自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

再びインド・デリーにいます!

2018年10月27日 | 廻りまわって”心の浄化”につながるかも・・・

 

Nada Braham の世界とspirituality  2018/10/27

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私のシタールのグルジー(師匠)の父上、

在りし日のVilayat Khan ダダグル(師匠の師匠)

 

皆様、この原稿はインドにたつ10月20日以前に書いたものです。

本日、27日、パソコンを持参しませんので、ブログを書くこと

ができない状況で、インド・ニューデリーの地におります。 


私的で恐縮ですが、7月に私の古巣のアパートを処分して、今、

身軽に、シタールだけをもって、20年来のインド知人宅で、

11月中旬まで過ごすことになっています。

 

目的は、私のインド古典音楽の師匠(グルジー)である、

Ustad Shujaat Khan師の文字通りお膝元で、

Nada Brahamの研鑽をするためです。 


Nada Brahamというのは、Nada=音は、Braham=ブラハム神

(印度で宇宙創造の神とされる)の象徴であるという、

”音の持つ神髄”をさしています。 

つまり、インド古典音楽の中枢である、精妙な音、魂に響く

本質の音を自分で表現できるように~という目的です。

 

インドにおける、芸術は、歌唱でも、踊りでも、楽器演奏でも、

すべて、‘神に捧げる’という目的で、有史以前から、存在して

いたと言われています。

紀元前5千年前に記されたといわれる、サーマ・ベーダなどには、

インド古典音楽の規律と,大自然の運行に影響を与えられた

音の組み合わせ、音を分解した音の要素(シュルティ)、

たとえば、ドとレの間に、いくつものまた、細かい音が存在

していること、自然の一部である人間の有機体に添った

演奏時間と音階、リズムなどが、実に詳細に決められている

ことは驚きに値します。

 

私事で恐縮ですが、私の師である、Shujaat Khan師の師匠が、

実の父上である、Vilayat Khan 師です。 

まだ、インドでデリー大学大学院の研究生だった20年前、

Vilayat Khan 師のおそばで、ステージ前、何回かご一緒に

座らせていただきました。

寡黙に,舞台に上がる前の半時間ほど、弦の調整をされていました

が、そのたたずまいといい、指ではじく音の響きといい、

特別のオーラを感じたものです。


Vilayat Khan 師には、私自身、最も、この、ナーダブラハム

を感じることのできる巨匠として,限りない尊敬を捧げています。 

御子息のグルジーもご同感のようでした。


練習中、ふと、こんな言葉をもらされたからです。

‘自分の父にはまだまだ到達できない、自分の実力は父の音楽のまだ、

半分にもいたらない“という意外な感想でした。 

その時には、ご自身は、30代の初めでしたが、アメリカで発表した

CDが、グラミー賞の候補に挙がったほど、すでに世界的に実力

を認められていましたから。

 

グルジーと会う3か月前に、母を野辺に見送り、介護の責務が

終わったことで、落ち着いた心持で、10年ぶりでマンツーマン

でシタールの研鑽をさせていただきました。 

レッスンの中心は、音(ミーンド~弦を引っ張って引くことで、

本来の弦の音とは異なる音を出して、まろやかな旋律の繫がりを

創る)の正確性と アドリブ的に展開するインド音楽の

’音の発展性‘についてでした。 


それは、父上の特性そのままを受け継がれた、グルジーの手で、

Vilayat Khan 師の演奏の特徴(イムダッド・ガラナという

7代続く、シタールの演奏技法を連綿としてつないでいる一派)

の特徴的手法をご指導をいただき、感慨を深くいたしました。 

 

