自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

吐くだけ吐いて! 好転する兆しだから…(愛犬のセラピー)

2016年09月10日 | ペットロスの癒し

 


鳩、猫、犬たちへのアートマセラピーのお話

**************************** 2016・9・10

インド時代、最初のクライアントは、野生の鳩だった。 

小鳩でまだ飛べず、首の骨が奇形で前を見ず、

常に180°近い後ろをみていたから、餌はついばめず、

歩くときも前に進めず、くるくる回ってしまう

ばかりだった。 


ひと月のセラピーで 飛んで行った。

野良ネコの娘も いた。

私の家の中で生まれ、母離れするころ、去勢(メス)

手術をさせた。


ところが、手術した部位が膿んで、膿が出て、食欲

はなく、数週間後には、がりがりに痩せ衰えてヨロヨロ

と歩くのがやっとだった。


膿んだ箇所からは、絶えず、膿が出ていたせいか、

異臭をただよわし、 兄弟猫すら彼女が近づくと 

文字通り、逆毛をたてて 少し離れた

場所へ移動して避ける始末だった。


確かに、その、膿の臭さが死臭のようだった。


私は、言霊を唱えながら、手をあて、気を流し、食事も
とらず、金魚鉢の水だけしか飲めない彼女に、必死に、
セラピーを、時には涙ながらに、施す毎日が続いた。

ついに一月後、彼女は 目に見えて回復のペースが
速くなり、腹の膿が止まった。

向けてただれていた箇所には、新しい皮膚が出てきて、
ついに、屋外に出ることができた。

隣の家の屋根は、自分の母親(野良猫)のテリトリー
であったが、母親を追い払うがごとく、元気に追いかけまわ
している彼女を見て、心から安堵した。


次のクライアントは 最愛のヒマラヤ生まれの、

愛犬チャチャだった。

インド生まれで、インド育ち、そして、私が母親の

介護のため、インドを引き払い、帰国した折、一緒に

連れてきたのだ。 


外でしか尿をしない犬に私が躾けてしまったので、

家で尿を我慢しているうちに、膀胱が肥大し、ヘルニア

になってしまい、町医者の誤診も禍して、尿毒症に

なってしまったのは、彼が7歳のときだった。


川崎市の最新式設備のそろった病院の集中室に入ることに

なった。

集中室で、私は、医師の許可をとり、酸素マスクをしている
彼に、寄り添い、4時間、施術した。

医師が驚いた。

その後の検査結果が、山を通り抜けて死の危険からひとまず、
抜けたことへの驚きだった。

退院になった。

その後のことは、このブログに詳しく書いてあるので、
ご覧いただけたら幸いだ。

集中室で、医師から”数時間の命だろう”と宣告を受けた
彼が、自宅で1週間以上、生き延び、歩き、食べ、最後
まで意識をもって、私の膝の上で 私を見つめながら、
天命を全うした

 

彼らのセラピーを通して学んだこと;

結論からいえば、薬に頼ることなしに、人間と同様、

気を整え、順気を盛んに体内に回すことで、本来の

生命力を刺激し、自らの力で回復をはかることが

可能だということ。


たとえば、最初の鳩の場合****

一週間、私は必要以外の外出は控え、そばにいて、

ひえや粟など、割りばしの先を水平に削って、親の嘴

のようにして、その小鳩の口に入れ、体力をつけさせた。


同時に、手当(セラピー)は一日、数時間に及び、根気よく、

続けた。


その効果は、一進一退で、もう駄目かもしれないとあきらめ

かけたことも 何度かあった。


が、結果的には、はじめに書いたように、ベランダから飛んで
去って行った。

この鳩の体験のおかげで、一つのことを学んだ。

それは、良くなる前兆には必ず”悪くなった”と見える症状が
あらわれることだった。 

たとえれば、夜明け前に、一番、外が暗く感じるように、

それを通り越すと、飛躍的に、回復するということだった。

が、それを超えるためには、忍耐と信念が必要だということも

体験した。

鳩は 結局、完治して、ついに、ベランダから飛んでいった

のだから。 

 

野良猫の子供は、前にも書いたように、涙ながらに手を

置きながら、エネルギーを送り続ける日々が続いた。


食事は全く受け付けなく、ひと月がたった。

その間、口にしたのは、唯一、金魚鉢の苔のはえた、

活性化している水だけだった。


そして、膿が体内から、じわじわと、できったところ

で、新しい皮が覆いはじめ、やっと、改善を感じられ、

劇的な回復をみることができた。


数週間しないうちに、体も肥え、親猫を縄張り争いで

追い払い、屋根の上で走り回って、ケンカをしている姿

をみたときはすっかり、元通りになった彼女の確認を

して、安堵した。(先に書いた内容の重複)


