自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

エディ夫人への手紙(2)

2020年05月30日 | 健康と直結する”一元論”について

想念と病の関係・・・・・     

2020年 5月30日

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クリスチャンサイエンスの創設者エディ夫人の究極の形而上的癒しの理論を

ご紹介してきた。

深く切り込めばきりがないほど、その論は深く、強く、確信に満ちている。 

神への信頼と神から与えられた命は完全で病はそこに存在しないという信念は、

エディ夫人の意識にゆるぎない

 

が、どんなにその信念と信仰が完全でも、人はいつかは死ぬ。 

死ぬというのは消滅するのではなく、身体の皮衣を脱ぐわけだ。 

人は”死ぬ”という現象の直前までは生きているし、死んだあとでも、

意識があるとしたら、結局、”自分”は消滅することはないのだ。

最近の私はそう感じるのと同時に、だからこそ、以前のように、

”~~だから****だ”と 一定の原因結果のルールを全面に押し出すのに

やや抵抗を感じ始めている。

 

どういうことかといえば、エディ夫人のように、完璧な形而上的癒し論を

展開させていたとしても、ある日、何かがきっかけで認知症になったり、

記憶喪失症になったり、大病にかかったり、不慮の災害に見舞われたり、

という、想いもがけないことが絶対、起こらないと誰が言えるのだろう?

という疑問が出てきたのだ。

 

自然治癒力で私はこれまでの虚弱体質を変えてきた。 

それは確かにそうだ。

誰の手からも”気”と呼ばれる、”プラーナ”の電力(電磁波)が

出ていることも知っているし、それで大概の体の不調は改良できるし、

新陳代謝は、体全体を数か月かけて細胞全部を変える(*1)という

メカニズムに視点を当てていれば、人間が老化することもないこと

を知っている。

 

神は愛なり、愛はすべてを覆う。 それに、波長を合わせられれば、

心身調和や外的環境が整えられることも、体験ずみだ。

が、だから、そうだからと言っても、例外があるということも

つきつけられた。

”人生は奇なり”と言えることが実際、周りに置き始めているのだ。

であるのなら、これが真実であると言い切るのには、この人生は

短すぎるのではないか?

そういう心持であることをもふまえて、先回の続きをご覧いただければ

ありがたい。

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親愛なるエディ夫人へ。

 

たとえば、次のあなたの言葉(同著234頁)は、どうでしょう?

“Sin and disease must be thought before they can be manifested.

You must control evil thoughts in the first instance, or they will 

control you in the second. 

Jesus declared that to look with desire on forbidden objects was

 to break a moral precept. 

He laid great stress on the action of the human mind, unseen

 to the senses.”

 

須田訳 ~罪と病は、現象化する前にすでにあなたの心の中にある。

心に罪や病を招く考えがわいたらすぐそれを制御すること、

でないと、次の瞬間にあなたがコントロールされてしまう。 

キリストは(聖書の中で)、禁じられている対象

(スダ注:たとえば女性など)を欲望の心で眺めるだけで、

モラルが破られた(スダ注;聖書には姦淫と同罪とある)

と明確に説いている。

キリストは、(外からの)感覚ではとらえられない人間の(

内なる)心の動きを非常に重要視した。“(引用終わり)

 

エディ夫人へ・・・ここで、想いと行動とは、同じものであることを

あなたは打ち出していますね。

私もこのブログで、”意識”を考えながら、想いのエネルギーが

現象化されたものが物質であり、環境であり、病であり、境遇で

あるということを考えてきました。

想いが病むと、体も病む。

では、どのようにしたら 病の想念をコントロールできるのか、

その箇所をあなたの言葉の中から見つけてみたいと思います。

 

いくつかの実話が例としてあげられていますね。

たとえば、237頁には、“A little girl, who had occasionally listened 

to my explanations, badly wounded her finger. She seemed not to notice it.

 On being questioned about it, she answered ingenuously, 

“ There is no sensation in matter.”

 (須田訳: 私(エディ夫人)の話を時々聞きに来ていた女の子が、

悪いことに指を負傷した。

しかも、本人はそれに気がついていないようだった。 

そこで誰かがそれを尋ねたとき、女の子は無邪気にこう答えた。

‘物質(指)には感覚はないの。’ と。”

(引用終わり)

 

この女の子は頻繁にエディ夫人のもとで、お話しを聞いていたのでしょう。 

感覚は私たちの心が感じるもので物質そのものには無い~ということは、

たぶん、指を怪我したことさえ気がつかないでほかのことに心が夢中に

なっていたのでしょう。

 

キリストの言う、”幼子のような素直な心を持つなら天国に行けるだろう”

という言葉を思い出させますね。

幼子は、先入観念や常識にとらわれていない。

 

あなたはこの小さな女の子に、日頃から “肉体は物質で、物質には

感覚はないのよ。 

何か感じるのはその人が~なったら痛いとか、苦しいとか、そういう

心があるからなのよ。”

と教えていたのに違いないですね。・・・

 

