうか。 

 


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不老長寿の草を求めて・・ユートピアとは、古代日本だった  

2023年09月01日 | 超古代日本の精神(ホツマツタヱ)

         2023年9月01日

***********************************

前方後円墳 に対する画像結果

 いつかだいぶ前になるがNHKのヒストリア~という

番組で、何故、古墳の形が前方後円墳、手前が四角で

後方がマルの形をしているかという解明をしていた。


同志社大学の元教授が 語っていた:

“古墳はツボの形をしていて、中国では不老長寿の

ユートピアの国をツボの上にたどり、埋葬品と

一緒に埋めたことから、それに由来するのではないか”


日本超古代史、秀真伝(ほつまつたえ) は 古事記や、

日本書紀より古く編纂された~と認める人たちが増え

てきている。


6世紀以後、仏教文化の促進のため、聖徳太子以後、

”秀真伝”は、世から消え、密閉された。


心ある人達によって、それを、後世に伝えるために、

しかるべき処々に、保管されながら、最近、ようやく、

陽の眼をみて、今、多くの研究者たちに、解読読解と

普及が試みられるようになった

 

神道関係者には、宗務庁が、”古事記”を正式な古文書

と認めいる以上、秀真伝え(ほつまつたえ)の内容は、

公にはされていないのが現状である。


”古事記”と比較すると、”秀真伝”は、単なる神話以上

の、現実的かつ、科学的、史実的表現が見られる。


’現実的’というのは、何に関してかといえば、

日本人の現代にも続いている、独自の日本文化的遺産

のルーツが、精神的にも、歳時記的にも、明確に

記されているところだ。


’科学的’というのは、胎児の成長のディテールや、
うるう年を決めたその天文学的背景など、紀元前の、
縄文文化よりさらに古い、天照大神の神代時代に、
すでに、そうしたことが、存在し、秀真文字で、伝承
されていたことを指す。

’史的表現’というのは、天照大神が男神であったことで、
現代の天皇家につながる、その家系が、神代から、
瓊瓊杵尊(ににぎねのみこと)まで、明白化されて
いることである。

さて、今日のテーマである、”古墳”と、”秀真伝”の

関係に戻ると、秀真伝には、古墳を通して、日本人

特有の宇宙観が 垣間見られる箇所をみつけた。


古墳の形を見ると、”秀真伝”に書かれている 宇宙構成の
五元素を象徴しているように感じる。

そこに葬られることは、高貴人の御霊を慰霊すると
ともに、亡くなった御霊が、宇宙に基原し、還るという
意味を表しているような気がするのだ。
(次回に、詳細に触れたいと思う)

14綾に以下の記述がみられる:

 此処に於いて子守神は、御(み)種(たね)紀(ふみ)に

ついての教えを講ずるなり。


「古、天地の未だ分離せざる時、初に一元の気ありて其の

貌(かたち)は円(まどか)にて鶏卵の如きなり。


この気、動きて陰陽に分かれ水に膏(あぶら)の浮く如く、

陽(お)先づ昇りて天となり、陰は後に降りて地(くに)埿(どろ)

を成す。


更に土(はに)・水を分け土(はに)は山(やま)と成り、水は海

と成る。


天の気を空(うつお)と云い、空の動きて風を化(な)し、

風の動きて火(ほ)と化(ば)けるなり。“

・・・・・空・風・火・土・水の五気が交(まじ)わりて

人と成り“

 

ここでは、私たちの世界を形造る、5元素が明らかにされる。 

空、地、水、風、火 である。 


それぞれがどのように誕生したか、上記の記述には書かれて

いる。 

そして、その五元素、五気が合わさって、人間ができた。


”四柱推命”などの占いとともに、こうした考え方は、
中国から伝わってきたとされるが、秀真伝を読むと、
むしろ、日本にすでに、五元素、天地開闢(かいびゃく)
にかかわる、陰陽の定義、などが、秀真時代に、存在
していたことがうかがえる。

”干支”(えと)の解釈も、中国からと言われているが、
実はホツマツタヱには、“干支”という言葉は存在して
いた。

ただし、動物になぞらえての、話とは、やや、異なっては
いたが・・

稲作も大陸文化とされているようだが、イザナギ尊が、
現在の滋賀県で、国改革と、稲作の生産性を高め、
国造りをされた話では、古代日本では、稲の歴史は、
中国から伝わる以前に存在していた。

前方後円墳 に対する画像結果

それでは、先の同志社大学の先生が述べていた、東の国に

ある’不老長寿の国’ は、どこだろうか?


そう、”日本”である。

秀真伝えでは、そのことが明記されている。

それは、不老長寿の国と呼ばれていた理由は、富士山に

生えていた、“千代見草”と呼ばれる不老長寿の草が存在

していたからだと記述がある。


天照大神は、この千代見草を常食とされていて、まさに、
不老不死の薬の名前に、ふさわしい、何十万年の天命を
全うされている。 

さらに、15綾には “支那王~しなきみ~出でて、

千代見草 尋ぬと嘆く”とある。 


どういうことかというと、ここでは、蓁の始皇帝が、

不老長寿の仙薬(千代見草)を 東方海上にあると

聞き、探しにきたが、見つけられず落胆したと

いうのだ。 

 

秀真伝研究家である、姑(はは)須田痲紗子に

よると、

“ 和歌山県新宮市と 熊野市に、それにちなむ

(草を探しに来た)徐福の墓があり、現代の中国

の学者たちの間では、蓬莱島は日本だったという

説を裏付ける。” としている。 

 

さらに、蓁時代をさかのぼる、中国の春秋時代にも、

東方海上にあるといわれる、’神仙’に仙薬を求めに

出向いたということが記されている。


つまり、中国の墓からの出土品の、ツボの形の上に、

仙薬を求めにいくモチーフの彫刻から、このツボを、

無くなった魂が永久にきるための、死者とともに

葬った、不老不死の仙薬を入れるツボであったので

はないかという仮説がある。 

前方後円墳 に対する画像結果


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