谷口雅春氏の教える、”人間の実相” と、
ガヤトリーマントラ との共通点
*********************************2019・7/25
前書き)
"祈り"は眼に見えない科学の一つだと考える。
なぜなら、”祈り”はほとんど確実に何らかの影響力を持つ
ものだから。
私が、タイトルでつかっている”究極のマントラ”とは、真言
や祈りの言葉など、無数にあるそれらの中で、インドにおいて、
最もパワフルと言われている”ガヤトリーマントラ”をさして
いる。
次回から、少しずつ、詳しく紹介させていただくことにして、
今日は、唯心論を説く谷口雅春師と、そのガヤトリーマントラ
の共通点について記事を投稿させていただきたい。
このサンスクリット語で語られるマントラの存在を知って
いる人は少なくないが、その言葉の意味を理解している人は、
多くは無い。
このマントラが、”究極”なそれと呼ばれる所以(ゆえん)は
何か?
インド古代から伝わるヴェーダ哲学の真意を表した、この
マントラによって、三界の業が浄化され、本来の人間の実相
が現れるとされるからだ。
では、実相とは何か?
今日は、その究極なマントラの内容と、共通する真理を説かれた
谷口雅春師(注;師はガヤトリーマントラはご存知なかったと思う)
の言葉をご紹介したい。
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手元に谷口師の教えた経言(のりごと)(*1)がある。
これはある意味、マントラである。
しかも、究極のマントラに限りなく近い内容だと私は思う。
どこが近いのかといえば、”性善説”の徹底、つまり、善しか
実存しないという、人間の実相像である。
谷口師は”人は神の子である”とシンプルに言い切った。
だから、親神(おやがみ)の資質である、無限の愛と智慧、
無限の供給に 誰もが恵まれていて、当たり前だという。
神の平穏の懐(ふところ)に抱かれて、安寧の中で静かに
歓びに浸っている姿こそ、人間の実相であるという。
谷口師は言霊(ことだま)を使って、その実相が顕現すされる
ように、唱えやすく、わかりやすい、力強い経言を残した。
以下にいくつか、ご紹介させていただく。
皆様も、よろしければ、静かに、ご自身の唇をもって、声に
出して読んでいただきたい。
その内容が、言霊となって耳に広がるとき、自分の体と心が
どう反応するか、身をもって体験していただければ幸いだ。
”吾は今、‘善’そのものと融合して一体であることを感じる。
吾はもはや、‘善’そのものと疎隔(そかく)の感じをいだか
ない。
吾は‘①神’の家に住む神の子としての権利を自覚して②悦びに
満たされているのである。
吾は③悪夢より目覚めて‘神’の御許(みもと)にいくのである。
今吾は内在する神の生命と愛と智慧とを明らかに知るのである。
吾は我が境遇と運命とが④自己自身の想念の反映にすぎない
ことを悟ったのである。
それゆえに、吾は最もよきものを、最も浄きものを、最も真なる
ものをのみ思うのである。
吾は⑤すべてのもののうちに、我が求むるよきものを見出すこと
ができるのである。
吾は今、神の智慧と力とで満ち溢れている。
吾は今、宇宙生命と一体なることを感じて、⑥歓びに満たされて
いるのである。
それゆえに吾が求むる一切は⑦必ず成就するのである。
吾れこのことを感謝し奉る。”
次に以下、この経言(のりごと)の中で私が下線を引いた言葉、
①から⑦までの私の個人的見解による解説~
① 神’の家に住む神の子( 性善説の極地を説くマントラ)
このフレーズは、聖書の中の言葉を思い起こさせる。
人が、放蕩息子にたとえて、神から離れた姿を例えている。
本当は、人は、父=神 に愛されてその後継者として、すべて
を与えられているのにもかかわらず、その真実を認めない
どころか、本当の自分は(親から愛されていないから)神(親)
と離れたところにあると思いこみ、家出をして、さまようのが
谷口師の言う、”神の家に住む神の子”とは、本来の私たちの姿
を表現して
いるのだろう。
② 悦び
歓びでもなく、喜びでもない、ここでつかわれている、悦びと
いう漢字の意味するものは、‘法悦’の悦、つまり、本当の真実
(法)を知ることで得られる、
心の安寧、無執着、つまり、法悦(ほうえつ)状態をさす。
③ 悪夢より目覚めて
豊臣秀吉の辞世の句にあるように、生きている間の出来事は
一瞬の、夢幻(ゆめまぼろし)である。
良い夢ばかりでなく、苦労や悲しみを伴う、悪夢を見ている
こともあるだろう。
その間は不安定で怖い。
まるで、大波に揺られている小舟のように、私たちは周囲の
環境や、価値観に揺さぶられ、感情は上がり下がりしている。
何をしても、なかなか思うようにいかず、あがいたり、アリ
ジゴクに陥るように、抵抗すればするほど、事態が悪くなる。
執着してもしかたがないのに、心が離れられなくなって、
どんどんと、かたくなになっていく。
こうした、現実の苦しみのように見えて、その実、そこには、
実態は、仮想で、実存的(永久に存在する)ではない。
夢から覚めれば、実相がわかる。
だから、これらの苦しみを、悪夢 と呼ぶ。
これらは、”顛倒妄想”の中での体験を意味している。
谷口師は教える。
私たちの父親が、神であると知れば、言い換えれば、私たち
の本来の実相が、どのようなものなのか合点がいけば、すでに
すべてが一瞬にして変わる。
実相が現れれば、太陽が雨雲を押しやるようにして、明るい光
そのものの、実態(実相)が出現して、”悪夢”は自然と、雲散
霧消(うんさんむしょう)して、消えると・・
④ 自己自身の想念の反映
仏教で説くところの唯心所現(ゆいしんしょげん)を意味する。
私たちの周囲で起きている、人の言動も環境の良しあしも
すべて、元を問えば、私たちの想念、つまり、考え方や物の
観方が創り出したものだ。
つまり、自分の考え方が変われば、周りが変わるということ。
周りが変わるとは、単純に物質的変化だけではない。
目に見えないもの、健康や豊かさ、希望や愛情など精神的に
すべて変化する。
⑤ すべてのもののうちに、
我が求むるよきものを見出す良きもの、善なるものを私たちは
無意識に求めるようになっている。
それを現実にもたらすためにも、良いことを想い、考え、想念
を清めていくことが大切だろう。
いろいろな方法で。
先人たちはそのために、言霊のパワーを使って、マントラ(祝詞
や経や、真言や言霊)を教え、残してきた。
⑥ 歓び
ここでつかわれている歓びという漢字は、前に出てきた法悦
の’悦’とは異なる。
法悦は魂で味わうもの。
歓びは心で感じ、身体的なものだろう。
前後の文脈をみると、’宇宙生命と一体なることを感じて‘
とある。
宇宙生命、これもまた、理解しようとしても言葉では、簡単
には、言い表せない。
自然治癒力セラピーを通して、あるいは、個人個人の修行を
通して、私たちの体に無尽に走る神経のように、すべての細胞
を有機的に結び付け、自然治癒力を促している、今、この身体に
みなぎる、生命力こそ、その宇宙生命の現れの一つと、すでに
多くの方たちが体験で知っている。
⑦ 必ず成就する
自分が欲する祈りは、~人を傷つけようとするものは除いて~、
案外、”自分“だけの祈りだけではないことがある。
気が付かないうちに、宇宙の大生命意識が、自分の心に種を
落とすことがある。
それが、芽生えて、言葉として表現できる、”祈り”になる。
こういう祈りは、必ず実現する’と先人は教える。
さらに、自分自身が常に、大いなる宇宙意識と結びついて
いる自信があれば、どんな祈りも成就するだろう。
だから人は修行するのかもしれない。
修行することで、神や仏、宇宙の意識に限りなく近いところ
に自分を置いておきたいのだ。
自分が、神や仏に近いところにいるという自覚は、'叶う’という
確信につながり、確信が強い分、実現に必要な要素を、自然と
四方八方から引き寄せる力となるからだ。
よく、’とんとん拍子に物事が運ぶ’、とか、’偶然に偶然が重
なって’、’流れるように、物事が進んだ’という話を聞く。
それは、神や仏の恩寵も勿論だが、その人自身の潜在意識
にためられた、強い信念がものを言っているのだろう。
* (1)”日々読誦30章経” 光明思想社 平成25年