自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

遺伝子を解読した科学者村上氏のスピリチュアリティ (1)

2019年06月27日 | 健康のための心の波動

 

村上和雄が語る“生命とは何か?”     2019 ・6/26


前置き)

私の手元に2冊の文庫本がある。タイトルは“生命(いのち)の暗号”、

①巻と②巻(*1)。


それぞれのカバーに書かれた紹介文が印象的だ。

①巻の表紙の裏表紙書。

“バイオテクノロジーの世界的権威が提言す‘遺伝子オンの生き方’、

だれもが無限の可能性を開花できる。


遺伝子工学の世界的権威によるロング・ベストセラー。

著者が遺伝子暗号を読みごく中で気づいた、微細な空間に膨大な

化学の文字を書き込んだ何ものかの存在。


著者は畏敬をこめて、それを‘サムシング・グレート’と呼んだ。

生命科学の現場から、人がもつ無限の可能性と眠れる遺伝子

オンにする生き方を説いた”。(以上引用)

 

②巻の裏表紙にある紹介書きは次のとおり(以下引用)。

環境の変化や心の持ち方で遺伝子がONになる~ヘビースモーカーが

肺がんにもならずに、すんでいるのは、癌を退治する遺伝子が

ずっとON状態になっているからだと考えられるのです。


そういう遺伝子のON/OFF機能は、病気や健康に限ったこと

ではなく、走るのが遅いとかカラオケが下手だとか、記憶力

集中力に乏しいとか仕事ができないといった、

いろいろな心と体の能力に関しても同様にいえます。


したがって、眠っていた遺伝子をONにすることで潜在能力を

目覚めさせ、それまでできなかったこともできるようになるし、

とても自分には無理と思えたことも可能になる・・


そういう可能性の発言に遺伝子は大いに関与しているのです。”(以上引用)

この本の著者が村上和雄、筑波大学名誉教授(*2)だ。

 

*************************************** 

遺伝子研究第一人者の村上和雄博士は、生命についてどう考えて

いるのだろうか? 


自然治癒力は生命力の発露だ。

村上博士は自然治癒力は遺伝子の働きからくるという。


それなら、その遺伝子そのものが“生命”か?といえばそうではない。

村上博士も認めるように、遺伝子レベルの解析をしてみても、

生命そのものがこれだという結論は出ないという。


ところで、人体組織の最も大切な器官は何か? 

言葉を変えて言えば、何が、司令塔になって、体の秩序正しい

生理機能つかさどっているのだろうか?


単純に、頭の中の脳の機能が、その役目をしていると思っていた。

ところが、村上博士は、”人体は頭で統治されているのではなく、

遺伝子そのものが司令塔”になっているという。


遺伝子が人体を維持している司令塔とは? 

その答えは、村上氏の著書“生命の暗号”の最後の章に記されていた。


今日はそれをご紹介しながら、生命と遺伝子の役割などについて、

そして、村上氏のいう、遺伝子の背後にある”偉大なるある力

について考えてみたい。

 

遺伝子と生命の関係を村上氏は第5章37頁にこう書いている:

遺伝子は生命の設計図ですが、設計図はあくまで設計図

‘そのもの’ではありません。

したがって遺伝子も生命そのものではありえないということ

になってきます。”

 

そうだろうか? 


神経を神の経路(みち)と漢字で表している。神経は神の意識の

路であり、縦横に体の通っていて、無意識の中で私たちの

体の機能を支えている。


その神の意識とは、森羅万象生きとし生けるものに存在して、

言葉を変えれば、”生かそうとする力”に他ならない。


私は、それがつまり、生命力ということだと思う。

この点で、私の意見は僭越ながら、スピリチュアルの観点を

少し斜めに構えてみると、少し村上氏と異なり、正常な働きを

している良い遺伝子は、人の体を生かそうとして

いるわけだから、それこそが、”生命力”の発露といえそうだ。

 

生命というのは抽象的なもので、それは空気のようなもの。

空気は確かに私たちの周りを取り囲んでいるが、空気の一片を

取り出すことは難しい。


それと同様に、体から‘生命’の一片を取り出して、これが”生命”

ですというわけにもいかない。

体の外に出したらすでにれは生命ではなくなっているからだ。

村上氏はそのあたりを、こう書いている。(以下引用)

 

“では、生命はどこにあるのか?

今のところそれはよくわかりません。

ヒトの遺伝子情報が全部解読できれば、今以上のことはわかる

でしょうが、それでも、生命の本質を明かすのは、たぶん無理

ではないかと思います。”(以上)

 

 村上氏は世界的に高名な科学者である。

その研究を極めた方である。どんな研究にせよ、極めた方に

共通するある認識持っていらっしゃる。


つまり、物理学的に解明できない”不可思議な力”を垣間見て、

精妙で大きなパワーが物理方程式裏に潜んでいる”ことを

認識している方である。

アインシュタインもその一人だった。

 

科学の領域では次々の新事実が発見されていき、現在の21世紀

の科学は古典的科学となる時代が来るだろう。

それでも、どんな時代になっても決して古びることがない真理

は残るだろう。


つまり、その研究の奥義(何か)に達した科学者たちは

みな等しく、大いなる力を見出して、その前に、頭を垂れる体で、

謙虚にならざる得ない事実。

 

