神と一体になったときの 翁の感想 2015・12・25
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先回の続きである。
大正14年の春、植芝翁が、神との一体観を体験した
時の口述だ。
“大地から黄金の気が吹きあがり、私の身体を包む
とともに、
私自身も、黄金体と化したような感じがした。
それと同時に、心身ともに軽くなり、小鳥の囁きの
意味もわかり、
この宇宙を創造された神の心が、はっきりと理解
できるようになった。
その瞬間、私は、‘武道の根源は神の愛、万有愛護の
精神である’と悟りを得て、法悦の涙がとめどなく、
頬を流れた。
その時以来、私は、この地球全体がワガ家、日月星辰は
ことごとく、わがものと感じるようになり、
眼前の地位や名誉や財宝は勿論、
強くなろうという執着も一切なくなった。
武道とは、腕力や狂気をふるって、相手の人間を
倒したり、兵器などで世界を破滅に導くこと
ではない。
真の武道とは、宇宙の気を整え、世界の平和を守り、
森羅万象を正しく生産し、守り育てることである。
即ち、武道の鍛練とは森羅万象を正しく産み守り、
育てる神の愛の力を、心身の内で鍛練することで
あると私は悟った。
“(以上引用)
さらに、続けて、
”私が教えを受けた高天原(たかまがはら)の理は、
全大宇宙を高天原と称す。
けだし、高天原の本義はタカアマハラの六声を完全に
発表するなり。
タ声とは、すなわち対象力の義にして、東は西に対し、
南は北に対し、陰は陽に対し、動は静に対し、明は暗
に対し、顕は幽に対し、生は死に対す。
タの一音があるがゆえに、タカミムスビの神、神ムスビ
の神のニ神が成り立つ。
そして、六全八角発紘にみな、ことごとくこの対照力
起こりて、至大浩々たる至大気海を張りつめるとき、
ここにはじめて球の形現るるなり。
けだし、球(きゅう)という。
二声の霊(たま)は対照力が全く張りつめて、
鳴りはじめたるなり。
かく、全く張りつめて鳴りはじめたる、億兆劫劫
の数限りの対照力はみなことごとく 両々
相対してその中間を極微なる点の連珠糸(さぬきいと)
にてかけ貫き保ちおるなり。
この義を声にあらわし、タとは対照力、カ声は
かけぬく力、アは神霊顕彰(けんしょう)、
宇宙全くはりつむるなり。
マとは、全くはりつめて、玉となることをいう。
また、この極微点の連珠糸(さぬきいと)となす。
神霊元子が活気凛凛として活動している気を称して、
一言に、ハという。
これは活気凛凛、至大嬉々というなり。
また、その造化機が運行循環しつついる気を称して
ラという。
即ち循環運動のことである。“(以上引用)
難しい漢字連語が用いられ、難解な意味合いである。
翁の言葉を、簡単に要約すれば以下のようになるだろう。
発音と”ことだまの意”は次のようになる。
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タ~対照力、
カ~掛けぬく力、
ア~神霊顕彰、しかして宇宙、
マ~完全に張りつめている玉
ハ~神霊活気凛々で至大嬉々、
ラ~循環運行、
このように、タカアマハラの意味は~
高天原を貫く理念であり、この言霊の
意味合い通りであるということだ。
それが全大宇宙であるということでもある。
神道的に言えば、高天原にカムロギ、
カムロミの命(みこと)
がおられて、地上にイザナギ、イザナミ命
として顕現せられ、
高天原の‘内実を確固たるものにする’
目的で秩序を持った法則によって、万有を
生み出したとされる。
この宇宙の中心神として大宇宙をコントロール
しているのが
天御中主ノ神(あめのみなかぬしのかみ)(古事記)
ということになる。
さて、アイウエオは小学校で習う最初の文字だろう。
このアからンまでの日本語の言葉の基礎になる言霊は
イロハ歌でも使われて意味深い、私たちが普段気
が付かない、深い言霊を秘めている。
翁はこのあたりを、独特の自論で展開している。
引用する。
“口いっぱいに開いて、喉の奥底より、呼気を
吹き出すべし。
このとき、アーと一杯になり、出すべし。
ア音とは、如何になすとも、常に立ち、
変化なし。
故にア音を称して、国常立大神(くにとこたちの
おおかみ)と申す。
イザナギ、イザナミの神は、この声を受け持つ。
ア音を出しながら、漸次、口をつぼめて口びる
が合わんとするとき、鳴り響く音はオ声なり。
国狭土の神(くにさずちのかみ)と申す。
オ音をだしながら、口をふさぎ切るとき出る音は、
ウ声。
ゆえにウ声はウビチニの神と申す。
ウ声を強くよんで、極に達すれば、ス声になる。
故にス声は ウ声の妹神(妻)スビチニの神と申す。
ウ声を呼びながら、下あごへつき、舌を杙(くい)
の如く食い入れれば、エ声になる。
エ声をよびつつ、口中の気息を回してあつしぐとき、
イ声になる。
かくしてアオウエイの五つの音、即ち、母音が成就する。“
(以上引用終り)
さらに翁は
“この母音を命という”と語り、この理を理解して、
実行することが合気道であるとも述べている。
言霊の妙用を悟り行うというのは、言霊を実際の
現実次元に展開させるということでもある。
すべての音には言霊がある。
翁はその言霊を自由に操り、武道の道を深めていき、
ついに神の心境近くに達したのだと感じる。