自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

須田正子(痲紗子)義母の逝去のご報告

2019年12月28日 | 協会ホームページ

                  2019年12月28日

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昨日 (実際は、午前9時48分)、医師の診断書によれば、

午後1時22分に 自然治癒力セラピー協会の理事のおひとりであり、

”秀真伝(ほつまつたえ)” の研究者でもある、私の義母、

須田痲紗子女史は 他界いたしました。

 

神気治療[気功療法]を、今年9月まで現役で続け 10月の予約も 

義母の字で予約者のお名前が書かれたカレンダーを見れば、ほぼ、

埋まっていました。

 

そのように精力的に仕事を続けてきた義母でしたが、9月中旬に

体調が悪いと、私の家にパジャマ姿で横浜からタクシーで来られて以来、

この数か月足らずで,急激に体調に変化をきたし、医学的には何も

病名がないまま、老衰 ということで、地上服を脱ぎました。

 

亡くなる4日前に、腕に挿していた点滴針を、本人自ら、意図的に、

”嫌だ”と言って、片手で抜き取り、それ以上は延命治療にあたるという

医師の判断のもと、点滴を外したままにいたしました。

というのも、”延命治療は極力するな”という本人の意思を9月にすでに

残しておりましたので、それを事前に医師にも伝えてあったためです。

 

12月26日夜半から、唸り始めたと、宿直勤務の職員さんから聞きました。

尋常でない唸り方なので、気が気ではなかったと。 

そして、翌朝、安らかに旅立ちました。

(この唸り声は傍で聞いていると確かに苦しそうですが、私の勝手な解釈

では、魂が肉体から離れるときの気合いのようなものだと思います。 

 

実父も同様だったことを思い出します。 

阿吽の呼吸、の阿吽 とは、総てを意味する言葉でもありますが、確かに、

人は生まれて来る時は”オギャー”と あ音をもって始まり、亡くなるときは 

”う~うん”と唸る ’う音’でもって終わるのですね。

 

義母の口癖、9月に我が家に来たときですが、”あんたたちには迷惑かけないで

あちらに行くからね。私は食事をたって、あの世にいくから。”

の言葉通り、10月までは尋常の食欲でしたが、11月にはいり、水分、固形物を

ほぼ口にしないようになりました。

 

見かねて点滴だけでもと病院にひと月おりましたが、そのまま、身体の異常

がないということで、有料介護施設に戻され、、点滴の量を、身体に負担に

ならないようにと半分に減らし、続けていました。

そして、自ら点滴を取ってしまう~ことで本人の意思を明瞭に示したようです。

 

意識は最後の時まで鮮明でした。 

亡くなる前々日、お見舞いに来た親戚の方に,ベッドから”またね”と手をふる

そぶりを見せたと言います。

 

死因は特になく、前述したように、老衰 ということでした。

肌の色艶、血色もよく、皺もほとんどないお顔は、とても安らかで、

私は不謹慎とは思いつつ、荼毘に付される前にと、お写真を残しました。

 

不思議なことに、亡くなった直後のお顔より、御棺に収まり、安置所に

置かれたときのお顔のほうが、化粧はしていないはずなのに、口びるに

淡い血色があり、柔らかい寝息が聞こえてくるような自然体のお顔に

なっておりました

 

年賀はがきが毎年100枚を超えるほどいただく、義母の関係者の方たち

すべての方々に個別にご報告ができませんのでこのような形で恐縮ですが、

義母の最期のご報告と、させていただきたいと思います。

 

生前大変お世話になりました、皆々様に篤く御礼申し上げるとともに、

ご挨拶まで。

まことに、ありがとうございました。

 

 

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体調も夢も、思うままに実現させる自分

2019年12月25日 | 健康のための心の波動

 科学者の見た心と体の関連性(2)   

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前置き)

”見えない世界の科学” というジャンルにこの記事を置いた。

見えない世界の科学とは、今まで科学者には胡散臭く取り扱われて

きた波動科学などの分野をさす.