最後の、愛犬チャチャの場合はもっとも、心に残る

ケースだった


重複するが、結果的に、私の膝の上で目をみつめあって

天国にいった彼だったが、彼のインドから日本への

飛行義務として受けた、多くの予防接種や化学的薬剤の

投与が免疫システムに与える影響などを知った。

 



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ケオスの意味

2014年08月24日 | ペットロスの癒し

 ジュピが目の前に現れたのも ケオスの結果   2014・8・24

****************************

             大阪から新幹線で東京に着いたときのジュピ

 

興味あるのは ケオス という言葉の概念だ。

ケオスというのは、混乱状態 になって訳の分からない状況を

イメージしがちだ。

本来の意味はそうではないと大師は解く。

つまり、ケオスとは明確にして創造的な言葉として発声される

ことによって創造され物質化される原理に従って、

具体的現実となって、顕現しようと常に待機している深い霊的

実存状態のことです”

としている。

 

皆様は聖書の創世記をご存知だと思う。

映画などでも取り上げられている有名な宇宙創造のシーン。

神が”光有れ”と宣言して光が生まれる。

こうして次々と さまざまなものが創造されていく。

その前提にあるのが 聖書の中で

”神は言葉とともにあり” という ラインだ。

言葉は神であった。

神はだから、言葉の中にあった。

 

つまり 言葉、ことば、ことだま、言霊 は、事象を造りだす

エネルギーの種であったというのだ。

ケオスとは、だから、 言葉として発せられる前の状況で

混沌としているように見えて、実存因子を持っているエネルギー体

であると 理解できるだろう。

これは私たちが日頃 祈り という形で何かを欲する時

祈りが効かれたようにして、それが実現することにも

似ている。

 

一番効果的な祈りは

~が欲しいです。~をください” という懇願スタイルではない。

”すでに~が与えられています。 私はそれを心の眼でしっかり

見ることができます。ありがとうございます。”

とすでに与えられていることを 念じ 感謝することだ。

それもできるだけ 明瞭にかつ具体的 詳細にいたるまで

心の眼で 凝視することだ。

それは神が宇宙創造をしたときと同じ原理だと大師は述べている。

 

神は黙して、瞑想し給いたのです。

言い変えれば、神は理想的な世界を観じ給うたのです。

世界形成の素となる、原質をそのヴァイヴレーションが

低下するまで御心の中に 把持し続け、しかる後、

言葉を落とし給うたら、世界が現出したのです。”

 

神は 瞑想された。

瞑想して 無なる境地になったのではなく、これから存在すべく

宇宙の姿形を凝視せられた。

そして、そのために必要な要素を、あるいは 原質の波動を

地上の物質として成り立つ波動にまで変えていかれて、

最終的に ”~よ、有れ!” と宣言して その創造をなされたのだ。

人の願いがかなう原理もそれに準じるといわれる。

想念の具象化という意味で。

 

最近、私のもとにチュチュの生まれ変わりと 筆者が密かに信じる

ジュピターがやってきた。

彼との出会いも不思議で、チュチュの死後 数週間後、夢の中に、

チュチュが 現れた。

何とも嬉しい再会だった。 

チュチュは夢の中で 姿を消すときに 次に生まれ変わる時の姿

シルエットとして、私の瞼(まぶた)の裏に残していった。


それが、’テリア種’であったことは間違いないが、影のような

シルエットだったので、具体的な犬種は、わからなかった

 

この時以来、無意識に、彼の示した ”第二のチュチュの姿”を

探し始めた。

きっと、チュチュの魂の一片を引き継いでいる、子犬が どこかで

そろそろ、生まれて、私との、再会を待っているという ”想い”が

4月ごろから、日増しに強くなっていった。

 

そんなとき、縁があって、ジュピと出会う。

インターネットの一枚の写真だった。

会うだけあいたい。

新幹線で大阪まで行った折、彼の写真を掲載したブリーダーさん

宅にお邪魔した。

’ピっピ’ とブリーダーさんに呼ばれていた、小さなヨーキーの

坊やは、一歳の誕生日を迎えようとしていた。

それまで、ブリーダーさんが 手元に置いておくつもりだったと

いう。

”犬舎のプリンス”として手放さず育て、いずれは、ピッピの

両親のように、ドッグショーーに・・と心づもりされてたことを

知った

 

