自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

認知症になっても愛される人になるために

2017年02月24日 | 介護と自然治癒力

 

反面教師になった周りの高齢者の人たち     2017・2・24

*************************************************

谷口雅春師の言葉のシリーズとして、最近続いて、数回、

ブログで紹介せていただいている。


今日の言葉は、

”愛される人、愛する人となれ==人を愛するということが

どんなに幸福であるかを思うべきである。


常に人々に祝福を与え、深切(しんせつ)を与え、喜びを与え、

微笑(びしょう)を与え、ささやかな注意を与えるとき、

人々は慈父(じふ)のように慕(した)いよって来るのである。


我(が)を立て通して、他(ひと)から喜んでも、愛しても

貰(もら)えない時の魂の淋(さび)しさを想像すべきである。”

(谷口雅春著『新版生活と人間の再建』より)


介護にかかわっている友人たちから聞いても、私自身の

体験からしても、家族が介護にあたるとき、とかく、

被介護者と介護者の間で、多かれ少なかれ問題が生じ、

様々な軋轢に混乱することが多かった。


私の実母は愛されている。 

少なくても、家族から大事にされていることを私は知っている。


そうでなければ 誰が、15年間で築いた(インドの)

生活基盤を捨てて、母の安全と生活の安定、楽しい余生を

送ってもらおうと、こうして、日本に戻り、母と共に、

エネルギーを注ぐ生活に入っただろうか?


今の、私の生活の中心軸を占めているのは、母の存在でもある。 


海外にいる夫や息子と離れて、母のいるホームから車で

10分足らずの所に住んでいるのは、何かのときには

すぐ駆けつけるためと、


父の残した事業を母の代わりに引き継ぎ、

少しでも、母の養老介護のための資金を捻出するため・・・

である。


子供が独立したら、静かにインドの聖地のアシュラムなどで

修行しながら、たまには、海外にいる家族と会って旅行

などできれば~と漠然と 思っていたインド時代の自分に

は、母の介護にこれほど時間の割り振りを大きく

割くようになるとは、予測すらしていなかった。

 

母を含めて、多くの被介護者は、介護してくれる家族に

不満をもらすのが常らしい。


母が要介護3となり、夜間の睡眠が浅く、ほとんど、

テレビをつけて明け方まで起きている母に、夜間、

つきあったり、ウトウト寝かかった状態で、起こされたり

して、一睡もできない夜が2か月以上続いた。


何かと母からの私に対する、不信感や不満を聞くにつけ、

もう、期待に添えない、身心ともにもう限界だと感じた。


そんな折、家族を含め、周りの人たちの後押しも強く、

母にグルーホームに入ってもらう潮時と、意を決した。


それは、文字通り苦渋の決断だった。

私自身が 家を離れる母の身になって、悲しい思いを

したのだが、ホームにお世話になって、1年半たち、

事態は転じて、母の精神状態は、良好のように見える。


母とは 月数回の割合で、外で食事して散歩や買い物

しているが、おかげ様でずいぶん、落ち着いて、

食欲も旺盛で 一緒にいるときも、

ホームでも、笑顔が素敵な母でいてくれる。

 

認知症にならないよう、50代あたりから、頭を使い、

体も動かし、注意をしていたにかかわらず、80代に

入るころから、認知症の症状がはっきりと表れる人が

いるのだから、認知症というのは、思うように

いかないものだ。


一方、若いころから、好き勝手に生きてきて家族も

崩壊しているにかかわらず、80代になっても まだ

自分の趣味を楽しみ、生き生きと生活している人も

身近にいる。

 

こうした違いはどこにあるのだろう?

どうして、後期高齢者になって、愛されるべき人と

疎まれる人の差が出てくるのだろう?


そもそも、認知症だから疎まれるのか? 

認知症でも愛される人がいるのか?

