自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

私がかかったコロナの高熱時・・・

2022年11月28日 | 介護と自然治癒力

熱 ~ 自然治癒力の不思議:   2022年11月28日

*******************************************************                                                           

私自身、コロナにかかり、高熱で寝込んでいる

写真を前々回、ご紹介しました

そして、その時、熱自体に恐怖心は無かったと、

書きました。

その理由が今日のテーマです。

 

内科医の内田久子医師の現場体験をもとにした、

手記(*1)があります。

それを読むと自然治癒力の立役者である、高熱に対しての、

世間一般の感じ方を、払拭しています。

 

内田医師は、昭和25年現在の関西医大卒業後、大阪大学

付属病院、池田市立病院、国立療養所、私立病院内科

部長を経て、患者さんの体験から熱の効用

以下のように、発表しました。

 

”私たちの 大学研修時代には、”発熱”に対して、

何でもかんでも、

解熱剤 を使用することは 強く禁じられて

いました。 

 

熱は、細菌感染時や病巣(びょうそう)吸収と

いった治癒現象の働いたときにおこる体の反応熱

であって、一つの症状であり、

発熱が病気の原因ではないからです。

 

高熱が出ると、抗生物質や抗結核剤でも、完全に

撲滅(ぼくめつ)されなかった菌が、熱によって、

陰性 になることを日常よく、経験します。

 

一般に、無熱の肺炎は予後不良であると言われて

いる通り、抗生物質や対症療法、輸液などを行っても

経過は思わしくありません。

 

これに反して、発熱を伴った肺炎の場合、若年者は

もちろんのこと、90歳を越した高齢者肺炎でも、

高熱が数日続いたあとは、階段状に 解熱して、

やがて、完治された例もあるほどです。

 

病原菌はいずれも、熱には弱いので、結核患者の

寝具日光消毒などは、みなさんも 衆知のとおりです。


ある国立療養所で、数年前に全国的なウイルス性感冒

蔓延(まんえん)したときに,入院結核患者

4割(400名)が罹患(りかん)したことがありました。

 

38度以上の発熱を伴った300名の患者さんを、それ以後

6か月間 追跡調査したところ、それまで化学療法を

行っていても、喀痰(かくたん)結核菌が長く陽性

あった人が、この数日間の発熱後はいずれも、

菌が陰性になっていたことが判りました。

 

そのうえ、結核が増悪したり、肺炎を誘発した人は

一例もないどころか、かえって、結核病変良くなって

きているのです。


この300名の患者さんの6か月間の胸部レントゲン所見

と喀痰(かくたん)結核菌、血清化学検査推移の

統計を、医学会に発表しましたところ、

 

”今までの概念では、結核患者が ウイルス性感冒に

かかって、高熱を出すようなことがあると、結核は

増悪するものだ、と当然のように考えていたが、

このたびたくさんの貴重な統計発表で,

我々の考えを改めなければならない。”


と、会場の多くの医師から反響をいただきました。

 

入院中の患者さんですから 当然適切な、治療と看護

の中での 出来事であったことは申すまでも

ありません。”


と、内田医師は述べ、自分自身が高熱を出したときの

体験を、次のように、書いている。

 

”また、私が、敗血症になったときも、発熱について、

自ら、貴重な体験をしました。

40度の高熱が続き、往診の医師が、毎回解熱剤の

注射をされましたが、注射のたびに、多量の汗

ともに、35度に下がりますが、

間もなく、悪寒旋律(おかんせんりつ)の後に

40度まで上がる,といった繰り返しうちに、とうとう、

ショック状態になって、緊急入院しました。

 

この時、院長先生の声が、意識もうろうとなっていた

私に、強く聞こえたのです。

 

”熱は出しっぱなしにするのがよいのだ。

解熱剤で一時は下がっても

原病が治っていないからまた上がる。

そのために 心臓衰弱 を強めるばかりである。

熱型を崩すな!”