さて数回にわたり、ドイルのスピリチュアリズム研究に関し

書かせていただきましたが、最後に、私の考えるスピリチュアリズム

と音楽の関係を少しお話させていただければ幸いです。

“自分の本質を知る”という、内に向かう心の旅こそ、

スピリチュアリズムの道だと思います。


方法はいろいろあると思います。

このことと、宗教的な儀式はあまり、関係ありません。

儀式より、心と行動の問題~だからです。 心無い儀式は、

能書きだけ言ってその通り、作らない料理や、味=心のない

料理のようなものでしょう。


私の尊敬するヨギ(スピリチュアル的修行者で覚者)の先生が

ヒマラヤ山脈に籠って、野生の動物や冬の食糧が無い厳しい

自然状況に面しながら、ご自身のスピリチュアル力の開発修行

された体験を自著(*1)に、次のように語る一節があり、

ご紹介します。

 

“Risis, great men with awakened souls,

 who had once lived physically in the Himalayas

 and about whom Gurudev had referred in my third

 pilgrimage to the Himalayas, were ……. 

I was given glimpses of the lives and works of the lives

 and works of Chaitanya Mahaprabhu, Sant Gyaeshwar 

and Tulsidas and was directed to spread the parivrajak

 dharmacakra(reawakening movement) of Bhagvan Budda 

throughout  the world in the light of present circumstances

 through the medium of music, sankirtan and discourses of ……..

 

要約ですが、先生は、ヒマラヤの数々の峰を登りながら、

参度目のヒマラヤ奥地での修行中、自分のマハグル、つまり、

偉大なる師匠様が現れて、あるヴィジョンを見せられたと

いうのです。 


れは多くの聖者たちが集まり、仏陀の教えを、よりよく人類

に伝えんとして、光明化運動に着手されているというものでした。 


さらに、興味深いことに、その運動の手段の1つが音楽であった

ということなのです。

ここでは、キルタン(sankirutan)とあるので、神をたたえる歌

と、解釈した方が自然のようです。

一方、インド古典音楽が、神に捧げるものであったことから考えると、

タールなどを通じてのインド古典音楽も、この目的に、あながち、

ずれているものではないかもしれません。

 

さて、スピリチュアリズムの定義ですが、この方の肉体眼に見えない

師匠が(すでに幽体化しているようですが)、次のように告げた

というのです。 

My energy will always be with you in invisible form. 

Myself and the Risis will always remain and work with you. 

You will never feel any dearth or lack of spiritual power .

 In fact, it will increase five times.”  

私は目には見えない姿で、いつも他のリシ達とともに、お前の

傍らにいる

。だから、お前のスピチュアルな力が衰えたなどと、感じること

は絶対あり得ない。

むしろ、以前よりその力は5倍も、増加していることだろう。“


この先生は、霊視や霊能力、あの世のことや、霊媒的立ち振る舞いは

一切、なく、ただただ、‘本当の自分が、神性なものと繋がる’ 大切さ、

そのことが人類にもたらす、幸せを常に、説いてこられました。


なぜなら、それが、スピリチュアルな本質そのものでありますから。 

私の考え方も、この先生と同じです。

インドでは多くのリシと呼ばれる精神修行者が古代より存在し、

スピリチュアルなフィールドに、大きな影響を、与えてきました。


覚者も多く存在しています。

そのことと、世間一般でいう所の、”霊的な話”とは、次元が違いま。 


なぜなら、私たちの本体が、霊体であることは言うに及ばず、

肉体から去った霊のかかわりあいを云々することが、いわゆる

日本で言われるところの、スピリチュアルのイメージのようだからです。


が、そうしたことは、霊界の上面の話で、それより、誰もの中に、

肉体、霊体にかかわらず、本質として実存しているところの、

内在する”神”との関わり合いに焦点をあてていける人ことこそが、

スピリチュアルリスト(という言葉が日本語にあるようですが、

本来の英語ではありません)の本質なのですから

 

次回は11月中旬当たりから、自然治癒力を久しぶりに取り上げ、

真正面から身体の病との関係性、食養法なども踏まえて、考えて

みたいと考えています。


ということで、帰国までしばらく、ブログ執筆はお休みさせていただきます。

 

 

注*1~"my Life"(The autobiography of Pandit Shriram Sharma Acharya)

Yugu Nirman Yojna Press, 2004 

 

 

コメント
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