自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

人の心を変えることほど難しいことはない

2020年10月11日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

自分が変わることはできる       2020 10月11日

*********************************************************************

先日、親しい友人の一人から電話をもらった。 

娘とのちょっとしたやり取りを通して、

最近、違和感を感じることが多く

なったという。 

それは、腹を痛めて産んだ子なのに、

自分から遠のいて、これまでのようには

理解できない人間に変っていくような

気がする、ということだった

 

家族といえども、年月を重ねると

ともに、いつのまにか、どこかで、

何かがずれてきている感じがし

不可解な感じが否めないところ

まで事態が進んでいる~と

気づくときがある。

たとえば、甘えん坊で母親の影

にすぐ隠れてしまっていた気の

弱い幼い息子が、気がついたら、

自分に対して強い自己主張を

するようになったとき、

優しかった母親が、いつの間にか

認知症がすすんで、突然、他人を

見るような目つきで自分を

睨みつけられたとき、価値観が

共通だと思っていた姉妹が 

誤解がもとで、自分に反感を持っている

ような素振(そぶり)を見せるとき

::::などなど。

 

家族でさえこうしたことが起きる

のだから、他人の心を読んだり、

まして、変えようとすることなど、

ほぼ不可能に違いない。

 

幸いに私は、幼い息子の一言で

人生観が変わった体験をしている。

それは、こんな息子の一言だった。

彼がまだ、12歳前後だった

ときだろうか? 

ニューデリーの自宅近くのイタリアン

レストランで、食事をしていた時の事。

未熟な子供盛りと思っていた息子から、

何気に私に懇願するように、しかも、

さりげなく、言われた

その情景は今でも鮮明に想いだす

ことができる。 

その言葉とは、

”頼むから、人に対して、ジャッジは

しないで欲しい” という懇願だった。

 

当時の彼は日本で教育をうけるより、

海外で教育を受けていた時間の

ほうが長かったから

”judge"という英語が口にでたが、

その適切な日本語が浮かんで

こなかったのだろう。

そう言われて、私も一瞬とまどった。

ジャッジ?  評価を下すという

意味だろうか?

 

そう、良いとか悪いとか、これは

こうだ、ああだとか、対象者や

対象物に、点数をつけるかのように、

自分の物差しで分析して評価を

下すことはしないでほしいと

いうことだった。

ガツンと肩をたたかれて喝を

入れられたような気分だった。

 

幼いと思っていた彼が、自分なり

の信念を持ち始め、鋭い感受性

とともに、母親の人間性に対して

コメントしたのだ。

それからは、人との会話で、

何かを簡単に評価するような

言葉が出そうな時に、

この言葉が脳裏をよぎる。

自分の狭い価値観を基準に判定

下さないよう、注意すること

ができた。

 

冒頭の友人の電話の話を聞き

ながら、幼い息子とのそんな

体験とともに、南インドへ行き、

たびたび訪問したサイババ師

の話も想いだした。 

それは、”人の心を変えること

ほど難しいことはない。 

神でさえ、人の心を簡単に

変えることはできない。

人には自由意思が与えられて

いるのだから。” 

という言葉だった。

毎日世界中から何千人と集まって

くる多くの信奉者に、当時、

神の化身と崇められていた

サイババ師でさえ、信者の心で

すら変えることは難しい、という。

 

一方、夫婦間や親子間で、

”この人を、良くしようと、私が

変えなくては誰がそうできるの?”

いう責任感で意気込んでいるケースは

意外と、多いようだ。

たとえば、こんな事例を読んだ。(*1)

倒産寸前の夫の会社の経理を担当

している妻が、夫に熱意をもって、

いろいろな助言をする。

こうなったのも、あなたのこういう

所が災いしているのよ、

こうこうしたら、それが改善される

のではないかしら? 

社員に対してどれだけ思いやり

を以て接していたの? 

やる気を与えることができたのかしら? 