と、どなっていられたのです。

 

このような、”発熱の考えかた”を体得した私は、その後

受け持ち患者さんに、応用して、全例、好結果を

得ていますので、”発熱”は、生体の、不可思議なる 

自然治癒力の 大切な要素であると確信し

断言できるのです。

 

とかく、一般の方は、熱 そのものへの恐怖心と発熱

によって、病気が悪くなるのでは、との心配

さきに立ちます。 


本人はもとより、その周囲の人たちも恐れたり、

慌てたりして、心を動揺させるので、かえって、

長引かせる結果となるようです。

 

発熱に対する恐怖感というものは、一般には 

まだまだ根強く、

ことに、子供の発熱の場合は 心配のあまり、

母親のほうから、”早く熱を下げてほしい” と

熱望されるために、仕方なく解熱剤の

注射を強いられて、困っている小児科医の話を

よく耳にします。

 

発熱は、細菌の菌力によって、一日で解熱する場合

もありますが、普通の感冒では、2日間、ウイルス性

感冒や肺炎などでは、数日間持続したあと、

階段状に上下しながら、下降していきます。

 

肝硬変の患者さんが、ウイルス性感冒を併発して、

高熱が2週間続いたことがありました。

発熱の意味を良く理解していただき、心を落ち着けて、

2週間(摂氏39~40度)過ごされました

 

そうしますと、解熱後、長年の 肝臓機能障害が

良くなり、ほとんど、正常値に復したので、おたがい

びっくりしました。

 

病気への恐怖感や家族観の精神的葛藤が、発熱を助長

する場合もあります。

 

医療担当者は、心と体の関係を良く理解したうえで、

患者、家族に良く、説得し理解させ 安心されるよう

指導することが必要だと思います(以上引用)

 

自分(須田)も、20代の前半に、39度から40度の熱を

ひと月経験したことがあります。

インド時代は、幼い息子が熱病にかかり、40度前後の

高熱が2週間続きましたが自分自身の体験から、

熱の効用は十分に理解できたので、心安く、この時期

経過することができました。

 

以上のような経緯体験もあり、内田医師の言葉に

同感しながら、今回のコロナで、40度の高熱

出している夫にも、落ち着いて

対応でき、夫も安堵の表情で、コロナ症状を

受け止め高熱を思う存分発散していたようでした。

 

そのような理由から、この7月に私ども夫婦ともに

コロナ感染して、発熱しましたが、熱に対する怖さは、

私たちには無縁だったようです。

 

 

********************

*1 ”生命医療を求めて” 内科医 内田久子著 

平成7年11月1日18刷発行 発行所 日本教文社

 

 

 

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千島博士のパスツール批判

2022年11月26日 | ワクチンと健康

千鳥博士論と(コロナ)ワクチンの非有効性  

**************************2021年11月26日

 

今から7年前に、以下の記事を私は、投稿しています。

 

これらは、千島学説のごく触り(さわり)の記事ですが

これを読むと、これから書いていきたい内容と重なる

ところがあります。

もしご興味があるかたは、2015年の7月を開けてみて、

是非、ご覧ください。

 

以下の内容となっています。

10日~がん細胞は赤血球が変化したもの

13日~バクテリア自然発生論

16日~パスツールの実験は大自然をツボやビンの中と

取り違えている

19日~病は、その人の弱くなった部位に出てくる

 

13日のバクテリア(ウイルスを含めて)自然発生論と、

19日の病はその人の身体部位の弱いところに症状として

出てくるという千島博士の代表的な持論、そして、16日

の、現代医学の礎と言われるパスツール博士の理論への

疑問を、再浮上させたいと思います。

 

夫婦でコロナにかかり、その後の症状などの体験からも、

ある程度、千島博士の説を見直すことができたからです。

そして、(コロナワクチンを含め)多くのワクチンを

打つことが義務付けられた状況にも、千島博士の意見が

意味を持つような気がします。

 

そのあたりから、次回は記事を投稿させていただきたいと

思います。

取り急ぎ、お知らせまで・・・

 

 

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順調に回復をみせていたが、体力転落の始まり

2022年11月24日 | 介護と自然治癒力

夫の集団感染、コロナに 感染:安寧を味わう不思議    

2022年11月24日 

***********

夫の感染後2日めに、高熱が出始め、共に
寝ながら、夫に水分補給していたときの私
と夫
*******************

ここからはまだ記憶が生々しく、正直、詳しく、回想する

のは、少々、困難なところもあります。


が、ここを通過しないと、その後の記事も滞りそうなので、

介護記録をみながら・・・お伝えしていきます。

 

サブタイトルの 至福とは、大げさな表現かもしれません。

でも、なぜ、この写真の二人が、なぜ 至福感を感じて

いたかは 今日のブログの最後に書かれています。

 

