自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

恐れを自分の心から抹消したら癌が癒えた(2)

2019年02月22日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 アニータとは対照的に時間のかかった、私自身の例  2019 2/22

**********************************************

今日は臨死状態から生還したアニータの体験話の続きです。*****

 

さて、彼女は周囲を驚愕させるほどの回復をみせた。

その際、医師はこう話している。

 

”君のケースをどう考えたらよいのかさっぱりわからないよ。

カルテに何と書けばよいのかもわからない。本当に珍しい症例だ”(*1)

 

アニータは、瀕死の状態で病院に運ばれてから、わずか五日目には

集中治療室から一般病棟へ移った。 

長い闘病で骨と皮に痩せた彼女の筋力の回復のために

理学療法が開始された。

さらに、進行したリンパ腫癌が骨髄に転移していることも

予想され周到な検査が行われた。

膚病変してぱっくり空いた、耳の下箇所の傷口は外科手術で

縫い合わせることが検討された。

 

さて、その検査結果は驚くべき結果だった。骨髄の検査では

癌が見つからなかった。

そこで最新技術を持つ病院の病理研究室にアニータの

骨髄主研材料が送られた。

医師の期待?に反して、結果は陰性だった。

 

医師たちはこの結果で困惑し、リンパ腫生検も行われた。

医師たちには強い確信があった。

それ、”アニータの体には確かに癌がある。こんな早く

消えてしまうわけがない。

身体から癌が消えることは絶対あり得ない。その癌を

必ずつきとめる” 

が、やはりすべての検査結果に、癌の形跡すら残っていなかった。

 

一方、臨死体験を経て肉体に戻ったアニータの意識には、

医師には言えない、心の底からの強い確信があった。

それは、”もう自分の体は癒されている。癌がみつかる

はずがな” という確信。 

にもかかわらず、彼女は、医師たちの確信を満足させるために、

”痛みを伴う辛い生体検査”に甘んじて,医師のなすままの

治療下に自分の身体を置いた。

 

私事で恐縮だが、アニータと対照的な自分自身の体験を、

彷彿と思い出す。

 

従来、体の弱い自は、思春期の頃は常に何らかの病と

背中合わせだった。 

アニータのような臨死体験はしなかったものの 10代になり、

あることがきっかけで自分の’生命の完全性’に思いをはせた。

そしてそれゆるぎない信念へと変化するには、それから

20年に近い歳月と、多くの闘病の体験が必要だった。

(そこがアニータと対照的な階段の上り方だと

感じる。

彼女は臨死体験の数時間ですべて、私が20年間かけて

理解したものを、自分のものとしたのだったから・・・)

 

私は、生まれながらのアトピー性湿疹のため、生後

数か月から、30代にまで、首や頭、足の膝裏、腕や背中の

部位のどこかに発疹か、痒みで赤く炎症していな

ときはなかった。 

寝ながら痒さのあまり、皮膚をかきむしり、一番

ひどかった、高校生の時は、

首も頭も、カサカサ感と体液が出てくるので、

ジュクジュク状態を繰り返していた。

 

腎臓が悪かったので、30代のころ血尿が出た。 

40度の高熱がひと月続いたり、アトピー湿疹とは

異なる部位(リンパ腺のある付近)

腫れものができ、膿がそこから何日も出ていた。 

薬剤師の叔父が、”ヤスヨはこのままでは死ん

しまうかもしれない”と実家の母に言したが、ことのほか、

布団で静養している私が、元気そうに見えたのか、病院には

行かないという、私の決断に親も甘んじて様子を

みているようだった。

 

こうした状況の中で、自分の信念を変えず、ひたすら

自分の持つ生命力の完全性を見続けることができたのは、

どうしてだろう。

 きっと一段ずつ階段を上るように、その時その時の

病の症状に一瞬ひるみながら、恐れをどこかで感じながら

も、自分自身の深い意識の中で、生命力を信じることが

できていたからだと思う。 

そうしたいわゆる病的症状を自分の完全な生命力による 

バクテリアや毒素、東医学的にいえば、経絡の順気循環

を正常に戻すための、浄化作用であると納得、さらに

い状況に面した時も(治り掛けの時、その前は特に

病状が悪化することが多かった)