 

波動の世界には、一定の法則があり、それが今後、ますます、

証明され認められていくことで、人の意識に影響を与え、何よりも、

現代の西洋医学の方程式(対症療法:)といえる、”生命力”の存在

を無視して体を機械のように扱う方法が根本から変えられるきっかけに

なるのを期待したい。

 

あと数百年かかるか、数十年でたどりつくかわからないが、

”地球の医学は、心身相対理論や 量子学の波動法則を応用しない

幼稚園生のレベルに匹敵するものだった”と言られる時代が

くるかもしれない。

 

今日からご紹介するディスペンザ(医学)博士は、新しい時代を

見据えて、”波動”と”エネルギー”の世界を見据えている。

 

手元にある本の題名は、Dr. Joe Dispenzaが著した

”Breaking the Habit of Being Yourself”。

 

私なりに訳せば、“自分という殻(習慣)を破る”という意訳だろうか。

副題として“How to Lose Your Mind and Create a New One” 、

”心(マインド)を弛め、新しい心(マインド)を創造する方法“とある。

 

Mind は日本語ではなかなか適当な一言が私は見つからない。 

日本語で、"心"というと、heart(ハート)の領分も含まれるからだ。

英語のmind は心の役割にしたがって、意味が限定されていて、

知性が働いた心の働きのようなニュアンスがあると思う。 

だから、タイトルを意訳的にくみ取れば、“今まで自分だと思っていた

自分を超えて、真の新しい自分を創造しよう” という感じになるだろう。

 

これが、自分だと思っている”自分”は、実は、”自分”ではない? 

どういういう意味だろう?

 

”私は~だ”と思える”わたし”は、他者の視方や、環境や、文化や、

常識などの相互作用で創りだされたものかもしれないということだ。

 

何も考えずに、惰性のような毎日を送っている限り、その人の価値観

というのは”周囲に共調”していくという枠から出ることがない。

 

たとえば、幼少期に親からいつも、言い聞かされてきたことや、社会

(学校や職場)が判断すること、宗教・教育・環境文化が当たり前だと

主張する思想、などが、自然と、自分の価値観になっている場合が

多々ある。

 

物理学的用語には素人なので、翻訳が適当でないかもしれない。

原文を載せて読者の方たちの良識ある判断にも介添していただき、

次の著者の意見をご紹介したい。

 

“Quantum experiments demonstrated that electrons exists simultaneously

in an infinite array of possibilities or probabilities in an invisible field of energy.

But only when an observer focuses attention on any location of any one electron

does that electron appear.

In other words, a particle cannot manifest in reality-that is, ordinary space-time

as we know it –until we observe it.”

 

意訳)

電子は、エネルギーの目に見えるフィールドの中で、無限の可能性を

秘めたアレイの中に存在しているのだが、その電子を認識できるか否かは、

観察者の集中的な焦点をそこに定めたときだけだ。 

言い換えれば、素粒子の存在は、我々が知っている普通の空間の中では

われわれがそれを観察して気づくときまでは無いということになる。(以上)

 

この言葉を、もう少し日常的にわかりやすく言葉を替えてみよう。

美しい花が道端に咲いている。

“ああ、美しい”と通りすがりに私が気がつけば、その花は私にとって

存在していることになるけれど、気がつかなければ、”無い”に等しいと

いうわけだ。 

 

少し抽象的に比喩してみたい。 

”すべては自分の心の鏡”だと、よく言われる。

相手が自分に好意を持ってくれている、その好意は、自分が相手に

好意を寄せている反映かもしれないし、逆にもし、相手から反感を

買っているのなら、自分の心の中に、相手に対してどこか意地悪で

思いやりのない行為をする素地が潜んでいるからかもしれない。 

 

相手は、そんな目に見えないこちらの想いを、ちょっとした仕草や

言葉で適切に敏感に感じ取ることができたのかもしれない。

 