さて、施設で集団感染にかかった、夫のコロナの経過から

始めましょう。

*****************

① 7月20日 熱が施設で38.5度。

17:45に自宅に戻り、計測、38度。夕食可能。


ごはん一膳、生姜につけたカツオ3切れ、

シラス干し小さじ2杯、大根おろし。

レモンハチミツ水150㏄

 

この時の夕食が、発症してから、亡くなるまでの 

約2か月間で、彼が取った、最後の食事となるとは、

その時、誰が予測できたでしょう。


救急車で運ばれ、入院して、退院して、亡くなるまでの

2か月間は、おじやを数さじほど、わずかに、口にする

のみ。 点滴を含めて、水分補給のみ。


この日を境に、固形食は食べれなくなってしまいました。

 

前日の7月19日まで、体温36度代で、普通に本を読んで

過ごしていたヒトが、風呂に入りに、施設に行って、

その翌日は急変しました。


すでに、施設では 他の 利用者さんたちも熱が出て、

クラスター発生は確実ということが伝えられ、その後

閉鎖されました。


そこで、医院に電話いれると、熱だけなら自宅療養で

お願いしたい、ということで、自宅療養にはいりました。

 

其の後の、介護記録には、夫の熱とリハパン交換回数、

水分や補給食をどのくらい取ったかなどが 7月23日まで

記されています。

 

水分だけは、熱が高いので、不可欠。


しかし、吸い口で吸う力もなかったので、スプーンで

ひとさじずつ、口に入れていました。


7月23日土曜日の記録に、半時間かけて、口に運び、

やっと、100㏄飲んたと、記されています。

 

そして、ついに、翌日24日の日曜日は、私が発症しました。


記録ノートには、

”ぼーっとしながら、介護。

記録つける元気がない

と書かれ、

 

”14:30に浩康さん39度9分、私、38度2分・・彼は

お水、50㏄飲む”・・と、薄い字で元気なく殴られ、

そのあと、間もなく、友人が救急車を呼んで、彼だけ

病院に運ばれました。


冒頭で述べた”至福の写真”。

二人で熱を出して、シングルの介護ベッドに寝ているところを、

自撮りしました。


彼は、40度近い高熱

時折、唸るので、’大丈夫?意識ある?’ 

と声をかけると、

”うん、大丈夫だよ” と答える 夫の声のクリアーさと

その背後の、生命力を感じて、私は、良くなることを、

信頼していました。

 

それほど、高熱にもかかわらず、身体が辛そうでなく、

恐怖心もなく、現状を淡々と受け入れていた様は

高熱さえ引いていけば、良くなっていくだろう、という

確信めいた実感が、あったからです。


 こうして、介護される人も、する人も、枕並べて、

コロナの真っ最中の時間は、二日ほど続いたのでしょうか・・

今でも、現実味があるようで同時に無かったように

思えます。


それは、二人の表情が、どこか、安堵感を覚えているような

顔つきをしているからです。

 

至福という言葉に近い、平和な満ち足りた、不安のない

心持だったのを、覚えています。


私さえ倒れていなければ、自然治癒力で癒されていくと

いう確信が心の奥に、あったのでしょう。

 

時々、寝ていた私は、起き上がって、彼に水を飲ませたり、

リハパンのバッドを交換したりしました


いつも、決まった時間に、訪れ手助けしてくださる

専門スタッフやヘルパーさんから、隔離された空間で、

私は、睡眠不足でそのうえに、介護の責任で、横たわ

って、います。


要介護4の夫は 免疫力が衰え、コロナから、重篤になる

可能性を秘めていました。



なぜか、このときの、写真をみると、優しい感情を呼び戻して

くれます。

”え、コロナにかかった? なら、共倒れになるまでよ!

