自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

私とウニヒビリの対話(4)

2018年07月31日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

超越意識を顕在意識に重ねるために   2018・7/31

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前々回からの続き~)

ハワイの古代から伝わるという 癒しの秘宝、ホ・オポノポノ

の第一人者、ヒューレン博士の言葉を抜粋させていただく。 


自然治癒力の関係から、とても興味深い言葉でもある。

【】内の数字は、本(注*1)の中の頁数となる。

ピンク色部分は博士の言葉の引用である。

 

① あなたが生まれる以前からの記憶が、あなたに悲しみ

という感情を,引き起こす場合もありますが、知らず知らず

のうちにあなたに、クリーニングする機会を潜在意識が

与えてくれているのです。

 

そのことに気づいたあなたが、クリーニングをおこなうこと

によって、記憶が消去され、あなたは心の平和を取り戻します

(P・32)

 

この言葉には、宇宙生成から、私 という生命が持って

いた、記憶の膨大さ~ が強調されて、そのクリーニングの

タイミングを教えている。


言い換えれば、今、生きている以前の’生’、つまり、過去生の

存在を、受け入れている博士の考え方が前提にある。

 

それは、仏教でいうところの輪廻転生だ。

人の命は死後生まれ変わり、又、死んで生まれ変わる~

その際、人間として生まれただけには限らず、

様々な形態、植物や動物、もしかしたら、鉱物として

命を存在させていたこともある~という、宇宙創成期

からの"私の魂”の存在を、認めることだろう。


だとしたら、私たちの今には、その記憶の種類と量は、莫大

なものであろう。それが次に説明される。

 

② 記憶~

私たちを悩ます記憶には実に様々な種類があります。

小さい時から、兄弟姉妹と比べられてきたことで備わって

しまったコンプレックス、両親と同時に自分は幸せな人生

を送れるはずがないと、いうような誤った思い込み、


あるいは、仕事や勉強を知らず知らずのうちに頑張り

すぎて、体が悲鳴を上げているというのも、記憶の

一種です。

(35)

 

誰にでも、そこだけは触れてほしくない~という、弁慶の

泣き所がある。

それも、過去の生まれ変わりの中で、クリーンされないまま、

そのまま、古い傷をさらに、新しい傷が覆い、という形で、

精神的地層のように、積み重ねられて、コチコチに固まった

ものの、現れ、つまり、それが一種の、コンプレックスと

なってる。

 

ヒトは、無意識のまま現感情に任せて生きている限り、

同じような体験を積む人生を繰り返す。


つまり、生まれ変わりをしながら、過去生のカルマ清算

をし続ける。

 

こうして、つもりつもった記憶は、潜在意識に”すべて

ため込まれている”と博士は言う。 


この生きている今のあなたの、そして、私の、”潜在意識”

にである。 

 

その記憶は、悲しみの体験のみならず、思い込みや

コンプレックス、苦手意識や高所恐怖症などの、特定の条件

で味わう恐怖感、そうした、精神的要素のみならず、

体が悲鳴を上げる、つまり、肉体的弱点や病弱性なども、

’記憶’~潜在意識にため込まれた過去のメモリー~が

出現していると言える

 

博士は、仏教的にこれを、’カルマ’と呼ぶことができるとも

言う。


③ 人間の行動を規定しているものは、記憶とインスピ

レーションです。(43)

 

この”記憶”が、それぞれの私たちの行動規定を作る。


言い換えれば、私たちは、無意識に’今、行動’している

にもかかわらず、それは、’過去の”記憶”のつまった

”潜在意識”’が今の意識、つまり、”現在意識”に感情と

して伝えられることによって、その人の個性的な行動を

促進させているのだろう。

 

一方、”インスピレーション”という行動規定が、それとは

別にあるという。


それは、”超越意識”が、神的な聖なる”無限世界的意識”と

繋がったときに、ひらめく、一瞬の”光の知恵”だ。

 

その意味では、私がこうして、ブログを書かせていただくこと

ができるのも、超越意識の声、インスピレーションの賜物。


だから、精神的に穏やかで、内とつながったときに、言葉が

自然と、湧いてくる時に限られる。

 

超越意識が、どのようにして、現在意識に、そのインスピレ

ーションを届けられるのか? 

曇りの日に、雲の上に輝く、太陽の光を 地上に通すことが

できるのか? 


それこそ、インナーチャイルド~”ウニヒピリ”、つまり、

”潜在意識の存在”があるからこそだ、と博士は言う。

 

インナーチャイルド~”ウニヒピリ”を徹底的に、清める、

浄化する、そのことで、最終的には、現在意識、潜在意識、

超越意識が一体化することができるから~という。


その雲は潜在意識の中に積もり積もった”記憶”だと、

博士は言う。

 

④あらゆる苦しみや悲しみは、潜在意識の中にある記憶の

再生によるものです。(42)

 

博士は言う。


”だから、苦しみや悲しみは本来。ないものだ”と。


私たちの本来の姿は、超越意識が受け取る

’聖なる宇宙意識’ の表現体であり、宇宙意識を、人は

それぞれの呼び方で表現する。


たとえば、無限供給、無限調和、無限喜び、無限の愛、

無限の成長につながる意識とか。。。、


私たちは、その’意識’に直結したインスピレーションに

よって、本来生かされるているものだから、だれでも、

その存在とつながっているだ。

 

それなのに、”何故、不調や不調和、悲しみや苦しみが今、

ここにあるの?”という疑問がわく。


その理由は、一言、

”記憶の再生”によるものだと、博士は、教える。 

 

’記憶の再生’という言葉はあまり聞きなれない。


わかりずらいが、喩えて言えば、レコーディングした音

を再生するにあたり、間違った音を録音したら、その音は、

何度、再生しても耳に届くようなものだ。

記憶もそうした形で蓄積されている。

 

その誤った音を除去するには、間違った録音部分を除去

しなければならない。


その除去こそ、ホ・オポノポノでいうところの、’記憶の消去’と

いうことになるのだろう。

 

そして、日常生活の中で、繊細でかすかな音を

録音するにあたり、周りの雑音を完全になくすことが

必須だが、これは、なかなか難しい。


日常生活現場の様々な音が混じっている限り、純粋な

’音’はかき消されるか、聞こえない状態で録音

されていることだろう。

 

だからこそ、クリーン、クリーン、浄化、浄化のみだ。


つまり、浄化する作業は瞬間瞬間に行い、それは、

生きている限り、止めることなく続くという。


言い換えれば、私たちの精妙なスーパーコンシャスネス

(超越意識)が、聖なる意識と結びついて現在意識に

届く、その声を聞き取るためには、日常の徹底した、

潜在意識の浄化作業が望まれる。

*****

 

*1)

”心に楽になる、ホ・オポノポノの教え

”イハレアカラ・ヒューレン著、2012年 

株式会社イーストプレス発行

 

イハレアカラ・ヒューレン博士:

ハワイに伝わる伝統的な問題解決法 

’セルフ アイデンティティ スルー 

ホ・オポノポノ (self identity through 

Ho.Opnopono)の第一人者。

これまでにに犯罪者の更生や身体障碍者の

支援プログラムに取り組んできたほか、

国際連合、ユネスコ、

世界平和会議などでも活躍。

 

 

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16年間のデリーを離れる!、お世話になった方たちへ

2018年07月24日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

家も周りもお隣さんも、ペットの植木たちも・・・

さようなら/最後のセラピーを施術して・・・・・ 2018・7/24

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パール判事(下記内容関連写真)とその著書

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7月17日に帰国いたしました。


インドにいると、いつもながらの感想ですが、

心と体は比重が無くなり、みごとに計算された

自然の潮流の流れのなかに、無抵抗のまま流されて

いくように、考えてはいない方向に、ことが

運ばれていくという体験をします。


今回も例外ではなかったようです。

デリー滞在期間の3週間の間で、以下の事象が

つつがなく済んだのは、頭で組み立てることが

できないような展開があってのことでした。

 

1)

 "30年近く愛用した家具を日本に送る"ことができました。


15年(印度に定住していた時期)に、プラス13年

(インド根拠地がまだ残っていて、インドと日本を

親の介護の合間を見て、往復していた時期)の合計

28年の間、使っていたり、集めたりした、インドで

しか手に入らない家具、手製のベッドを含め、

いまどき、インドでも入手困難であろう、チーク材

の応接セットなどの大きな荷物の他、絵画などの

中小のモノは、日本で使うために、海外搬送すること

にしました。

 

専門家に頼んだとはいえ、私にとっては、大がかりな

引っ越し業務でした。

 

引っ越し数日前のごたごたした家の中。

あちこちに大きな鏡を置きましたので

これを外す前日です。

 

エアコン、カーテン、いす、ジェネレーターなど、

が映っています。

 

2)そのほかの家に残ったものの対応は、インド人の

知人達や 施設などへの寄付、日本製の電化製品は

その道に詳しいインド人友人が家に来てくれ、物色し、

ネットオークションなどにかけてくれることに

なりました。

 

3)お世話になったインド人の近隣のご家族、数カ所に、

数日がかりで、インド退去のご報告とお礼を兼ねて、

ご挨拶にいき、ランチをごちそうになりました。


バール家(下写真)でのランチは、ベンゴリマーケット

から仕入れた魚(ご主人の手で)を、

奥様がさばき、お嫁さんがマリネ―につけて、

奥様とお嫁さん二人で、最後の味付けをして、

貴女(須田)が食べて、”全員集合作業”ネ!と、

温かい笑顔で言われた、その家庭料理は格別でした。

 

以前、ご紹介しましたが、この家族は、日本に

縁ある方の子孫です。写真下)


かの、東京裁判で連合国の判事たちが、一斉に

日本軍幹部に死罪有罪を下したのに対し、唯一、

インド国代表判事として膨大な資料をまとめ、

無罪の判決処分を提出したパール判事の直系の

ご家族です。


私たち日本人にとっては、とても偉大で親しみの

あるパール判事(冒頭写真)は、ご家族にとっては

優しいおじいちゃま、だったようです。

 

 

 

よくこのブログに登場した、サントシ(真ん中)

と、向かって右端のボビー(13年前の運転手さん)。

 

皆様はご想像できないでしょうが、インフラが整備

されていないデリー市内を、電車や地下鉄で

気軽に移動ということは、デリーに住んでいても、

場所によっては不可能です。


私の住んでいる、南デリーの奥地から、一番近い、

地下鉄駅までは、混雑のひどいときは車で、

1時間ほどかかります。


もし、車の混雑がなければ、10分で走れる距離なのに!

です。

結局、一日ハイヤーを頼むという形になります。

費用も時間も、かかるのが′デリーでの外出’です。

今はウーバーと呼ばれる、携帯電話で、近くを走って

いる無線タクシーを利用するのが、普通に

なってるようです。


携帯電話で予約して、15分ほど待てば、家の前から

乗っていくことができますが、現地の人のみが、

基本的には、携帯電話を持て、外国人には販売禁止

なので、当然、外国人の私には、この便利な代物を

利用するのは、無理でした。

 

4)シタール演奏家でインド古典音楽界のレジャンド

となった、私の師匠(Ustad Shujaat Khan) 

あちらの言葉では、グルジーといいますが、に改めて、

生徒として、授業を10年振りに受けました。

 

そして、インド古典音楽への火だねが残る、私の

心の献火台にを点燈していただきました。

習った曲目は、朝のラガ、ミヤキトリのアラブを

15分ほど、グルジーの眼の前で弾き、グルジーは、

その間、目をつぶって、聞いてくださいました。


この瞬間に、インド音楽の深さをもっと、極めよう

と心の火が、再び、ついたようでした。


師(グルジー)は 一通り、レッスンを終えた後、

こう最後に言われました、

”あと数か月後にあった時、このテクニックを

マスターしておきなさい”。

 

こんなにたくさんのことを、滞在中に無事にこなせた

ということは、信じられません。

こうして、古き家を去るにあたり、今度は新しい

拠点を探し始めた私でした。


なぜなら、近い将来、インド・デリーへ、シタール

勉学のために、再来するという予感が、日ましに強く

なったからです。


そして、奇妙な紆余曲折はありましたが、インドを

たつ一日前に、その部屋をゲットできました。

これは次回のブログで少し詳しくご報告できたら

と思います。

 

グルとのレッスン風景

 

5)一番懸念していた問題が残っていました。

それは、デリー市内を数回引っ越しするたびに、

新居に一緒に、連れて行った、私の家族でも

あった植木たち、現在は屋上のテラスに置いて

ある、たくさんのプラント鉢をどうするかと

いうことでした。


これも、最後の最後まで、飛行機にのる数時間前

まで、肉体労働して、奮闘しましたが、

どうにか解決することができました。

 

 

 

このサボテンは、夫がインドに赴任する前

から前任者の家の庭に代々あったものですから、

年齢はすでに、40歳以上と推定されます。

インド人はサボテンをあまり好みません。

その昔見たハリウッド映画の冒頭に、夫婦離婚

の前の伏線としてサボテンが映し出されました。

確かに、表面がとげとげしいこの植物は、

敷地内に置くと、家の中に’いさかいを生む’という

象徴のように扱われているようです。

私にとっては、外気からの”’いさかいの元”’に

立ち向かってくれた、平和を守る戦士のように

思えていましたが・・・

 

最後は彼らはととも重量がありすぎて、

4階から階段を降りられず、

見事な枝はほとんど刈り取られてしまいました。

それを見て、私は、声を出して号泣しました。

 

 

向かって左が、私の最もお気に入りの体長

2.5メートルの~です。

(名前がはっきりわかりません。

ヤシか棕櫚の一種でしょうか?)

 

クジャクたちが飛んできた、サルもあそびに

来た、屋上からの風景です。

この屋上テラスから見る、原野の拡がりは

本当に、インドらしい空気を部屋まで、

運んでくれました。


誰もが口をそろえていうことには、

デリー市内でこんなに緑に隣接している風景は

ここしか見られないという、言葉でした。

 

最後のご奉仕としての、アートマセラピー施術

追記です。皆様に、一言ご報告を忘れていました。


我がアパートの一階に住む、ベディ―夫人の

上階に住んでいる、チョードリ家の長女が

チフスにかかっていました。


当然、入院するのが普通のところですが、

ご両親のチョードリ夫妻は、アユールベーダ

の専門知識を持っており、かなり、危険性のある

(と一般的見解では思えますが)自宅療養に

踏み切っていました。


私が、お別れのご挨拶に伺ったおり、

そのことを聞かされ、アートマセラピー

のことを、お話するとぜひ、ぜひ、施術を

して欲しいと頼まれました。


ご両親が心配そうに見守るなか、インド出発

までの2日間、数時間、セラピーを行いました。

 

症状は、熱があり、言葉を発するのも面倒

なほど、衰弱してベッドに横たわる彼女を見て、

決して軽い症状ではないことを知りました。

しかし、二日間の施術後、おかげ様で回復

を見ました。


胃の部分の凝りをほどいて欲しいという、

アユールベーダ流見解はもっともでしたが、

その凝りは、足のふくらはぎ内側とふくらはぎ

の凝り、身体左右の気流のアンバランス、

首と腕の順気の流れと関係あると答えると

不思議そうな顔をされました。


私自身の体験と信念に照らし合わせ、それらの

部位と体全体のバランスを整えるように

施術いたしました。

 

飛行場に向かう直前、再び、階下に挨拶に

行くと、病で臥せっていた、彼女自身が

ベッドから出て、飛び切りの笑顔でお別れの

挨拶を手を振りながらしてくれたときほど、

この最期のインド滞在期間の中で、嬉しかった

ことはありません。

 

 

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