 

私が知る限り、認知症でも愛され、95年の生涯を

送った方を私は存じ上げている。


Fさんは、自然治癒力セラピーのクライアントでも

いらした。

認知症特有の症状は 時々顕著に出ていたが、

暴力的でも悲観的でもなく、家族に不信を抱く言動を

持つようなことはなかった。 


Fさんは数年前 ホームに入られたが、施設のスタッフは

Fさんと一緒にいると、心はなごむからうれしいです~

よく語っていた。 


Fさんを実際 慕う人は多くいて、美容室に行くとき、

車いすを押してお世話を積極的に買って出る方もいらした。


”Fさんと一緒にいると、実の母親以上に優しい心になれ 

平和な心になれます”ということだった。 


Fさんの、口癖は ”ありがとう”。

いつでもだれにでも、〝ありがとう”と周囲の人たちに

感謝の言葉をかけていた。

 

だから、Fさんが 去年亡くなったとき、周りを取り

囲んでいた施設長もスタッフも 心から涙し、さみしい思いを

かみしめたという。

 

一方、認知症の気はほとんどなく80歳すぎて、まだ現役で、

大家さんとして学生たちに夕飯を出して働いている方がいる。 


が、家族の方のお話では、現役だけに経済的に細かく、

かと金銭的なことでは厳しく、元銀行支店長の息子

に対して、”やり方が甘い!”と喝を入れるほどだという。


金銭にからむ討論では、息子には負けないという強い

面があるそうだ。 

そういう方でも、されているか?と質問すると

”愛よりお金”と割り切っているようで、あまりご当人も

そうした情的な愛情というものを家族に求めるそぶりは

ないらしい。 

 

数日前、その方のお嫁さんから電話が入った。 

あんなに気丈で元気だったお姑さんが骨折して入院。

と同時に、いよいよ認知の症状が出始めたという。


さかんに、お嫁さんを攻めて、彼女がよかれと思い、姑さんに

何かをしても、好意からと理解せずに、文句や責める口調で

罵倒されるようになったという。


”慣れているからよいのだけど、これから本当に自分が考えて

いたように、姑のケアーができるのだろうか? 

私がすることで、余計イライラさせてしまい、良くないのでは?”


と彼女は頭を抱えたそうだ。


さらに追い打ちを食らうように、ケアーマネージャーさんから

”同居は無理ですよ”と言われてしまい、自分なら嫁として

姑の介護をできるという自信が打ち砕かれたようで、ショックを

うけたということだった。 

 

彼女の気持ちは十分に理解できた。

私も、”自分ならできる”、と介護に対し意欲満々だった

にもかかわらず、結果的に 母をホーム

に入れざる得ない時を迎えたときは、落ち込んだ。


だから、その相談を受けた私は、彼女に、

”無理せずに。できると思っていても、実際はできな

ときがあるし、予定通りに行かなかったからといって、

自分を責めないようにね”

としか言葉が出なかった

 

さて、谷口師の言葉、我(が)を立て通して、他(ひと)から

喜んでも愛しても貰(もら)えない時の魂の(さび)しさを想え 


という忠告は、やはり、心して、ヴィジョンとして心に描き、

いつかは迎える、人生の秋に、寂しい老後を送らないための、

戒めとしたいと思ったものである。

 

 

ほんのり薄化粧の母、女性はいくつになっても、

どんな状況でも、美しくいたいと願う心があるものですね。

 

 

 

 

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ヨギになるための”赦し”

2017年02月19日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

 

究極の癒しと自然治癒力(2)

*******************************2017.2.19

 さて、癒しということになると、究極の癒しは病が消えること。

それは、無執着になったとき・・・というのは

皆さま信じられるだろうか? 


 このことは、突拍子もないように感じられるだろうか?


自然に備わった私たちの本来持つ治癒力は、それほど

偉大なものなのか?

どうしたら、自然治癒力を発揮させることができるのか?


