自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

難治喘息(3)”アートマエネルギー体感”

2015年01月31日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

血痰となり、体よ、激しくてもよい、出し尽くして浄化の道へ!  2015・1・31

******************************

 

2010年6月にSさんは初めて

アートマセラピーを受けた。

そして先回にもあるように、

理論の勉強も始めて魂が毎回

喜ぶのを自覚していた。

真理(病と心の関係:人間の本質:

本来の生体が持っている力の話)が

ストンと心にはいっていったという。

 

こうして、表層意識から潜在意識

にまで 真理が浸透していくにつれ

自然治癒力が活性化され、体内の

毒素やゆがみ、凝りの原因になって

いるつまりなどを 自らほどこう

とする自然治癒の力がよみがえって

きた。同時に、”反応” と呼ばれる

浄化作用が強く現れてくる。

それが激しいさまざまな 症状と

なって 一見、Sさんの状態が

悪化したように回りの眼には

映ったに違いない。

 

しかし、心の軸をきちんと固定しよう

と平静心を持つ闘いをしながら、

Sさんは”浄化反応”を

果敢に受け止めていった。

多少の疑いがあっても、必ず、

良くなる前触れと自ら言い聞かせ、

反応の出る、苦しい時期を乗り越えて

いった。

今日の手記はそこから始まる:

 

”最初の一番強い症状は 痰 

でした。8年の間に味わった過酷な

喘息経験でもなかったほど、想像を

絶する大量な痰が出始めたのです。

昼夜片時も休む間もなく、睡眠さえ

とれず、排出しなければ、あっと

いう間に肺の中が痰で埋め尽く

されて、呼吸ができなくなる

という状態になりました。

 

それは正直、本当に大変でした。

浄化の始まりであることは覚悟

していたので、いよいよ始まった!

という感を強くして、出し切ろう

という想いを強くしました。

私の中の、’本当の生命力’が動き

始めたとも感じました。

この排出作業は、一週間以上

続きました。

 

 

 

その間、数日は多量の血痰や 

ドロっとした膿のような痰も

出ました。

その時、痰を排出する際、

すごく強い力がかかるので、

肋骨が左右二本折れました。

タンの排出作業のたびに、

’ポキッポキッ’という骨が

ずれる音がするのです。

そして、悲鳴を上げるほどの

痛みをあげます。

同時に、その痛みで 痰を

だそうとしても力が入らず、

痰がうまく出せずに、窒息

寸前の苦しさで

’もう駄目、耐えられない・・

駄目だ・・’と心がくじけそう

に何度もなりました。

でも ’出すんだ’という声も

聞こえてきたのです。

 

以前の私は、大量のステロイド

を服用し続けていて(毎日8錠)、

点滴では数百本のステロイド

が体に入っていました。

さらに、それまで、症状を

薬で止めていたときのことを

考えると、浄化はそれほど

苦しいのも当然、相当な量に

なるだろうと想像できました。

 

 

 

排出し続けるんだ、ここで折れて

また薬に頼ることはしたくない、

前のようには絶対戻りたくない、

だから、今、出し切るんだ~と

決心をさらに強くして、頑張り

ました。

 

不思議と心の奥底では ”大丈夫、

絶対に大丈夫、乗り切れる”という

静かな自信のある声がしていました。

その時痰の排出で使ったティッシュの

量は 一晩で4.5リットル入りの

ゴミ袋2袋でした。

 

こうした発作的な痰の排出は、

この時を境にそれからたびたび

起こり始めました。

毎日 フツウに出す痰の量も、

発作以外に、増えていきました。

 

12月に入ると、自覚症状は頭

に移りました。

朝、子供たちを学校へ送りだあと、

少し、前兆がありました。

本来、右側に見えている右手が、

左の眼で見る視界に奇妙な感じで

捉えられました。 

今までと違った違和感で驚き、

戸惑いも感じました。

するとその時です。 

突然、確かに、後頭部の下方にプチッ

とした感覚を覚え鋭い痛みが走った

のです。 

ぞの瞬間、歩こうと思っても

上手に歩けなくなり洗面所の仕切りに

躓き、膝の皮が深くえぐれるほど

の怪我をして倒れました。

起き上がることもできません

でした。”

