自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

抗うつ剤を半分にして~記憶力の正常化

2020年10月21日 | 介護と自然治癒力

夫に半年間、遠隔思念を送り続けて・・・        

2020年10月21日



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すっかり、肌寒いほどの秋風が朝夕吹き、散歩中に赤とんぼを見かけた。 

今年2020年1月のリハビリ施設での要介護認定4を受けた。

そのリハビリに入る約半年前(2019年6月)来宮神社境内でくつろぐ

”普通だったときの”夫は全く正常だった。

この神社へ二人で詣でたのは去年の6月、それからというもの、どんどん

坂を下るように、夫の体調は悪くなった。

症状は起きているのがだるそうで、胸の重圧感、食欲減退、思考能力低下、

かろうじて依頼されていた原稿は書いていたが、元勤めていた通信社の

社報に、定期的に投稿していた国際関連記事を、7月上旬に書き終わると、

”しばらく体調が悪いので休ませていただく”というメールを担当者に

送ったと夫は寂しそうに語った。

 

そのうち寝込んでいる時間が長くなり、脳内神経科、内科、その他

思い当たる病の精密検査を本人の希望で受けてみたが,結果は”異状なし”

というデータが出てくるのみだった。

ところが、リハビリを始めた今年1月までに少なくても3回、実家で療養

していた間に、突然の発作が起きて、救急車で病院に搬送された。 

 

最後の搬送では、”何も原因がないというはずはない”、と医師は、ひと月

以上の検査入院を薦め、その結果は、やはり、明解な病名が出ないままで

”たぶん、うつ病だろう”という漠然とした、釈然としない形で診断が出た。

その時には、すでに、夫の体重は65キロから40キロ代に落ちていた。

昨年11月のことだった。

こうしたプロセスと直面しながら、私自身、自然治癒力セラピー協会の

このブログに発表してきた数年来の、自己体験に基づく記事に対し、微妙な

違和感を覚えたことは否めなかった。

その違和感について、次のように、2020年2月13日に本音を書いている。

(以下引用)

 

ブログを書こうとPCを立ち上げてみても、全く、今までのように、

すらすらと言葉が浮かばくなった。

それは、先端の西洋医学の技術をもってしても、何も原因がわからないという、

夫の今の不可思議な要介護4認定を受けたその背景に、どうしても、考えが

行ってしまうからだった。 

 

夫に施術(アートマセラピー)をしてきた。 結果、確かに、データ的には

何も異常がないのだから、施術はある意味、効を奏していたといえるかも

しれない。

だが、何故、かれは、寝たキリなのか? 何も意欲がわかないのか? 

何を感じているのだろう? 

聞いても答えは返ってこない。 

’須田さんはやる気さえ起きれば、歩けるし、トイレもできるようになり、

日常に戻る下地が十分できるはずですね。 

心療内科の薬を飲んで、少し、やる気をだしてもらいませんか?’

とリハビリ施設の婦長にいわれたのが一週間前だ。

薬でやる気? 

少し、その結論は待っていただくことにした。 ここで、’やる気’という

フレーズが私の心にささった。 

やる気って? 

彼は突如、昨年の秋、寝たきりになった。

今、気がついた。 

もしかしたら、彼は今、本当の自分になるために、リセットし始めた

ばかりではないかと。

今私ができること。 それは、むしろ、静かに見守る事。”(引用終わり)

 

こうした状況の中で、私は、”想念の持ち方で理想を実現する””~と

いうことをテーマに(ブログに)書きだした。

一方、私の体験によるこうした考え方が、たぶん、今の夫には当てはまらない

だろうということもよくわかるだけに、虚しかった。

 

コロナ忌のが外出自粛令が出る前までは、ほぼ毎日面会をしては、

食事の内容、食べ具合、排便、などをチェックしながら、栄養士さんや

看護師さんと適宜に意見交換をさせていただき、食事を流動食

から、固形食へ変えていただくようお願いし、固形食の租借できる

大きさなどを、相談させていただくなど夫に、少しでも寄り添うこと

ができるよう、心がけた。

 