その答えが、執着がなければ、病は癒える~自然治癒力の

発動が最大になるから・・というのが今日のお話。

 

次の谷口師の言葉をご紹介しよう。

”神は、決して病気を創造(つく)り給(たま)わないから

病気はないのだ。


 病気は妄想の表われだ 莫妄想(まくもうぞう)!!==病気は、

神が作らないから、どんなにアルかの如(ごと)く見えても

妄念の映像であって実はナイのである。


 それは夢の中で、病気になっているようなもので、

その病気には実体がないのである。


「妄心(もうしん)」を捨てよ。敵意や反感を棄(す)てよ。

病気を表現している「心」を放ち去れ。病気は消える。”  

(谷口雅春著『新版生活の智慧365章』より)

 

皆様は般若心経を唱えていらっしゃる。

そこにある真理の言葉、そのお経の大切な言葉を取り出して

つなげてみると、闇(妄想)を打ち破る輝く光になって現れる。


私たちが当たり前としている認識が、ほとんど、妄想と幻の

世界の所産物だということも気が付く。


その言葉の一つは、たとえば、

色はこれ空なり、空はこれ色なり、つまり、

五感は無い、ないから、真理の法は、

生まれることもなく滅することもなく、

浄とか不浄とかはあてはまらず、増えたり減ったり

することもないと心経は説く。


この色(しき)は 空(くう)である、つまり、

物質は究極のところは、”空の姿”で、

”空” は その一方、物質として表れていることを

知れば、本当に 理解できれば、すべての苦(

病、不調和、戦争、絶望、不足など)は消える。


なぜって、一元の世界には元々の世界には、そうした苦は

存在していないからだ。

 

その苦に捉えられるのが 人生の常で、それは、執着の

なす業だという。


それが妄想となり、病や不幸が現実に現れているように見えてくる。

 だから、谷口師は次のように語る:

”神は、決して病気を創造(つく)り給(たま)わないから

病気はないのだ。

「妄心(もうしん)」を捨てよ。敵意や反感を棄(す)てよ。

 病気を表現している「心」を放ち去れ。病気は消える。”  

(谷口雅春著『新版生活の智慧365章』より)

 

妄心を捨てよ~つまり、顛倒妄想、真に存在するものを観ず、

在らざる物を あるとして、それを認識しても、そして、

それに執着し、もがくほど、ますます蜘蛛の巣に自ら

かかって自由がきかなくなる。


執着が甚だしく強くなると、自分を傷つけるだけだ。

それが、妄念の世界。


妄念とは、迷妄の心がさらに強まった状態、そうなると、

念じることが表れるという想念のエネルギーの法則で、

ますます、混沌とした状況を引き寄せてしまう。

 

敵意や反感を捨てよと、ここにある。 

敵意がなぜ湧くか? 

反感をなぜ持つか?


それは、その相手の行為と相手に対し、自分の考えが

正当性あるという思い込み(執念)と相手への自分が期待した

とおりの結果が得られなかったことへの怒りが、相手への敵意

につながるからだろう。


それも執着の一つだろう。

それを捨てたとき、人は何を思うのだろう? 


それを本当に捨てたとき、人はただ、赦しとともに、

暖かい繋がりの感情が、湧いてきて、愛をもって、

その人を想うだろう。


愛と憎しみが表裏一体であることは、うなずける。

憎んでいても、ある瞬間、理屈ではなく、頭で考えるのではなく、

自然と涙が出てきたり、優しい言葉が相手に出たりする。


赦し というのは 本来は相手に与えるものではなく、

執着に絡んだ 自分の心 に対してというのが厳密な意味で 

妥当だと思う。

谷口師は 赦しについて次のように語る:

 

”人を宥(ゆる)した悦(よろこ)び その瞬間から

幸福感が湧(わ)く==相手を悪いと認めている限り、自分の心の

中から鬼の心を呼び出しているのであります。


ところが自分自身の仏心が目覚めて、相手を宥(ゆる)し、

相手の仏心(ほとけごころ)を拝むようになったとき、

即座に自分の心が輝き出して、幸福感が満(み)つるのを

知るのであります。”

(新選 谷口雅春選集6『あなたは自分で治せる』より)

 