 

この時 幸いにご主人が仕事

オフでいらした。妻の異変に

驚かれた。

そして筆者の元に電話をかけて

こられたのであった。

 

 

 

”声もまともに出せなくなって

いた私の異変に、仕事が休みだった

主人が気づいて駆け寄ってきました。

その時、私の視界も異常でした。

周囲や自分の体の一部が見えなく

なってました。

主人は、私の膝の傷口から

血液が流れいるのを見て

とても慌てているのですが

そばに居るはずの主人の姿が

視界に入らないのです。

 

私の口は呂律が回らなくなっていました。 

主人の問いかけにも返答もできず、

体の半分がマヒしているのに気付いて、

パニックになっていきました。

主人はとても心配している様子で

”救急車を呼ぼう!と何度も問いかけて

きましたが、私はずっと首を横に振って 

’病院はいやだ’と訴え続けました。

行けばまた薬で抑えられる! 

自己治癒力浄化作用がこれで

抑えられてしまう!

 

主人は思い余って、須田先生に

電話していました。

その声を聴いているうちに、

私の心は落ち着いて、症状が

和らいで、身体が動かせるよう

になってきました。

先生は’すぐにセラピーに来ても

良いですよ’と言われたので、

主人は私を車に乗せ、そのまま、

御自宅へ伺いました。”

 

後記)2021年2月5日手記

こうしてSさんはそんなに

具合が悪いとはつゆ知れない

私自身の元に、かなり常識

では考えられない状態のまま、

御主人の車で連れてこ

られたのでした。

これが彼女の運命の分かれ道に

なったのだと今にして思います。

もしかしたら命を失っていても

おかしくない状態だったのかも

しれない。

 

そして私は過失致死か何かで

訴えられていても仕方がないリスク

高い状況だったのだと今になって

回想しています。

この何が何でも、自分の自然治癒力

で治して見せる、もう、薬漬けに

なって何度も同じところを行ったり

来たりしたくない~というSさんの

真摯な想いは天に通じて、アートマ

セラピーを必死になって施術しました。

私も彼女の守護神から、その力を

与えられていたのだと思うぐらい、

彼女は快気していきました

今では朝5時から夜11時まで働く

元気な彼女がいます。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

難治喘息(2)”壮絶な浄化と受容”

2015年01月28日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

浄化浄化 血痰となり、体よ、激しくてもよい、出し尽くせ の覚悟    2015・1・28

***********************************

先回から引き続き、Sさんの手記をご紹介しています。

  

 

そうした鬱状態のとき、私は、スピリチュアル

な本に少しずつひかれて読んでいました。

たとえば、仏陀の話、ひふみ神示、そして好きな

歌は”愛は勝つ”、この歌詞を口ずさんで自分を

勇気づけていました。

 

同時に、これ以上の治療法はないと信じていた

喘息治療をもう2年間続けていました。

半日待つこともあるほどの、盛況な病院の

アレルギー科でした。

そこへ週に ほぼ毎日通う状況でした。

 

 

そんなとき、自然治癒力セラピーの話を

先輩に伺い、アートマセラピーに興味を持ち、

実際、施術を受けてみることができました。

施術中(先生の)話しを聴いているうちに、

’本当の意味で治すにはこれしかない’と

いう確信が心から湧いてきました。”

(以上Sさん手記)

 

Sさんの施術と並行してお話ししたこと、

それは、

”今現在の体の不調は いろいろな要因

があるでしょう。

でも、あなたの心の想念の積み上げた

業(ごう)から来ているとしたら?

