自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

情報と心(2)

2021年12月27日 | 健康のための心の波動

昨日の続き                     2021/12/27

********************

 

さてここに一人の運命論者がいる。

彼はここまで読んできて考える。

”祈ったにせよ、浄化できるかどうかは運命がもう決まっている

のだから、努力してもそうならないときはそうならないのだ。”と。

運命?

そう、それがもう神の意思だよ~と彼は思う。

 

神の意思という概念が一番強い宗教の一つに、イスラム教がある。

運命論者が言うように、すべてのことは、神の意思が伴わなければ

実現しないという。

ところが、それでも、自由な決定権は神は与えている、つまり、

運命も変わる可能性があるということをイスラム教の聖者が

言っているのでご紹介したい。

 

イスラム教の一派、スーフィー教徒のメヴラーナ(*1)という聖者。

彼は、信仰心が如何に深くても、神の意思であるのなら、

定められた運命は覆(くつがえ)す事ができないと、確かに言っている。

同時に矛盾しているが、神は自由意志として、どの道を私達が

選ぶかの自由を与えたとする。

その理由はこうだ。

もし、アダムの時代から自由意志が与えられていなかったとしたら、

アダムとイブが楽園の禁じられた果実を食べ、罪意識を

持つことはなかっただろうから

 

“私達は、自らを裏切ってしまいました”といって、神の前

に悔悛の涙をアダブが流したとき、禁断のリンゴを口にする

誘惑を、撥ね退けられなかったアダムの心情は、彼の自由意志

から生まれたものだったとメヴラーナは言う。

 

確かに、がんじがらめに神が彼の心にまで蹂躙して、

自らの意思に従わせようと手足を縛ったのなら、むしろ、

こうした罪意識を抱く行為はしないですんだのかもしれない。

恥じる事、困惑すること、後悔すること、など、そうした、

感情は神が定めた道で起きるはずはない

 

メヴラーナは言う。

“自由意志は呵責(かしゃく)の念として映し出される。 

もしも自由意志が無いというのならつきまとう、恥の感情を

どう説明するのか?

この悲しみ、罪の意識、困惑、羞恥をどう説明するのか?”(以上)

 

さらにユーモアに富んだ例も挙げている;

“泥棒が判事に向かって訴える。

’判事様、私はただ、神の定められたとおりにしたまでのことでして。。’

判事もまた泥棒にこう応える。

‘私もまた、神の定めるままにすべきことをしているに過ぎない’“

(以上引用)

 

泥棒も判事もここで”神の意思のまま”という言葉を使って

自分の行為を正当化する。

もし、そこに自由意志がないとしたらだ。

しかし、神は自分の原型に基づいて人を創り出したと聖書にはあり、

一神教であるイスラム教も同様に考える。

ならば、神に自由意思があるのだから、人間にも同様に自由意思

が与えられているはずだ。

 

最終的にメヴラーナの考える自由意志と神の定命との関係は

だから次のように言えるだろう。

”人間は地上において神の代理を務める力を与えられた。

多くの知識と智恵を与えられ唯一生物の中で神を賛美する

ことができる能力を持つ。

人間は選択する力、自由意志でそれを行使する事が

赦されている。

この特権を持つ以上、責任も負わされる。”(以上)

 

つまり、自分で撒いた種は自分で刈り取るという因果の法則が

それである。

神に責任を負わして、自らは怠惰に、停滞を赦すことは

自由意志を有意義に使っている事にはならない。

するだけのことをして、最後には神の手に任せるという

選択は、日本語でいう、”人事を尽くして天命を待つ“

という態度にも匹敵するのだろう。

そして情報を選ぶこと、過去に撰んだ情報を修正すること、

潜在意識に積もった古い役にたたない、

負の想念を捨てきる事、浄化して新たな今を生きようと

希望を持つこと、誰にでもある困難や悲しみを

自由意思を持って、カルマの清算と受け入れること、

などの選択は私たちは思い立った今に取ることが

可能なのだと思う。

 

その時、不条理的な運命をも自由意思で受け入れ消化

する強さを持つことに依って、その人なりの生き方と

真の信仰(何教というのではなく)が、生まれて来るのだと思う。

 

 

 

(#1)777年没。

本来は、バルブの子だったが、

悔悛し地位を得て修行の道に入ったと

される伝説的なスーフィー

(イスラム教の一派)の聖者

 

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情報と心(1)

2021年12月26日 | 健康のための心の波動

情報断捨離の大切さ                2021/12/27

******************************************************

 

情報は私たちの周りにほぼ無限に存在している。 

コンピューターを使えば、人間の脳裏なら途方もなく時間のかかる答えでも

一瞬のうちに情報分析して出してくれる。

将棋対決では名人とAIとが勝負してAIに負ける世の中でもある。

医学も進歩して、難儀な外科手術がメスをいれることなく、体に負担を最小限に

とどめながらできる時代になった。

 

一方、私たちの心の問題はどうだろう? 

