反面教師になった周りの高齢者の人たち 2017・2・24
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谷口雅春師の言葉のシリーズとして、最近続いて、数回、
ブログで紹介せていただいている。
今日の言葉は、
”愛される人、愛する人となれ==人を愛するということが
どんなに幸福であるかを思うべきである。
常に人々に祝福を与え、深切(しんせつ)を与え、喜びを与え、
微笑(びしょう)を与え、ささやかな注意を与えるとき、
人々は慈父(じふ)のように慕(した)いよって来るのである。
我(が)を立て通して、他(ひと)から喜んでも、愛しても
貰(もら)えない時の魂の淋(さび)しさを想像すべきである。”
(谷口雅春著『新版生活と人間の再建』より)
介護にかかわっている友人たちから聞いても、私自身の
体験からしても、家族が介護にあたるとき、とかく、
被介護者と介護者の間で、多かれ少なかれ問題が生じ、
様々な軋轢に混乱することが多かった。
私の実母は愛されている。
少なくても、家族から大事にされていることを私は知っている。
そうでなければ 誰が、15年間で築いた(インドの)
生活基盤を捨てて、母の安全と生活の安定、楽しい余生を
送ってもらおうと、こうして、日本に戻り、母と共に、
エネルギーを注ぐ生活に入っただろうか?。
今の、私の生活の中心軸を占めているのは、母の存在でもある。
海外にいる夫や息子と離れて、母のいるホームから車で
10分足らずの所に住んでいるのは、何かのときには
すぐ駆けつけるためと、
父の残した事業を母の代わりに引き継ぎ、
少しでも、母の養老介護のための資金を捻出するため・・・
である。
子供が独立したら、静かにインドの聖地のアシュラムなどで
修行しながら、たまには、海外にいる家族と会って旅行
などできれば~と漠然と 思っていたインド時代の自分に
は、母の介護にこれほど時間の割り振りを大きく
割くようになるとは、予測すらしていなかった。
母を含めて、多くの被介護者は、介護してくれる家族に
不満をもらすのが常らしい。
母が要介護3となり、夜間の睡眠が浅く、ほとんど、
テレビをつけて明け方まで起きている母に、夜間、
つきあったり、ウトウト寝かかった状態で、起こされたり
して、一睡もできない夜が2か月以上続いた。
何かと母からの私に対する、不信感や不満を聞くにつけ、
もう、期待に添えない、身心ともにもう限界だと感じた。
そんな折、家族を含め、周りの人たちの後押しも強く、
母にグループホームに入ってもらう潮時と、意を決した。
それは、文字通り苦渋の決断だった。
私自身が 家を離れる母の身になって、悲しい思いを
したのだが、ホームにお世話になって、1年半たち、
事態は転じて、母の精神状態は、良好のように見える。
母とは 月数回の割合で、外で食事して散歩や買い物
をしているが、おかげ様でずいぶん、落ち着いて、
食欲も旺盛で 一緒にいるときも、
ホームでも、笑顔が素敵な母でいてくれる。
認知症にならないよう、50代あたりから、頭を使い、
体も動かし、注意をしていたにかかわらず、80代に
入るころから、認知症の症状がはっきりと表れる人が
いるのだから、認知症というのは、思うように
いかないものだ。
一方、若いころから、好き勝手に生きてきて家族も
崩壊しているにかかわらず、80代になっても まだ
自分の趣味を楽しみ、生き生きと生活している人も
身近にいる。
こうした違いはどこにあるのだろう?
どうして、後期高齢者になって、愛されるべき人と
疎まれる人の差が出てくるのだろう?
そもそも、認知症だから疎まれるのか?
認知症でも愛される人がいるのか?
私が知る限り、認知症でも愛され、95年の生涯を
送った方を私は存じ上げている。
Fさんは、自然治癒力セラピーのクライアントでも
いらした。
認知症特有の症状は 時々顕著に出ていたが、
暴力的でも悲観的でもなく、家族に不信を抱く言動を
持つようなことはなかった。
Fさんは数年前 ホームに入られたが、施設のスタッフは
Fさんと一緒にいると、心はなごむからうれしいです~
とよく語っていた。
Fさんを実際 慕う人は多くいて、美容室に行くとき、
車いすを押してお世話を積極的に買って出る方もいらした。
”Fさんと一緒にいると、実の母親以上に優しい心になれ
平和な心になれます”ということだった。
Fさんの、口癖は ”ありがとう”。
いつでもだれにでも、〝ありがとう”と周囲の人たちに
感謝の言葉をかけていた。
だから、Fさんが 去年亡くなったとき、周りを取り
囲んでいた施設長もスタッフも 心から涙し、さみしい思いを
かみしめたという。
一方、認知症の気はほとんどなく80歳すぎて、まだ現役で、
大家さんとして学生たちに夕飯を出して働いている方がいる。
が、家族の方のお話では、現役だけに経済的に細かく、
何かと金銭的なことでは厳しく、元銀行支店長の息子
に対して、”やり方が甘い!”と喝を入れるほどだという。
金銭にからむ討論では、息子には負けないという強い
面があるそうだ。
そういう方でも、愛されているか?と質問すると
”愛よりお金”と割り切っているようで、あまりご当人も
そうした情的な愛情というものを家族に求めるそぶりは
ないらしい。
数日前、その方のお嫁さんから電話が入った。
あんなに気丈で元気だったお姑さんが骨折して入院。
と同時に、いよいよ認知の症状が出始めたという。
さかんに、お嫁さんを攻めて、彼女がよかれと思い、姑さんに
何かをしても、好意からと理解せずに、文句や責める口調で
罵倒されるようになったという。
”慣れているからよいのだけど、これから本当に自分が考えて
いたように、姑のケアーができるのだろうか?
私がすることで、余計イライラさせてしまい、良くないのでは?”
と彼女は頭を抱えたそうだ。
さらに追い打ちを食らうように、ケアーマネージャーさんから
”同居は無理ですよ”と言われてしまい、自分なら嫁として
姑の介護をできるという自信が打ち砕かれたようで、ショックを
うけたということだった。
彼女の気持ちは十分に理解できた。
私も、”自分ならできる”、と介護に対し意欲満々だった
にもかかわらず、結果的に 母をホーム
に入れざる得ない時を迎えたときは、落ち込んだ。
だから、その相談を受けた私は、彼女に、
”無理せずに。できると思っていても、実際はできない
ときがあるし、予定通りに行かなかったからといって、
自分を責めないようにね”
としか言葉が出なかった。
さて、谷口師の言葉、我(が)を立て通して、他(ひと)から
喜んでも愛しても貰(もら)えない時の魂の(さび)しさを想え
という忠告は、やはり、心して、ヴィジョンとして心に描き、
いつかは迎える、人生の秋に、寂しい老後を送らないための、
戒めとしたいと思ったものである。
ほんのり薄化粧の母、女性はいくつになっても、
どんな状況でも、美しくいたいと願う心があるものですね。