あなたの体も心もその奥にアートマ体

があり、それは神様のお心そのままを

映し出している生命力と完全性を持って

います。

そのところにあなたの現在の意識が

気が付けば、今の病気を造っている

因縁を超越してしまうことも可能です。”

というような内容だったと記憶している。

 

手記にもあるように、Sさんは

すでにスピリチュアルな本を手にし、

人間の本質は何か? 自分の本質は? 

この難病との関係性など日ごろから

考えていたのだろう。

自然治癒力は薬を飲めばそれだけ

弱まること。

体は薬に頼ることを覚えてしまうこと。

などもお話ししていくうちに、

もっと体系的に学びたいという

気持ちがSさんにでてきたようだ。

 

そこで、施術による身体への浄化

とともに、言霊の真理の波動で心の

奥底のアートマを呼び覚ますための 

お勉強会を提案したのもこのころだ。

ヴェーダンタのアートマ理論

般若心経に凝縮される ”ギャーン

(真理に至る智慧)” について、

心行くまで話し合った。

砂漠に水が吸い込む様に、ギャーン

[智慧]の本髄を心の底から納得

しながら、毎回の勉強会は熱の

こもったそして楽しい時間になった。

 

当時をSさんは振り返る。

”セラピー施術と並行して、その論理

やアートマの哲学などの勉強も

することになりました。

 体と心、この二つから、喘息に

向き合うことになりました。

セラピーのあと、2時間前後、

インド太古の聖典 ’ヴェーダ’や’般若心経’

時には’聖書’からキリストさまの言葉

などを学び、どのお話しも心の

奥にスーッと吸収されるようでした。

 

毎回不思議と、’このことを私は

知りたかった’と疑問に思っていた

ことの答えがお話しの中に出てきて、

楽しく、あっという間の時間でした。

言霊の大切さも学び、知り、納得

したので、自分にとって、一番身近

だった神道の神棚も作り、毎朝 

祝詞を唱え始めたのもこのころです。”

(以上Sさん手記)

 

Sさんは以前から時々、三大御不動様

で有名な大山に登り、神社に参拝して、

ご神水を取ってこられることが何より

の楽しみということをお聞きしていた。

そこで、神棚を造って、神道の言霊

(祝詞)を挙げられることをお勧めした。

ほどなく、奈良県の大神神社

(おおみわじんじゃ)、秀真伝え

の守り神でもあるいにしえの所縁

(ゆかり)ある神社にご家族で

行かれ、お札をいただきお祀りされた

と聞いた。

セラピー開始三か月ほどのことだ。

発作時を案じて吸入器は車に積んで

行ったものの”発作が出て病院に

行けなければ死んでしまう・・”という 

これまで遠出ができなかった懸念

を払拭(ふっしょく)して、奈良県へ、

数日かけての旅もできるような体に

変化していた。

 

私がずっと感じてきた、’すべては愛’ 

’自分の本質は愛、それが小我と

区別されるもの’という漠然とした

信念が、アートマセラピーを受け、

協会で教えていただいた’アートマ’

という意味で もっと明確にする

ことができました。

アートマ とは神性、無限の愛、

完全なる姿、生命、光・・・

そして すべての本質がそれで

あるという真理。

’それは絶対にぶれない、自分の軸

であり、中心にある’ということを

心から感じ、信じる事ができました。

 

自分の内側から流れる絶対に消える

ことのない 愛の力(エネルギー)

によって、きっと、自分を完全に

癒すことができる!すべては愛の力

で変えられる!

