自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ヴィシュヌデヴィ女神の恋

2018年05月31日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

 

恋のお相手は、ヴィシュヌ神の化身、ラーマ皇子・・・ 2018/5/31

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インド女神無料写真 に対する画像結果c0338191_01024519.jpg

ヴィシュヌデヴィを生んだ母達~向かって左から、カーリー神、、

サラスワティ神,ラクシミ神のそれぞれの、

シャクティ(女神の持つ女性的聖なる力)が統合されて、

ヴィシュヌデヴィという女神が生まれたと伝えられる。

 

いよいよ 三女神が自分たちの聖なる力を注ぎあって、

新しい女神を生み出すその時が来た。

驚くほど強烈な閃光とともに三神の結晶ともいえる蓄えられた

聖なる力のエネルギーが炸裂して、その中から、美しい女の子が

姿を現した。

 

生まれ出たその女の子は女神に聞いた:

“なぜ、私をお創りになったの?” 

女神たちは答えた:“それは、あなたが地上に踏みとどまって、

現世で、姿を持ち、正義をを世の人に知らしめるために、

生きながらえるためよ” 

 

そして、こう付け加えた。

“さあ、行きなさい。ラタンカル(Ratankar)の家へ。

そこは南インドにあ地で、私たちの熱烈な信者である、

彼の妻もいます。

地球に住みなさい。正義をかかげて、霊的に覚醒て、

気高い意識を常に持ち、生きていくのです。

 

あなたが、その目標とする、霊的な最高覚醒を得ることが

できれば、あなたは、ヴィシュヌ神と溶け合い、一体化するでしょう。

ヴィシュヌ神とあなたは いつか、一つになるのです。” 

ラクシミ神、カーリー神、サラスワティ神の三女神は、生まれた

我が子に、そう言って、祝福した。

 

こうして、しばらくすると、その特別なシャクティの魂を持った、

女の子は 女神たちの祝福で南インドに住むラタンカルと

その妻の間の娘となって誕生した。

 

夫婦はその女の子をヴィシュヌナヴィ(Vaishnavi.)と名付けた。

その女の子は幼い時より、各段の能をもち、知的に卓越して、

如何なる本も学者も彼女の知的好奇心を満たすことはできなかった。

ヴィシュヌナヴィは 知識や外的な知恵を得ることで満足できず、

最終的な真理、本当の智慧を得るためには、自らの内なる深淵な

叡智にたどり着くほかないと、自らの真の姿を見つめ、内観に没頭した。

 

瞑想を学び、深奥なる自己の内部を観想することこそ、外界からの

知恵や知識を得ることよりはるかに意味あることであると理解した

そのために、深い森の中にこもり、深層な瞑想(Tapasaya)に 

すべての時間を費やすようになった。 

 

瞑想のために森の深くに入っていった、そんな折だった。

彼女はある若者をみかけた。そして、恋に落ちた。

その若者こそ、ラーマ皇子(注インド古代物語’ラーマヤナ~र म यण

に出てくるヒーローで、ヴィシュヌ神の化身と言われるラーマであった。

ラーマ皇子はその時、義理の母の企みで、実の父である国王から

追放の刑を言い渡され、14年間の放浪生活を送っていたのだ。

 

ヴィシュヌナヴィは、一目、ラーマ皇子を見かけただけで、

この人こそ、ヴィシュヌ神の生まれ変わりであることを悟った。

そして、すぐさま、彼女は、ラーマ皇子に駆け寄り、一体になって

ほしいと懇願した。 母なる女神たちの予言通り、そうすれは、

彼女はヴィシュヌ神に溶け込むことができると確信したからだ。 

 

しかし、彼女の熱情に心を動かされつつも、ラーマ皇子は今はまだ、

その時ではないと告げた。

懇願するヴィシュヌナヴィに、”私が、追放の身分から解放されるときが

きたら、必ず、再び、貴女に会いに来るから、それまで、信じて待って

いて欲しい”と言い、こう付け加えた;

 

次に来た時、自分がラーマ皇子だと今回同様、認識することができれば、

貴女の願いを聞き遂げよう、そのとき、私たちは一体になれるだろう~と。

 

ラーマ皇子にはまだ、果たさなければならない、責任が残っていた。

ランカ(現在のスリランカ)に住む横暴な王を倒し、追放刑が解かれる

までは、ヴィシュヌナヴィの言葉に添えないと説得すると、放浪の旅路に

消えた。

 

