無邪気さ/陽気/生きていること 12月29日 2016年
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久しぶりの投稿です。
数か月の間 瞑想と妄想の交互の時を過ごしていました。
感覚的な自分は,臆病でトラウマに捉えられやすく、トラウマは、
潜在意識の奥のほうに横たわっている,醜い巨人の目のようで、
その目が開き始めた気配を感じると、エネルギーが
縮小して,小さな自分になっていくのがわかります。
一方、それにひっかからないよう、宇宙のカプセル
(数年前のブログで詳細に詩をもって説明)に乗るとそのまま
瞑想状態になり、トラウマもブラックマジックも、
五感感覚で振り回され、いつかは、塵に化す肉体的の自分
(mortal being)も,漆黒の闇のような煙の中に見えなくなります。
ブログを休んでいる間に、こうして、妄想と瞑想の
切り替えが少しうまくなりました。
波動~最近、少し身心調和をとることができて、
ブログの原稿を投稿するエネルギーが出てきました。
それは たった一つの実感、つまり、このブログを
読んでくださるあなたは私で、私はあなたで、あなたの
考えていることを反映してブログの内容が自然と
浮かんでくるということ。
簡単に言えば、あなたも私も 繋がっているいるということ。
さらに言えば、一人で生きているようで、
このエネルギーは波動の同調する人達の間に拡散しながら、
旋回し、延びたり、幾重にも別れたり、上や下、右左に
上る、線香の煙のように、一筋のそれが、隣にただよう
一筋のそれに合体するような、生きているもののように
感じられたからです。
ここで活字になって、それは読む人に言霊的エネルギー
として広がるだけでなく、たぶん、宇宙の向こうにも届いて
いる~のだから 信念の波動をだすことは無意味のこと
ではない~
自分の真理はある人たちにとっても真理で 真理が
広がれば、また、違う形であらわされた真理と出会い、
そうやりこうやり、少しずつ 何かが変化して そして
具象化していくのですから。
エネルギーは具象化するということ。
必ず、絶対、時間はかかるかもしれないけれど、エネルギーは
具象化するという信念ができました。
エネルギ^= 波動 = 生命 = 意識の想い
= 想念 ~ 発信の大切さ・・・
量子論とつなげていけば、細胞の中の一つ一つの電子は
想念のもとに形を変えていくのですから、すべての物質には
原子がある以上,その形もまた、想念というエネルギーによって、
造られているのですね。(*1)
人~はその蜘蛛の巣のような 周りからも自分からも発する、
複雑に入り組んだ波動の中に置かれてます。
例えれば、碁盤の上に置かれた、碁石のようなものです。
碁石といっても、同じ石ではない、碁石と違うところは
微妙に一人ひとり個性があり、役目が異なり、運命も
違うから色合いも大きさも違うものでしょう。
ただ、碁盤という線が入り組んだ、”波動の上”に
おかれているということでは共通の 全体の中の、
”one of them”に過ぎない。
過ぎないといっても、そのことを知ると、
みんな同じ、同格、同質条件の中で、つながっている
ということがわかって かえって、力強い頼もしさを
感じることができるから不思議です。
ピアノ~の調律を一年振りに,専門家にお願いしました。
昨日のことです。
一つ一つの鍵盤をたたかれながら、ピアノ線の
強弱を確かめられ強めたり弱めたり、ポンポン
と頭をたたかれてよいこよいこされるように、
心地よさそうにしていました。
最後に和音を出して旋律となり、瞬間 ピアノの
嬉しそうな溜息が聞こえ、思わず私はキッチンから
調律の現場に、駆けつけました。
なんといい音、風呂に入って、凝ったところ
をマッサージされて、やさしく極上のバスタオル
で拭かれてうれしくて 気持ち良い!と、一声を放ったような、
ぴかぴかの心地よい音でしたので。
敬愛するエディ婦人は次のように言っています。
”Sound is a mental impression made on mortal belief.
The ear does not really hear. Divine Science reveals sound
as communicated through the sense of soul - through spiritual understanding."
つたない訳で補足しますと、
”響き(音)は 五感感覚が信じるところの心的印象である。
耳は実際には聞いていない。神聖なる科学でいえば、
真の音は魂の聴覚を通して伝達されるのだ。
言い換えれば、それはスピリチュアルな理解を通して聞こえる。”
真の音とは、魂を揺さぶる感動を与える音のことでしょう。
そういう音楽は五線譜に書かれたものだけではない。
真理の言葉を聞いり、読んだりした時、
心から純粋に喜びを感じているとき、
無心に子供に帰って遊び心を楽しむとき、
愛する人とともにいるとき、腹の底から笑える時、
そんな時に,魂が震えてそれが振動になり波動になり、
空気を震わすとき、魂の音楽が始まっています。
スピリチュアルな理解とは脳でああだ、こうだと
分析して得られるものではなく、直観と魂で感じるものなのだ、
きっと・・涙とともに、時には。
そんな体験を重ねていきたい。
そういうふうに生きている人たちと,もっともっと出会って
みたい・と思う、今日この頃であります。
ご精読ありがとう。
(*1) :“原子や素粒子そのものは、
固体として形を持っていない。
それらは、物とか事実というより、
潜在性や可能性の世界を形成している”
(~“見えない世界の科学が”医学を変える“
長堀 優博士著 星雲社 2013)