という想いが、確信に近いものに

なってきました。

 

 

ところが そのころから、体の方は 

突然 思いもよらない、激しいほどの

症状がでてきたのでした”(以上Sさん手記)

 

激しい症状とは、好転反応による、

自然治癒力の開花による浄化作用や

本来の健康に戻るための自然治癒の活動

運動だったりして、熱や咳、下痢や痛み

などで、一見悪化したような症状を 

ここではさしている。

一難さってまた一難、良くなったかと

思うと、また、さらに悪化したような

反応が体に見られることは、回復を

目指して自然治癒を発動している

不調和な体には往々にして見られる

のだが、90%の人たちはここで、

尻ごみをして再び、西洋医学の

手助けを得ることになる。

 

Sさんはこの試練も試練と思わず

乗り越えた。それほど、自らに

備わっているアートマ体、生命の

完全性に全託する気持ちが強かった

からだ。

そのために、体は安心してこれまで

のねじれやつまり、順気の封鎖

された道を開くために様々な症状

となって、Sさんの体に悪化した

ような状況を見せながら、しかし、

信じたとおりSさんの生命力は

全開し本来の完全な体の具現化に

向かって行ったのである。

 

 

 

 

続く~

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

難治喘息(1)”"思考や願望も波動で生きている”

2015年01月25日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

アートマセラピーに出会う前の鬱状態   2015・1・25

******************************

 

自分の内在する力の本当の自覚がないと、

アートマセラピーで状況が改善されても、

長期的には、また、もとに戻る可能性がある。

中には、主治医が検査結果に”想定外に

完治している”と認めたにもかかわらず、

微熱が出たことへの恐怖心が嵩じて再び、

検査入院、そして結局、些細な症状が

気になり、西洋医学で治すことに専念。

結局、命は、帰ってこない方がいらした。

 

難治ぜんそくと診断され”あなた死にますよ”

とまで言われながら、施術を希望してきた

Sさん。

こうした前例をふまえて、理論も勉強する

ようお勧めした。

”アートマ”とは何か?~を、理解しようと

してほぼ3年間、セラピーと並行して

文字通り身も心も 死にもの狂いで

Sさんは、自分自身に向き合った

 

理論に関しては、”身は心の顕れ”、

”今置かれている環境も、自分に

接するすべての人の言動も、

すべて自分の心の反映”、つまり、

”唯心所現”、ということの理解から

始まった。

 

想念が肉体の細胞を変える、

人間の本質は愛、大我、別名アートマ。

アートマという言葉はサンスクリット

語であり、一元論哲学のヴェーダ思想

から来ている。

Sさんはヴェーダ哲学も学んだ。

その知識は智慧としてドンドン吸収され、

ご自分の死を予告された難治喘息が薄紙を

はがすようにアートマセラピーで改善

されていく体験と並行していった。

 

”心身の関係、自己は神性であるから

私は必ず、健康になる!”という強い

意思とともに、彼女は死の淵を

歩きながら、自分の信念を貫く自信

を持つことができた。

その強い信念は、現象の身体に投影

されて、3年後の現在、ほとんど

難治喘息は完治したのだ。

 

アートマセラピー理論は 紙面に、

箇条書きにして書き表せば簡単な

ことだ。

でも、実行するのには 難しい。 

大袈裟ではなく まさに”地獄の

ような苦しみ”さえ時には通り

抜ければならないときがあるものだ

・・・~ということも含めて 

Sさんは手記を再び今回投稿して

くれた。

 

その理由はただ一つ・・・多くの

方達はプライバシーとして秘めて

いたい苦くてさまざまな赤裸々な

体験でも、共感して少しでも勇気

づけられる人がいれば幸せだから

という理由からだった。

 

 

黄金のような部屋:実際は暗い木造建築の部屋・

アートマの象徴のようだ。心は暗くても、実は

黄金色に光っているのが私たちの心だ、身体だ。

 

思考や願望も波動で生きていると

言います。波動が同じ波動を呼ぶとも。

そういうことを私は身を持って知る

ことができた2010年から現在にいたる

簡単な道のりを皆様にお話ししたいと

思います。

 

私は重度の喘息患者で、長年、病院

で治療を受けてきました。

その頃は、病院の知名度や医師の肩書、

薬の効用などに気をとられていました。

名医と聞けばどこにでも行き、あち

こちの先生を転々としていました。

でも、癒されるどころか、薬の

副作用も重なり、精神的苦しみ、

金銭面での心配も増すばかり・・・

それでも、次から次へと、少し

でも良いといわれる健康法や治療法

に頼ることしか考え付きませんでした。

 

早く治したいと思えば思うほど、

何が本当に良いのか、不安や迷いが

つきまとい、薬や医師に頼れば頼る

ほど、”もし、必要な時に頼れなかった

ら?”とか”必要な時になかったら?”

