自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

モーナ女史の浄化の祈りと空(くう)

2014年02月27日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”


ホ・オポノポノの 空観・・・  2014・2・27

**************

 self identity ho.opnopono と呼ばれる現代風にアレンジした

ホ・オポノポノのヒーリングメソッドが ヒューレン博士に継承

されることになった。

 

伝承的なホ・オポノポノ と 現代風のそれとどこが違うかと言えば、

以下の点だ。

 

・問題解決方法

伝承的) 個人間で処理される

モーナ式) 一個人の内面で処理される


2・参加者

伝承的) 一人の上級者が参加者全員とともに

問題解決のセッションを執り行う。

モーナ式)介在するのは 自分と自分の神格のみ


3・問題の関与者

伝承的)問題に関与するすべて全員が出席

モーナ式)自分のみ

 

4・悔い改めの対象

伝承的)参加者一人ひとり。上級者は調停役をする

モーナ式) 自己の神格に対して

 

5・赦し

伝承的)参加者一人ひとり、他の参加者一人ひとりから乞う。

モーナ式) 自己の神格から

 

さらに、博士はもう一つの特徴を語っている:

”モーナはセルフ・アイデンティティーのカギとなる、自我の三つの

パーツを含むよう導かれました。

実在のすべての分子に存在するこの三つのパーツはそれぞれ、

ウニヒビリ(=子供/無意識)

ウハネ(=母/意識)

アウアクア(=父/超意識)と呼ばれます。


この内なる家族が一つの状態にあるとき、その人のリズムは神格

ともにあります。

このバランスによって、生命は流れます。”

 

バランスのよって・・・、たとえば、自我意識ばかり強いと、

自己主張ばかりしているように思われる。

超越意識は スピリチュアルな意識に直結するからといって、優位

を示すわけではなく、この意識が現在意識と離れていると、

その人は、現実離れして、孤立的になるだろう。

ウニヒビリといわれる、潜在意識は過去の解決されていない問題を
今現在の現象で、また再現してくれる。(設定は異なっているが)

それを大切に、認識し、気が付かないと、いつまでも、その課題を
含んだ問題で悩まされるだろう。

そういう意味で、この三つのステージの意識に統合がとれている

ことが大切だという。

 

バランスが取れているとき生命の流れの本流が一番力強く、

その瞬間、”本来の私”という こだわりのない自由な神格からの

智慧の流れが 現在の自分に直観として流れ込むのだろうという

気がする。

 

バランスがとれないで頭でっかちで自意識過剰の現代人に対して、

博士は次のようにアドバイスする。

古代ハワイ人にとって、問題とはすべからく思考として始まります。”


考える事、それは決して悪いことではない。

博士のいう、思考が問題になる理由とは、

”われわれの思考が すべて痛ましい記憶、人間の場所の、あるいは 

物事の記憶に染(そ)められているということが問題です。”


過去の記憶に染められた思考では、前進的な解決の一歩を進む
どころか、より迷路に入り込んでしまうだけだから。

大学や専門教育で受けた知識は こういう時に、解決策を講じら

れない。

思考し、思い煩い、討論したり、弱点や欠点をとがめるより、

”浄化すればよい”と博士は主張する。

 

それも、事態の対象になっている、人やモノにたいしてではなく

付随するエネルギーを中和する”ことが大切だ。

ハワイの古くから伝わる問題解決法、癒しのセラピーの第一段階は、 

エネルギーの浄化 ということ。


博士の師、モーナ女史のDVDには、その浄化の際に必ず 

モーナ女史が祈る祈祷文というのがある:

”神聖なる造り主よ、父よ、母よ、子よ、

もしも、私、私の家族、親類、子孫らが あなたの家族、

親類、子孫たちをここに至る我らが創造物された始まりより、

思考、言葉、出来事、行動において、傷つけたなら、どうぞ、

許したまえ。


全ての否定的記憶、障害、エネルギー、動揺、これを洗い

清めたまえ。

しかして、それらを浄化し、解放し、切り取り去り、これら

望ましからぬエネルーの記憶を、純なる光によって、

昇華せしめ給え

・・・・・・・・

かくのごとく為されました。感謝いたします。”

 

