肉体への執着と無関心 平成25年2月28日
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次の例は、交通事故で、突然の大きなショックを受けて、
混乱した意識で状況を受け止めた人の実例だ。
“2年前の19歳のとき。私は自分の車で友達といっしょに
帰宅するところだった。
下町のあの交差点でいったん停止して、左右確認し、
交差点に入った途端、友達が悲鳴を上げました。
私の車に向かって突進してくる車のヘッドライトの光が、
目もくらむような明るさで飛び込んできたのだ。
恐ろしい音がしました。 私の車の片側が、めちゃめちゃ
になる音でした。
そして、一瞬のうちに、暗い四方を覆われた空間を
通り抜けていくような感じがしました。猛烈なスピードで。
それから私は、道路から5フィ-トぐらいの高さで、
私の車からは、5ヤードほど離れた場所を漂っていたの
です。 衝突の時のガシャーンという音が、こだまに
なって消えていくのが聞こえました。
いろいろな人たちがかけよって、車を取り囲むのを私は
見ていました。私は、人垣の中のつぶれた、車の中にある、
自分の身体が見えたし、みんながその身体を引っ張り
だそうとしているのも見えました。
車の中の私の両足はねじれていて、あたり一面、血の
海でした。“(例2)
大方の体験者はこのとき、
“自分の身体に何が起こっているのだろう?” と 不思議な
感情で、傍観者のように見守ることが多いという。
それは、自分自身が物理的肉体から遊離しているという認識
がなかなか もてないこと、死 と結び付けられないほど、自分
の意識が 明瞭であるというのがその理由だとムーア博士は
コメントしている。
以下の例は、医療関係者の、臨死体験である。
“脊髄が非常に悪化して医者は私を入院させました。
ある朝、私は厚い霧にすっぽり包まれていました
そして、私は自分の身体から離れたのです。
自分の肉体から抜け出したことがわかったとき、
漂っている感じでした。
振り返ると、肉体がベッドに横たわっているのが
見えましたが、少しも、恐ろしいとは思いませんでした。
たぶん私は、死にかかっているのだと思いました・・・略・・・
ちょっと、奇妙な話だと思いますが、看護学校では、学生が
死亡した時には、その身体を科学のために 学校に寄贈
しなければならないということを、厳しく教え込もうと
していました。
それで、わたしを蘇生させるための手当が始まるのを
見つめながら、私の身体が解剖用に使われるのは絶対に
嫌だと思い続けていました。“(実例3)
自分の身体というのは、平面では写真などで 確認できる。
しかし、全体の3次元の自分を、しげしげと観察する
機会は生きている間まずないだろう。
その時、自分が自分の肉体を見て、どのように想うのか?
興味深いものである。
この手記を書いた看護婦は、自分の肉体が解剖にまわされる
ことに抗(あらが)う心が湧いてきたと語り、次の医師は、
また、異なる想いを 自分の物理的肉体に抱いた。
引用する。
“自分が臨床的な死の状態に陥ったとき、ベッドの脇で、
自分の死体を見た。
死体は灰色に変色していた。
混乱しながら、必死になって、自分は今、何を為すべきか、
決定しようと試みた。ひどい不安が襲った。
とりあえず、死体から離れようと思った。幼いころ、
祖父からお化けの話を聞いたことがあり、奇妙にも、その話を
想いだした。
そして、‘死体のようなもののそばには、いたくない。
たとえ、それが自分の死体であっても‘と感じた。“(例4)
自分の肉体に執着をもつ看護婦、自分の死体に違和感と
嫌悪感を感じた医師、そして、まったく、死を宣告された
(つつある)物理的肉体に、無関心だったのが 次の手記を
書いた人だ。
“心臓発作を起こした。
自分は間違いなく死ぬのだと思った。
私は、自分の肉体から抜け出し、暗闇の中をひっぱられ、
猛烈な速さで通り抜けた。
でも、振り返って、自分の死体を見たりしなかった。
もちろん、そこにあることはわかっていた。
見ようと思えば、見ることはできただろう。
私は、ベストを尽くして 人生を生きてきた自負があった。
そして、じぶんが置かれた新しい世界への興味のほうが、
自分の死体の確認より、強かったといえるだろう。
振り返って自分の死体をみることは、過去を振り返ること、
そう思った。“ (例5)
こうして、自分と言う意識をもって[例外もあるが)、
あの世へ移行すること、自分の肉体(物理的)に
どんな、感慨を持つかは、人それぞれであることが、
ムーア博士のレポートから伺える。
続く・・・・
参考:
”かいま見た死後の世界” レイモンド・A・ムーディ・Jr.
中山 善之訳 評論社 昭和58年
レイモンド博士について:
バージニア大学、大学院で哲学専攻
1969年 哲学博士号取得、 3年間
ノースキャロライナ東部の大学で教鞭をとる。
1972年 バージニア医学大学に入学。医学博士号を取得。
1965年 死後の世界の体験談を
聞き、その後、死後の世界体験者に面接。
特異な分野研究を行い今日に至る。