とか、不安が増していきました。

 

その時は私は大変なことになる・・

きっと死んでしまうだろうという

不安感でした。

’こんなに頼っているのに、どうして、

何も効果があがらないの?’と想い通り

にならない日々に、いらだつときも

ありました。

 

ましてや その治療法が人気のある

先生で、患者がたくさんいてなかなか

自分の場に回って来ないで、長時間

待たされたり、予約がとれなかったり

の状況が続いていました。

すると、’我先に’と人を押しのけて

でもかまわないという周囲の態度を

見たり聞いたりするにつけ、’芯から

癒されている’という実感には程遠く、

その治療法に どこか、自信を持つ

こともないまま、時が過ぎていき

ました。

 

その時の私は 簡単に’病は気から’

という言葉を知っていても、

”想念で病が癒える”とか、”病状が

変わる”などということは

考えてもいませんでした。

 

そのうち、私は 鬱状態のように、

先ほど述べたような不安感や葛藤と

向き合うようになっていました”

(以上Sさん手記)

 

続く

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

致命的病気・死について

2015年01月22日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 余命宣告を受けたプロサーファーの肯定的変換       2015・1・22

*************************************************

医学博士長堀優(ゆたか)氏の言葉はとても胸に響く。

今日は、氏の著書から”癌の現場”を”どのように

見つめるか” という点をご紹介させて

いただきたい。

著書(*1)の第六章は”がんの医療を考える”

というタイトルだ。

そこからのご紹介から始めたい:

”世界的プロサーファーである飯島夏樹氏は

日本で唯一8年間ワールドカップに出場し

世界戦や国内大会で多くの優勝、

入賞経験を重ねました”

と出だしにある。

 

その飯島氏は2002年5月に肝臓がんの

宣告を受ける。その時

”飯島氏はそれまでの華麗な経歴との

あまりの落差からとことん打ちのめされ、

重度の鬱病とパニック障害に陥りました。

しかし、家族や友人の支えでなんとか

乗り越え、その後の二度の大手術

耐え抜きますが、癌はどんどん悪化”

 

ついに、2004年5月余命宣告を受けるのだ。

このとき、’自分は生かされている’と

体感した飯島氏”はその後、プロサーファー

としてより、執筆活動に 生きがいを

見出すようになった。

 

”自分の天職はアスリートではなく、

ものを書くこと”と語り、書きながら

いかに、致命的な病気と折り合うか、

どのように人生を充実させるか”いう

命題にたちむかっていったという。

 

そうして書かれた、飯島氏の著作 

癌に生かされて”にはその様子が

十分に描かれている。

”生きるのに時があり、死ぬのに

時がある。”

”どの人も怒りの人になっている。。

怒りの人の行きつく先には希望はない。

”最終的にたどり着くべきなのは

受け入れること。”と語り、その心境は

周りの人にも影響を与える。

 

”心の問題は,こんなに人の命を左右

するものなのかしら”(奥様の言葉から)

”医者があれこれいじくったところで

うまくいかないこともある。”

(主治医の言葉から)

 

飯島氏の癌との生活に対する根本

の気持ちが次の言葉に現れている。

”どうしたら素晴らしい、愉快なこと

が楽しめるかを問う代わりに、

今どんな良いことを為し得るか

尋ねよう。

善をおこなう機会さえあれば、

あなたの生活、健康がどうで

あろうと、そんなことはこれまで

よりずっとどうでも良くなるのだ”

 

ここで、飯島氏を自著にとりあげた、

長堀医師は次のように感想を

述べている:

”彼が最後に選んだハワイでの療養生活

はまさに心を元気にする療法です。

日本にいながら、このような医療を

受けられたら、と切に願います。

このような患者さんの思いを支える

ことこそが、求められる医療

在り方ではないでしょうか・・”

 

もう一つの”癌と真摯に向かい合った

”実例を、長堀医師は挙げている。

それは映画やテレビでもドラマ化

されるほど有名な実話を著書に

まとめた井村和清医師の体験だ。

”飛鳥へ、そして、まだ見ぬ子へ”と

タイトルがつけられたこの本を

ご存知の方も多いだろう。

30年以上前に出版された。

 

その内容は テレビやメディアで

取り上げたので、多くの方の

ご記憶にあるかもしれない。

30歳にならないうちに、骨肉種に

侵された井村医師は片足切断を

余儀なくされる。

松葉づえで現場に向かう井村医師、

その後、癌は肺に転移して、

一人娘の飛鳥ちゃんが寂しく

ないようにと 弟妹を残したい

という愛念を持つ。

 

抗癌剤を使用しながらの治療を

受けつつも、新しい生命が妻に

宿り、このわが子の顔を見る

までは死にたくないと強い意思で

癌と立ち向かいつつ,その願いが

かなわないまま、あの世に旅立

ったのだ。

 

当時は癌と闘うという姿を公に

示すこともあまりなかったの

だろう。

癌は不治の病という定説が強く、

世間に同情を求めるような結果

は誰も欲していなかったに

違いない。

たぶん、この井村医師の赤裸々

な自己体験、癌に対しての自ら

の思いと極限までの戦いを

綴った内容はそういう意味で

大きな衝撃であり、感動を

もたらすものであったのだろう。

 

だからこそ、井村医師の体験から、

数十年後に書かれた飯田氏の

癌闘病記’癌に生かされて’

比較して長堀医師は

次のように感慨を述べている:

 

”お二人を受け入れる社会の情勢

が大きく異なります。

井村医師は悩みを真剣に聞き

入れてくれる人もなく、周りの

医師たちも遠巻きに傍観すると

いう感じでしかありません

でした。

奥様の支えはあったでしょうが、

井村医師はほぼ一人で病気に

挑んで行ったと言えます。

一方、飯島氏の場合、主治医、

スタッフの心持ちや、ホスピス

などの設備を含め、闘病生活

を支える周りの環境がソフト面、

ハード面、ともに格段に向上

しています。

 

癌を取り巻く環境が大きく

進化したといえるでしょう。

社会が死を真剣に見つめ始めて

いるとも考えられます。

全ての人が癌にかかるわけでは

ないですが、死は等しくすべて

の人に訪れます。 

ですから死を考えることは、

誰にとっても大切なことなのです。”

としたうえで

”’がん闘病記’も数多くベストセラー

になり、さまざまなメディアの

が社会の考え方に大きく影響を

与えたと言えるでしょう。

医学の世界でも、精神科医 

エリザベス・キュプラー・ロス

博士の著書’死ぬ瞬間’シリーズを

はじめとして、死に向かう

患者さんたちの心の動きが

詳細に分析されるようになり、

ターミナルケアの在り方に

大きな変化が起こってきました”

 

飯田史彦氏や、ムーア博士など、

死後の世界 などの、臨死体験

基にした体験記や報告書が 

医師や大学教授などの医療の

専門家や病理学の有識者から 

その後、研究され発表される

機会があったことも癌に対する

観方への 社会的背景に影響

を与えているだろう。

 

つまり、死ということ、今までの

医学界で難治の病とされてきた

癌と死について語ることが 

忌み嫌う”風潮であった井村医師

の時代から比べればこれからは、

死は逝く人にとっても、

残される人にとっても色々な意味で、

”再出発”であるという、受け入れ方が” 

一般的になっていくのかもしれない。

 

死は誰にでも来る。いつ来るか、

突然くるか、明日来るか?