”今はまだ、浄化作用が足りなかいから、症状として

出ているのだ”と、その症状を受け入れ、自分の完全

なる大自然の生命力発露をひたすら信じぬいてきた結果だと

思う。

 

生命力、つまり、自を生かしている自然の力と、

摩訶不思議な人体の有機的つながり考慮すること

少ない、西洋医学に自分の身を託すことは、むしろ恐怖だった。

 

しかし、過酷な入院生活を余儀なくされたことがあった。 

30代、唯一、お腹にある大きなしこりは、どんなにしても

取れず、日がたつにつれて大きくなっていくことが自覚された。

 

この時は周囲の心配する意見に従い、国立病院(当時)

で診察を受けた。

すると、即、入院となり、数日後に全身麻酔の手術で

の夏みかんほどの大きさと形状のしこりは切除された。

 

その際、担当医師から夫に単刀直入にアドヴァイスが

伝えられた。

”切り取ったしこり”は ”日本人にはまれな悪性血液癌の

一種の症状の疑いが濃厚”と伝えられた。

そのために、医師は”さらに半年の集中治療期間が奥さん

には必要だ”と付け加えた。

 

そうと知らず、私自身は勝手に退院手続きをとり、夫も

その後、10年近くその医師の診断を私に隠していた(*2)

から、私自身、その後は健康診断を含め、手術後の

経過を見に病院に行ったことはない。

 

それが無謀な私流治療方法だった。

生命への全託と天意がそこに加われば、天命がある限り、

必ず生かされるという気概で自分自身の病には 

これまで対処してきた。

 

そしてこの腫瘍摘出手術を機に、虚弱体質は変化した。

 

その後、過酷なインフラが整わず、当時は、世界の国々の

中でも、生活難易度が最高と外務省でレッテルを貼られて

いたインドのニューデリーへ、生活舞台が移った。

インドの15年の生活への始まりである。

その間、何回かデング熱にかかったこと以外には、

アトピー性湿疹も完全に消え、

質が180度変わり、思春期には味わえなかった’活力

ある行動力ある生活’を 実現することができた。

 

話を戻すと、アニータは、2006年3月9日、病院に

運ばれてから5週間後、すべての検査において陰性

と判断され、退院した。

そして、大きく割れていた耳下にある病変箇所、

外科手術をしなくてはふさがれることがないだろう~と

言われた傷は 彼女の’もう癌もなく、自分は何も恐れる

ものはない”と臨死体験中に得た確信に従って、入院当時

不可能とされた、”自然治癒”で完治してしまった。

 

続く

 

*1  ”喜びから人生を生きる!”~臨死体験がおしえてくれたこと~ 

アニータ・ムァジャーニ著、2013年(株)ナチュラルスピリット


 *2 どうして夫が私にその話をしなかったのか不思議かもしれない。

夫の母(スダ麻沙子)はこのブログにも何度か登場しているが、

指圧治療から自分独自の’神気療法’で多くの患者さんを

改善させている。

そのため、こうした代替え治療が当たり前の生活空間に、

彼がいたということもあるだろう。

 たぶん、私に、医師のアドヴァイスを伝えなかったのには、

こんな理由があると思う。

一つには、それまでどんなにひどい状況でも、自分自身が

セラピー(アートマセラピー)で乗り切ってきている

私を見てきたからだろう。

 

そしてもう一つの理由は、この癌切開手術後、

姑の家に私が行った時、何も姑から、”まだ、ガンが

残っている”とか、”中途半端だ”とか、指摘されなかった

からかもしれない。

 

実際、この手術を受けるように、一番強く勧めたのは姑であった。

それ以前、体のリンパ腺個所から高熱とともに膿が

出てきているときも、見舞いにいらして、私の所見、

”自然治癒力で乗り切れる”ことに賛同してくれたのも

姑だった。

 

いずれにしても、夫から医師の当時の所見

(余命宣告とともに)を聞いたのは、

その余命宣告期間が過ぎた後だった。

 

 

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恐れを自分の心から抹消したら癌が癒えた(1)

2019年02月15日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 

怖い~この世は脅威を与えるだけ~そして癌の宣告を受けた

******************************** 2019・2.14

 ソース画像を表示

 

