自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

2023年06月29日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 

眼が悪いといっても、本当の原因が・・・                 

*****************************

 

姑(はは)は秀真(ほつま)伝えの研究者であり、

研究しながら、治療家としての能力が開発され、施術(指圧)の国家試験

の資格を得て、施術を90歳近くまで、現役で行っていた。

その体験記をまとめたものが、文芸社から単行本として出版されている。(*1)

その本の中から、いくつか、母のクライアントさんのケースを、とりあげて

みたい。

日常生活の中で活用できる、ヒントがあると思う。

今日は、”目”に関しての、身体との有機的結びつきをお伝えしたい。

 

眼鏡をかけること、と身体に及ぼす、影響は、とても深い。

目が悪い方は、多く、遠視、近視、乱視、老眼など、その症状もさまざま。

医学大辞典から、少しその違いを取り上げてみると・・・

 

①遠視~屈折異常。 

無調節状態の目に入る平行光線が、網膜(もうまく)感光層より

後方に結像する状態をさす。

一般には凸レンズで矯正。

近視~ 屈折異常。

無調整状態において、遠方からくる平行光線が、網膜の前方に結像する。

これは、網膜の位置に比べて、屈折力が強すぎなので、遠方視力が悪い。

凹レンズによって、嬌声する。

 ③乱視~ 

眼内にはいる、平行、集合 分散光線のいずれも、眼底の一点に結像しない

ため、外界の物体を正しく、明視できない。

 ④老眼~ 

目の調整力が、水晶体外層の硬化と、屈折率増加のため、年齢とともに低下

して近点が遠ざかった状態をさす。 

45~6歳になると、近点距離は、平均、明視距離25センチ㍍になり、対象

離してみないと結像が難しくなる。

**************
このような症状から、それぞれに適した眼鏡を選ぶ。

それぞれの、原因は、何か?ということは、東洋医学では、身体の有機的
つながりの、不連続性と考える。

具体的には、身体の気の流れに、’つまり’や、’凝り’と呼ばれる、ブロックが
かけられると、次第に、病的な症状が、身体の、弱い部分に、現れる。


それでは、上記にあげた目の状況と 身体のつまりと、どのような関係が

いつ、生じるのだろう?

須田麻沙子によると、それは、”眼鏡をかけたりはずしたりすることが重なると

身体のつまりに影響を及ぼす”という。


姑(はは)はその治療体験から次のように、自著に、綴っている。

引用する。

“しばらく眼鏡をかけて近業をしていたのち、眼鏡を取り外すと同時に

レンズによって調節されていた視力が、突如として変化し、視神経・眼器

鋭敏に反応する。 

これが脳髄に伝達されて身体の漸進的萎縮が、瞬間的に起きる。

両肩、頸部、後頭部にかけて凝りが現れ、一時的に視界がかすんでくること

がある。“

 

身体の漸進的萎縮”、上記に書いてあるが、これが、本の題名にも

なっている引きつれ・つまり”の意味と同じである。

身体細胞の萎縮は、眼鏡のつけ外しの際だけでなく、冷房の’冷え’

や運動での’筋肉の酷使”、また、怪我や手術などからも、そして、

ストレスや頭の使いすぎなどでも、日常生活の中で、繰り返して、

起きている。


萎縮がおきると、その時、その部位の順気(じゅんき=スムーズな
気の流れ)が滞る。

ここでは、眼鏡をつけたりはずしたりすることによって、そうした

気の滞りの要因をつくることになるという。


短期間ですぐ、それが身体にすぐ影響するというものではないが、

長期にわたる限度に達する。


そのときに身体全体に変化が起きる。

たとえば、、めまい血圧の変動、心臓の異変などである。。

そのような凝りを感じたときは、自ら、自然治癒力セラピーを行って 

凝りをほどくことのできる人は、その影響を未然に、最小限に防ぐことが

できる。

姑(はは)は次のように、その体験を記している。

“原稿書きなどのとき、使用した遠視の近業用眼鏡を取り外すと同時に、

眼を閉じて後頭部、および、前眼部に手掌をかざす。

しばらくすると、アクビを連発して だいたいはもとにもどる。

これですっかり元に戻ったわけではなく、寝るときと、目覚めたとき

頭部全体を丹念にほぐすと、まだまだ萎縮が残っていることを、

思い知らされる。

眼を開けたままで眼鏡を取り外すと、眼鏡をかけていた時間に

比例して、肩がひきしまり、後頭部がじりじりとつまってきて、

立ち上がるときなどは足腰が少しふらつくことがある。“


それでは、実際 施術現場では どのように それらの凝りがほぐされて

いるのだろうか?

