自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

悟りと心身の変化の実験

2014年03月31日 | 健康のための心の波動

 実験と数字で探る   2014・3・31

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悟りに近くなる、ということを霊的になるというとすれば、

霊的になればなるほど

何か心身に現れる変化は具体的にあるのだろうか?

どんな変化が心身に起こり得るのだろう?

卑近なインドのヨギ(ヨガを行い、神人合一を目指す

ために、世俗を捨てた修練者)の例をとれば、次のようなデータが見つかる。

 

*脈拍数 

普通の人の脈拍は睡眠時50、緊張時120ぐらいだが、

ヨギ達は、心臓を意識的に止めゼロにしたり、

反対に、150ぐらいまで早めることも可能と言われる。

 

*心臓の働きのコントロール

ヨギは、心臓の働きをコントロールして、自律神経系でいえば、

副交感神経を優位にさせることが可能といわれる。

副交感神経が優位になると、

は心身ともに落ち着く状態を維持して、

意識活動を安静化させ、その結果、精神統一や集中力

を高めることができるといわれている。

肺、心臓、胃、腎臓、被尿生殖器等を支配する

自律神経が敏感になり、呼吸は非常に長くゆっくりになる。

 

日本で、内臓と体壁反射(VCR)点に刺針をして、

心身機能に及ぼす影響の実験をした研究者がいる。

方法は体壁反射点(VCR点と以下略)へ刺激を与えて

それに対応する内臓や精神にどのような変化が生じるかを

調べるものである。

VCR点とは具体的に、

左右の手足の指の爪の基部、

片側あるいは両側にある、14経路のツボ(井穴)28か所

を指す。

 

*方法)

そこの各所に 直径6mmの銀の閑電極を固定。

3cmx5cmの不閑電極(銀)を身体の任意の箇所に

つけて直流2vの電圧をかけて左右各々の井穴の電流値を測定する

という手法だ。

その左右差の大きさによって、指の井穴経路(東洋医学でいうところの)

が対応しているとする臓器の機能を正常かどうか、判定する。

 

左右差が1以上ならば、刺激に対して十分対応する活力があると査定され、

0.1~0の場合は臓器の機能が過度に疲労しているという

ことがすでに臨床的に確かめられている。(*1)

自律神経不安定型、安定型、交感神経緊張型、

副交感神経緊張型、などを査定数値も算出して、測定が行われた。

具体的には 被験者の左前頭に脳波電極をつけ、左耳に不閑電極をつける。 

鼻孔に呼吸計電極をつけて、VCR点に直径10㎜の

VCR点電流測定用電極、直径10㎜お皮膚温計電極を固定。

左人差し指に、脳波計電極、左掌(てのひら)にGSR電極、

右掌上方外側にVCRとGSRの不閑電極を付ける。

左右の手首、左足首に心電図用電極、額にアース電極をつける。

こうして、左前頭、呼吸、脳波、皮膚温度、VCR, GSR,

EEG などの測定を同時に行った。

 

*実験対象者

普通人安定型、普通人不安定型

霊能者安定型、不安定型

交感神経緊張型、副交感神経緊張型

というグループにわけて対象者とした。

 

*測定結果

自律神経機能状態を示す測定値に

VCR点への刺激時に大きな変化がみられなかった。

しかし脳の活動状況を計る数値においては、変化が

みられた。

”針を刺すなどの皮膚への刺激はまず、

自律神経機能に変化を与え、それから 脳波などの、脳活動に

影響を与える”という通説と反する結果となった。

どういうことかといえば、

自律神経が不安定な被実験者はVCR点の刺激に

よって、脳活動が低下するという結果が見られた。

興味深いのは 霊能者といわれるグループでは

VCR点の刺激に対し、変化を示さなかったということだ。

これは、

”霊能者は身心相関性が高いといわれているが

心身いずれかの刺激に対して、高いがゆえに、

その刺激が身心へ及ぼす影響をコントロールできている”

と理解することができる。

 

次に注目する点は それぞれの結果は 日時季節を変えて

行われた場合、自律神経作用や脳活動の数値が明らかに、

差が生じたということだった。

夏のほうが発汗作用など、新陳代謝が盛んになり、

身体的状態が実験結果に影響を与えたのかもしれない。

あるいは、人間の体の営みも、自然のリズムに呼応して

一日の時間区分、一年の季節区分によって、相応する

変化があるのかもしれない。

 

インドは場所にもよるが、南インドは全般に一年を通して

寒いときでも日本の秋ぐらい、北インド、ニューデリーでは

日本の11月ぐらいだから、ヒマラヤのような極寒の地域を

除いては 亜熱帯性気候といえる。

一般に気候の温度が熱いほど、寒い時と比べ、

副交感神経系が優位になりやすいといわれる。

キリスト教、回教、仏教、ヒンズー教、ゾロアスター教

など、世界の主な宗教の開祖たちは夏は熱い気候の

中で修行をされたのだろうか?

それらの世界的宗教の生まれたところは 極寒の地域

ではないことは確かだ。

むしろ、一定の緯度より南半球に

近い場所からこれらの宗教が生まれていることは興味深い。

 

覚者・大師たちは感覚機能を制御して、肉体的痛みなどを

コントロールすることができるという。

例えば、インドの聖者の一人は手術台の上で、

全く痛みを訴えずに手術を終え、術後すぐ、

医師と談笑していたという話を聞いたことがある。

ある意味、このような内外の刺激に対して意識的に

心身をコントロールできるという証拠でもある。

この実験でも、最終的に以下のような結果を導き

出している。

”霊能者といわれる、心身のコントロールが可能な

人達は、普通人にくらべて、脳活動、自律神経機能の

活動の幅が広いのが特徴だ。

興奮と弛緩 という領域は、自律系でいえば、

交感系優位~副交感系優位の拮抗(きっこう)の幅が

ひろく、かつ、復元力が大きく、バランスがなかなか、

崩れない。

そういう機能態勢のところへ、VCR点への刺激が

加わっても、その刺激効果が吸収されてしまって

変化としては出てこないということも考えられる。

それに対し、普通人では 上述の拮抗の幅、復元力

が小さいため、少しの刺激がその機能体制内に

変化を生ぜしめるとも考えられる。”

 

生命力の持つ、刺激に対する抵抗は、ある意味

霊的になればなるほど、強いという観方も

できるのではないだろうか?

霊的という言葉が妥当でないとしたら、心身ともに悟りに

ちかくなるにつれ~ということかもしれない。

そして、冒頭にあるように、悟りに近い人が呼吸を整え

ることから始めるというのであれば、

私たちも呼吸をゆっくりに腹式呼吸に徹するように

努力するだけでも、何か体に影響を与えるのだと思う。

そうすることで、副交感神経を高めて、心身安定の

ふり幅を大きくすることが可能なのだろうと実験結果にも

顕れているのは、興味深いところだ。

 

 

参考: ”宗教と医学”~Psi エネルギー(気・プラーナ)の生理学  

昭和55年4月 本山 博 著  宗教心理学研究出版部

 

 

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車に追突された・・・

2014年03月29日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

インドチックな日常      2014・3・29

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やはり 事故った。

このデリーの街を2年間走ってきた

息子たちのスズキワグナーに、傷がほとんどついて

いないのを

感心して眺めていた矢先だった。

荒々しい 印度人ドライバーのクラクションを

頻繁に鳴らしながら

走る車の波を、すり抜けながら巧みなハンドルさばきで、

今日まで走っていたワグナーが とうとう、

当てられてしまった。

かなりの衝撃音がして車を止めている隙に相手は

逃げてしまった。

運転していた同僚と息子は、そのまま、信頼している

タクシー会社の

社長宅へ行って、相談に乗ってもらったという。

社長は”そのくらいの凹みは修理する必要はない” と言う。

 

ぶつけた相手のナンバーを控えているから、警察へと言うと、

”へたに警察がからむと賄賂だなんだと面倒くさいから、

相手にも、警察にも知らせない方が良い。

出頭したり交渉したり、時間とエネルギーの無駄だから”

と言われた。

 

修理に関しては、

”直しても色がそこだけ微妙に違ってくるだろうから、

売るときに、事故車だとケチをつけられて、妥当な値段

で売れないリスクがある。

むしろ、そのくらいなら、修理はしない方がいい。”

とも言われて、結局、本人たちは後部がへこんだ車を

見るたびに苦い思いをするなら自腹で直してしまおうかな

と話し合っていた。

 

車の渋滞のほかに、デリー名物といえば、停電だろう。

夕方17時時から21時までの4時間の間に

停電が4回ほどあった。

スコールが突然来て、雷がなり、暫くすると停電になった。

 

息子たちは別室で仕事をしながら、パソコンを開いていたが

突然暗闇になっても、声ひとつたてることなくもくもくと、

仕事を続けている。

日常的な一コマとして、慣れっこになっているのだろう。

 

こういう時はろうそくが必需品だ。

部屋に一本つつ置いて ぼんやりした灯りをたよりに

夕食の支度を続ける。

小一時間ほどで電気は来るが、ろうそくを消すと

束の間にまた停電だ。

まだ 真夏に入る前。

暑くも寒くもない気候なので

高い天井についている扇風機の回転がとまっても、

さほど、苦にならない。

 

とはいっても、季節の変わり目なので 我が家のヘルパー

サントシさんも 

”娘も私も 一昨日は熱が出て終日横になって休んでいました。

寒かったり暑かったり 不安定な天気が災いして・・”

と 家族に休めと言われたけど、今朝は、無理して出てきたと

言いながら、ぼやいていた。

サントシさんの背中に手をあてて アートマセラピーを施術する。

”おや、マダムも熱があるのでは?

置かれた手の下が、ものすごく熱く感じる・・・”

と言いながら気持ちよさそうだ。

解けていく。

腹部は手術を数年前にしたというだけあって、まだ、凝りが

残っている。

半時間もしないうちに、左右、上下の背骨の周囲がほどけ、

本人も自覚があると見えて、

リフレッシュしました。”と 笑顔になる。

そばにいた 息子の同僚も 

今日はサントシさんずいぶんお洒落しているみたいだけど”

と普段と違うサントシさんを垣間見たようだ。

 特に上等な服でめかしこんでいたわけではない。

彼女の体がほどけて、内側から発散しているエネルギーが

生命力に満ちてきているので、普段の服を着ていても

内側から輝いて、お洒落しているように見えるのかもしれない。

 

1階に住む、B夫人こと、ベディ夫人に挨拶に行ったところ、

できれば、今回もセラピーを受けたいのだけれど”

と遠慮がちな申し出があった。

お茶を飲みながら、

”私の心にはまだ、平穏が訪れないのだけれど。

時々、引きずられるように重い気分になるんです。

どうしたら それに打ち勝てますか?”

と真剣なまなざしで聞いてきた。

傍で ご主人が静かに穏健に答える。

”それは、まだお前のカルマが出きっていないからだよ。

前の生に清算できなかった、暗い重い気持ちが

今出てきていると思えばよい。”

すると、夫人が

そのことは、重々わかっていますよ。

それでも、それに打ち負かさない自分になるためには

どうしたらいいのかしら?

スダ、教えてくれない?”

と 重ねて問う。

 

自分の心の中から湧いてくる直観的声に従って

べディ夫人に応えた。

”分析しないこと。

ジャッジ(よい悪いをつけること)しないこと。

考えすぎないこと。

そして、重たい心の時もそうでないときも

自分のアートマに対して、

ありがとう、

愛している

と繰り返して言い続ける事。

と言うと、”わかったわ。今度あなたがセラピーに来てくれる時まで

私、努力してみるわ。”

と言いながら

”でも、何故?誰の顔を思い浮かべて 愛しているというの?”

と聞く。

そこで、

”自分のアートマに対して。気が重いときや暗いとき、

悲観的な時は アートマに帰っていないときだから、

想いだすために 愛しているといい、

相手を責めるときは相手のアートマを見ていないときだから、

相手のアートマに 愛しているという。

あるいは、”ごめんなさい”、の言葉もかけると一掃効果的ね。

私自身を忘れていて、暗い気持ちになって、ごめんなさいと

言う。どう?”

 

すると、そばに座って耳を傾けていたご主人も大きく

頷いていた。

今回はどんなセッションになるのだろう?

去年は 彼女の想像か? あるいは、霊的資質からか、

さまざまなビジョンを見て、施術中に詳細に描写してくれた。

一年ぶりに会って、決して完全に健康体にはなっていないが、

以前より溌剌として体も軽く活動的になり、笑顔が何より新鮮に

明るく見えた。

プライバシーに触れることはできないが、もし、可能ならば

読者の皆様に、これからのセッションの様子などをお伝え

できるかもしれない。

インドでするセラピーは 日本での施術と 一味違うものだ。

それがなんなのか説明できないのだが、

ブログに書き込むことで もしかしたら 新たな、

発見があるかもしれないような気がしている。

 

 

 

 

 

 

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インドの空気、リーラと愛が渾然一体

2014年03月27日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

東京裁判パール判事と子孫   2014.3.27

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自然治癒力セラピー を誰かが スピリチュアルセラピーと呼んだ。

スピリチュアルな知識とは程遠い、政治的なことや国際的文化的分野

セラピーとは関係ないと思っていっらしゃるかたたちも多いだろう。

 

政治やビジネスで名前を馳せても、覚者たちは”あの世に持ていける

資格ではない”と明言しているし、精神的世界に生きる人達には

あまり触れ合うことのない世界でもあるだろう。

 

しかし、インドに来てみて、自分の体と心とアートマが、全く別物

でないという実感をひしひしと感じる。

それは、何故なのだろう?

物質、精神、神様、悪魔、貧困、不平等、愛、などなど矛盾する言葉

並べても、スーッとすべてが光の中に、吸収されてしまう空気なのだ。

 

言葉を変えて言えば、宗教家は宗教だけ考えていればよいのか、

神様のことだけ語っていればよいのか、セラピストは体と心の関係に

ついてだけ、向き合っていればよいのか と問われれば、そうではない

のかもしれないという気がする。

 

リーラ(神様の造った夢物語の世界)、マーヤ―(幻影)の世界である

いわれる、この地球生活のごたごたした混乱と騒乱の中にも光り 

があり、実相 がある。

 

そういう想いから今日はこのテーマをあえて 皆さまにご紹介したい。

日本史、特に、現代史に関して私たちの世代を含めて、後期授業の

予定時間が足らないのか、あるいは文部科学省の方針かわからないが、

現代史のある時からは、”はしょられている”部分が多いと聞く。

極端に聞こえるが、日本とアメリカが戦ったことを知らない、

高校生がいるのだ。

 

皆様には興味がない話とは思うが、日本の原爆投下や、日本人の

侵略戦争と判子を押された第二次世界大戦の、表と裏の意味を何となく

でも振り返ってみれば今の日本に生きている、自分の立ち位置などを

考えるきっかけにもなるだろう。

むしろ、私たちが日本人として生まれてきた意義も、問いかけることが

できるかもしれない。

それも必要なことかもしれないと感じている。

 

ラダ・ビノ―ル・パール判事といっても、ピント来ない世代が多いだろう。

終戦翌年 昭和21年(1946年)5月3日から 2年6か月をかけて、

世紀の裁判といわれた 極東国際軍事裁判でインド代表判事を務めた人だ。

 

所謂、東京裁判と呼ばれるこの法廷では、連合国(日本と戦った 国)として

アメリカ、イギリス、ソ連、フランス、中国、オランダ、カナダ、オーストラリア、

ニュージーランドの9か国とフィリッピン、インドを加えて、計11か国が

参加していた。

判事はいずれの参加国からもひとりずつ選ばれた。

 

被告には、A級戦犯として、外務大臣の広田弘毅(こうき)や 

東条英機(総理大臣)といった、総勢25名の名前が挙げられていた。

刑の宣告はまちまちだったが、東条英機他7名は絞首刑、その他の被告

は7年から終身にわたる禁固刑を言い渡されていた。

その判決に対して、減刑訴願を被告側が出しても却下され、裁判の

公開原則は徹底されず、少数意見(パール判事を含む)の判決宣告は

取り上げられることがなかった。

 

菅原裕氏は著書の中で、

”条令には、判決には理由を付することになっているのに、

宣告された判決はかたよった観方による日本の政治史、軍事史を

羅列しただけで、各被告の有罪を断じ、判決の理由たる事実と証拠の

提示はこれを欠いたのであった。”

と記している。(*1)

 

また、田中正明氏は、東京裁判において、”戦争そのものが犯罪であり、

戦争を計画し、備遂行したということがとがめられて、個人が裁かれた” 

としたうえで、証拠や論法が不十分ゆえに、裁判直前に”連合国は 新たに 

裁判所条令 をつくって、戦争犯罪を定義し、これを裁く権能を付与し、

これによって日本の指導者を裁いた

と述べている。(*2)

 

この裁判では全員が有罪となり、死刑を含む処罰を受ける判決が下された。

しかし、日本人被告たちは無罪であると判断し 果敢に主張したのが 

唯一、インド代表のパール判事だった。


パール判事の判決文は、少数意見として取り上げられることはなかったが、

英文にして 1275頁、日本語にして100万語に及ぶ 膨大なもので 

ねんみつに論拠を練り上げていた。

 

内容を簡単に見てみると:

第一部は~

東京裁判自体の考察:、たとえば、裁判官が戦勝国のみからしか

選出されていないことから正義の是非、 裁判直前に、マッカーサー元帥

によってつくられた裁判所条令の意義の是非、侵略戦争か否か、その責任が

個人に及ぶかどうかにいたるまで、考察されている。

 

第二部は~ 

”侵略戦争”だと主張する検事側に対して、侵略戦争そのものの、

意義づけを行っている。

歴史的に異なる種々の定義が並べられて、”自衛戦争と侵略戦争”の

違いなどに言及している。


結論としては 当時の歴史的事実、中国の共産主義、排日ボイコット、

対日経済政策の強圧を分析して、太平洋戦争は日本の一方的侵略ではないと 

パール判事は、述べている。

 

第三部は~ 

東京裁判で提示された証拠物の信憑性について。

 

第四部は~

主導者たちであった、A級戦犯の被告たちが共同して”侵略のための戦争”

の計画実行に実際関与していたかどうかという問題について。

 

結論としては

”ナチスのように、長きにわたって独裁政権が維持されて、ヒットラーを

めぐる少数犯罪者によって戦争が遂行されたのと満州事変以来、

内閣が幾度も変わった日本の政情とは混同することはできない”と述べて、

これを否定している。

 

第五部は~ 

東京裁判のいう”戦争”はどの範囲を規定しているかを論じている。

真珠湾攻撃から始まる太平洋戦争を指すとパール判事は定義する。

検察側のいう、満州事変やノモンハン事件は範囲外と指摘する。

 

第六部は~ 

前線で繰り広げられたとされる、捕虜の虐待や大量殺りく、放火、

略奪などについての事実の検証と被告との関係性について。


つまり、非道極まる前線での非人道的な行動は A級戦犯の誰かによって、

直接命令されたものかどうかということを論じている。


パール判事はそれを否定したうえで、むしろ、第二次大戦で、一番大きな

大量殺略は原爆投下事件であり、これを命令したトルーマン大統領こ

そ、広島・長崎に原爆投下を指示した罪で、人道の名のもとに

裁かれるべきだとも パール氏は意見している。

 

最後の第七部

この裁判そのものの性質を検証している。

裁判とは名目で、実は”復讐”であり、”占領政策の宣伝効果”を狙った

政治行為だとしている。

パール判事はこれらの論述を、感情論や抽象論を抜きにして検察側の

起訴事実、論告と弁護などを対比して分析、そしてパール判定へと

導いている。

 

このパール判事の直系子孫家族が、インドに居住していたおり、

居住していた、GK1地区の隣人として住んでいた。

”シタールを習いたい”ということで、当時デリー大学大学院で学んでいた

私のところに、適当な先生を紹介してほしいといって、奥様と長男が

尋ねてきたのが 知り合うきっかけだった。

其の後、長い年月にわたり、お付き合いをいただいていた。

 

パール判事はあまり、東京裁判のことをご家族に話されなかったのか、

ご家族の方達は、”判事と東京裁判との関わり合い”をあまり知らないよう

だった。

日本から訪れた客人の中には、私がご家族と親しくしていると聞くと、

パール氏の末裔の家族に会いたいいう方たちも幾人かいらして、そのたびに、

お隣に足を運んで、歓談の時を持った。


友人達が口をそろえてパール判事の業績について、語るのをきくたび、

”叔父が、そんなに日本人の間で有名な人だとは知りませんでした” と 

幼いころ、判事と一緒の家で生活していたパール氏は語った。

パール判事は、父のような存在で、自分を孫のように、かわいがってくれた

思い出が懐かしい、という、パール氏も、嫁いだ奥さんのレーカさんも、

淡々と友人たちの質問に、受け応えていた。


パール判事の思い出は?と聞かれると、ご主人は ”(パール氏には)

子どものようにかわいがってもらいました。 

一緒の家に住んでましたから。私は甥御にあたりますが 従弟たちと

一緒に育ったためか、叔父は私の父のような存在でした。”

と語った。

 

私の手元に、分厚い、パール判事の著書がある。

とても、全部に目を通すことは不可能だろう。

が、この700頁に及ぶ、書を、唯一、自分の信念を曲げることなく、

周りの連合軍の判事や軍部の力に屈することなく、公表した判事の勇気

と責任感が頭が下がる重いだ。


同時に、戦争 について、東条英機をはじめとする、軍部統括者たちの

責任について、などなど、まだまだ、生きている私たちが、日本人として、

考える余地がありそうな気がしてならない。


世界の平和~というのなら、なおさら、そうではないのか?と思う。

パール判事のこの本を目の前にしてそう感じるものの、実際は、

事が大きすぎて、やはり、自分の心の平和を確立しないことには、

世界の平和という言葉も、から滑りになってしまうような感が拭えない。 

 

 

 

 

 

          

(*1)菅原裕著 ”東京裁判の正体”

 (*2)”パール判事の日本無罪論” 小学館文庫 2009

 

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無事にデリーに到着しました

2014年03月25日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

インド・ニューデリーでの時計の巻き戻し 2014.3.25

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デリー国際飛行場に 3月19日午前0時に到着、迎えの車で拙宅に着いたのが午前1時。

それから 日本からお土産に持ってきたバッテラ寿司などを食べながら談笑しているうちに午前3時。

日本時間 早朝6時半に就寝。 数時間体を休め、翌朝現地時間8時(日本時間11時半)に起床。

日本の家族に ”無事到着コール”をしようと思っても息子たちの携帯電話がなぜか国際電話が

急にかからなくなったと言っている。今クレームをしているところだという。

”明日まで待てば直ると思う・・”すでに彼の感覚もインド的だ。 一応着いたら、日本にいる家族に電話すると

言ってきたのだから”今でしょ!”~と言いたいのだが、なんだか、間合いがずれてしまう。

 

そこで 24時間後、20日昼、バックパッカーの集う安宿で有名な所、 外国人相手にチップを売る店があるという

場所へ息子たちの好意で出かけた。

昨今、インドに住民票を置いていない外国人には携帯電話のチップを一般の街中で手に入れることは

テロ防止のせいか、身分証書や煩雑な書類提出などの規定があって、面倒くさい。

 

車で小一時間ほど走らせる間、日本の生体時計がはめ込まれている体に徐々にインド的な悠長な時の流れの針の感覚が

戻ってきた。 さすがに かつての のどかな時代に 良く出くわした、路上の牛の群れを見かけることはなかったが

歩道で繰り広がれている風景と風情はインドに”帰ってきた”感を 味わうには十分だった。

 

サドゥーと呼ばれる、髪の毛も髭も伸ばし放題の修行者と親密に 一目もはばからず、座り込んで

話し合っている歩行者の姿、

片足の無い物乞いの前に置かれた 空き缶に無造作にコインを投げる人、それをすかさず、

手に取って確かめる物乞いの表情、寝ているのか死んでいるのかわからないほど動かずに体を横たえている人、

その傍らを気にも留めず歩いていく通行人、眠たいのか物思いにふけっているのか、瞬きせず、眼をうつろに大きく

開いてあらぬ方向を見つめて立っている、お屋敷の門番さん、

 

そんな情景に心を奪われていると、いきなり、車窓のそばで、曲芸師が踊り始めて、窓をたたいて、小銭をねだる。

少し停車している間に、すかざす、横幅すぐわきに、5CMぐらいしか間隔を置かないで ほかの車が割り込んでくる。

走行車線も何もない。 2列で時には3列なして 車が路上を走る。

 

実際、事故を目撃した。トラックに追突して 少し跳ね上がって止まった車。

完全にボンネットも、バンパーも 一瞬にしてグシャっと潰れた。 運転してくれている息子の同僚は

”スピードが遅くて(40K/h)もぶつかると、確かに車は刎ねるんですね” と 無表情で一言。

 

そうこうして、目的地近くに車を駐車させ、パールガンジと呼ばれる一画を目指して、小さな路地をいくつか左右に

曲がりながら入っていくと 7色に光るほどの、美しいクジャクの羽を持った若者が ”お土産に如何?”と付きまとう。

クジャクの羽は、デリー郊外に行けば 野原で見つけることができるし、拙宅の前のジャングルにもクジャクは

飛んでいるから、印度にいるとそうそう、珍しいものではない。

 

クジャクの羽は、縁起が良いものとされていて、部屋の飾りに置いておくのも 悪くない。

半分の値段に値切って交渉していると、次から次へと売り物の入った籠をを片手に ”如何?負けておくから。

いくらで買う?”とひつっこく付きまとう路上商売人達が増えてくる。

 

その中に、小さな太鼓を打っている行商人がいた。900RS[日本円で1,500円ぐらい)だという。

本物の”造り”っぽい。 木製の筒に皮をピンと上手く張り合わしているから、彼が弾くと良い音が響く。

かれこれ10分ほど付きまとわれて、”500RSでどう?” と 半額近くに、値を下げてきた。

思わず表情を見ると、痩せたからだに 必死な様も痛々しい。

”生活が苦しんだろうな~”と同情の心が湧く。息子たちはそうした物売りの声に立ち止まることなく、

お構いなくどんどん歩き続ける。

 

携帯電話の番号を入手して、目的を果たして帰路についた。 すでに、夜8時近い。

家に帰ると、埃(ほこり)にまみれた体をさっぱりしようと、さて、シャワーと水道をひねったが

一滴も水が出ない。

 

” この場に及んで・・・” と力が抜ける。 デリーでの断水は珍しいことではないが 今回の断水は、

感嘆ではないようだ。

翌日朝まで辛抱して、水道やを呼んでもらい、トイレのパッキンが緩んでいたせいで水が漏れていたことが

わかって、修理してもらい、ホットした。 原因がわかれば何のことはない。タンクには水がたまって来るのだから、

”漏れ”を治せばまた普通に水道の蛇口から水が出てきた。

有り難い。

 

インドの生活は、水一滴にも感謝のできる生活だ。こんな小さなことが、自分の感覚をジョジョにインド生活

に戻してくれているようだ。

 

 サントシさんの家族

 

さらにありがたいことは、10年間働き続けてくれているサントシさんが まだまだ元気で自分が帰印したことで

連日、朝から、通いで来てくれていることだ。

朝目覚めて、お祈りが終わると、彼女の温かいチャイとチャパティと、塩味のない、簡単なインド料理をいただける。

 

そして、目の前に広がった 草原を見ながら、自分の頭をからっぽにする。

とは言っても、この、ブログのコピーは気になるので、チェックしながら、大方の時間は一人で 部屋に籠って、

過ごしている。

 

何日かしないうちに、友人たちからの電話もかかってき始めた。

明日からは、お世話になった方達へのご挨拶をはじめとして、喧騒なデリーの街にくりだすことにしよう。

 

 

 

 

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839万9999種の生物が知らないこと

2014年03月23日 | 健全生活のために”死”の常識を反転

生きている価値   2014・3・23 

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                                                             先回の自殺霊のお話しにはまだ続きがある。 

すでに去年のブログでご紹介してので

覚えていらっしゃる方もいると思う。

霊魂が生まれかわりする際、両親となるカップルを

生まれる前に、選んで誕生するという。 

もし、そうだとすれば、私たちも例外にもれず 

今、どこでどのような生活を送っているにせよ、

実は 自らが演出、プロデュースしてきた環境

に、今、生きていると言えるだろう。

 

この男性が父親だったら?

その伴侶となるこの女性が母親だったら?

 ~そのシミュレーションを精密に描いてから、霊魂は

納得して、生まれてきた~といわれる。

子どもは親を選べない~と世間で言われるのは実は

反対かもしれない。

親は子供を選べない~のが 正解だろう。

 

どうしてこの世に生を受けるのか?ということ。

カルマの解消という問題をクリアにするために、それに

ふさわしい環境を与えてくれる、両親のもとに生まれる

ケースもあるだろう。

例えば、今の家族は前生で、敵同士だった、というケース。

敵同士だったからこそ、今生で、”愛” を修得する場として、

あえて難しい設定をクリアするよう、彼らを家族として、

選択したうえで、生まれてくる。

 

まれに生を受けた時から、虚弱体質や肉体的欠陥、精神的

発傷害などを伴って生まれてくる赤ちゃんもいる。

三次元のこの世界では 彼らはその実、”選ばれた霊の戦士”

であることが多いとも聞いた。

なぜなら、自ら、肉体や精神にハンディーを持たせて、より

難関な試練を創り上げ、この世の生に、挑むことを決意して

生まれてきたのだから。

普通の人より、ハードル高い人生を設定して、標準課題以上の

諸問題に直面することで、霊的にさらに向上することが可能だ

と知っているからだ。

 

自然流産する胎児たちはどうなのだろう?

母の胎内に数か月だけ留まって、また霊界に戻る魂たち。

肉体の中に、霊魂が入るというのは、それだけでもかなり

難儀な試練だといわれる。

まるで、身動きができない、牢獄の中に閉じ込められた感じ
と似ているのだろう。

母の胎内に形作られている小さな肉の塊、そこに、霊魂

として入って、ほんの、数か月の試練を受けることで

もう、十分な学びができる、魂的に高い霊だという。

流産するまでの、胎内で過ごす数か月間は、

高いレベルの魂が 自分に欠けている面を習得

する微調整のような期間にあたるらしい。

 

さて、話しを主流に戻すと、

先回お話しした、自殺霊には、妹が一人いた。

自殺霊は見通している。 

妹は5年後に結婚するという運命を。

そこで自殺霊は 両親にこう約束したのだ。

”5年後に、結婚する予定の妹のお腹に 私は宿り、

お父さんお母さんの、初孫として生まれ変わりたいと思います。

そして、もう一度、お二人の腕の中に私は、抱かれるのです”

 其の後、5年後に果たして、妹さんが結婚したのか、

初孫が授かったのか、わからない。

人間に生まれ変わるということさえ、とてもラッキーな

ことなのに、自分の思うところに、すんなりと生まれ

変われることは、実際可能な事なのかどうか?

少なくても、自殺霊から頼まれた両親への謝罪の仲介者

となった事件きっかけとして、飯田史彦氏の唯脳論者

としての信念が大きく揺らいだという。


もしかすると、本当に、自分の知らなかった、世界が

あるのかもしれない”と飯田氏は、感想を持つ。

”それでも、自分の体験をありのままに受け入れられない自分

がまだ、残っていた。”

としながらも、

”高熱で脳がやられて、幻聴幻覚に見舞われるようになった

という、唯脳論の仮説を、完全に捨てることができなかった

のです。

すべては脳の内部で起きている現象であって、

高熱でやられてしまった、脳の機能障害にすぎないのでは

ないか~という不安を拭い去ることができませんでした”

 

しかし、その後、長年にわたって、飯田史彦氏は

自ら、日本全国津々浦々を駆け回って、自分の心に直接

語り掛ける あの世からの霊魂のヘルプラインをつなぐ、

ボランティア活動をするようになる。

こうして、”人助け”ならぬ、”霊助け”をしてきている。


それらの体験は、”生きがいの創造”シリーズとして

まとめられ、PHP出版から、発表された。

 このシリーズを読んだ方達の、多くの反響の手紙を読むと、

愛する人は 亡くなった後も いつでも 自分の傍

(かたわら)に寄り添って、見守ってくれていること、

肉体の衣は脱いでも、今でも活き活きと今も、

生き続けている” ことを確信できた喜び

死後の世界を信じることで、愛する人の死で、

悲観にくれていた人生から前向きの人生に変わった”

などの報告などが、多く、寄せられている。


死後の世界を信じ、愛する亡き人たちと、まだ、

つながっていると知った人達が飯田氏の研究によって、

人生が変わったことを認めている。


ところで、この世にはいったいどのくらいの生物の

種類があるのだろう。

一説によると840万種以上というが、そうだとすれば

839万9千9百9十9種が虫や鳥、動物や魚で、さらに

哺乳類や両生類や爬虫類や昆虫類などなど、分類して

いけば、気が遠くなりそうなほどの種類になると思う。

その残りのわずか”一種”が人類と呼ばれる生物であり、

人類に生まれるということは確率的に極めて低い可能性

ということがわかる。

 

生まれかわりを信じている人も、人は人にしか生まれないと

思っている人が多数を占める。

ところが、人は過去生で動物だったり、動物が人間に

なったりすると 賢者は教える。

”人間で生まれたことは奇蹟的倍率なのだから、

人間らしく 生きなければ (また)動物界に転じる

可能性もあるのだという。

これだけの種類の生物がいて、人間が彼らと違う

大きな点を一つ上げよと言われたら、何と応えるだろう?

覚者はこういう。

”人間しか みずからの内なる神性を発見する能力がない

ということだ~と。

人生、生まれる前に、自己演出をして条件を整え、生まれた
目的が、自らに内在する、尊い神性~愛や智慧の発現である
ということなのだろう。

 

 

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