自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

武道の根源は;神の愛、万有愛護の精神である~植芝氏の悟り

2015年12月25日 | 健康のための心の波動



神と一体になったときの 翁の感想 2015・12・25

*******************************

 先回の続きである。

大正14年の春、植芝翁が、神との一体観を体験した時の口述だ。


“大地から黄金の気が吹きあがり、私の身体を包むとともに、

私自身も、黄金体と化したような感じがした。


それと同時に、心身ともに軽くなり、小鳥の囁きの意味もわかり、

この宇宙を創造された神の心が、はっきりと理解できるように

なった。 


その瞬間、私は、‘武道の根源は神の愛、万有愛護の精神である’

と悟りを得て、法悦の涙がとめどなく、頬を流れた。


その時以来、私は、この地球全体がワタ家、日月星辰はことごとく、

わがものと感じるようになり、眼前の地位や名誉や財宝は勿論、

強くなろうという執着も一切なくなった。 


武道とは、腕力や狂気をふるって、相手の人間を倒したり、

兵器などで世界を破滅に導くことではない。 


真の武道とは、宇宙の気を整え、世界の平和を守り、森羅万象

を正しく生産し、守り育てることである。

即ち、武道の鍛練とは森羅万象を正しく産み守り、育てる

神の愛の力を、心身の内で鍛練することであると私は悟った。

“(以上引用)

 さらに、続けて、

”私が教えを受けた高天原の理は、全大宇宙を高天原と称す。 


けだし、高天原の本義はタカアマハラの六声を完全に

発表するなり。


タ声とは、すなわち対象力の義にして、東は西に対し、

南は北に対し、陰は陽に対し、動は静に対し、明は暗に対し、

顕は幽に対し、生は死に対す。


タの一音があるがゆえに、タカミムスビの神、神ムスビの神

のニ神が成り立つ。


そして、六全八角発紘にみな、ことごとくこの対照力起こり手、

至大浩々たる至大気海を張りつめるとき、ここにはじめて

球の形現るるなり。

 

けだし、球(きゅう)という。 二声の霊(たま)は対照力が全く

張りつめて鳴りはじめたるなり。 


かく、全く張りつめて鳴りはじめたる、億兆劫劫の数限りの

対照力はみなことごとく 両々相対してその中間を極微なる

点の連珠糸(さぬきいと)にてかけ貫き保ちおるなり。

 

この義を声にあらわし、タとは対照力、カ声はかけぬく力、

アは神霊顕彰(けんしょう)、宇宙全くはりつむるなり、

マとは、全くはりつめて、玉となることをいう。

 

また、この極微点の連珠糸(さぬきいと)となす。


神霊元子が活気凛凛として活動している気を称して、

一言に、ハという。


これは活気凛凛、至大嬉々というなり。


また、その造化機が運行循環しつついる気を称して ラ

という。

即ち循環運動のことである。“(以上引用)

 

難しい漢字連語が用いられ、難解な意味合いである。

翁の言葉を、簡単に要約すれば以下のようになるだろう。

発音と”ことだまの意”は次のようになる。          

****** 

タ~対照力、カ~掛けぬく力、ア~神霊顕彰、しかして宇宙、

マ~完全に張りつめている玉

ハ~神霊活気凛々で至大嬉々、ラ~循環運行、

 

このように、タカアマハラの意味は~高天原を貫く理念

であり、この言霊の意味合い通りであるということだ。


それが全大宇宙であるということでもある。

 

神道的に言えば、高天原にカムロギ、カムロミの命(みこと)

がおられて、地上にイザナギ、イザナミ命として顕現せられ、

高天原の‘内実を確固たるものにする’


目的で秩序を持った法則によって、万有を生み出したとされる。


この宇宙の中心神として大宇宙をコントロールしているのが 

天御中主ノ神(あめのみなかぬしのかみということになる。

 

さて、アイウエオは小学校で習う最初の文字だろう。


このアからンまでの日本語の言葉の基礎になる言霊は 

イロハ歌でも使われて意味深い、私たちが普段気が付かない、

深い言霊を秘めている。


翁はこのあたりを、独特の自論で展開している。引用する。

 