この祈りはモーナ女史が唱えることで、必ず、効力を発揮し、

クライアントの多くの問題解決を図ってきたという。


その祈りの中核は、天地創造以来、その人の魂が現象界に

生まれたときから積み重ねてきた マイナス想念も行動も言葉

も、造り主の慈悲によって、この浄化の祈りとともに、消え

去り、光りに取って代わるということを念じる。

念じるというより、モーナ女史は、揺るぎない信条と信念で、

宣言しているだけだ。

 

ヒューレン博士はこのことを、次のように仏教空になぞらえる

”ホ・オポノポノの方法を使うと、神格が 人の潜在意識の

中にある知られざる痛ましい記憶を取り上げて中和、浄化

してくれます。

浄化されると驚くべきことが起こります。


エネルギーが中和されるばかりでなく、解放されて、新しい

記憶ができます。

その記憶されべき新しいエネジーが生まれる場所を仏教では

空’呼んでいます。

最終的には、神格の介入を受け入れ、光とともに、 を

埋めるのです。”

 

空 という仏教の概念をはっきり博士は説明する。

つまり、神格 (人の本質) で埋められている場所、それが 

空(くう)であるという。


博士がここで定義している”問題”は、結局は、意識の浄化が

行われれば消えてしまうもの、言い換えれば、実存していない幻

のようなものだろう。


まさに、”空”を説く般若心経の中の、”顛倒妄想”の概念と同じだ。

この空点を博士は 独自の言葉で ゼロ・リミッツと呼ぶ。

ゼロ状態になったら達する 神格が現れる境地でもある。

 

だからこそ、博士は次のように語る:

本質的に皆、純粋な生き物です。プログラムもなければ、

記憶もむろん、霊感もない。

ここがゼロ状態。 

ゼロ・リミッツがある。”


生きていく過程で、マイナスエネルギーが溜まり、人は、

このゼロ・リミッツから 次第に、離れていく。

どんどん自分の記憶が創りあげたプログラムが複雑化され、

複雑になればなるほど、人は思考し、そのこんがらがった所

を見つけようと努力すればするだけ、またこんがらがっていく。


そうなる前に、

過去のプログラムを見つけたときは’それを清めるだけのこと’

と博士は言う。

 

”人生の構築に日々100%責任を持つことに前向きな人であれば

だれにでも、問題や疾病から脱却できます。”

それが、博士の提唱する 方法によって・・・そのヒーリング

プロセスは単純だ。


”ごめんなさい。どうか、私の内に起きている問題として

生じたものについて、お許しください。

ありがとう。感謝してます”繰り返して念じるだけなのだ。


”その繰り返しの中に、LOVEに祈願して内なる誤りの浄化が

始まります。

そして、LOVEの力(神格)は、問題として生じた誤りを

変質してくれるでしょう”と博士は自らの体験を持って、強く

我々に訴える。

 

 

 

 参考) 

ハワイの秘宝 ジョー・ヴィターリ/イハㇾアカラ・ヒューレン共著  

PHP研究所発行 2011

 

 

 

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殺人犯が変わった!現代版ホ・オポノポノ

2014年02月25日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

ヒューレン博士も初め、ついていけなかった癒しの手法・・

2014・2・25

**************************************

 

すでに何度も、ブログで昨年12月から取り上げている

ヒューレン博士のメソッドは、世界中で有名になった。


意外にも、このメソッドをモーナ女史から習い始めた

当初、博士自身、”ついていけない”思ったことが

何度もあると自著に綴っている。

 

博士の徹底した”すべての自分がかかわる現象は、

自分の内側に原因あり、責任も自分にある”

という断固たる信念は、博士の師である

モーナ女史から学んだことでもあるが、これを

受け入れるまでの年月は決して短くなかった。

 

ジョーゼフ氏(*1)は 今では博士のスポークスマン

ように、ホ・オポノポノ の伝道者の一人だが、

当初は ヒューレン博士の話に、やはり懐疑的だった

ことを認めている。


初めて、ヒューレン博士のセミナーに出席した様子を次のように、

記している。

”目の前で起きたことや、入った情報で、
心が動くのなら、それは、自分に全責任がある
ということです。

という博士の言葉に納得がいかなかったという。


著書から抜粋すると:

”’でも、レイプはどうなるんです?’ 

質問が挙がった

あるいは 交通事故とか、そういうものは

自分に責任があるわけじゃないはずですが・・?’