幸福感が満つると同時に、いつの間にか、憎しみや怒り

のカタルシスのために不調になっていた身体も、

正常に健全に戻るだろう。


これが自然治癒力であり、そうさせている私たちの実相を、

ヴェーダ哲学の中ではサンスクリット語でアートマと

呼んでいる。


人を赦すとは、自分の中の仏が相手の仏を拝む時だ。

相手を攻めているときは、自分の中の非を相手の中の

非に重ねあわせているからだ。


自分の中に その非がない人は相手がどんなに悪人でも、

それを責めることはないしその人は決して傷つかないだろう。


執着をとるということは、きっと、妄想や妄念を消すだけ

ではなく、自分の心が輝きだして、そのままで何か嬉しく

陽気な気分で幸福を味わうという体感の世界なのかもしれない。

 

 

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万教帰一の意味とマザーテレサの愛

2017年02月14日 | 健康と直結する”一元論”について

 

あなたの神の資質をあがめます~マザーテレサの言葉

******************************* 2017・2・14

万教の万(よろず)の教えは 一つの真理に行きつくと

いう考え方で、万教帰一がわかると、二つの精神的

広がりが期待できそうだ。 


一つは、異なる宗教にも寛容な心を持つことが

できること、

二つめは自分の奥の”実相”が、宗教を問わず、

神聖なる”神の資質”と同じであるということが 

比較的受け入れやすくなることだろう。

 

自然治癒力セラピー協会で考える、自然治癒力の本源

はまさに、そこに端を発している。


自分の中の小さな自分(小我)では想像できない

ほどの、大きな癒しが存在すること。


それを可能にするのは、我々の生命力が最大のパワー

を発揮したときで、それは、自分の本源の聖なる

資質の一部が為す業なのだから、それに気が付けば

良いということだ。


そして、こうした癒しは、一般的な形而上的癒しに繋がる。


万教とはとりあえず、ここでは、世界に現在広まっている

宗教の柱、

キリスト教、仏教、ヒンズー教、ユダヤ教、シーク教、拝火教、

などなどを指す。


さて、この考え方は 意外と多くの人たちが支持している。 

一つの宗教を掘り下げて行った人は

他の宗教の源泉と自分の信じていた宗教の源泉が 

ちょうど隣り合った井戸が一つの源泉から流れる地下水を

くみ上げているように、同じであることに気づく。 


私がこの言葉 万教帰一 を初めて知ったのが 谷口雅春師の

本からだった。

次は師の言葉である。 


”本当の自由とは、自分の心が執着(しゅうちゃく)から

解放されることである==執着を「愛」と思いちがえては

ならない。


本当の「愛」は執着せず相手を自由に解放しながら、

相手が幸福になることを祈り悦(よろこ)ぶ感情である。


人は執着によって「愛」の初歩を学び、「放ちて自由に

行かしめる」ことにより愛を完成する。


執着がなくなった時、何等(なんら)の摩擦(まさつ)もない

自由が得られるのである。

(谷口雅春著『新版 女性の幸福365章』より)”

 

例えば、上のこの言葉。

この中には 今まで私が様々な宗教書から得た 智慧が

凝縮されている。


本当の愛、無執着で相手が幸せになるようにという

祈りに通じる。


これは、キリスト教の ”隣人を愛せよ”の愛と同質

の愛であろう。 

インドに終生をささげたマザーテレサが、”死にゆく人

のための家”と呼ばれた、彼女のアシュラムで行ったこと。


それは

最期を迎えた人たちに 愛 をささげることだった。 


’あなたは必要とされている人、大事な人、だれもが

見捨てたように見えても、私たち(マザーテレサ)は

あなたの神の資質をあがめます’~


こう、彼女は、臨終を迎えようとしている人の耳元で

ささやく。

そこに運ばれてくるほとんどの人が、路上で行き倒れに

なった人たちだった。 

路上でうずくまり、行き倒れ、誰もが無視して行き過ぎて

いく中、マザーは彼女の家に彼らを運び入れた。


そして最期を見届けながら、その瞬間まで、愛を、たぶん、

彼らがそれまで知らなかった愛を 彼らの耳元で

精いっぱい注ぎ込んだ。


どんな人でも、その言葉によって、心は生き返る

ように、愛で洗い清められただろう。 

自分の生まれてきた価値を心から認め、尊敬して

くれている人の言葉として、人生の最期に最大の忘れがたい

瞬間となっただろう。

 

