形而上的癒しとは? 平成25年7月30日
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昨日の続きであるが、死の淵から 或る種の悟りを得て
自分自身の健康と奉仕の生活を取り戻した
エディ夫人は 多くの人にヒーリングを行っている。
それを、形而上的i癒し (metaphysical in healing the sick)
と呼んでいる。
どういうものかというと、以下のように記述されている。
引用すると:
"After a lengthy examination of my discovery and its
demonstration in healingthe sick, this fact became evident
to me, - that Mind governsthe body, not partially but wholly.
I submitted my metaphysical system of treating disease to
the broadest practical tests.
Since then this system has gradually gained ground,
and has proved itself,
whenever scientifically employed, to be the most effective
curative agent in medical practice" (111)
セラピー協会訳)
私は、病人の癒しを行い、自分自身が発見した事柄を
長きにわたり検証した結果、次の事実が明らかにした。
それは、心 が 体 を支配しているということであり、
しかも、部分的の支配ではなく、全体的な意味で、司って
いるということだ。
この形而上的方法で広範囲にわたり、実際の患者を治療
してみた。それ以来、この方法は、成果を少しずつ上げ
始めて、科学的に試行されることで、医学的療法のなか
でも最も効果的な方法であることを証明してきた。
私どもの自然治癒力セラピー という原点も、エディ夫人の
形而上的要素を共有する。
なぜなら、それは、共通真理が原点となっているから・・
その共通真理を知るということは、宗教・人種・イデオロギ
ーを超越したすべてに万民に働きかける、心の法則と、生命
の力の共通認識でもある。
”誰の発明した”、あるいは”発見した”という ~教や、~
団体組織の中で主張される、特定枠内にある真実でなく、
”心が体を包括的に コントロールしている”
”私たちの本質は大生命であり、神の資質にほかならない”
という 真理を、共有しているに過ぎない。
もう少し、具体的に、エディ夫人のいう 形而上学癒し
を説明するのなら、仏教の中にある、一元説(空観)、
ヒンズー教にある万教一元(エカム・サット)或いは、
ヴェーダ哲学の 不二一元論の真理と同一な真理を、
忠実に、厳密に、徹底的に不調和な体と精神に
適応されたときに、起こりうる癒しともいえる
だろう。
さらに、エディ夫人の言葉を引用する。
”The fundamental propositions of divine metaphysics
are summarized in the four following , to me, self-evident
propositions.
Even if reversed, these propositions will be found to agree
in statementand proof, showing mathematically their exact
relation to Truth.
De quincey says mathematics has not a foot to stand upon
which is not purely metaphysical.
1. God is All-in-all.
2. God is good Good is Mind.
3. God , Spirit, bbbeing all, othing is the matter.
4. Life, God, omnipotent good, deny death, deny good,
omnipotent God, Life.
Which of the denials in proposition four is true?
Both are not, cannot be, true.
According to the Scriputure, I find that God is true,
'but every (mortal) man a liar.'"(113)
協会訳)
聖なる(神聖な)形而上学の基本的原理として次の4点に
要約できる。
これは私にとって、自明の命題でもある。
これらの命題は順番を置き換えても言明と証明は一致して
真理との関係を数学的に表していると言える。ド・クウィンシー
は 数学は純粋に形而上的でなければ樹立することはないと
言っている。
即ち、
1.神は すべての全てである
2・神は善そのもの、善 は 実相の心である
3.神 と その神霊は すべてのすべてだから、何物も物質
ではない。
4.大生命・神・至上なる善、は死を否定し、同様、悪・罪・病
も否定する。
~病・罪。悪。死 は 善、全能の神、大生命の力を否定する。
第四の命題で、どちらの否定が 真実なのか?
双方の否定が真実であることはありえない。聖書によれば、神が
真実であることがわかる。
’だが、あらゆる(滅びる肉体的)人は、偽りを言う”とある。
エディ夫人は キリスト教、あるいは、メシア キリストを
主体に形而上的癒しを述べているが4つの命題は、優れた真理を
含む宗教や哲学を研究すれば、特定の宗教観ではないことが
わかる。
即ち、キリスト教信者だけではなくても、もっと、広範囲に
わたり、普遍的な真理 を 信じる人すべてが、この形而上的
癒しを理解できるし、また、体験できると思う。
キリスト教の神を信じている人しか体験できないのなら、
キリスト教の神様の能力が そこで限定される矛盾を生じる。
真理は一つ、真理は様々は様相で、時代と場所に応じて
述べ示されてきた。それを、エカム・サットと
サンスクリット語でいう。
万物の現象の中に、統一された一つ を観る事、浪の形は
様々だが海は一つ、星は無数にあるが 宇宙は一つ、
真理は様々な言語で語られるが、その内容は一つである
~これを エカムサット という。
参考)
Science and Health With Key to the Scriptures
by Mary Baker Eddy
published by The First Church of Christ, Scientest,
in Boston, Massachusetts, U.S.A, 1982 edition