また、薬も西洋医学の処方箋を当然医師は進めてきたが、漢方薬で

代替えできるものは医師と話し合って、自宅から持っていき、それを利用

してもらった。

 

しかし、今年の2月からは事情が変わってしまった。

そして私は、’想念の効用’の効果を特筆するまえに、自分自身が夫へ

遠隔想念を送ろう、遠隔セラピーをしてみようと、思い立った。

それは、遠隔療法とも呼ばれる、いわゆる遠くにいる相手に、癒しの想念

をあたかも目の前で、施術をしているように送り続け、”光(完全実相)”

で夫の身体が包み込まれている”というヴィジョンを、思い描き、

ひたすら思念するという、瞑想法だ。

それを半年間以上続けてきた。 

 

会うこともできず、どのくらい、夫に効いているのかわからなかったが、

3か月前、7月に初めて夫との対談が赦された。 

その時の光景が以下の写真だ。

 百聞は一見にしかず、 体力は回復してきていた。夫は普通に会話が

できるようになっていた。

そして、この機会に私は、遠隔セラピー中、常に気になっていた、夫が

とり続けている”うつ病”の薬について担当医師と相談することにした。

医師は当然、私の”昨年(2019年)秋から納得がいかないままに

使用している、精神科の薬の投与をやめていただきたい”という意向に

困惑した。

その医学的根拠を尋ねられた。 

そして、精神科の薬が効いているから夫が回復してきた~という見解を

医師は示した。

私は、あえて、薬を飲まなければもっと早く回復するはずだ~

とえん曲的に本音を伝えた。 

半時間ほど平行線に見える話し合いが続いたが、

”何かあれば、妻が責任を取る”~ということを医師に納得してもらうことで、

夫のその抗鬱剤は、とりあえず半分の量に減らすことになった。 

”こんな量では飲んでも飲まなくても、効用が期待できない量ですよ、

胃薬みたいなものだ。”

と医師は言われたが、私にとってはありがたかった。

塵も積もれば山となる、薬が怖いのは常習性になってしまうことだった。

彼の自然治癒力を押さえているタガが、これで一本外れるだろう、

と少なからず安堵した。

 

その効果? その効果かどうかわからないが、それからひと月後の

リモート面会では、彼の記憶力が健康だった時ように、明解になって

いることがわかった。

それは、パソコン越しに見せた30年前のインド・デリー支局で映した、

内外スタッフ6人ほどの集合写真が証明してくれた。 

写真に写っている同僚の名前を、いとも簡単にすらすらと全員、

夫はパソコンの画面越しに言ってのけたのだ。

 抗鬱剤を減らすと、良くないと言われてきたのだが、私は夫の生命力

を信じた。 

そして、想念、祈りの”波動の効果”を信じている。 

実際アートマセラピーで難病がほぼ完治した方、薬の弊害を身をもって

知り、自分の内なる生命力を信じることで薬が減り、より健康的に

なった人、など、これまで実体験してきた、セラピーの効用は、

距離には無関係のはずだった。

それはどちらも、波動を媒体として効用を得るものである以上、

距離は関係ないからだ。

テレビの電波同様、その波動は中継地からの距離にかかわらず、

全国ほぼ同時にキャッチできるのと似ている。

 

彼が元気になってきている要因はほかにも多々あると思う。

が よく言われる”祈り”とか”想念の効用”は決して小さくない

ものだということも、今回の夫の回復を見て、実感として感じている。

 

 

 

 

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人の心を変えることほど難しいことはない

2020年10月11日 | ハワイの浄化の言葉”ホ・オポノポノ”

