科学者の見た心と体の関連性(2)
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前置き)
”見えない世界の科学” というジャンルにこの記事を置いた。
見えない世界の科学とは、今まで科学者には胡散臭く取り扱われて
きた波動科学などの分野をさす.
波動の世界には、一定の法則があり、それが今後、ますます、
証明され認められていくことで、人の意識に影響を与え、何よりも、
現代の西洋医学の方程式(対症療法:)といえる、”生命力”の存在
を無視して体を機械のように扱う方法が根本から変えられるきっかけに
なるのを期待したい。
あと数百年かかるか、数十年でたどりつくかわからないが、
”地球の医学は、心身相対理論や 量子学の波動法則を応用しない、
幼稚園生のレベルに匹敵するものだった”と言られる時代が
くるかもしれない。
今日からご紹介するディスペンザ(医学)博士は、新しい時代を
見据えて、”波動”と”エネルギー”の世界を見据えている。
手元にある本の題名は、Dr. Joe Dispenzaが著した
”Breaking the Habit of Being Yourself”。
私なりに訳せば、“自分という殻(習慣)を破る”という意訳だろうか。
副題として“How to Lose Your Mind and Create a New One” 、
”心(マインド)を弛め、新しい心(マインド)を創造する方法“とある。
Mind は日本語ではなかなか適当な一言が私は見つからない。
日本語で、"心"というと、heart(ハート)の領分も含まれるからだ。
英語のmind は心の役割にしたがって、意味が限定されていて、
知性が働いた心の働きのようなニュアンスがあると思う。
だから、タイトルを意訳的にくみ取れば、“今まで自分だと思っていた
自分を超えて、真の新しい自分を創造しよう” という感じになるだろう。
これが、自分だと思っている”自分”は、実は、”自分”ではない?
どういういう意味だろう?
”私は~だ”と思える”わたし”は、他者の視方や、環境や、文化や、
常識などの相互作用で創りだされたものかもしれないということだ。
何も考えずに、惰性のような毎日を送っている限り、その人の価値観
というのは”周囲に共調”していくという枠から出ることがない。
たとえば、幼少期に親からいつも、言い聞かされてきたことや、社会
(学校や職場)が判断すること、宗教・教育・環境文化が当たり前だと
主張する思想、などが、自然と、自分の価値観になっている場合が
多々ある。
物理学的用語には素人なので、翻訳が適当でないかもしれない。
原文を載せて読者の方たちの良識ある判断にも介添していただき、
次の著者の意見をご紹介したい。
“Quantum experiments demonstrated that electrons exists simultaneously
in an infinite array of possibilities or probabilities in an invisible field of energy.
But only when an observer focuses attention on any location of any one electron
does that electron appear.
In other words, a particle cannot manifest in reality-that is, ordinary space-time
as we know it –until we observe it.”
意訳)
電子は、エネルギーの目に見えるフィールドの中で、無限の可能性を
秘めたアレイの中に存在しているのだが、その電子を認識できるか否かは、
観察者の集中的な焦点をそこに定めたときだけだ。
言い換えれば、素粒子の存在は、我々が知っている普通の空間の中では
われわれがそれを観察して気づくときまでは無いということになる。(以上)
この言葉を、もう少し日常的にわかりやすく言葉を替えてみよう。
美しい花が道端に咲いている。
“ああ、美しい”と通りすがりに私が気がつけば、その花は私にとって
存在していることになるけれど、気がつかなければ、”無い”に等しいと
いうわけだ。
少し抽象的に比喩してみたい。
”すべては自分の心の鏡”だと、よく言われる。
相手が自分に好意を持ってくれている、その好意は、自分が相手に
好意を寄せている反映かもしれないし、逆にもし、相手から反感を
買っているのなら、自分の心の中に、相手に対してどこか意地悪で
思いやりのない行為をする素地が潜んでいるからかもしれない。
相手は、そんな目に見えないこちらの想いを、ちょっとした仕草や
言葉で適切に敏感に感じ取ることができたのかもしれない。
相手からいついも冷たく対応されるとしたら、自分も相手に期待
ばかりして、実際は、相手を大切に思わず、気分を害させる程度の
認識しかしていないからかもしれない。
だから、自分の心が相手に映っているのであり、それは、こちらの
“相手から抽出した自分の感情”どおりに相手もまた、自分に対応
しているといえそうだ。
さて、その時の両者の感情は、好意にしろ嫌悪にしろ、その時は、
それとして、“存在”しているものであるが、また、状況が変われば、
変化するのだろう。
つまり、そうだと認識(認める)たとき、それは存在するのであり、
認識していないときは、それは存在しないに等しいということになる。
素粒子と感情とは質が異なると言う方もいるだろう。
本当にそうだろうか?
“With this discovery, mind and matter can no longer be considered separate;
they areintrinsically related, because subjective mind produces measurable
changes on the objective, physical world.”
意訳)
心と物質は、こうした発見により、別々のものではないと考えられる。
緊密に相互し合っていて、主的な心によって、それに呼応するものは、
この物質的世界においては変化するからである。(以上)
ここではまだ、著者は触れていないが、物質も心もエネルギー体
であるという。
心(マインド)が主体となって、その対象に観察し認識し、気がついた
とおりに、その対象は姿を変えて行くというのが、ここのポイント
だろう。
だから、自分が思ったように、まわりは変化するのだ。
プラス思考で対応すれば、まわり(対象物)はそれに応えるだろうし、
マイナス思考で対応すれば、そのエネルギーを受けて同じ対象物でも
違う形で現れるだろう。
著者はこう続ける;
“At the subatomic level, energy responds to your mindful attention
and becomes matter.”
意訳)
準原子レベルでは、エネルギーはあなたの心の気づき(観察)に反応し、
それを物質化するのだ。(以上)
そして、
”How would your life change if you learned to direct the observer
effect and collapse infinite waves of probability into the reality that
you choose?
Could you get better at observing the life you want?”
意訳)
もしあなたが、“気づき”の効果と、無限の可能性を破壊してしまう
やり方を学んだら、どのように自分の人生が変化していくか?
自分が望む人生を引き出すようにもっと上手に人生を観察できるので
はないですか?(以上)
次回からもう少し掘り下げながら、心も物質もエネルギー体であり、
感情も環境も実は、エネルギーをコントロールする方法がわかれば、
新しいものへと創造できるということを、お話ししたい。
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引用文は
”Breaking the Habit of Being Yourself”
by Dr.Joe Dispenza ,
HAY HOUSE, INC.
! st edition, February, 2012