“身体のある個所に手掌をかざすと、左右どちらかの眼の内側、鍼灸では

清明というツボに相当する部分に刺激が起きたり、目の外側、即ち鍼灸の

瞳子りょうというツボに相当する部位に、刺激が起きることがある。

(解くために)眼に関係する経絡には次のものがある。“

としたうえで:

①足の陽明胃経~目の内側(清明)に起き、足の第二指の外側に至る

 ②手の少陰心経~心臓中より起き、手の小指の内側に至り、

その枝別は眼の内側(清明)と目の外側(瞳子りょう)に至る。

 ③手の少陽三焦経~手の第四指より起き、腹部に至る。

その枝別は、眼の内側(清明)をとおるものと、目の外側(瞳子りょう)

通るものがある。

 ④足の太陽膀胱系~ 眼の内側(清明)より起き、足の小指の

外側に至る。

 ⑤足の少陽胆経~ 眼の外側より起き、足の第四指の外側に至る

 ⑥足のけつ陰肝経~ 足の第一指よりおき、目系(眼の中央)に連なり、

百会(頭の中心)に会する。

 ⑦任脈~ 会陰部より起き、承泣(ショウキュウ)~瞳孔 に至り、

眼にはいる

 ⑧陽踵脈~ かかと中より起き、外踝(くるぶし)をめぐり、

腋(わき)の後ろを上行して眼の内側をまわる。

 ⑨院踵脈~ かかと中より起き、うち踝をめぐり、腋の前を上行して

眼の内側に属す。

 

だから、施術では ”眼が悪くなる” という際、これだけの経絡や

経脈関連していることを念頭に置いて、丹念にそのつまりを

ほどいていく。

が、個人で、自己セラピーをされるときは、手のひらの指を一本ずつ、
よくほぐし、特に、足裏から、指を一本ずつ、ほぐしてあげるだけでも
効果がある。

目が悪くなる要因として無視できないのは、以下だ。

①現場治療体験から、後頭部打撲による後遺症

後頭部打撲の後遺症は眼球にとどまらず、側頭部打撲があった場合は、

その時の衝撃が頸椎やその周辺に影響を及ぼしているから、

視力的にも影響を関節的に与えている。 


さらに、そのような打撲や刺激で、特に耳たぶの下(乳様突起と

呼ばれる部位)と、下顎の間に凝りがたまると、難聴ぎみになる場合

が多いとしている。

 

こうしてみると、体は一本の命の糸によって繋がっていることがわかる。

凝りや引きつれを長引かせず、その都度解いていけるのなら、その命

の糸の理想的なメンテナンスとなるのは確かだ。

**************

(1)”引きつれ・つまる 身体をほぐす” 
須田麻沙子著 2013年 文芸社(株)



 

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手術の前に…改訂版・・セコンドオピニオンの勧め

2023年06月23日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方


”リンパの働き”を意識して、免疫力アップ!
************************************2023年6月23日(24日改訂版)

前置き)

最近、私の周辺で、知り合いや、クライアントさんが
臓器の撤去手術をするとか、したとか、いうことが、耳にはいります。

悪い臓器はとればいいでしょう?と単純に、結論をだせるのか?・・
と思い、今日は投稿します。
また、医師が余命宣告をしたがん患者も、医師の勧めるさらなる、治療
を取らず、自宅療養に切り替え、余命をとうに超えて生きている例も
あります。

先日(2023年6月9日)、”チャクラを開く意義”というタイトルで、
発表した記事の補足ともなります。
**********************

手術ということ、私も30代の頃、臓器摘出外科手術をしました。
そのとき、東洋医学に見識ある、姑が、医師に、”経絡をきらないよう
横にメスはいれないでください”と頼んでいました。

