自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

コナン・ドイル(シャーロック・ホームズの作家)のスピリチュアリズム(2)

2018年09月29日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

生粋の唯物論者が心霊学に興味を持った背景 2018.9/29

*******************************************

 

ドイルは、名探偵を生み出して一躍世の中に

名前を知られるようになったが、

有名になった後、自分の財産をつぎ込んでまで、

心霊学に従事していたということはあまり

知られていないようだ。

 

ドイルと、心霊学とはなかなか、結びつかない人

が多いと思う。

彼が生み出した、名探偵、シャーロック・ホームズは、

論理的な筋道と証拠、誰にも有無を言わさない緻密な

観察に基づいた情報と推理で、難事件を解決していき、

その生みの親であるドイルは、理性的で理論的推移を

する頭の持ち主であったと誰もが考えることだろう。

 

確かに、ホームズにとって、霊能力や、死後の世界

というのは、全く無縁であったようだ。

少なくても、ある時期までは・・彼は、医学大学を

出て眼科医として働くようになる。

 

彼が活躍した当時、19世紀から20世紀にかけて一躍、

心霊学は脚光を浴びるようになる。

学術的に世の中に認められている学者やダーヴィン

の進化論の擁護者までが、心霊学的フィールドに

興味を持ち、1つの流行のような現象を呈して

いたように思われる。

 

その影響化、ホームズは霊的実験会に参加するよう

になり、次第に摩訶不思議な世界、心霊の世界に、

半信半疑から、実在を信じるようになるまで、

のめりこんでいった。

 

当時、心霊学に触れ、研究をすすめた、著名な多く

の文化人たちは、次のようなコメントを発表している。

 

① 世界的なフランス天文学者、

Camille Flamimarion (1842 ~ 1925 )

は、1923年の講演で、霊魂説を認め、次のように述べている。

 

”人間は’霊’の属性である未知の能力を持っており、

ダブル~複体~(肉体と霊体とをつなぐ、接着剤のようなもの)

を持っている。

思念は、肉体を離れて存在することができるし、

霊的波動が大気を伝わり我々はいわば、見えざる世界の

真っただ中に生きているようなものだ。

肉体の崩壊後も、霊的能力は存続する。”

 

② The Earl of Dunraven(生没年不明)

は、英国の貴族でカトリック信者であったが、

息子アデア卿とともに、心霊現象に関心を示し、

自宅で心霊現象を試み、2年間にわたる結果を、

"Experiences in Spiritualism with D.D.Home"

題した著書にまとめ、世に発表した。

 

③ Judge Edmunds(1816 ~ 1874 ) は 

行政人として、司法官として名をはせた。

ニューヨーク州議会の議長を務め、ニューヨーク州

最高裁判所判事も務めた司法官でもある。

心霊現象の解明に尽力を注ぎ、米国スピリチュアリズム

の新時代を画した人物といわれる。

 

しかし、御多分にもれず、判事という職業柄、

彼の行為は批判され、それに対し、”世に訴える”

Appearl to the Public)という釈明文を新聞に

掲げ対抗したが、結局、法曹界から身をひいた。

 

④ William Crookes(1832~1919)は、1863年に

英国学士院会員に選出され、1897年にはナイト爵

叙せられた。

1910年にメリット勲位を受け、英国学士院のか、

英国学術協会、化学協会、電気技師協会等の会長

まで歴任した人物である。

 

科学者としても高名で、タリウム元素発券、

クルックス放電管の発明など、

世界的科学畑での貢献は少なくない。

そのクルックス自身、1869年に心霊現象を

目の当たりにして、1871年に

本格的研究調査に踏み切ると、公言した。

 

タイトルは、”近代科学の光に照らして、

スピリチュアリズムを検証する”

というもので、次のように述べている。

 

”科学的手段を次々を採用していけば、

スピリチュアリズムの愚にもつかない、

現象を魔術と魔法の掃き溜めに放り込んで

しまう学者が続出するだろう”

 

一見、心霊現象に対し懐疑的な立場を表明

していながら、実際は、違っていた。 

彼の研究の結論として、実験報告の内容が、

100パーセント心霊現象を肯定する

という皮肉な結果になった。

 

この内容は、"Quaterly Journal of Science"

に連載され、のちに、

Reserches in the Phenomena of Spiritualism"という

単行本になる。

この本は大反響を呼び、心霊現象の科学的研究

はクルックスに始まると言って過言でないと

いわれる。

 

