自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

息栖神社の由来(上)

2024年02月28日 | 超古代日本の精神(ホツマツタヱ)


東国三大神社
********************2024年2月28日

昨年から今年に入って、よく、息栖神社の名前を
耳にするようになった。

香取神社と鹿島神社と息栖神社を、東国三大神社と呼ぶ。

香取神社と鹿島神社は、古代日本史”ホツマツタヱ”
中でも、たびたび登場するし、実際、拝啓に伺っている
ので、由来などは馴染みあるものであったが、息栖神社
との関連性が、今一つ、ピンと来なかった。

たまたま、ホツマツタヱの16紋(あや)を読んでいたら、
簡単に一行だけ、’息栖の宮’と、それが現在の’息栖神社
であるという確証に出会えたので、今日は、それを
ご紹介させていただきたい。
****************

”ホツマツタヱ”16紋には、妊娠とそれに伴う’吸数の数’
詳細と、”腹帯の謂れ”が詳細に書かれている。


その舞台が、鹿島神社と香取神社であり、鹿島宮の姫君
が、妊娠後に住まわれたのが息栖宮(息栖神社)である。

鹿島神社には、タケミカヅチ命が、香取神社フツヌシ命
が居住してらした。

タケミカヅチ命には 一人娘(名前は特になく、’姫’と
よばれる)がおり、年頃になったので、お相手を賢者で
知られる、アメノコヤネ命に決め、その段取りを考えた。

アメノコヤネ命は、香取宮のツヌシ命の甥にあたる
ことから、タケミカヅチ命は、まず、香取神社へ 
フツヌシ命訪問し、是非、叔父君にあたる、フツヌシ命
から アメノコヤネ命をご紹介願いたい由を伝えにいった。

その話を聞くと、喜んでそれをひきうけた、フツヌシ命は、
仲人役を果たして、アメノコヤネと姫との婚姻が成立。

時は、天照大神の御子 アメノオシホノミミ尊が、東北地方の、
伊雑宮で政事を行っていた時代である。

結ばれて間もなく、姫は妊娠をした。

その、妊娠期間を恙なく過ごせるように、子守神が呼ばれ、
姫に妊娠中の慎み(心身両面での)を教えることになった。

そこで、息栖神社の名前の由来にもなっている、“息数”の
大切さが子守神によって、説かれる。

そのあたりを、具体的に、ホツマツタヱの16紋から
抜粋してみると;

”男子の呼吸数は、1万3千6百8十回、女子は
1万3千百8十6回だが、妊娠することで、女子の
呼吸数は増加する。

1日目は360回、翌日は720回、3か目は、1080回、
30日目は、10800回、38日目には13680回と増し、
26846回となると、増加が止まる。

卵子の回転数は、二か月後に、3日間速くなり、
しわ(羊膜や絨毛膜など)ができて、これを‘きさら’
といい、母親の慎みが必要だ。

卵子の回転数は64日目に64回転で最高となる。
旋回総数は1080回となる。

こうして種として、オノコロが創成されたように、
エネルギーが回転して、胎盤が形成され、胎児と
臍の緒で結ばれ肉もつく。

ゆえに、旋回の速度は落ちて、65日目は63回転、
66日目は、62回転と減っていく。

妊娠三か月めに入り、39回転となり、3日間は
その回転数のままである。

男女の別もはっきりとわかるようになり、胎児が
八夜(やよ)その変化のために勇むため、
母親は慎みが必要な時期である。”

このように、生物学的にもかなり、詳細な胎児の
成長が記載され、基本の呼吸数によって、その発育が
正常に行われているか否かも、判断できるように、
誕生までの1年間を、その生育月に合わせた形で記され
ている。

もう一つ興味深いことは、今、上に挙げた中で、
古来の月の読み方が、出てきていることだ。

一つは、”きさら” 二つ目は”やよい”である。

これは”如月”(きさらぎ)や”弥生”という月の名
の根源となっている。

因みに、須田麻沙子著の完訳 ホツマツタヱ に
よると、詳しくはこうなる:

師走(しはす)~ 精子(し)が走る時の因み合い

睦月(むつき)~ 睦の因み合い

如月(きさらぎ)~ 皺がさらに、増える着更

弥生(やよい)~嬰児が花茎(男子性器)が造られ
八夜(やよい)勇(いさ)

卯月(うつき)~ 嬰児うるおうも、慎みよ

皐月(さつき)~ さつさ腹帯締める

水無月(みなづき)~ 六月いたれば、水かわく

あふみ月 ~ あふみして臓器を分かつ

葉月(はづき)~ 五臓六腑・命門の12葉をわきまえ、他のかたち備わる

長月(ながつき)~ 表は32相 裏は脈14経、音道48源、備わる

神無月(かんなづき)~ 嬰児、肉こえて、神位をともなう。

霜月(しもづき)~ ホツマツタヱには記載なし。

これらの、12ヶ月にそった、胎児と母体の変化が、
子守神によって、細かく説明されているのが、
ホツマツタヱ”16紋である。

また、妊娠時の特徴が、月の由来になっているのも、
現代人はほぼ、想像しえない深い超古代日本人の、
智慧を感じる、一紋でもある。

加えて、腹帯(皐月にしめる)に関しての説明が
子守神によって語られる。

それを合わせて、息栖神社の由来に関しての
後編は、次回3月3日に・・・








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自己浄化3日間の体験記

2024年02月24日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方


過去の拙(つたない)い私の懺悔と赦しの”のりと”効果  
2024年2月24日
*****************************

たったこの三日間の出来事です。

月曜日(2月19日)にある方が咳こんでいて、マスクなしでお話。

うつるリスクなど考えてもいなかったら、二日目の夜から具合が
悪くなりました。

咳と痰、身体が火照り、体温計は当てませんでしたが、隣に寝ている
愛犬の身体が私の体温より冷たく感じるほどでしたから微熱はあった
でしょう。

水曜日から寝込みました。
怠く、寝ていても身体部位を時折、ばたつかせなければ、落ち着かない
ほど随所の筋肉が痛むのです。

2022年夏、コロナで倒れて以来の感触でしたので、トイレにたって
ついでに、水を飲むほかは、2日間は食事もとらず、何とか、イヌの
朝晩の散歩は半分の時間で、済ませて、また布団にもぐる生活。

病は浄化です。

なんの浄化か、考えるほどの余裕もなく、ひたすら、24時間近く、
ウトウトと、浅い夢を見ながら、寝ている3日間。

今は、2月24日土曜日午後一時です。

朝通常の時間に目覚め、数日振りに、日が射しているのを認識。

とたんに元気(気持ちに)が湧いてきて、寝汗で湿った羽毛布団と
掛け布団を干せる!と思っただけでやる気が出てきました。

そして、先ほど、洗濯も済ませ、おじやを3日ぶりに食べて、目力も
通常とほぼ同じになったのでした。

これをご報告しようと、携帯電話も3日間オフの中、あえて、PCを
開けました。

浄化したようです。

これまで数回にわたり、
”自分を愛せ””自分を赦すことからそれは可能”

”過去の感情のもつれがカルマとなってる”
”カルマを解こう””そのためにには、過去の自分を謝罪して、
ご迷惑をかけた人たちへ赦しを乞うと同時に、
パラムアートマ(神)にゆだねて、そのメモリーを浄化して
もらう

という、サイクルのお話が、ブログの内容だったはずです。

自分も、寝る前にそうした祈りをある一定期間(ブログのテーマで
扱っている間は特に)行っていたのですが、この三日間、寝たきりに
なって、その夢のような空ろいのヴィジョンに 亡くなった人も
生きている人も、課題が残っていそうな方も、思いがけない方も、
とにかく、短編映画をみるように、小さなストーリーの中で、登場
してきたのです。

そのやり取りの中で、”浄化”されているのでは?と感じました。

それはペンでも枕元に置いておけば、詳細にご報告できたのですが、
熱と頭痛、喉の痛みと、咳と痰で、そのような余裕もなく、ただ
ひたすら絶食状態で、こうしたヴィジョンを見続けたという
わけです。

さあ、少し、何か、今、すっきりした自分が(まだ身体的には
完全ではありませんが)いることに気が付き、祈りは
い の り”、で、”いの”は”、”のり”は”則と”、別名、
言霊で現実を引き出す、宣言力であることを今回、感じて
いるところです。

つまり、毎晩、過去の自分の恥ずかしい所業を思い起こし、
それらに関与している方たちに、赦しを乞い、同時に、その
カルマを断ち切るという作業が、この三日間の肉体に現れた
結果であったような気がします。

それは、私自身の細胞からのメッセージとでもいうのでしょうか?