それは、”科学の裏には、人間の理解の限界を超えた存在があること

を偉大な研究家であればあるほど、その研究プロセスで目の当たり

に知るからだろう。

村上氏はそれを、“something Great” と呼んだ。


そのサムシング・グレートを認め、そこに想いを馳せながら

研究を続けるその姿は、ある意味、とてもスピリチュアルな態度

に見える。

 

次に(村上博士の考える死後の世界)をとりあげてみたい~


その村上氏が死後の世界(このブログでもたびたび取り上げている

項目だが)をどう考えているか、引き続いて述べているので

ご紹介したい。(以下引用)

 

“‘’死んだら生まれ変わる‘という人たちがいます。

何に生まれ変わるのか?

一般に考えられている生まれ変わりというのは、自分の

魂みたいなものがあって、それが体に宿ってこの世に現れる。

この魂の連続性を生まれ変わりと称しているのです。”(以上引用)

 

さらに話題は、‘魂’についてと移っていく。村上氏は言う。


死んで肉体が滅びても、魂はなくならない。

死ねば肉体から離れるがまた別の肉体を借りてこの世に現れる”(以上)

 

このあたりの話題になると、“そのことを証明できるか?”という人

が必ず出てくる。

”魂はなくならない”とは、どういうことか、キチンと例を挙げて

科学的に説明せよ~と言う。


残念ながら、それは無理なのだ。無理だということを村上氏も認め、

次のように村上氏は言う(以下引用)

 

“これらのことは遺伝子レベルでは説明できません。


遺伝子は物質であり、魂を物質レベルで説明することは

今のところ無理なのです。

とはいえ、説明できないことが‘無いこと’にはならない。

私も魂は‘あるのではないか’と思っています。”(引用以上)

 

魂を物質レベルで説明することは無理~目に見えない世界が

目に見える世界の科学で少しずつ解明されているが、

目に見えない科学は、魂で理解することが一番手っ取り早いのだ。

 

 

**********

*1)~サンマーク文庫“生命(いのち)の暗号”、①巻と②巻  

サンマーク出版 2009年、

(*2)村上和雄1936年生まれ 筑波大学名誉教授。78年筑波大学応用生物学

化学系教授になり、遺伝子の研究に取り組む。

83年高血圧の黒幕である酵素“レニン”の遺伝子解読に成功。

先端学際領域研究長を94年より務めた。96年日本学士院賞受賞。

 

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医師の所見と患者の恐れ

2019年06月20日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

病をかかえていても、安堵の生活に移行する方法     2019 6.19

************************************************** 

   

”早期発見が大切だから、異常があったらすぐ病院へ”と

早期発見 は現代の常識のようになっている。


一方では これと対照的な意見もある。 


それは、“早期診断を進める‘早い発見、手遅れの前に’の

常識的考え方は、健康な生活を送ることより、病気を探す方

に重きを置きすぎている。” という医師を含め有識者の意見である。


またある有識者はこうも言う:

癌についての早期発見について敏感なほど、いかに毎日の生活を

楽しく明るく意識を向けていくかというほうに敏感ならば、癌患者は

もっと減るだろう”と。 

 

早期発見が大切~と信じている裏には、発見がおくれたら、

厄介なことになるという不安意識がある。


不安はかかえて検査をして、データ結果を手にした医師の所見

を聞かされる。

医学的知識を持っている患者は別として、大方は'先生に頼ること

しかできないから’と、その所見に従い、治療に入る。


ほかの医療機関でセコンドオピニオンを聞いて、処置方法を

選択しようという、自分なりの所見を持った、ゆとりのある患者

とその家族はそんなに多くはないだろう。

 

さて、わたしも個人的に近しい親戚や両親の入院時に、担当医師

から’所見’を聞いた。

当然のことながら、西洋医学の診断処置用である以上、

東洋医学的な身体の機能の総合的判断や、心身との相乗効果や

関係などは全く無視されていた。


次のような言葉を付け加えられるような医師がいたとしたら、

私自身、そこにお世話になりたいと思うだろう。


“癌や重篤な病が発見されても、取り乱すことも必要ないですよ。

むしろ、自分と向き合うチャンスだと、とらえてみたら

どうでしょう。

それはあなたの生き方を少し変えようという、天からの

アドヴァイスかもしれません。”。

 

言い換えれば、生き方を変えようと意識を変えたら、

病の進行を抑えたり、病状がよくなりますよ~ということだ。


医師から心と身体の関係を考慮した、自信と希望が望める

言葉を投げかけられたらどんなに、ほっとするだろう。

 

心療内科では、安心した心理状態から体の自律神経や免疫システム

をよりよく整えるといわれている。

さて、そうした医師の言葉と恐怖心の関係が今日のテーマで

あるが、それに関してご紹介したい実際のお話がある。

 

ダナは癌患者だ。

不安でいっぱいの心に、アニータ(最近の’臨死体験’シリーズで

ご紹介した癌の末期患者だったが、臨死体験により人間の本質を

理解して、奇跡的に癌が全治した女性)

が、ダナを見舞いに行き、次のような会話(*1)をする。


癌患者のダナは自分の不安を次のようにアニータにぶつける。

 

“私は怖くてたまりません。

医師たちは治療について選択肢を説明してくれたのですが”。

“専門医は化学療法が癌を治す一の方法といいますが、

その副作用を考えると私は怖い。・・・略・・・


インターネットで、代替え療法について情報を集めてきてくれた

人の意見、信仰によって治るという人、化学療法は身体の毒

になるという人もいれば、医師の意見に従うべきだという人もいる。


でも今の私には、何を選んでも間違った選択になりそうで怖いのです” 

 アニータの答えはこうだった。


“具体的なアドヴァイスを差し上げるのは、控えさせてください。

癌患者のあなた自身には、自分の道を作り出す力があり、

その力を私に明け渡してほしくはないからです。


それよりも、自分に力があると感じることの方がはるかに

役立ちます。

ほかの誰でもなくあなた自身の選択なのです。” 

 

そしてアニータは、ダナが、自分自身の内側から欲する

選択肢を選べるように、次のようにガイダンスをした。


“私(アニータ)は、自分が一種の内なるガイダンスシステム

によっていつも導かれていると知っています。


そのシステムは誰もが持っていて、いつも私たちと

対話しようとしています。


でも対立した情報がいっぱいありすぎると、マインドが

疲れ果ててしまい、ガイダンスシステムは機能しません。


情報入手のスピードが速い今日では、このような詰込み状態

はよく起こりがちです。

これが起こるたびに私は情報の断食をしています。”

 

情報の断食とは?

アニータが言うそれは、断食では食を断つのだが、

情報の断食では、情報を一日ないし二日、外部から取り入れない

ようにすることを指していた。


具体的には、テレビなどのマスコミからはいる情報の

スイッチをオフにしたり、病気の情報でいえば、1~2日間、

新しい情報を確保しようと焦らず、その間,心を穏やかにして、

自分と向き合ってみることをいうのだろう。

 

すると、どういうことが起きるかといえば、アニータは

自分自身の体験から次のようにダナに言う。

“情報の断食をすると、亡くなった父や親友や愛する

人たちを含めて、まだ、あらゆる人たちとつながって

いることを思い出します。


私を無条件に愛してくれる人たち、愛してくれた人たち

がいることを思い出します。

分離がなく、つながっているのです。それは時間と場所を

超えてつながっているのです。


こうした中、ガイダンスが心に届きます。

どこから来るかといえば、あなたが特別なつながりを

感じる存在、ブッダでもリストでも観音様でも、先祖様から

・・・といえるでしょう。 


実際、それが誰であるかはあまり重要ではありません。

なぜなら彼らはみんな私たちとつながっている

’一つの存在’であるにすぎない、


その’一つの存在'が、最もわかりやすく、私たちが

心地よく感じる形で心に映ってくるのです。” 

 

すると、ダナは、どうしたらそうした特別の存在のガイダンス

に焦点を当てられるかと尋ねた。

アニータはこう答えた。


自分の内側に波長を合わせ、自分の力を外部のものに

明け渡さないことを思い出すことによってです。”

 

もっと平易な言葉で、アニータはそれをこうも表現している。

“癌とか宣告された病名や、その治療法の選択に

自分の心を集中させる代わりに、

自分を幸せにしてくれると感じる場所に行ったり、

人に会ったり、物に集中すれば、

恐れの場所から安らぎの場所に移行できます。・・・略・・・


そして新しい挑戦すべき考え方を見つけて

自分にこう言って聞かせます。


‘いいアニータ、自分の幸せを取り戻すのよ。

自分のための時間を過ごし、自分を愛して自分に

やさしくして、何か面白いことをして楽しんで、そうして

自分を大切にしてあげるの。”

  

医師の所見を聞き、次々と想像して、余計心配が

増すことがあるだろう。

そんな時は、もう一度、アニータの言葉を思い出したい。


~“自分の内側に波長を合わせ、自分の力を

外部のものに明け渡さないことを思い出すことによってです。”


~"自分を幸せにしてくれると感じる場所に行ったり、

人に会ったり、物に集中すれば、恐れの場所から

安らぎの場所に移行できます。”

 

ちょうど二日前の出来事だ。

愛犬の仲良し’Kちゃん'(トイプードル)が肺を手術した

ばかりなのに、水がたまっているということでまた、

次回の診察結果によっては、手術の可能性がある

と示唆された。


心配だと、Kちゃんママが顔を曇らせた。

それは、たまたま散歩途中で出会ったときの出来事だった。

Kちゃんはすっかり元気。愛犬のジュピとふざけて遊んでいる。


そんなKちゃんが、再び、手術して、集中治療室で

一週間も身動きできない状態で精神的に不安定で

心細い想いをさせたくない~とKちゃんママはいう。

私とて同じ想いが込み上げた。


そこで、私のクライアントの中には、肺に水が溜まって

いた人もいたこと。

セラピーを数回したら、次の検査では消えてたこと。


ほかにも、こうした事例はいくつか知っていたので、

その効果は自らの生命力、つまり自然治癒力によるものだ

いうお話を少しさせていただいた。

 

翌日、Kちゃんのセラピーをお願いされた。 

人間でも動物でも基本一緒だ。

一時間、治療室でみっちり集中して行った。


Kちゃんはその間、体位を時々変えはしたが、

私の施術している手のひらをぺろぺろ

となめ続けて、じっと、手当に身を任せていた。

 

Kちゃんママには医師の所見をよく聞いて、

すべてyesと答える代わりに、心の奥から

聞こえる声を無視せず、どんな質問でも意見でも

医師に話して、納得いく結論を出す

ようにと助言させていただいた。


”私自身のセラピーをしてもらっているみたい。

気持ちが楽になった。”

とKちゃんママは語り、二日後病院に検査と医師

の所見を聞きにいった。

 

医師の所見を聞く今日(実際は6/16)、結果が、

メールでとどいた。


”三週間、猶予をもらい、状況を見る。

先回50㏄たまっていた水、今回も同じ量だが、

薬は減っているので、薬のせいでが増えなかった

とは言い切れない。


そういう体質の犬もいるので、水が体内に自然に

吸収される場合があるかもしれない”と書かれていた。


Kちゃんママには思いもよらなかった医師の見解

を聞かされたという。

 

今日は、医師の言うままに、手術の日取りが決められたかも

しれないことを思うと、Kちゃんママはきっと、質問やご自身

意見を勇気をもってお話したのだろうと、診察結果のメールを

読んで嬉しい想いがした。


さて、これから、Kちゃんの体の中の水疱との向き合いが、

セラピーを通して始まることになる。

これからが本番だ。

 

 *1~”もし、ここが天国だったら?” 2016年 株式会社 

ナチュラルスピリット 

アニータ・ムアジャーニ著

 

 

*

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恐怖心を考える:いじめる人・いじめられる人の共通の心

2019年06月13日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 

”いったい、何を私、悪いことをしたのかしら?”     2019・6/13

*******************************************************

 先回の投稿で少し脱線しましたが、また、6月1日の記事の続きとなります。

****************

 知人友人から、健康や家族の心配事などを打ち明けられる。 

話の中で、多くのかたが、話の中で、”私、何か悪いことをしたから、

こんな問題にむきあわなければならないのかしら?”と自問自答する。

 

因果応報、悪いことをしたら自分があとで苦しむ~という仏教的考え。

意外と日常的に私たちはその考え方を受け入れているようだ。

ほかの宗教でもいろいろな言い回しで、因果応報のルールを教えている。

たとえば、”良い種をまこう”、自分の蒔いた種を刈り取らなければならない、

のように。

 

因果応報のルールは原因と結果という言葉があるとおり、

この世の中の真理だと思う。

が、時には人生全般の悩みや問題に関して、このことを追求する

のはあまり意味がないと思うときがある。

 

特に、病に関していえばあまり、お勧めしたくない‘真理’でも

あると私は思う。 

自分が癌だともし宣告されたとき、因果応報にこだわれば、

思わず自問自答したくなる。

“自分はそれ相応の何か悪いことを過去にしてきたのだろうか?” 

“過去世に犯した悪いカルマが今、こうしたつらい病気となって

出てきているのだろうか?” 

 

あれやこれやと思い出し、苦い想いとともに、自分の至らなさを

不甲斐なく思い、自分の未熟さを責める。

反省したからとて、回答は見いだせないし、病状に待ったは

かけられないし、暗い気持ちになっては

反省どころか悪循環の未来の見えない混乱を招くだけだろう。

 

そうは言っても、癌と宣告されて、“よし、今までのカルマを

一掃して新しく生まれ変わったように心を

入れ替えよう”と即即座にポジティヴな考え方に切り

替えることも難しい。

 

では宗教に頼ればよいのか?

時には、それも心を落ち着かせる手段として有効かもしれない。

一方、信仰を高めるために恐れを利用する

宗教組織の思惑も残念ながら感じる時がある。、

”恐れ”を抱かせて神や仏に信仰を持ちなさいと導く方法。

ある宗教では”人は罪深い”と教えられ、”神に頼らなければ

救われない”と導かれる。

ある教えでは”そんなことをしたら、7代までたたりますよ”

と脅かされ、導師のいうことに素直に耳を

傾けざる得ない状態にはまる。 

 

ほんとうにそうなのだろうか?

人間は罪深いのだろうか? 

7代までたたるような所業が存在するのだろうか?

そもそも生まれながらに’罪深い’とは’原罪”を意味する。

”原罪”という教えがない宗教では、この”罪深い”

という考え方は存在しないが、この世で悪業をした人が

行く地獄の存在を説いたりしている。

7代たたるという話にしても、輪廻転生を説く教えでは

通用するが、魂は一代で終わり審判の日まで

眠りにつくという教えなら、理解しにくいだろう。

 

そう考えると”心配とか恐れ”は、病気を引き起こす

メンタル要因になっているといえるだろう。

それは“自分は決して人のためになるばかりの行動を

していないから、この結果が何か生来、病気となって

現れるのではないか?”とか、もっとダイレクトに“

自分は罪深いから、神様から何か罰を与えられて

苦しむ結果になるかもしれない。”とか, そうした

無意識に積もり積もった不安が本当に病気を引き起こす

可能性があるだからだ。

私たちの念はクリエーターだ。念の通りに人生が

展開しているといっても過言ではない。

 

さて、今日の本題にある、いじめと恐怖心~その話に

入ると、こうした不安や自身のなさが、

いじめをする方にもされる方にも見え隠れして

いるような気がしてならない。

 

いじめを受ける子供たち、統計的に見ると、そういう

子供たちの共通性は次のようなものがあげられる: 

①“自分に自信がない。” ~ ひっこみがち

②“はきはきしていない” ~ 優柔不断

③“目立たないように行動する“ ~ 自己主張がない

④”交友関係があまり多くない“ ~一人の行動

⑤”外見的に、あるいは、実力的に他の子どもより

劣っていると思い込みがある。“ 

⑥”学校的行事には消極的、不参加することもある“ 

~ 社会的ではない

⑦“愛されているという実感がない” から “生きて

いても無意味だとしばしば考える”~ 自殺願望に

なるときがある

 

一方、いじめをする側の子どもたちは、こうした特性を

相手から敏感にかぎ取っていたずらや嫌がらせ、

時には暴力などをふるって、自分の優位性を満足させている。 

心理学的にみれば、いじめられる側・いじめる側とは

紙一重でいつでも役割が交代する可能性があるという。

つまり子供の時代は”いじめられる側”だったが、成人

してからは”いじめる側”に変わったりする。

その逆もまたあり得るだろう。 

なぜなら、こうした’いじめられやすい資質’は実は、

いじめる側も心のどこかに持っているものだから

上にあげた7つの特質は裏を返せば、いじめる側の

子どもたちの特性でもあるということだ。

ただし、表面にはそうは見えないし、気がつかれないから、

”本来は” という但し書きが必要だろう。

本当はいじめている側の子供たちも“寂しく、自分に

自信がない”ほど、弱弱しい部分があるからこそ、

そういう資質を持った子供に対して”いじめる”と

いう行為で、その弱弱しさをカムフラージュしていると

いえそうだ。

これもまた‘類は類を呼ぶ法則’で、似た者同士が

ひきつけられといえる。

 

つまり、いじめる方は、自分を認めてもらえない寂しさ

の代価として、やはり自分の価値を知らない

“いじめられる方”にかかわりを持ち、自分の観たく

ないその弱さに対して’いじめ’という形で反抗する。

 

いじめられる方の人間はいつも、びくびくしながら、

次のように言い聞かせ、自己防御をする。

“自分が目立ったら、こんな価値のない自分だからこそ、

きっと、だれかにいじめられるだろう” 

“理不尽な扱いをされるのがおちだから、なるべく隠れた

ところで傍観者でいたい”

と後ろに引っ込むから余計に、“弱さ”が目に付くという

結果になる。

さて、どうしたら、もっと積極的で楽しい人生、罪や罰の

意識にとらわれないおおらかな人生観を

持つことができるのか?

 

それは、簡単なことであり、最も難しいことでもあるのだろう。

答え:“自分を愛してあげること”~抽象的すぎる。

ならばこう言い換えてみたら?

“自分が一番気持ちよく、リラックスして心地よい在り様を

選択する”

 

それがいつもうまくいくとは限らないのは知っている。

そう思ってそうしても、むしろ後味悪い想いしか残らな

ことがあるかもしれない。 

何が後味悪くさせたのか少し反省すれば、もっとうまく、

自分が本当に欲しているものを理解してあげられるだろう。

その対象はきっと、自分が深まるほど、すこしずつ

変わってきて最初求めていたものとは異なること

があるかもしれない。

 

二つめは、“自分を責めない”ことが 大切なようだ。

 

三つめ、相手に思いやりをもつことは大切だが 

“相手の感じ方を気にしすぎて、周囲に振り回されないこと”

実はこうしたことは自分が日頃気を付けていることに

ほかならない。

ややもすると、自分を責めたり、周囲にふりまわされたり、

当に自分が心地よく感じられる条件を選択せず、

いつの間にか、ストレスが溜まっているということに

なりかねない。

 

そして、最後の最後に、一番大切なこと。

”自分が純粋な愛、無償の愛を受けるに足る存在である

と知ること”、~ と先人は教える。

 

自分が一番心地よい状態は、たぶん、物質的環境を

整えるのみならず、どんなに小さな行為でも

この”無償の愛”が現れた自に触れた時かもしれない。

無償の愛を受けるに匹敵していないと思ったら、

逆に、その愛を ”与えるに足る心豊かな自分” 

であることを信じたらどうだろう。 

なぜなら、私たちは、本来神の子だから。

 

その時、恐怖心や恐れ、寂しさなどの念は、こうした

’豊かな心’になったとき、自然と消えるという。

病気も不幸に見える事柄も、実は、私たちの心の’

豊かな自分’を発掘するための、’体験なのだ’という

師の言葉を思い出

それが私たちの人生の最終ゴールに掲げられている、

目的なのだから~と。

 

 

 

 

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遺伝子から見る"腹八分目と長生きの効用”

2019年06月07日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

心の持ち方が遺伝子のスイッチをONにする     2019・6月7日

**********************************

 村上和雄博士は、筑波大学名誉教授で遺伝子の解読に成功した、

遺伝子研究を牽引してきた方だ。

この方があるときテレビで高僧と対話したときがあった。

すると、不思議なことに、科学者である村上博士のお話が、

相手の方以上に宗教的に、深い境地に至っているということが

理解された。

 

つまり、遺伝子の研究の中に、村上博士はさまざまな、

理屈では解決つかない"不思議さ’を垣間見ておられ、

その背景にある存在に深い洞察をされていた結果、

このように他者には見えたのだろう。

 

さて、先回6月1日に“恐れと菜食主義”について触れさせて

いただいたが、今日はその追加分として、村上博士の意見

とともに、”遺伝子と食生活の関係”について

ご紹介したい。

 

血糖値などのコントロールも、遺伝子の働きが大きい。

遺伝子の働きは多岐にわたっているので、後程、あと

数回あと(”恐れ~”のタイトルのシリーズが終了したら)

自然治癒力との関係で再度取り上げてみたいと思っている。 

 

その遺伝子の働きを作用させる要因に、大気汚染や

騒音などといったほかに、食べ物や栄養成分がある。


遺伝子の世界的有名な筑波大学名誉教授 村上和雄博士は

遺伝子の働きと食事の関係で次のように書いている:

 

“食事をして血糖値が上がると(とくに炭水化物をたくさん

とると上昇する)、体内のグルコース合成に関係する遺伝子

のスイッチがオフになって、その生産をストップする。


逆に食べ物をとらないで血糖値が下がってくると、

同じ遺伝子のスイッチがオンになって、グルコースを

生産し始めるのです。・・・


それを自動的にコントロールしているのが、関連遺伝

のON/OFF機能なのです。” 

 

すでに、栄養化学ではホルモンとの関連でこうしたことが

説明されていたが科学が発達して、遺伝子が大きく

かかわっていることが明らかになったようだ。

 

これはどういうことかといえば、食べ物をとらない、

あるいは、とれない状態では体の自然維持力が働き、

グルコースが生産されるように、その役目の遺伝子のスイッチ

がONになる、


つまり、脳の大切な栄養分であるグルコースの濃度を

遺伝子の働きで常に一定に保っているというのだ。

 

ダイアットをして、体重を減らす努力をされた経験の

ある方は、すでにお気づきだと思うが、食事を一回

ぐらい抜いたからといって、あるいは、一日ほとんどゼリー

などの栄養分だけで固定食を食べないからといって

体重はすぐには急激に減少したりしない。


むしろ、こういう状態では、水を飲んだだけでも体重が

増えたり、奇妙な現象がみられたりした(私の場合)。

それもグルコースのみならず、体内で栄養のバランスをとる

働きがあるからだと思う。


さて、村上博士はこうした働きが遺伝子にあるから、

断食効果につながるという。

博士の意見がこうだ。

 

“細胞が栄養分を一時的に断たれたことが、眠っていた

遺伝子をONにすることに、つながったと考えられます。


若い時に結核にかかり、結核治療には栄養補給が一番

といわれて、ともかく栄養を'とる’ことに一生懸命になった。


だが、効果が一向にあらわれないで、いたときに

東洋医学に出会い、断食療法をすすめられて実践したところ、

つまり、栄養を‘断つ’ほうに治療法をかえてみた

ところ、結核が快方にむかった。・・・


関連する遺伝子の働きが断食によってONになった

可能性が大きいのです。”

 

もちろん、素人が行う断食の危険性を博士は認めているが、

少なくても“断食とまでいかなくても、食べ物の節制とか

腹八分目などは,明らかに健康や体調を整えるはたら

をします。”と述べている。

 

つまり、満たされた状況より、適度に不満足が残る程度

の状態が遺伝子をONにするからかもしれない。


遺伝子がONという意味は、眠っていた遺伝子の働き

(良い働きでも悪い働きでも)が活性化して働いていると

いうことだ。

 

私たちの細胞は、60兆ほどの数があり、その細胞の一つ

一つの核の中に、遺伝子が存在して、それが30億の遺伝子

情報を持っているという。

 

持っている情報のいずれにもなる‘可能性’を秘めているにも

かかわらず、各機関の細胞は、その器官の働きを全うする

遺伝子情報のみを使っているという。


たとえば、爪の細胞はそれの維持に関する働きがONに

なっている。

 

村上博士は研究の結果、“(遺伝子は)本来の役割以外の

可能性をみんな眠らせている”といい


‘目覚めている遺伝子(能力)はごく一部でそれ以外のたくさんの

可能性は潜在している“とも言う。


話を食事と遺伝子の話に、戻すと腹八分目の食事、

つまり、‘ほどよい、飢餓感’が体を健康に保つことが

遺伝子の働きからもわかってきた。


出来合いの食事(たとえば、コンビニなどのお弁当など)

の成分内容のレッテルをみると、ほとんど、防腐剤的

役目をする化学物質が含まれている。


これに対しては遺伝子がどのように対応しているかが

興味深い。

博士は次のように言う: 

 

“遺伝子を傷つけて、ON/OFF機能に小さくない

ダメージを与える化学的な環境要因。


その代表例が、環境汚染とともに大きな問題と

なっている環境ホルモンです。

環境ホルモンは対外でつくられる偽のホルモンで、

体内に入っても本来のホルモン作用を、かく乱する

ことから’内分泌・かく乱物質’と呼ばれています。


奇形の魚があらわれたり、オスがメス化した生物

が見つかっているのは、この環境ホルモンの影響に

よるものと考えられます。”

 

そうした奇形の一歩手前かもしれない魚を、私たちは

食卓にのせる。 

そして間接的に、私たちがその影響を受けているのかもしれない。

 

遺伝子をONにするプラス要素は物質的なことだけでは

ないと博士は言う。


環境要因以外に最も大きな影響を与えるもの、

それは心の持ちようだと博士は断言している。

たとえば、“楽観的にいきること。くよくよしないこと”だ。


沖縄の人の例をあげてこんな意見を博士は言う。

“沖縄などは、良い遺伝子をONにするのに適した生活環境

といえましょう。・・

そこに住む人はおしなべて明るく、風とおしが良く、

人懐っこい感じがします。・・・

 

沖縄の人たちが、‘今日は久しぶりにいっぱいやろう’

というときには、いったん自宅に帰ってゆっくり夜遅く

待ち合わせて、それから泡盛(あわもり)で酒宴が始まり、

朝まで飲み明かすことが多いと聞きました。


今、本土の人にはそんな余裕もエネルギーもないでしょう。

代わりにあるのはストレスぐらいです。”

 

沖縄の長寿率は日本一、その風土や生活環境が人間の

心性や性格といった心の環境をつくり、それが肉体上の

健康をつちかっていく、言い換えれば、

"心が体に影響を与えて、不老遺伝子のON/OFFに

つながっていくのです"と博士は、言葉を続ける:


“日本人は価値観の軸を少し、ブラジルや沖縄の

ほうへ移動すべきかもしれません。

あくせく、くよくよしないで、ゆっくりのんびり構える。


たとえ、GDP(国内総生産)がマイナス成長であろうが、

いいじゃないですか。


それよりもゆとりをもち、幸せそうにして、ストレスをためない、

ストレスをためても、プラス思考でそれを有効活用してしまう。


そういう心の持ち方、ものの考え方が遺伝子ONの

生き方を可能にするのです“

 大いに参考にしたい、意見だと思う。

 

**************** 

村上和雄1936年生まれ 筑波大学名誉教授。

78年筑波大学応用生物学化学系教授になり、

遺伝子の研究に取り組む。

83年高血圧の黒幕である酵素“レニン”の遺伝子解読に成功。

先端学際領域研究長を94年より務めた。96年日本学士院賞受賞。

 

引用)村上和雄著、サンマーク文庫 2009年“生命の暗号②”より。

 

 

 

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恐れと菜食

2019年06月01日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

     菜食にこだわる背景にあるのは?    2019年6月1日

************************************************

 

 

何回かに分けて書き始めた、”恐れと~”シリーズ編は自分の体験、

クライアントさんのケース、アートマセラピーを通して得た知識などが

ベースになっている。


今日は、“自然食・菜食主義”と”そこに見え隠れする恐れ”について。

 

これまでこのブログでは添加物のない自然食品や玄米食、

インドのブラーミン階級による徹底した菜食主義の背景

などをお伝えしてきた。 


そして、体内の自然治癒力がフル回転するのためには

むしろ菜食主義のほうが、好ましいということも

いろいろな角度からお伝えしてきた。 


その一番の理由は、血液を清浄に保つという点で菜食の

ほうがかなっているし、血液が清浄であることが

健康の第一の条件という背景があるからだ。

 

日本には、精進料理と呼ばれる菜食と豆タンパクを

とりいれた食事が古来よりあった。

 一方、スピリチュアルな指導者と自他ともに

認める方の中には,菜食にこだわらないと

いう方たちが私の身の回りに何人かいる。


一緒に飛行機に乗り出かけた際、魚でも肉でも、

大丈夫と言われ、食にはこだわりは

あまりないとIさんは言った。

出されたものを感謝していただく~ことに

しているから構わないという。

 

これも一理ある。

それは“感謝していただく”という点だ。


動物でも植物でもその命の変形である”食”に

感謝していただけば、体内で健康的に

消化されるのかもしれない。


それはこのブログで今年ご紹介した、インドのスワミ

(お坊さん)が毒の混入した食べ物でも、平気に完食

したという話に通じるのかもしれない。


毒を盛られらお坊さんの代わりに、その毒をいれた張本人が

お坊さんが食べ物を食べ終わるや否や、毒を食べたように

苦しんだというエピソードに通じるものがあるだろう。


なぜ毒を食べてもそのお坊さん(スワミ)は影響を

受けることなく平気で食事を平らげたのか?


簡単に言えば、このスワミには食べ物にかかわらず、

すべての点で、感謝の心はあるにせよ、“恐怖心”が

まったくなかったからだった。

 

恐怖心が全くないとはどういうことか?

“自分は神を知っていて、神が自分の中に生きている

ことも知っている。


だとしたら、毒素などでどうして神が影響を受けること

があろうか?”という言葉でわかるように、この僧の

徹底した心に内在する全能者への強い信頼だった。


ここまでの境地に到達することは、なかなか難しいが、

“感謝”して目の前に出された食事をいただいても、

スピリチュアル的に差しさわりないと,答えた私の知り合いの

Iさんも、この僧の感覚と共通したものがあるのかもしれない。

 

この食べ物を食べたら“罪を犯す(殺生禁止の)”とか、

液が汚れる”とか、”不健康になる“とかいうような”心配~恐れ“

が Iさんの心の中には存在していないのだろうから。


 健康的な食事法とか、痩せるためのダイアット法とか、

体の老齢化を抑える食生活とか、目的に応じて食材や

その量などは長年模索され、様々な意見があるようだが、

どれを見ても“これが絶対な方法”というのはないようだ。

 

私自身の例でいえば、なるべく添加物のない品質のよい

自然に近い食品(玄米や有機農法の野菜)をとるようにし、

好物の寿司をいただく以外は動物食は避け、

食事回数は一日多くても2度ほど腹八分目にしているのが

数十年続いている。

 

どうしてこうした食生活になったのだろう?

今回のテーマを考えるにあたり、こうした食生活の

背景に何か”恐怖心”があるのだとしたら何にたいしてだろう?

と考えてみた。


言い換えれば、自分自身が食生活において、

どのような恐怖心を持ち、影響を与えてきたのか考えてみた。

 

確かに恐怖心はありそうだ。

どこからきているかといえば、ホツマツタヱ(日本書紀

より古く編纂されたという日本の古書)には 


“肉食は体を縮め、短命にする” とあったり、

インドの聖者たちの“体は水と食べ物で造られているから、

した菜食主義が解脱の一歩である”といった講話が

心に残っているし、それに反するとスピリチュアルな

生活から外れていくという‘恐れ~心配’があることを

認めよう。

 

さらに、煩悩の強い私にとっては食事を少し規制する

ことや、動物食を避けることで、煩悩にどっぷり

はまりこんでしまリスクを少しは避けられるだろう

という直観があったからかもしれない。

 

が、たとえこうした恐怖心があったとしても、

(そしてこれが一番のポイントだと思うが)、

自分の体がどんな食物を今、欲しているのがが

わかるようになったということが私の食療法に

通じていると思う。


時には甘いもの(和菓子やケーキ)をいただき、

脂っこいもの(天ぷらやフライ)もいただくと

いった具合に、楽しみながら、食をとっている。

 

何か心に心配や恐れがあると、過食症になったり、

食事をとったあと吐き出すということも出てくる。


アルコールに依存することも”今恐れていること”

を一時的に忘れたいがための手段なのだろう。 

自分の体を大切にするのならば自分の心から

配を抜き取る作業をすること。


どうやって? 

楽天的になるそれが一番の方法だが、どうやって?


楽天的になるためには、今を”これが良し”と受け入れる

こと、自分を否定しないこと、

人の目を気にしすぎないこと。

間違っていたことをしてしまったがもしれないが、

それは、また、新しい道を探すための手段だったと

思えば、遠回りはしているが,自分の理想とする

目的に,近づいていると解釈できるだろう。


人を傷つけてしまったかもしれないが、それで

一番傷つけたのは自分自身であること

を知れば、もっと、自分にやさしくしようと

するだろう。

 

心配や恐れが自分の心の片隅にある時でも、

楽しくおいしく少しの量でも本当に体が

欲するものを探して食べてみる。


少々多く食べ過ぎたとしても、体に自然治癒力が

みなぎっている限り、不必要な食べかす

や余分なカロリーは代謝されて、熱量として

発散されて、体にたまることはないが、

心配や気分が悪い時は、何も食べなくても

体重が変わらない。

体の代謝があまり働かないからだ。

 

こう言える背景には私の15年間のインドでの体験がある。

インドに居を構えていた時、炎天下、外を散歩したり

買い物に徒歩でいくことは全然なかった。


外出は自家用車を持つ前は、リキシャかタクシーを使い、

ジムなどの施設は当時のデリーにはなかったから、

スポーツや筋肉運動をする機会は皆無だった。


それでも15年間のインド生活で食べたいもの

(といってもカレー食が日常だったが)

を好きなだけ食べても体重が増えることはなかった。

 

ただ当時一つだけ行ったことは自己セラピーを

して順気が回っている体に整えることだった。

そして、自己嫌悪をしないように努力することだけだった。

気ままで自由なインド生活だったが、今振り返れば、

ぜいたくな時間だったと思う。 

 

私のような凡人は感謝に徹底して恐れを全く

排除するほど、強くないから、できるだけ、

血液が清浄に保てる玄米食と野菜を中心と

した食事で今後も生活を続けたいと願う。 

 

 

 

 

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