自分が変わることはできる       2020 10月11日

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先日、親しい友人の一人から電話をもらった。 

娘とのちょっとしたやり取りを通して、

最近、違和感を感じることが多く

なったという。 

それは、腹を痛めて産んだ子なのに、

自分から遠のいて、これまでのようには

理解できない人間に変っていくような

気がする、ということだった

 

家族といえども、年月を重ねると

ともに、いつのまにか、どこかで、

何かがずれてきている感じがし

不可解な感じが否めないところ

まで事態が進んでいる~と

気づくときがある。

たとえば、甘えん坊で母親の影

にすぐ隠れてしまっていた気の

弱い幼い息子が、気がついたら、

自分に対して強い自己主張を

するようになったとき、

優しかった母親が、いつの間にか

認知症がすすんで、突然、他人を

見るような目つきで自分を

睨みつけられたとき、価値観が

共通だと思っていた姉妹が 

誤解がもとで、自分に反感を持っている

ような素振(そぶり)を見せるとき

::::などなど。

 

家族でさえこうしたことが起きる

のだから、他人の心を読んだり、

まして、変えようとすることなど、

ほぼ不可能に違いない。

 

幸いに私は、幼い息子の一言で

人生観が変わった体験をしている。

それは、こんな息子の一言だった。

彼がまだ、12歳前後だった

ときだろうか? 

ニューデリーの自宅近くのイタリアン

レストランで、食事をしていた時の事。

未熟な子供盛りと思っていた息子から、

何気に私に懇願するように、しかも、

さりげなく、言われた

その情景は今でも鮮明に想いだす

ことができる。 

その言葉とは、

”頼むから、人に対して、ジャッジは

しないで欲しい” という懇願だった。

 

当時の彼は日本で教育をうけるより、

海外で教育を受けていた時間の

ほうが長かったから

”judge"という英語が口にでたが、

その適切な日本語が浮かんで

こなかったのだろう。

そう言われて、私も一瞬とまどった。

ジャッジ?  評価を下すという

意味だろうか?

 

そう、良いとか悪いとか、これは

こうだ、ああだとか、対象者や

対象物に、点数をつけるかのように、

自分の物差しで分析して評価を

下すことはしないでほしいと

いうことだった。

ガツンと肩をたたかれて喝を

入れられたような気分だった。

 

幼いと思っていた彼が、自分なり

の信念を持ち始め、鋭い感受性

とともに、母親の人間性に対して

コメントしたのだ。

それからは、人との会話で、

何かを簡単に評価するような

言葉が出そうな時に、

この言葉が脳裏をよぎる。

自分の狭い価値観を基準に判定

下さないよう、注意すること

ができた。

 

冒頭の友人の電話の話を聞き

ながら、幼い息子とのそんな

体験とともに、南インドへ行き、

たびたび訪問したサイババ師

の話も想いだした。 

それは、”人の心を変えること

ほど難しいことはない。 

神でさえ、人の心を簡単に

変えることはできない。

人には自由意思が与えられて

いるのだから。” 

という言葉だった。

毎日世界中から何千人と集まって

くる多くの信奉者に、当時、

神の化身と崇められていた

サイババ師でさえ、信者の心で

すら変えることは難しい、という。

 

一方、夫婦間や親子間で、

”この人を、良くしようと、私が

変えなくては誰がそうできるの?”

いう責任感で意気込んでいるケースは

意外と、多いようだ。

たとえば、こんな事例を読んだ。(*1)

倒産寸前の夫の会社の経理を担当

している妻が、夫に熱意をもって、

いろいろな助言をする。

こうなったのも、あなたのこういう

所が災いしているのよ、

こうこうしたら、それが改善される

のではないかしら? 

社員に対してどれだけ思いやり

を以て接していたの? 

やる気を与えることができたのかしら? 