⓹ Alfred Russel Wallace(1823~1913)

ダーヴィンとともに、自然淘汰説

の共同発見者として知られる英国の博物学者だ。

次のように述べている。

 

”私は14歳の時から、進歩的思想をもつ兄と

起居を共にするようになり、

その兄の感化を受けて、科学に対する

宗教的偏見や教派的ドグマに

影響されないだけの、確固たるものの

考え方を身に着けることになった。

 

したがって、初めて心霊現象の話を

耳にしたときも、唯物論で埋め尽く

されていた私の思想構造の中には、

霊とか神といった、物質以外の存在を

認める余地はまるでなかったと言ってよい。”

 

”が、事実というのは、頑固なものである。

知人宅で起きた原因不明の小さな心霊現象が

きっかけとなって、生来の真理探究心が

頭をもたげ、どうしても研究して

みずにはいられなかった。

 

そして、研究すればするほど、現象の実在

を確信すると同時に、その種類も、多種多様

であることがわかり、その示唆するところが、

近代科学のおしえることや、近代哲学が

思索しているものから、ますます、

私は遠ざかっていったのである。”(*1) 

 

そのような社会的現象下において、当然、

唯物論者であった、ドイルは

心霊現象に興味を持たざる得なかった。

 

様々な交霊会に出席し、その真偽のほどを

確かめながら、のめりこんでいくのだ。

当時の交霊会は、霊界から地上界に届く

通信をキャッチするのが目的だが、

以下のような方法があるとされる。

 

① 霊が語る~霊媒を通して、あるいは直接、

霊媒から出るエクトプラズムという特殊物質

を霊が利用して、霊媒から離れた空間(中)

から直接、霊が話す場合とある。

 

② 霊が文字にして伝える~自動書記現象

といわれるもの。

霊媒に乗り移って書く場合。

”お筆書き”と日本語でいわれる例がある。

あるいは、高級霊が思想波を送り、

それをキャッチしたものが、文字で

あらわす場合がある。

 

③ 幽体離脱~霊的身体として肉体から

遊離して、その間、体験したことを、

肉体に戻った意識が書き留めるもの。

 

さて、自然治癒力協会(正式登録名称:Spontaneous healing therapy Japan)

の立場として、次のことを、一言申し上げておきたい。

 

こうした霊的な事柄は、自然治癒力とは

あまり関係があるとは考えていないし、

協会の主旨とは、むしろ、離れている

認識している。

 

しかし、ドイルが生きていた時代の心霊学へ

の興味の盛り上がりの背景を

踏まえて、ドイルがどのような独自な

考えを展開していくのか? 

 

それが、スピリチュアリズムの定義に

どのような色付けを行っていったの

だろうか?

そのことは、”人間の本質”への洞察と

被さり、私たちの本質が明らかに

なることで、自然治癒力への理解が

深まるという事においては、意味があると思う。

 


 

 

参考:

“The New Revelation by Arthur Conan Doyle” (1918 ) 

Psychic `Press Limited, 23 Great Queen Street, London, 

WC2B5BB, England

注1 ~ 以上”~”の引用部分 

= ”コナン・ドイルの心霊学” 

新潮選書、コナン・ドイル著、近藤千雄翻訳 1992

 

 

 

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コナン・ドイルのスピリチュアリズム(1)

2018年09月22日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム


ドイル氏のスピリチュアル研究の背景 2018/9/22

******************************************

前置き)ESP体験、いわゆる超常現象とか霊的現象というのは、

自然治癒力セラピー協会で扱うジャンルではないと思っている。

 

が、コナン・ドイル氏のそれは、ある意味注目に

値するものかもしれない。

というのは、当時(あるいは、今も?)サー(Sir)の

名誉ある称号を与えられていたドイル氏が、こうした超常現象

研究に没頭していること事態、ともすれば、非科学的で

あるということから、

 知識人からのバッシングにあったり、名声ですら、剥奪(

はくだつ)される可能性があったからだ。

 

実際、幾人かの高名な学者たちは、心霊的興味を明らかにして

一線から身を引かざる得なかった。(下記参照)*1~

 

ドイルが、心霊現象を通じて、何を究極的に求め、

何を訴えたかったのか?

そこには、”人間の本質”にかかわる”彼のメッセージ

があったように思う・

 

”人間の本質” とは何か?”自分”とは? 