先ほど書いたように、肩甲骨の一部が痛んだり、背骨の一部が
痛み、内臓が重くなったり、だるかったりしているとき、ある部位
の細胞がこんなメッセージをくれたのです:

ほら、凝縮していたこの部分が今、あなたの祈りによって、
あなたのカルマとともに解けてきていますよ”

私の体験では、痛み、は、凝りが解ける前兆で、凝っている
部位が解けるときは、それだけ、ねじれた糸が戻るときに
負荷がかかるように、痛みとして、エネルギーを感じるのです。

それに普通は、恐怖心を覚えるものですが、純粋に細胞に
問いかけてみるとその理由がわかる時があります。

’恐怖心’は、対象が何に対してもですが、自分自身の本来の
強さを自覚するためには一番の”敵”です。

ところで、2月19日のその具合の悪かった方は、昨日、
完全に声が出なくなったそうです。

風邪の症状は、特に、’始まりと治り掛けに留意する’・・と
いうのは、本当でしょう。

なぜなら、風邪というのは、実際、権威ある医学者が、
その真の原因と特効薬がまだ 見つからないといわれている
ほど、心身相互作用が要の、心身共に効果ある、浄化作用
であるからです。

それを奇しくも、今回の、カルマを消す祈り と共に、
細胞のゆるみという形で、風邪の症状として体験できた
ようです。

以上







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聖人・凡人・資質は同じ

2024年02月20日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム


では、どこが違うの?
*************

私は凡人ですが、歴史上、聖人言われる人、覚者たちとの違いは何か?と
いうお話です。
タイトルの”質は同じ"の意味は、人として”魂”の本質を指しています。

魂の本質、これを、日本の一元論を確立した谷口雅春師は”実相”と呼び、
ヴェーダ哲学では、”アートマ”と呼びます。
古神道(”ホツマツタヱ”)では、”人は神なり、神は人なり”と記載されてます。

この資質こそ、”人間は神の子である”といわれるゆえんです。

神を、Paramatoma(パラムアートマ) とサンスクリット語では呼びます。
アートマの生みの親、つまり英語では”God”と訳されています。
残念ながら、英語圏の文化(聖書文化)では、神と人とは一体であるという
思想は無いので、純粋な意味では、”God”ではありません。

むしろ、古神道の”神”の意味に同義だと思います。

その神が私たちの、魂の産みの親なので、その本質とは、神の資質、つまり、
マイナス的要素が全く無い、”愛、喜び、平穏、生命力、智慧”などをさします。
これらを 私たちは、生まれながらに、遺伝子として、生まれた瞬間からこの
肉体とともに、天から受け継いでいます

余談ですが、’智慧’と’知恵’とは、発音は同じでも意味が異なります。
神の資質としての、ちえ は ”智慧”の漢字です。

”知恵は、学習で、毎日新しい智識を増やしていくものですが、
智慧は、毎日、何かを捨てていくこと”で、意味的には、正反対でもあります。

知恵は、学校で学習し、情報でも得られる生活圏のノウハウに近いでしょう。
東大生たちの、優れた知識は、知恵の一環でもあります。

では、智慧とは?
学校や知識で得られるものではなく、むしろ、それらの知識を捨てなければ
得られないものかもしれません。

スピリチュアル的にいえば、何を捨てるのかといえば、

*アハンカーラと呼ばれる、エゴ的(小自我)
*サンスカーラと呼ばれる業を造る元になっている 負の性格(嫉妬深い、疑い深い、
執着、思い込み、批判的、被害妄想的などなど。)


そこで、本題に戻ると、こうした魂の本来の資質は、どんな人にでも平等に
与えられているわけですから、すべての人は、悟りを得て、智慧深い、愛に
あふれた聖者になる可能性はあります。

では、聖人 覚者 と凡人の差はどこでつくのでしょう?

