自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

寝る前にすれば、必ず寝つきが良くなる心身リラックス方法

2023年08月27日 | 自然治癒力(生命力)セラピーの本質

自分で自分に”気を流す”、第一段階のお話
******************************************

前回までの続きを、是非 ご覧になってから
本日の話題をお読みくださると、流れが
わかり、ご理解が深まり、自己活用がしやすい
かと思います。


前回は、池見酉次郎博士の提唱した、心身をリラックス
とための暗示訓練をご紹介しました。
今日、ご紹介するのは、私どものセラピー協会で行って
いるもので、心療内科とは直接の関係はないことを、
お断りしておきます。

前回見たように、最初の第一段階の暗示、もしくは、
第二段階の暗示をかけると、訓練を積めば、容易に、身体
はその暗示通り、”重く”感じたり、”温かく”感じたりする
のは、私自身、体験済みです。 

ここまで集中力が強化したらメンタルのリラックス、暗示法
は、容易なものに感じることでしょう。

“わたしの体は今リラックスしてくる。” 
と、頭部、頸部、肩、胸、腹、臀部、腿、脹脛、足 
徐々に下に向かいながら、かけていくだけです。
その時の要点は以下です:

① 身体に、余計な力が入っていないかどうか
確かめながら、行う。
それには、一度、その箇所に力を意識で、入れてから、
ふっと、それを抜くことを、何回か行うと効果的です。

頭や首などは、なかなか、力をいれたり抜いたりする
意識は、難しいですが、四肢は、容易です。
筋肉に力をいれて、次に、ダランと、力を抜けば
リラックスしている状態です。

②起きている時より、体を横たえた姿勢のほうが、筋肉
への負荷が無いので、力をいれたり、抜いたりの感覚は
よりはっきりと、得られると思います。

③ 頭部、頸部、肩、胸、腹、臀部、腿、脹脛、足
の順序で①が終わったら(およそ、10分を目安)、次に
自分の、利き手の手のひらを 各部位に当てていきます。
(一つの部位に、およそ、3分前後)
こうすると、自動的に、気が流れていきます。
人体には、もともと、電気が流れています。
”私は、これから、この手のひらを使って、各部位に、
気を流す。”と、明確に宣言してからされると、より
効果的です。

④効果を期待せずに行ってください。
というのも、確実に流れ始めているのですから、
”考える”ことより、静かに、①で得た、リラックスの
状態(力が入っていない)が保たれているという感覚
をチェックしながら、集中して 手をあててください。

これだけです。
人によって、効果を感じる回数は、まちまちですが、
あくびがでてきたり、内臓から、’ぐうー’とグル音が
聞こえてきたり、ガスが腸内で動く感じがしたり、
オナラや、ゲップとして、体外に、それが排出される
場合もあります。

根気よく、ぜひ、お試しあれ・・・
寝る前に行うと、よく眠れること、90%の確立です。
一日の疲れを、その日のうちに取る・・ストレスの
解消につながります。

以上が、’気を流す’方法の、簡単な、はじめのステップ
となります。
次第に回を重ねていくうちに、自分で流している気の
流れが、身体のどこに、どう、反映されているか
わかるようになってきます。
そうなったら、しめたもの・・・
何故なら、自分で自分の身体をリラックスさせるだけ
ではなく、未病の発病予防や、具合が悪い部位の自然治癒
に、繫がってくるからです。

気の流れを意識することは、”自然治癒力”を自覚できる
とても、身近で簡単な方法なのですから・・・



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自分でできる心臓や呼吸、消化器を改善する暗示方法

2023年08月20日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

  

*******************************************

今日の記事は、8月9日からのシリーズの続き

で8月13日に、一旦、ひっこめたものです

***************

池身酉次郎博士は自著に こう書いている。(*1)

”九大医学部全国で, 最初の心身医学の研究所(現在の心療

内科)が発足して以来、私どもがただ一筋に求めてきたもの

は、人間の心と体の結びつきを追求することによって、

心身一如の健康と、幸福を実現するための医学的方法を

見つけ出すことだった。”と。


心と体の結びつきに着眼した博士は、すでに日本より先を

越しているこの分野での先進国の自律的療法などを紹介

している。

たとえば、ドイツのシュルツ博士の創案である、標準練習

は、基本的に暗示法の学習だ。


これは、6段階の暗示のステップからなる。

この目的で、頭部、心臓部、消化器系等などの自律的促進。

実際は、しかるべき、医師に指導を受けることが好ましいが
ここでは、参考までに、簡単にご紹介したい。

 