だからこそ、生きているからこそ、

”生かされている今”を精一杯受け

入れながら最善を尽くす”

積み重ねしかないのだと思う。

 

意識を持って~ 常に死をみつめて~ 

それが生きることの意味の裏返しの

気がする。

癌の余命宣告を受けていなくてもいても

・・・難病に立ち向かっていても

いなくても・・なぜなら、

人は誰も知らない”余命”の間だけ

生きられる~ということだけは 

今、致命的病気を持った人でも

健康な人でも共通した事実

なのだから。

 

 *1~”見えない世界の科学が医療を変えるー

がんの神様有難う”、2013、星雲社 

 

ワハハ体操: 笑いながら 癌闘病の中 

最後の日を受け入れた 在りし日の吉田氏

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

”般若心経とヴェーダ;マーヤー(夢幻)の話 

2015年01月18日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)

いろは歌”の”浅き夢みじ”とは?2015・1・18

*****************************

 1.いろはにほへど ちりぬるを (色は匂へど散りぬるを)

 2.わがよたれぞ つねならむ (我が世誰ぞ常ならむ)

 3.うゐのおくやま けふこえて (有為の奥山今日越えて)

 4.あさきゆめみじ ゑひもせず (浅き夢見じ酔ひもせず)

 

上に書いたイロハにホぺト。誰もが 日本語アイウエオを覚えるのと

同時にイロハ二の言葉口ずさんだことがあるだろう。

これにはしっかりとした意味があることを知ったのは、結構な大人に

なってからだった。

 

いろはにほへとの歌の意味)

1・色(しき)(=物資)は 花のように 咲いて匂い、いつかは散る

2・(それと同じように)この世の中で誰が永遠に変わらないのだろう?

3・在るようにみえてないこの花の咲く山の奥(現象世界)を今日こそ、

越えて(実相~空~の世界に入ったからには)

4・(浅い夢を見ていつかは覚めるように、今心を悩ませ苦しませている

実態が幻想であることを知り)浅い夢などよもや見まい、

その夢に酔うこともない心境にいたる。

 

いろは歌はこうして行間の意味を考えると

1)の行では”諸行無常” 

2)の行では”是生滅法” 

3)の行では、”生滅滅已” 

4)の行では”寂滅為楽”

 

の仏教の教え、ひいては般若心経のエッセンスも秘めているように思える。

空中無色無受想行識 というように、空の中、つまり、現象世界には

物質(色)があるようで無い、想いも行いも識別も 受けるすべての

感覚に映るものは無いのだという 言葉を思い起こさせる。

さらに、

般若心経の”心(しん)無けいげ 無けいげ(心に捕らわれがない)”

から”厭離一切顛倒夢想(あるものをあるとする観方や夢想から

離れることができる)という一節の、”夢想”が、いろはにほへとの

歌の中の(4)の浅い夢という言葉に象徴されているように思う。

 

所詮、いろは歌にあるように、この世は浅い夢を見ているのと同じ。

その夢の中で、多くの人は、一時的に咲く花に酔うように一瞬に過ぎ

去る若さの中で 死(新たな出発)がまだまだ先だとばかり、目の前の

それぞれの幸福を追い求めている 夢想人なのかもしれない。

 

浅い夢にも、苦しみも喜びもあるように感じる。だが、夢は夢、いつかは覚める。

では覚めてみれば何がそこにあるのだろう。

 

本当に存在している”REALITY"、それは、

般若心経では ”空” という 本質、

ヴェーダでは”その空を造る神と同質のエネルギー”

そしてイロハ歌では、”永遠に変わらないもの”と詠われている”それ”しか

そこにはないのだろう。

 

善と悪、喜びと悲しみ、不幸と幸せの二つの相対的価値をもつ

”今生きている、この娑婆世界”でどうしたら”夢”に覚めて、本当に存在

するものを把握することができるのだろうか?