一方、手術後の私は、すでに他所にも転移を指摘されて、集中治療室
での治療を薦められました。
が、自己責任で自主退院をして、もう30年も、生きながらえています。

私のケースは、過激な例ですので、ヒト様にお勧めするわけではあり
ません。しかし、最新の医学では、臓器全摘出の弊害を指摘されている
ようです

まず、下の絵をご覧ください。チャクラの絵です。

1Muldadhara chakra ^-----   尾骨部位
2. Swadhisthana chakra ----- 仙骨部位-
3. Manipula chakra ----- 中院(胃の上、中央)               
4. Anahata chakra ---- 腹中(胸骨下部 )          
5. Vihuddha chakra ---- -喉(間脳下垂体)                       
6. Ajna chakra ---- 眉間                         
7. Sahasrara chakra ----- 頭頂(大脳皮質 )

これは、  下の図の橙色の丸から数えて、上に上がっていく
数字となります。
第七チャクラは、頭のてっぺんです。
始まりは、尾骨部位です。


さて、皆さまもよく、ご存じの通り、血流は身体全体に流れ、
同時に、リンパも、ほぼ、血流のごとくに全身に流れています。




このチャクラにあたるところ、それは、くしくも、リンパ液が
たまる、ジャンクションに相当しています。

リンパマッサージでは第五チャクラ部位あたりの、鎖骨あたりを、
特に解きます。
これは、頭部位から、下位に流れるリンパ、四肢から上に向かって
流れるリンパ、臓器に浸透するリンパ、これらがすべて、この鎖骨
あたりに、最終的に到達するからです。

胸骨の間のチャクラも、リンパが多く結集する場所です。

仙骨部のチャクラは、足と身体のつなぎ目でもあり、ここは、足先から
腿に向かって上に流れるリンパの、結集場となります。
足がむくみやすいときは、ここを、丹念に解くと、水分がリンパ液にのって
どんどん吸収されていくので、ふくらはぎのむくみは、解消されるはずです。

さらに、内臓にもリンパ液は回りまわってますが、これは、第三、第四の
チャクラ付近、のリンパの集積場から、ナディ(チャクラの分かれ道)の
ように、支流に分かれて、奥の様々な内臓へとつながっているようです。
こうして、最終的には、鎖骨周辺に、汚れた排斥物を運んで、終結して
いくのです。

したがって、第五チャクラのあたり、つまり、鎖骨周辺は、貨物列車の
ターミナル駅のようなものですから、ここで、おろした不要の荷物を
早く回収して、次々と、運び込まれる荷物をおろせるように、いつも、
オープンしておく必要があるのです。
これがリンパマッサージや、自然治癒力セラピーの施術の目的です。

いいかえれば、リンパ液にのって、身体全体から集まる鎖骨周辺に
集まる、不浄物を早く静脈内に捨てて、濾過していくことが、大切です。
それができないと、’滞り’が生じます。

では、ここに’滞り’があると、どうなるか?
それは、下水がつまった排水管のように、汚物が外(肉体の場合は、
血流に)うまく、流れていかず、身体の中の、不要なものが堆積され、
免疫力も弱くなり、水もたまり(むくみ)そこから、様々な、病相を
呈していく原因になるからです。

さて、手術とリンパの関係は?

昨今の手術、特に、癌の手術では、慎重になってきている風潮がある
と言います。それは、臓器に付随している、リンパまで、臓器と共に
取られてしまうことで、免疫にも大きく関連する、身体の有機的働き
のバランスが崩れてしまうからです。

先日、ご家族が癌の診断をされ、手術かどうか?と医師に相談したら、
その医師は、”ある程度年を経た身体、人間なら70歳前後、の癌は、
むしろ、そのままにしておいて、共生する気持ちでいたほうが、長生き
するケースが多いのですよ”とアドバイスしてくれたそうです。

医師の余命宣告は、当たる時もあるし、当たらない時もある・・こと。
冒頭のケースは人間でしたが、私の協会の理事の猫ちゃんは、医師から
3か月の余命宣告を受けて、それ以上の医療をやめて、自宅に
ひきとったら、それから7年も生きたというのです。

なぜ、こうしたことが起きるのか?

