自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

今日のインスピレーション

2024年09月24日 | 今朝の”インスピレーション”




自然災害【地震・津波・洪水・山火事・火山噴火‥】

世界破滅を思わせる地域紛争の核使用危機‥の昨今を
生きる私たちへ。


*************9月24日(火)

多くの人達の想い・・
たとえば、
*こんなつらい世の中に、生きているのは何故?
*次々に、わが身に降りかかる不幸は何故?

災害復興といっても、そのさなかに、台風でつぶれた家
を目の前にして、どうする術もないとうなじを垂れる人達

ウクライナとロシアの戦争も、ニュースではマンネリ化
した感覚になり、当初の反感も、今は、核が使われ、
地球破滅のきっかけとなりはしないかという、恐怖感になる

それだけではない・・まかりとおる、不条理の数々・・

オリンピックでは、中東地域の戦争当事国のうち、
イスラエルだけ、参加可能?
何故?

アメリカ選挙にも、イスラエルの関連票が、結果を大きく
左右させるほど・・で、

傷ついて泣く幼児をかかえたアラブ女性と
親を失い慟哭するパレスチナの難民男性の映像・・

兵士も傷つき、一般人も巻き込まれ、慟哭と失望のほかに
何がそこにあるの?

いえいえ、まだまだ、ニュースに取り上げられないほど
沢山の緊張した武力紛争が、数知れず、この星の上には。

そんなことは、”自分とは関係ない”と言っている人たちへ。

本当に関係ないと感じられますか?


肉眼には見えない、恐怖と苦しみと悲しみが、そうした人たち
から、音波のように、周波数をもって、間断なく、波のように
押し寄せてきている毎日・・

それは、知る知らざるにかかわらず、誰もが、心に受け止め
いる 周波数のはず。

平和な日本にいても、心のどこかで、落ち着かず、
理由なく不安で、わけなく恐怖心をいだいて、余計な心配
が とめどなく湧いてくる時ってないですか?

たまに、一人になったとき、その静けさに向き合うことが
怖いと感じたことないですか?

・・それも、世界中から”ヘルプ!”を求める人達の、どうしよう
もない、逃れらない狭い場所で、弾丸を避ける余地がない恐怖

母親と子供の、分かれの悲鳴の周波数が、届いているからだと
したら?

つまり、彼らの、やるせない無力感の中の苦しさに、繫がって
私たちの心が、共鳴しているのかもしれません。



その反動でしょうか?

TV番組 や、情報誌に満載されている、’ご当地グルメ’や、
’しょくレポ’’の氾濫。

それだけで、もう、満腹でゲップが出そう・・・

食感を刺激させ、食べたくないのに食べ続ける、うつ的
ストレス発散の個人的方法が、社会的に、こうして、
活用されているのかもしれません。

その証拠に、一日のニュース番組以外のどのチャンネルを
ひねっても、”グルメ紹介番組” ばかり・・。

人々が、”自分とは関係はない”と思って、生活を送っている
以上、当然、政治にも、反映されないでしょう。

地球規模で、日本の立ち位置を見定めることは、あまり、
必要ないこと

税率引き下げ、経済強化、女性の地位向上、助成金など、
口にでる 実生活的公約は、かの、安倍首相のアベノミクス
の公約と、其の後の、日本の経済発展を考えると、また、
絵に描いた餅になるのかな?


先にのべたような、地球に、今起きている非人道的な
血で血を洗う現実と、
自分とは、”関係ない”と美食に舌鼓を打つ、一見平和な、
”ひととき”の謳歌は、イル―ジョン=illusion のような
気がしてくる・・



私たちは何のために存在しているのか?

だからといって、特に、何か、大きなこと たとえば、
革命や人々を啓蒙することなどのためではないだろう。

以下の会話がそれを象徴しているような気がする:


D: それでは、この世の中に、存在理由のない人
などいないのでしょうか?

C: 誰ひとりいない・・生きていればそれが愛の証明だ・


ピンクの言葉、これが、本来の私たちの姿。
生きていれば、それが、愛の証明~それが 自然体のわたしたち。

その言葉をかみしめると、
本当にかみしめたいと思うのですが、

できれば、会ったことのない、悲しみと苦しみの声を
どこかで、あげている人たちの心を、想うだけでも
意味がありそう・・

想うとき、少しの、’平安の想い’を、混ぜて発信すると、
意義がありそう・・

慟哭している人たちはもちろん、

まず、狂気に満ちた闘いを支持している国の指導者たちへ、

自分の知る限りの愛”の想いを 彼らに届けたいと願うだけ
でも、何かが、違ってきそう・・

たとえ、それが、ほんのわずかな周波数の微力なものでも、
自分の発信した想いは、そこに、到達するはずだから。

それが”祈り”というものだろう。


一人ひとりの、その”祈り”が、必ず、この星の将来を
決めていくような気がします。

だから、美食グルメを楽しむ余裕がある人達は、その
”平和”な”今”を感謝しながら、

そうした”愛”の想いを、
”関係ない”と思われる人々にほんのわずかでも、
むけてみませんか?