災害に備えて、食糧危機に備えて、老後に備えて、私たちは

それぞれの恐れから、被害を最小限にするために食料や水や

災害用品や貯蓄や保険を準備する。

 

こうした、生活や身体の健全を守るために感じる’恐れ’以外に、

もっと漠然とした恐れがる。 

喩えて言えば、暗い魂の深淵からくるような恐れ:アニータは、

それを”愛”と”安心感”の欠如からくるものだ~という。 

 

人は、すべての行動の背景心理、深層心理の原因は愛’か’れ’の

どちらかに端を発しているといえるだろう。

人は、愛か恐れ、どちらかを心に抱いて、気が付かないほどの

程度だとしても、どちらかの想念を選択して、それに基づいて

日々を生きている。

 

アニータは臨死体験で、先回までのブログでご紹介したように、

自分自身は、”存在するだけで、愛のこもった思いやりを受ける

に値する”ことを知り、それは誰もに与えられた特権であり、

”存在(イコール)愛される価値を持っている” ことを理解した。

 

”私は好かれるに値する人間にならなくてはいけないと

ずっと信じていました。

ですから、実はそうではないとわかったのは、素晴らしい

発見でした。

単に自分が存在しているということだけで、私は無条件に

愛されていたのです。”

とアニータは自著(*1)に書いている。

 

さらに、彼女の自著から引用したい。このあたりは原文(*2)
でご紹介したい。
 

Why I think I got cancer. I can sum up the answer in one word:fear."

~協会訳:何故私は癌になったと思うか? 簡単に言えばその答えは’恐れ”故だ。”

 

②"What was I afraid of? Just about everything, including failing, being 

disliked, letting people down, and not being good enough. 

I also feared illness, cancer in particular, as well as the treatment for 

cancer. 

was afraid of living, and I was terrified of dying."

協会訳:何を私は恐れていたのか? 

いわばすべてのこと、失敗しないか、嫌われないか、

人をがっかさせたのではないか、自分が十分うまくやって

いないのではないか、そして病気への恐怖。

特ににならないか恐れていたし、

その治療方法も怖かった。生きている事自

体が不安で、死ぬことはもっと恐ろしかった。”

 

③”I was a people pleaser and feared disapproval, regardless of the 

source. I bent over backward to avoid people thinking ill of me, and over 

the years, I lost myself in the process.

協会訳:私は周りの人を喜ばそうとするが、何につけても

非難されるのは怖かった。

なるべく人の後ろめだたないようにいて、人々が

自分の欠点を考える隙が無いように

しながら何年が経過する中、分自身を失っていった。

 

④"My experience of life was getting smaller and smaller, because to me, 

the world was a menacing place. And then I was diagnosed with cancer.

協会訳~こうして自分の人生体験をどんどん狭めていった、というのも、

この世界は私にとって脅威えるなにものでもなかったから。

そしてそんなとき、私は癌の宣告を受けたのだった。

 

ここまでが原文から引用した彼女自身の恐れの告白だ。

癌を宣告され、さらに、医師から”あなたの癌の最善の

治療方法を見つける努力をしている”

と言われると、それは言葉を換えると最新の現代医学では

まだ、自分の癌を治せる療法がみつかっていないということを

唆されているとアニータは受け止めた。

 

そこで自分でできる限りのことはしようと癌宣告から4年間、

良かれと思う代替治療法を多く試みた。 

 

⑤”I tried faith healing, praying, meditation, and energy-healing 

sessions. I read every book I could get my hands on about cancer,

learning every possible connotation given to the disease. I worked on f

orgiveness therapy, and forgave everyone I knew-then forgave them 

again.

 

I traveled through India and China, meeting Buddhist monks, Indian 

Yogis, and enlightenend masters, hoping tried being vegan, meditating 

on mountain tops, yoga, ayurveda, chakra balancing, chinese herbal 

medicine, pranic healing, and Chi Gong."