まだ医学ではわからない、生命の不思議でしょう。
癌とは、共存したほうが良いとは、慶応大学病院の、故近藤先生も、長年
のスタンスでした。

それは、こうした、身体の有機的バランスを保つために、リンパが
免疫システムに貢献して、雑菌や、バクテリアや、腐敗物を、身体から
取り除いて流してくれる働きを 大切に考慮しているからです。

もちろん、NO手術は、すべてのケースに当てはまるわけではないでしょう。
ただ、臓器摘出の手術前には、セコンドオピニオンやサードオピニオンを
求める慎重さがあっていいのかと思います。

人や動物に備わった、自然治癒力とは、免疫力に大きくかかわってますが
この免疫力は どんなに、リンパの働きに、負っていることでしょう。

というわけで、チャクラのポジションは、インドやヨガだけのことでは
なく、リンパの流れ路にも、重要な位置を占めているということを、
お話させていただきました。

もう一度、どうぞ、ご自身の身体の 目に見えない、でも、今、現実
に、休まず、働いてくれている、リンパや血液(や臓器)の不可思議さと
生体機能の奇跡的な人知を超えた働きに、その神秘性に、思いを馳せて
いただけたらと、願います
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稲荷ずしは、なぜ,油揚げにつめるの?

2023年06月22日 | 超古代日本の精神(ホツマツタヱ)

稲荷と狐の関係は?

********************************

先月5月25日に、”稲荷神社の、”稲と荷”の意味”という
記事を投稿しましたが、今日は、その続編となります。


 稲荷神社無料画像 に対する画像結果

超古代史、ホツマツタヱには”ハタレ魔”といわれる、妖術を

使い、人の強欲や邪念を増長させる力を持つ、6種類の

ヒトではない、生き物のお話を、先月5月25日に、ご紹介

しました。


大神(天照大神)は諸神が、ハタレ魔とは何ぞや?

という疑問にはこう答えています;


はたれ魔は様々な妖怪力を持つがではない。

ヒトの心に忍び込んでその人の、心をまげて利欲を求め、

小賢しい知恵にたけて、そうした気性が妖術を摂取して、

6種類のはたれ魔生まれた“


6種類のハタレ魔とは、次の6つです。 

“*①錦(にしき)大蛇(おろち)の血(しむ)岐(みち)

*②張(はる)索(な)翅(は)翔(は)岐(みち)

*③冱(い)魔(そら)岐(みち)

*⓸乱(みだ)る狐(き)貅(く)岐(みち)

*⑤は 飯(い)綱(づな)岐(みち)

*⑥は 雷神(なるかみ)求(もと)む天狗(あえ)の岐(みち)“


そして、

“それぞれが、大蛇(おろち)・鵺(ぬえ)・咬(みずち)・

狐(きつね)・猿(さる)・天狗(あえ)の霊(し)魄(む)

抜き取りて、その妖術を使うなり。”と続きます。


つまり、この6つのハタレ魔は、それぞれ、大蛇、ぬえ、

みずち、狐、猿、天狗からの、霊魂を抜き取って、

妖術を使って、人の世を乱して、混乱をを招いている

というわけです。


今日の表題と関係のある、動物は、もちろん、お稲荷さん、

つまり上のハタレ魔の中でも、狐です。


’きつね’、という発音には、それぞれ一音ずつ、言霊

を持っています。


それを、 天照大神は、このように、教えます:


”狐は 'き' の言霊で生かされている動物であること。 


その’き’言霊の意味を紐解くと、

'き'とは、暦でいえば東にあたり、東は北(ね)

を標準として生まれる”と

いうことなので、

”西南から北に住んでいる、ネズミを揚げて、

これを煮れば、キツネハタレ魔の好物となり、

それを利用しながら、そのハタレ魔となった

輩たちを、退治することができる”~

と天照大神は戦術を伝えるのです。


”このはたれ魔は、’くつね’とも呼ばれ、’きつね’

のようではあるが、’ク’はキ音とウ音が交わって

生まれる。 


揚げたネズミの尾には、火の霊が入っているから 

火を嫌うはたれ魔の頭(かしら)たちには、

ハシカミ(生姜のことか?)と、みょうがを燻せば、

その煙で 彼らの妖術は効かなくなるだろう“

というわけです。

そこで、天照大神は退治に向かう、荷田磨命

(かたまろのみこと)油であげたネズミ’と、’はしかみ’ 