相手からいついも冷たく対応されるとしたら、自分も相手に期待

ばかりして、実際は、相手を大切に思わず、気分を害させる程度の

認識しかしていないからかもしれない。

 

だから、自分の心が相手に映っているのであり、それは、こちらの

“相手から抽出した自分の感情”どおりに相手もまた、自分に対応

しているといえそうだ。

 

さて、その時の両者の感情は、好意にしろ嫌悪にしろ、その時は、

それとして、“存在”しているものであるが、また、状況が変われば、

変化するのだろう。 

つまり、そうだと認識(認める)たとき、それは存在するのであり、

認識していないときは、それは存在しないに等しいということになる。

 

素粒子と感情とは質が異なると言う方もいるだろう。  

本当にそうだろうか?

 

“With this discovery, mind and matter can no longer be considered separate;

they areintrinsically related, because subjective mind produces measurable

changes on the objective, physical world.”

 

意訳)

心と物質は、こうした発見により、別々のものではないと考えられる。

緊密に相互し合っていて、主的な心によって、それに呼応するものは、

この物質的世界においては変化するからである。(以上)

 

ここではまだ、著者は触れていないが、物質も心もエネルギー体

であるという。

心(マインド)が主体となって、その対象に観察し認識し、気がついた

とおりに、その対象は姿を変えて行くというのが、ここのポイント

だろう。

 

だから、自分が思ったように、まわりは変化するのだ。 

プラス思考で対応すれば、まわり(対象物)はそれに応えるだろうし、

マイナス思考で対応すれば、そのエネルギーを受けて同じ対象物でも

違う形で現れるだろう。

 

著者はこう続ける;

“At the subatomic level, energy responds to your mindful attention

and becomes matter.”

意訳)

準原子レベルでは、エネルギーはあなたの心の気づき(観察)に反応し、

それを物質化するのだ。(以上)

 

そして、

”How would your life change if you learned to direct the observer 

effect and collapse infinite waves of probability into the reality that

you choose?

Could you get better at observing the life you want?”

 

意訳)

もしあなたが、“気づき”の効果と、無限の可能性を破壊してしまう

やり方を学んだら、どのように自分の人生が変化していくか?

自分が望む人生を引き出すようにもっと上手に人生を観察できるので

はないですか?(以上)

 

次回からもう少し掘り下げながら、心も物質もエネルギー体であり、

感情も環境も実は、エネルギーをコントロールする方法がわかれば、

新しいものへと創造できるということを、お話ししたい。

 

:::::::::::::::::::::::::::::

 

引用文は 

”Breaking the Habit of Being Yourself”

by Dr.Joe Dispenza  ,

HAY HOUSE, INC.

! st edition, February, 2012

 

 

 

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流鏑馬に成功した友

2019年12月18日 | 健康のための心の波動

科学者の見た心と体の関連性(1)         2019 /12/18

 

 

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 心と体は一体である、というのが、自然治癒力セラピー協会の基本認識だ。

まさに、一体だから、心の影響下に体はおかれているし、その反対もあるだろう。

体を大切に扱う人は、心に秩序が持てやすい。

たとえば、喫煙、飲酒、暴飲暴食、睡眠不足などの、健康を害しそうなことに気をつけて

いる人は、それ相応に、心が穏やかになることだろう。 

 

先回までご紹介した、村上博士の遺伝子研究の中で発見された、遺伝子の可能性を最大限に

発揮するための要素を、覚えていらっしゃる方もいると思う。

それは、心 の向け方で、人が“~したい”と願うことは、村上博士によれば、ほぼ100%

実現可能だという。 

どうせ、ダメだろう、今までも挑戦するたび、失敗したから、夢にすぎない~と心のどこかで

考えている限り、実現はしない。 

それは“~したい”と“どうせだめだ”の両方を意識していることは、結局 “だめだ”の方に、

遺伝子の動きが引っ張られるからだ。 

 