ほんの、数秒でも・・
毎日、すこしずつ・・

一緒に、是非、気の向いたときに、発信していきませんか?
アットランダムに
気軽に、
でも、必ず、届くという確信で・・

生きているのですから・・

最後に一言・・

”愛って、どういうことでしょうか?”

その答え:

”人をいとしく思う、その気持ちのさらに奥にあるもの・・

誰もが持っていて、人とともに分かちあって、創造して
いくもの・・温かいもの・・・”
 






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どのReactionを選ぶか?8月31日の投稿の補正をして

2024年09月12日 | 今朝の”インスピレーション”

生まれ変わる人、そうでない人 2024/8/31
****************** 
・・ **************2024/9/12

地球での生活、は、二つに分けられます:

この生で、もう、生まれ変わりが無い人と、
また、次に、生まれ変わってくるべき人です。


生まれ変わらなくてもよい人にも、二つの選択があります。
言い換えれば、生まれ変わらなくてもよいのに、あえて
生まれてくる場合です。

それは、
誰かのため(主に不特定多数の他者)に 平和や幸せを導く
目的意識を強くもち、敢えて、この地球に、生まれ変わって
来るのです。

本来、生まれ変わらなくてもよい人というのは、すでに、
カルマをすべて清算してますから、肉体を脱いだままで、
意識態(幽体)として、存在し続けることができるわけです。


一方、この娑婆世界に、生まれ変わらなければ
ならない人は、これまで地球で着用していた服(肉体の心)
にしみこんだ 頑固な汚れやシミ(カルマ)を取ろうと、
これも、魂的には、意識して今の環境を選んで生まれてきて
いるのです。

カルマは肉体を脱いだら、無くなるというのは、違います。

生まれ変わるか否かは、このカルマ(シミや汚れ)の度合い
によるからです。

そもそも、カルマは、Reaction = 物理的法則です。
球を壁にぶつけたら、はねかえってくる、あの法則です。

Re と Action, の二つの文字の意味は、Actionに対して
反応=Re することから、カルマが生まれることを意味
してます。

私たちの魂は、幾度とない過去の生き様で、Reactionを
繰り返し、生まれ変わるたびにその、清算をしてきている
わけです。

Reactionを作るという行為は、キャッチボールにも似ています。

球を投げられて、良い球を反せば、お互いに、気持ちよく
プレーが続きますが、もし、どちらかが、きつい球や
届かない球を投げれば、相手がそれを拾いにいったり
相手も、それは、決して、楽しいものでは無いでしょう。

とくに、投げた側の、イライラ感や怒りなどが、その球に
込められていたら、素直に、良い球を投げ返せるでしょうか?
この投げ返すという行為が、ここでいう、Reactionになります。

人から受けた球は、行為の喩です。
それを、投げ返す反応(Reaction)には、三つの
タイプがあります。

①投げられた球と同じ球を反す人
②投げられてきた球を 受け止めて投げ返さない人
③投げられた球に、愛をこめて投げ返す人

①は、普通の人です。
それ以上に、強く痛いボールを投げ返す人もいます

②は、憎しみや、不合理な言葉や行動を相手から受けても、
それを心に吸収したまま、”良い人”にして、波風たたせず、
自分の反応を敢えて示さない人です。

③は、そうした相手に対して、むしろ、反対に、愛をもって、
祝福とともに返す人です。


カルマを造らない方法は、③です。
今までのカルマを消去する方法も、③です。
一見すると、②の方法が良いように、思えますが、結局
はその人の心の奥にまだ、感情のしこりは残っている
ままなので、これもまた、カルマの種です。

解消しない限り、この世の地球服(肉体)を脱いだ後も
きちんと、カルマバランスシートには、つけられている
でしょう。


愛をもって返すとは、どういう仕草でしょうか?

それは、その球を自分の’アートマ’という、魂の本髄で
(グローブ)で受け止めることです。

そして、相手の’アートマ’にめがけて、投げ返すこと
です。

そのときは、憎しみや、悲しみとは違う次元の
変化球が、きちんと、相手に返っていくのです。

アートマとは、魂の本性(純粋性、愛)をさします。
誰にも、共通の、魂の本髄です。

どちらかしかありません。
アートマで受け止め、相手のアートマに返すか?