と ’みょうが’を、与えました


実際、荷田磨命が、最前線に出かけてみると、

“はたれ頭の三人は妖術をもって菊の花を開き、

千変万化咲き乱れ、幾重にも色を変えて驚かす”

とあります。


つまり、ハタレ魔たちは、妖術を使って、菊の花を咲かせ、

そこかしこ、映空しい花畑にして、神軍を驚かせたのです。


そこで、荷田磨命は、これらの好物を 彼らの目の前

に投げ入れてみると、妖術が乱れ、そのすきに、

カタマロノ命は、作戦通りに、彼らの生け取り

成功したのでした。

さて、ここからが、今日の本題と関係があります。


生け捕りにした、狐のハタレ魔たちを、斬って成敗

しようとしたその時に、彼らは、命乞いをするのです。


“我々は ’きくつねはたれ魔’と呼ばれるように

なっているが、もともとは天照大神のもとで生活する

民でした。


もし、命を助けてくれれば、その恩に報いるために 

身をこなにして お仕えします。“ 


つまり、もともとから、ハタレ魔であったのではなく、

本来は、天照大神の良き民であったから、命を助けて

くれたら、必ず、その恩に報いますと、命乞いを

したのでした。


そこで、カタマロノ命は 縄を解いてやることに

しました。

こうして、33万もの 狐(きくつね)-はたれ魔たち

捕らえられたものの、天照大神の勅令も下り、命拾い

して、稲を守り、農耕作業に支障がないような、仕事

に従事することになりました。


ホツマツタヱにはこう書かれています。

“後に天照大神は 荷(か)田(た)麿(まろの)命(みこと)に

勅宣(みことの)り、

三(み)狐(つ)彦(ひこ)を使いて、後の功績を立てしめ、

また諸狐を使いて、

田畑の鳥を追わしめて、蒼稲魂(うけのみたま)を

守らせよ。”


今風に直すと、

天照大神はカタマロノ命に仰せになる。

三匹の狐ハタレ魔の頭領たちを 三狐彦(みつひこ)

と呼び、彼らに用事を与えて、手柄をたてさせ、

その配下のキツネたちに、田畑に害を与える鳥たちを

追い払わせ、農業の神である、ウケノミタマノ命 

を守らせなさい。“

さらに、続けて、


“若し違(たが)う者あらば、速かに其の霊魂(いのち)

を断つべし。

この故に永世まで三(み)狐(つ)彦(ひこ)及び狐貅(きくつね)、

三十三万余を、汝の従屬とするなり“


今風にいえば、

”もし、その命に従わないものがあれば、魂から

排除しなさい。

とこしえに、キツネハタレ魔の統領のみつひこは、

33万余の狐ハタレ魔を従え、我の命じた仕事を

果たしなさい。”


こうして、稲荷神社の基(もとい)ができました。


それは、キツネはたれ魔たちを助け 配下においた、

荷田(かた)の神の荷“ と、

彼らが守る稲作の神、

ふたつ合わせて稲+荷 を祀ることから、 

稲荷(いなり)神社が造られる根源と

なったのです。


原文〈ホツマツタヱ)には、

蒼稲魂(うけのみたま)神(かみ)と、

保(うけ)食(もちの)神(かみ)

及び荷田麿命の三神を、合せ祭りて

荷(か)田(だ)神(かみ)となす。


(今日の荷稲(いなり)神(かみ)これなり)“

 と秀真伝えにあります。


よって、狐ハタレ魔たちの好物の、ネズミ揚げが、

いつの間にか、油揚げに変り、現代の”狐うどん”

や”きつね蕎麦”の上に、そして

おいなりさん’と呼ばれる寿司に(化けて?)

残っているというお話です。・・・

 

 

 

*************************

 

 

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プラーナと背骨と蛇

2023年06月20日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム


肉体的”欲望”は大切に扱おう・・・
自分の欠点も含めて
2023年6月20日
******************
今日でタントラにちなむ記事は終わりです:::

欲望とか、肉体的次元のエネルギーとかのお話だけではなくて
私は、地球に生まれた宿命として、欺瞞と矛盾と、弱さに満ちた
自分自身の、弱点をも、大切に扱いたいという気持ちで
これらの記事を、まとめました。

