自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

上手な風邪時の入浴方法

2015年10月30日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

風邪は風呂に入って治すもの    2015・10・30

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早く風邪を治そうとして、熱を下げようとしたり、

咳を止めようとしたり、というような中断方法

ばかり講じていると、風邪を治そうとしながら、

体がこわばり、治りずらくなる。

私の友人の子供は、しょっちゅう風邪を引いていたが、

引くたびに、親として、友人が即効薬を飲ませるのが常で、

症状が止まっても、すぐ、また引き直すことが続いていた。

本当のところ、風邪が治っているのではなく、症状を

止めただけにすぎないから、風邪の本来の役割、体を整えて

正常な成長発育に適した体をつくる、という生体の自然現象を

十分果たせていないからだろうと思った。

 

整体の権威者 野口晴哉先生は 

天然の体をできるだけ、天然に保たなくてはならない。

そうなると、いろいろな治療行為よりは、

却って、風邪を上手にひき、上手に経過すると

いうことのほうが、意義がある。

と述べ、最近の風邪に対する考え方に警鐘を鳴らしている。

 

“最近の病気に対する考え方は、病気の怖い事だけを

考えて、病気でさえあれば、なんでも治してしまわなくては

ならない。 

しかも、早く直してしまわなければならないと考えられ、

人間が生きて行くうえでの体全体の動き、

あるいは体の自然というものを無視している。 

仕事のために早く直す、何々をするために急いで

下痢を止めるというようなことばかりやっているので 

体の自然のバランスというものが、だんだん失われ、

風邪をスムーズに経過しにくい人が多くなってきました。”

と言う。

 

風邪をひくということは、生体にとって”大掃除”的な 大切な

役目がある。

自然生命体である本来の私たちの生命力を考えたとき、

風邪を上手にひくことによって、更に体の柔軟性をまし、

健康体として整える”ことができるからだ。

目的があることがわかると、風邪にかかったといって、むやみに

恐れたり、厄介がったりする必要もないだろう。

 

だから、野口氏も、

早く治すというのが、よいのではない。

遅く治るというのが、善いのでもない。

その体にとって、自然の経過を通ることが望ましい。

できれば、早く経過できるような敏感な体の状態を

つことが望ましいのであって、体の弾力性から

人間の体を考えて行くと、風邪は弾力性を

回復させる機会になっている。”

と述べる。

 

弾力性が無い体は、いわゆる、体の局所に、“凝った”状態

を引き起こし、血の巡りやリンパの状況が悪くなるだけで

なく、体全体の気の流れにアンバランスを生じる。

”あんなに元気な人が”とか、”毎年がん検診を受けていたのに”

という言葉が聞かれるうらに、昨日までピンピンしていたのに、

急に脳溢血や動脈瘤でバタンと倒れた例が身の回りに

少なくないはずだ。

或いは、不意に重大な病気が発見されたりして 本人も、

回りの人も、ショックを隠し切れないこともある。

それは 偶然ではない。

すべて偶然のように見えているが、実際は目に見えない体

の生体機能の衰え、しかも、風邪のような自然現象を押さえつけて

体の自然的調節を妨げてきたからだともいえるだろう。

 

地球が大地の中の不必要なエネルギーを、地震や火山噴火で

押し出すように、体も大自然の智慧が具わっている。

それを私たちは自然治癒力と呼んでいるが、その力の

発動に協力しながら、余病を発病しないよう注意を施しながら、

上手な経過を計ることが必要だと思う。

 

前書きが長くなって恐縮だが、今日の話題は“風邪と風呂の

上手な入り方”で、野口氏は“風邪は風呂に入って治すものと

私自身そう思って、何十年間それをやっています。”

と述べている。(*1)

風邪は、風呂の入り方次第で上手に風邪を治すことが

できるからというのが野口氏の持論だ。

 

そもそも、お風呂に入るということは体の洗浄だけではない。

体を42度程度の湯温により、刺激することで、体の機能の働きを

高揚させ、毒素も排泄させることができるわけだ。

入浴するか否かは“自分で考えて、入りたければ入り、

いやだったら入らなければよい”というのが、適当な答えとも思うが、

昨今は、そうした自分の生命体である、自然体が話しかける 

注意を即している感覚すらわからなくなっている人も

増えているのは事実のようだ。

 