第一段階の暗示)

①   できるだけ、静かで、明るすぎない落ち着ける場所を

選び、仰向けに横になる(布団など敷いてよい)

②   目を閉じて“気分が落ち着く”心でゆっくりと、反復

する。

③   気分が落ちついたら、次に、右腕が重たい”と暗示を

かける。

次第に、右腕が次第に、重くなってくる様を、感じてくる。

④   次に同様に“左腕が重たい”と暗示をかける。

左手が、次第に重くなると想像して、実際の重さを感じる。

⑤   両腕が終わったら、同様にして右脚、左脚に暗示をかけて

重くなる様を感じる。

⑥   時間は5分ぐらいで、朝昼晩と行う。


池見博士によると、こうして、両足両腕が重くなるように

感じられるまでには、3週間ぐらいの時間がかかるとしている。

これが 第一段階の工程で、それができたら、次に進む。

 

第二段階の暗示)

①   第一段階の暗示の要領で ’重たさ’の代わりに次の言葉

で暗示をかける。 

それは、“これからどんどん温かくなる”という言葉だ。

順番は、第一工程と同様に、右腕、左腕、右脚、左脚 の

順序で行う。

諸部分が、重くなる代わりに、温かく感じられるように
なったら、次の工程に進む。

第三段階の暗示)

①   これまでの暗示を一通りかける。

つまり、手から脚にかけて、それぞれ、重いという暗示と
温かくなるという、二つの暗示。

続いてその効果を確認してから、“心臓がとても静かに
打っている” とか、心臓は規則正しく打っている” 
とかいう言葉で暗示をかけて、心臓調整の効果を計る。

(  但し、心臓に持病がある人や、血圧の高い人はこの

訓練は避けた方が良い場合もあるので、その場合は

要注意)

心臓調整の暗示をかけられるようになったら、第四段階へ
進む。

 

第四段階の暗示)

①   これまでの暗示(重さと温かさの暗示)を一通りかけた

後、呼吸器系に対して暗示をかける。

つまり、“楽に呼吸している”という言葉を添える。

②   その際、意識して呼吸の数や、仕方を変えようとしない。

(  但し、喘息、肺結核、呼吸器系の障害在る人は専門家と

相談して行う方が良い)

呼吸器系器官への暗示が 効いてきたら、次の段階にすすむ。

 第五段階の暗示)

①   腹部が気持ち良い”〝胃のあたりが温かい“と、付け

加える。(但し、糖尿病、消化器系病気を持つ人は訓練の

最後に回した方が良い場合がある)。

 

第六段階の暗示)

①   最後に頭部への暗示である。

〝頭が涼しい“と付け加える。

(但し、てんかん、頭痛もち、の人で不快な症状が 

起こった場合は、別の手段を専門家に相談する)。

この六段階の訓練をマスターするためには、早くて

2~3か月、通常6か月ぐらいかかると、池見博士は、

言う。


こうして、言霊(言葉の力)が暗示として、何度も繰り
返して、心に印象づけることで、時間とともに、実際の
身体の変化も伴ってくる。

これは、一種の、ヨガ的修行でも応用されている。
深い呼吸法瞑想【クリヤヨガ】の手ほどきの一環として、
まず、自分の身体の一部を 意思で操作できる術を
体得するためである。

次回は、これの応用編で、心のリラックスを得るための、
方法をご紹介したい。
そちらは、ご自分でも、活用していただけるのでは
ないかと思う。


******************************


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古神道にみる、先祖のお祀り

2023年08月16日 | 超古代日本の精神(ホツマツタヱ)



仏教が伝わる以前に日本に存在した、輪廻転生のお話
************************2023/8/16

今日は、お盆の最終日・・ご先祖さまを彼岸にお送り
する日となっている。

 日本では、ご先祖様の供養はとても大切な行事
となっているが、実は、仏教国の他国では、
これほどの、ご先祖供養は、あまり見聞きした
ことが、ない。

インドに16年、タイ国に3年、在住していたが、
ヒンズー教のインド(もともとの、仏教の発祥地)でも、
仏教国のタイ国でも、一年に、お盆のような、行事
はなかった。