それでは、続き・・・です

********
“欲望の抑制は危機”だと ラジニーシ氏(1)は、いう。

その理由は、
“どんなことをしても、性的な力を弱めようとしても、
それは何らかの形であらわれてくる”のだから

だから彼は提案する;
“我々、人間は、性的な存在であることを認めようじゃないか”
と。

ラジニーシ氏の側近だった、ヒューミルン氏は著書(2)に
次のように、書いている;

欲望の抑制は果てしない問題を生じさせることになる。
タントラでは次のように説かれる~

この世の快楽を享受するがいい、しかし、それと同時に
神の存在を汝自身の内に見出せ、と~

何に従事していても、常に、心の内なる、第三者の眼で
自分とその行為を、俯瞰して、”神の存在”を真摯に追う。
私は、ここにタントラの教義の深さがあるように感じる。

ヒュー氏は言う:
タントラの基本的な認識では、人間の持つダイナミックな
諸エネルギーを覚醒させることは、可能である。”、

”タントラでは、すべてのエネルギーが、適切な方法で解放
されれば、それは背骨を通って、脳の上昇し、心および
霊的中枢と一体化し、愛と意識の抱擁が起こる”

これはいわゆる、プラーナの上昇のことだ。

プラーナとは、生命力で、シバ神の絵には、多くのコブラが
シバ神の身体を巻きつくように描かれているが、生命力が上昇
する際に 蛇のように見えるため、プラーナの象徴となっている。

さらに、続けて、

”タントラの信奉者たちは、至高のリアリティーが見出される
のは、欲望を充足させることによってであって、決して苦行
によってではないと固く信じている。“ 

(P・44)と ハミルトン氏は、著書で語っている。
 
では、至高のリアリティとは何か?

“精神的・霊的な明瞭性、自分のエゴを、より大きな意識の中に
消滅させること、
全体性、永遠、空性、至福の存在状態の中への、自己の消滅
である。“
(P・42~43)

最後に、ラジニーシ氏の講義の言葉を引用したい。
これらの教えの基礎に、普遍的な事実を
たんたんと 詩に託しているのが印象的だった:

”まず心身を浄化し、成長を 妨げ幸せから遠ざけている要素
(心のパターン、生活習慣、思い込みなど)を排除します。

そうすることで 生まれ持った能力や力が、発揮できるように
なり、成長します。

そして究極の自己実現である悟り(超自我体験)を達成します。

真実は自分の中にある。外に探すな。

私たちは一人ひとりが宇宙の縮図です。
すべてを有する存在です。
 
しかし自覚がなければ、宝の持ち腐れで、何の役にも立たず、
何も持たない ちっぽけな存在と(自覚)して 
一生を終えることになってしまいますが、
一度自分の中に、目を向けることさえすれば
そこには無限の可能性があり、
しかしその可能性を生かすために
することがたくさんあることに気づくでしょう。
 
そうして人生が 本当に動き始めたら、迷っている
ヒマはありません!

今、ここに生きよ!

タントラの教えでは、私たちはすべてを 内に秘めて
いるのです。

そう 自覚できたら何も心配することなく 今の瞬間を
味わって精一杯生きることしかなくなりますね。。。

目覚めよ!

過去を未来を思い煩わずに
今の瞬間に意識を合わせて在ることができたら・・・
常に意識を繊細に保ち、人生の神秘に気づくことができる
でしょう・・・

何といっても、本人が気づかなければ何も起こっていないのと
同じことになってしまいます。

探すな、立ち止まってよく見ろ。

”見ろ!”です、
”考えろ”ではありません。

考える、というのは 論理や理屈の次元での解釈に
偏ってしまう危険があります。

見る、というのは感情や心身の感覚なども 
含めたより全体的な体験として感じる、
ということになるのでより深さが増します。
 
探し回っているせいで 気がつかないこと、よくあります。
”真実”も 同じなんですね。

タントラでは人生のどんな瞬間も 
気づきへの悟りへのきっかけとなる、と言います。

人生のどんな時も 精一杯 ”体験” できれば
無駄なことはない、ということなのです。”  以上引用
 

 
*1)
「OSHO:オショー、
本名、チャンドラ、モハン、ジャイン(1931-1990)
インド人神秘家。現代人のために新しい瞑想法を編み出し指導。
個人の意識開花のためのガイダンスとして約7千回にのぼる
講話を行った。
インド西部、プーネのアシュラム(道場)、アメリカ、
オレゴン州のコミューンには
世界中から内なる旅をする者たちが集まって来た。
いまでもプーネのアシュラムには多くの人々が訪れ、
瞑想やセラピー、ダンスやペインティングなどの創造性の
ワークショップが開催されている