そうした疑問を持ち、自分の内面へ

の探検を始めるこが、自分自身の中にある

霊性を磨くための1つの行為だと私は思う。

 

人は誰にでも、霊性がある。それに興味の

ない人も存在するし、そうであっても、

世の中を渡っていく上では、とりたてて

不都合はない。 

が、いつか、ヒトは 自分の霊性と向き合う時

が、必ず来るだろう。

 

本質というのは、自分のルーツにも似ていて、

子供が親を求めるように、ヒトは自分のルーツ

に自然に回帰したいという、深い願いが

誰の心にも、あるはずだから。 

 

ところで、心霊学においては、大方の実験

は霊媒というツールを通して、行われることが多い。 

しかし、特殊能力をもった、霊能力者が

”健全か”といえば、必ずしもそうではなく、

霊能力者が自然治癒力を発揮しやすいかと

いえば、そうとも限らない。 

 

ドイルの心霊学へのアプローチは、

そうしたEPS体験をもとに展開されていくが、

彼は、単なる心霊現象の研究を超えて、

宗教を超えた”何か”に的を最終的に

しぼったようだ。

 

それは、人間の本質を、当時の社会の中で

大きな影響力を持っていたキリスト教的

倫理観を超えて、見据えたという意味で、

彼らしい心霊学のメッセージがあるように

感じる。

 

’霊性’とはそもそも、何か?

霊性は霊能力でも、超能力が

あることでもない。

果たして、ドイルは霊性の研究で、

霊性の意義をどのように考えたのか? 

このあたりもまた、興味があるところだ。

 

コナン・ドイルは世界的に有名な

シャーロック・ホームズ探偵の生みの親で

知られているが、一方彼自身が精魂こめて

霊的探究に取り組んだことを知っている人は

そう多くないかもしれない。

 

1926年には、一巻と二巻合わせて、

7百ページに及ぶ、“スピリチュアリズムの歴史”

という大著を発表した。

そもそも、日本では、スピリチュアリズム 

という言葉自体、胡散臭く感じる人が

多いようだ。

 

日本に住民票を移して1年ほどたって、

宗教心理を少しかじる内に研究者の方たち

との話の中で、この言葉を使うときには

誤解を招かないように、慎重さが必要だ

ということを知った。

 

本来、スピリチュアリズム というのは、

最近の日本で話題になるような、幽霊や

心霊的な類(たぐい)に関する分野とは

異なっているのだが 日本では、実証性の

根拠が薄い、霊の話などが、

スピリチュアリズムと考えられていることが多い

という話に驚いた。

 

Spirit というのはキリスト教文化圏で

いう所の、聖霊をもともと意味して

いるが、転じて、人間の“自我の根源”

ような意味で使われてきた。

 

サイケという言葉もこれに準じていて、

日本語でそれを“霊”と訳したため、

曖昧な意味合いが混流してきたような気がする。

 

古来からの日本語を使うのならば、

むしろ、“魂”という言葉のほうが適切な

気がする。

魂は物的な身体に入ることで、ヒトとなり、

身体的な五感の機能との相互作用

で感覚や意識などが芽生える。

 

成長するとともに、その独自な感覚意識は、

“個性”的な“自我”を形成していく。

スピリチュアリズム というのは、

そのヒトの“魂”の自覚を促して、“本来の自分”

という、現代社会で見失われがちな

“魂的自分”を探究しようとする“働きかけ”と

いってよいだろう。

 

スピリチュアリズムの考えの基盤は、

まず、そこにある。

そして、魂というのは肉体死後も存続する

わけで、肉体はこの世に存在する

ための“衣服”、“地球服”にすぎない~と

理解したうえで、魂の直視が可能に

なるのだろう。

 

だから、“肉体死後も生き続ける”という

認識は、スピリチュアリズムの基本だ。

 

近年では、実証的事実をデータとしてそれを

もとに、この二つの基本的見解を示している

のだが、それを”近代スピリチュアリズム”

という呼び方をしている。

ドイル自身、当初は、こうした霊的云々の

事柄には懐疑心を抱いていたようだ。

が、納得いくまでそうした事象の研究を

続けた結果、“人類にとって、最も重大な

”ことは スピリチュアリズムの理解

結論づけた。

 

私自身、個人的に、ドイルの

スピリチュアリズムへのアプローチを知る

ことは、わくわくする。

なぜなら、ドイルは、エジンバラ大学の

医学部を卒業した医師で、シャーロック

・ホームズという名探偵の生みの親で

明晰で、理知的な判断をこなす人に違いない

というイメージがある。

 