あなたさえ、こうこうすれば、きっと、

会社の雰囲気も違って、みんなも変わる

と思う 云々・・・

 

善かれと思って妻は 夫を説得する

のだけれども、そうすればそうする

ほど、夫はイライラして、妻の言葉

耳を貸すところか、口論に

発展したり、意欲をうしないがち

になるという悪循環が続いた。

 

或るとき、妻がふと、相手は

自分の心の影である、という 

唯心緒現の法則を想いだした。

そして、そういう夫の姿の裏には

私に原因があるのかもしれない

と謙虚にこの事態を見つめて、

反省して、そして、ただひたすら

相手の実相(本性)が完全で

円満で、素晴らしいのだと

いうことを、嘘でも良いから、

見つめてみようと逆の発想を試みた。

 

その時の言葉が、あのハワイの

古代の秘法といわれる、

ホ・オポノポノの言葉だった。

”~さん(夫の名前)有難うございます。

感謝しています。 

愛しています。 

私のいたらないところを許してください。

私が気がつかないまま、あなたを

傷つけてきていたら、ごめんなさい。 

ありがとうございます。 

ごめんなさい、許してくださいね、

愛しています、本当にありがとう。”

 

そして、相手を変えようとすること

を改め、自分の内を整えること

から始めた彼女の成果は1年

ほどで現れたと言う。 

そして5年後には会社は元の

軌道に順調に乗るどころか、

数倍の利益を上げるよう

になったという。

相手を変えたければ、自分が変われ

~ということだろう。

 

ところで、昨日、自然治癒力セラピ

ー協会の大切なメンバーの方から

電話をいただいた。

”抗生物質はもう、私には不要に

なったみたいです。

そう聞いていても、自分で体験して

納得しないと、なかなかわからない

ものですね!”

 

精密検査を受けて、今の不調の原因

の一つが抗生物質の副作用にある

可能性を大病院の医師に

指摘されたという。

ご本人も自然治癒力でカバーできる

と思いつつ、過去の体験や周囲の

意見で抗生物質をとっていたが、

これからは今までのようには

とらないだろう~と語った。 

ブログで”抗生物質の神話” 

や ”薬の副作用”を婉曲的に

これまで何度か私も書いて

きたが、真意が人の心に

届くのは なかなか難しい

ようだ。

サイババ師が”人の心ほど思う

ようにはならない”と言われて

いるのだから、私たちはまず、

自分を変えていくことから

始めるしかないのだろう。

自分が変われば、周囲も必ず、

変わる~という信念をもって、

根気強く、結果をすぐ求める

のではなく、自分の修行のつもりで

・・・・そのために 生まれて

きたのだから・・・・

死ぬまでに結果がでなくても、

必ず、来世には結果がでる

でしょうから・・・

 

気を長く・・・穏やかに・・・

あきらめずに・・・

自分を見つめていきたい・・

 

 

 

*1心が楽になるホ・オポノポノの教え   

イハレアカラ・ヒューレン、 丸山あかね著   

2012年 イースト・プレス発行

 

 

 

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ウニヒピリとの会話最終回 ~ 自然治癒力

2018年09月14日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

 I am sorry , I love you , Please forgive me  and Thank you

 *********************************2018・9/14 

 皆様、おはようございます。

今回で、ウニヒピリのシリーズは、今日で一応、おしまいです。

 

ここで取り上げてきた、ホ・オポノポノのハワイに古代から

伝わる問題解決の秘宝は、モ―ナ女史が、昔から現地に伝わる

ホ・オポノポノと呼ばれる古い様式を改善して、問題に対して

個人で向き合い、個人の意思で浄化して、解決していくという

特色をもつものに変えました。


それが、ヒューレン博士達、愛弟子たちによって、世界中に

現在、広められているものです。

今日は、その女史が必ず唱えていたという”祈り”の言葉を皆様

に、最後にご紹介させていただきたいと思います。

 *********************************

ここに モ―ナ女史が常に、祈りの言葉として、相談者の

問題解決のために祈っていたという言葉がある。

 

”神聖なる造り主よ、父よ、母よ、子よ、もしも、私自身、

私の家族、親類、そして子孫らが あなたの家族、親類、

子孫らを、ここに至る我らが創造物の始まりより続く思考、

言葉、出来事、行動のために、傷つけていたのならどうぞ、

許したまえ。「①】

全ての否定的記憶、障害、エネジー、動揺、これを洗い清め

たまえ。(②)

しかして、それらを浄化し、解放し、切り取り去り、そして

これら望ましからぬエネジーを純なる光に変えさせ給え・


かくのごとく為されたことに、感謝いたします。(③)”

 