(2) ヒュー・ミルン 『ラジニーシ――堕ちた神』
第三書館)1991年(再版)暢沢立也訳

 
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解脱を目標に、究極まで自分を突き詰めた偉人

2023年06月16日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

インド独立の”無抵抗主義”の覇者、ガンジー翁の場合



**************************2023 6月16日

前書き)
無所有という状態・・をタントラの教えでは、男女の愛の中に、
持ってきました。

種族の保存や、本能発露のためではなくて、無執着のまま
相手に対し、情熱的感情をぬきにして、心身、特に、肉体的
表現が行われれば、そこは、祭壇と同様の、神聖な場となると
説かれました

欲望を真正面からとらえて・・というのは、そこに、無執着
かどうか?愛か本能か?相手を尊重しているか、自分勝手
な行為か?
というような、俯瞰的な眼で、心の内から見据える第三の眼を
意識して、できることです。

この教えを取り入れて、解脱(成仏)を試みた、世界的政治
指導者のお話です。

*****************

解脱をモクシャ と サンスクリット語でいう。

生まれ変わりの輪からはずれ、、カルマを超越した状態をいう。

この状態に到達すると、人は、カルマ解消のためには、

人間に生まれる必要性がなくなる。

特別な使命を持ち、救いのために、あえて人間の肉体を

持って、生まれる場合もある。

いわゆる、精神的指導者として、人類に光明をもたらすためだ。

インド在住時代、ガンジー記念館を訪れたとき、 

ガンジー翁は モクシャを人生の最終ゴールに置いていた

ことを彼の書簡から知った。

同時に、ガンジーは、欲望を客観的に見ながら、

執着をたちきり、モクシャの実現の最終目標である、

’自我の超越’を試みていたことも知った。


この欲望は 人の三大欲望の一つで、生存と種の撲滅

を避けるために、天から授けられた、欲望でもある。

が、これによって、葛藤や苦しみを産みだすことも

事実だ。

ガンジーは、自ら、それを昇華するために、人生最期まで、

自己人生の最終目的である、解脱のために、その欲望と

真正面に取り組んでいた。

これも、一つの、タントラ的修行でもある。

タントラ修行について、次のような ラジニーシ氏の

一節が、興味深い。

“タントラではパートナーを自分のグル(師)と考え、
その身体を聖なるものとみなして、礼拝する。
性的感情を持っても、所有欲はもつべきではない。”(1)

彼は、

タントラの究極のゴールは、

精神的・霊的な明瞭性、自分のエゴを、より大きな意識の中に 

消滅させること、

全体性、永遠、空性、至福の存在状態の中への、自己の消滅

である。”

 という。


ガンジー翁は、晩年は、信奉者の女性などを、密接的に

傍に置いていたようだが、彼の親近者、ボース氏への

手紙には、彼らと夜も共にすることを認めたうえで、

次のように書かれていた:


”私にとっては女性に触れぬことがブラフマチャリヤ
なのではない。

今していることは 私には新しいことではない。”

と前置きして、

”……実験(須田注:ガンジーの試み)の前提に、女性の

劣等性があると、お考えになるとは驚かざるを得ない。


もし私が、色情を持ち、あるいは相手の同意なく女性

を見れば、そのとき女性は、劣等者であろう。

私の妻は、私の欲望の対象だったとき、劣等者であった。


私の隣に、裸で妹として寝るようになってからは、

彼女はもはや劣等者ではなかった。”

このガンジー翁の言葉は、次の、ラジニーシ氏の言葉と
どこか、一致する。

もし特定の個人に対する、荒々しい情熱的欲望に
捉われてしまうなら、人は自らの瞑想的中心~存在の
中核を、見失ってしまうだろう。“

私には、ガンジー翁が、臆面もなく、人が隠す事実を公
にしながら、自己の解脱を試みた、大いなる修行者として、
感じられてならない。


(1)”ヒュー・ミルン 『ラジニーシ――堕ちた神』第三書館)1991年 P・42~43)




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