”放ちて自由に行かしめることで愛は完成する”と師は言う。 


放任主義と紙一重だが、愛するがゆえに無視ではなく

信頼のもとに子供を親が放して独立を促す。 


こうして、親離れ、子離れを経て、少なくても親の愛

は完成形に近づく。 

かわいい子には旅をさせよ という諺どおり、

執着を放すとは、自分に属する人、とか物とかいう

ような”所有の自我”を 

潔く手放すことでもあるのだろう。


執着がなくなったとき、人は自由を得る。

これと同じ意味の言葉は、サイババ師がよく語っていた。 


自由とは好きなことをしたり、奔放に感性や欲望のままに、

行動できたときをさすのではなく、

自由とは、自分の他者、他物に対しての執着をなくしたとき、

得られる満たされた実感であると・・・


だから逆説的にこうも教えた 

”自由になりたければ、自分のしたいことはせずに、その反対の

ことをなせ”


万教帰一の教え通り、良き宗教の指導者たちが同じ内容

を場所と組織を異にして 真理をそれぞれの言葉で、

私たちに説いている。

 

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インドショートステー;予定を組まない意義(2)

2017年02月09日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

 

タントラ儀式をボビーの父親との因縁(Part.2)   2017・2・9

**************************************

 こうして、亡き父親から 目に見えない手で背中を

後押しされるかのように啓発を受けた弟は、すぐ、マトラーという

デリーから車で数時間離れたクリシュナ神ゆかりの地に住む

親戚に電話をした。

羊一頭の値段を聞くためだ。


この儀式には、二頭必要だということ、 デリーで買うより、

田舎で買ったほうが、安いからだ。

値段を交渉しながら、電話を切った後、私に2頭の値段を伝えた。


私は、弟に ”山羊は私が払うから そのほかもろもろの諸経費は何とか、

なるかしら?”と聞くと、

すぐ、日程を決めます”と言い、亡き父親の貯金箱を持ってきた。 


父親がそばに置いて、いつも、小銭をいれてきた素朴な貯金箱は

儀式をするときだけ、この貯金箱を割ってよい~と遺言によって、

今まで割られたことはなかった。

 

3月までに儀式を執り行うこと、私に招待状を送るが、

もし、来れないときは、写真を送ってくれること、などを

彼らは約束してくれた。


もっとも、生贄(いけにえ)は正直、胸がざわつく。 

が、 これも遺言の儀式の大事な役目を持っているとするなら、

反対を唱える術はなかった。

 