この特に変哲のない施術前の祈りで、大方の問題は解決した

と、女史の愛弟子、ヒューレン博士は言う。


モ―ナ女史は、神に祈ると同時に、各自がいつでも、どこ

でも実行できる、浄化方法を教えた。

つまり、徹底的に、冒頭の4つの言葉を復唱すること。

”I ’m sorry, I love you,

please forgive me , thank you " 


これらの言葉を口に出しても、出さなくてもひたすら感情を

抜きでも良いから、復唱することが、浄化につながるのだ。


 さて、この4つの言葉を、上のモ―ナ女史の祈りの言葉に

重ねてみると、その言霊の深みが増してくる。


まず、上記のモ―ナ女史の①から③までの項目の中にひか

れた、傍線の部分にご注目。


①では過去において(現世だけでなく、過去生においても)、

知らず知らず、誰かを傷付けていた自分の言動を反省している。

自分の血をひく人達のそうした行いを含めて、モ―ナ女史は

赦しを乞う。

 

今の’生’に限らず、’過去生’の’何世代にわたって、いろいろな

軋轢や争い、不調和な人間関係が、数多く起こりえたこと

だろう。 


たとえ、自分が気が付いていなくても、相手のためと思って

言ったり、行動したことが、場合によっては 迷惑なお節介

や、独りよがりの善行に過ぎなかったことも、あっただろう。


周囲の関係者を、知らないうちに悲しませたり、傷つけたり、

したことがあったかもしれない。 

 

誰に謝罪するのか? 

赦しを乞うのか? 

 

”神聖なる造り主よ、父よ、母よ、子よ”、とあるから、相手

の神聖なる’神格’に対して、又、両親(の役割を演じていた魂達)、

子供(の役割を演じていた魂達)をも包括的には、指すのだろう


読み方によっては、子は、”神の子”ととれば、すべての自分

以外の”他者”という意味にもとれそうだ。

 

①の言葉、赦したまえ(please forgive me)と、モ―ナ女史は

初めに、誰かを傷つけてきた事があり得るという事実を 謙虚に、

認めて、赦しを乞う。 

 

だから、ホ・オポノポノの浄化の言葉の1つ、”ごめんなさい”

(I am sorry)という言葉に連結する。

 

②番目にある、洗い清めたまえという モーナ女史の祈りの

言葉。 

洗い清める対象は、憎しみ、疑い、嫉妬、誤解などからくる

不調和な現象もさることながら、一番大切なのは、自分自身

の過去の生を含め、気が付かない、忘れ去っている自分の

自分を傷つけた過ちに対して、言うのだろう。


そして、洗い清めるためには、自分の中にある愛を自覚する

ことも大切だ。 

 

相手がどんな暴言をはいたとしても、自分の心が、大海の如く

おおらかな、包み込む境地にあるとき、自然と、相手の暴言

は気にならなくなり、傷ついたと思う自分の心も、洗われて

いくことだろう。


自分への愛を深めることは、相手への愛を深めること

そこで、”I love you"が、ホ・オポノポノの重要な浄化

の言葉となる。

 

③の感謝の言葉。

これは、こうして祈りの言葉を述べ、その想いが届き、叶う

ことに対しての感謝の気持ちとして、表現される。


’自分の知らない、潜在意識の中に、今の不幸や悲しみの種が

あったことを知り、それを浄化する機会を与えてくれた”

と受け止めるこだけでもも、感謝がでてくるだろう。

 

そして、すべての、祈りとは、疑いの心より、必ず、

”叶う”という確信ができたとき、それは、本当にそうなる

他ないものだ。

だからこそ、その確信があるからこそ、その結果に対して、

先に感謝の気持ちを表す。


すでに、自分の欲する状態(事、物、現象)は与えられている

という確信のもとに、③の”Thank you"という感謝の言葉で

締めくくられている。

 

ここで、自然治癒力を考えたとき、こうして、自分自身とまず、

調和をとれた状態にすること、それが、免疫力などの、力の

増強につながっていく。


これは、身体と心の関連性を’心身一如’(心と身体は一致する)

の法則から考えると、理解しやすい。

心療内科を設立した、池見博士の診療は、このスタンスを元に

心のバランスをとることと、病を治すことと、平行して行われた。

それはまた、機会があれば、是非、ご紹介したいと思う。



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私とウニヒピリとの対話(8)

2018年09月07日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”


ホ・オポノポノが最終的に求める

仏教の無我の境地 2018・9/7

******************************************************

 前書き)