 思うに、これは、日本文化の一端ではないか?
と考えるようになった。

ホツマツタヱ(日本の超古代史と言われている)
を開いてみるとご先祖さまの篤い法要の必要性が、
13綾に記されている。

今日は、それを、簡単にご紹介させていただきたい。
****************

13綾では、伊勢の道といわれる、夫婦のあるべき
姿や、鈴明(すずか)の道といわれる、天地道理の
道筋などが、春日神によって、諸神たちに、説かれて
いる。

その中で、豊受の神(伊勢神宮に、天照大神とともに、
祀られている神)のお話が、引き合いにだされている。

豊受の神は、実は、三世にわたり、生まれ変わってこられて
いる。
いわゆる、輪廻転生である。
その箇所を引用させていただく。

”一代目は、国常立尊(くにとこたちのみこと)として
天に生きて、元明けの御祖神が、もり(神役)を定める
のを見てきた。

転生、二代目は、第一代高皇産霊(たかみむすびのかみ)
東の常立尊(とこたちのみこと)として、百満歳いき、
神緒(玉の緒)をもって、魂をもった人が生まれる道筋
を知り、

今、第三代めに、玉杵尊として生まれ変わった。
すでに、八万歳である。【注1】

このように三世、生まれ変わることができたのは、
欲は無く、生死の道の理を知り、陰陽の力を合わせ、
人の心を理解できたからである。”

玉杵尊(たまきねのみこと)とは、豊受の神の別称
である。

ここでは、生まれ変わりの理、人として実直で素直に、
強欲を律すれば、佳き生まれ変わりが得られるという教え
に続く。

余談だが、春日神の説く強欲の定義が、興味深い。
春日神は、強欲とは、物への執着や、財宝財産をため込む
ことではなく、こう教える:

”物質を捨てることでも集めることでもなく、その業
(生かし方)を考えることです。

たとえば、宝を集めて倉庫に保管し]たままでは、塵芥
(ちりあくた)のように使い道がないものと同然です。

もし、素直で実直な人がいれば、自分の子供のように、
とりたてて、それらの宝を渡してあげれば、そこには、
物質欲は無いといえます。”

つまり、財宝をため込み、それを誇るのではなく、有意義
に使い、世のため人の為に使うことは、財を持っていて
も欲望を捨てている、と、いうわけである。

話を戻すと、では、先祖供養がどうして、大切かという
流れでは、次のように、春日神は、説く;

”人を惑わす、欲望強欲は、人から責められ打たれることは
なくても、自分の魂の緒にきちんと、記憶が残るため、
長い間、苦しむのも 襲われている夢のごとしです。

天(に座す神々への)祀りは行いなさい。
祖先の神棚に、神楽を奏すれば、こんぐらがった魂の緒が、
解けて、人として、転生できます。 

もし、祀らなければ、天の恵みは、その家には漏れて
しまうでしょう。“

と、祀り(供養)の意義をさらに、次のように、神々に
伝える。

”宝を、塵や芥のように、ため込んで、世の中に露呈して、
優越感を味わっているから、それを羨ましいと思う人が
宝の持ち主へ、災いして 魂の緒が、その羨望の念に、
乱され、死んだあと、行くべき、魂の本宮に、行けずに、
子孫を守ることもできなくなるのです。

そういう場合は、魂返し法を行えば、自然と魂の緒は
ほどけて、死後、本宮に帰る事ができます。”

人は、本宮(もとみや)に、死後、帰って、再び、また、
再生してくる。

が、もし、帰れないと、魂の緒が、もつれて
いわゆる、大往生ができないため、焦ってまた、この世に 
戻ろうとするとき、他の動物などに生まれ変わる可能性が
あると春日神は言う。

では、この魂返し法(たまがえしほう)について・・
具体的にどのようにすれば良いのか?

ホツマツタヱ13綾の後半に、こう記されている。

”あゆき・わすきの神に、その祭り(大嘗会)の時、
祭主に頼み、魂返し法で祈ってもらいなさい。

それをしてもらえないで苦しんでいた魂も、
もつれが解けて、宗神の宮に帰り、魂(たま)
と(しい)が【注2】
分れて、次の生まれ変わりには、貴人の家の子に
転生するでしょう。

とはいっても、大嘗会の祭りは、稀なこと、だから、
子孫のために、夫婦仲良く、本分を尽くすことが
伊勢の道なのです。”

伊勢の道は、13綾にたっぷりと説明されている。
この”魂返し法”は、実は秘法である。

簡単には、公開されない、そして、秀真研究家たちに
とっても、謎の多い、喧々諤々の、”秘法”である。

だからこそ、一般の人たちが、自宅でするには、難しい
ので、”伊勢の道”を尊び、それに準じた生活を行うことが
先祖供養の道につながる・・とここでは、説明されている



【注1】 完訳超古代史秀真伝 須田麻沙子編
215頁の注(23)参照

【注2】 完訳超古代史秀真伝 須田麻沙子編
217頁の注(32)参照



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自然治癒力セラピー協会の存続をかけて;復活介護体験

2023年08月14日 | 介護と自然治癒力



8月14日/2023
自然治癒力セラピーの揺らぎを体験し、
2023年の今現在、”2020年に発表した記事”を振り返り・・
**************************************

前置き)今日は、三年を隔てた日記を公開させていただいた。

前者は、夫が寝たきりになり、リハビリ病院に居た頃(2019年)
さらに、自宅介護に踏み切る前の2021年の、原因不明といわれ、
自然治癒力への私の信念が揺らいだときの 苦しい思いで書いた
記事。

後者は、コロナが下火になった2022年、まだ歩けない、立てないの
車いす生活の夫(要介護4)を、薬から脱却させるため、自宅介護に
ふみきり、改善が見られた事実の手記である。

この時点で、もし、夫の生命力の発揮が証明されず、私自身の
自然治癒力セラピーへの信念が、”絵に描いた餅”と証明されたら、
私は、この協会をたたむ決意で 当時、真摯に自宅で夫と向き合
っていた。

**********************************************
 2020年 2/11
*********************
私自身の本音・・・

今、夫は、健康を示す数値は、完璧なのに、寝たきり状態だ。

私自身と被施術者の体験結果からお伝えしてきた、
生命力の自然治癒力の素晴らしさを、信念として、このブログ
にも、その発揮方法を、想念エネルギーの振り向け方を
主軸に書いてきた。

 しかし・・・である。

 夫が寝込んでしまってからは、空々しい感覚がサッと、心の
片隅をかすめるようによぎる。

先端の西洋医学の技術をもってしても、精密検査結果は、原因が
わからず、病名もはっきり言えないという、夫の現在の状況・・

 不可思議な要介護4認定を受けたその背景に、自分の信じて
いる方向性と違う、その矛盾に、どうしても、考えこみ、
これまでの信念の揺るぎすら、感じて初めていた。
 
夫に施術をする。 
結果、確かに、データ的には何も異常がないのだから、施術は
効を奏していたのかもしれない。

 だが、何故、かれは、急に、寝たキリになったのか?

 去年6月に、勤めていた通信社に送る原稿を書き上げて、
”これが、最後の原稿となります。しばらく休みます”

というメールを先方に送ったときの寂しそうな横顔が印象的だ。


 
そして、それから、衰弱化が始まり、一日の大半は、寝付くよう
になっていった。

 以前から言葉少ない夫だったが、寝たきりになってからは天井
を見ているだけで、言葉はほとんど発しなくなった。

 食欲も激減した。

 こうした状況の中で、私は、 ’~想念の持ち方で理想を実現
する~’というテーマで、ブログを書き始めた。

 一方で、私の体験によって培ってきた信念が、一番身近な
夫に対して、当てはまっていないのではないか、と、冒頭に
書いたような、何か、空しさを感じるのだ。

2019年入院していたリハビリ病院の看護婦長に、言われた
言葉を思い出す。

“須田さんはやる気さえ起きれば、歩けるし、トイレもできる
ようになり、日常に戻る下地が十分できるはずです。 
心療内科の薬を飲んで、少し、やる気をだしてもらいません
か?”

薬でやる気?がでるなんて・・信じられない・・と内心、
驚いた。 
 
その結論を出すことは待っていただくことにした。 

 ここで、“やる気”というフレーズが私の心にささった。 
”やる気”って何? 

 彼は、彼のこれまでの人生の中で、本当に自発的(やる気で)
に、仕事や趣味や余暇を過ごすことがあったのだろうか? 

 自発的に、という意味は、条件付けなしに、”欲する”という
意味だ。

お給料のため、世間体のため、義務があるから、云々なしに、
という条件なしに・・・である。

そして、私は、今、気が付いた。

 もしかしたら、寝たきりになった彼は今、本当の自分に
なるために、リセットし始めたのではないかと。

 私自身が、自然治癒力が発揮できるはずだという、
”一方的な期待” を抱くことは、今の彼にとって、
プレッシャーをあたえるだけなのかもしれない~と。

 なら、私が、今できることは何? 
それは、むしろ、静かに見守る事だ。
 
彼の中で、自分自身の意思、想い、感情を含め
”本当の彼の感覚”が、自然とわき起こるのを、待つこと
かもしれない。

それが、リセットだから。

 リセットが、意欲につながるなら、本来の生命力が
そのとき、きっと、発揮されるに違いない・・

 だから、私が今、固執している、’想念の力で自分の理想と
する人生を作り上げ、健康を計りたい’~という自然治癒力
の遠隔的エネルギーを送る方法は、今の彼に当てはまる
ものではないと、知るべきだろうと思った。

”遠隔思念
”を送ることは続けても、その効果を、期待すべきで
はない・・むしろ、彼の今のメンタルを、あるがままに、
受け止めてあげたいという結論にいたった。

 コトバを替えて言えば、理想とか、希望とか、夢とか語る前
に、彼の心のありのまま、を認める作業。

そう、思いつつ、謙虚に、このシリーズの続きをまた、発表
させていただきたいと思う。


 
****************************
2023年8月13日~その後の変化:続き
**************************

2022年、初春、コロナが下火になり、やっと、彼は
沢山の薬をかかえて、病院介護生活から、自宅介護へと
移行できた。
精神抗うつ剤や、大きな浣腸薬は、すべて捨てた。

一か月たたないうちに、夫は、車いすから 立ち上がり
トイレまで歩いていき、奇跡的な回復を見せた。

一緒に、ファミレスに行き、ワインを飲んだ。
昼間はデーケア、確実に、普通の生活へと、回復を
見せている夫に、ケアマネさんも、あと、半年くらいで
階段の上り下りも可能になると、太鼓判を押してくれた。

当然、その時の私には、”看取り”という意識はなかった。
夫は、本当に、”進化”ともいえる、”回復”を見せてくれたからだ。

 が、彼は 7月、ケアー施設で、コロナの集団感染した。
通っていた施設は閉鎖となった。

当然、そばで、高熱を出している夫に、水分補給していた
私も、その3日後に 熱が出た。

介護が無理となり、やむを得ず、救急車で、彼だけ、入院
してもらうことにした。

コロナ中、飲まず、食べれずで、私は、5キロ近く痩せたが、
夫を迎えに行きたい思いで気が気でなかった。

夫は、病院で新薬の点滴をされていること、その薬の影響か、
彼はまたうつ状態になり、食事は一切とらず、身体も寝返り
を2週間することなく、硬直したように、横向きで寝ている
だけという情報が耳に入ってきた。

2週間後、普通に戻った私は、急いで夫を、迎えに行った。
信じられないほど、夫は、痩せ、言葉もなく、疲弊していた。

 コロナ前まで、立ったり歩いたりしていたのに、コロナ後は
四肢が硬直したように動かせなくなっていた。
 
病院で、車の後部座席に乗せるのに、10分以上、奮闘したが、
どうにか、身体はシートに運べたが、座っておられず、
崩れてしまった。

 自宅に、戻ったが、必要な介護用品は すでに、返品して
いた。
段差を移動させる、車いす用のスロープも、業者に返却して
いたので、屋内でスタック、さきに進めず、立ち往生して
しまった。

 結局、寝室にまでたどり着けず、その晩は、二人で、簡易
な折り畳みの長椅子を横に倒して、一晩を過ごした。

 翌日から、デーケアー再開。

 迎えの職員さんが、数人がかりで
車いすに乗せ、施設に
行ったが、あちらでも、彼の様子が、あまりに違うので、
”いつ何があっても、おかしくないと判断します”とスタッフ
から、電話が入った。

そして、その為に、訪問医師が紹介された。

事が起きた時、月に一度の往診で、警察沙汰に
ならないからという、配慮だった。

 訪問医師は、私の意見を理解して、薬なしの、自然治癒力
を生かす方針で(看取りの可能性をも示唆)介護していく
ことを了承してくださった。

正直、私自身、退院後の、夫の変わりように、打ちのめ
された。

2019年、夫が、精密検査を受けて、原因不明と判断され、
寝たきりになった、あの出発点に戻った・・・というより、
さらに、現状は、マイナス地点に降下していた。

 思い当たる事があり、改めて、病院からの報告書を、読んだ。

コロナ入院中の2週間、夫は、食事を一切拒否して、西洋医学
に反抗的態度を取り続けていたことが、記されていた。

担当医師の報告書には、 
”自死しかねないほど、落ち込んでいる”

 ”身体を2週間、ほぼ、微塵も動かさない一定位置で横に
猫背で横たわり、時々、乱暴な言葉も吐く”
などと、記されていた。

夫に与えられていた新薬の説明書きを 退院時に渡され
改めて読んだ。
新薬投与開始の許可を、電話で、そういえば、聞かされた。
私は40度の高熱(コロナ)でそれを聞き、口頭で、了承
した。

その説明書きを読んだとき、口頭では、説明がなかった、
重要な事項が 目に留まった。
 
それには、その薬は、まだ’効果がわからない状況下で、
’”副作用としては死もあり’と信じられない、注意書きが
添えられていた。

自分が、コロナになって、意識が朧として電話を受けて
いなければ、投与前に、この薬の副作用を十分に聞く余裕が
あり、この一行を知ったなら、当然、拒否していただろう
と考えた。

こうして夫が病院から自宅に戻り、わずか、2月後だった。

もしや・・という予感から、ある日、私は、海外にいた、
息子にvideo電話した。
そして、夫に、その携帯電話を手渡した。

夫は もう、言葉を話せなくなっていた。

が、意識は、はっきりしていた。
夫は、携帯電話の画面に現れた、息子を、必死で見ようと、
重い瞼をやっとの思いで、わずか、上げて、携帯電話
の画面を見つめた。

まつ毛がさざ波のように小刻みに、震えていた。
彼の意識は、はっきりと、息子の
”パパ、ありがとうね。ありがとう”
と繰り返す、息子の声を、聴いたと思った。

そして、それから半時間後。
予測外のことが起こった。

私と、水分補給の点滴往診でかけつけた、医師と
私の眼前で、あまりにも、静かに、ふっと息を止めた。
止めて、そのままになった。

”須田さん!!”という医師の異様な夫への、呼びかけで、
私は、夫の顔を見た。

私が、点滴をしようとする夫の痩せこけた腕から、
その顔に、視線を移したとき、夫は、すでに、帰らぬ人
となっていた。

今、振り返って思う。

私の自然治癒力と、そのセラピーの信念は、夫の介護に
生かされたの?という疑問。
答えは、”イエス”としたい。

コロナになる数日前までは、夫は、好きな本を読み
ながら、お茶を飲み、静かに語り、心安らかな状態に
復帰した。

何よりも、夫との、夫婦劇場の幕切れには、一生の
宝物となる言葉をご褒美のようにもらった。

それは、亡くなる二週間前の、9月の初めだった。

 夫は、笑顔を浮かべていたので、思わず、携帯電話を向け
”ヴィデオにとっていい?” と聞いて、ONにした。

そして、その中で、夫は、こんな言葉を残してくれた
(形見の言葉となった)

 ”なんで、笑っているの?
と私・・・夫は、 ”ヤスヨといれて、嬉しいから”と答えた。

そういえば、病院から退院してきた日に、深刻な顔していた
私に、 
”笑っている顔が一番。笑って、もっと。”
とも、言っていたっけ。

自ら、携帯ビデオが回っているのを知りながら、
数種類の、ヒョットコ顔をして、私を笑わせた。

新婚時代に、そんな風に、よく笑わせてくれたっけ・・
その彼が、こんな状態の最中(さなか)、復活するとは・・・

久ぶりに、声を出して私は笑った。

この時のことを、今でも、時々思い出す。
特に、口がへのじに曲がって考え込んでいるときに、
亡くなる2週間前の、衰弱しているときに、彼の私を
笑わそうと、してくれた変顔が、浮かんでくる。

