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それに興味ある人か、そうでない人か、どちらかです・・・
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”今朝のインスピレーション”の臨時投稿です。
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自然治癒力を発揮すること。
自然治癒力に興味持つこと。
自然治癒力を信じられること。
自然治癒力って、ピントこないこと。
自然治癒力は、”絵にかいた餅”同様、関係ないと思う事。
人さまざまです。
10年間以上、このブログで、角度を変えて、お伝えして
きたことは、私にとっては、一貫性があり、ぶれない信念
でしたが、受け止め方は千差万別。
上にあげたように、自然治癒力を発揮することと、
興味をもつこととは、違うし、
信じられるか、仮に、信じてもその成果が出るか、は
違う話だし、
病は薬で治すのが一番早く、安全だと思えば、その人
にとって、自然治癒力 とは、絵に描いてある餅 を
食べたいと思わないように、まったく、意味がないこと
でしょう。
人は、本当に、一人ひとり、異なることをつくづくと
感じます。
私自身も、自然治癒力にゆだねることが、なぜ、当たり前
になったのか、言葉で説明はできません。
薬(生薬ではなく、西洋医学の成分)を 体に入れること
に、不快感と、違和感と、それを飲み続けるということは
一種の"拷問(ごうもん)に似た感覚があるだけです。
幸い、こうした感覚を知っているご家族のもとに
嫁として嫁ぎました。
須田家です。
そして、こうした、家庭内常識の中で育てられた夫の
おかげで、私は、自分の信念を貫きながら、生命力への
絶大の信頼を貫く生活ができました。
まだ、完結してませんが、ライラックのZ時代の
有名な歌を、ご紹介してます。
次回が、最後の、パラグラフですが
ここには、”自分を愛する”という言葉がありました。
私が彼らの 年の頃、こんな歌詞に出会ったことは
ありませんでした。
自分を愛する ことが 本当の自分のいる部屋の
扉をたたく、第一歩だと思ってます。
それが、自然治癒力が 十分に発揮できる部屋でも
あるのです。
以下の会話は、インドのヴァカバッドギータからの
下りです。
お釈迦様も必ず、読まれたと思う古い古い聖典でも
あります。
ここには、生命力~アートマ の事を、考える人
そうでない人の、クリシュナ神の言葉が出ています。
“真に内在する本来の自己、つまりアートマを
不思議な想いで見る人もいる。
不思議な想いで語り、その言葉を不思議な
想いで聞く人もいる。
が、誰も、それを本当に知っているものはいない。
アルジュナよ、アートマと呼ばれる、総ての人
に宿る真の体の居住者は死なないのだ。
だから、汝も、肉体に所属する事項に関して、
心を破られる思いをすることは
ないのだよ。”(ギータ 2章29~30節)
紀元前数千年前から、こうした事への興味が
ある人と、そうでない人が、存在してます。
”すべての人に宿る真の体の居住者”への
憧憬となつかしさを感じる人と、
全く、そうでなく、不思議な思いでそれを
聞く人の二つのグループに分かれる、という
ことなのです。
どちらが良い悪いはありません。
それぞれの本分をこの生で全うすることが
大切だから・・・
ただ、救われる~という魂の安寧と、そこから
生まれる、真の健康生活(があるとしたら)
究極は、真の自分自身を探す旅に出る ことから
始まるのだと思います。
市井(いちい)の生活を送っていても、それは
可能なのですから・・・