と、覚悟を決めた私でした。


そこには、悲壮感もなく、なぜか、味わったことがない、

温かい気持ちで満たされていたことを、思い出します。

 

次回から、”二人離れてのコロナ養生のその後”について、

記したいと思います。


これからも、コロナに関する薬は、多く開発されていく

でしょうが、残念ながら、私は病院での、治療後の夫の

激変ぶりを見て、コロナ新薬への信頼より、恐怖心が、

強くなったというのが本音です。

この写真をとって、数日後、友人が家に訪れ、なんの
返答もなく、ラインも通じないのを心配して、救急車
を呼んでくれ、夫だけが、病院へ運ばれました。

入院してすぐ、担当医から、新薬を投与するが、その
承諾をお願いしたいとの電話があり、その時、まさに
コロナ症状が最大に出ていて、頭が朦朧としながら
寝込んでいた私。

”はいはい”と返答がやっとでした。

その薬には、後日、あらためて、説明の表示をみて
”副作用・死にいたる危険性も否めない”とあり、
驚愕したのでした。


 

 

 

 

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千島学説から一考

2022年11月21日 | 介護と自然治癒力

夫の回復力と腸力の影響  2022年11月21日

*************************

(千島喜久男博士写真)

 

”一見、全うにみえる考え方には望みがない。本物は大概、常軌を

逸しているものだから”とは、量子力学の基礎をつくった物理学者、

ニールス・ボーアの言葉だ。

 

そうした意味で今、再び、脚光を浴び始めている生物学者がいる。

千島喜久男医学博士。千鳥学説と通称いわれている独特の学問

体系を確立した。1978年、79歳ですでに逝去している。

 

が、当時、血液学の第一人者、京都大学天野重安教授から、

千島博士に対して、”精神鑑定をしてもらったらどうだろうか?”

言わせるほど、その学説は、奇想天外なものだった。

 

今日は その中で、今日のテーマと関係がある、”腸管造血説”

をとりあげる。’腸内造血説’とは、読んで字のごとし、造血は腸で

行われるという説だ。本来、造血は、骨髄でされるという定説を

覆した。

 

夫を健全に戻すためには、腸活動を健全にしなければ、と私が感じた

大きな理由はここにあった。そのためには、’歩く’ことで、骨盤が

動き、お腹が刺激され、腸が活発化すると、食欲も出てきて、’食べる’

ことで、消化運動が始まり、腸内で栄養分が吸収され、全身に

まわっていくという、好循環が期待された。

 

さらに、千鳥博士が提唱したように、腸内で赤血球が造られるのなら、

腸活動の正常化が、ますます必須に思われた。

では、どうして、腸内で血液が造られるという発想になったのか、

背景を大雑把にみてみたい。

 

脊髄動物の腸内は、絨毛膜(じゅうもうまく)で覆われている。

これが植物の水分や栄養分を吸収できる根っこにあたる、と

千島博士は考えた。

腸内の絨毛膜に、消化物が付着すると、腸の粘膜に吸収される。

その際、アメーバのような姿になり、成熟して、赤血球になり、

血管へ流れていくことを、実験した。

 

鶏やウサギ、犬、猫はじめカエルまで実験材料にして、栄養状態の

良いとき、悪いときの、絨毛膜と血液再生の実験を繰り返し、

確信を得ていった。

生体の発生当初は、卵の表面の絨毛で血液が造られ、胎盤の絨毛でも、

同様の血液の製造がみられた。生後は、腸粘膜の絨毛で、血液が

造られることを観察した。

 

一方、骨髄で血液が造られるというのも、真実だった。

しかし、それは、生体が栄養不足になったとき、骨髄の一部の細胞が、

造血作用を促すというものだった

しかし、普通の栄養不足ではない状態では、骨髄は脂肪が過多で、血液を

大量に造る状態ではないと千島博士は考えた。

 

飢餓状態や、栄養不足の時は骨髄組織の細胞が、血液に逆戻りしている

のだろうという説も唱えた。

いわゆる、”異所造血”と言われる、他の身体の部位で見られる

造血作用も、これと、同じ理由である。

 

そもそも、赤血球が骨髄で造られると唱えたのは、1925年、アメリカの

ダン、セーヴィン、そして、キャニンガムの三人の血液学者だとされる。

彼らは、鶏やハトを10日間前後の絶食状態にして、骨髄から血液が

造られることを観察した。

 

千島博士は考えた。

飢餓状態のときと、普通の栄養が足りている健康状態のときと、

造血が骨髄で行われているといえるのだろうか?