 

協会意訳:アニータが癌の宣告を受けて、どんどん病状が悪化する中、

西洋医学ではまだ確実に適当な処置方法が定まらないまま試みた数々の

代替え治療が挙げられている。 

 

たとえば 瞑想行、人を徹底的に赦す潜在意識の修行、インドを

回り有名な覚者に精神的教えを乞い、山の頂上で瞑想し、

アユールベーダ療法を受け、チャクラバランスを整えてもらい、

国を訪れ、高僧の教えを聞き、完全菜食主義者になり、

中国に行って気功を習った。

 

以上、アニータの原文からだった。

果たしてこれほど、長年にわたり、アニータが代替え治療を行い、

精神修行も志し、それで少しでも改善がみられたかといえば、

そうではなかった。

 

ますます病状は悪化した。筋肉が衰え、酸素ボンベなしには

呼吸が困難になり、車いす生活を余儀なくされた。

アニタは絶望の淵に立つ。

 

⑥”I'd been trying so hard to do all the forgiving, cleansing, healing, 

praying, and meditating that I could. I just couldn't understand why this 

way happening to me."

 

協会訳:私はこれまで、懸命に赦しのセラピー、自己のクリーニング、

ヒーリング、祈り、瞑想な行ってきたのに、何故、病状が悪化

していくのか全く理解ができなかった。

 

アニータは嘆いた。

こうしてあらゆる努力は、功を奏しなかったことで最後は、

とうとう、彼女は自己努力を放棄した。

ついに、運命に身を委ねる心持になった。

 

無駄な抵抗をする気力も身体的エネルギーも使い果たし、

運命に’自分をどうでもしてください’と降伏したのだった。

その後、そのまま、彼女はあちらの世界に

移行していく。いわゆる、まだ現世に戻れる所、そして、

歩進めば、完全な’死’を宣言される臨死の場所に行き、

さまざまな体験をしたとういわけだ。

 

恐怖がもとで癌になったとブログ冒頭でアニータは答えていた。 

それがわかったのは、臨死体験中で得た’本当の自分の価値と

生きている意味を知る’

というある種の悟りのあとだった。 

 

 ソース画像を表示

 

*1  ”喜びから人生を生きる!”~臨死体験がおしえてくれたこと~ 

アニータ・ムァジャーニ著 2013年 株)ナチュラルスピリット

*2 ”Dying to be Me" Anita Moorjani , Hay House 2012

 

 

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Dying to be Me(3)今生きているだけで愛される存在

2019年02月08日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 

家族愛は地上で、宇宙の愛は体を離れて明確に・・ 2018・2・8

***********************************************

 

先回の続きから~臨死体験者の共通体験・・・

そこ(臨死した場所)にはもはや性別、差別、資格、判断、などの

異や価値基準はなく、喜びや恍惚感、畏敬の感情、そして無我の大愛を

理屈抜きに証明無しに感じ取れる。

 

 すべての瞬間が過去現在未来と同時に感じられるほど、時間に対する

念がひっくり返る。

時間は直線的ではなく、肉体の五感の制限により一列に時間をつなげる必要が

なくなるので、時間 の経過という感覚はなくなる。

******************************

 

先回はこん睡状態のアニータが、自分の死の予告を受けて病院のベッドの周りに

集まってきた家族の心情を読み取り、同時に、超自然的な状態が起きていることを

受け入れている自分も、自覚しているでをお話した。 

 

たとえば、こん睡状態の中、インドをたち、香港まで駆け付けてくれる最愛の

兄の動向を知り、兄がアニータが息を止める前に、会いたいと祈っている心情

心痛いほどわかって、何とか自分もそれまで生き延びたいと願った。 

 

“彼の到着まで、私の身体が死なないで欲しいと思いました。

もしそうなれば、彼がどんなに苦しむかわかっていたので、そんな目に

あわせたくなかったのです。” (*1)

 

その一方で、そうした家族愛への執着とは無縁の感情が湧いてきた

大きな力によって、その感情(地上的な家族への想い)から引き離されて

いくのがわかりました。

自分の感情に支配され始めると、自分が拡大していき、すべての愛着が消えて

くようでした。

そして、ふたたび、より大きなタペストリーが存在するという安堵感につつまれ、

すべては壮大な計画通りになっていくと実感したのです。” 

 

さて、ここで、今日の記事の冒頭に掲げた、⑥と⑦の内容の意味を、もう一度

振り返ってみたい。

⑥では、大きな力に包まれ、自分自身の意識が宇宙意識へと拡大し

“目覚めたような感覚”をもち、“悪夢からさめたような想いを持ったと

いいかえることができるだろう。

 