時は経過した。

ラーマ皇子のその言葉は真実だった。

14年の放浪の旅が終わり、ランカ王との対戦に勝利したラーマ皇子は、

ヴィシュヌナヴィとの約束を覚えていて、今こそ、それを果たす時と、

再び、深い森にやって来た。彼女の前に姿を見せた。

 

しかし、皇子は変装をしていた。

前回とは異なり、老人の姿となって表れたのだ。

あれほど待ち続けていた人が 目の前に現れたのにもかかわらず、

ヴィシュヌナヴィは、この老人恋い慕うラーマ皇子であることを見破る

ことはできなかった。

 

変装を解いた皇子を見て、動揺する彼女を前に、皇子は次のように慰めた。

“貴女と一緒になる時期はまだ来ていないということだ” そして、言った。

 

”あなたと一体になれるときは、必ず訪れる。

その時は、カリユガ(真理がまかり通らない、霊的に暗黒の時代)の時だ。

その時、私(ラーマ皇子のこと)はカルキ(Kalki)の生まれ変わりとして

この世に再び生まれ変わるだろう。その時こそ、貴方と一つの身になれる。”

 

ラーマ皇子はそう言って、彼女に瞑想の方法を教えたという。

さらに、ヴィシュヌナヴィにこう告げた。

”トリクタ(Trikuta)の丘に悪鬼の拠点がある。そこへ行き彼らを倒して

ほしい、そうすることで、彼女の霊的レベルはさらに引き上げられ、

人類の苦しみと貧困を取り除き、祝福を与えることができるはずだ”

とラーマ皇子は言った。

 

さらに、続けて言った。

“その時は、ヴィシュヌ神が自ら、あなたと一体化して溶けあうことに

なるだろう。” 

 

ドルガ女神(ヴィシュヌナヴィ)

 

ラーマ皇子のこの言葉を聞くと、ヴィシュヌナヴィはインド北部

のトリクタの丘を目指した。

たどり着くまでに、多くの難関場所を通り、困難な時を経て、

ついに、トリクタの丘の麓にたどりついた。 

 

そして、そこで自ら、瞑想の場所を設け、ラーマ皇子の示唆に随い、

深い瞑想の行に入っていった。このトリクタの丘こそ、私が今回、

巡礼の旅と称して赴いたこのカシミールのこの土地でもある。

 

続く~

 注)冒頭の三神について、すでに何度かブログでも取り上げて

いるのでご承知かと思うが、カーリー神はシヴァ神の妻である。

カルカッタという地名があったが(現在はコルカタ)ここに、

インドで屈指のカーリー寺院がある。

 

一説には、カルカッタのカルはカーリーから来ているという

説がある。なぜなら、カルカッタを中心としたベンガル地方では

カーリー神の信奉者は多く、タントラ派の人たちも多くカーリー神

を信仰しているほどだ。

 

上の写真の真ん中にいるラクシミ神は、財宝の神である。

富の豊かさを保証する。日本に伝わった弁天様の原型でもある。

ただし、日本では、弁天様はビワという楽器を手にしている。

 

これは、女神の持つシャクティ(神力)の財力と、智慧と芸術の

女神、サラスヴァティ双方の神徳が、弁天様の姿に現れているから

だろう。 サラスヴァティ女神の手にはビーナという楽器があり、

日本では琵琶に変った。サラスワティ女神は、文化と芸術、智慧

を司る女神といわれる。

 弁天様 イラスト に対する画像結果 

 

 

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ヴィシュヌデヴィ女神の誕生の背景

2018年05月26日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

 

ヴィシュヌデヴィ女神とはどんな神様? 2018/5/26

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ヴィシュヌデヴィのお話  由来

 

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さて、今回の巡礼の旅の締めくくりにかかり、ヴィシュヌデヴィ 

という女神についてまだ一言も触れていないことに気が付いたので、

今日の主題とさせていただく。

それは、神話の世界にさかのぼる。

 

昔々、トヴァシタ(Tvashta)という名前の行者がいた。摩訶不思議な

霊力を持ち、天国の王といわれたインドラを恐れさせた。

というのも、インドラ(Indra)神は善良な行者たちを発作的な怒りに

任せて残忍な死に追い込んだばかりだったから

 