という質問だった。博士は答える。

 

’問題を抱えているということは、必ずあなたが、

そこにいるということに気が付いたことは

ありませんか?’


さらに、

すべてが100%自己責任なのです。

例外はありません。

嫌な事から逃げ出そうとしても、抜け穴は無いのです。

あなたは何もかもについて責任がある。

すべて、です。’”

 

ここまで言い切る博士には実際、その時、それを

証明する実例体験をもっていた。


精神病院で勤務中、殺人犯やレイプ犯を更生させる

という任務において、この”全責任を負う”という

態度で、モーナ女史のメソッドに徹した。


そして、博士はその責任を完璧に果たしたのだ。

つまり、凶悪犯たちは、皆、善人に回帰していったのだ。


彼らに、物理的治療を施すわけではなく、個人的に

診察のセッションをもったわけでもなかった。

 

博士は何故、彼らが凶悪犯になったのかを、考えた。

かれら凶悪犯として世の中から疎まれている人達の行動は、

過去から積み上げた(過去生を含めて)、記憶や

プログラミングされた行程によって、行動している

だけなのだ。・・・と

 

博士が、自分で責任を引き受けた凶悪犯の更生の

術(すべ)は、それを取り除くだけだと、思った。


そこで、彼らのカルテを一人ひとりチェックしながら、

沈黙の中で、博士自身の神格(しんかく)

(スダ注:心の内面の神性の部分。あるいは、純粋な魂)

に対して、彼らのマイナスの記憶が取り除かれることを、

必死で、訴え続けた。


訴えたというのは、こういう行為であった。
つまり、

 愛しています” 

”ごめんなさい” 

”許してください” 

”ありがとう” 

4つの言葉を.聖なる呪文のように、繰り返す

ことだった。


この言葉の波動(言霊)が、必ず、患者に届くと

信じて。

届くということは、凶悪犯の心の奥に眠る神格に

達するということ。

 

だから、彼らをゼロ・リミッツ(神格がある時点)

戻ると信じて、博士は自分自身の心の内側”を 

これらの言葉で、ひたすらクリーニング(浄化)

し続けたのだった。

 

そして、赴任後三年たち、徐々に彼らは治癒され、

正常と診断される人も増えていき、病院を退院

していき、その結果、その病棟に残る凶悪犯

はもはや存在せずに、自然と、閉鎖されること

になった。

 

 


 

*1) Joe Vitale ジョー・ヴィターリ

マーケティングコンサルティング企業”Hyponotic Marketing. Inc."

代表。 霊的パワーとマーケティング的眼識を組み合わせた

ユニークな仕事で’インターネット界の仏陀’という異名をとる。

おもなクライアントに、レッド・クロス社、PBS。

著書多数:ベストセラーとなった、”Attractor Factor”など。

大ヒットした映画”The Secret”にも出演している。

 

 参考) ハワイの秘宝 ジョー・ヴィターリ/イハㇾアカラ・ヒューレン 共著  

PHP研究所発行 2011

 

 

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モーナ女史のいう、‘わたし',は ’ほんとうの”あなた’

2014年02月23日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”


  

・・・朝の公園にはまだ雪が残っています。鳩たちと共に。

いつもの仲良しの鳩たちが集まってきます・・

 

 モーナ女史の詩から    2014・2・23
*******************************************

 

般若心経の中でいう、時空を超えて存在する空(くう)の実存

わたし’という真の自分が存在していることをモーナ女史は詩で

表現している。

 

わたし’が大我なら ‘あなた’と表現されている存在は 他者という

意味というより、自分の中にある、自我意識やエゴ意識、または、

小我と理解できそうだ。


たとえば以下の詩の中に その区別が現されているように思う。

 

“‘わたしは いつどんな時も あなた に会える

わたしはあなた を感じ、ちゃんと触れている。

決して見失うことはない。

わたしは決して あなたを見捨てはしないということを

あなたは知っている。

 

いつも心のどこかで感じていて、わたしの息づくこの宇宙の中で、

どの瞬間もあなたは輝いていることを。

 

わたしからあなたは始まった。あなたのことは全部知っている。

今もいつも、これからも、ずっと一緒にいるだろう。

 

あなたからわたし’のもとを、去って行っても、あなたはわたし

の腕の中にいる。

今も、過去も、これからもずっと。“

 