”ウニヒピリとの対話”について、詳しく書いていると、ある

特定の精神的集団(教団?)の後押しをしていると勘違いする

方たちがいるかもしれません。

次回で、この関連最終記事は終了予定ですが、このテーマを

お届けしたいと思った理由は、自己セラピーのエッセンスを

ご紹介したいという気持ちからでもあります。

 

自己セラピーというのは、自分自身の本質を引き出すために、

自分自身でするセラピー、

の力に頼るではなく、誰の言葉に翻弄されるのでもなく・・・

‘過去のカルマにとらわれない、本来の自己の本領を発揮して、

満たされた心持で、フレッシュに今を生きよう’という積極的

あり、静謐的であり、もっとも落ち着いた自分を取り戻す

自分で自分の本質に高め上げるための、セラピーのことです。

 

らに、そうしたメンタルの癒しのみならず、体の健康に

直結するという大切な要素がここにあります。

なぜなら、自己セラピーで、’もっとも落ち着いて自分らしい

自分’に近くなればなるほど、誰もが持つ、自然治癒力が発揮

しやすくなるからといえるでしょう。

 

そのヒントを、“ウニヒピリとの対話” の中で見つけていた

だければ幸いです。

********************

①   ”潜在意識にある記憶のうち、どの記憶が原因になっていて、

どの記憶を消去すべきか、ウニヒピリはわかっています。”(161)

今、この場に現れている、不幸や病気の原因が記憶にあることが

理解できたとしても、過去の自分の記憶のどの時代のいつ?

どこで?の”部分”なのか?

それは、誰にもわからないだろう。

 

ところが、ウニヒピリはわかっているらしい。

ヴェーダ哲学でいうところの、チッタという心の部分に匹敵

するのかもしれない。

つまり、記憶を司っている心の領域であり、その記憶から

さわしい行動が何かを判断して、顕在意識に知らしめる働き

をもつ

 

②   ”顕在意識の記憶の1100万倍もある潜在意識の記憶の中で、

どれがその人に苦悩を及ぼしてるのか把握するのは、不可能な

ことです。”

その潜在意識の記憶メモリー量は莫大で、今、私たちが意識

できる現在の意識の、1100万倍あるというのだが、見当が

つかない。

その記憶の中から、現在に起こっている事象と関係のある、

記憶をどのようにして見つけすのか? 

あるいは、見つけ出して、どのようにして、クリーン、つまり、

浄化するのか?


その答えが、博士の提唱する、4つの言葉であり、(ありがとう、

ごめんなさい、赦してださい、愛しています。)だ。

その中で、特に、’赦してください’ という言葉は、口にする

ことは、やや、抵抗があるものだが、その意味と、効用は以下

のように説明されている。

 ③   ”‘赦してください’という言葉は、自分の中のウニヒピリ

に語り掛けるのです。”(167)

 

これは、すべての現実に現れている事象の原因は、自分にある

という考え方、自分の過去の為とその記憶が原因であると

いう考え方が、基礎にある。


だから、ウニヒピリに、’赦してください’ということで、今と

なっては、”記憶のない記憶の自己の行為”、”それによって、

無意識にせよ、意識的にせよ、他者を傷つけた事実”を、素直

に謝罪するということになる。

こうして、’潜在意識の倉庫の主’である、ウニヒピリに、今の

現象の原因を、探してもらい、見つかったら、”赦してほしい”

という言葉を託すのだ。

では、そうする行為によって、何が変わるのか? 

以下に続く。

 

④   ”自分にできるはずがないという自信のなさ、どうせ、

ダメだというあきらめ、そうした根拠のない感情を、生み

出す記憶に翻弄され、人生の迷路にはまっている人は

大勢います。

’ああしたい’とか’こうしたい’という欲望のあるうちは

ゼロの状態に至っていないということ、だから、クリー

ニングしてください” (172)

 

’無意識の限定’、’自分の力の限界設定’、’可能性の否定など、

いろいろな言い方ができるのだが、簡単に言えば、

”自分には、理である“とか、”また、失敗するだろう”という

認識は、そもそも、過去の実績からくる記憶が自分の無限の

可能性に対して蓋をしてしまっているせいだと、ヒューレン

博士は言う。

そこでそうした感情にクリーニングする。

つまり、潜在意識のその(無理無理)という感情の基になって

いる”記憶”を除去する必要があると、博士は言う。 

そうしていくうちに、ウニヒビリとクリーニングをして、

記憶が排除されて心がゼロに近づいていく。

ゼロに近づいていけばいくほど、本当に必要なことや願いは、

自然と周りが動くような形で、自分のもとにやってくるよう

になる。

 

では、最後に、心がゼロとは?