“口いっぱいに開いて、喉の奥底より、呼気を吹き出すべし。

このとき、アーと一杯になり、出すべし。


ア音とは、如何になすとも、常に立ち、変化なし。

故にア音を称して、国常立大神(くにとこたちのおおかみ)

申す。


イザナギ、イザナミの神は、この声を受け持つ。

ア音を出しながら、漸次、口をつぼめて口びるが合わんと

するとき、鳴り響く音はオ声なり。

国狭土の神(くにさずちのかみ)と申す。


オ音をだしながら、口をふさぎ切るとき出る音は、ウ声。 

ゆえにウ声はウビチニの神と申す。 


ウ声を強くよんで、極に達すれば、ス声になる。

故にス声は ウ声の妹神()スビチニの神と申す。


ウ声を呼びながら、下あごへつき、舌を杙(くい)の如く

食い入れれば、エ声になる。


エ声をよびつつ、口中の気息を回してあつしぐとき、

イ声になる。

かくしてアオウエイの五つの音、即ち、母音が成就する。“

(以上引用終り)

 

さらに翁は

“この母音を命という”と語り、この理を理解して、

実行することが合気道であるとも述べている。


言霊の妙用を悟り行うというのは、言霊を実際の

現実次元に展開させるということでもある。

すべての音には言霊がある。


翁はその言霊を自由に操り、武道の道を深めていき、

ついに神の心境近くに達したのだと感じる。

 

 

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”アオウエイ”宇宙万物創設のしくみ

2015年12月21日 | 健康のための心の波動

 

神代にさかのぼる合気道の意味: 2015/12/21

***************************

 

先回に引き続いて、合気道創設者、植芝盛平氏の口述を

高橋英雄氏監修でまとめた”武産合気(たけむすあいき)”

の中から、植芝氏自らの体験をご自身で語った内容を

ご紹介したい。


“この植芝の合気は 大猿田ヒコとなって、これから進む

道案内であります。

地上の禊ぎ祓い(みそぎはらい)です。“


と合気の意味合いをおおまかに述べられている。

そして、

“合気道は和合の道であります。”という翁は

アオウエイ” と唱え、言霊を使って祓い(はらい)を

された。


言霊について次のような説明を加える。

“大虚空(だいこくう)の宇宙にあるとき、ポチ

(須田注:小さな・のこと)一つ 忽然として現る。


このポチこそ、宇宙万有の根源なのである。

そこで、はじめ、湯気、煙、霧よりも微細なる神明

の気を放射して円形の圜を描き、ポチを包みて、

初めて(○の中心に・が入った形)の言霊が生まれた。


これが宇宙の最初、霊界の初めであります。

そこで宇宙は呼吸を始めた。・・・


ス音が生長して、スーと ウ音に変わって、ウ音が生まれる。

絶え間ないスの動きによって、ウの言霊が生じるのである。


ウは、霊魂のもと・物質のもとであります。


言霊が二たつに別れて、働きかける。 みたまは両方を

備えている。 

一つは上に巡って、ア音が生まれ、下は大地に降りて、

オの言霊が生まれるのだ。


上にア音とオ音と対象で気を結び、そこに引力が発生する

のである。 

高天原(たかまがはら)というのは、宇宙の姿である。・・・


一家族も一個人もそれぞれ、高天原であり、そして、呼吸

して活き活きと生きているのである。・・・


高天原の意味を、より理解して神の分身分業を、なしてゆく

ところに合気道が出てくるのである。“


読者の皆様の中で、合気道を学んだ方たちにとっては

すでにこうしたお話しをご存じのことだろう。 


私のように、武道に疎いものにとって、このようなお話し

はとても新鮮に聞こえる。 

武道と言霊の結び合い、調和、そして宇宙の創造と私たち

一人ひとりの宇宙の相似、


さらに、それらの理解のもと、神の分身として自覚ある

ところに 合気道が生まれると 創始者の植芝氏は述べる。


武産(たけむす)合気と命名された意味はここにあると

知った。

 つまり、

“合気とは言霊の妙用であります。 ・・・ 


わが神典による武産(たけむす)とは、絶倫の日本の武

である。 

神変自在、神通千変万化の技を生み出すのだ。真空の気と

空の気を、技と技(わざ)とに結び相手、繰り入れながら、

技の上に科学しながら、練習するのが、武産(たけむす)