最後のパラグラフはヒマラヤの大師たち、あるいは 覚者の教えと

重なる。

それは”わたし”なる存在が 神と定義したうえで、こう述べている

ことからわかる:

 

“人が私から去って行っても、私はいつもそばにいる。

人が私に数歩近づこうとすれば私はその何倍も彼に近づくのだ。


いつも去ろうとしているのは人のほうだ。

私から一度として 去ろうとしたことはない。


なぜなら、私はその人の細胞の隅々にまでいきわたる、

その人自身も周囲もすべてに満ちている存在に等しいからだ。“

 

こうしてみると、 大我意識は神聖意識でもある。

神聖意識は 神的意識でもある。

次のモーナ女史の詩には ‘時の砂漠’という題がつけられている。

 

“あなたは 何憶年もの間、時の砂漠を彷徨ってきた。

あとどのくらい、その長くつらい旅を続けるつもり?


あとどのくらい、ゴールのない流離いの旅を続けるの?

あとどのくらい、命の水を飲まずにいられるの?


あとどのくらい、愚かで 強引な考えとやり方で周りの

大切な人までもつらく痛々しい旅路に巻き込んでいくつもり?

 

なんと愚かしいこと。あなたはまだ、その愚かな旅を選んでいるの?


あなたは自分の人生に愛も平和もないのは、何故かと問う。

人生がどうして自分にだけに、こんなひどい仕打ちをするのかと問う。

否。

あなたに、この現実を無理やり与えようとしている存在など 

どこにもない。

わたしは、あなたを‘自由’そのものとして この世に送った。


自分から、自然とわき起こる傷みや恐れ怒りや敵意を、人のせい

にするのは もうやめよう。

明日が見えなくなるような責める言葉は もう聞き飽きた。

 

あなたが原因、あなたが創造する自由をもち、あなたがそれを

選択しただけ

‘わたし’は待つ。あなたが造りだした混沌を手放し、再び平和を

創りだすのをわたしは待とう。


憎しみと敵意のない砂漠に、あなたが愛の花を咲かせるときを。

“(引用終わり)

 

私たちは、自分の思うまま創造する‘自由’を与えられている。

だから、今 起きていることの原因は、それを創りだした自分で

あるとここで モーナ女史は言う。

さらに具体的にモーナ女史は述べる:

 

“しっかりと、今を受け入れて。他者に八つ当たりするのはやめよう。

罪のない子供たちに八つ当たりなんて絶対にしないでほしい。

子供たちにすることはわたしにするのと同じ。

 

 あなたが抱える罪や敵意、くだらない、がらくたがあふれる中で

他人を正当に裁くことは、不可能だ。


これはすべてあなたから始まったこと。

周りを見渡して、あなたが目にするすることすべて自分で造りだし、

引き起こし、受け入れてきたものなのだ。

 

あなたが、目にするものが、愛と平和なら、それはあなたが

造りだした。

あなたが眼にするものが、憎しみと敵意なら、それもあなたが

造りだした。

 

人生はまるで、創造と原因のゲームのよう。

あなたが造り主。

あなたの人生の原因はあなた。“(引用終わり)

 

人生舞台裏の制作監督、演出者が自分であることに、気がついて

いる人は多いだろう。

プロデュースして演出するのが自分なら、途中で芝居の道筋を

変えたり、演技によって、同じシナリオでも、プロットが様々な

解釈に、変わるだろう。、

 

悲劇的にも、喜劇的にも、演出できるだろう。

人生舞台は、悲劇より喜劇が望ましい、喜劇より、ハッピーエンド

の劇がベストだ。

 

そして、最後は自分(あなた)が‘わたし’と一体になって、演出家も

脚本家も手出しのできない、完成された芸術劇場で、自由自在に

好きなように、自由意思で演技しながら、すべて則(のり)を超えず

円満調和で、観客も自分も一緒に楽しめる人生劇場になれば、

最高かもしれない。

 

 

 

参考)

”叡智のしずく”  モーナ・ナラマク・シメオナ 

SITHホ・オポノポノ アジア事務局発行  2012年

 

 

 

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お詫びとお知らせ

2014年02月21日 | 協会ホームページ

手品のような不思議な手法     2014・2・21

********************************

 

昨日の読者の方達の中にはブログ上の

小さな出来事に、気づかれた方も

多いと思います。

 

今朝の解析の結果、

そのページ数をご覧になったかたは

少なくないことがわかったからです。

 

筆者も昨日の朝、意外なものを発見して

驚きました。

8月12日の ”盆踊りと生命回転”のブログ記事中

アンモナイトの写真の代わりに

なんと、黄色のビキニ姿の女性の写真が

張り付けてあったからです。

 

アンモナイトのらせん状の美が

女性の曲線美に変わっているのは

ユーモラスでもありましたが、

不法侵入された事実で あるかもしれず、

yahoo担当部に報告、今後、

厳重処置の必要性も出てくるかもしれません。

 

しかし、事実はどういうことなのか、わかりません。

なぜなら、この記事を拙協会担当者の

一人に確認したところ、

そちらのコンピューターの同日の問題写真は、

掲載されていないとのこと。

 

それを聞き、その写真を コピーして 友人に

E-Mailで送信した瞬間、

まさに瞬間ですが、

もとのアンモナイトの写真に

戻り、相手に送信されました。

これはどういうことなのでしょうか?

 

読者の みな様の中で

何かこうした知識をお持ちの方

いらっしゃるかと思います。

ご意見や助言など、いただける

ようでしたら、勝手ですが

無記名で結構なので

教えていただければと幸いと思います。

 

あるいは、拙協会のアドレス、

spontaneous.healing.therapy@hotmail.co.jp

に ご意見を直接

お寄せいただければありがたいです。

 

 

同記事を、ご覧になった方には 

一抹の懸念と内容との関連性

の不自然さを感じられたことと思います。

とりいそぎ、

お詫びとお知らせまでと

させていただきます。

 

引き続き 3分後、

2月21日9時21分に本日の

投稿予定のブログが掲載されますので

ご覧いただければ幸甚です。

 

須田

 

 

 

 

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モーナ女史の色即是空:不生不滅

2014年02月19日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)


空=永遠の命であり 色[物質)の存在の原点(モーナ女史)               2014・2・19

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般若心経は 仏教徒の方達に限らず、スピリチュアルな

人達が必ず、読解されようとする経文のようだ。


これを取り上げるのには、次のような理由がある。

 

ほんとうに病は存在するのか?という究極な質問に、

日常的に、読み親しまれている この経文が答えを

出してくれているからだ。


私自身、余命宣告を国立機構”相模原病院”で
30代のとき、受けたが以下の信条にしたがって、
放射線治療を受けず、検査にも行かず、健康的に
現在に至っている経緯がある。

その言葉は、

”色即是空”

物質は 空 であるという意味。


空とは何ぞや?

は、私のブログの中で、扱っているのでそれを
ご参考に見ていただければ幸いだ。

空とは、物の実質、神格とつながっている点を
空と、定義しているのは、ヒューレン博士。

一方、空中無色 (くうちゅうむしき)と
続けて心経には、書かれている。

空と空中が、真反対である。

つまり、とは質量が無い点、空中とは、距離ができ、
場ができ、質量が生まれた世界と私は解釈している。

だから、空中、つまり、想念や考え(識)に
よって、出現したこの現象世界には、”もの=色”
存在しているように見えても、

それは 迷妄的に一時的な存在に過ぎないので、
究極、存在しないということになる。

その意味で、病は物質(ヴィ―ルスや物質的要因など)
が原因で起こるとされているが、般若心経的に言えば、
実際、そのヴィールスという’色’は実態がない。

言い換えれば、病は実存しないということになる。

なぜなら、物質の本質は”空”(無色の生み出す生命的

力のみ)なのだから、


この観方を徹底させていくと、

実存的本質を説くこの経文によって、医学的常識

のみならず、感覚でとらえる、現象世界の現代人の

常識を全く異次元の世界を見直すことが可能に

なるだろう。

 

経文が ”絵に描いた餅” であれば、意味がない。


しかし、この 色即是空 の真理はさまざまな言葉で、

多局面から識者や賢者がとりあげ指し示す。


たとえば、今日の主題のモーナ夫人の言葉からも、

この真理の見解を明白に感じ取ることができるよう

に思う。


般若心経では、私たちや身の回りの現象に

現れている物質的存在の本質は‘空’であり、

空 は 不生不滅“であると説いている。


文字通り、生まれることなく、滅することが無い

ということなのだから、

 

永遠に生き通しの命、それが私たちの本質で

あるということ。

 

モーナ女史(数日前のブログ参照)は空の観念

に等しい、永遠の命について、次のように

わかりやすく語っている:

 

“自由になって、わくわく生きている

それがあなたに与えられた命の正体“

 

自由とは、究極の自由は自分自身を縛って

いるものから、フリーになること。


自由になるということは、外部よりもむしろ、

自分の内部精神面での自由をさす。


たとえば、執着の苦しみや喜怒哀楽の感情

揺れから生じる、不安定さなどから、解放されていたら、

それこそが、本当の自由だ。


そうした、締め付けの呪縛から解かれて、自由で

あるほんとうの自分自身になったとき、そのとき

人は何を思うのだろう?

女史は応える。

 

“あなたに与えられた恵みを完全に活かすこと。

想いだして・すべてがあなたの一部であること。


繋がれば、あなたはその全てになれる

与えることは無限

与えられるのも無限。 

なぜなら宇宙全体があなた“

 

“永遠の命をいきるとき、宇宙の目的と一つになる。

一つになると、全部になる。


野に咲く花たち、立ち込める朝もや、夕焼けの

きらめきと一つになる“

 

さらに、

“痛み、敵意、怒りは、あなたの中の命の水を

せき止める。

そんなものはすべて 幻(まぼろし) なのに、

どんな存在であっても、あなたと同じ、

それぞれが、特別な目的を与えられてこの世に

送り出されている“

 

大いなる運命、力によって、送り出されている、

私たちとその周りにいる生きとし生ける物たち。


その目的を知るものは 宇宙を動かしているおおいなる

叡智

 

“だから、もう 他の誰かに、何かに 振り回され

なくていいよ。

周りから褒められたいと思うのも、もうやめようよ。

 

周りの評価を待ち望むのは、死に向かって進むようなもの。

人を思い通りに動かそうとするのもやめよう。


たって、あなたはその人の本当の目的を知らないのだから。

他の人の思い通りにするってことはね、


その人の記憶の鎖をあなたの首に巻きつけるようなもの。“

 

 さて、モーナ女史は 本来の命に回帰するとき、人は

アイデンティティー” を持つという表現をしている。

 

“‘私はわたし’ と体験認識すること、

それが自分の”アイデンティティー

と定義したうえで、以下のように語る:

 

“はじめて、アイデンティティーをもらったその時から

何度も何度も人は生まれ変わってきた。


肉体の死を迎え惑星@の住人だったころ

ケンタウロス星座の周辺を守る宇宙船の隊長

あったころ、


他にも、

こんな風に何度も生まれては死に、また生まれたんだ。

 

繰り返してきた中で、あなたの意思の部分は 

ありとあらゆる選択をしてきた。


意思が下したそれぞれの選択の結果、思い出、

感情、問題といった形であなたの中で積み

重なってきたものがある。

 

それが今、この瞬間、あなたが体験している

ことなんだ。“

そして自分の内側の“わたし”に気がついたとき

本当の命の自覚に目覚めるのだ。


永遠の命だ。

 

“永遠は、あなたの中でいつだって息づいている

わたし’がほんの一瞬 現れているとき感じる。


わたし’が‘時’をつくる。

一瞬の中に‘時’が存在する。“

 

その一瞬は 一瞬にして永遠の‘時’ともいえよう。

時を超越してなお、時を意識させる、それが

わたし’のいる時点でのできごとだ。


そのことを女史は以下のように表現している。

 “‘わたし’の中に永遠がある。

時間を超えた永遠に‘わたし’が 一瞬姿を現す。“


その‘わたし’の居場所はどこだろう? 

それこそが、冒頭に書いた 般若心経と共通する概念、


空=永遠の命であり 色[物質)の存在の原点。


モーナ女史も、それを以下のように指摘している。

 “‘わたし’の家、

それは。空、無限 と呼ばれるところ。


あなたの存在が始まった場所。

だからあなたは無限の中にいるのだ。


それ以外のところには存在しない。

戻っておいで。

‘わたし’のところに。‘わたし’の中に。“

 


参考)

”叡智のしずく”  

モーナ・ナラマク・シメオナ著 

SITHホ・オポノポノ アジア事務局発行  2012年

 

 

 

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