アニータは、それを、“時間や空間を超えた別の領域にまでも、拡がり、

同時にその一部になった” 

と表現して

“愛、喜び、恍惚感、畏敬の念”が自分の中を流れ、包み込み、飲み込まれ、

さにそうした素晴らしく異次元の、これまで体験したことのない感情の

潮流の中にいた。”と語る。

 

次の⑦のフレーズに書いてある、’地球上の時間の観念がひっくり返る体験’~

を同時に知る。

 

アニータの著書からその言葉を抜粋。

私の身体は五感ではなく、まるで新しい感覚を手に入れたように、

限界の無い知覚を使っていました。

それは通常の能力よりもはるかに鋭く、360度が見渡せて、自分の周囲を

完全に認識できました。

驚嘆すべきことのようですが、それが普通に感じられたのです。

もはや、身体の中にいることのほうが、制限された特殊の状態であるよう

に感じました。”

 

’時間の観念’ も、ここで覆(くつがえ)された。

“その世界では時間も違うものに感じられました。私はすべての瞬間を、

同時に感じていたのです。

つまり、過去、現在、未来の自分が関係するあらゆることを、同時に

認識していました。

さらに、いくつかの人生が同時に繰り広げられているのを感じました。

過去、現在、未来の自分が関係するあらゆることを、同時に認識して

いました。‥‥略・・

 

いいかえれば、時間はこの世で体験するような、直線的な流れではありません

でした。

私たちの理性が周囲で起こっていることを、連続したものに並べているような

気がしました。身体を持っていなければ、実際のところ、過去も現在も未来も

すべて同時に起こっているのです。”

 

アニータは自分自身の臨死体験を、このように、ありのままに勇気をもって

語っている。が、‘言葉’で説明する難しさをアニータはこう述べている。

 

“時間のあらゆる点を、同時に知覚できるというのは、向こう側の世界では

明確な理解に役立っていましたが、今それを思い出したり、説明しようとすると、

混乱が生じます。

直線的時間が存在しないとき、出来事の連続性ははっきりしなくなり、それに

ついて話すと不自然な感じがしてしまうのです。

五感の制限により、私たちは時間の1つの点に集中させられ、これらを一列に

つなげて直線的現実を創り上げているいるように思えました。

 

さらに、私たちの身体の制限された知覚が、目で見て耳で聞こえて触ることが

できて、匂をかいで味わえる範囲に閉じ込めているのです。

でも 身体的制限がなくなった私は時間や空間のあらゆる点と同時にかかわれる

ようになりました。”

 

ここでこれらのフレーズをご紹介してきた理由。

それは、アニータが臨死体験で感じたこうした事が、癌細胞に侵された肉体の

中で意識を復活させたあと、彼女の癌のステージ(このシリーズの最初に詳細記述)

を克服する動機としてどう働いたかということかもしれない。

 

アニータが臨死、文字通り、死に臨んだ世界に足を踏み入れた時、そこで

無条件の愛”に包まれた体験は、周りが想像できないほどの変化を、アニータの身体

と心に与えていた。

アニータはそのあたりをこう語っている。

 

”’宇宙は、理にかなっていた!’と私は理解しました。

さらにどうして自分が癌になったのか等々わかったのです。”

 

”癌は私が何か間違ったことをしたことへの罰ではなく、自分の行動に

対するネガティヴなカルマでもないことを理解しました。

すべての瞬間に無限の可能性が秘められていて、その時々私がいる場所は

自分の人生のあらゆる決断や、選択や考えが結実したものでした。

つまり、私が抱いた多くの恐れや私のもつ偉大な力が、この病気となって

表れてきたのです”

 

次回は、”私が抱いた多くの恐れや私のもつ偉大な力がこの病気となって

表れてきたのです”

このアニータの言葉をもう少し読み進んでいきたい。

 

 

*1  ”喜びから人生を生きる!”~臨死体験がおしえてくれたこと~ 

アニータ・ムァジャーニ著 2013年 株)ナチュラルスピリット

 