頭(ブレイン)の生みの親~そのドイルの、

‘自己追跡でもある、魂への旅’の足跡を、

彼のスピリチュアリズムの研究とともに

追うのは、推理小説以上に、

スリルに満ちているような気がするからだ。

 

これからご紹介するドイルが人類に対して、

“新しき掲示”と名づけ、“重大なるメッセージ”

と呼んだ”スピリチュアリズム”についての本を

書いた背景に、一言触れさせていただく。

 

ドイルが、著作を発表する背景には、

第一次世界大戦があった。

 

ドイルの母国、イギリスは植民地支配で

その権勢を伸ばし、他国の利権を、

手段を選ばず奪い、富を搾取する

資本主義的社会構造があった。

主戦場となった、ヨーロッパは

その精神文化の支柱をキリスト教に置き、

すでに2千年経ていた。

 

愛を教えるキリスト教の精神が”対戦”

という修羅場・土壇場で活用されて

いない、現場を目のあたりにしたドイルは、

形骸化したキリスト教の体制

を強く感じた。

形骸化した理由,それは、教会の”しるしと

不思議を無視した”人工的教えが

その理由の一つと考えたようだ。

 

そうした社会的背景の中、霊学の研究で

得た彼の結論を、”新しき啓示”

と呼び、スピリチュアリズムの隆盛が

世の中を立て直す一つの手段と

考えたようだ。

 

そうしたことを念頭に、近藤千雄氏訳で、

要所をかいつまみながら、

ドイルの”魂の旅”に皆様と御一緒したい。

次回から、著書の要点を抜粋してお話を

続けていきたい。

 

~1 参照記事 

スピリチュアリティと世間の風当たりとして、 

2017年・6.月15日に投稿した中の一部です。

*****************************************

”人間・この未知なるもの” の著者 アレクシス・カレルは 

ノーベル・生理医学賞を1912年に受賞した。

組織培養法を発見し,血管縫合術,臓器移植法を考案して

現代医学の礎を築いた功績がたたえられた。

ところが、氏は、1904年に故国フランスを離れ、

アメリカ・カナダにわたっている。

 

その一番の大きな理由が、1902年に、巡礼団付き添い

医師として,キリスト教聖地、聖地ルルドを訪問した際、

重症の結核性腹膜炎の少女,マリ・バイイが聖水を浴び,

急速にその症状が回復した事実に遭遇したからだ。

 

そして、この時の事例を、「ルルドの奇跡」が実在したとして、

リヨンの医学会で発表した。

ところが、このことが、きっかけとなり、医師仲間からは非科学者

とそしられ、実質的な医療活動が 故国ではできなくなった。

 

シャーロック・ホームズの名前を知らない人はいないだろう。

彼は、アーサー コナン ドイルが生み出した推理小説の中の

有名な主人公だが、この生みの親、コナン もまた、イギリスの

王室からサーの敬称を与えられたにもかかわらず、人生晩期、

教会からは疎んじられるようになった。 

 

なぜなら、彼は心霊学に傾倒して、”今のキリスト教では人は救えない”

と公然と、背反的意見を述べていたからだ。

結局、小さな名も知られない教会の墓地に眠ることになった。

 

ところで、最近、宗教心理学の研究会代表を務める先生とメールで

こんなやり取りをさせていただいた。 

それは、”宗教というのはスピリチュアル という広範囲な捉え方で

呼ぶことができるか?”という質問と、 心療内科設立者、池見博士が

提唱している信条(*須田注:先回の記事の後半に記載してあります)は 

宗教心理学の分野として考えて良いかという確認だった。

 

二つの質問に対して、肯定的お答えをいただいた。 

が、心療内科でいう所のスピリチュアル的提示の方法は、

今後の課題となるだろう、というコメントも頂戴した。

 

やはり、現代においても、コナン・ドイルの時代とあまり変わらない

一種の”うさん臭さ”と”非科学的”な趣は、”心霊”とか”スピリチュアリズム

という言葉に対して、まだまだ、残っており、専門的学会や、

学術的分野で、魂や霊的な話はタブー視される風潮があるのかもしれない。

 

 

 

参考著書:“The New Revelation by Arthur Conan Doyle” (1918 )

 Psychic `Press Limited, 23 Great Queen Street, London, 

WC2B5BB, England

 

注1 ~ 以上”~”の引用部分 

= ”コナン・ドイルの心霊学” 新潮選書、コナン・ドイル著、

近藤千雄翻訳 1992

 

 