そのブリーダーさんの期待はかなわなかった。

ジュピターは、満一歳を前にして、身体のある部分の不完全さが

わかり、期待するお役目は難しくなったということだった。

そんな話を聞いて、決心もつかず、東京に戻った。

 

数日後ブリーダーさんからメールがはいった。

”手元に置いておくより、よろしければ須田さんに・

須田さんと、相性があうようなので・・この子も幸せです

もし、OKなら、ブリーダーさん自ら、信頼できる医師に 彼の

体の欠陥を治してもらうからと、請け負ってくれた。

こうして、それから約ひと月後、大阪に迎えにいって、我が家に

ジュピを家族として向かい入れた。

 

あの夢を見ず、チュチュのメッセージを受けたと思わなければ、

チュチュの生まれ変わりに会いたい”という想念も湧かなかった

ろう。

心に 具体的イメージをもって 生まれ変わりを見つけたいと

思っていなければ、ジュピの写真をネットでみて、わざわざ

大阪まで彼に会いに行くこともなかっただろう。

ジュピターの誕生日から計算すると、ちょうど、チュチュが亡く

なって1週間後に受胎した、ジュピの命だった。

チュチュのメッセージ性のある夢は、それから2週間後に

見たことになる。

チュチュは私がインドにいる間、心臓麻痺で亡くなった。
最後まできちんと看取りができなかった私と、もう一度
けじめをつけたい~と この世に生まれ変わり、私の
もとに現れたと、強く感じている。

 

  

ジュピをみていると、

プラス 

を彷彿とさせます・・・・

                                                  

 

 

 

 

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愛すべきペット達に捧げます

2013年11月21日 | ペットロスの癒し

 

 動物実験の犠牲と奢った人間     平成25年11月21日

*****************************************

 

 

去年の今日、チャチャは天国へ旅立ちました

チュチュとチャチャに今日のブログ記事を捧げます・・・・

 

私の父は どちらかというと 人との付き合いは苦手で生き物

には、愛情をこの上なく注いでいた。


花がしぼみ、枝がうなだれているような状態、そんな 御用

済みの観葉植物やランの花の植木鉢が 時々。テナントさんの

店の裏口に置き捨てられているのをみるたび、自宅の南向きの

テラスに運んできた。 

そして、自分で配合した肥料を与え、毎年花を咲かせるほど

元気に育てていた。

植物もそれぞれ種類によって、好みの肥料があると、言って

いた。

 

そんな具合に、丹精に育てて、拾ってきたランの鉢は 株を分けて

いくうちに、どんどん増えて、新芽が出て冬だというのに、大きな

白い花や黄色い花を咲かせた。


当時はインドにいた私だが、正月に帰国して実家に戻るたびに、

欄の大輪が心を和ませてくれた。

 

観葉植物は、数年もしないうちに、倍以上に大きくなり、さらに

数年たつと、幹は天井伝いに這うように広がり、緑の葉がおい茂り、

いかにも生き生きと、彼らと父との愛情のやり取りがうかがわれた。

実際の写真(現在の、実家のリビングルーム)

 肥料も自分で調合したという意味は、朝夕の食事の後、必ず、

人の残した食べ残しを、細かくして、鉢の根本に丸めて植え

込んだ。


人間同様の扱いをして、この植物の鉢はこれが好き、この鉢は

これは駄目と、それぞれの草木がどんな残飯食を好むか、

研究しているようだった。

 

おかげで、小ハエがその堆肥に卵を産んで、二世が生まれて、

ぶんぶんと真冬のリヴィングルームの温かい日差しの中で、

飛び交っていた。

 

さて、植物のほかに、父の善き話し相手に4匹のヒマラヤンの猫

たちがいた。

 

 

ペルシャ猫たち、”ライラ”、白ペルシャ、”ルー”、黒ペルシャ は”ラブ” そしてプップ

 

彼らは長生きして、黒いペルシャ、ラヴちゃんは16年以上生きて

座間市から表彰された。


ある時期には、鸚鵡やインコ、文鳥や、九官鳥までいた。

 キュウカンチョウ・キュウボウと オウム、鸚鵡(コバタン)

白ちゃんは人の言葉を覚え、二つの籠を並べて置くと、二匹で、

会話していているように聞こえた。

 

九ちゃん ”それで、マサ子がねえ・・・”

白ちゃん ”へえ^”

九ちゃん ”マサ子、xxxxで駄目よ”

     ”駄目じゃないのよ・・”

白ちゃん ”う・る・さ・い”

九ちゃん ”ははははは”

白ちゃん ”九ちゃん、こんにちは”

九ちゃん ”白ちゃん!”

白ちゃん ”は~い、こんにちは”

九ちゃん ”はははは”

九ちゃん ”白ちゃん、白ちゃん・・おいて”

白ちゃん ”九~ちゃん!バイバイ ”

 

玄関先にこられた客人が、話声がすれども、呼び鈴を押しても

誰も出てこず、まさか鳥たちの声だとは想像しなかったと語った

こともあった


印度にも、こうした無類の動物好きの友人ができた。

彼らはきまって、

”人間はともかく、彼らは決して裏切らない心を持っている”

と言って、毎日毎日、野良犬や野良猫のために、密かに餌を

運んでいた。


その中の一人、ジャスミンは そうこうしているうちに、

自宅の玄関先に いつも野良犬が数匹、たむろしたり、昼寝して

いたりするようになった。


その向かいの隣人は 教祖マホメッドの遠縁の先祖を持つという、

生粋のモスリムだった。

モスリムの教えでは、犬は 豚同様、不浄とされている。

野良犬という不潔さも加わって、家の前にうろうろされていては、

外出もままならなかった。


時々、その家の主(あるじ)はイヌのフンが門の前にあるのを

見つけては、ジャスミンに苦情を述べていた。

ある日はアンティ(その向かいの家のおばさん)が 

ジャスミンのを訪れて、玄関先で、大きな声で言い

合っているのを、近隣の私たちは 何度か耳にした。


こうした光景が幾たびか、あった後、いつの間にか、

ジャスミンは引っ越しを決意したようだ。

ジャスミン本人が弁護士という職業柄、裁判で争うこと

にする~と、語った。

 

筆者もこういう、無類の動物好きの仲間の一人であると

感じている。

野良猫のジュビとは信頼関係が有ったと思う。


彼女との出会いは、はっきりと覚えている。 

ある日、出産を目前に、彼女は私をベランダで、見初めた。

そして、その夜、窓から部屋に侵入。


私が見守る中、部屋の真ん中で、私が、寝床用にと思い、持って

きたミカン箱の中で次々と4匹の丸い羊羹のような子供を産んだ。

 

一匹ずつ、生まれる。生むとへその緒の処置をしているうちに、

次の子供が生まれてきた。

彼らを、嘗め回して体が渇くと、すぐ押し入れの奥に口でくわえて、

連れ込んで、子猫たちを隠した。


そんなジュピに、助けてもらった体験がある。

ある日筆者が、デリーの我が家の裏の道を歩いていたら、

たむろしていた野良犬に襲われそうになった。

すると、近場のマンホールの下にいたジュビが、やおら飛び出し、

私の目の前で、自分の数倍ある野良犬の眼をめがけて、爪をたて

ながら、大きく高くジャンプして、彼らを撃退してくれた。


驚いた犬はキャーンと声をあげ、飛ぶように逃げて行った。

彼ら動物たちには、”無我の情”が、心の底から、湧いてくる。

我欲に満ちた 傲慢な人間が造りだす社会で、共存を余儀なく

されている彼らに こよなく同情すら感じてしまう。

 

1990年以前のデータではあるが、世界全体で 約一億の動物

たちが、動物実験の犠牲になり、苦しめられ、殺されている

という。

 医薬業界だけではなく、白髪染めや化粧品製造、耐久力の実験や 

心理学的実験にまで駆り出される。


そのために、ハツカネズミやモルモットだけではなく、猿、馬 猫 

犬 などが、彼らにとっては訳が分からない虐待を、時には死に

いたるほど、苦しむ実験対象として、虐待されているのだ。

 

たとえば、泳がせてみて、溺れるまでのスタミナを計るためとか、

首を切断されて他の動物の首を移植される手術材料として、

人間に一番近い猿の子供を生まれてすぐ母ざるから隔離して

暗い箱の中で5年以上飼育して、愛のない環境のもと、どのような

影響を与えるか調べられたり・・・


或いは無防備な動物をしばって、凶暴な野獣の檻にいれて、

どのように身を守るかデータをとられたり・・・

 