天気予報で明日はこうこうの温度だから、上着が必要だとか、

必要でないとか注意を促しているのも、そのことの裏返しの

気がする。

そんなことは自分の体に聞けば、他人が暑いと思っても

その時の、体調如何で、寒く感じるときもあるし、丁度よいと感じる

時もある。

私みたいにインドで長くいると、いまどきの20度前後は爽快で

夏用の長そで用シャツ一枚で十分だ。人それぞれ、体感が違うので

マニュアル化して、何を着たらよいかと公共放送で流すのも、違和感

を感じる昨今だ。

風邪時に、入浴するか否か? それを、入浴を”自分の感覚で”と

言っても 決めかねない人達も多いのかもしれない。

 

野口氏は

“入浴の効果は、湯の温度で皮膚を刺激して体の働きを高め、

体の内部の運動を多くする。温まると汗がでるということ

である。

そういう面から言えば、風邪をひいたときに、大いに風呂に

入らねばならない。”と意見する。

それでは具体的にどの位の温度でどのようにして入ったら

効果的なのだろう?

 

“使い方によっては、悪くなるものだけに、風呂の使い方には

十分注意しなければならない”としたうえで、

風呂に入ったらすぐ暖かい布団に入って休めるように

寝る前に入る風呂は避けるべきだとしている。

その理由は、体というのは、“温まっただけ冷える”ので、

起きていれば、その冷えた分に対応し、調整することが

できるのだが、寝てしまっていれば調整がつかないからだという。

 

一方、寝際(ねぎわ)に入るのが効果的な場合は、

きわめて疲労した体を弛ませ、休める”ための場合に限られる。

風邪の場合は 自分の適温に沸かした風呂より、5分から

一度ぐらい熱い湯に入ること。

そして、長くつからず、ぱっと出てくる。野口氏はこう綴る。

“ぱっと熱い風呂から上がって、赤くならない片足だけ、

もう一回突っ込む。

もっと、温度が自由にできるのなら、一旦風呂から出て、

一度上げた湯に、もう一回入るというのが良い方法です。

さらに良いのは、一旦、風呂釜から出ないで、風呂の中

にたって、体を良く拭いていれば、腰から下は足湯を

していることになる。 

その場合は赤くならない方を確かめて、赤くならない方

だけ、入れて立っていれば、もっと良いのですが、

まあ、両足をいれて置いても構いません。

たったままよく拭いて、それから又、入る。そして出てくる。

直ぐに出るという入り方は、風邪を治すのには都合が良い。 

出てきて、水を飲んでおけば申し分なし。“と述べている。

 

‘体が赤くなる’というのは、熱い湯に入ったとき、体の

皮膚温度が上昇して血流のため、赤くなることを指しているが、

まだ、深い意味がある。次回に話題を譲りたい。

 

*1) 前回と同様出版書  p・87

 

 

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一人でできる自然療法(野口整体から)~風邪に対して

2015年10月26日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

風邪の上手なひき方 ”背骨で呼吸する”ということ  2015・10・26

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 先回に引き続いて風邪の効用について・

先回述べたように、風邪は体の柔軟性を取り戻し、

本来の健康に戻す治療法だと野口氏は、言う。

風邪は人それぞれ、どういう時にひくか興味深い記述を残している。

誰でも その人特有の考え方や、偏狭性のある体の詰まり

や凝りをもっているものだが、それは心の持ちようのほかに、

具体的な毎日の体の使い方の習慣性もあるようだ。

いつも背骨を曲げている人、立ったまま長時間仕事する人、

手先に全神経を張る人、利き手だけ良く使う人、などなど。

野口氏はこういう。

”頭を使いすぎて頭が疲れても風邪をひく。 

消化器に余分な負担をかけた後でも風邪を引く。

腎臓の働きを余分にした後でも風邪を引く。

とにかく、体のどこかに偏り(かたより)の運動があり、

働かせすぎたところができると、風邪を引く。

だからお酒を飲み過ぎて絶えず、肝臓を腫らしている人

は肝臓系統の風邪をひく。 

普段余分に栄養物を取って腎臓を腫らしている人は

腎臓系統の風邪を引く。

しょっちゅう心配している人は神経系統の風邪を引く。“

 