 

聖者は答える(*2):

“その神秘の謎が解ける人はそう多くは居ないでしょう。

善と悪との問題は人生が人間の理性に対して、たえず、スフィンクスのように

問いかけてくる謎です。

殆どの人はこの問題を解決しようともせず、結局はその代償を自分の命で

支払っています。 

これはテーベの昔も今も変わりありません。

しかし中には、一人敢然とこの問題に取り組み、ついに勝利を勝ち取った人も

います。このような人だけが二元性のマーヤから矛盾なき統一の真理を引き出して

いるのです。“

 

二元性のマーヤ(現象世界の価値観)が、健康と善、愛と赦し、抱擁と和合、

理解と調和というような、一元的な世界へと移行するのには、どのような過程が

あるのだろうか?

 

さらに続けて聖者が言う。

“わたしは長年、厳しい内観の行を続けてきました。それは至難な叡智への道です。

自分の心の動きをあくまで冷酷に凝視する厳しい自己観察は心身をそこなうほど

強烈な苦行です。

そしてこれによって、心の底に巣食う 最も頑固な 自我 を粉砕してしまうのです。”

 

自我を粉砕すること~それが聖者の出した、その答えである。一方で次の

ように言葉を続ける。

”しかしこうした真の自己分析は必ず、真理を洞察する覚者を生み出します。

これに反して自我を容認するいわゆる ‘自己表現主義’は神や宇宙に対して

自分勝手な解釈を施して譲らない、自己本位な人間を造ってしまいます。“

 

”徹底的に自我を粉砕して自己分析をしながら 内なる心のひだの裏まで

見据えていく”という行をこの聖者は行ったという。すると、何がわかった

のだろう?

 

”心の動きを深く掘り下げて研究していくと、やがて人間の心の共通性、

つまり誰もが似通った利己的動機に動かされていることがわかってきます。

すなわち、今までの他人がすこしずつ兄弟のように感じられてきます。

こうして、人間はみな同類なのだと気がつくと、

次第に謙譲の心が湧いてきます。”

 

つまり、自分の中に潜む利己的な考えがこの現象世界で夢をみている夢想人

の共通した点であることも理解すれば、むしろ他人に対して、同情(シンパシー)

が生まれるきっかけになるという。

 

”そしてこの気持ちが成熟すると、自己の内にある魂の無限の力を

忘れている無智な同胞たちに対する同情となるのです。“

“物事のうわべしか見ない浅薄な人間は狭い自我の殻の中に閉じこもって、

他人の苦悩に対して感受性を持つことができません。

しかし、鋭く自己を解剖する者は 同情がほかの一切のものに

拡大していくのを経験します。

するとその人は次第に自我の衝動から解放されるようになります。 

聖なる愛はそのような土壌に花を開くのです。“(以上引用)

 

聖なる愛、それは、この聖者の言葉を借りれば、”自己のうちにある魂の

無限の力を忘れている無知な同胞たちに対する同情”となり、

互いにその無限の力を共有することに悦びを感じる愛ということに

なるのだろう。

いろは歌や般若心経の中で繰り返し述べている、メッセージ。

それは、バンニャー(般若)の智慧

(二つの対照的な価値観を容認する世界を打破するための真の智慧)

を知り、浅い夢に酔いしれ、奥山をさまようさすらい人になる前、

しっかりと本当の自分の真実を見て”目を覚ましなさ”いということ。

 

本来、私たちには病気はない。不幸はない。

それがあるように思うのは、”健康”とか”幸せ”といういう ”夢”の”裏腹”

に過ぎない。

ヴェーダ哲学から、般若心経から、いろは歌から、共通して流れ出して

いるものがある。

それは、本当のところ、夢幻ではなく無限の力に満ちている私たちの

本来の実相にたちかえるようにという宇宙の声がこだまのような気がする。

 

聖者のいう、”聖なる愛” の木霊でもあるのかもしれない。

 

*1~カーリーはシヴァ神の妻として横たわるシヴァの上に起立し生首を

以て舌を伸ばしているおどろおどろしい姿として描かれる。

*2~”あるヨギの自叙伝” から。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする