自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

意識の飛翔(5)宗教とスピリチュアリズムの違い

2024年10月15日 | 健康のための心の波動


癒し は宗教から来るか?----
*********************** 2024/10/15


 
病気などで苦しむ人に対して、
"癒しは この宗教から来るからぜひ入信を"
と薦められて、入信する場合が多いと聞く。

あるいは、”奇蹟”をかかげて、
”多くの人がこのように救われている”と
事例をあげて、勧誘する某宗教の信徒さんもいる。

実際、それらの奇蹟は起きているだろうし、
その信仰で、病が癒されたということも
有り得るだろう。

では、その癒しはどこから来たのだろう?

*************

癒し は、その宗教の教祖や、”特定の神或いは仏様”
恩寵として与えられると、考えられている。

たとえば、キリスト教徒が、ルルドの泉に巡礼に行き、
病を癒す。

ご神水の波動で、気を整える。

が、私は、究極の癒しは、個人の持つ、生命力の源泉から 
もたらされると思う。
そう、考える方向性を、スピリチュアリティと呼びたい。

では、スピリチュアリティーとは? 
宗教との違いは何だろう?


前者は 自分の深い内面にある、純粋な魂や
生命力への強い信頼、

後者は 特定の神や教祖に対しての深い信頼
をさすのだろう。


病や不幸が、信仰で改善されることはある。

それは、一見、教祖や神に対して、一途な祈りが、
通じて、治ったと映るだろう。

が、宗教は、きっかけに過ぎないと私は思う。

宗教は、本来、神頼みのために存在するのでない。

宗教で病が癒されたとしたら、人が人の本質である、
神聖で純粋な資質に、気が付き、到達するための、
手段だと思うからだ。

どんなケースでも、病の改善は、薬や信仰がきっかけ
になるにせよ、人の内側にみなぎる、生命力という
本当の癒しの元が、発動したからにほかならない。

自分の生命力を掘り下げると、どこにたどりつくの
だろう?

最終的に自己の本質、にたどりつくのだと思う。
自己の本質を探って行っても、生命力を掘り下げて
いっても、コインの裏表のように、両者は、同じもの
なのだから。


だとしたら、生命力の本領が発揮されないと、人は
病になるのだろうか?

ある意味、YESだろう。

生命力は、三次元に通用する、エゴ意識とは無関係
だから、意識を変えないと、生命力を駆使することは
難しい。


生かす力・・・これは、言葉を変えれば、”神の資質”
”宇宙の本質” ”生死に関係なく存在するエネルギー”
でもある。

だから、神を、どこかのお寺や神社の像に、置き換える
必要はない。

自分自身の、魂に鎮座している、”私自身”が、生命力
であり、神の資質であるのだから、自分自身の魂の
奥宮にある廟を、開ければ、神はそこに座している。

以前、ご紹介したように、合気道の創立者、植芝翁
は、それに関してこう話している: (*1)

”人間の真実は神そのものであるのに、
小我の想い(業や執念)に邪魔されて、その姿を
深く奥に隠しているのです”


このことは、善き宗教の本質に説かれていること
でもある:

”人は神なり”(ホツマツタヱー超古代神道)
”すべての人に仏性あり”(仏教)


それが本当に理解されるとき、意識の変容が起こり、
奇跡が起きる。

その人の、人生そのもの、環境、考え、主義すら
変えてしまう。

自分が”神”の資質を、受け継いでいる力強い、愛深い
存在だと、分かったその瞬間、その人の心は、次元を
超えた、飛躍超越をするからだ


自分の内外の世界の観方が変わる。

観方が変わると、創造的エネルギーが生まれる。

創造的エネルギーに合った環境をひきつける。



さなぎが蝶になるように、地下の芋虫のようなセミの
幼虫が数年後 地上に出て、羽化して、木で生命の
歌を詠い始めるように、三次元のエネルギー態が姿を変えて
異次元に飛翔して、精神の変容(トランスフォーメーション)
が可能になる。

この変容が、古い常識を取っ払い、外部にも変革を与える
ことがある。

たとえば、今までの大いなる宗教の開祖たちも そういう
意味で、”変容”をとげて、 それまで存在していた既成宗教
を新しい宗教体系に変えてきた。

例えば、キリストは旧約聖書(ユダヤ教)の世界観から
トランスフォーメーションさせたキリスト教を開いた。

釈迦は、古代インドバラモン教を変容させて
仏教を開いた。

マホメッドは、当初は、旧約聖書のアブラハムを
コーランに登場させて、キリスト教と兄弟関係にあると
教えた。

が、其の後、自らの教えのアイデンティティを明確に
して、キリスト教とは完全に別な宗教である
イスラム教として、トランスフォーメーションさせた

この背景には、当初、マハメッドが岩屋にこもり、
トランス状態で様々な、言葉を受けた時、その伝え手が
キリスト教に登場する、有名な天使だったからである。


このように、現代も 多くの信者をもつ これらの 
世界的宗教は、当時の形骸化した既成の教えに 
新しい息吹を吹き込んで、その時代と場所に適した
教えに、古き教えを、変容させた。


現代はどうだろうか?

科学と精神主義との融合はあり得るのだろうか?

アインシュタインは、”精神性のない科学は傲慢になり、
科学のない精神性は おろかになりやすい” と
いうような意味の言葉を残している。

医学を例にとれば、心と肉体は二元化されてきた。

検査をすれば、それぞれの臓器や器官はそれぞれの
専門分野担当医師が行い、統括的な有機的な身体の
繫がりは、おろそかになっていた。

しかし、昨今は状況が変化してきた。

東洋的一元思想に影響を受け、心身一如を説く医学が
見直され始めた。

心と体は切り離して考えることは 難しいという
観方が受け入れられ、心療内科のように 心と病の関連性
に焦点を当てた 医療が、一般的になった。

創設者の、池見博士は、そういう意味で、西洋哲学と
東洋哲学を 融合させてトランスフォーメーションを果たした。

心身の関係を展開させ、心のバランスを整えて医療に実践した。


さて、話を戻すと、’宗教とスピリチュアリズム’の違いは
宗教では、”神頼み”という言葉があるように、ご利益を
求めるが、後者は、”精神の変容”を期待することは、
これまでの述べてきた通りだ。。

もっとも、精神が変容すれば、エネルギーが変るので、
期せずとも、ご利益は自然と得られる。

自分の欲するものや人、環境が、そのエネルギーに応じて
整うからだ。

スピリチュアリズムとは、そういう意味では、とても
現実的な 思いや願い事を実現させる手法のような気もする。 


*1)
昭和34年1月15日、鏡開きの日に合気道本部道場での講話




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 意識の飛翔(4)スピリチュ... | トップ | 望むこと »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

健康のための心の波動」カテゴリの最新記事