それは ”この資質(神の資質を受けついている)が、私本来の’私自身’である”
という”自覚”(認識)の強さ”
の違いだけだといいます。

99%、具体的には、24時間×0.99=23.76時間は、普通の人たちは、毎日
日常のルーティーンのことで頭がいっぱいのはずです。

その日に起きた問題や悩みの解決方法を考え、対処したり、行動している
うちに、疲れて寝てしまう、と仮定すると、残りの0.24時間、つまり、
半時間弱ほどでも、自分自身の静かな一人だけの時間 日常と離れた魂の
休息時間が持てるかというところでしょう。
持てていれば幸いです。

というより、″持とう”としない限り、持てないでしょう。
何のために持つか? それは、”自分自身”に回帰するため・・です。

聖者たちは、ところが、常に、どんな状況下でも、自分の’魂’を意識して
パラマアートマ(Pramatoma)に焦点を合わせています。
これは、先に述べた、’親アートマ’、別名、神のことです。

たとえ、自分が批判の中にいても、自分の正義を見つめ、悲しみの中
でも、希望の光をみつめ、罵倒されても、祖神(パラムアートマ)の自分への
”無償の愛”をみつめているでしょう。
もし、拷問にあったとしても、魂と身体を、はっきり区別化して、肉体の苦しみ
(五感感覚とアートマ)を客観的に切り離すことも可能でしょう。

喧噪の中に、静寂を感じ、静寂を感じながら、魂の平穏さに、心をゆだねている
はずです。
いつも・・です。
人と話していても、歩いていても、仕事していても、入浴していても、”いつも”
です。
可能です。
アートマと肉体次元の’自分’とは、識別(意識の中で)しているからです。

聖者は、だから森の中で隠遁生活を送って、家族と離れ、瀧行や瞑想三昧して
いるわけではありません。
私たちのすぐ隣に、その人は、普通の様子で、普通のことをしながら生活して
いるかもしれないのです。

すでに故人となった、南インドのサイババ師は、常々、こう言っていました。

”私とあなたたちと違う点? 
それは私は、自分が神だと知っているが君たちは、まだ、君たち自身が
神だということに気が付いていない点だ”と。

自分が神と等しい?
こんなに罪深く、業が深く、欠点だらけの私が?
こんな私が神だと思い込めば、傲慢になるだけだから・・・
なんて、思わないでください。

自分自身の魂の本質が、神と等しいと気が付くことは、相手もあの人も
この人も、みんな、”神”と等しいと”知る”ことなのですから・・・
自分を大切にする分、本当の意味で、他者を尊重し、尊敬し、愛せるはずです。

反対に、自分が、罪だらけの人間と思っている限りは、相手の弱点や
欠点を見つけることが容易になるはず・・・(なぜって、欠点だらけという
自分の欠点を意識しているので、相手の中に同質の欠点を見出しやすい)

そして、そこに比較が生まれ(あの人より、少しは自分はまし・・とか?)
自信の代わりに’傲慢’が、謙虚さの代わりに’卑屈さ’が 生まれるかも
しれません。

一日のほんの半時間足らずに、携帯電話に充電するように、自分のエネルギーを
満たす’こつ’があります。

①まず、意識を’本当の自分’(アートマ)に向け、エネルギーの本源
(パラムアートマ)に焦点を合わせます。
これは、携帯の充電をするとき、プラグ(アートマ)を電気(パラムアートマ)
につなぐのと同様です。

②そのとき、プラグに正しく、用具がさしこまれていないと、結局充電されません。
それは、本当の自分が、どんな自分なのか、はっきりと明確に、ビジョンを持つ
という行為にあたります。
本当の自分のイメージとは、”愛””智慧””生命力””幸福”などのエネルギーです。