これだけ科学が進歩しても、人間の苦悩は減少したのだろうか?

自殺者は昔と比べて少なくなったのだろうか? 

狂気的な事件としか思えないほど残虐な刑事事件は毎日といっていいほど

報道されている。

つまり、科学的進歩と情報量の分析は、ヒトの心の進歩とは比例して

いないということだろう。

 

それは人の心は、”目に見えない世界”にあるからだ。

その領域は”科学的”アプローチだけではカバーできないため、

膨大な情報を分析してもなかなか、方程式が出てこないためだろう。 

むしろ、私たちの心は、”情報”に振り回され過ぎていて”幸せになるため”の

本当の判断ができないという、弊害もでてきているかもしれない

 

私たちは 大きな勘違いをしているのかもしれない。

今の私が、過去にその時の分かれ道選択をして、現在の状況を作り出している

という、考え方だ。

言い換えると、”今、考えている、感じている”として自覚される”現在意識”、

によって”今の行動”を引き起こしていると考えることだ。

 

”意識”の三次元的な厚みや奥行きの広さを、ほとんど自覚できないという、

そこには盲点があるような気がする

 

心理学者に言わせれば、ヒトの行動を左右させる”意識の働き”は、現在意識

(顕在意識)が自覚し得ない”潜在意識”に沈んでいるという。

 

そして潜在意識と顕在意識の間には、まるで母親と胎児が子宮で結ばれている

〝臍の緒(へそのお”でつながり、両者はとても緊密な関係で、母親の心が

胎児の心に感応するように、あるいは、胎教が胎児の発育に影響を与えるように、

影響を与え合っているようだ。

 

”今の心持ち”とか”今、思いついた考え”がどんな塩梅(あんばい)であっても、

それは得体のしれない 深く潜む”潜在意識”の海底から、その一片が浮上して

きている言えるかもしれない。

 

誰しも、何かふとしたときに、憂鬱になったり、ほんの小さなきっかけで

楽しくなったり、嬉しくなったり、不安になったり、恐怖心で落ち着かなく

なったりと、心が不安定極まりないものであることは、体験している。

 

心は常に揺れ動いている~その時々の、取り込む”情報”によって、感情は湧き

おこり、その感情が、実際の行動を左右させる。

情報は、ある意味、エネルギー体である波動で構成されているために・・・

 

人間は情報を管理できていると錯覚しているが、その反対のようだ。

こんな喩(たとえ)ができるかもしれない。

私たちは20人にも満たない、小さな現在意識(顕在意識)軍団を最前線に

置いている。

その最前線の意識軍団は、目の前に飛び交う数々の情報と、自分の背後に

続いている何百万人の潜在意識という兵士の意向に、出る足を引っ張られ

ながら、よろよろと現実生活の困難に立ち向かっているよういるようなものだ。

 

’現在意識’は’司令官’の役目だが、それだけの陣頭力では、こうした背後に

ある、様々な兵の強大な意見をまとめることもできず、反対意見がわいても、

それを治めることすらできない。

そして、眼前にある、巨大な情報量を前にして、右往左往しながら進んでいる

軍団のようだ。

 

’潜在意識’の力、後ろに構えている兵力の体質を、把握して理解できない

うちは・・・

その’潜在意識’の兵力を、現実の戦力として生かすためには何が必要なの

だろうか?

 

潜在意識の”浄化"だ。

潜在意識には、私たちがこれまで体験してきた、すべての感情が記憶されている。

その中で、’浄化する’必要性があるとする対象は、過去のトラウマや苦しみ、

悲しみ、孤独、無念、嫉妬、恨み、などのマイナス感情・・・

 

’潜在意識の浄化’とは、具体的にどのようなことをさすのか?

それは、潜在意識が過去の経験で積み重ねたきた、そうした負の情報綺麗に

洗い流すことだ。

洗い流すと何が、変わるのか?

洗い流せば、その潜在意識は、さらに奥に控えている、大将軍の力(神力)を

呼び出すことができる。

喩(たとえ)でいえば、どんなに厚い黒雲も、それが雨になって地上に落ち

たとき、それが覆っていた太陽が顔を出す情景に似ている。

 

そのとき、20人の先頭をいく、現在意識という第一線の兵士たちでも、後ろ

に控えている何百万の潜在意識軍団の力を借りて、ヨロヨロした足並みから、

足音が規則正しく響く行進のように力強く前進していけるはずだ。

浄化された潜在意識軍団の後ろに控える”アートマ”という神聖意識の陣頭の

声が、クリアーに最前列に届いて、心軍団は一丸となって、現実生活の難題

に挑んでいける。

 

どのように、洗浄すれば可能なのか?

潜在意識で抱えている過去の情報は、あまりにも膨大な”情報の塊り”である

から、とても”今の意識”で整理しようと思っても、簡単にできることではない。

 

顕在意識でどうにも洗えない代物ならば、どのように?

それは、自分の奥の底にある、太陽のような強烈な温かい光を、じっくりと

見据えることかもしれない。

そのためには、手段はいくつかあるだろう。

瞑想や、奉仕、職業や、言霊(ことだま)を使っての祓い、などなど。

 

人は、誰しも、問題の前に、手立てがつきたように見えるときは無意識に”神”

を想い、仏壇や祭壇、神社仏閣に行き手を合わせ、大自然の中にたたずみ、

見えない大きな力を感じてパワーをもらう。

それは、自然の行為だ。

老若男女問わず、世界中どこでも、寺や神社に行けば人は頭を下げる。

祈り、といういわれる行為。

 

私は、ここに、つまり、大きな力を結びつこうとする行為の中に、その浄化

をするためのヒントがあるように思う。

たとえば、こういう祈りの言葉をつぶやく。

 

”潜在意識の化石化した過去の負の想念をすべて洗い流し、新しく(神・仏)の

光で満たしてくださいませ”・・・”

 

何が欲しい、どうこうして欲しい、という、現世的願いは、それが長い目で

見て、その人に本当に必要なものなら叶うだろうし、そうでなければ、叶わ

ないだろう。

自分の心が光で満たされていれば、自然と、さまざまな問題にも本当の解決

方法が、生まれてきて右往左往を最小限度にとどめることができるように思う。

”自然と”、というのは、力まなくても、考え抜いたり、努力を重ねる意識を持

つことなく、”当たり前”
のように、一番、必要な状況が開かれてくる、という意味で、使っている。

 

神や仏を信仰していない人は、自分の中の生命力を自覚して、祈れば良いと思う。

生命力が枯渇して病で苦しんでいる人は、自分が幼かったときに、守ってくれて

いた

親や兄弟の優しさと力強さを想いだせば良いと思う。

孤児で生まれてきて家族がいないという人は、今、この瞬間に息をしている

事実と吸い込む酸素に集中して、自然の中にある自分を生かしてくれている

”大いなる力”に感謝すれば良いと思う。

様々な宗教で、苦行を積む意味も、この、六根清浄(ろっこんしょうじょう)

を実現するためにあった。

滝行や、瞑想行、山の中を何千日も歩く行も、すべて、心の叢雲(むらくも)

を祓い、
潜在意識に積み込まれた、カルマを洗い流すためのものであったはずだ。

 

日常生活を普通に営む私たちは、こうした苦行をすることなく、瞬時に、想い

をその”清浄”に集中していることで、きっと、その代わりの、代償を得ることが

できると信じている。

そして、目の前の情報に対して、必要でないものには、断捨離しながら、潜在

意識の中の不必要な’想い’を、自然とそぎ落としていける、と、信じている。

 

 

明日はこの続きから・・・

 

 

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自分の真意がわかってもらえないとき・・・

2021年12月16日 | 健康のための心の波動

自分はしょせんダメ。。強迫観念。             2021/12/15

*********************************

以前の私は、よく、次のような質問を自分になげかけていたようだ。

その時は、

自分がなんとも無力で、厄介者で、なんのために生きているのか、

ふっと、迷子になったようなときその時は、また、理由なく憂鬱な

気持ちに覆われたとき、その時は、あるいは、友人たちと

和やかな団らん後の、あとに残った洗い物をしながら、

静寂の中に、突然、放り込まれて不安になったとき・・・

特に、ヒトに良かれと思って為したことが、裏目に出ることが

多い気がしていたとき、・・・

 

その質問というのは、

①~自分が良かれとしてきたことを認めてもらっていないから、不機嫌なの?

②~それを理解してもらいたいの?

③~それを誰に認めてもらいたいの?

④~自分の存在意義の不確かさを今感じている?そして、誰かに打ち明けたい?

⑤~そんな風にして、関心を寄せてもらうことで心を落ち着かせようとしている?

 

上の質問には、そんなとき、大方、”そう”と答える自分がいた。

次の、問いかけもさらに、自分にしてみた。

 

⑥~他者を理解しようとする前に、他者が自分をどう理解しているか

気になっていない?

⑦~所有物や知識、容貌、地位や肉体的力って、他者との関係で大切?

⑧~物事を個人的解釈や思い込み判断をしていない?

⑨~自分が正しい、相手は間違っていると決めつけてない?

 

上の疑問の中で、いまだに自分に問いかける事項は、⑥の、

”他者を理解しようとする前に、

他者が自分をどう理解しているか気になる” かもしれない。

他人と自分の感性は、もしかすると、月と太陽ほどに、感受性が

異なるかもしれないと、近頃、よくわかってきたつもりだが、

それでも、”自分を理解できないのだから、他人を理解する

なんて無理” と、途中で、その人を理解しようとする心意気が、

だんだんと絞んでいき、結局、成り行き任せにしている自分

がいることに気づく。

その一方で、どこかで自分の信念は、間違っていないはずだと

言い聞かせている。

 

関心を寄せてもらうことで心を落ち着かせようとしている?”

の項目は、認知症になった母の特性でもあったので、人はきっと、

関心を寄せてもらいたいと、本能的に持っていて、そのことは、

その人にとって、ある種の癒しになるのかもしれないとも思う。

 

⑦の質問は、当時、貧富の差があまりにも強い、インド社会で

生活していたからだろう。

身なりや住まい、身だしなみや服装で、大方その人が属している

カースト(社会的身分制度の階層)がわかるようになって

いたから、人皆平等という、当たり前のことが、インド人社会の

中では通用しないことが多々あるという現実を見過ぎていた、

ためだろう。

虚栄と、一言で片づけられない”何か”そこにはあり、でも

その”何か”によって、実際、天と地ほど、異なる対応が社会に

存在することを、当時のインドの政治的中心圏・デリーの

生活で感じる毎日だった。

 

いまだに問い続けている質問がある。

⑧の、思い込みに関すること~だ。

自分の思い込みの強さは、もしかしたら、精神病の一歩手前?

と思うほどの強迫性があり、それは生まれついたものらしく、

10代のころから意識していた。

今でも、辟易することがある。

 

さてさて、こんな質問をここに今日、提示させていただいた

わけが、ある。

これは、スピリチュアル的心理学でいうところの、"自我"の強さ

のテスト質問でもあるからだ。

皆さまの、エゴの強さを計る、質問として見ていただければと思う。

 

しかし、この質問も、だんだん、年を重ねて、その意義を

なくしてきた感がある。

当時は、”自我=エゴ”、”エゴ=なくすべきもの”、”なくしてこそ、

平穏の境地に達するという、単発的な発想(思い込みの一種?)

があったから、これらの質問を、そのエゴの強さの判断基準にしていた。

ところが、今の私には異なる判断基準ができた。

それは、”自我”は決して悪いものではな、むしろ、この

三次元的地球生活を送るためには必須なアイタムであると、

感じるようになったのだ。

そして、この質問を逆手に、活用できないかと考えた。

 

つまり、

①相手が自分にしたことは、たとえ、結果が良くなくても、

相手が自分にとって良かれと思ってしてくれたと、思うこと

②相手を理解しようとする姿勢で接する

③相手を認めることができるよう、長所を探す(それを言葉にする)

④相手が不当に自分を責めて、存在意義を否定していたら、

話を徹底的に聞いてから③に戻す

⑤関心とは人類愛の一歩と思い、無関心にならないよう心掛ける

⑥他者への理解を深めようという姿勢を保って話を聞く

⑦できるだけ、自分の身だしなみや、物質的(知識的)状態を、

良好に保ち、相手に不快感を与えない物質的なもの

(与えられているもの)に感謝して、豊かな心で時間を相手と共有する。

⑧思い込みしていそうなときは、感情的にならずに、状況判断

できるまで待ち、状況判断する

⑨自分の信念は大切にするが、相手の信念をも、尊重する

⑩相手の存在価値を、もう一度、自分でかみしめて心から、

そのことを味わう(相手への心的注目)

 

他人を愛する一歩は、自分を愛すること。

自分を愛するためには、自分の心にストレスを持たせないこと、

ストレスを持たせないためには善意に物事を解釈・認めていくこと、

これが最近の、自分の行動基準判断になっています・・・・

 

 

 

 

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ワクチンの本当の副作用(7) ペット編

2021年12月07日 | ワクチンと健康

犬の混合ワクチンの意義について2014年10月8日

に投稿した記事を見つけました。

人間と犬と、比べては不適当かもしれませんが、

少なくてもワクチンの中のアジュバンドの影響に

関しては、共通するものがあるかもしれないと

思い、投稿いたします。

********************************

ネットで 次のような意見を見つけた。

 タイトルは Canine Vaccination 

(”犬のワクチンについて”)で、投稿者は Catherine 

O’Driscol という人だ。

その人の著書として

”Who Killed the Darling Buds of May?”

(”誰が 愛しいサンザシの蕾みを殺したの?”)

”What Vets Don't Tell You About Vaccines,”

(”獣医がワクチンについて口を閉じていること”)

があり、愛犬の死とワクチンとの間に何らかの関係が

あると考えている。

 

彼女のネット上の投稿記事は次のような内容で、

筆者の興味をひいた。

He was told annual vaccination was unnecessary,

but that the vaccine companies approached vets

in the '80s, suggesting that annual vaccination would

boost their practiceincome and provide an opportunity

for an annual checkup.

He told me that they knew it was fraud at the time,

but they went along with it.”

訳すと、

”ワクチンは必要ではなかったが 獣医師とワクチン

会社との間では 1980年代にはワクチン会社が

獣医師協会に次のような意見をもって互いの利益を

共有しようという試みに出たということである。

 

つまり、毎年義務付けられたワクチン制度とその都度

行われる健康検査によって多額な利益がもたらされる

ことを意図する。

当時 彼が私に語ったところでは、ワクチン会社も

これは一種の欺瞞が含まれていることを知っていたが 

実行に移したというのだ。”

 

繰り返しになるが、著者の獣医師の友人が語るには、

1980年代にワクチン会社がワクチンを市場に乗せる

際に年一度の、ワクチン摂取とそれに伴う、チェック

アップが生まれることで、大幅な利益が上がることを

理由に獣医たちへの働きかけがあったというのだ。

 

その医師 Dr Ronald D Schultz は この投稿記事の

中でこう意見する。 

A growing number of vets, predominantly in America

but also in the UK,contend that vaccines are now causing

more diseases than they are preventing.

須田訳)

アメリカのみならずイギリスでも ”ワクチンは病の

予防より、さらなる病気を引き起こしている”という

意見には、かなりの獣医師は賛成している。

 

免役システムは自然に備わっているものであり、

必要以上抗体をつくるために 人工的に入れる

ワクチンは 生体に 備わった本来の機能を損ねる。

この獣医師の意見に同調して著者Catherine 

O’Driscol は 自らの愛犬の死を例にとって、

体験談を挙げている。

 

”I have three living Golden Retrievers。

Oliver died when he was four: we woke one morning to

discover that his back legs were paralysed.

We rushed him to the vets where he was put on a

steroid drip and died that day.

Although the conventional vet could offer no explanation,

a homoeopathic vets tells me that, in his view,

this is a classic vaccine reaction.

 

須田訳)

私には元気の良い三匹のゴールデンレッドリバー

たちがいた。

オリヴァーは彼が4歳のとき亡くなった。

朝起きてみると彼の後足がマヒしていたのだ。

病院へ行き、ステロイドの点滴を受けたがその日の

うちに死んだ。普通の獣医は彼の死をわかるように

説明することはできないだろうが ホメオパシーの

獣医は、私に彼の見解を語った。

それは、とても標準的(普通)な ワクチン反応の一つ 

ということだった。

そして2匹目の死は次のようだった。

 

”Prudence died when she was six from an autoimmune disease.

Dr Jean Dodds DVM claims that,

"Many veterinarians trace the present problems with

allergic and immunologic diseases to the introduction of

 

MLV (multiple live virus) vaccines some twenty years ago."

須田訳)

愛犬プルーデンスは 自己免疫疾患と診断されてから 

6か月後に死んだ。獣医師、Jean Dodds DVM

医師は次のように主張する。

’20年間余前に 5種混合ワクチン(MLV)が導入が、

現在の自己免疫疾患やアレルギーの諸問題の原因の素

になっていることは多くの獣医たちには周知であった。’

 

そして彼女の愛犬、三匹目の犠牲をもって、こう記して

いる。

A few days after his puppy jab, Samson was found

in the garden, his back legs - like Oliver's - were paralysed.

We panicked and called the vet, who told us to give Sam

a paracetamol (which, incidentally, are poisonous to dogs).

Sam recovered. The next year, again a few days after his

vaccine,

Samson's head swelled up like a balloon and he ran round

screaming and crying.

Shortly afterwards, we discovered that Samson had

autoimmune disease. He died a few weeks ago, aged five,

from cancer.

須田訳)

それから(ワクチン接種)数日後、愛犬サムスンが

まるでオリバーの時のように後ろ足を引きずっている

のを庭で見つけた。

私たちはすっかり気を動転させて 医者を訪ねた。

サムスンに解熱鎮痛薬パラセタモール(これは犬には

毒薬でもあった)を医師は与えた。

サムは事なきを得た。 

 

しかし、翌年、ワクチンの2日後、再びサムソンは足を

風船のように腫らした。 

彼は痛みで苦しみ叫び、悲鳴すら上げていた。

それから間もなく、私たちはサムソンが自己免疫疾患に

かかっていることを知った。

そして、数週間後 癌で命を落とした。

 

ワクチンを投与する前は、元気だった3匹の愛犬達。

家族と同様のゴールデンレッドリヴァーの愛犬の死を

立て続けに体験した飼い主キャサリンは 

”We can trace his death right the way back

to the door of the veterinary practice, to the day

when a vaccine destroyed his immune system.” 

と結論づける。

須田訳)

彼らの死は 獣医師の玄関のドアから始まる。

それはワクチンをうって、彼らの免疫システムが

破壊されたその日にさかのぼることができるのだ。”

 

愛犬の死と、ワクチン接種。

三種混合、五種混合、9種混合ワクチンもあるとか

いう話だ。この話を、全くの偶然だとする読者もいる

だろうし、これに近い体験を持っている読者もいる

かもしれない。

 

私の人生で初めて飼った愛犬チュチュとチャチャは、

のお話をさせていただきたい。

インド生まれで日本に連れてきた子たちだ。

7歳でチャチャは、原因がよくわからないまま

他界した。

チュチュも、元気だったのに、心臓発作が起きて 

チャチャの後を追うように、半年後になくなった。

 

チャチャの死に立ち会ったとき、興味深いことを、

葬儀屋さんから言われた。

チャチャの葬儀のあとの遺体は焼かれた。

骨自体が何か橙色のような褐色になっている部分が

特徴的だった。

すると、

”この色は、実は小型犬だと、老犬の骨の色です。

まだ7歳にしてはもうすでに14歳の老犬のような

骨の色・・・頑張って生きてきたのですね。”

 

今にして思えば、動物の輸入制度の規則に則って、

また日本の特に厳しい様々な検査を通るために 

インドから日本に連れてくる一年の間に多くの

ワクチンや狂犬病の注射、ノミやダニの撲滅のため

の薬などを 皮膚につけなければならなかった。

 

ごく自然体に育ってきた2歳足らずの若い彼らの体に

とっては、後々まで影響を残す”何か”を 即効では

ない副作用を与えていたと仮定しても極論には思え

なかった。

 

キャサリン氏の記事を読んでから、改めて、チュチュ

チャチャ達への申し訳なさを強く感じた。

そして、ほかのワン君達の健康状態に関心が増した。

そこで、朝夕の散歩で会うワン友達に健康具合などを

聴くことも多くなった。

 

”きちんと注射を打っているのに、2歳過ぎたら急に体が

悪いことがわかってきた”という話を数人の犬友達から

聞いた。

 

”うちに来たときは元気だったのに・・・

あかちゃんの時にわからなかったけれど、

しばらくしたら いろいろ体にでてきてねえ。”

と、まるで ワン君そのものが何か持病を持って生まれ

てきたと思っているようだ。

赤ちゃんの時は元気だったが、実は、心臓が弱かった、

てんかん発作の種をもっていたなど、飼い主が述懐して

いるのを聞くと同時に、薬を服用しているワン君たちの

多いことに驚かされた。 

若くして、癌になる子たちも少なくない。

 

そんなに 多くの子犬たちが 生まれつき、体に慢性

欠陥の種を持っていたのかと問いたいような気持に

なってくる。

西洋諸国は、ペットたちに理解がある。

彼らは人間と同様の、公共の乗り物にケージに入れる

ことなく乗ることも可能だし、ショッピングにも連れ

ていける。

何より、ワクチンに関して、国がそのデータを重視

して、必要以上の接種に警鐘を鳴らしている国さえ

ある。

 

狂犬病ワクチンを例にとってみたい。

日本の場合、昭和32年(1957)以来 狂犬病の

ケースは見られず世界でもイギリスやオーストラリア、

北欧3か国などの11か国と同様、狂犬病がクリーンで

ある国の一つになっている。(*1)

 

米国は摂取の義務は3年に一度で良いと 米国動物病院

協会(AAHA)はガイドラインを示している。

狂犬病が発生していない国 オーストラリア、ニュージー

ランドは狂犬病予防接種を禁止して犬の健康重視を

計っているという。 

イギリス、オランダ、アイルランド、北欧諸国は任意だ。

スイス・オランダ・フランスも2004年から 国内の犬、

海外に行かない犬は狂犬病予防接種は受けなくてよい

ことになった。

 

スイスは2004年4月1日から狂犬病ワクチンの接種

義務は廃止になった。

これらの国々では、ワクチン接種が不必要であるという

理由が以下だ。

つまり、狂犬病が根絶しているのに、あえて、副作用を

与えるこうしたワクチン摂取は不必要であるというわけ

だ。それでは狂犬病の副作用とは?

 

イギリスの調査報告では、以下のような病気になりやすく

なると指摘している。

大腸炎、ドライアイ/結膜炎、異常行動、神経質、移り気、

超過敏反応、自己免疫疾患、脳炎、性格変化、脳障害、癌、

舞踏病、心臓病、腎臓障害、肝炎、後部まひ、すい臓病、

関節炎。

 

 

また、アメリカでは

筋肉の脱力脳脊髄炎、嘔吐、無気力、発熱、意識喪失、

てんかん、死亡する場合もあるという調査結果があり、

副作用として挙げられているのは; 

自己免疫疾患、アレルギー反応、皮膚病、消化器疾患、

および、 線維肉腫がある。

線維肉腫はガン一種であり、注射部位に発生しやすい

と言われる。

 

昭和28年に制定された法律である狂犬病予防接種の義務

付け法律は 犬たちをとりまく、さまざまな状況の変化

した現代に通用するのだろうか?

今集団自衛権はじめとして、憲法改正を”今風”に見直

すべきであるという世の中の流れがある。

 

ワクチン接種の健康に及ぼす弊害とともに、ペット先進

諸国の諸事情研究を知ったうえで、狂犬病予防接種の意義

と安全性から、見直してほしいと願う。

 

*1 )

http://www.pettravel.com/passports_rabies_free_countries.cfmes

によると、

アンティグア、オーストラリア、バリ、バルバドス、英領バージン諸島、

ケイマン諸島、イングランド、フィジー、フランス領ポリネシア

(タヒチ)、グアム、ハワイ、アイスランド、アイルランド、

ジャマイカ、日本、マレイシア、マルタ、ニューカレドニア、

ニュージーランド、アイルランド、セイントルシア、スコットランド、

シンガポール、スエーデン、セントクリストファー・ネイビス、

セントビンセント・グレナディーン、台湾、タークス アンド 

ケーコス諸島、イギリス(連合王国)、ウルグアイ、バチカン

 以上31か国が狂犬病が根絶した清浄国 と言われている。

 一方日本が独自に 狂犬病の発生が無い国と認めた国は11か国だ。

台湾、アイスランド、アイルランド、スウェーデン、ノルウェー、

イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、 フィジー諸島、

ハワイ、グアム

 

インドから時々日本に帰国していましたが、チュチュとチャチャの

帰国はたいへんでした・・・

 

 

 

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