⑥   ”心がゼロの状態というのがどんなものか、想像してみて

ください。ゼロとは、時間のない世界です。

人生を仕切る境界線などはなく、空間は無限大に広がっています。

物質やお金の概念もありません。

ゼロの状態というのは仏教でいうところの無我の境地、

完全な自由の世界なのです。”(175)

 

これは、”無執着の境地”と同じようだ。 

すべて自分が必要なものは、意図しなくても、与えら

れているという”無限の供給の宇宙意思”に自分が、委ねられる

ようになった時の、心の状態だ。

欲せずとも必要な人やモノが集まってくる状態でもある。

 

時間や物質がない空間、これは無の境地というより、空(くう)

の境地ともいえるかと私は思う。

本当にないのではなくて、すべて、過去未来現在が 生み出

される点であり、物質が無いのではなく、すべて必要な物質が、

供給される原点(最大のエネルギーの最小公約数)という意味

で、そう思う。

 

こうして、過去に溜められた、忘れた”記憶”をウニヒピリが

掘り起こし、今の自分の表面意識で唱える、感謝と愛と赦しの

言葉が、そのクリーニング(除去)化を行い、最終的には、

ゼロの地点に到達する。

それがホ・オポノポノの最終ゴールであるとしたら、それは、

人としての生を受けた以上、ぜひ、到達したい、最終ゴール

ような気がする。

 

 

***********************

 

 

 


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 私とウニヒピリとの対話 (7)

2018年09月01日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

聖なるインスピレーションを得るために 2018  9/01

****************************************

前書き)途中二回ほど、脱線しましたが、引き続き、私自身の

’ウニヒピリ’をテーマに、今日は、先回の8月16日に

引き続いての、第7回目となります。

 

”ウニヒピリとの対話”について、詳しく書いていると、ある

特定の精神的集団(教団?)の後押しをしていると、勘違い

する方たちがいるかもしれません。

 

しかし、今後もこのタイトルで、数回の原稿を載せる予定

ですが、自然治癒力セラピーとの密接な関係があってこその

話だからです。

それに関連する、”自己セラピーのエッセンス”をご紹介したいと

いう気持ちからでもあります。

 

自己セラピーというのは、何でしょう?

 

私独自の言葉で言い換えれば、

”自分自身の本質を引き出すために、自分自身の力でするセラピー、

誰の力に頼るではなく、誰の言葉に翻弄されるのでもなく

・・・そのプロセスとして‘過去のカルマにとらわれない’

ようになり、本来の自己の本領を発揮して、心身ともに

自分らしく、好ましい状態で、”今を生きる”ことができる

”施術方法""といえるでしょう。

 

それはまた、肯定的エネルギーに満ちているからこそ、

行動的で、積極的で、同時に、静謐的(せいひつてき)な

自分の顕現を可能にします。

 

力を抜いて、努力するという気負いもなく、それでいて、

もっとも落ち着いた自分らしい自分に戻ることが、自己セラピー

の大きな目的です。

 

そして、そういう ’もっとも落ち着いて自分らしい自分’である

ことは、必要な時に内在する自然治癒を発動させる

”ジェネレーターの役目”を果たすということでもあります。

 

そういう、セラピーを自信をもって、自分自身で行えるように

なれば、嬉しいですね。


その方法の1つのヒントを、一連の “ウニヒピリとの対話” 

の中で見つけていただければ幸いです。

内容は、先回(8/16)からの続き~となります。

************************************

今日のテーマ: 潜在意識の記憶を清める、クリーニングを

徹底的に行うことの意味とは?

 

身の回りに起こる事件や事象、良いことも悪いことも含めて、

それは自分自身の心の影だとヒューレン博士は言う。


ましてや、目の前で、苦しんでいる人を見たとき、その原因は?

と考える前に、”これも自分の過去の何らかの記憶(カルマ)が

作用して、こういう状態をこの人にもたらしているのだ。”と、

考える。

 

相手の不調和の状態の原因すら、自分自身の心の中にある

としたうえで、その責任を負うぐらいの心持が必要だとも、

博士は言う。

 

その責任を負うという方法は? 

