自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

夏休み盆休みを3週間とらせていただきます。

2019年08月24日 | 協会ホームページ

お休みのお知らせ   2019 8/24

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皆様

おはようございます。

今日から3週間、お休みをとらせていただきます。

今はたぶん、タイのバンコクにいます。

いろいろな野暮用で行ってきます。

 

またブログでお会いしましょう。

ありがとう。

よろしくお願いいたします。

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絶対は実存、が、現実生活の中の皆無感

2019年08月18日 | 健康と直結する”一元論”について

 

 昨日の記事に一言*理屈っぽくなり恐縮ですが・・・   2019  8/18

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昨日公開したブログ記事の中にこのような言葉がある。

 

この不二一元が本当に真理なのか?

といえば、厳密にいえば、にとっての真理であると

言い換えた方がよさそうだ。


というのも、絶対 という言葉は,この地球世界では無いのかもしれないと

最近感じ始めたからだ。

地球世界の意識の中には絶対は無い=地球意識外の次元を超えた

超越次元意識の中ではまた異なるだろう。

 

絶対~という言葉の使い方と考え方だ。

もう一度、ここで推敲させていただきたい。

よく考えてみると絶対はある。

不二一元という言葉は真理なのだが、しかも、すべてのよき宗教

の教えにはこの考え方が基本になっている。

(神学者ではないので、このあたりは曖昧にしておく。


が、例えば、キリスト教では、神と悪魔 という対立的存在があり、

不二一元的ではないのだが、悪魔’るしふぁ-’はもともとは神に

属する天使だった。

つまり堕落した天使ということになり、こではキリスト教も

不二一元(神=完全で善なる愛と無限の豊かさ=のみ、

この宇宙には実存しない)という支柱が見え隠れしているのだ。 

 

が、その不二一元説を信じて、現実生活に無限の豊かさや安寧という,

神の資質を実現化しているかと問われれば、現実の苦しみや悲しみ、

理不尽な展開に慟哭している人たちがほとんどなのだ。

 

つまり、絶対的真理であるにもかかわらず、それが実現していない以上、

その人にとっては、そういうことは観念論にしかすぎず、絵にかいた餅 

同然で、おナカがすいていても、聴いても(食べて)元気になれないのだ。

 

だからといって、餅という食べ物がないのではなく、食べようと思えば、

自家製のモチを作ることができる。

いわば、真理 というのもそれと似ていて、自分から食べようと思わなければ、

その真理が自分に直接に影響を与えるほどの力はない。 

その時、その真理は、いくら絶対的真理でも、その人にとっては観念論で、

絶対ではないのだ。

 

般若心経を、毎日挙げている方たちも大勢いらっしゃる。

毎朝 瞑想をして、神の光の中に自己が解けていく有様を、心の眼で

見据える行をする方たちもいる。

祝詞をあげて、禊の祓いをして、罪けがれを毎朝毎晩、言霊で昇華させる。 

 

が、現実には何か体に不調が起きたといって、その祈りや瞑想の中で、

信仰や信念で病を癒そうと試みる人はほんの一握りもいないだろう

病気の予兆は、心にさざ波が生み、それがだんだん大きくなり、嵐のように

心を不安で揺さぶられるとき、ほとんどの人は医者の門をたたくだろう。

副作用を否めない、西洋の薬 でその症状を抑え、一時的にでも気分は

落ち着くので、薬は手放せない。


こうして、一生 薬に頼り続け、体の方はいつしか本来の”自然治癒力”

が効かなくなる。

 

般若心経の本質は如何や? 

物質は無い~空中無色無受想行識~とボーと言葉に出しているのか?

色の本質は空~色即是空~は如何や? 

色はこれ空なり、空の中とは何ぞや? 

空の中には物質も、想念も識別も無いとは? 