の合気道である。


この合気道は、世界融合のため、宇宙家族の一人として、

その指導に羅針盤となって、国土より禊ぎ(みそぎ)、

宇大の清めのために執り行うことである。“(引用終り)

 

武道家の言葉というより、悟りを開いた大師の言葉

を聞いているようだ。

その大師はヨギでも 仏道でも、キリスト教やその他

世界的宗教の宗祖でもなく、神道に近くして武道の

それである。


今までご紹介した翁の言葉の中には、言霊をはじめと

して、高天原などの神道の考え方が基軸になっている

ことが理解される。


現に、翁はこの談話を筆記した者に以下のように語った

と、挿入の逸話がある。以下引用。

 

”合気道の始まりは、黄泉(よみ)の国に逝かれた

イザナミの命(みこと)に会いにいかれたイザナギの命

の話にさかのぼる。


イザナギ命は、イザナミの命の姿のすさまじさに驚き、

その姿を見られたイザナミ命は軍勢をもって追わせた。


黄泉国[冥界]と現界との境に来かかったそのとき、

イザナギの命が桃の実を三つとって、なげうたれると

黄泉の国の軍勢はことごとく逃げてしまった。 


その桃の実が‘合気道’であるということを植芝先生

から筆記者は聞きました“(引用終り)

とある。

 

次回はもう少し、その言霊の意味を紐解いてみたい。

 

 

 

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合気道と自然治癒力の宇宙観

2015年12月17日 | 健康のための心の波動

 

合気道創設者 植芝翁の 後述筆記から   2015・12・17

**********************************************

 

達人というのは、天命を全うできる人かもしれない。

華やかでも地味でも人生、与えられた空間と時間の中で

健康に生き過不足のない状況に感謝しつつ、でも、理想

と夢と可能性に向けて生きていければ幸せだと思う。


達人は だから、案外身のまわりにいるのかもしれない。

周りの人に認められなくても認められても関係ない。


一昨年のブログに合気道の神様、創始者である

植芝盛平氏のご紹介をさせていただいた。


ご自身は神道系の深い宗教心を持っていらっしゃるが、

平素の生活態度と武道に対する姿勢は達人とは、こういう

人をいうのだろうと素直に感動させられた。


病もどこかへ飛んでいくだろう~合気道の道は深い~

悟りに近いものを開かれた達人だから、言葉は説得力

がある。

少し、再び、皆様と含蓄あるお言葉を吟味したい。


植芝翁の言葉を、そのままお伝えすると、

‘合気とは敵と闘い、敵を破る術ではない。

世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。


合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、己を

宇宙そのものと一致させることにある。 


合気道の極意を会得した者は、宇宙が その腹中にあり、

(我はすなわち宇宙)なのである。私はこのことを、

武を通して悟った。”

 

私のような一凡人が、悟りを開いた翁の言葉に 

注を添えるのは不遜であることをお許しいただいて 

文章をすすめさせていただく。


すでに皆様もお気づきになられたように、

宇宙がわが腹中にあって、自分の中に小宇宙が存在する

という感覚は、達人の共通する意識のように思う。


続けて翁は語る:

“いかなる速技で敵が襲いかかってきても、私は敗れない。

それは、私の技が敵より速いからではない。 

それは、速い、遅いの問題ではない。

初めから勝負がついているのだ。“(以上引用)

 

この言葉を私はついつい、自然治癒力生命的に解釈

してしまう。

敵を病、あるいは、不幸、におきかえてみると、

それなりの意味がとれるからだ。


“いかなる重篤な病が、私に襲い掛かってきても、

私は敗れない。

それは、私の体が剛健で病に打ち勝つからではない。

それは、体が強い弱いの問題ではない。“(以上引用)

 

それでは何の問題なのだろう?


以下 翁の言葉が続く:


“敵が‘宇宙そのものである私’と争おうとすることは、

宇宙との調和を破ろうとしているのだ。


すなわち、私と争うという気持ちを起こした瞬間に、

敵はすでに敗れているのだ。


そこには、速いとか、おそいとかいう時の長さが

全然存在しないのだ。”

(以上引用)

 

では、これを自然治癒力の生命体に置き換えると・・


“病が‘宇宙そのものであるわたし’にかかってくることは、

宇宙の調和を破ろうとすることだ。 

すなわち、病の原因であるヴィールスや菌が私の細胞に

侵入しようとしたくても、それはかなわないのだ。


(あるいは、‘私が病にかかるということを自分が

認めた瞬間に、私はすでに敗れているのだ’とでも

意訳できる)。”

 

こじつけのように聞こえるかもしれないが、本当に人

が悟ったとき、自分が宇宙と一体だと感じたとき、

その時は、その人の中には、争いや不和は存在しない

のだと思う。


宇宙の和に調和したとき、その人を阻もうとする病や

ヴィールスは存在しないということになる。


ではどうしたらそうした心境になれるのだろう?

 

植芝翁は 合気道を通して以下のように語る:

いかにして宇宙森羅万象の活動と調和できるだろう?


それには、まず神の心を己の心とすることだ。 

それは、上下四方、古往今来 宇宙のすみずみまでに及ぶ 

偉大なる‘愛’である。 


愛は争わない、愛には敵がない。 

何者かを敵とし、なにものかと争う心は宇宙と調和できない。

宇宙と調和できない人間の武は破壊の武だ。 

真の武産(たけむす)の武ではない。“(以上引用)

 

“勝つとは自分の心の中の‘争う心’に打ち勝つことだ。”

の翁の言葉。


武道には、道という字が使われている以上、究極に

つきつめていったとき、悟るという心境になるのだろう。

しかし、翁は一種の霊感を受けて、まず、悟りの道

を開いた。

 

具体的なお話しを、植芝翁はしているので皆様に

ご紹介したい。


大正14年の春だったと思う。

私(植芝翁)が一人で庭を散歩していると、突然天地

が動揺して、大地から黄金の気が吹きあがり、私の

身体を包むとともに、私自身も黄金体と化したような

感じがした。“(以上引用)

 

話がそれるが、これと同じ体験をしている方を

存じ上げている。

夫と私をタイ国に結び付けてくださった永瀬隆先生

読売平和賞を受賞された、元陸軍通訳としてタイメン

鉄道建設の連合軍と日本軍の間で働いた方だ。


戦時中、ご自身がかかわった悲惨な連合軍捕虜たちの

体験の償いを一生かけてしたいと決意され、

亡くなった連合軍の捕虜たちの霊園で、祈りを捧げている

ときの不思議な体験話を直接先生からお聞きした。


それは、突然、黄金色の空気が先生の体を包み、ご自身の

罪は許されたと悦びとともに体験したということだった。


それからの先生の人生は変化した。

連合軍元捕虜の生き残りの人々を探し、恨みに恨んで

いた痛恨の感情を解き、和解させるために、元捕虜たちを

日本へ呼び、自らは、60回以上カンチャナブリのタイメン

鉄道現地に赴き、理解と平和運動に残りの半生を注いだ。


だから、植芝翁の口述にあるように、翁を黄金色の空気

が吹きあがり、包み込んだという表現は大袈裟ではなく、

文字通りそうだったのだろうと容易に想像できた。

 

(続く)

*1) 武産合気(たけむすあいき) 

植芝盛平先生口述 高橋英雄 編  

青年合気道同好会発行 

昭和57年 第9版

 

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あるセラピストと心の浄化の効果

2015年12月13日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

 

本当の自分探しと潜在意識の浄化  2015128

**********************************

 

先回の続き・・・で一体自分探しをすることと、

潜在意識の過去の自分なりの体験に基づく記憶”を

清めることがどういう結果をもたらすのか

ということについて 次の手記(*1)をご紹介したい。

 

“私はアジアのヒーリング、武道、エネジーワーク、

の研究を続けて何年もたったころ、ホ・オポノポノを

使って自分探しの旅を始めることになりました。

…略…

私が参加して学んだシステムは私自身の内側にある

ネガティブな要因を消去して、問題を解決する

いうもので目からうろこが落ちる思いでした。

 

私は、中国の医療マッサージを身に着け治療していますが、

ホ・オポノポノの手法を使って行くうちに、私が

それまで学んできたものとは相いれない事実

に気がつきました。 

 

実際に治療してみると、患者が訴えるものと、

別の問題点が浮かび上がってくるのです。

確かに、患者たちもいろいろな問題がほぼその場で

解決したような気がすると言うのです。

 

はたして、私が智慧を総動員して、このハワイの

手法のさらなる可能性は紐解かれるのを確かめなければ

と思ったのです。

ですので、翌春、私はこのメソッドと実践方法を真に

見つけたいとフル・トレーニングに参加しました。

 

ある日、以前の患者の一人から連絡がありました. 

便宜上、この女性をJを呼ぶことにします。

臨床心理学者のJは乖離性同一性障害

(かいりせいどういつせいしょうがい)が気に

なるの私に診て欲しいと言うのです。 

Fは何度も自殺未遂をおこしました。・・・ 略・・・

 

私はこの女性に今まで使ったことのない手法を、

ホ・オポノポノの手法を使ってみることにしました。

私は 100%の責任を負いました。

すると、状況は確かに改善されたのです。

 

私のマッサージの方法にも変化が起こりました。

もはや私は誰の体にも触れることはありません。

…略…

物事は常に形を変えてやってくる 家族の問題、

ストレス、意見、あるいは戦争。

そして、それぞれのの始まりの時に事実を受け入れる

のは容易ではない。

さあ、“なぜ、私が?”という代わりに、“わたしのせいだ”

と言う。

罪の意識なし言うのです。

そして、手法を使って、潜在意識を清め、後は神の手

にゆだねればよい。

 

言うは易く、行うは難し、どのみち、われわれには

問題の全体像はつかめない。

どうして、なぜ、に時間を浪費するよりは、ただ、

(潜在意識の浄化を)行う、ただ行うのだ。

 

行うことによって、われわれは自分自身からぬけだし、

非難すること、反応する

こと、嘆き悲しむこと、苦悶することから自由になる。

非難したり、反応したりすれば、過去の記憶と結びつく

だけで、本当の自分とのつながりが途絶えてしまうのだ。

 

我々の選択は、だから、独善に走らない事、鬱に

こもらないこと、シンプルに続けること、何よりも、

大切な贈り物、セルフ(本当の自分)に反して、

審判を下さない事。

浄めに身をゆだねよ、立ち上がり、自己を祓いのけ、

新たに始めよ、

ありがとう。

ブライアン・オム・コリンズ ” 

 

この手記で心を止めたい点がある。

それはこの手記を書いた人は 中国の気功師でセラピスト

ということ、そしてそのセラピーの方法が、ホ・オポノポノ

の手法を学ぶことで変わったと言うこと。

本人は進化したという言い方をしている。

 

すべて目の前にいる患者の症状は、自分の心(潜在意識)

を清めれば治るということを実践したからだ。

すべての事象、人も事も環境も、事件も、あらゆる自分に

かかわることは自分の心の現れだととくモーナ女史の考え

が根本にある。

 

これは先回ご紹介した モーナ女史の詩編の中でいえば、

 

“ウハネは あなたが意識として知覚している部分。

本来ウニヒビリに、常に愛情と関心を与え、安心、安全を

提供し、その中でウニヒビリに道を教えてあげたり、

サポートする役目がある。

ところが 普段のあなたは、ウニヒビリの絶望や痛みを無視しがち。

それを続けていくと、あなたの内なる家族の中で問題が起き、

傷みに耐えられなくなったウヒビリは 次に母である

ウハネを無視するようになり、自分の痛みに

気付いてもらえるよう、何度も同じ記憶を再生するようになる

ほとんどの場合、病気や人間関係などの問題を通して

体験している。“

 

子である、潜在意識は母(現在意識)が自分勝手に行動した結果、

執着や恨み、憎しみ、悲しみ、恐れなどのマイナスの想いで

酸素(愛)不足であえいでいる。

 

それに気づき、マイナスの蓄積された想念や想いを浄化して

あげない限り、まるでコンピューターに入れたソフトのように、

同じような状況を感知すると、そのマイナスの記憶を再生する

というのだ。

 

その再生は、病気や人間関係に顕れる。

しかし、それはその当人の問題と他者は考えるだろう。

しかし、このセラピストのように、自分の“前に”その問題を

抱えて現れた人の問題も、実は セラピストの潜在意識の中に

ある何か“記憶”の再生と考えるのだ。 

 

再び、モーナ女史の詩編にかえりたい。先回ご紹介した

詩の後半部分だ。

 

“わたし” (後半部分)

・・・・・・・・・・・

(潜在意識 ウニヒビリが 現在意識の母に語る)

いろんなことをお母さんに呼びかけてきたけど、

ずっとお話ししたかったことは、宇宙の宝物のこと。

宇宙の宝物をお母さんに見せてあげたい。

それって、御母さんが長い事求めている夢なんかより、

ずっとすごいこと。

 

今までもずっと呼びかけてきたけど、御母さんは知らんぷり。

がっかりして、イライラしたこともあった、放って

おかれっぱなして腹がたつけど、寂しいものだ。

 

寂しくて、悲しい、

どんなに悲しくても、ぼくはその間、ずっとお母さんが

持ってくるいろいろな荷物、貯めこんでくる心の荷物を

ただ背負って積み重ねてきた。

御母さん、そばにいて。

話しかけて。

御母さんと一緒にいたいから。

一緒だったら、できること、たくさんあるんだ。

御母さんあなたが、深い青い、空や大昔に忘れた、

湖に映りこんだ月の光の静けさを知ったら、その瞬間、

御母さんと僕の願いがかなうんだ。

お父さん(超越意識)もずっと、長い間、御母さんを

呼び続けていた。

 

本当の自分のいるほうへもどってきてって。

私が一生懸命願っていること、それは、自由。

私は今、とても痛くて重くて、つらい。

何度も繰り返されるこの記憶から自由になりたい。

御母さん、助けて、御母さん手を差し伸べて。

 

お父さん、お母さんと僕、“本当の自分”に向かう準備が

できてきたよ。

今までため込んで重く固くなった記憶とお別れする準備。

腕を広げて、思いっきり解放してあげる。

お父さん、家族がこうして一つになる、

そのときだけ、お父さんもお母さんも私も自由になれる。

‘本当の自分’になれる。”

 

本当の自分~この響きに興味をもっていただける方たちが

もっと増えますように。

 

 *1 “Zero Limits” The Secret Hawaiian System for Wealth, Health, Peace, and More)

    By Joe Vitale and Ihaleakala Hew Len, Ph.D.  2007,

 

 

 

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ホ・オポノポノの心の家族:赦しあってこそ、癒しが・・・

2015年12月09日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

 

本当の自分と自分の心の家族 

・・・・・・・・・・・・・・・・・201512・9

 

先回に引き続き、モーナ女史の詩の後半から。

ここでは、前回にご紹介したとき浮上した、

深い意味の言葉 自分の内側で家族 

について的がしぼられる:

 

こころの海 (後半)

・・・・・・・・・・・

ここで一つ、知識として知っていてほしいことがある。

実のところ、‘私’は

三つの自分(セルフ)から成り立っている。

 

ウニヒビリ、 あなたの中のこどもの部分、潜在意識

ウハネ あなたの中の御母さんの部分、表面意識

アウマクア、あなたの中のお父さんの部分、

あなたの中に眠るスピリチュアルな場所


ウニヒビリは、あなたが一番初めに命を与えらえた

その瞬間から今までに起きた、あらゆる出来事、

体験した感情をすべて記憶している。


星の数より膨大な量の情報を抱えたウニヒビリは 

それを毎瞬再生している。


あなたの感情、体の痛み、目の前で起きる出来事の

一つ一つさえも、このウニヒビリが再生している記憶。


でもね、本来のウニヒビリが持つ特別な才能とは、

マナ(命の源)のエネルギーを溜めておくことなんだ。

 

ウハネは あなたが意識として知覚している部分。

本来ウニヒビリに、常に愛情と関心を与え、安心、

安全を提供し、その中でウニヒビリに道を教えてあげたり、

サポートする役目がある。


ところが 普段のあなたは、ウニヒビリの絶望や痛みを

無視しがち。


それを続けていくと、あなたの内なる家族の中で問題が起き、

傷みに耐えられなくなったウニヒビリは 次に母である

ウハネを無視するようになり、自分の痛みに気付いてもらえるよう、

何度も同じ記憶を再生するようになる


ほとんどの場合、病気や人間関係などの問題を通して体験している。

アウマクアは自分の中の父親の部分。

唯一 大いなる自然と直接つながることができる、

スピリチュアルな場所。


愛と思いやりにあふれ、子供であるウニヒビリを守ろうとする。

アウマクアがウニヒビリやウに対してこれだけ無条件に愛

を与えるのはかつて自分がウニヒビリやウハネであった経験が

あるから。

家族それぞれの選択を無条件で尊重し、変わらぬ愛でいつも

見守っている。

 

あなたが、もし、平和を求めるのなら

貴方の内側の家族、三つの自分(セルフ)がつながっている

ことが大切だ。


三つで一つ。


そのときあなたは元のように、完璧に満たされ、大いなる自然

と一つになるよ


前にも言ったけれど、愛、バランス、平和はそこにこそあるんだ。

 

あなたがそうでないとき、

つまり、あなたが本当の自分を見失っている時、

ストレス、不調和、病気、心の痛み、失敗、自責を体験する


家族が一つになって

自分の内側の母と子と父が愛を与え合うとき、

あなたは大いなる自然に抱かれる‘わたし’になる


本当の自分を取り戻すんだ。


平和 あなたでないものなんて、この世にはない

自由になってよいのだよ

 

ここでモーナ女史は自分の内側の家族と対話する:

 

‘わたし’の対話

・・・・・・・・・・・・・

ウニヒビリ(注:潜在意識)、そこにいますか?

私はウハネ(注:現在意識、心の家族では‘母’)


あなたのことをずっと無視してきました

何憶年の長い間、あなたを独りぼっちにしてきて本当にごめんね。

ウハネは今まであなたの声に気がつかなかった。

あなたの声を無視してきた


‘ねえ、こっちを向いて、聞いてちょうだい’というあなたの声を。

 

私はウニヒビリ(潜在意識で心の家族では‘子供’)

ここにずっといたんだよ


御母さんが、私のことなんて気にもとめず、いろいろな期待や欲求、

執着をいだいて私に押し付けてきても、それを受け止め、積み重ね

ながら、ずっとここにいた。

 

私はウハネ(注:超越意識、心の家族では‘父親’)

あなたの存在を今はもう知っているよ

あなたがかけがえのない存在だということにやっと気づいたよ。


なんで大切なのか、その理由は数えられない。

‘私がわたし’でいられるのは ウニヒビリのおかげだよ。

ウニヒビリがいるから‘私’なんだ。

 

だったら、何故、ウニヒビリのことを今までずっと無視してきたの?

何故、もっと早く声をかけてきてくれなかったの?

 

“この家族のことを私は誇りに思う。

ウハネ、ウニヒビリ、アウマクアが一つになろうとしている。

三つが手を取り合おうとするこの家族には愛がある

とうとう三つで一つになったとき、大いなる自然が

すべての中に顕れる。“

 

この詩の後半はまだ続く。


ここまで読んでもピンとこない方は多いかもしれない。

私もこの詩を初めて読んでなかなかストンと落ちなかった。

超越意識こそ、本来の自分、純粋なる聖なる資質をつながる

ということは知っていたが、潜在意識、ここでは、

ウニヒビリの辛さとか、それを‘愛する’ということに

抵抗すら感じた。むしろ抗う気持ちのほうが強かった。


所詮、肉体に所属する、つまり生きることに必要な本能と、

五感感覚機能に惑わされながら、判断、決断していた過去

の自分の心の想念が詰まった(潜在意識)とは決別すべきだと

思っていたのかもしれない。


よく、自分を許す という言葉を聞く。

他者を愛するのに、自分を許せなければ、愛せないということも聞く。

それは、自分を愛せなければ他者を愛せないということにつながる。

もっともだと思う。 が、真実、自分は自分を許して愛して

いないのではないか・・・


このモーナ女史の詩を何度も読むうち、そう感じ始めた。


赦すというよりは、この過去の恥ずかしい記憶や汚点を

洗い流していく、そういう作業をしようと思うのは、心の家族の母、

つまり、現在意識の部分であるということにも改めて

認識したのも、この数年のことだ。


さて、そうした認識はどのような変化をもたらすのだろう?

次回に続く・・・・

 

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