 

難しい理屈はなく、自分の潜在意識の浄化をするだけだ。

方法としては、ただ、I love you と心の中で無限に反芻

しながら。 


なぜって、目の前の相手の不幸は、自分も、その原因の一端

担っているのだから、”その要因となっている自分の中の

忘れた記憶”の”消去”に全力を注ぐことが、解決の一番の

手段だと博士は考えている。


具体的に、①から③までの青線引いた部分は博士の言葉となる。

 

①   苦しんでいる人を良くしたいと思ったら、まずは、そう

思ってしまう自分自身の記憶をクリーニングしよう。(139)

 

苦しんでいる人を見て、その苦しみは、その人の運命、

あるいは、その人が解決すべき原因があるに違いない、と、

第三者の立場から、考えるのは普通だ。

 

そして、その解決策を講じるとき、理性的に状況の分析や

判断をすることで、苦しみの原因を探り、改善策を考える。

 

ところが、ヒューレン博士は、まず、自分自身の記憶を

クリーニングすることが先決だと言い切る。

これは多くの人にとっては、多少、納得のいかないもので

あるかもしれない。

 

なぜ、自分の目の前の人が痛みを覚えているのに、その

痛みの原因が、’私の記憶のせい~と考える必要が

あるのか?’という素朴な質問が出る。

 

何故? 

それは”すべての自分の周りに起きていることは、自分の

記憶の責任だから”と、ヒューレン博士は答えるだろう。

 

実際、ヒューレン博士は、モ―ナ女史から教えを受けて

以来、聖なるインスピレーションによって導かれる人生

を送るために、常時、記憶の浄化を続けている。

 

そして、多くの実地体験を通して、その方法が、どのように、

効果を上げてきたかを、実証してきた。

自分に関連して起きている人の苦しみや、不完全な現状を、

自分自身の心の浄化を通して、取り除けるということを、

多く実証してきた。

 

私は、遠隔施術を頼まれたりした場合、この博士の言葉を

時々思い出す。

つまり、相手への施術だけではなく、自分自身のカルマの

浄化を行う~大切さを博士の本から勉強させていただいた。

 

それは、他者への施術をするときだけに限らず、どんな瞬間

にも思い出したとき、”自分の浄化”を念頭に、自分なりに

実行することにしている。 

 

②   ‘とにかくこの想いは手放しましょう。愛しています’

とウニヒビリに話しかけながら、記憶のクリーニングを

繰り返していたところ、1年ほどで、会社は順調に動き始め、

それから5年経過した今では,御主人の会社は彼女が

悩んでいた当時の何倍もの規模へと成長しました。

 

ここで博士は実例を挙げている。

会社の運営が厳しくなった夫のそばで妻が、この状況は

自分の記憶が作り出しているという博士の真実を受け入れて、

記憶の浄化に励んだところ、その成果が確実に出たと

いう話だ。


どのようにしたら、効果的な記憶のクリーニングができる

のだろうか?


博士は次のように教える。

③   まず、ウニヒビリに話しかける時間を作ること、

次に心が安らぎを取り戻すことができる場所へ足を

運ぶことです。

’ごめんなさい’’’赦してください‘’愛しています‘ と

クリーニングを行うと、あなたの潜在意識の中に

存在しているウニヒビリが、自分が愛されていることを

理解し始めます。

 

基本的にウニヒビリは記憶を再生させてしまう存在です。

ですから、あなたは絶え間なく、記憶のクリーニングを

するのと同時にウニヒビリに対して、’記憶に気づかせて

くれてありがとう‘と感謝をし続けることが大切なのです。

 

あなたがすべきことはただ、これだけ。

ほかのことは考えずに、ひたすらシンプルにクリーニング

を続けていればよいのです。

 

’こうなりたい‘とか’あれが欲しい‘などという欲望を

クリーニングしてください。


あなたの心が無欲でゼロの状態になれば、インスピレーション

はギフトとなって、あなたのもとへ必ず降りてきます。”


ごめんなさい~と言っても、実感なく、感情なく、機械的に

こうした言葉を口に出して、果たして効果があるのか?~

という質問を多く受けるようだ。

 

その、博士の答えは決まっている。

”言葉の持つ力が、必ず、効果を出すので、感情を込めるか

否かは、関係がないのです。”