かみ砕いてかみ砕いて、さらにかみ砕いて、般若心経の智慧を自分の

血肉にこの真言の言霊を同化させたら、病は無いのだ。

あっても、消えるのだ。

ただし、お釈迦様もクシナ川のほとりで、おナカをひどく壊されて、

ついに、病状態になり、横たわって、亡くなられた。 

肉体がある以上、運命(さだめ)に決められた時には、肉体の衣を脱ぐために、

病に伏すのは自然なのだろう。

私の持論だが、亡くなる前の人の病は浄化でもある。

浄化されて体の中がきれいになって、人は身軽にあの世に移行するのだ。

身軽~というのは、心身の振動数をあの世(高波数)に合わせて、精妙に

するという意味だ。

だから病気のような症状が現れて、熱なり、下痢なり、食欲がなくなるなり、

様々な形で人は自分の体を浄化し、ひいては 心を浄化するのだろう。

心身一体なのだから。

 

病は無い~というのは、まだ生かされている間、何か、使命

(たった一人の人のためであるかもしれないが)がある間は、人は病などとは

無縁の存在なはずだ~ということだ。

 

病とか不幸、つまり、明るくない人生、般若心経では、明るさが尽きるという

ことはあり得ない~というのだから、明るくしようという努力も、そこには

必要ないのだろう。 

本来はそういうものなのだ==の境地をとことん突き止めようとして

いくうちに、きっと、人は、絶対の意味の存在をそこはかとなく、

知るだろう

 

光の中に自分が溶接していく姿を瞑想し続けるのなら、それが単に自己満足

でなければ、実際、人は自分と神の一体感を味わいえるだろう。

そこまで徹底したら、病知らずの身となり、心が”絶対心”にぶれることも

ないだろう。

残念ながら、そこまで徹底することは難しいし、徹底していないからと

いってそうした修行の努力が無駄だとも思わない。

”絶対”は存在するのだが、やはり、人の数だけ、その人生の時点での

真理があり、そのように、絶対~が多様化すればするほど、本来の

絶対”~の”一点(空)”から 心は離れていくような感がする。

 

つまり、絶対~は、そう考えると、存在しないように見える=と

いうのが、昨日の私の本当に言いたいことだったのかもしれない。

 

こんな面倒くさい文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 

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ガヤトリーマントラ(5)の真言の意味

2019年08月17日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)

ガヤトリーマントラを構成する24の音と自然治癒力

***********************************2019・8・17

 

 

それでは、お待ちかね?の方にとっては一番知りたいところの、

究極のマントラといわれるその言葉の全容が以下である。

 

Tat  sa vi tur  va re ni yam  bhar go  de vas ha  dhee ma hi  

dhii yo  yon aha  pra cho da yat

 

たっと サヴィとぅ―る われ―にゃむ ばるごー 

でぃヴぁっしゃ でぃまひー 

でぃ よー  よなっは ぷらちょうだやー

 

の24文字がガヤトリーマントラを構成している。

 

このマントラに入る前実際は、Aum bha bhuh swah

(おーむ ばあ ぶは すわは)

と冒頭に唱えられる。


‘’すわは”は、般若心経を唱えられたときに最後にでてくる、

この心経の核心部分のマントラ、

″ぎゃーてー ぎゃーてーはらぎゃーて、はらそうぎゃーてー、

ボジソワカ” と唱えられるその、”ソワカ”に当たる

サンスクリット語の原形の言葉だ。

 

その原型発音は、当時、お経は聞いたとおりの発音を

中国の漢字に当てはめて伝えられ、さらに日本人が

漢字の音読みをする際に微妙にずれてきて、

このようなギャップがでてきたのだろう。

 

心経では ”そわか”、つまり、Kの発音で終わっているが、

もともとのサンスクリット語は、”すわは”つまり、Hで

表記されている理由は、このh音は喉の奥で発音され

強く息をだすので、私たちには”K”音が強いため、

そう表記されたのだろう。

 

たとえば、ジンギスカーンで有名な、カーンという人の

名前は、本来はハーンであるが、サンスクリット語の

このHと同様Kに聞こえるため、カーンと日本語

では表記されているようだ。

 