でも、風邪を引いた後、上手に経過した人は、それらの

凝りが解けて、体に柔軟性を取り戻す。


風邪をひくと、下痢を良くする人もいる。

過剰な心配はご無用だ。下痢は、自然治癒力による、浄化作用だ。

アートマセラピーの施術後、体が急激に解け 帰りの電車でお腹が

痛くなって、何度か途中下車してトイレに駆け込んだという方は、

大勢いらっしゃる。


野口氏も同様のことを述べている。

“風邪とか下痢とかいうのは、われわれの考えた中では

一番、体を保つのに重要、というよりは、軽いうちに何度もやると

丈夫になる体の働き”

としたうえで、

“風邪と下痢の処理ということが、無理なく行われるか、

行われないかが、その体を健康で新しいまま保つか、どこかを

こわばらせ、弾力を欠いた体にしてしまうかの境になる。”

と述べている。 

 

風邪の経過といっても、知らずに上手に経過している人

は多いような気もする。

朝がた、急に温度が変わり、道を歩く人が何度も立て続けに

くしゃみをしている。 

数えてみると、続けて、5回はしている。


花粉症だからという理由があるかもしれない。

でも、こうして、’くしゃみと’で、胸の偏りが、だいぶ、ほぐれている。

整体の創始者、野口氏はどのようにして風邪を経過させたのだろう?

 

次ように述べている。

“私自身の風邪に対する処理方法は極めて簡単です。 背骨で息をする。”

背骨で息? 


唐突な表現のように聞こえるが、瞑想でも、背骨で息をする瞑想がある。

私はこれを想いだした。

“背骨で息をするというのは、息をずーっと背骨に吸い込む、

吸いこんで背骨が伸びて、反り返ってくる。

反りきりと、背骨に少し汗が出てくる。 

その間は2分か3分くらいです。 

汗が出たら、ちょっと体をひねってそれで終える。”

と、野口氏は書いている。

 

慣れて来ると、背骨に呼吸を通すことで、気が流れて行く

のを感じるようになる。

整体では、背骨の歪みに気を流して、体の悪い箇所を治療するのだが、

“通りの悪い所があれば、人に押さえてもらう。”と野口氏は言う。


この方法で40年間ご自分の体を整えてきたというのだから、

背骨で呼吸することを、試みたいと思った

“上手になれば、背骨で呼吸して、一度か二度、通せば、毎日の健康法

になる。”とも言う。

 

こうして風邪を上手に経過させる。

“そうすれば、難病を治せる”と言い、癌でさえ、風邪を上手に

経過させれれば、治ると野口氏は、明言する。

“癌に風邪の細菌をつけたら、癌がなくなってしまった。”という

説が一時出たらしいが、それほど、風邪を上手にひくことが

体を柔軟に健康に保つ特効薬だと野口は言うのである。


具体的にどのように整体するかということにも提言している。

簡単にご紹介したい。

 1・前かがみになりがちな人が、風邪を引いた場合

~喉と鼻の間から引いた風邪(鼻風邪、そして喉に行く)

 胸椎5つまり、首を下げると飛び出す背骨から

数えて5つ下がったところにある骨で、肩甲骨が一番

左右寄っている箇所の下にあたるところ、に気を流す。

 

因みに前かがみになりやすい人は腰椎(ようつい)一番、

(体をそらせるときに一番大きく動く骨)の動きが

悪い人なので、意識して伸ばすようにしよう。


上手に風邪を引くということは、胸椎5の回復を待つこと。

待たないで無理に体を使うと、気管に風邪は食い下がって

いく可能性がある。

そうすると、咳が出始める。


特に体を横にすると、胸椎5が引っ張られて、余計咳こんだりする。

‘風邪が悪くなった’と想いがちだが、それは風邪の経過の

一つとしてみるべきだ。

 