携帯電話の充電には、多少の時間が要します。
と同様に、自分自身の生活や心の変化に、その”神との充電”の効果があらわれる
ために、根気強く、自分のイメージを神の資質に焦点を合わせて、重ねる努力
が必要かもしれません。

電気はすでに、無限に供給されています。
それを自分のプラグに繋ぐかどうか?は、それぞれの自由意志です。








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非難・中傷:する人とされる人(改訂版)

2024年02月15日 | 健康のための心の波動
  

非難・賞賛に関係なく、健康を維持するために・・・
2024年2月15日
***********************************
前書き)
昨年2023年に ジャニーズ事務所の性的被害の被害者の一人が自殺する衝撃
的事件がありました。
先週、マスコミ取材を避けていたそのご家族の最近の様子を報道番組で
見ました。

その被害者は、妻は反対したものの、事務所を相手にきちんと対処したいという
ことで、実名を公表したのですが、マスコミに取り上げられると、プライバシー
情報が拡散されて、ネット上での誹謗中傷が激しくなって、自殺に追い込まれた
のではないかということでした。

”非難・中傷”について、考えさせられました。
***********

そもそも、批判や非難をするのは、自分が正しいと信じている基準
があるからです。

その基準は、何でしょうか? 公正な基準は存在するのでしょうか?

時代時代で、社会的価値観は変化してきました。
並行して、個人的価値も、社会的価値観に影響を受けている限り、
変ってきてます。
家庭や社会環境、教育、なども、価値観を左右します。

スピリチュアル的にみると、価値観の決定条件はその人がこれまでの、
生き様(前世)があります。
何度も生まれ変わって、創り上げてきた気質(怒りっぽい、穏やか、
せっかち、のんびり屋など)が左右しています。

カルマ(前世で魂の記憶の中にあるトラウマや信念、やり残した課題)
も価値観に影響与えるでしょう。

他にも、現在の家庭環境や、国や郷土の文化環境、教育を通して子供の
頃から教え込まれた”正しい事”が 自然と心に根付いています。

さらに、親の遺伝子、生まれた家の先祖の因縁、などが絡んでくると、
価値観はもっと、多様性を持つでしょう。

双子でも、魂はそれぞれ、別個の歴史を持っていますから、価値観は、
異なっていて当然でしょう。
 
そう考えると、この世に生きている人の数だけ ”正しい基準”が
存在していることになります。

性格によって環境によって、親の遺伝子によって、前世での体験によっても、
価値観の基準は、異なっていて当然だということになります。

であれば、自分と違う価値観を持つ人に、どう対処できるのか?
たとえば、自分の価値感を理解させたいとか、同意させたいとか、説得して
納得してもらいたいとか、感じますか?

そして、それでも理解してもらえず、期待通りの成果が得られなければ、
イライラ感や、軽い怒りを感じたりするようなことは、ありませんか?

ヒトは、期待に反する結果に対して、相手に無意識に’怒り’を感じること
があるようです。
では、価値基準が違う相手に対して、どうしたら、平穏な心持でそれに
対応できるのでしょうか?

私は、それぞれの人たちの、”主観や正しい判断”とされる価値観は、
”その人の好み”のようなものだと位置づけることにしました。
そう思えば、自分の考え方や価値観と違うからといって、反論されたり、
批判されたりしたとしても、受け入れられやすいからです。

価値観は違っていて当然~と思えば、相手が自分の価値感と違うことに、
傷ついたり、誤解したり、執着したりすることがありません。

たとえば、相手の好みの黒いジャケットを、友人にプレゼントします。
相手は、それを着ようとしません。
そこで、私は、”なぜ、あなた好みのジャケットを、着ないのね?”と、
聞いて、”ごめん、黒色は、嗜好が変って着なくなったの”といわれたら、
仕方ないと思うだけです。

親と子供、妻と夫との家族関係には、毎日顔を合わせているために、
価値観の違いがあからさまに、出て衝突する確率は高いようです。

好みの違い、というように簡単には、いかないかもしれませんが、
とりあえず、自分の好み(価値観)を主張する前に、相手の好み(意見)
聞いて、”受け止める”姿勢をとることは そのあとの会話の流れが
スムーズにいく秘訣のようです。