7年前にともにインドに行った友人Eちゃんは、先日、FB上に、ご自身の夢をかなえた写真を先日、

発表した。 

それは“流鏑馬”(やぶさめ)の体験成功の報告だった。

“思い続けていれば夢も叶うというけれど、ついに、騎乗して的に弓矢をあてることができた” 

というコメントとともに、彼女の勇敢な武者ぶりを遺憾なく発揮した写真が添えられていた。

 

7年前、印度から帰ってきてから、私に、“いつか鎌倉の流鏑馬のように、自分もそれを実現したい。” 

と 語った。 

当時のEちゃんは、乗馬を習い初めて日も浅く、旅先のインド、バンガロールでは彼女のたっての

希望で乗馬できるところを探した。

 

ようやく見つけたが、カッコよく乗馬したと語るには程遠い場所だった。 

数頭の痩せ細った馬が、繋がれている小屋があり、あばら骨が見えるような馬に乗ったことを思い出した。

 

乗馬といっても、初心者の私たちには、初めの一周は、馬の世話役のおじさんが手綱を握って、

一緒に歩いてくれた。

馬は意外と背が高く、乗るときも、よっこらショ と おじさんの介添えで、なんとか、馬にまたがり、

速度はポッカポッカと、歩く程度だったような気がする。

 

Eちゃんは、旅を終え、日本に帰ってきてから、流鏑馬の弓と矢を買い求めたと言う。

あれから、7年たった。  

彼女の真摯な想いで、練習にも余念がなかったことだろう。 努力の成果だろう。

この写真のとおりに、ついに、彼女は乗馬に励んで、全速力で走っている馬の背中の上で両手で弓矢を

構えて、遠くたてられた的に矢を当てるという“芸当”を実現させた。

快挙だと私もFBでそれを知ったとき拍手した。  Eちゃんは、還暦に手が届く年頃なのだ。 

いくつになっても、人間は挑戦だという言葉を思い出した。 

人生、まだまだいろいろなことがありそうだ。

夢を持つということは素敵だ。 

心と体の連帯感系がわかれば、夢を叶うためには、健康でいること、

そして、健康でいるためには心を健やかに、いつも、朗らかに、明るく持てばよいだけだ。

明るくなれないというときは、せめて、顔つきだけでも、嘘笑でもいいから、笑みがこぼれる口元に

なるよう、意思で口角をあげてみるだけでも、きっと、何かが違ってくるだろう。

モナリザの微笑みのように。 

モナリザの眼は決して楽しそうに笑っていない。口角がやや上に傾いて描かれているだけだ。

それだけで、神秘的な笑いの表情が生まれた。

だから、意識して、自分の口元を少し変えるだけで、少なくても、明るいイメージを発していくことは

可能だろう。

 

Eちゃんの夢の実現、これは、想いが行動になり、行動が結果を、そして、夢や不可能に思える願いも、

それを思い続けることで、いつかは叶うものだという実例の一つで、周りに大きな励ましを与えて

くれた。

 

“これこれをこんな風にしてみたい。こんな風になりたい。”

という希望がもし、心の中に種まかれたら、それは必ず実現する。 

遺伝子の世界的研究者村上博士も、科学的にそれは実証されているという。 

私たちの遺伝子は、まだまだ、眠っている部分が多すぎるというのだ。 

強い想いと希望と、信念は必ず、その実現に向かって役立つ遺伝子たちを揺り動かし、成功に

導くのだと、博士はいう。

 

そういう信念は、ほかの、科学者の説からも証明されているように思う。

次回からこのことについて、ご紹介しながら、少しずつ、”希望の実現の可能性”について、

皆様と共有できたら幸いだ。

 

 

”ぼくぼく”と”あるいている”、乗馬といっても、こんな具合でした。三番目の馬が彼女です。

(at  Banglore)

 

 

 

 ところが、7年後、夢を実現させて、勇士姿で両手を手綱から離して、的に矢を射る彼女がいました。

 

 

 

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