肩が前に出て前屈する人が呼吸器系の病気になりやすい人も、

こうした風邪の経過を上手に過ごして、胸や腰が解けるのを

繰り返すうちに、体質改善になるのだと思われる。


よく、肺炎を起こすと怖いから風邪を早めに対処させると

いうことで抗生剤を飲んで、症状を抑えることがある

しかし、こうして野口氏の生体論、整体の手法を読むと、

私が日ごろ感じているように、風邪をこじらせるというのは、

ヴィールスのみの原因ではないように思える。


胸椎5が縮む、あるいは、凝る。

それを解く前に、体が無理をすると、胸椎5のみならず、

胸椎3番や4にも影響が出てくる。 

弾力性が失われてくると、こわばり、肺の病気にかかりやすくなる

というのだ。 


ましてや抗生剤の服用で、胸椎5を緩めようとしている体の

自然治癒力を抑えてしまうと、そうした可能性が減るというより 

34の緩めようとする働きさえも妨げるようだ。

 

“前屈習性の人で胸椎5が飛び出し、三番、4という骨が硬く

張ってきたら、この風邪は長引く、面倒だと見なくてはならない。 

5のみなら、簡単である。”

 

簡単であるというのは、先に述べた腰椎1を解き、そこが緩んで

動きが出れば、治っているからだ。

“ただ、胸椎34に異常の在る人でも、腰椎(ようつい)一番が治れば、

やはり治っていく”

ということなので、風邪を予防するために、セラピーでは腰を

よく解くのも、こうした意味合いがあることを 整体施術法を

知って納得したところである。

 

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風邪の効用 2015年版

2015年10月23日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 

上手に風邪をひくということ    2015.10.23

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 10月もおしつまり、11月に入れば、冬将軍を迎える前線も間近。 


毎年この頃になるとインフルエンザ流行の話題が出る。

これまでにもブログでは 風邪の効用や上手な乗り越え方など

を話題に書かせていただいたが、

今日は整体の創始者、野口晴哉氏の著書から皆様に

ご紹介させていただきたい。


風邪の定義はいろいろあるようだが、真に効く風邪薬

を発明したらノーベル賞ものだと友人の医師が言って

いたように、原因は、とらえどころがないらしい。


油断していれば他の病気を併発しかねない。

いつの間にか治ってしまうときもあれば2か月以上 

咳き込む風邪をひいたこともあった。


野口氏は、風邪をひく大元には“弾力を失った偏りの

有る身体の部分”基の弾力或る細胞に戻そうとする

自然治癒的な体の智慧があると言う。


“体が鈍くなっていると、病気を感じない、異常も感じない、

自分は大丈夫なつもりでいる。

突然ばたっと倒れる。


それで急に死んだからといっても、頑張って鈍くなって死ぬ

一歩手前までいっているのだから、本当は不意ではない

のですが、それまで何ともないつもりでいるから、

不意とか突然とか偶然とかいって高血圧症を怖がっている。 


その前に体の弾力という面から体を観て行くと、突然、

脳溢血で倒れるのも、癌になるのも、決して偶然では

ないのです。”

 

つまり、風邪を引く効用として、こうした体の一時的な

つまりや凝り、を解くということがあると野口氏は言う。 

それは全く同感だ。


風邪の症状、鼻水や熱、咳や痰などは、すべて体の汚物

(注:体の凝りや’つまり’のためヴィールスに侵入され、

体の自然治癒力で一掃された死骸など)を出すために

必要な過程であるといえるのだ。


よく、毎年健康診断をしていたのに、癌が見つかって、

慌てたという話を耳にする。


これは、最新のクリニック機器を使ってデータを

とっても、物理的には完璧なデータでも 

’つまりや凝り、順気’などの測定は、無理だからだ。


野口氏は続ける:

“ガンにしても、白血病にしても、肝臓病にしても、

あるいは、脳溢血にしても、自覚しない内にふっと

病気が重くなり、自覚したときは間に合わないというのが

今の病気の特徴です。 

そういうのはその根本に鈍くなっている体がある。”

 

具体的に風邪の症状を経過して体に弾力を取り戻す

というのはどういうことだろう?


血圧が高い人は血圧が低くなる。 

それは血管が柔らかくなるからだ。

血管の弾力性がでるからだ。

弾力ある血管は はりのある心のように、疲れ知らずだ。

頑張りのきくエネルギーが体の細胞に運ばれる。


野口氏が数万人の体を診てきて

風邪は病気というよりも、風邪自体が治療行為では

なかろうかと考えている”という結論に至るのだ。

 

風邪の症状を抑え込むより、もし、風邪自体が治療行為

であると信じられれば、穏やかに風邪の症状が過ぎゆく

のを見つめることができる。


そのとき、無理な運動や仕事をすることはむしろ、

その症状がでるために体を張って頑張ってくれている

身体に対して、休養を与えることも必要だとわかる

だろう。


多くの人たちは子供のころから、ほとんど、風邪の

症状が出たら早いうちに薬を飲んで治すよう、

習慣づけられているから、“風邪を完全に経過しないで

治してしまうことばかり考えていると野口氏は言う。

“普段の体の弱い所をそのまま残して又、次に行き、

又、風邪をひく”という結果を残す。 


風邪の原因、体の凝りや偏り、を見直そうとしない。

あるいは仕事上、どうしても力を入れなければならない

身体の一部の箇所の疲労のたまり、それを 野口氏は

一言で“運動習性”と呼んでいるが、或るところに

負担をかけ続けていると風邪を繰り返す“必要性”も

出てくる。


野口氏の患者たちを総合的にみて

“ガンになる人とか、脳溢血になる人とかいうのを

丁寧に見ると、皆、共通して、風邪をひかないという人が多い

という。


“絶えず、風邪を引いたり、寒くなると、急に鼻水が出る

と言うような、いわゆる、病みぬいた人”

は逆に長生きしている人が多いともいう。


体が鈍くなると疲れに対して鈍感になる。

鈍感になるから、風邪をひくほど、体が敏感に対応

しなくなる。


熱や鼻水などで体を守り、ウイールスに対して抵抗する力

も弱くなるから、体はますます、運動習性を強めて、

その人特有の凝りを定着させていく。

 

“上手に風邪さえ引けば血圧も下がるし、

体の硬張りもなくなるし、或る一部分が冒される

ようなこともなくなってくる” と野口氏は言う。


冒頭の風邪の定義に戻ると、だから、風邪という

のは一人ひとり詳細部分で原因は異なり、

その人の偏った体の“凝りのあるところ”に顕れて

来るといえるだろう。 


喉にきたり、鼻にきたり、お腹にきたりする

のもその由縁なのだろう。

“天然の体をできるだけ天然に保たねばならない。

そうなると、いろいろな治療行為よりは、却って、

風邪を上手にひき、上手に経過することの方が

意義があるのではないだろうか。“と提言する。

 

参考図書:“風邪の効用”改訂6版 野口晴哉著 ()全生発行

 

 

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チャクラの具体的活性化方法と癒し

2015年10月20日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

 

チベット観想法と 仏教ア字観の共通性       2015・10・20

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 実際どうしたらチャクラが開けるのか?という質問を

個人的にいただいた。

 

チャクラを開こうと思わなくても開いている人はいる。

普段から、心がけて愛と喜びを与えている人は、

それ自体が一つの修行を無意識に行っているわけで

自覚していなくてもチャクラは活性化しているものだ。

頭でスピリチュアルな話を理解したつもりで 

知識を披露しながら、深い討論に時間をかけても

それは決して霊的に開かれた人と言えない場合もある。

 

ある大覚者(*1)の言葉で、

“癒しとは、問題とのかかわりを極力弱めながら、

空間を占める徳性とのかかわりを強めることから

得られる”の一行は、私の心に響いた。

癒しとは精神的にも身体的にも当てはまるだろう。

心が癒されれば、大方の病も癒されるからだ。

 

この言葉を具体的に考えてみよう。

たとえば、人間関係がうまくいかず、悩んでいるとする。

その場合、この言葉は;

どうしたらその人と関係がうまくいくのか、

自分の言動の何が相手を傷つけたのか、

または、相手が許せないほどの言葉を、

自分にかけたその理由は何かなどと、

くよくよ考えず、自分の本質である愛が

十分に相手に注がれているのか(?)を

見直してみよう” 

という意味合いに受け取れる。

 

慢性の持病に苦しんだ時、私が意識的に心を

解放する方法として 

痛い、痒い、もっと明日は悪くなると考えずに、

本来の自分の体の持つ治癒力と生命力を信じよう。” 

と 当面する“問題”にのめりこまず、空間

(とリンポチェは呼ぶが)、つまり、空=現象

を生み出す大元のエネルギー、別名は、

’善なる大いなる生命力’にゆだねようと、

ぶれないように生命の本質とのかかわり合いを

保とうとする心を自覚しながら時を過ごした。

 

想いが想いを呼び、その想いが強くなると、

念の作用として姿を現象としてあらわすのは、

すべての事物が存在して‘見える’対象に

なっている理由である。

リンポチェがいうように、徳性、つまり、自分

の中に備わっている愛や喜びに視点を置くこと、

その視点を強め、心のふり幅(信じることと疑い

との間)にぶれないように、していくことから 

“癒し”が生まれるというのだ。

 

その方法は、様々だろう。タントラ派の方法を

前々回にご紹介したが、リンポチェが掲げる

チベットの古い哲学、ゾクチェン思想では瞑想

を主体にチャクラを動かし、心を明晰にしていく

方法が説かれる。

 

瞑想していても、苦悩や混乱は心から離れないものだ。

リンポチェはそれはそれでよいとする。

思い浮かぶそうした想いを大空を風とともに、

ゆっくり流れていく雲のような存在としてとらえる。

そこにあるが浮かんでいるが、(時間の経過)とともに

消えて行く存在だからだ。

 

悩みがあるから、こうして瞑想していられるのかも

しれない。

心を落ちつけたいと思うから、静かな時間を持ちたい

人は願う。

だとすれば、私たちが問題としてかかえていることは、

自分を一歩先に薦めてくれるための

触発材料としてとらえればよいだけだと、

リンポチェは言う。

悲しみを知らなければ、喜びもわからないだろうし、

不幸だと感じなければ幸福な瞬間も見逃すからだ。 

ゾクチェン思想で使う “空間” という言葉、

それは、“さまざまな資質が現れ、現象化する場であり、

空間こそ、”すべての存在の源”という考える。

 

それは仏教の空観にも似ていて、

“生じたこともなく、滅することも無い空間は

変わることなく、時空を超越して純粋であり続け、

悟りを得た者のみがこの叡智を持ち、信念をもって自分が

純粋な存在であることをかんじられる。”としている。 

 

阿吽(あうん)という言葉でもおなじみの 

ア観想法は真言宗で用いられているが、ゾクチェンの

教えでも、“ア” の響きに純粋性の空の本質

理解する言霊があると考えられている。

 

リンポチェの著書 (*2)から ア観想法の要点

をご紹介したい。

*********

アの音を繰り返し歌おう。

呼吸とともに響きを吸い込み、吐き出す。

呼吸は生命の息吹。呼吸に意識を向けよう。

呼吸と響きは表裏一体だ。

 

アの音の響きには、精神面と肉体的側面がある。 

息を吸い込んだり吐き出したり、意識を

こに向けることで心と呼吸が一つになる。

心は御者で呼吸は馬だ。馬は今、走りだし

駆け抜けようとしている。

そこにはチャクラが並んでいる。

 

繰り返し ア音を歌おう。その響きに守られ

プラーナは心と体を駆け巡り、肉体的、感情的障害、

心の妨げを浄化していく。

かたくなな思い込みも消える。

“ア”の響きは、こうしてあなたの奥深いところ

にある空間を開く。

 