”理解しようとする”姿勢が、こちら側になければ、相手も聴こうとする
態度は示さないでしょうから、お互いの意見を言って、平行線でおわる
ことでしょう。

自分とは全く違う意見でも、それを受け止めてみる・・価値はあります。
なぜなら、その人の考え(たとえ家族でも、魂は、旅人同様)は、
自分の想像を逸した、相手の’魂の長い歴史’の体験から、今の感受性や
性格が形作られ、今現在の、その人の”思い”’価値観’となって
いるからです。

冒頭のジャニーズ事務所に所属していたとき、被害を受けた40代の男性が、
実名を公表して、裁判に臨もうとした積極的な姿勢を、”金銭目当て”とか
”家族もグルになっている詐欺師”とか、”早く消えろ”などの執拗な中傷
を受けていたこと・・

その時の辛さは、家族の想像を超えていて、彼は、”死んだほうがましだ”
と、妻にもらしていたといいます。

しかし、その実名を出して真正面に闘う姿勢に対して、応援をしていた人
たちも、大ぜい、いたはずです。
非難があれば、賞賛する人もいるはずです。

さまざまな批判や中傷は、好意や高評価を含めて、その人達の”魂の歴史”
にもとづく、観方や価値観のあらわれということでは共通しています。

自分ではない、自分の外側の世界の人々の意見や価値観は、自分の価値感
や考え方では無いということ:::

”是非の論争”は、無数の種類の”価値観”が在る以上、それに振り廻され
自分自身を失うことほど、残念なことは無いと感じます。

自分にとって、正しいと思える価値感を造るのは、他者の誰でもなく、
外部の世界でもなく、自分の内側で判断できる、自分しかいないということ、
ならば、自分の価値感をもっと、意義を持たせ、尊重し、自信をもって
それに従って行動するのも、自分しかいません。

つまるところ、それが”自分を大切にして生きる”ことの、第一歩のような
気がします。

これは、健康の維持に対しても、効果を持つでしょう。
”自分にとっての正しいと思える価値観”を大切にしていれば、
病になった時に自分にとって何が適切な処置かを、自分が納得でき、責任
持てる対処ができるはずです。

それは、”自分が納得でき、自分で決めた以上、誰をも責めることない
でしょう。
そして、ベストな効果をもたらすことでしょう。
そうした価値観を大切に生きてきていると、自分の身体の一番の名医は
自分であるという自覚が生まれます。

病院を選ぶ時も、セコンドオピニオンはサードオピニオンを聞いて、
自分の価値感で、どこが一番 納得できる治療が可能か?も判断できる
でしょう。

こうした周囲の思惑や、評価に頼らないというメンタルの強さを持つ
ことで外部からの病の情報や 様々な”健康を保つ価値観”にも、
自分に合うものを選び、不必要な病の恐怖感をもつこと無く、無駄な
くよくよ考え心配するメンタルなエネルギーを使わないですむこと
でしょう。

外部から常に与えられている不安や恐怖から解放されること、それが
自分の心を平和に保つ第一条件です。
自分の心が平和でなければ、自分自身を大切にすることは不可能です。

自分自身を大切にできたとき、身体中の細胞は協力して、免疫力をアップ
させ、自然治癒力を発揮させながら 新陳代謝がすすむことでしょう。

生き生きと 活き活きと、生命力を活性化しながら生活するコツは、
人の趣味と、価値観には、口出しせずに それも有りと受け入れ、自分の
価値感を大切に、周りの自分への賞賛や非難に左右されることのない、
心の羅針盤をしっかり持つことだと、つくづく感じます。

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自業自得の法則を超越しませんか?