 

この答えは、私自身の体験を思い出させた。

私が10代の頃に学んだ

”谷口雅春先生の教え”の中の1つには、これと、同様のことが

あった。

それは、”感謝の言葉”の効用である。


ひたすら、”ありがとうございます” と念じるのである。

何か、他者との不調和がある場合相手の顔を浮かべながら、

呪文のように、この感謝の言葉をつぶやく。

理不尽でもよい。

 

相手の実相(アートマ)を気づかせてもらうために、

こんな嫌な想いを私はしている、これも私の体験だ。

あなたの実相は、完全です。


意地悪を私にするために、あなたは、決して、私にこんな

言葉や態度を投げかけているのではない~と。

 

すると、知らないうちに、相手が変化し、状況が変わり、

大調和の世界が表れたことを多くの体験者から聞いたこと

がある。

 

****************

 

 

 

 

 

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私とウニヒピリとの対話  (6)

2018年08月16日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

 

ヒューレン博士の考え方と“アートマ論   2018 8/16

******************************************

前書き)

ウニヒピリとの対話”について、詳しく書いていると、

ある特定の精神的集団(教団?)の後押しをしている

と勘違いする方たちがいるかもしれません。

今後もこのタイトルで、数回続く予定ですが、それは、

自己セラピーのエッセンスをご紹介したいという気持ち

からでもあります。

 

自己セラピーというのは、自分自身の本質を引き出す

ために、自分自身でするセラピー、誰の力に頼るでは

なく、誰の言葉に翻弄されるのでもなく・・・‘


過去のカルマにとらわれない、本来の自己の本領を発揮して、

満たされた心持で、フレッシュに今を生きよう’と いう

積極的であり、静謐的であり、もっとも落ち着いた自分

を取り戻すセラピーのことです。

 

そして、そういう’もっとも落ち着いて自分らしい自分’

であることが、内在する自然治癒力を自然発動させる

ジェネレーターの役目をするということです。


そのヒントを、“ウニヒピリとの対話” の中で見つけて

いただければ幸いです。

 

*****先回からの続きです。

①   あなたはいつだって、完全な存在です。“(130)

”イメージしてみてください。あなたは、いつでも大きな力と

繋がっています。

それゆえに完全な存在なのです。神聖なる存在があなたに限りない

愛を送ってくれているからです“(131)


いつでも大きな力と繋がっている~と言われても そうですか!と

ストンと信じられる人はそうそ多くないだろう。


大きな力って? 

繋がっているって? 

実感がなければ、大きな存在を考えたことがないのに、そう

いわれても・・・

私どもは、’つながっている’という言葉の代わりに、


’すべてにわたり完全な存在’こそが’私たちの本質にある’ 

という言い方をしている。

 

それがアートマとサンスクリット語で呼ばれる”人間の持つ、

本来の神性、本性”のことなのだが、宗教的には、”人間は

神の子である”という言い方もできるだろう。


諺(ことわざ)の中で、

”渡る世間は鬼ばかり”なのか”鬼はなし”なのか、疑問が出る。

どっちともとらえられるのが、現世界の状態。

 

とはいえ、”鬼とか、悪魔”というのは、神学的に言えば、

天使や天に上る魂が堕落して地上に落ちた存在なのだから、

元はといえば、これまた、本質的には天使の魂を持った、

天上に上がり損ねた存在、よって、天上界に縁があると

言えはしないだろうか?

 

しょせん、この世の中は、”二元の価値を常に持つ”

世界だ。 

裏があれば表があるように、どんな人や事物、事件や事象

の中に、常に、二元の価値が見て取れるだろう。

この世に生きている限り、天があれば地獄があり、神がいれば、

悪魔という存在が生み出されて仕方がないだろう。

 

しかし、この世を去れば、”高次元”に”魂”が行けば、

という意味では、完全なる世界、つまり、”一元の世界”に限りなく

近づいていくはずだから、その過程の中で、人は初めて、

”自分の神聖なる本性”を感じたり、考えたり、悟るということに

なるのかもしれない。

 

”バカは死ななきゃ治らない”~という古い言い草を思い出す。

死んだら治るのか? 否、肉体的死によって 必ずその

”悟りのプロセス”が意識されることだろう。 

むしろ、肉体的身体的に必要だった、時間や空間、様々な

常識や価値観などが、あの世では存在せず、霊的進化の道程で、

次々と、’真理’なるものが、目の前に突き付けられる形で、納得

したり、真実なこととして、飲み込まなければ

ならない体験が待っていると、私は信じている。

 

