ガンジス川でのチャチャの弔いに 魂となって駆けつけた
チュチュ・・・・
平成25年4月15日
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1昨日、インドより帰国しました。
今回の旅の大半は、デリーから離れて、ガンジス川のほとり、
携帯電話が繋がらない場所にいました。
もちろん、日本に残してきた、家族に何か緊急事態があった
ときは~と緊急連絡がつくような段取りはしておきました
が、今回の チュチュの死が届いても、私の耳にまでは
知らせる必要ないと、その緊急連絡を受けたとき、知人は
考えたようでした。
いわゆる修行中だったからです。
私的なお話しで恐縮です。
愛犬というより 親友だった、チュチュの死の経過を、
チュチュを愛してくださった方達に、ご報告させて
いただきます。
①一日目)日本時間、3月30日 インド時間午後11時夜半
それは、5日間の独行に入った、その夜に起こりました。
いきなり、頭に、これまでにないほどの、激痛が走りました。
思わず、体を横たえましたが、毛細血管が切れたかと想像する
ほど、起きれないほどの頭痛と気分の悪さ、それが、めまい
とともに、突然やってきました。
日本に残していたチュチュはその日から、くしくも、私と同様、
異変が起きました。
私が猛烈な頭痛を感じていた時刻(日本時間午後8時)は
チュチュの夕飯時ですが、食事をその日以来とらなくなった~
と後日、面倒をみていた夫から聞きました。
私も同様で、それから、数日間、水以外は一切 体が
受け付けなくなりました。
お茶を飲んでも、吐きました。
チュチュも同様、日本の自宅で それ以来、空っぽの胃から
内臓液を吐き続けていました。
②二日目) 3月31日、インド時間午前3時45分・日本時間午前7時15分
朝行をするにあたり、身支度を整えようと夜明け前に起床。
ところが、体を起こしたものの、吐き気と頭痛は続き、
顔を洗うために洗面台に向かうと右目は、白目の2か所と、
まぶたの裏あたりからの血管が切れ、黒目以外が異常に、
充血していました。
結局、その朝の行(ぎょう)は無理と思い、再び、体を
横たえていました
それは日本時間の朝6時、チュチュは、同時間に、朝の散歩
で玄関を出たものの、階段を降りれないほど 衰弱している
様子に、夫は戸惑っていました。
チュチュの昨日から尋常でない様子に不安を感じた夫は、、
インドの私に 国際電話をかけて、コンタクトを試みました。
しかし、私の携帯が通じなかったので、自らの判断で、
チュチュを病院へ連れて行きました。
精密検査やレントゲンをとっても、これといって、異常もなく、
処置もできないまま、医師が、
”翌日まで様子をみましょう” ということで 家に連れて
帰ったそうです。
私も、インドで一日中、起きたり、寝たりで瞑想どころではなく、
こんな、状態が続くなら、明日4月1日は、行から脱落して、
とりあえず、デリーに戻ろうと、ひそかに考えていました。
③三日目、4月1日、インド時間午前3時45分・日本時間午前7時15分、
朝3時45分に目覚めたものの、体を起こしているだけで辛く、再び、
ゴマ行[護摩)が朝5時から始まるまでの間、45分間ほど、体を横たえて
しまいました。
その間、一生忘れることがないほど、不思議な夢を観ました。
ある部屋の、その入り口に独りの女の人がたっています。
中に入ると、愛らしい9歳ぐらいの女の子が私のところにきて
’もう、あの人と一緒に行ってもよい?’と聞くのです。
’ダメ、まだ駄目’と私。
’あの人’とは、扉のそばで見かけた女の人のことでした。
そのとき、私の目の前に、堂々とした体格の黄色と黒の
コントラストがとても美しい、たくましい虎が飛び
かかってきました。
私は床の上に倒れると、虎の顔はすぐ私の顔の上まで
来ていました。
恐怖が走りました。
そこで ”いいわよ。”とその女の子に応えるほかないと
直観し、やっとそう、声に出すと、虎も女の子も消えて
いました。
今思えば、チュチュが”もうあの世に行ってもいい?”と
少女に姿を変えて、私に問いかけてきたような夢でした。
そして、その虎はインド的にみれば、女神ドゥルガ
(シヴァ神の妻の化身)の乗り物でもあったのです。
夢の後半、私が、小さなガネーシャ(シヴァ神の息子)の
赤ちゃん姿(顔が像)を抱いているという夢も続いて、見た
のですが、きっと、チュチュが私の元から天に帰り、新しい
人生の展開がまた始まるという予告だったような気がします。
その夢の最後は トンネルのシーンでした。
夢を演じた役者たち(少女や、数人の姿が見えた)が
芝居を終え、手を振ってトンネルの向こうに消えて
いきました。
はっと、その夢から、現実に戻ると、体調が少し良く
なってました。
あまりにもはっきりした夢だったので、その余韻にぼーっと
しながら、身支度を整え、予定通り、護摩行に行きました。
そして、その行が終わった
④4月1日インド時間午前6時、日本時間午前9時半、
チュチュが 夢の中で予告したように、心臓麻痺を
起こしました。
日本時間午前9時半に心臓発作。
昨日の、一晩様子を見よう~といわれた医師がいる、病院へ
夫が、再びチュチュを連れて、向かうタクシーの中での
出来事でした。
病院へ到着するや否や、そのまま、チュチュに、
心臓マッサージが施されましたが、すでに、意識はなく、
⑤午前10時半、死亡確認されました。
インドに居る私の頭痛は、それを機に、少しずつとれて