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医療面からのウニヒピリの活用(9月14日の記事の追記)

2018年09月15日 | 健康のための心の波動

医療現場に生かしている‘クリーニング’の効用

*********************************** 2018・9・15

 石川医師

 

昨日挙げた記事の追記をさせていただきたい。

その中で、池見博士(心療内科設立者)の心身一如という、

医療の基本概念について、少し触れた。 

 

心身一如とは、心と体は、本来、同一であって、心が健全

になれば体も健康体になるし、体が不健康になれば、

心の持ちようも、不調和となる~ということだ。 

 

他方”全人的人間観”というものがある。 

社会的、心理的、身体的などあらゆる角度から検証する

総合的判断にもとづく人間観である。

 

この”全人的人間観を基盤とする医学”を提唱し、

ホ・’オポノポノの、ウニヒピリ’を認めて、実際の治療

に役立てている医師がいる。

 

石川真樹夫医師(*1)である。

 

医師は、’陰陽のバランス’をとり、’心とからすべての異物を

取り除く’ことが病気回復の要(かなめ)であるという立場から、

体は連動していて、ゼロ(ホ・オポノポノの

ゼロ・リミッツ~須田注)の状態になれば、体が回復に向か

う可能性が生まれ、(ホ・オポノポノの)クリーニングの効用

を考えれば、治癒は奇跡的なことではなく、むしろ必然なこと

と確信する。

 

石川真樹夫医師は、医療法人聖岡会新逗子クリニック理事長。

26歳で医師となってから、重篤な病で苦しむ人たちを救いたいと、

様々な方法を模索してきたが、

 

人格乖離(かいり)”や、統合失調症、自傷行為などの

心の病気については、十分な治療方法を見いだせないまま

40代後半を迎えた。

 

そんな折、“ワイ州立病院の奇跡”を、知った。 

そして、その奇跡を生み出した、ヒューレン博士の‘ホ・オポノポノ’

メソッドに興味をいだき、博士のセミナーに2007年に参加した。

 

ハワイ州立病院の奇跡というのは、そこに収容されている重大な

罪を犯した精神異常犯罪者たちの更生を頼まれた博士が、

短期間に効果を出して、最終的には、病院を閉鎖したという

画期的な事実をさしている。 

 

その際、ヒューレン博士は、心理学者として、犯罪者の更生

を頼まれたのだが、カウンセリングや犯罪者との対話は一切

しなかったという

 

では、ヒューレン博士が行ったこととは?

それは、クリーニングだった。自分の過去の記憶の浄化だ。

方法は、患者のファイルを見なら、ただただ、次のように

自問自答していたという。

 

“私の中で(過去に)何がおきて、なんの私の記憶が、

彼らに、統合失調症にならせたり、レイプ犯にならせたたり

しているのだろう?”

 

そして、その原因となっている、自分の知らない、潜在意識に

埋もれている記憶に対して、ひたすら、“ありがとう。ごめんなさい。

赦してください、愛しています”と言い続けた。

 

石川医師は、ヒューレン博士のセミナーを受講して、納得したという。

そして、“ウニヒピリ“【前回までのブログ記事を参考】と呼ばれる

潜在意識は、ユング心理学でいうところの“シャドウ影)”という

概念と同じことと考えた。

 

本来の自分(神聖で完全な)とは違う、’異物’~思い込みや恐怖、

トラウマ~が基になって、知らず知らず、病気や不調和な環境を

作り上げてしまう:::それが、シャドウ。

 

石川医師は言う。“人間には誰しも、表面的な人格とは 別に、

心の中に‘絶対に自分はそのうな人間ではない’と思う影の

存在を合わせもっているものです。”

 

石川医師は、病気の基になっている、“患者の強い恐怖心、

想、思い込み”こそ、シャドウの原型であると、現場の体験から

認識していた。

 

さらに、その患者の中のシャドウと石川医師とウニヒピリの関係を、

ヒューレン博士の講義で明らかに理解したのだろう。

 

石川医師は、”私のウニヒピリを癒すことで、患者さんの苦しみが

消化できる”と、”クリーングの実践”に励んだところ、代医学

では考えられない心の病で苦しむ患者さんが、”奇跡”的回復をした。

 

”診療では、私のウニヒピリが助けてくれます。’あなたの苦しみを

聞かせてくれて、私にクリーニングをする機会を与えてくれて、

ありがとう’と心の中で思います。

 

すると、私のウニヒピリと患者さんのうにヒピリがコミュニケーション

を開始して、その人の悪いところ、苦しんでいる部分を教えて

くれるのです。

 

あとは、患者さんが苦しんでいるのは、自分の責任であると受け止め、

自分のウニヒピリを癒すことで患者さんの苦しみを昇華する。つまり、

クリーニングするのみです。”

とインタビューに答えている(*2)

 

*1∼ 石川眞樹夫 (いしかわまきお):1962年生まれ。

神奈川県逗子市の無床診療所で、内科、小児科、心療内科、

精神か、放射線科を標榜。’思い’と’食事’が健康と病気の基礎であり、

’陰陽のバランス’をとり、’心と体からすべての異物を取りのぞく’

ことが、病気回復の要であるとの立場から、’

 

パッチフラワーレメディ’、と’粗食の小食’、'ホ・オポノポノの実践’を

勧める総合医療を目指す、

 

総合内科医。全人的人間観に基づく’医学の確立’を目指している。

 

⋆2~ ”誰もが幸せになるハワイの言葉’ホ・オポノポノ’” 

著者 イハレアカラ・ヒューレン、カマイリ・ラファエロヴィッチ、 

マキノ出版 2012年

 

 

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ウニヒピリとの会話最終回 ~ 自然治癒力

2018年09月14日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

 I am sorry , I love you , Please forgive me  and Thank you

 *********************************2018・9/14 

 皆様、おはようございます。

今回で、ウニヒピリのシリーズは、今日で一応、おしまいです。

 

ここで取り上げてきた、ホ・オポノポノのハワイに古代から

伝わる問題解決の秘宝は、モ―ナ女史が、昔から現地に伝わる

ホ・オポノポノと呼ばれる古い様式を改善して、問題に対して

個人で向き合い、個人の意思で浄化して、解決していくという

特色をもつものに変えました。


それが、ヒューレン博士達、愛弟子たちによって、世界中に

現在、広められているものです。

今日は、その女史が必ず唱えていたという”祈り”の言葉を皆様

に、最後にご紹介させていただきたいと思います。

 *********************************

ここに モ―ナ女史が常に、祈りの言葉として、相談者の

問題解決のために祈っていたという言葉がある。

 

”神聖なる造り主よ、父よ、母よ、子よ、もしも、私自身、

私の家族、親類、そして子孫らが あなたの家族、親類、

子孫らを、ここに至る我らが創造物の始まりより続く思考、

言葉、出来事、行動のために、傷つけていたのならどうぞ、

許したまえ。「①】

全ての否定的記憶、障害、エネジー、動揺、これを洗い清め

たまえ。(②)

しかして、それらを浄化し、解放し、切り取り去り、そして

これら望ましからぬエネジーを純なる光に変えさせ給え・


かくのごとく為されたことに、感謝いたします。(③)”

 

この特に変哲のない施術前の祈りで、大方の問題は解決した

と、女史の愛弟子、ヒューレン博士は言う。


モ―ナ女史は、神に祈ると同時に、各自がいつでも、どこ

でも実行できる、浄化方法を教えた。

つまり、徹底的に、冒頭の4つの言葉を復唱すること。

”I ’m sorry, I love you,

please forgive me , thank you " 


これらの言葉を口に出しても、出さなくてもひたすら感情を

抜きでも良いから、復唱することが、浄化につながるのだ。


 さて、この4つの言葉を、上のモ―ナ女史の祈りの言葉に

重ねてみると、その言霊の深みが増してくる。


まず、上記のモ―ナ女史の①から③までの項目の中にひか

れた、傍線の部分にご注目。


①では過去において(現世だけでなく、過去生においても)、

知らず知らず、誰かを傷付けていた自分の言動を反省している。

自分の血をひく人達のそうした行いを含めて、モ―ナ女史は

赦しを乞う。

 

今の’生’に限らず、’過去生’の’何世代にわたって、いろいろな

軋轢や争い、不調和な人間関係が、数多く起こりえたこと

だろう。 


たとえ、自分が気が付いていなくても、相手のためと思って

言ったり、行動したことが、場合によっては 迷惑なお節介

や、独りよがりの善行に過ぎなかったことも、あっただろう。


周囲の関係者を、知らないうちに悲しませたり、傷つけたり、

したことがあったかもしれない。 

 

誰に謝罪するのか? 

赦しを乞うのか? 