そうだ、そうだ、笑わなければ・・・
彼は 残りの私の人生で、最大の、処世術を瀕死の状態
の中、ヒョットコ顔を何度も繰り返して、教えてくれた
のだから・・・



(上)コロナ前の彼。自宅介護一か月半後、車椅子から
立ち上がり、この廊下を3年ぶりに歩いた。
(冒頭写真)
コロナになる、1か月前、3年ぶりに会った友人と談笑



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"感情と意思"を、医学的に応用した達人

2023年08月09日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方


チョープラ医学博士が、病の裏には、”感情”と"意思”の力
があるから、それを逆手に、感情と意思をコントロール
することで、病が癒えると主張したお話を、数回にわたり
書いてきた。

日本でも、同様の考え方を、医療に応用した方がいる。

何度もこのブログに取り上げている、池見酉次郎医学博士は、
その心の原理を’人間回復の心理学’として、実践して、世に
広めた。

”心身一如(しんしんいちにょ)”の考え方を ’治療’の基本的
考え方として、池見博士によって、日本で初めて設立されたのが、
心療内科だった。

”心身一如”の精神を、池見博士は、自身の医療分野に応用した。
それは、(humanistic phycology)と呼ばれる。

どんな内容かを、簡単に、ご紹介させていただきたい。
 
1.  人は人間として全体的な総合性をもち、単なる部分(パーツ)
の集合体ではない。
 
2.  人間は自分の意思があり、自ら選択する自由がある。 
自由があることは責任を負うものでもある。
 
それは生涯的事実であり、幼児期に個性が形成されるという
決定論からははみ出す存在である。
 
3.  人間には気づきがある。
知的解釈のみならず、体験的、直観的に把握される。
気づきを考慮しない抽象的な心理学は、観念的になりやすく、
本来の人間の実態に反する。
 
4.  人間は身体と感情をもつ。 
否定的・肯定的感情に限らず、身体と感情の関係、を見直しする
必要性がある。
 
5.  人間は一人では充実した生活を送ることは困難だ。

本当の自分を把握するには、他者との関わり合いぬきには難しい。
“彼に実在を与えるものは他者である” というインドの詩聖
タゴールの言葉の意味は真実である。(以上)
 

一番目の”  人は人間として全体的な総合性をもち、単なる部分
(パーツ)の集合体ではない。”

という言葉が、池見博士の考え方が、対症療法(悪い症状が出て
いる部位に焦点を置いて治療する)とは異なっていることが
わかる。

つまり、身体の部位は、すべて、つながっているという事実を、
尊重した心身ともに、癒すという医療の本来の目的を持つ。

三番目の項目の中で、”人間の気づき”と、”直感的把握”という
言葉が出てくる。
 
直観的把握とは、”インスピレーション”のことであり、どこから
それは来るのだろう?
人間の精神的な内面、神格(超越意識と直結している人間の本質性)
から湧いてくるものが、本当のインスピレーションだど思う。

その直観的な把握には、理屈や理論は必要なく、それ以上の説得力
をもって、納得させる力がある。
それが、’気づき’として自覚されて、新たな、進歩発展の種になる。

この神格的自己を、池見博士は、ご自身の修行を通して、自覚されて
いた。
 
四番目に、”否定的・肯定的感情に限らず、身体と感情の
関係の見直し” という表現は、どういう意味だろう?

感情(否定的でも肯定的でも)と意識(前向きでも後退的でも)
が、身体に影響を与える事実を認め、その関連性を考慮しながら、
医療が行われるべきだということを、さしている。

本体の、心療内科は、こうした池見博士の提唱した、心理論~
humanistic phycologyから端を発していることは、心療内科の
あるべき姿を考える、大切な点だと思う。
単なる、精神科以上の、厚みのある、医療背景が、設立時にあった。
次回は、池見博士が日常生活に応用できる、身体のコントロール
の方法をご紹介させていただきたい。

 
 
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