②   クリーニングしていれば、不幸な気分でいる家族や

友達の意識が次第に晴れ渡ってくるのを感じるでしょう。


その人が努力して明るさを取り戻すのではなく、その人

の心にかかっていたネガティブな想いが、霧が晴れるように、

自然に消えてなくなるのです。(132)

 

記憶をクリーニングすることで、超越意識が天上から直結した

聖なるパーフェクトな情報をインスピレーションという形

で潜在意識の力を借りて、現実意識に呼び起こす。


その時、雲が霧消(むしょう)するように、たちまち、

晴れ渡った、障りのない、おおらかな心持になることだろう。

 

”努力して”明るさを取り戻すことは、不可能だ。

なぜって、努力する裏には”私は明るくないから、明るく

なろう”という意識、

つまり、”明るくない”という事を受け入れて、認識として

持っていることになるから、そう認識している以上、明る

なろうと思っても、なかなか、明るくなれないのだ。

 

こうした矛盾は多く存在する。

~になりたい、と努力するより、~にすでに私はそうなっている

だ、と確信して、前に進む方が、はるかに建設的結果が

得られるはずだ。


つまり、本来、晴れた空のように、軽やかで明るい心持の自分が

本当なのだと自覚して、あとは、不要な感情に翻弄されること

なく、湧いてきた想いを浄化しながら、励めばよいという

ことなのだろう。

 

ちなみに、ヒューレン博士の浄化方法は、”I love you"と

言い続けることだ。

ほかの言葉もあるのだが、もっぱら博士はこの言葉を

使用していると伺った。


自分がまだ20代初頭のころ、人間神の子無限力 という言葉

を繰り返していた時期があった。

インドの、シルディババ(サイババの前身と言われる)は、常に、

”アッラーマーリック”と言い続けてた。

 

シルディババはイスラム教徒であったので、意味としては、

”アッラーの神が私の主人”という意味だ。


私という小さな自我意識はない、この体は、宇宙の神(アッラー)

の意思によって、動かされ使われている~という徹底した自覚を

持つための、シルディババの、瞬間時、唱えている、マントラ

だった。

 

小さな自我意識、潜在意識の生み出す感情や意思は、

アッラーが自分をお使いになっているご主人様だと

意識変容することで、消えた。

そして、神の僕(しもべ)として、忠実に何をすべきか、

瞬間瞬間、の言葉を唱えながら、身と心を大きな自我

託していたのだ。


③   この世界におこることはすべて繋がっています。

あなたが記憶の中で悪い印象をもっていることがあると、

その記憶がネガティブな想いとなってくない方向に作用し、

結果として他人に対しての言動も攻撃的になってしまいます。

 

逆にあなたの心が穏やかな波、澄み渡った空のような状態で

あれば、あなたが発想する想いもポジティヴなものとなり、

その想いを受け取る相手もポジティヴな気持ちになる。


そうした想いが巡り巡って再び、あなたのところにもたらされます。(135)

 

すべてがつながっている。~ という認識。このことを、

地球の人の25%が、そう自覚したとき、戦争や汚染問題、

虐待や差別などが、静かに、自然に、跡かたなく消えていく

ことだろうと思う。

 

チベットポン教の教えでも、’人の心の本質は、澄み渡った

空のような状態’だと説く。

晴れ渡った、曇りのない、大きな空のような心こそ、人の本来の

心持の姿だ。


それは、”お釈迦様の像は笑っているのでも微笑んでいるの

でもなく、正も不もない、安穏な状態に浸っているのだ”

と言った達人の言葉を思い出す。

 

私たちは楽しい時は声をたてて笑い、悲しい時は声を上げて、

泣く。

楽しい時、可笑しいとき、高揚するほど、晴れ晴れしい人生の

舞台の上でも、ハムレットの悲劇のヒーローのような悲しみ

の慟哭の中にいるにしても、少し、角度を変えて、深い自分の

心を見ることができれば、それは、安穏で平穏の中、

はたから見れば微笑んでいるがごとくに静かに、

自分の揺れ動く感情とは無関係に、平安で、その大きな空に

溶け込んでいるかのようだ。 

 

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