 

”神聖なる造り主よ、父よ、母よ、子よ”、とあるから、相手

の神聖なる’神格’に対して、又、両親(の役割を演じていた魂達)、

子供(の役割を演じていた魂達)をも包括的には、指すのだろう


読み方によっては、子は、”神の子”ととれば、すべての自分

以外の”他者”という意味にもとれそうだ。

 

①の言葉、赦したまえ(please forgive me)と、モ―ナ女史は

初めに、誰かを傷つけてきた事があり得るという事実を 謙虚に、

認めて、赦しを乞う。 

 

だから、ホ・オポノポノの浄化の言葉の1つ、”ごめんなさい”

(I am sorry)という言葉に連結する。

 

②番目にある、洗い清めたまえという モーナ女史の祈りの

言葉。 

洗い清める対象は、憎しみ、疑い、嫉妬、誤解などからくる

不調和な現象もさることながら、一番大切なのは、自分自身

の過去の生を含め、気が付かない、忘れ去っている自分の

自分を傷つけた過ちに対して、言うのだろう。


そして、洗い清めるためには、自分の中にある愛を自覚する

ことも大切だ。 

 

相手がどんな暴言をはいたとしても、自分の心が、大海の如く

おおらかな、包み込む境地にあるとき、自然と、相手の暴言

は気にならなくなり、傷ついたと思う自分の心も、洗われて

いくことだろう。


自分への愛を深めることは、相手への愛を深めること

そこで、”I love you"が、ホ・オポノポノの重要な浄化

の言葉となる。

 

③の感謝の言葉。

これは、こうして祈りの言葉を述べ、その想いが届き、叶う

ことに対しての感謝の気持ちとして、表現される。


’自分の知らない、潜在意識の中に、今の不幸や悲しみの種が

あったことを知り、それを浄化する機会を与えてくれた”

と受け止めるこだけでもも、感謝がでてくるだろう。

 

そして、すべての、祈りとは、疑いの心より、必ず、

”叶う”という確信ができたとき、それは、本当にそうなる

他ないものだ。

だからこそ、その確信があるからこそ、その結果に対して、

先に感謝の気持ちを表す。


すでに、自分の欲する状態(事、物、現象)は与えられている

という確信のもとに、③の”Thank you"という感謝の言葉で

締めくくられている。

 

ここで、自然治癒力を考えたとき、こうして、自分自身とまず、

調和をとれた状態にすること、それが、免疫力などの、力の

増強につながっていく。


これは、身体と心の関連性を’心身一如’(心と身体は一致する)

の法則から考えると、理解しやすい。

心療内科を設立した、池見博士の診療は、このスタンスを元に

心のバランスをとることと、病を治すことと、平行して行われた。

それはまた、機会があれば、是非、ご紹介したいと思う。



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私とウニヒピリとの対話(8)

2018年09月07日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”


ホ・オポノポノが最終的に求める

仏教の無我の境地 2018・9/7

******************************************************

 前書き)

”ウニヒピリとの対話”について、詳しく書いていると、ある

特定の精神的集団(教団?)の後押しをしていると勘違いする

方たちがいるかもしれません。

次回で、この関連最終記事は終了予定ですが、このテーマを

お届けしたいと思った理由は、自己セラピーのエッセンスを

ご紹介したいという気持ちからでもあります。

 

自己セラピーというのは、自分自身の本質を引き出すために、

自分自身でするセラピー、

の力に頼るではなく、誰の言葉に翻弄されるのでもなく・・・

‘過去のカルマにとらわれない、本来の自己の本領を発揮して、

満たされた心持で、フレッシュに今を生きよう’という積極的

あり、静謐的であり、もっとも落ち着いた自分を取り戻す

自分で自分の本質に高め上げるための、セラピーのことです。

 

らに、そうしたメンタルの癒しのみならず、体の健康に

直結するという大切な要素がここにあります。

なぜなら、自己セラピーで、’もっとも落ち着いて自分らしい

自分’に近くなればなるほど、誰もが持つ、自然治癒力が発揮

しやすくなるからといえるでしょう。

 

そのヒントを、“ウニヒピリとの対話” の中で見つけていた

だければ幸いです。

********************

①   ”潜在意識にある記憶のうち、どの記憶が原因になっていて、

どの記憶を消去すべきか、ウニヒピリはわかっています。”(161)

今、この場に現れている、不幸や病気の原因が記憶にあることが

理解できたとしても、過去の自分の記憶のどの時代のいつ?

どこで?の”部分”なのか?