これで、ボビーの父親の霊への供養ができると思った。

私は以前、この父親の機転で救われたことがあるから、恩返しができる

と思った。 


その恩義とは、こうだった。

今のアパートに住む前は、会計士の大家さんに大家さん宅の

三階を借りていた。 

そのとき、その大家さん宅に ドビー(洗濯やさん)として働いていた

ボビーの父親は、後に、その三階に住む私の家でも働くようになった。


9年も住んで、そろそろ引っ越しを考えていた時、大家さんが

ひと月分で20万円以上の電気代を私に求めてきた。


普段はどんなに使っても6千円を超えたことはなかった。

その高額な電気代に疑問を持ち、私は、支払いを拒んだ。


すると、数か月後、今のアパートに引っ越してきた際に、

元の大家さんから、私に、20万円相当の電気代支払いの要求と

もし、無視をするのなら、法廷での争いを辞さないという

趣旨の手紙が送られてきた。


望外な電気量使用額と、それが理不尽であるということを

どのように証明したらよいか 私は、それを読んで、頭を悩ませた


そこで、私は、そこで働いている、ボビーの父親に、実際の電気代

請求書を大家さんからもってきてもらえないかと頼んだ。


すると、思いもがけないものが、彼から、手渡しされた。

偽造書類だった。

大家さんが私のサインを明らかに偽造した電気代にからむ書類を

見つけて、それを、ひそかに届けてくれたのだ。


そのおかげで、こちら側から大家さんを提訴することができる

理由ができ、その偽造書類発覚で一転して、大家さんは自分の主張を

引き下げた。


インドのインテリ層は顔つきが違う。

大体が、中流階級だが、最近は、にわか金持ちが増えたようだ。

彼らは 華やかな生活を 当たり前に送る階級でもある。


一方、ボビーの家族のように、つつましやかに月数万円の月給で

多くの扶養家族の経費を賄うのに四苦八苦している階級も存在する。


ボビーの家族の訪問のあとに 近隣にすむ私と縁があった人たちを

訪ねた。 

彼らはある意味、誇りを持っている。 

貧民層の生活区にいることに対して、決して、卑下したり、卑屈な

態度で私を迎えたり 貧しいという、恥ずかしさを見せたりしない。


堂々と、あるがままの自然体で、私を旧知の家族を向かい入れるように

もてなしてくれた。

一間の長屋でも、急ごしらえで椅子を持ってきて、お茶を出してくれた。


部屋の中央には、大概 大きなベッドが占領しているが、そこに

病で伏している老婆が横になっていても 臆することはない。 

老婆は、私のような、外人で、家族の雇い主にあたる、珍客に

明るく笑顔で挨拶をして、さらに自分の横に座るよう、薦めてくれた。


Kさんの家では、病で寝ている母親と、嫁、その姉妹と子供たち

などが歓迎してくれた。

サントシの家も近かった。

職を失ってやけ酒を毎日飲み、時には家族で口論になるという、

サントシの旦那さんが出迎えてくれた。 

先の家族同様の、一間だけの部屋に 私を招き入れ、自ら勝手にたって、

紅茶を入れてくれた。


砂糖やミルク、さらにカルダモンや特別のマサラ(香辛料)を

ふんだんに使い、入ってすぐの右側の畳(たたみ)1畳(じょう)

ほどのカーテンで仕切った土間をキッチンとして、湯をわかし

紅茶を用意してくれた。


美味しい紅茶だった。

家族の話を聞く。 

不満を聞く。現状を知る。 


親兄弟に、社会的にめぼしいコネがない、多くの彼らは親の職業を

そのまま引き継ぐのが慣例だ。


たぶん、一生、うだつの上がらない職業、例えば、洗濯、道掃除

プレス(アイロンがけ)便所掃除 門番、会社の使い走り役、

などなどの収入が不安定な生活に、甘んじなければならない。 


子供たちの教育が必要だし、衛生面や環境面での改善も必要だろうが、

食べていくのが精いっぱいで 家の改修などの余裕はない。 


現実的に、外国人に知りあいがいれば、自分の暮らしに耳を傾け、

何かの折には、きっと、何らかの協力や援助をしてくれるかも

という期待は否めない。 

 

インドでは、タイのような仏教国と同様、貧しい人たちは、

持てる者が持たないものに喜捨するための一役を買っている

と考える。 


持てるものは 施しをする相手がいることで、徳を積むことが

できる

だから、私がかれらに、何らかの援助を申し出たとしても、

それを、必要以上に恐縮したり、お礼を言ったりという

習慣はあまりない。


さりげなく、自然に、しかも、つつましやかにそれを受け取る。

感謝するとしたら、その機会を作ってくれた神に感謝して、

捧げるだけだ・


もしかしたら、自分が、相手の求める目的のために寄付しても、

それは別の用途で使われて、なくなってしまうかもしれない。


その可能性は大だろう。 

が、それはそれでよい、なんだか、後でどう使われたか、確かめる

気持ちにもならない。

 

ところで、銀行 のほうはまだ、結果が出ていない。(2/6現在)

もしかしたら土壇場で何かが起こり、これまでの努力は水の泡になる

可能性もある。

このブログを書く間の、1っ週間で、すでに、何らかの記入

内容訂正や確認がインドからきて、2回ほどインドと日本の間を

為替送金が行ったり来たりして 結局、振り出しにもどり、

インドの銀行に戻ってしまった。)