印度の拙宅のアパートメントの3階に2年前、不思議な家族が

引っ越してきた。

引っ越ししてきたときは、真夜中、寝静まったときに、すべての

荷物を運びあげ、その中に、犬が数ひきいるということは、

すぐ判明した。


ドアの付近やバルコニーの窓を開けると、その部屋から、異臭が

漂い始め、犬の吠え声が聞こえたからだ。

しかし、不思議なことにアパートの住人誰一人、その犬たちが

散歩しているのを見たことがなかった。


我が家のお手伝いさんが、その家に出入りしている掃除人に尋ねた

処、なんと、ケージの中に犬が最低7~10匹 入れられている

ということだった。

散歩をさせないので、垂れ流しで、日光にも当たらない部屋に

一日中いる。

 

異臭や鳴き声の近隣への迷惑を顧みず、その後、一年間、彼らは

住み続け、いつの間にか 引っ越していった。


飼い主は医科大学の教授だった。

犬は実験用だったというのがもっぱらの噂だった。

 

人は怖い~と彼ら動物の本能的感情に同情する。

マザーテレサが表現したように、”生きた赤ん坊がゴキブリのように”、

ゴミ箱の中に投げ捨てられる。


動物世界で起こり得ないことが人間界では多々起こっているのも

事実だ。

 暴力、社会不安、テロ、暗殺事件、都市化と格差社会、内紛、

世界戦争の危機、核問題、資源問題、エゴとエゴ、利益と利益

のぶつかり合い、無類の動物好き達は、そんな世界と無縁に、

謙虚にありのままを受け入れて、生きている身近な動物たちとの

心の交流にどんなに大きな癒しを受けてきただろう。


あらためて、一周忌を迎える、愛犬チャチャとチュチュに

感謝したい。

 

 フリ―画像猫 に対する画像結果

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チュチュ(愛犬)の死~霊的考察~

2013年04月15日 | ペットロスの癒し

 

ガンジス川でのチャチャの弔いに 魂となって駆けつけた

チュチュ・・・・ 

平成25年4月15日

****************************************

 

1昨日、インドより帰国しました。

今回の旅の大半は、デリーから離れて、ガンジス川のほとり、

携帯電話が繋がらない場所にいました。


もちろん、日本に残してきた、家族に何か緊急事態があった

ときは~と緊急連絡がつくような段取りはしておきました

が、今回の チュチュの死が届いても、私の耳にまでは

知らせる必要ないと、その緊急連絡を受けたとき、知人は

考えたようでした。

いわゆる修行中だったからです。

 

私的なお話しで恐縮です。

愛犬というより 親友だった、チュチュの死の経過を、

チュチュ愛してくださった方達に、ご報告させて

いただきます。

 

①一日目)日本時間、3月30日 インド時間午後11時夜半


それは、5日間の独行に入った、その夜に起こりました。


いきなり、頭に、これまでにないほどの、激痛が走りました。

思わず、体を横たえましたが、毛細血管が切れたかと想像する

ほど、起きれないほどの頭痛と気分の悪さ、それが、めまい

とともに、突然やってきました。

 

日本に残していたチュチュはその日から、くしくも、私と同様、

異変が起きました

私が猛烈な頭痛を感じていた時刻(日本時間午後8時)は

チュチュの夕飯時ですが、食事をその日以来とらなくなった~

と後日、面倒をみていた夫から聞きました。


私も同様で、それから、数日間、水以外は一切 体が

受け付けなくなりました。

お茶を飲んでも、吐きました。

チュチュも同様、日本の自宅で それ以来、空っぽの胃から

内臓液を吐き続けていました。

 

②二日目) 3月31日、インド時間午前3時45分・日本時間午前7時15分

朝行をするにあたり、身支度を整えようと夜明け前に起床。


ところが、体を起こしたものの、吐き気と頭痛は続き、

顔を洗うために洗面台に向かうと右目は、白目の2か所と、

まぶたの裏あたりからの血管が切れ、黒目以外が異常に、

充血していました。


結局、その朝の行(ぎょう)は無理と思い、再び、体を

横たえていました

 

それは日本時間の朝6時、チュチュは、同時間に、朝の散歩

で玄関を出たものの、階段を降りれないほど 衰弱している

様子に、夫は戸惑っていました。


チュチュの昨日から尋常でない様子に不安を感じた夫は、、

インドの私に 国際電話をかけて、コンタクトを試みました。


しかし、私の携帯が通じなかったので、自らの判断で、

チュチュを病院へ連れて行きました。

 