いきました。
⑥ 同日4月1日、午後の行は、予定通り、行うことが
できました。
体も楽になり、集中できるようになったからです。
何もチュチュの死は知らされていませんでした。
その日の夕方、旅行カバンから、あるものを私は、
取り出しました。
それは、日本から持ってきた、半年前に亡くなったチュチュ
の兄弟のチャチャの骨でした。
目の前の小さな、応急に創られた祭壇に、骨の入った
入れ物を置きました。
⑦四日目 4月2日 早朝
この朝の、護摩行には、身に着けているサリーの下に隠して、
チャチャの骨の入った小さなキーホルダーを持って
いきました。
護摩行は毎朝、5時に、小さな囲炉裏の周りで行われます。
その祈祷箇所がいくつもあり、50名近い人たちが5名ずつ、
それぞれの囲炉裏(いろり)を囲んでいます。
中では、薪がバチバチ炎を上げています。
そこに香木の破片を、かけながら、祈祷をするのです。
護摩行は、本来、私たちの清浄(六根清浄)のためのもの。
その業(ぎょう)が行われている間、私は 右手の中に、
チャチャ(日本で心臓麻痺を起こしたチュチュの兄弟)
の骨壺を握りしめていました。
”~・・・スワハ” と 真言(マントラ)の最後の句を
唱えるごとに、数回、香木のコナを燃え盛る薪(たきぎ)に
振りかけながら、チャチャの冥福を祈りました。
それは、日本時間午前9時過ぎ頃にあたります。
その時点では、チュチュもすでに日本で荼毘に付されて、
骨になっていました。
チュチュの弟、チャチャの遺骨を、ヒマラヤの麓に
持ってきて、ガンジス川で供養したいと、日本にいるとき
から考えていました。
ついに、それが叶ったのでした。
数日後、私は去年11月に亡くなったチャチャの骨を、
人を荼毘にふすのと 同様な形式で、ガンジス河に、
流すことができました。
そのころ、魂と化したチュチュは、それを知っていた
のではないでしょうか?
私がインドに行くその朝、なんとも言えない表情で私を
見つめて送った顔が思い出されます。
自分たち(彼らはヒマラヤ・チベットの原種で、
ラサ・アプソー犬)の故郷、ヒマラヤの麓のガンジス川で
行われる、チャチャの葬儀に一緒に、魂として参加するため、
心臓麻痺という形で自分の肉体を脱ぎ捨てたチュチュの
意思が感じられました。
魂となってガンジス川に居た私のもとに、文字通り
飛ぶように、かけつけたかのようでした。
そう思えるほど、偶然とは考えられない~と無神論者の夫が
以下のようなことを チュチュの死を聞いた私が、かけた
電話口で、語ったほどです。
”(半年前に亡くなった)チャチャと一緒に、ヒマラヤから
流れるその聖なる河の中で、チュチュの魂は、恭代(筆者)に
葬られつつ、静かな安寧を得たかったのだろう”、
そして
”それ以外に今回の急激な展開は考えられない” と
付け加えました。
思い出すと、夫と初めてチュチュ死後に話した電話の、
開口一番の言葉は、次の質問でした。
”チュチュが亡くなったけど・・もしかしたら、インドに
チャチャの骨を持って行った?”
”その通り” と私が答えると、夫は納得したように
言いました:
”チャチャの骨がガンジス河に流されるのを知っていて、
自分の故郷(ヒマラヤ)に、チャチャの霊とともに
戻りたかったのだろう”
さて、そうとも知らずに、チャチャの個人的葬儀を終えた
私に、チュチュの死(4月1日)の情報が与えられたのは
独行が終わった4月5日でした。
ショックで、声を出して泣く私に、その知らせを伝えた
インド人の知人は戸惑っていました。
そして、私は、泣きながら、あの夢を思い出していました。
あの女の子はチュチュの魂、そして、そのあとに、
ガネーシャが出てきて、新しい展開が開かれる暗示を受けた
こと。
この地の滞在はすでに残すところ一日となりました。
そして、その予言は、事実のようでした。
デリーに戻る前日、不思議な老人と会いました。
その地で10年間、修行を続けている知人が、その
老人との邂逅を驚きました。
なぜなら、その老人こそ、アシュラム(修行所)で知らない
人がいないというリシ(聖なる修行者で悟りを開いている人)
だったからでした。
朝、アシュラムで 知人と歩いているとき、その老齢のリシと
すれ違ったのです。
そして、リシは、私の眼を覗き込むように、あるメッセージ
伝え、同日、午後、再び、リシは私の目の前に姿を現したの
でした。
それは、ガンジス河のほとりでした。
再び遭遇すると、 その日の夕方、とあるところに
来るよう、私に、指示しました。
リシとの、3度目の会見は、こうして、指定された場所で、
行われました。
今までの温和なお顔つきと違い、射抜くような鋭い
眼光の光を放ちながら、別人のような風格で 1時間ほど、
人間の心と、アートマ、神の仕組んだ、この世のリラ
(夢想劇)などについて、お話しをされました。
夫には、チュチュの死に関する夢の話をしていません。
しかし、アシュラムから、デリーに戻って、改めて、夫と
国際電話で話したとき、彼は、偶然にも、こんな事を
言いました。
”これからは、我々の、次元の変わった展望へ移行する
という象徴的出来事として、チュチュの死をとらえたい”
大げさに聞こえるような言葉でしょうか?
でも、チュチュの悲しみの報告をインドの知人から受けた
翌日、聖人リシと会ったことが 夫のその言葉の証のような
気がする私でした。
夢で予告してくれたチュチュ ガンジス河で骨を流せたチャチャ