が、そのおかげで自分は何かを得たような気がする。

20年前と変わらない、スモッグと埃と、喧噪の町中を

車で走りながら、インドの知人たちの、たくましい生きざまと 

誇りを垣間見たような満足感があった。


それと同時に、彼らのやさしさと寛容さを感じた、濃厚な7日間

だった。

それと、あともう一つ補足。 

何かに導かれるように事が進むという体験でもあった。


自分独りでは、何もできなかっただろうが、日本語を教えていた

頃の、生徒だった彼の助言と、実際の助け、旧知の会計士の素

早い書類の作成、タクシーの運転手さん、合間合間で出会った人たちと

の友情と人情、とりあえず無理な注文を、受け入れてくれた

インド・デリーの銀行。 


なんだか、すべてが夢の中のように、歩く歩道の上に乗って

運ばれ 景色だけが動いて変わっていくような感覚。 


それは、まるで、不思議な目に見えない手にひかれていると

いう実感だった。


日常で日本で生活していると、なんと頭で計画したり、

予定を組んだり、考えていることが多いかと思った。 

計画しても その通り行くとは限らないし、考えても、

始まらないことはたくさんある。


右往左往しながら、次に何が起こるのか皆目見当つかないまま、

周りの人たちが適宜にお膳立てしてくれた。 


それも、見えない糸を操る演出家の手引きが天からあったのだろうか。 

日本に帰ってきてもまだそんな気分が続いていて、それが快く感じる。

  

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タントラにささげた亡き人へ生贄の羊を予約

2017年02月06日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

 

目に見えない世界からのエネルギーを手綱としている実感    

2017・2・6

***********************************

 

先回の続きから~

 

日本人の目からはスラム街に映るだろう。

そこを行き来している人たちは、訪問客はほとんどおらず、

私が入っていくと、虚ろによそ者を見つめる。

しゃがんで日向ぼっこをしている、住人達から、

固い視線を体中に受けた。 


アッサム出身のインド人と、インド人たちには映るかもしれない、

日本人の私は、ここでは明らかに着るもの、立ち振る舞い

などでよそ者とわかるらしい。 


そんな瞬間は、肌で感じ、道をすり抜けているのも、

多少勇気がいるものだ。


お茶を一緒にと誘ってくれた 住人のボビーとともに

タクシーを降りた。 


このブログに登場する、我が家のお手伝いさん、サントシさん

を紹介してくれたのは彼だ。 

彼の父親は5年前に亡くなった。 


ボビーは、すでに日本に住民票を移した私に、国際電話で

父の訃報を知らせてきた。

私とボビー親子との繋がりは深かった。


だいぶ前のブログ記事に、黒魔術の体験を載せたことがある。 

その時、私の家に現れた、ラジャスタンのタントラの僧侶は 

ボビーの父親の師であった。


ボビーの父親は、眼光するどく、眉間に一本しわがはいり、

無口ではあるがどこか芯を感じさせた。

洗濯とプレス(アイロンがけ)の職人だった。 


さて、ボビーは 私がデリーの家に着いた17日早朝、我が家

に出勤するサントシと、ばったり出くわし、

”須田マダムは いつインドに来るのか?”とサントシに聞いた

らしい。 

彼女は 私がその日もう、デリー宅で休んでいることを

知っていたが、しらばっくれて

”さあ、ホーリーの頃(インドのお祭り、通常3月)かしらね”と 

言葉を濁したと、私の顔を見て、笑った。 


ボビーが 第六感で私の存在を察知していたように、私も、

彼の事が気になっていた。 

今回の目的、銀行の用事の合間をぬって、ボビーに電話した。


電話口で驚くボビーに 取り急ぎ、家に来てもらい、一緒に

タクシーで彼の家に向かった次第だった。 


私が来ると、事前に夫から連絡を受け、お茶のしたくのために、

アイロンがけの仕事を休んだ妻も出迎えてくれ、

家族全員の歓待を受けた。 


ボビーの母親は、少し認知症になっているということだったが、

通りすがりに目があった私の事は、はっきり認識した。 

数年ぶりの再会に、路上で日向ぼっこしていたが、石階段を

不自由な足で上ってきた。 


彼女は、日の当たらない、窓がない、ボビーの家族の住む、2階の

部屋に入ってきた。

6畳ぐらいの広さ一間(ひとま)しかない部屋に置かれた

ベッドに 家族とともに、一緒に座り、私の息子や日本の

家族など、いろいろと事細かに消息を尋ねた。


そして、5年前に亡くなった彼女の夫をしのんで涙ぐんだ。

職人気質のタントラの修行をしたボビーの父親は 

遺言を残していたことを私は思い出していた。


その遺言の中にある、父の願いをまだ、家族がはたして

いないこともわかっていた。

ベッドを囲んで皆でお茶をし、ボビーの妻がつくった、

質素な炒めご飯を食べ終わり、団らんの時間になった時、

和気あいあいの雰囲気の中、頃合いをみはからって、

私は、今の家の主、ボビーの弟(家長の役目を果たしていた)

質問した。

 

”ところで、どうして、儀式をまだはたしていないの?

お父さんとの約束でしょう?” というと、弟は

顔をあげて私の目をみつめた。

私は、引き続き、自分の観た夢について話した:


”この間、夢を見てね。 

お父さんがいう事には、自分の遺言に残した約束を

果たしてもらっていないために

あの世でまだ心残りになっている。 


心残りというのは、その遺言の約束を 残された家族たち

守ってくれないため、

こちらから祝福の気を送っても、結局、そちらに届かない。 


ボビー兄弟たちは、自分たちで 天から送られるはずの、

自分たちの幸せ、天からの祝福という、贈り物を拒んで

いるのが残念だ。

~とお父さんが、言っていましたよ。”


 弟が背骨をまっすくにして、身を乗り出して、聞いた。


”なんで、マダムはそのことを 5年もたつのに思い出して

言うのですか、というより、どうして知っているのだろう!


自分にも死ぬ間際、その通りの事を言って死んだのを思い出した”

 

この話題、は周りでそれぞれ何かをしていた子供たちや

弟の妻やボビーの妻の興味を大いに引いたらしい。

みんなベッドの周りによって来た。


ボビーの妻が声を大きくして 弟に言う:

”やはり、早くしましょう。 しなければ。ねえ、約束を

はたしましょう。”

弟は 頷き

”マダム、すごい、うん、そうだ、わかった。 

2月?いや3月? パンディット(占い師)に

良い日を聞かなければ” 


と口早に答える。

成人した子供たちも 弟の妻も驚いたように 

話し合っている私たちの顔を交互に見詰める。


その父親との約束とは、こうだった。 

ボビーの弟は、インドでは社会的に認められる職業である

教師という職に就いて、生活もボビーより

安定して、実際の父親亡き後の家の頭領になっていた。


しかし、子供に恵まれていなかった。 

妻は現在28歳。


父親は、亡くなるとき、タントラの行に基づく、儀式を

執り行うように、兄弟たちに頼んだ。 

そうすることで、父親の魂は再び 生まれ変わることができる、

できれば、ボビーの弟の子供に生まれたいという願を伝えた。 


教養ある弟は、それをあまり本気にしなかったようだ。 

ボビーは、父親のタントラの教えを自分でも間近に学んで

いたせいか、その儀式を行うことには積極的

だったが、彼の給料ではとても、その儀式を一人で

行う余裕はなかった。


タントラは、カーリー神を信仰する。 

シヴァ神の妻である。 

カルカッタの カーリーテンプルはインドでも

カーリー神をまつる寺として最も有名だが、山羊を

ささげるという生贄の儀式は近代まで行われていた

ようだ。


ボビーの父親も 自分の亡き後の弔いの儀式には、

もちろん、最も古典的な生贄(いけにえ)の儀式を求めた。

 

続く

 

 

 

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