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臨死者に口なし、されど、意識はある・・・アニータの体験

2019年02月01日 | 健全生活のために”死”の常識を反転

 

身体を離れて 本当の自分を知る (2)~   2019・2・1

*******************************************

 

死人に口なし、されど、意識はあるはず、というタイトルは少し

語弊があるかもしれない。

あと一歩で、地上に戻れない死後の世界に足を踏み入れるか否かの、

瀬戸際にいたアニータは確かに意識はあり、その意識は拡張して、

病院の中の医師や看護師たちの言動を知ることができるまでだった。

 

一方、身体的にいえば、意識不明状態であり、死との境にいたわけだから、

完全な死人ではなかった。 

今日のお話は、そんなアニータが完全復活をとげるまでの記録のご紹介。

 

2006年2月上旬の朝、起床できないほど体の部位がはれ上がり、息もあえぎ

あえぎの状態になったアニータ。 

緊急入院を余儀なくされたアニータが、病院でどのような体験をして、

奇跡的回復を遂げたのか? 

 

アニータは病院に担ぎ込まれてから、こん睡状態に陥る。

が、”自己意識”ははっきりと自覚され、周囲で話している医師の声や状況すら

よく理解できていた。

どうやら、人は肉体の死を宣言されても、’意識’はしっかりと活動しているようだ。 

たとえ、植物人間といわれる状態でも、(霊的)知覚は活動していて、ベッドの

周りの人達の言葉や動作がわかり、時には彼らが何を考えていることすら理解できる

場合がある~と体験者の手記を読んだことがある。

その’意識’はアイデンティティをもって活動をしている。 

ニータの場合もそうだった。 

医師の自分への処置方法や、家族の悲しみの反応、思いがけず、自分が病をかかえた

肉体を去って痛みから解放され、精神的にも自由になった心境などなどを、

次のように、後日、本の中で書いている。(*1)

 

“癌専門医は私を見た瞬間、明らかにショックを受けた様子でした。

‘奥様の心臓はまだ動いていますが、意識はありません。

助けるには手遅れです’ と医師はダニー(注:アニータの夫)に告げました。

‘医師は誰のことを話しているのだろう?

私はこんなに気分が良いのに。

ママやダニーはどうしてあんなにおびえて心配そうなの?

ママ、どうか泣かないで。何があったの? 私のせいで泣いているの? 

お願い、泣かないで。私は大丈夫よ!’

 

’私は大声で言っているつもりでしたが、声にはなりませんでした。

なぜそれができないのか、まったく理解できませんでした。

‘どうして、身体が湯ことを聞かないの? 

どうして死んだみたいに横たわっているの? 

するダニーや、ママをだきしめたい、もう大丈夫、痛みは全くないって

安心させたいのに・’

 

すでにこの時点でアニータは、臨死状態になっていた。

多くの臨死体験者の話や本を読むと、いくつかの共通体験がある。

 

① 五感を持った肉体以上に鋭敏に知覚機能が働き、自分の周囲で起こる

状態を理解できる 

 

② すべての動きに対し鋭敏に空間の距離にかかわらず、愛する人達の感情

などが読み取れるようになる。

 

③ 計り知れない自由な感覚が心地よく、肉体を持っていた時の痛みや病状

から解放される。

 

④自分という意識は残るが、それが宇宙空間にどんどん拡大していき、

万有万物と一体感を味わうような超自然的状態が自覚され、愛に満たされる 

 

⓹ 肉体を持っていた時のほうが夢をみていたように感じるほど、幽体意識では

目覚めた本来の存在感覚が一層明確に意識される 

 

⑥ そこにはもはや性別、差別、資格、判断、などの差異や価値基準はなく、

喜びや恍惚感、畏敬の感情、そして無我の大愛を理屈抜きに証明無しに

感じ取れる。

 

⓻ すべての瞬間が過去現在未来と同時に感じられるほど、時間に対する

概念がひっくり返る。

時間は直線的ではなく、肉体の五感の制限により一列に時間をつなげる必要が

なくなるので、時間 の経過という感覚はなくなる。

 

①から③は、主に、まだ肉体のそばに意識があるときにみられるようだ。 

冒頭に書いたように、アニータが、医師の言葉や家族の悲しみをひしひしと共感して

”私は大丈夫よ”と声掛けしているのも、そうした例だろう。

 