このガヤトリーマントラの24文字というのは、冒頭に

あげたマントラの言葉でわかるように、Tatから始まると

考える。 

どういう言霊がそれにこめられているかみてみたい。

 

このマントラの特徴は、24文字がそれぞれ正しく発音される

ことで、人体のスピリチュアルな意味でのツボに刺激を

与えるとされる。

そこを刺激されることで、スピリチュアルな側面が刺激され

開けやすくなるというのだ。

つまり、そのツボは人のスピリチュアルな資質と深く関連を

持っている個所である。


たとえば、以下のように、(冒頭の図解を参照していただきたい)。

tat~第三の眼、つまり眉間

re ~ 鼻、

ni ~口

yam ~ あご・・・といったように。

そうしたツボにこのマントラの言霊の響きが

共振することで次のような効用をひきだすという。 

一つ一つ、追っていきたい。

 

①Tat~成功、② sa~果敢、 ③vi ~保持、④tur ~豊かさ 

⑤va ~神の資質との結合、⑥re ~愛情、⑦ni ~財産、

⑧yam~聡明さ、 ⑨bhar~保全  ⑩go~智慧  

⑪de~負荷の弾圧  ⑫va~献身 ⑬sha ~注視力 

⑭dhee~プラナ ⑮ma~自己抑制力 ⑯hi~エネルギーの活用   

⑰dhii~遠視力(先を見通す力) ⑱yo ~(覚醒)

⑲yo~(生産)⑳naha ~(甘美) ㉑pra~(理想)

 ㉒cho~(勇気)㉓da~(叡智) ㉔yat~(奉仕)

 

 

それぞれの言霊が、声聞されることで霊的な身体にある

ツボを開き、ツボが開かれると、このツボに特有の資質が

現実に顕現してくるということだ。


何度唱えたらよいのだろう? 

多ければ多いほど良いのだろうが、一日三回ずつ、日の出前、

正午、日の入り直後に唱えるだけで、過去のカルマ的負荷の

エネルギ―が消されていき、同時に本来の自分の力と天からの

祝福がもたらされると師から教わった。


たった三回、それでも、忘れずに毎日欠かさずにするため

には、やはり強い意志の力が必要だ。

 

ガヤトリーの神は女神像で描かれることが多い。

それはこうした豊かさと恵みをもたらす豊饒と智慧、叡智と

愛情をフンダンに分け与える神のイメージから当然のこと

かもしれない。

 

が、実のところ、単なる女神ではない。

女神という枠を超えて、創造神ブラハマ特有のエネルギーの

象徴と取った方があたっているようだ。


そのわけは、古代文献ではガヤトリーの力を別名

イシュワラ バクティ、とか、ブラハマ サーダナとか

アートマ サクシュットカル、ブラハマ ダルシャン

(*1)とか様々な呼び方で表され、それらの言葉の意味

を考えると、特定の女神というより一種の創造的エネルギー

を表していると理解されているからだ。

 

つまり、ヒンズー教でいうところの、絶対神のブラハマと

ガヤトリーマントラの主神、ガヤトリーとは一つのコインの

両面といえそうだ。

 

追想①)

こうしたマントラや真言をご紹介している。

その理由は、ヒンズー教のマントラではあっても、

ヴェーダという特殊な聖典(すべての宗教の大本に当てはまる

真理を説いた)の主軸である、不二一元という考え方を

ご紹介したいにほかならない。


では、この不二一元が本当に真理なのか?といえば、

厳密にいえば、’私’にとっての真理であると言い換えた方が

よさそうだ。


というのも、絶対 という言葉はこの地球世界では無いの

かもしれないと、最近感じ始めたからだ。

地球世界の意識の中には”絶対”は無い=地球意識外の次元

を超えた超越次元意識の中ではまた異なるだろう。 


ましてや、この真言を特に、お勧めしているわけでもない。

残念な言い方だが、人それぞれ、その置かれた環境やその人の

考え方、文化的背景や魂レベルで、その人にとって最も

適した真言は生きている人の数だけある~といっても

過言ではないからかもしれない。

 

追記②)だが、一つ、付け加えさせていただく。

私にとっての真理、生命力の底力、自然治癒力の存在、

これはアートマセラピーによって現場で体験してきたことで、

真に真理に他ならない。


そして、その自然治癒力完全発揮の裏側に存在している、

魂のぶれのなさ、焦点の合わせどころこそ、この不二一元の

考え方であるということも、付け加えたい。


ひと月以上前に、ワンちゃんセラピーを手記にした。

彼女は肺捻転で5月に大手術して、その個所に水が溜まった

処置を専門医師から仰いでいたが、示唆されていた再手術

もなく、ひと月前、もうOKと太鼓判を押された。


そして、地元のファミリードクターで通常の検診を

受けるようにいわれ一昨日、行ってきた。

その検査結果は、問題であった個所(結石も含めて、腎臓)

が良好になっていることがデータとして数値で表された。

 

なんでも飼い主のYさんによると、Kちゃん(トイ・プードル)

はその間行った10回ほどの最後のセラピーのあと、普段より

かなり長いうんち、しかも宿便(黒色)が大量に出たそうだ。


薬が、Kちゃんには出されていたが(結石を防ぐ薬)、

Yさんの判断でセラピー期間中(ほぼ2か月)やめていたそうだ。

これも宿便が出た要因と私は考えた。


*(1)Ishwar-bhakti, Ishwar-upasana, Brahama-

Sadhana, Atma-sakshatkar, Brahama-darshan, prabhun-parayanta 

などの呼び方が見られる

 

 

 

 

 

 

 

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ごめんなさい。ひっこめました

2019年08月15日 | 協会ホームページ

究極のマントラ⑤を半時間ほど前に載せましたが、推敲したい箇所が見つかったので、

とりあえず、取り下げました。

明後日には公開いたします。

蒸し暑いです。 気温が少し下がりましたが、この蒸し暑さで、熱中症になりかね

ないようです。

皆様、本日は8月15日お盆休みの真っただ中、

よいお盆休みをお過ごしください、

お騒がせしました。ごめんなさい。

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ガヤトリーマントラ(4)・・・ 宇宙の神と蓮の花

2019年08月08日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)

 

ブラハム神と4冊のヴェーダ聖典とガヤトリーマントラの関係

*****************************************2019・8・8

 

このブログによく登場するヴェーダインド古代哲学は、

バラモン教や現代のヒンズー教の基礎真理であると同時に、

ヴェーダの説く真髄はすべての世界中のよき宗教の土台に

匹敵する内容とされる。

 

ヴェーダのサンスクリット語表記は‘Veda’で、その意味は

最高峰の知識ということで、実際の聖典として、

リグヴェーダ、サマヴェーダ、ヤジュルベーダ、アッタラヴェーダ

の4冊に分かれている。

 

最高峰の知識とは? 

それは学問的知識や専門知識ではなく、精神的(スピリチュアル)

な意味での最高峰の知識を指す。

精神的(スピリチュアル)な意味での最高峰の知識とは、

悟りに不可欠な知識ということで、4つの聖典にそれぞれの

特徴が見いだされる。

 

リグヴェーダには、心の中の安寧、寛容、愛情、奉仕などの

多岐な方面で最大の真価が発揮できるように精神性が説かれ、

ヤジュルヴェーダには勇気、勝利、自己防衛、リーダーシップ

などの智慧が説かれ、サマヴェーダには、ゲーム、スポーツ、

娯楽、音楽、芸術などの方面からその知識が説かれ、

ッタラェーダではもっと現実味のあること、財産、不動産、

乗り物、家畜などに触れている。

 