精密検査やレントゲンをとっても、これといって、異常もなく、

処置もできないまま、医師が、

”翌日まで様子をみましょう” ということで 家に連れて

帰ったそうです。


私も、インドで一日中、起きたり、寝たりで瞑想どころではなく、

こんな、状態が続くなら、明日4月1日は、行から脱落して、

とりあえず、デリーに戻ろうと、ひそかに考えていました。

 

③三日目、4月1日、インド時間午前3時45分・日本時間午前7時15分


朝3時45分に目覚めたものの、体を起こしているだけで辛く、再び、

ゴマ行[護摩)が朝5時から始まるまでの間、45分間ほど、体を横たえて

しまいました。


その間、一生忘れることがないほど、不思議な夢を観ました。


ある部屋の、その入り口に独りの女の人がたっています。

中に入ると、愛らしい9歳ぐらいの女の子が私のところにきて

’もう、あの人と一緒に行ってもよい?’と聞くのです。

’ダメ、まだ駄目’と私。 

’あの人’とは、扉のそばで見かけた女の人のことでした。


そのとき、私の目の前に、堂々とした体格の黄色と黒の

コントラストがとても美しい、たくましい虎が飛び

かかってきました。


私は床の上に倒れると、虎の顔はすぐ私の顔の上まで

来ていました。

恐怖が走りました。 


そこで ”いいわよ。”とその女の子に応えるほかないと

直観し、やっとそう、声に出すと、虎も女の子も消えて

いました。


今思えば、チュチュが”もうあの世に行ってもいい?”と

少女に姿を変えて、私に問いかけてきたような夢でした。


そして、その虎はインド的にみれば、女神ドゥルガ

(シヴァ神の妻の化身)の乗り物でもあったのです。


夢の後半、私が、小さなガネーシャ(シヴァ神の息子)の

赤ちゃん姿(顔が像)を抱いているという夢も続いて、見た

のですが、きっと、チュチュが私の元から天に帰り、新しい

人生の展開がまた始まるという予告だったような気がします。

 

その夢の最後は トンネルのシーンでした。 


夢を演じた役者たち(少女や、数人の姿が見えた)が

芝居を終え、手を振ってトンネルの向こうに消えて

いきました。

 

はっと、その夢から、現実に戻ると、体調が少し良く

なってました。

あまりにもはっきりした夢だったので、その余韻にぼーっと

しながら、身支度を整え、予定通り、護摩行に行きました。

 

そして、その行が終わった 

4月1日インド時間午前6時日本時間午前9時半、

チュチュが 夢の中で予告したように、心臓麻痺を

起こしました。 


日本時間午前9時半に心臓発作

昨日の、一晩様子を見よう~といわれた医師がいる、病院へ

夫が、再びチュチュを連れて、向かうタクシーの中での

出来事でした。


病院へ到着するや否や、そのまま、チュチュに、

心臓マッサージが施されましたがすでに、意識はなく、

⑤午前10時半、死亡確認されました


インドに居る私の頭痛は、それを機に、少しずつとれて

いきました。

⑥ 同日4月1日、午後の行は、予定通り、行うことが

できました。 


体も楽になり、集中できるようになったからです。

何もチュチュの死は知らされていませんでした。

その日の夕方、旅行カバンから、あるものを私は、

取り出しました。

それは、日本から持ってきた、半年前に亡くなったチュチュ

の兄弟のチャチャの骨でした。


目の前の小さな、応急に創られた祭壇に、骨の入った

入れ物を置きました。

 

⑦四日目 4月2日 早朝

この朝の、護摩行には、身に着けているサリーの下に隠して、

チャチャの骨の入った小さなキーホルダーを持って

いきました。


護摩行は毎朝、5時に、小さな囲炉裏の周りで行われます。

その祈祷箇所がいくつもあり、50名近い人たちが5名ずつ、

それぞれの囲炉裏(いろり)を囲んでいます。

中では、薪がバチバチ炎を上げています

そこに香木の破片を、かけながら、祈祷をするのです。


護摩行は、本来、私たちの清浄(六根清浄)のためのもの。

その業(ぎょう)が行われている間、私は 右手の中に、

チャチャ(日本で心臓麻痺を起こしたチュチュの兄弟)