あなたさえ、こうこうすれば、きっと、

会社の雰囲気も違って、みんなも変わる

と思う 云々・・・

 

善かれと思って妻は 夫を説得する

のだけれども、そうすればそうする

ほど、夫はイライラして、妻の言葉

耳を貸すところか、口論に

発展したり、意欲をうしないがち

になるという悪循環が続いた。

 

或るとき、妻がふと、相手は

自分の心の影である、という 

唯心緒現の法則を想いだした。

そして、そういう夫の姿の裏には

私に原因があるのかもしれない

と謙虚にこの事態を見つめて、

反省して、そして、ただひたすら

相手の実相(本性)が完全で

円満で、素晴らしいのだと

いうことを、嘘でも良いから、

見つめてみようと逆の発想を試みた。

 

その時の言葉が、あのハワイの

古代の秘法といわれる、

ホ・オポノポノの言葉だった。

”~さん(夫の名前)有難うございます。

感謝しています。 

愛しています。 

私のいたらないところを許してください。

私が気がつかないまま、あなたを

傷つけてきていたら、ごめんなさい。 

ありがとうございます。 

ごめんなさい、許してくださいね、

愛しています、本当にありがとう。”

 

そして、相手を変えようとすること

を改め、自分の内を整えること

から始めた彼女の成果は1年

ほどで現れたと言う。 

そして5年後には会社は元の

軌道に順調に乗るどころか、

数倍の利益を上げるよう

になったという。

相手を変えたければ、自分が変われ

~ということだろう。

 

ところで、昨日、自然治癒力セラピ

ー協会の大切なメンバーの方から

電話をいただいた。

”抗生物質はもう、私には不要に

なったみたいです。

そう聞いていても、自分で体験して

納得しないと、なかなかわからない

ものですね!”

 

精密検査を受けて、今の不調の原因

の一つが抗生物質の副作用にある

可能性を大病院の医師に

指摘されたという。

ご本人も自然治癒力でカバーできる

と思いつつ、過去の体験や周囲の

意見で抗生物質をとっていたが、

これからは今までのようには

とらないだろう~と語った。 

ブログで”抗生物質の神話” 

や ”薬の副作用”を婉曲的に

これまで何度か私も書いて

きたが、真意が人の心に

届くのは なかなか難しい

ようだ。

サイババ師が”人の心ほど思う

ようにはならない”と言われて

いるのだから、私たちはまず、

自分を変えていくことから

始めるしかないのだろう。

自分が変われば、周囲も必ず、

変わる~という信念をもって、

根気強く、結果をすぐ求める

のではなく、自分の修行のつもりで

・・・・そのために 生まれて

きたのだから・・・・

死ぬまでに結果がでなくても、

必ず、来世には結果がでる

でしょうから・・・

 

気を長く・・・穏やかに・・・

あきらめずに・・・

自分を見つめていきたい・・

 

 

 

*1心が楽になるホ・オポノポノの教え   

イハレアカラ・ヒューレン、 丸山あかね著   

2012年 イースト・プレス発行

 

 

 

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ほっときゃ治る~の真意

2020年10月01日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

インフルエンザの季節を前に     2020 10月1日

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近藤誠博士は 慶応義塾大学医学部講師。

1948年生まれで患者本位の治療の実現を掲げられ、

医療の情報公開を積極的に進めてこられた。

抗がん剤の毒性、拡大手術の危険性など、癌治療における先駆的意見を述べられ、

その功績から2012年に菊池寛賞 を受賞された。

近藤医師の 現場臨床体験をもとに、”患者の心得”を書いておられる。

**************************

 

大学時代の友人Sちゃんのご主人はA大学病院勤務。 

ご自宅に伺ったとき、ゴミ箱に、薬の処方箋が捨てられていた。

”ああ、薬は、大学病院の大事な収入源だから・・勿論、中身ごと 主人はポイよ。 

医者だから薬は飲まないほうがいいってわかるんだって・・・

 

ドイツ人の友人の医師も ”風邪薬? ほんとうに、風邪の原因がわかって効く薬が

発明されたら、ノーベル賞ものだ。

風邪ひいたと思ったらレモンとお茶の方がよく効くよ”と言っていた。

                                  

風邪薬といえば、抗生物質が浮かぶが、近藤医師は、次のように著書で意見している。

”抗生物質一つとっても、風邪のウイルスには 無意味なのに、どんどん医者は患者に出す。

手術の時も、術前に 一回使えば十分というエヴィデンス(証拠)を無視して、

今でも、”術後の感染予防のため” と、言っては、何日も抗生物質を点滴し続けています。”

 

何故、抗生物質を大量に使わない方が良いのか?