あるいは、肉体の心の次元で、受け止め、自分の肉体の心
の次元でそれを反すか?

どちらか一つの方法を、人は、どんな言動においても、選択して
いるわけです。

*****************

今日は、私の他者へ投げかける言葉や行為が、どんな気持ちの
球なのか、考えて投げてみることにします。

自分のアートマを、この地球の肉体次元レベルに、折り重ねる
ことは、結構な修行です。

でも、一度、その行為を知ると、次からは、容易に、変化球
を投げることができていきます。

なぜなら、その時、自分が一番、幸せな何かを、感情として、
味わっているからです。












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夢判断(死んだ🐤と、三の意味)

2024年09月06日 | 今朝の”インスピレーション”



今朝のインスピレーション 2014/9/06
********************

数日前、明け方にはっきり夢を見た。
三つの卵が、バスケットの中に・・

亡き夫が、一つを私に取り出して見せて、
”これは何? こんなになっている”と・・

ひびだらけ・・というより、腐っている殻
という感じ・・と、思ったら、

割れ目がさけて、中から小さな🐤が、死んだ状態
で落ちてきた。

まあ、・・”見てないで、早く片付けなくては”などと
言いながら、バスケットの中を見ると、二つ目の
卵の中の🐤は、すでに、死体で、飛び出していた。

そこに、大きな少し羽の色が薄いゴキブリが死体に
はりついていた。

次に、三番目の卵に目を移すと、やせ細っている🐤
まだ息をしている気配。

あ、生きている! 水を! どこから持ってこようか?

と、身体を動かしたとき、目が覚めた。

***********

あまりにも鮮明なので、早速、その朝、夢占いを検索
した。

🐤は、新しい生命、あなたの希望、その夢を見れば、
希望の成就

卵が割れる・・あなたの周囲に、何か予測つかない、期
を裏切ることが起きるから用心。

*****************
なるほど・・
希望の🐤は、二つも死骸だったし、
卵は、割れているし、決して良い夢ではなさそうだ。

が、なぜか、三つ という数字、
夫の差し出した卵、
まだ生きていた 弱弱しい🐤、が、
気になった。
****************

そして、自分自身の直観と対話してみた。

結論。
肉体次元の夫は、過去の人である。
死んだ🐤は、私の、過去の”信念”や”やりかた”を
示しているのだろう・・

つまり、一つ目の卵から出てきた死体が、信念を、
二つ目の死体は、その信念の現在にいたるまでの、
結果を意味しているのだろう・・・
と直観が語った。

では、ひ弱な、今にも、衰弱して死にそうな🐤は?

その過去の自分の偏ったエゴ意識を反省して、生まれた
新しい自分のひな形だと、直観が、言った。

まだ、生まれたばかり・・弱弱しく、もし、ケアーを
怠ると、成長は難しいだろう。

今、私が、気づいて、過去のエゴ意識を反省し、それを
訂正しようと、新たな一歩を踏み出して、常に、
これまでの慣習的心情に、ひっぱられないように、
注意を怠らなければきっと、その🐤は、成長していく
だろう・・・とも気が付いた。

*************
夢判断は、検索すると、回答は、種々だが、ほぼ、
同様の結果を教えてくれる

それが、その人に、あっている時と、そうでないとき
があるだろう。

それは、人は千差万別な価値観と生き様で、異なる
のだから、同じ夢を見たからといって、すべて人に答えが
あてはまるとは限らないからだ。

が、検索して出てきた答えは、何か、関連ヒントを
与えてくれそうな気がする。

その後の、その夢判断の結果は、その人の直観次第
だろう。

*************
この話を、昨晩、親友にした。

彼女は、私の🐤の死の夢には、好意的だった。

”死は再生でしょう。
新しく、何かが生まれ変わるということでしょう”

”その証拠に、三番めの卵は、生命が宿った🐤が
あらわれているのだから・・”

”3という数字は、ミロクの三だから、福の数よね。
いい夢だと思う”

夢占いとは、まったく、別の解釈が、こうしてできた。
ホップ、ステップ、ジャンプ、つまり、1,2,3で
人は、大きく前進する。

3の数字は、種を撒いて、芽が出て、それが形となる
象徴でもある。

***********
このお話を書いたのは、夢判断だけでなく、様々な判断時に
他者の意見より、まず、自分自身の”直観”の大切さを重宝して
いただくためだったかもしれない。


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インスピレーション;”自分次第”の補足

2024年08月19日 | 今朝の”インスピレーション”

8月19日  

前回の8月18日の記事の最後に、’それは、”自分自身”が、
”自分自身”を、コントロールするだけが解決策になるから、
自分次第ということができると思う。’と書きました。