それは、誰にもわからないだろう。

 

ところが、ウニヒピリはわかっているらしい。

ヴェーダ哲学でいうところの、チッタという心の部分に匹敵

するのかもしれない。

つまり、記憶を司っている心の領域であり、その記憶から

さわしい行動が何かを判断して、顕在意識に知らしめる働き

をもつ

 

②   ”顕在意識の記憶の1100万倍もある潜在意識の記憶の中で、

どれがその人に苦悩を及ぼしてるのか把握するのは、不可能な

ことです。”

その潜在意識の記憶メモリー量は莫大で、今、私たちが意識

できる現在の意識の、1100万倍あるというのだが、見当が

つかない。

その記憶の中から、現在に起こっている事象と関係のある、

記憶をどのようにして見つけすのか? 

あるいは、見つけ出して、どのようにして、クリーン、つまり、

浄化するのか?


その答えが、博士の提唱する、4つの言葉であり、(ありがとう、

ごめんなさい、赦してださい、愛しています。)だ。

その中で、特に、’赦してください’ という言葉は、口にする

ことは、やや、抵抗があるものだが、その意味と、効用は以下

のように説明されている。

 ③   ”‘赦してください’という言葉は、自分の中のウニヒピリ

に語り掛けるのです。”(167)

 

これは、すべての現実に現れている事象の原因は、自分にある

という考え方、自分の過去の為とその記憶が原因であると

いう考え方が、基礎にある。


だから、ウニヒピリに、’赦してください’ということで、今と

なっては、”記憶のない記憶の自己の行為”、”それによって、

無意識にせよ、意識的にせよ、他者を傷つけた事実”を、素直

に謝罪するということになる。

こうして、’潜在意識の倉庫の主’である、ウニヒピリに、今の

現象の原因を、探してもらい、見つかったら、”赦してほしい”

という言葉を託すのだ。

では、そうする行為によって、何が変わるのか? 

以下に続く。

 

④   ”自分にできるはずがないという自信のなさ、どうせ、

ダメだというあきらめ、そうした根拠のない感情を、生み

出す記憶に翻弄され、人生の迷路にはまっている人は

大勢います。

’ああしたい’とか’こうしたい’という欲望のあるうちは

ゼロの状態に至っていないということ、だから、クリー

ニングしてください” (172)

 

’無意識の限定’、’自分の力の限界設定’、’可能性の否定など、

いろいろな言い方ができるのだが、簡単に言えば、

”自分には、理である“とか、”また、失敗するだろう”という

認識は、そもそも、過去の実績からくる記憶が自分の無限の

可能性に対して蓋をしてしまっているせいだと、ヒューレン

博士は言う。

そこでそうした感情にクリーニングする。

つまり、潜在意識のその(無理無理)という感情の基になって

いる”記憶”を除去する必要があると、博士は言う。 

そうしていくうちに、ウニヒビリとクリーニングをして、

記憶が排除されて心がゼロに近づいていく。

ゼロに近づいていけばいくほど、本当に必要なことや願いは、

自然と周りが動くような形で、自分のもとにやってくるよう

になる。

 

では、最後に、心がゼロとは?

⑥   ”心がゼロの状態というのがどんなものか、想像してみて

ください。ゼロとは、時間のない世界です。

人生を仕切る境界線などはなく、空間は無限大に広がっています。

物質やお金の概念もありません。

ゼロの状態というのは仏教でいうところの無我の境地、

完全な自由の世界なのです。”(175)

 

これは、”無執着の境地”と同じようだ。 

すべて自分が必要なものは、意図しなくても、与えら

れているという”無限の供給の宇宙意思”に自分が、委ねられる

ようになった時の、心の状態だ。

欲せずとも必要な人やモノが集まってくる状態でもある。

 

時間や物質がない空間、これは無の境地というより、空(くう)

の境地ともいえるかと私は思う。

本当にないのではなくて、すべて、過去未来現在が 生み出

される点であり、物質が無いのではなく、すべて必要な物質が、

供給される原点(最大のエネルギーの最小公約数)という意味

で、そう思う。

 

こうして、過去に溜められた、忘れた”記憶”をウニヒピリが

掘り起こし、今の自分の表面意識で唱える、感謝と愛と赦しの

言葉が、そのクリーニング(除去)化を行い、最終的には、

ゼロの地点に到達する。

それがホ・オポノポノの最終ゴールであるとしたら、それは、

人としての生を受けた以上、ぜひ、到達したい、最終ゴール

ような気がする。

 

 

***********************

 

 

 


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