抗生物質のみならず、抗菌剤も含めて同じ薬を使い続ければ当然、その人の体の 

”菌に対する、耐性化”が強くなるからだという。

耐性化が強くなれば、薬の量を さらに、増やし続けなければならない。

そして、薬の副作用を招くことになる。耐性菌 とよばれる細菌がある。

これは、抗生物質や抗菌剤に抵抗力をもつ菌で、抗生物質では効かない。

その現状を 近藤医師はこう述べている:

 

”感染症の患者から検出した 異色ぶどう球菌のうち、院内感染を引き起こす

耐性菌 MRSA(メチシリン耐性異色ブドウ球菌)が 占める率の国際比較

を見ると、イタリアは42%、アメリカ40%、スペイン36%、ドイツ9%オランダ0%、

そして、日本は70~80%と先進国でもワーストです。”

 

つまり、MRSAの数値が高いほど、薬が効きにくいため、院内感染も高くなるという。

手術後、高齢者、抵抗力のない人たちが抗生物質を長く投与された後に、こうした

菌に侵されて、容易に感染してしまうということが多いと近藤医師は 述べている。                   

 

私がインドで生活をしていたとき、ペストが流行ったときがあった。

1995年ごろだと思う。

日本のメジャー紙、A新聞・現地記者は、デリーの路上風景を一面に載せた。

それは、道端に寝転んでいる人達の写真。

デリーの街頭ではごく日常風景だったが、さも、ペストで行き倒れたかのように、

”ペスト、デリーで流行” というような見出しまでついていた。

このような情報は他のメディアでも流されたためか、在印日本人家族は、

本土(本社)命令が出て一斉に 日本に帰国するという状況になった。

 

”ベストは恐ろしい” という常識が先行していて、実態を冷静に受け止めて

”事実を調べる余裕”がなかったようだ。

実際のところ、その死亡率は マラリヤより低いとされ、しかも、死亡に至る

ケースは 栄養失調や体の抵抗力の無い人に限られていること。

 

一方、マラリヤに関してはほとんどの在印日本人たちは、無防備・無意識で 

発生確率は ペストより高いにもかかわらず、15年近い滞在期間にわたり、

日本人が感染したという話も聞かなかった。

 

ペストやマラリヤも、日本人の体力や栄養状態が良いためかかったとしても、

死亡率は低いと専門筋から聞いた。

同様のことを、近藤医師も、言っておられる。

現代の日本では、死亡率は下がり切っているため、抗生物質やワクチンを導入する

以前に、薬に頼らなければ治らない病気はほとんどないという。

 

”死亡率が下がった理由”は ”医療が進んでいる”ためと言われているが 

大きな要因があるという。

”戦前の日本人の死因の多くは胃腸炎 肺炎 結核などの感染症、戦後、栄養。

衛生状態が良くなって、寿命がどんどん伸びた”と 近藤医師は補足している。

 

わが国では、インフルエンザが流行する見込みと話が出れば、予防ワクチン接種

奨励される。

果たしてワクチン接種がどのくらい臨床的に効果的なのだろう?