それが、少し言葉不足のようでした。

今日のインスピレーションは、
一般論では、 ”身体の不調は、医師に。精神の不調は、
カウンセラーに。”

と考えられていますが、魂の不調は、”自分自身に”よってのみ、
解決される、ということです。

魂の不調とは、

”自分の過去の行いの清算(カルマ)”

”自分の本来の、自分自身から外れている路線の軌道修正”

”安寧と安定を取りもどすための内的葛藤”

”自分自身が、自分の現在の境遇や結果の原因だと、知らずに
誰かや何かを責めたり、求めたりしているとき”

などを、さします。


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矛盾を責めるなかれ;命祝(いのり)を

2024年08月11日 | 今朝の”インスピレーション”



Kalyug (カリユガ期)にすべきこと…2024/8/11
*************************
臨時投稿です。

今はインドの古代哲学でいうと、カリユガ(kalyug)
と呼ばれていることは、良く知られている。

この時代の特徴は、(時代といっても、数千年続いている
のだが)争いが絶えず、人は、与えるより求めることが
先決で、パワーや富に対する執着と欲望、憎しみや嫉妬
で、傷つけあい、批判しあい、恐れと不安で人々は、
安寧心の生活は得難い~と定義されている。

社会現象を見ても、上の定義はいたるところにみられ、
ニュースのほとんどが、こうした案件を日々、取り上げる。

人の心も然り。

誰にでも、天使のような、純粋でまっすぐで、素直で、
手を伸べて、自分の持ち分を、共有しようという優しい
心がある。

そして、反面、誰にでも、多かれ少なかれ、それとは
真逆な、卑怯で、小心で、
敵をつくって、正義を主張するよりは、
目立たず騒がず、事なかれ主義で小市民的生活で満足する
自分もいるはずだ。

互いに、認め合いながら、少しでも相手の、そうした
弱さをみたとき、見ただけではなく、そのとばっちりで
嫌な思いを体験したとき、その相手との縁は、切れること
が多い。

自分自身に対しても同様だ。

自分の未熟さや、弱さ、要領の悪さや、それにつけ込んで
くる他者への憎悪や、嘘つき、嘘つかれ、それも、方便と
言う自分に嫌悪が増すと・・・自分を傷つけたくなる・・

…心の病と、心身の不調子のはじまりだ。


こうした矛盾にどう、向き合うか?

向き合う事すら、面倒で、ゲームや、娯楽や、趣味に没頭
して、そんな面倒なことは考えないと徹底するのか?

でも、隙間に、ほんの、わずかな、一人時間の隙間に
その矛盾の引き起こす虚しさが、津波のように、押し寄せる。

苦しい。
苦しいから、また、外に目を向ける。

気の合った仲間と、時間をつぶしていれば、その虚無感は
いっとき、忘れられる。
忙しく、仕事に精をだしていれば、良いexcuseになる。

それが人生。
程度の差こそ、あっても、誰もが、向き合う人生の一コマ。

それもそのはず。

今は、カリユガ。

一日の時間帯でいえば、夜明け前の闇の深い夜。

を知っているのに、と向き合っている、それが、今の時代。

だから、自分の心に、こうした、が共存していることは、
他者の心にも、同様に、が共存して、苦しんでいることは、

カリユガに生きている宿命みたいなもの。

夜明けが来る。
Saty-yog(サティヨガ)。

すべての価値観が逆転して、人は、与えることに喜びを、
純粋性を求め、富やパワーの強欲な執着は、跡形もなく、

必要なものが自然と与えられ、それで満足しながら、
安寧と、恐れのない、日常に、喜々として活き活き生活
し、平和な時が流れる時代。

文化も文明も、高度になっても、公害や汚染のない、
純粋で洗練されたアートマの創造的喜びが謳歌される
次代。

神とか悪魔とか、二元性はなくなり、誰もが、神のごとく
真の光の人間性を発揮できる、一元の価値観。

といっても、個性豊かに、それぞれが、それぞれの、分野で
才能を発揮し、役割を果たし、善なる(一元)生を全う
する人生。

そのサティヨガは、もう、次に来る準備をしている・・

が、その前に、人類が破滅するか、地球がボロボロに
なるかは、今、この時代に生きている私たち一人ひとり
の、決意と方向性が、道を決めるようだ。

矛盾に落胆するなかれ・・・サティヨガに顕れる、光
自分の中に見出したなら、それをベースに、祈るべし・・

今日のインスピレーション。

どう祈るか・・
相手の中にある、 に祝福を。
自分の中にもある、 に祝福を。

それが第一歩の、祈りのようです。

矛盾点に、執着するのではなく、
矛盾をつくっている、
に、焦点をあてるべきだと

いうことでしょう。








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