2024年02月11日 | 健康のための心の波動

心の洗濯 を、お風呂に入るように、毎晩してますか?  2024年2月⓫日
***********************

前書き)私たちは、皆、きれい好きです。清潔さが心地よいからです。
それが私たちの本質だからです。

だとしたら・・お風呂に入るように、心を、洗濯したいと思いませんか?
心を浄化して、本来の純粋な魂に帰りたいと思うのは、私たちの本来の願い
であるはずです・・

************
自分の想い、言葉、行いのどれかが、マイナスエネルギーを含んでいるとき、
それが、カルマの種になるといいます。

マイナスエネルギーとは、悲しみ、嫉妬、恐怖、非難、不安、被害者意識
などの日常、私たちが、小さな行為の中で授受している、これらの感情が出す、
エネルギーをさしています。

タイトルにあるように、心を洗って、カルマの法則を超越する生き方も
可能です。
今日はその方法を、考えてみたいと思います
******************

最近、横断歩道でない所で道を渡ろうとしました。
右方向から来た車が目の前で止まってくれました。
左車線の対向車は幸い、途切れていましたので 会釈して渡らせてもらい
ました。

横断歩道でない所の通行・・
“危ない歩行者だ”と内心、迷惑に思いながら、運転するのが常の私に対し
車を止めてくれた運転者さんの心の余裕と、親切を感じました

この小さな出来事から、今日のタイトルのお話が生まれました。

私たち の心の浄化(洗濯)の際に、応用されるメンタリティと重なった
のです。
その理由の前に、こんなお話をさせてください
*********

その日は、電車がある事情で大幅に遅れました。
やっと来た電車には、待ち続けていた多くの人達が、入口に殺到したので、
押されて、転んでしまいました。
あざのできた右足をひきずって、電車に乗り込みましたが、痛みに気をとられ
スリにあって、財布をぬきとられました

その財布にはクレジットカードや多額の現金、諸々が入っており、遅れた
電車や転ばした相手に不満、財布を盗んだスリには、怒りを覚えます。

会社に着いてから、カード会社に連絡したり、駅にも、落とし物がないか
どうかの確認事項があり・・と、クライアントさんとのアポに遅れて、
集中できるだけの強い精神も無く、取り乱した一日でした。

結局、財布は見つからず、しばらくは、運の悪さや喪失感に感情にとらわれ
仕事も中途半端に終わり、クライアントに迷惑をかけて、用意周到のかけた
自分を責めました。

その夜は、この日の苦々しい出来事を、心の引き出しに納めました。
これで、時間の経過とともに、その事件の後味の悪さを、忘れていくことに
なるはずでした。
その時の、苦々しい事件を、思い出すことで、また、自分の不甲斐さを反芻
したくない思いもありました。

自分の不甲斐さとは、自分の自己批判です。

転ぶことは体力がなかったせいでしょう。日頃から体力をつけておかない私
に腹が立ちました。
スリにあったのは、隙を見せていた自分のうかつさで、クライアントからは、
遅れたために、批判的な言葉を受けたのも、仕事に打ち込めない自分がいたから
です。
こうして、その日の一連の出来事は、自分への自己批判につながり、自分への
不安定さが増幅して、さらに自信を失うことにつながっていきました。

こうした日常の出来事、自分には非が無いにもかかわらず、好ましくない状況
に巻き込まれ、憤りやイライラ感をかかえたまま、浅い眠りにつく日は、決して
皆さまの体験の中にも、少なくないはずです。

そんな時、覚者は教えます。

そのような、何気ない日常生活に味わっている、マイナスの感情の積み重ね
からカルマの芽がだんだんと伸びて、大きな木(業)になっていくのだ・・と。

私たちは、生まれたときから(厳密には、いくつもの前世の前の前から)
こうした、マイナスの思い出を、引き出しの奥にしまいこんでいます。
マイナス感情のカルマの種は、それが発芽する前に、もし、放下できていたら
引き出しの中は、空に近い状態です。

その日、味わったマイナスの感情は、その日のうちに取り除いて置けたら?