オランダでは、ワクチンを打った群と、打たない群を比較して、インフルエンザの

ワクチン接種と予防効果の関連性をテストしている。

その結果、”予防効果は全くない”というデータがあるという。

 

近藤医師はこのことについて こう書いている:

”60歳以上になると、ワクチンを打った群で、急死する人が明らかに多く、

表向きは、心筋梗塞のせいだとされていますが、これはどう見ても、ほぼ、

ワクチンの副作用と考えられます”                 

 

さらに、 WHO(世界保健機構)や厚生労働省の、ホームページでは 

”インフルエンザ・ワクチンで感染を抑える働きは保証されていない” 

と表明されていると記されている。

近藤医師は ”ワクチンの保障がない” 理由をこう記す。

 

”変わり身の早い、インフルエンザ・ウイルスに効くワクチンを作ることには、

原理的に無理があります。

はしかウイルスのように遺伝子的に安定した、人間にだけ感染するウイルスに

対しては、効果的なワクチンが作れます。

でも、インフルエンザ・ウイルスは人に感染しながらどんどん形を変えていき、

鳥や豚など、多くの動物にも感染します。

そういう変幻自在のウイルスにぴったり合う(効く)ワクチンを作るのは、

ほとんど不可能です。”

 

薬本来の効果 に近藤医師は まだ記憶に新しいタミフル を例にとっている。

2009年、豚インフルエンザ騒動で話題になったのが、タミフル という薬だった。

日本国内の、タミフルに対する反応と対照的に、海外の学者たちは 

”タミフルの効果は疑わしい”、”抗ウイルス作用はほとんど認められない”

発表していた。

 

実際、服用後の追跡調査で、タミフルの副作用が出た。呼吸停止突然死、

意識モウロウ状態の転落死などの深刻な状況を引き起こした。                       

つまり、薬で一時、症状を鎮めても、それがイコール、治癒しているというわけでは 

決してない。

 

近藤医師は

”抗インフルエンザ薬と解熱剤を一緒にとると、39度以上の熱が一気に34度くらい

まで下がります。

体温が下がってもウイルスの消滅とは関係はなく、人体には致命的です。” 

と述べて、

 

”服用後の突然死も、この低体温化に引き起こされた可能性”さえあると述べている。

抗生物質やインフルエンザ薬、ワクチンなど、子どもや老人に 何も疑問なく

投与されている。

そして、入院すれば必ず 過剰に投与されがちな 抗生物質、日本人がとる、

抗生物質量は国際的にみても高い。

 

日本では、一回の入院日数が国際平均より、長い。たとえば、出産入院の入院日数

を国際比較してみると、欧米では出産後一泊か2泊、一方、日本では通常1週間と

なってている。

入院が長ければ、死亡率が高くなる~というのが近藤医師の持論だ。

 

”1976年、南米コロンビアで医師たちが52日間のストを行い、緊急医療以外の

診療活動がすべてストップ。

そのおかげで、”死亡率が35%減った”というニュースが流れた。

同年、米ロサンゼルスで医者のストライキがあり、17の病院で手術の件数が

普段より60%減った。

すると全体の死亡率は18%低下、ストが終わって診察再開とともに死亡率は 

スト前の水準に戻り高くなった。”

 

など、国際的な事例を他にもあげて、医者がストしたために、死亡率半減” 

になった国もあることを報告している。 

結論から言えば、予防医学や抗生物質他、他の薬で副作用を招いたり必ずしも必要で

ない手術をして、体の生理機能を崩すより、”ほっときゃ治る” ぐらいの気持ちを

もつことを近藤医師は薦めている。

 

”病気の80%は医者にかかる必要ない。

掛った方がいいのが10%強。掛ったために、悪い結果になったが10%弱。”

として、

”基本的に少々の痛みや 不自由は’ほっときゃ治る’と放置して、どうしても日常生活

にさしつかえる症状があったときは病院へ行く。

本当に手術や入院が必要なのか、あらゆる情報を調べてから 踏み切ること”と 

アドヴァイスしている。

                         

 

引用箇所) ”医者に殺されない47の心得” 近藤誠著 2013、 株)アスコム

 

あとがき)これは平成25年9月26日に発表した記事です。

今読んでも内容が現在に当てはまると思い、投稿しました。

 

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