ヴェーダ哲学というと、宗教的な側面を思いがちだが、

これら4つの聖典をみると、現実に生きている現世の生活の中で

おろそかにできない物質的なことに触れているのが

意外に思う方もいるだろう。


私はむしろ、この4つの側面、

①人の純粋なスピリチュアリティ②力、権力、③娯楽 ④繁栄 

は人生に欠かせない要素でむしろ、こうしたことに触れること

で観念的ではない精神性を高める聖典になっているような気がする。

もっと、手短にまとめるのなら、以下のようになる。

 

それぞれのヴェーダの接頭語、つまり、リグヴェーダの

Rikは正義を意味し、ヤジュルヴェーダのヤジュル(Yajur)は 

輪廻転生からの解放(Moksha)を意味し、サマヴェーダの

サマ(Sama)は歓び、最後のアッタラヴェーダのアッタラ(Arth)

は繁栄を意味しているのだ。


そして、インド宗教において宇宙創造の神とされる

ブラフマ神(Brahma)の持つ4つの顔に、この4つのヴェーダの

真理を語る口が付いていると信じられていた。

 

もちろん、最高峰の真理はその4つの側面を合わせた、

Vedaと呼ばれる一つの法であるのだが、それが宇宙、そして

地球の人間にもたらされたとき、4つの側面を持って説かれると

いうことだろう。

 

その意味でいえば、4という数字は意味深い。今でもヒンズー教

の教えによれば人生には4つのステージがあるという。


最初は成長期にあたる幼児から子供時代、次は結婚して家庭を

持ち収入を稼ぐ青年時代、

富がたまりさらに社会的活躍が発揮される成人時代、そして、

引退して精神性に目を向け世の中の喧騒から離れ静かに余生を

過ごす時代、だ。

それぞれの時代に先に挙げたヴェーダの4冊の本の主旨が

生かされてくる。

 

ヴェーダのお話をやや詳細にお話してきたが、実は、

このシリーズの主題である、

ガヤトリーマントラは、このヴェーダの聖典完成以前にすでに

存在していたという学者がいる。

ブラハム神自ら、このマントラをつくられたという。

このマントラの文字数を数えると24文字。

それぞれの文字の言葉(言霊)が4冊の聖典で説かれる

ヴェーダの思想に微妙に重なるという。


ブラハム神についてもう少しお伝えすると、この宇宙創造神は

はじめにシャクティと呼ばれる、創造のための振動する

エネルギーを創られた。

 

シャクティは二つに分かれる。

一つはジャッド(Jad)と呼ばれる姿がないもの、

もう一つはチェタン(Chetan)と呼ばれる姿あるものだった。


それは陰と陽の2極性のもので、常に創造にはこの2極が

必要だったため、ジャッドが創造を発揮するときは

物質的自然(プラクリティ―=Prakriti),

一方チャタンが創造を発揮するときは、目に見えない

エネルギーの力、チッタシャクティ(Chitta Shakuti)を

必要とした。


こうして万物が創造されていくのだが、このガヤトリー

マントラの主軸の神様をヴィトリーと呼ぶ。

 

このサヴィトリー(Savitri)は先に挙げた

チッタシャクティの別名であり、目に見えない

エネルギーだが創造に欠かせない力が 

サヴィトリーのもともとの意味だった。

 

さて、話をすすめて、ブラハム神とこのマントラの

関係性について一言。


蓮の花は仏教でもご縁のある宗教性高い花の一つだが、

ヒンズー教でも、この花とブラハム神のゆかりは深い。

蓮の花はヴィシュヌ神の臍(へそ)の部分から咲いた

という説がある。

ブラハム神もこの蓮の花を象徴にして創造を始めたという。

ブラハム神はサヴィトリー神を造った。


そしてブラハム神とサヴィトリー神が結託(結合)して、

4つのヴェーダが生まれたというのだ。


さらに驚いたことに、ブラハム神は我々が知っている

この宇宙と地球をこの4つのヴェーダに書かれている最高峰

の智慧を駆使して、創造されたと聖典にある。

 

さて、いよいよ次回、ガヤトリーマントラ24文字の公開

とその意味を発表させていただきたい。

 

 

 

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