つまり、そうした感情を、言葉を、体験を、した日に眠りにつく前に、浄化
させていたら、それ以降は、引き出しの中にしまい込んでいるものはありません。

そこから、’心の洗濯’という言葉が出てきました。

私たちは、どこの国にいても、どんな場所でも、必ず、一日の身体の
汚れを 就寝前に、シャワーやお風呂で落とします。
清潔な身体には、汚れた下着や衣服は着用しません。

そうした習慣があるのに、何故、心に着いたマイナスのシミを、就寝前に
落とさないのでしょう?
落とし方が分からないだけなのでしょう。
落とし方は簡単です。
一歩、引いたところに立って、(その汚点を造った原因の)状況を認め、
改めて受け入れ、そのあとに、昇華するだけです。

具体的にいうと、このブログの最初のエピソードの中の、運転手さんの
目線にたった自分を自覚して 状況に感情的に傷ついている自分を見つめると
いうことです。

思い出してください。
横断歩道以外の場所で渡ろうとしていた私のために、車を止め、道を
譲ってくれたドライバーさんは、慌てておらず、気持ちが落ち着いていて、
私の意図と希望(わたりたい)を受け入れて、車を止めてくれる
ゆとりがありました。

賢者はこういいます。

”一歩、感情的な自分からひいて、相手の心を想い計り、受け入れる自分を
意識すること。なぜなら、それがアートマの自分で、メンタルの強さは
そこからのみ、来る”というのです。

メンタルの強さとは、
”どんな状況にあっても、その状況に影響を受けない”だけの自分をさします。

その”アートマの眼”に、ゆだねれば、どんな”カルマの芽もも はぎとられる
というのです。

具体的に見てみましょう:

このスリ事件の場合は、”私を責める”ことで、マイナスの想念ができます。
運転手の私(アートマ)は、マイナス(感情が不安定)の歩行者スリに合った
私)に対して、どういう態度をとるのでしょう?

車を止めたように、その、状況で起きた負の感情に振り回されている私
を受け止めてくれるでしょう。

そうした負の感情と私を、赦してくれるでしょう。

もし、対象者がいた場合、たとえば、非難する言葉をかけたクライアント
に対して、運転者(強いメンタルの自分)として、何をするでしょう?

まず、感情的に取り乱していた私が、相手に、迷惑をかけたことに対し、
許しを請い謝り(心の中で)、すでに、クライアントから出た、傷つけられた
非難の言葉は ”気に病むことない”と、状況に振り回されている私に言うで
しょう。
そして、これまで以上に、クライアントと良い方向性で理解し合うことが
できるヴィジョンを心に描きなさいと、アドヴァイスをくれるでしょう。

***********
結論)
’自業自得’という法則は、結局のところ、何かおきた外部の状況に、自分が
振り回されたとき、負の感情が湧いて(自分や相手に対して)
それが、”業”~原因となり、その結果を刈り取るという意味です。

逆に言えば、何か起きたとき、マイナスのメンタル心象を引き起こされても、
それに振り回されない”強いメンタルが自分の本質である”、ことを認め、
振り回われた自分を、俯瞰してみることで、上にあげたように、その自分が
昇華されるような言葉がけを行い、実際、負の感情を抱くのは本来の自分
ではないということを理解するでしょう

一日の終わりの、メンタルな洗濯とは、こうした外界(げかい)の物質的事象に、
左右されない超越した自分(仏性・神性であるアートマ)に5分間、想いを
馳せること・・から始まります。

その時、アートマの自分が、負の想念に振り回されている自分にかける言葉を
まとめます:(以下)

”すべての今日のマイナスの想念や言葉、行動などに傷ついた自分自身は
過去の自分、過去の事として、もう心から放棄されました。

自分を傷つけた行為や言葉を発した相手の背景には、自分の思いもよらない
事情があったのでしょう。
だから、その行為によって、傷つく必要は全くありません。

むしろ、その言葉や行為を発した本人が、私より、疲れ傷つき、病んでいる
のかもしれないのです・・だから、私(アートマ)から癒しの想念を送ることに
しましょう

こうして、反対に、自分を傷つけた相手に、癒しなどの、良き波動を返すこと。

そうしたら、心の洗濯は、完璧・・だと思います。

汚点(マイナスのメモリー)は消去され、カルマの種は残りようがないはず
です・・こまめに、心の洗濯をしたいと思います。
汚れたら洗う、また、汚れたら洗う・・そのためには、自分自身の本性への
理解と、片時も、そこから意識を放さない、アートマへの集中意識を持つことも、
大切だと思う今日この頃です。

(完)



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