特に③は興味深い。

交通事故にあい、危篤状態で臨死体験を体験した人の手記を読むと、意識が

体を離れた瞬間、あれほど苦しい痛いと感じていた肉体が、まるで自分の殻の

ように横たわっているのをみるだけで、さっきまで味わっていた身体的苦痛を

感じることがなくなったという。 

この世に戻る、つまり、意識が肉体に戻ると、また強烈な痛みが襲い掛かって

きた体験をしている。

 

④と⑤のコメントはスピリチュアルなものだ。 

誰しもが、こうした至福に似た感覚を持つのかどうか、定かではない。

が、多くの手記にはアニータと似たような体験が記されている。

ここではアニータの実際に体験したときの、言葉を借りてみたい。

 

"(臨死体験中)私は、自分に施されているあらゆる処置の細部にまで、

十分気づいていましたが外見上はこん睡状態に見えていました。 

私はどんどん外へ広がっていき、周囲の物理的環境から引き離されていく

のを感じました。

そこにはもはや空間や時間の拘束はなく、どんどん拡大し続けて、より大きな

意識と一つになっていくようでした。

身体を持っていた時には体験したことのない、自由や解放感がありました。

それは歓喜や幸福がちりばめられた、至福感としかいいようのないものでした。

病気で死にかけている身体からの解放、そして、病気による苦痛や痛みから

自由になった喜びから生じたのでしょう。”

 

次に④”自分という意識は残るが、それが宇宙空間にどんどん拡大していき、

万有万物と一体感を味わうような超自然的状態が自覚され、愛に満たされる

の体験についてこう記している。

 

”向こう側の世界に深くはいっていき、拡大しながらすべての人やものと、一つ

になるにつれて、愛する人達いや周囲の状況への愛着が、ゆっくりと消えて

いきました。

その間、すばらしい、’無条件の愛’としか表現できないものが、私を取り囲み

しっかりと包んでくれたのです。

でも、その感覚は’無条件の愛’という言葉では十分に表せるものではありません、

それはあまりにも、乱用されすぎて、言葉の持つ強烈さが失われているからです。”

 

そして、⑤の”肉体を持っていた時のほうが夢をみていたように感じるほど、

幽体意識では、目覚めた本来の存在感覚が一層明確に意識される” に関して

のアニータのコメントは以下だ。

 

”身体的にどこか別の場所へ行ったというより、むしろ目覚めたような感覚でした。

おそらく、悪夢からやっと目覚めたのかもしれません。

私の魂はその真のすばらしさをやっと悟ったのです。

それは、次第に私の身体や物質的世界を超えて遠くへと広がっていき、この世

の存在だけでなく、時間や空間を超えた別の領域にまで広がり、同時に、その一部

となりました。”

 

同時に一部となった? 

この表現は具体的に次のように感じていたということだ。

 

”愛、喜び、恍惚感、畏敬の念が私に注がれ、私の中を流れ、私を飲み込みました。

それまで存在していることさえ知らなかった、大きな愛に包まれました。

これほど、大きな自由や生きているという実感を味わったのは、初めてでした。

すでにお話しましたが、私のベッドから遠く離れた場所で話している、医師と家族の

会話が突然、わかるようになったのです。

これは物理的には不可能なことでした。” 

 

さて、⑥と⑦は?

⑥ そこにはもはや性別、差別、資格、判断、などの差異や価値基準はなく、

喜びや恍惚感、畏敬の感情、そして無我の大愛を理屈抜きに証明無しに感じ取れる。

 

⑦ すべての瞬間が過去現在未来と同時に感じられるほど、時間に対する概念が

ひっくり返る。

時間は直線的ではなく、肉体の五感の制限により一列に時間をつなげる必要が

なくなるので、時間の経過という感覚はなくなる。

 

アニータは ”私の魂はその真のすばらしさをやっと悟ったのです。”と書いている。 

もう少し、彼女の悟りについて、次回はみてみたい。

 

 

*  ”喜びから人生を生きる!”~臨死体験がおしえてくれたこと~ アニータ・ムァジャーニ著

  2013年 株)ナチュラルスピリット

 

 

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