の骨壺を握りしめていました。


”~・・・スワハ” と 真言(マントラ)の最後の句を

唱えるごとに、数回、香木のコナを燃え盛る薪(たきぎ)に

振りかけながら、チャチャの冥福を祈りました。

 

それは、日本時間午前9時過ぎ頃にあたります。

その時点では、チュチュもすでに日本で荼毘に付されて、

骨になっていました。

 

チュチュの弟、チャチャの遺骨を、ヒマラヤの麓に

持ってきて、ガンジス川で供養したいと、日本にいるとき

から考えていました。
ついに、それが叶ったのでした。

数日後、私は去年11月に亡くなったチャチャの骨を、

人を荼毘にふすのと 同様な形式で、ガンジス河に、

流すことができました。


そのころ、魂と化したチュチュは、それを知っていた

のではないでしょうか?


私がインドに行くその朝、なんとも言えない表情で私を

見つめて送った顔が思い出されます。


自分たち(彼らはヒマラヤ・チベットの原種で、

ラサ・アプソー犬)の故郷、ヒマラヤの麓のガンジス川で

行われる、チャチャの葬儀に一緒に、魂として参加するため、

心臓麻痺という形で自分の肉体を脱ぎ捨てたチュチュの

意思が感じられました。


魂となってガンジス川に居た私のもとに、文字通り

飛ぶように、かけつけたかのようでした。

そう思えるほど、偶然とは考えられない~と無神論者の夫が 

以下のようなことを チュチュの死を聞いた私が、かけた

電話口で、語ったほどです。

 

”(半年前に亡くなった)チャチャと一緒に、ヒマラヤから

流れるその聖なる河の中で、チュチュの魂は、恭代(筆者)に

葬られつつ、静かな安寧を得たかったのだろう”、

そして

”それ以外に今回の急激な展開は考えられない” と

付け加えました。

 

思い出すと、夫と初めてチュチュ死後に話した電話の、

開口一番の言葉は、次の質問でした。

”チュチュが亡くなったけど・・もしかしたら、インドに 

チャチャの骨を持って行った?”


”その通り” と私が答えると、夫は納得したように

言いました:

”チャチャの骨がガンジス河に流されるのを知っていて、

自分の故郷(ヒマラヤ)に、チャチャの霊とともに

戻りたかったのだろう”  

 

 

さて、そうとも知らずに、チャチャの個人的葬儀を終えた

私に、チュチュの死(4月1日)の情報が与えられたのは

独行が終わった4月5日でした。


ショックで、声を出して泣く私に、その知らせを伝えた

インド人の知人は戸惑っていました。


そして、私は、泣きながら、あの夢を思い出していました。

あの女の子はチュチュの魂、そして、そのあとに、

ガネーシャが出てきて、新しい展開が開かれる暗示を受けた

こと。


この地の滞在はすでに残すところ一日となりました。

そして、その予言は、事実のようでした。

 デリーに戻る前日、不思議な老人と会いました。 


その地で10年間、修行を続けている知人が、その

老人との邂逅を驚きました。 

なぜなら、その老人こそ、アシュラム(修行所)で知らない

人がいないというリシ(聖なる修行者で悟りを開いている人)

だったからでした。


朝、アシュラムで 知人と歩いているとき、その老齢のリシと

すれ違ったのです。

そして、リシは、私の眼を覗き込むように、あるメッセージ

伝え、同日、午後、再び、リシは私の目の前に姿を現したの

でした。


それは、ガンジス河のほとりでした。

再び遭遇すると、 その日の夕方、とあるところに

来るよう、私に、指示しました。


リシとの、3度目の会見は、こうして、指定された場所で、

行われました。

今までの温和なお顔つきと違い、射抜くような鋭い

眼光の光を放ちながら、別人のような風格で 1時間ほど、

人間の心と、アートマ、神の仕組んだ、この世のリラ

(夢想劇)などについて、お話しをされました。

 

夫には、チュチュの死に関する夢の話をしていません。

しかし、アシュラムから、デリーに戻って、改めて、夫と

国際電話で話したとき、彼は、偶然にも、こんな事を

言いました。


”これからは、我々の、次元の変わった展望へ移行する

という象徴的出来事として、チュチュの死をとらえたい”

 

大げさに聞こえるような言葉でしょうか?