先に書いたように、栄養状態が良ければ脂肪が多く、血液が造れる

状態ではないはずだ。

 

さらに、血液といっても、血管の中を流れている時、組織の中に

入った時、出血して身体の外に出てきた時など、それぞれ、

形状が異なる。

時間の経過や場所の移動、ある条件の中で、一定の時間に測定した

ことがその真実を証明しているとは言えないと、千島博士は考えた。

 

血液の形も、穴のないドーナツ型と言われている。それは、直径7.5から

8.53ミクロンで、中央がくぼんだ円盤状の形は、血管の中を流れている

時の形にすぎない。

赤血球には核がないから、もう、年を経た細胞の最後の姿だとも

いわれている説に、次のように、異論を唱えた。

 

①消化された食べ物が赤血球になる。

②赤血球は腸内で造られる

③血管は閉鎖(へいさ)系で、赤血球が組織に飛び出しているのは

炎症など病的な場合だと決めつけられない。

 

④毛細血管の先端は、開いているので、組織と組織の間に入り込む

⑤健康で栄養状態が良いときは、赤血球はすべて細胞に変化する

⑥からだが病的になるときは、赤血球は、がん細胞や炎症細胞など

病巣(びょうそう)の細胞に変化する

 

⑦断食や節食、大量の出血後や病気のときは、すべての組織細胞は

赤血球に逆戻りする

 

⑧負傷などで身体の破損したところを再生するのは、赤血球が組織に

変化するから。

 

赤血球は老化して核をもたず、消えていく前の細胞の姿だといわれる

のに対して、千島博士は、赤血球は核を得て、どのような細胞にも

なれるという。

 

夫が歩いたり、奇跡的回復を見せたという底力には、腸を整えたいと

いう切なる私の望みが、順気を回らせ、少しずつ固形食を食べれるよう

にして、腸の生命力を促進してきたからだと、信じている。

幸いに、昼間の施設の職員の皆さまも、全面的にそれを支援して

くださった。

 

こうしてみると、腸の力は、思っている以上大きいものだ。

そして、血液がここで造られるとしたら、清浄な血液が健康体を

作るのだから、ますます、腸の底力を感じる。

 

 

 

 

 

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三年ぶりに歩いた背景

2022年11月18日 | 介護と自然治癒力

もう、この介護用具は返品します 2022年11月17日

************************

彼は何年間も車いす生活でした。施設でリハビリをと、誘われても、

頑なに拒んでいたようです。

ところが、自宅療法に切り替えて、必須用品として借りた

車いす用のスロープが、一か月たらずで、不必要になるという奇跡が、

起きたのです。

 

自宅介護に切り替えてひと月ほど・・・とうとう、写真にある、高い

段差乗り越える力を持てるようになりました。

 

かつ、車いす無しに、トイレまでの10mほどは、徒歩で往復できる

ようになっていました。

 

写真の、左側のスロープは、車いすで部屋に入るために借りた介護用品。

そして右側の、縁台が、その介護用品を返却したあと、置かれました。

 

ここで彼は、20㎝弱の段差を、つっかえ棒をつかまりながら、登るよう

なっていました。

その上る様子が、このビデオに写っています

 

歩けると信じて、手を差し伸べていけば、必ず、歩ける。

 

歩くことこそ、自立する第一歩、自立するのは人間らしく生きる

第一歩。

 

自立とは生計をたてたり、働いて身の回りのものをそろえる意味

ではないのです。ここで、いう、自立とは、’自ら立とう’とする心意気

のこと。

 

車いすから、まず、立ってもらう。たったら、一歩でよいから足を踏み

出してもらう。それが、なかなかできないのは、そのためには、忍耐と

覚悟と、信念と寄り添う心が必要だからでしょう。 

 

老健やリハビリ施設のスタッフさんたちは、それがわかっていても、

現場で任務の多さと、時間のなさでそれだけに集中できる時間が、

なかなか取れないのだと思います。

 

しかし、自宅療養に切り替えて、夫のお世話になった昼間の施設の

スタッフの皆さまたちは、違ってました。

 

ラインでやり取りさせていただいていた、すみこ社長は、歩くという

ことが人間らしく生きるための、第一歩であることをよく承知して

おられたからです。スタッフの方たちも、何かにつけて、夫を立ち上がらせ

歩くような方向で、尽力してくださっていました。

 

自宅で立てなかった方が、ここで、立てるようになり、立てるから

歩けるようになるケースは、この施設ではごく日常茶飯事であったことは、

知っていました。

 

それがこの施設で是非、リハビリを、と当初からの大きな期待の一つで

あったのです。

夫にとっても、こちらでお世話していただいたことは、とてもラッキー

なことでありました。

 

 

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