今すぐ気がつかなくても、自分自身が開かれた

状態であることに気付く瞬間が必ずやってくる。

その具体的方法は以下だ。

①  アの音を歌うときは、はっきりと明瞭な声を出す。

②  意識は額のチャクラに向け、音と肉体がつながる

イメージを持とう。 

その時、音に秘められたエネルギーや振動

感じ取ってみよう。

③  額のチャクラから白い光がほとばしり出ている。

それを心の中で映像化してみよう。この光が存在の

基盤となる次元を司っている。

④  アの響きを瞑想しよう。 

アの音を歌いながら、無限に広がる空間と自分が

つながっていることに集中しよう。

アの響きは 妨げとなるものを解き放つ力を

持っている。

自分ですら気づかない奥深い場所にある妨げ物

もすべて解き放たれるので、その空間は

ますます広がりを見せ、自分とつながって

いることを知る。歌い続けることにより、

こうした効果が高まる。

⑤  その瞑想が深まると、自分が忘れていた存在、

太古から変わることのない完全な魂、

例えれば、砂漠の上に広がる雲のない

晴れ渡った青空のように広大なオープンな

存在であることをかんじられる。

⑥  時々雲のように、悲しみや狼狽が

思い起こされたように浮かぶかもしれない。

それはアの響きによって、徐々に消え去り、

そのあとに青空が見える。

アの言霊はこうして青空の視覚を妨げる

障害物を浄化し、空間を広げる力を持つ。

⑦  空間を創りだそうとするな。

すでにその空間はあなたの中に存在している

ことを知れ。自分の中に純粋で無限に

広がる次元が存在していることに気付く。

それが阿音の持つ言霊の力である。

 

こうして、明るく広がった次元が自分の中に

存在することを、実感することができてきたら、

そこに留まることをお勧めする。

仕事していても歩いていても、その次元にいたとき

の実感を想いだせば、同時進行で行動と瞑想を

することは可能だ。

 

 

 

*1~ テンジン・ワンギェル・リンポチェ 

インド北西部、アムリッサル生まれ。

チベットポン教・ゾクチェン思想を

西洋社会に広めた先覚者で米国 

バージニア州でリグミンチャ研究所運営。

*2~ チベット聖なる音のパワー 2010年 

KKベストセラーズ発行

 

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自殺者も天国へ*ゴッホの例

2015年10月08日 | 健全生活のために”死”の常識を反転



広島・長崎原爆で亡くなった人のあの世での評価?  

2015・10・8

**********************************

 

私たちは”自分”を”物質的な要素で構成された身体”

と同一して

”その肉体”が灰になれば”死んで無になる”と思っている

人が大半だと思う。


こんなエピソード(フィクション)をご紹介しているのは、

実存する自分は ”肉体の外”にいて、”今の生”の自分は

何かの目的のために”この肉体”を借りて生きていること


そして、”実存する自分の魂”が実は その”今の生”の舞台を

前もって決めて生まれてきたということ・・・を上手に

表現しているからだ。

 

この魂は、最後に天使たちから、‘次の生の死について’

選択を迫られる。


次回の人生予定では、こんな体験をしてみる?というように・・

たとえば、

自動車事故? 

コカインの過料摂取? 

失恋させた相手に殺される? 

ベランダから偶然に落ちてきた落下物にあたって死ぬ? 

溺死? それとも自殺?


人生テストに点数がつくとしたら、火あぶりの刑など、

苦しみが大きいほど、得点が加算されるという。

 

500点という加点があるので、火あぶりされたカタリ派

(1112世紀の黒魔術、いわゆる魔女)の多くが 輪廻転生の

サイクルを終わりにすることができました。” 

 

現代では、それに代わって冤罪など 

“無実の罪で電気椅子に掛けられた人”、

癌患者で“全身に転移した場合は”300点以上の”加点になる

という。


これは物語上の話だが、実際、自ら命を絶つより、他者

を助けようとして殉死した魂は、加点が高いのも納得できる


語弊があるかもしれないが、広島長崎で犠牲になった人達も、

きっと、天国で極上の加点を与えられているような気が

してならない。


むごい原爆の犠牲になることで世界の人々に平和を、

核兵器放棄を、戦争反対の大きなメッセージを 後世に

ほぼ半永久的に、残してくれたからだ。

 

生命は永遠だと、賢者はとく。 

肉体は一瞬にして奪われてもそこから脱した瞬間 

生命は文字通り生きた命として違う形で

復活するという。

犠牲者の方達は 熱い地獄のような火の海から 

愛の手で天上に引き上げられる瞬間

すでに苦しさは取り除かれ、安堵と平和の中に 

天使たちに誘われて天国に上るヴィジョンが

私の脳裏にははっきり映る。

 

さて、話を基に戻すと、選択を迫られた“魂”は天使

にこう答える:

“わたしは加点はいらないから、さっさと死にたいですね。

夜寝付くときは生きていて、

朝おきたときこと切れているとか・・”