ガンジー(印度を独立に導いた独立運動の父と慕われる聖者的政治家)

の話を思い出しました。

彼は、麻酔なしに、手術に挑んだのです。

そんな大胆なことができた理由は、肉体とスピリチュアルな

自分の境界をはっきり意識して線をひいていたからだと聞いた

ことがあります。

 

大人たちの智慧は、近代教育が教える物理的法則や生物学的知識に

裏付けされています。

常識観念というのも、多くの人たちの感覚的判断に支えられています。

そういうものに裏付けされた信念ほど、換えることは難しい~と

つくづく思います。

ましてや、あなたの言うように、‘真理による治癒’が 病の‘根本的改善’

であるという考え方に替えることはとても難しいことでしょう。

何故替えることが難しいか?

あなたは次のように書いていますね。(237頁)

 

“They devote themselves a little longer to their material gods, 

cling to a belief in the life and intelligence of matter, and expect 

this error to do more for them than they are willing to admittee 

only living and true God can do.”

(須田訳: 彼らは自分たちが信じる物質的な神々にもっと、

献身的に仕えることが、真理の実在にまします神に自らを託すより、

大きな利があると期待している。“

(引用終わり)

 

Material Gods(物質的な神)とは私たちの周りにたくさん存在しています。

お金、名誉、恋人、憧れの異性、薬、その他諸々・・・・

人は二足のわらじを履くことはできない、というし、二つのボートに

片足ずつ乗せて進むこともできない、という喩があります。

同様、物質的な神と、真理の実在の神、と二つの神を追い求めることは

できないのでしょうか?

私にはわかりません。 

ただ、やはり二足のわらじを履くことはできない~と思います。

時々、取り換えながら、二足のわらじを活用しているのが、

私たちでしょう。

どちらのわらじを履く時間が長いか~の違いがあるだけでしょう。

エディ夫人、あなたの徹底したセオリーを読むと、身がひきしまります。

曖昧性は微塵もないほど、徹底しているからです。

私は、たぶん、徹底できない曖昧性を受け入れながら、それでも、

心のどこかの次元では、ぶれない自分をも同時にまた、見つめて

生きていきたいと思います。 

それが精いっぱいのところ~が本音かもしれません。

 

 

引用原文箇所:

Science and Health with Key to the Scriptures”, 

by  Mary Baker Eddy

published by The First Church of Christ, Scientist, in Boston, Massachusetts, 

U.S.A  1982 

(*1)体は1年未満で体内の98%の原子を入れ替える。

これは 5日毎に 胃腸内壁 をつくり、

1か月毎に 皮膚 をつくり、6週間毎に 肝臓 をつくり、

3か月毎に 新しい 骨格 をつくる。 

さらに、DNAについて、こう発表しています。

何億年もの 進化の記憶を保持する遺伝子物質である 

DNAでさえ、6週間前と同じではない

 

 

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4 コメント

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神様があなたに (Unknown)
2020-06-02 10:56:52
神様があなたに言わすように記事は自らが書いたつもりでも神様が書かせておられます。人々の縁も全ては神縁仏縁 愛した分だけ人は愛される ありがとう 神鳥
返信する
2020年6月2日の神島様 (須田恭代)
2020-12-22 01:28:07
2020年6月2日にコメントを下さった神島様
半年以上たってから、あなた様のコメントに気がつきました。おっしゃる通りです。この記事は、”神様があなたに言わすよう記事は自らが書いたつもりでも神様が書かせられておられます。”というお言葉どおり、私の中のアートマ意識(神性なる部分)が神様と繋がり言葉が出てきております。同時に、神島様も、あなた様の内奥の”アートマ意識”(神性意識)がブログを読んでくださっております。”愛した分だけ人は愛される”、この言葉をかみしめて生きていきたいと思います。私のほうこそ、尊いコメントを、ありがとうございました。
返信する
クリスチャン・サイエンス実践士・渉外部 (サインズ高井富二子)
2024-04-24 12:08:30
こんにちは、

先生に直接送れるメールアドレスはありますか?

サインズ高井富二子と申します。
わたしの投稿が長いのか、送れないのでよろしくお願いします。
わたしのメアドは、japan@compub.org
です。
ありがとうございます。
返信する
投稿の件 (須田恭代)
2024-04-26 15:05:11
高井様

クリスチャンサイエンスの実践士という高井様に、
ご要望の私が直接拝見できますメールアドレスを送らせていただきました。
もし、この記事に関連して、私のクリスチャンサイエンスの解釈が、クリスチャンサイエンスの渉外部に属する高井様との解釈と、相違があれば、それに関して、議論させていただく余地はなく、あくまで、須田個人の考えとしてお受け取り下されば幸いです。(読者のかたも、自然治癒力セラピー協会の考えとして判読されていると思います)

もし、それ以外で、何か不都合がございましたら、どうぞ、お知らせいただければ幸いです。

それに対しては、きちんと訂正して、ブログ上で公開させていただきます。
何卒、ご理解の上、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
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