でも、チュチュの悲しみの報告をインドの知人から受けた

翌日、聖人リシと会ったことが 夫のその言葉の証のような

気がする私でした。

 

                                                  

 夢で予告してくれたチュチュ    ガンジス河で骨を流せたチャチャ  

 

 

 

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チュチュの写真、なのに、チュチュの毛の色ではない。

2012年12月03日 | ペットロスの癒し

チャチャが亡くなって、残された兄弟のチュチュと合体?

*******************************

12月3日

 

 チュチュは左の薄いブロンド、 

亡くなったチャチャは右の黒い ラサ・アプソー犬でした。

 

チャチャが亡くなって、ちょうど、10日たちました。

実は、今ここに掲げる 写真、チャチャが亡くなって4日目。 

11月25日のものです。


チュチュとチャチャとよく散歩したコースで、撮った写真です。

 

あれから、チュチュのご飯の時も、散歩の時も、

居なくなったはずの、チャチャがそばにいるような気が

していたのですが。


そして、チャチャに昨晩、私は、心から語りかけたのです。

どんな形でもいいから、あなたがそばにいることはわかるので、

その、実証がほしいって。

 

それが、今日 現像した、写真の中にはっきりこんな形で

映っていたとは。

ここに、掲載させていただくことにしたのは、チャチャが

亡くなってから、来られたクライアントさん、

仮に、Kさんとしますが、チャチャの死後、施術に来た時、

出迎えたチュチュに ”なんだか、チャチャの仕草に似てますね。

チュチュは、私を出迎えたことがなかったのに。

チャチャの面影を 風貌や態度に感じる”と言われたのに

端を発しています。

 

いつも、Kさんを見て、ワンワンと けたたましく吠える

チュチュが、とてもおとなしく彼女を出迎え、そして、

Kさんの、帰りに、玄関まで、再び出てきた、チュチュに対して、

”チャチャみたいですね” と言われました。


私は、いつもチュチュと一緒にいるせいか、チュチュの変化を

あえて考えていませんでした。

たぶん、一匹でいる時間が増えたこと、時々、私のそばに来ても、

あらぬところをじーっと見て、怖そうに尻尾をまるめて、

別の部屋に逃げていく、その回数が増えたことでしょうか?

まるで、そばに、チャチャが来ているみたい~

と怖がるチュチュに冗談ぽく話したことはありましたが。


他に 変わったこと?

あれから、チュチュはチャチャの影膳のご飯も食べ、 

食いしん坊だったチャチャのように、少し太りました。

そして、チャチャのように、少し人懐こくなって、尻尾をふって

ご挨拶の回数が増えました。

  

本来のチュチュの毛色


そして、今日、散歩のときに映した写真を見て、声をあげました。

チュチュの毛の色ではなく、チャチャの毛の色に、部分的に

変化していたからです。


念のため、Kさんに、その現象した写真を見せると 

感じた想いがやはりほんとうだったと確信します”

と 返信をいただきました。

 

お許しを得て、メールの内容も記載しておきます。

”驚きました。本当に驚きました。 

本当に不思議な感じでチャチャが写っていますね。

先日感じた あの時のように、・・チュチュの目から、

チャチャの目そのものを感じます。

 ・・・略…

この写真から、チャチャから先生への愛情いっぱいの

メッセージを感じずにはいられません。

あの時、チュチュの目の奥から感じた深い瞳、

勘違いではなかったと・・・”

 

この写真の背中をご覧になってください。


はっきりと、チャチャの毛の色(黒)になっています。

チュチュの顔にも ほんのりと 黒い毛色が混じっている

ようです。

それ以上に、紅い首紐が左半分の黒い毛におおわれて途中で

見えなくなっています。


その黒い毛は、もしかしたら チャチャの毛・・?

この写真を良く見ると、背中の黒い部分、チャチャの顔にも

見えてきます。


これは私の思い入れが深いためでしょう。

チャチャの目つきまで、この背中の部分から感じ取れて

しまいます。


しかし、この黒い部分は影ではありません。

ほんとうに黒く映っています。


ネガ写真も、そのような色でした。現像の時の色ブレでは

ないようです。

 

皆様に、半信半疑の方も含めて、チャチャの想いと仮定して、

ご紹介したいと思いました。


 

赤いのは 首紐 です。 

その赤い紐も、チャチャの黒い毛で隠されています。

前足の一部の黒、背中、そして 左目の下からホホにかけての黒。

ちなみに、ネガもこのように、写っていました。

 

チュチュ(上) 

チャチャ(下)

 

 

コメント (2)
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