それに対して天使は

“残念だが、ドチュウ―さん(須田注:この魂の名前は 

ドチュウ―だった)

あなたの現在の得点、マイナス230点ではそれほど快適な

死を提供できません。


次回の生の 死に際はどちらかというと、暴力的な

ものにしかならない。

それも、あなたの描いた絵画作品に、何らかのオーラを

与えるものになるだろう“

 

ここで天使は一人の有名な画家の名前を出す。

ヴァン・ゴッホだ。


力強いタッチで原色に近い色を選び、点描したその絵は 

有名な“ひまわり”の作品をはじめとして、同じ印象派の

ルノワールやモネなどと、異なる“情熱”を示している。


彼は極めて多くの作品を残し、名前も世に出ないまま、

作品を、姉に託して死んだが、当時はほとんど評価されず、

姉もがらくたをもらったぐらいしか思っていなかったようだ。


現代では、億もつく単位で売買されるようになった彼の絵は、

数奇な運命をたどった天国にいるゴッホの目にどう映って

いるのだろう。

 

天使はこうつぶやく

“ゴッホは良く描いた。多く悩み、苦しみ 死んでいった。


しかし彼は純粋な霊に戻り、苦しみの生で600点加点されて、

輪廻転生のサイクルを終わらせることができたのだよ。”

 

その真偽はわからない。

ゴッホは自分の耳をそぎ落とした。

たぶん、うつ状態から統合失調症的な精神状況で苦しみ、

悶々とした最後だったのだろう。


自画像をみると、鑑賞者を見つめぬく瞳には、深い湖の

暗さの中の鋭い閃光を感じるようだ。

余談だが、ゴッホは私の最も惹かれる画家のひとりだった。

 

オランダで、彼の作品を掲げた美術館を訪れ、ゴッホの

揺らぎ多いがゆえに求めた“光”が随所に輝く多くの作品に

触れ感動した。


この“光”こそ、モネやマネ、ルノワールの平和な光と異なる、

異色性をもつ、美と狂気の両極端を揺れ動く“人間の魂の幅”

を示したものだと感じた。


だからこそ、多くの人たちを魅了することもうなずけた。


私たちは どんな人間でも、結局“光”を求めているのだ。

太陽の、月の、心の、そして本来の人間の細胞原子のミクロ

の世界にきらめく生命の光を。


その”光の点”を描き続け、それを見る人達に 生命と

生きていることを感じさせるエネルギーを与えてくれた

彼の功績は、確かに大きなものがあったのだと思う。

 

話がそれてしまったが、ドチュー氏は 結局 “自殺”を

選択した。

カミソリでバスタブのぬるま湯で動脈を自ら切る~

という選択だ。


天使はまとめる。

では最後に。

あなたは次世で、女性として生まれ、体力は下、

美しさは上、視力は上、声質は中、カリスマ性は特上、

ウイットは下、嘘つく才能は上、技術は下

(たとえば、洗濯機の操作が上手くないとか運転が

下手だとか)、

知性は中、誘惑能力は上、忍耐力は下、根気は上、

料理才能は下、怒りっぽさは上、楽器演奏能力

は下、ピストル射撃能力は上、スポーツ志向は下、


出産願望は中、喧嘩の才能は上、泣き真似の才能は上、

冒険志向は下・・・“

 

 これは、この魂が次に生まれてきたときの性格や人生

に影響を十分与える資質である。


こうしたことまで決める必然性はあるのかどうか・・・?

ちょうど、それは、演出家が、ドラマの登場人物の

役柄を設定するにあたり、明晰にその役柄を演じる

役者が演じやすいように細かく‘実際存在しているが如く“

リアル性をだすために描写するのに似ている。


だから、私たちの性格が、多少ひねくれていても、

欠点があっても嘆くのに値しないということかも

しれない。


こうして 今の生を生きるにあたって、身体的、

精神的ハンディーを持ちながら、

舞台を演じるための”人柄”まで決めてきたのだ

としたら。


そうした設定された役柄を演じながら、どこまで、

自分の人生の使命を全うできるか・・


そこに集中することがこの劇の完成度を高める秘訣の

ような気がする。

 

 引用部分 

 “タナノート” ベルナール ヴェルベール、日本放送出版協会、1996

 

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