トヴァシタがその事件を知れば、自分に対してどのような反逆に

出るかと考えたのだ。

その心配どおり、トヴァシタはこの事件を知ると、怒りにふるえ、

大切な息子の命を生贄に捧げてまで、亡くなった聖者たちを弔う

儀式を行った。

儀式の、赤赤と燃える薪の炎の中で、息子は幼い命を全うしたが、

その命はその”儀式火”に溶け込み、トヴァシタの次の新しい息子

となって、新しい命を得て、生まれ変わった。

 

この息子は、ヴリットラスラ(Vritrasura)という名前をつけられた。

彼の生まれた目的、それは、父の執り行ったインドラ神の祭儀で

殉教し兄の命の代価を償うために、インドラ神に復習することだった。

成人したヴリットラスラは 何とかしてインドラ神に勝つ手段を

講じようとする。

 

ヴリットラスラはそのために、自分のアートマの持つ力を発掘しようと、

日夜 瞑想の行に励んだ。そして、その結果、大いなる力を体得すること

ができた。

その力というのは、‘湿ったり乾いたりする如何なるもの、木製、金属製

のあらゆる武器anything that was either wet or dry or any weapon made

of wood or metal)、に倒され、死に至らすことはできないというもの

だった。

 

この最高の自分自身から来る大いなる力は、闘いの場において、さらに

威力を発揮するものであることもわかった。

この自分に備わっている力を認識することで、ヴリットスラは宿敵の

インドラ神を打ち破る自信を得た。

 

彼は意気揚々とインドラ神が治めている天の国(the Inderlok)に赴いた。 

彼の意気の凄まじさと強さを感じ取って、インドラ神はおののき、

を求めてシャンカラ神(Shankar~シヴァ神の別名)のところまで

逃げ延びた。

 

天の国には多くの神々が住んでいる。神々を救うためにも、シャンカラ神は

インドラ神の助けに応じ、二神は、ブラハム神を誘い、皆で、ヴィシュヌ神

の助言を求めに、赴いた。

 

ヴィシュヌ神は話を聞くと、次のようにアドヴァイスした:

“まず、ヴリットラスラの持っている勝利に対する執念をそぐことだ

そのためには、彼に対して友人のようにふるまい、相手が気を許したところで、

近づいて、彼の護衛がいない間にヴリットラスラの命を奪うが良いだろう。”

 

”さらに、女神に祈るがよい。勝利を得るためには、女神のもつ智慧'

’Yogmaya'がヴリットスラに滞りなく流れるのを止めなければならない。” 

 

それを聞いたインドラ神は、心から女神達に祈り続けた。

さらに、ヴィシュヌ神のアドヴァイスどおり、ヴリットラスラに対し、和解を

申し出て近づき、護衛がいない彼が海岸べりで寝ているときを狙い、海水の

泡沫を集めて武器をつくった。

 

そして、女神たちに懇願して、その泡沫の中に入ってもらった。

それをさらに骨を砕いたもので周りを固めて武器とした。

 

それは、‘’湿ったり乾いたりする如何なるもの”ではなく、”木製でも金属で

できた武器でもない”という、ヴリットラスラを打ち倒すために有効な

武器となった

この武器でインドラ神はヴリットラスラを倒し死に至らしめることができた。 

天の国に住む神々は、このときに、援助してくれた女神たちに感謝を表明した。

 

伝説によると、こうして、女神たちが悪鬼(the Asuras)を滅ぼすために

奮闘した時期があったようだ。

女神たちは 主に三つの神に変容して、三体となり、それぞれ固有に持つ

特性と神力を重ね合わせて、強靭なスピリチャルな力を発揮して、悪鬼たちと

闘ったとされている。

その女神たちの名前は、カーリー神(Mata Maha Kali)、

ラクシミ神(Mata Maha Lakshmi)、サラスワティ神(Mata Maha Saraswati)

であった。

 

 

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カーリー女神            サラスワティ女神           ラクシミ女神

 

女神たちは自分たちの聖なる力を出し合い、蓄え、その威力がいよいよ

高まったときに、その威力の象徴なる自分たちの子供‘神’を生むことにした。

その子供神こそ、ヴィシュヌデヴィ女神ということになる。 

続きは次回で・・・

 

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カースト制度はもう古い!?My Fair Lady の再現

2018年05月21日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

あるホテルマンの忠言  2018.5.21

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(サントシが、女神の洞窟寺院に着く前に参道にある、

最後で一番大きな茶店で、コーヒーと簡単なカレーライスを

御馳走してくれました。とても美味しかった.....)

 

今回の旅では、フロント係のプショッタムさんには特別の感謝をしたい。

色々な意味でお世話になり、彼のことはたぶん生涯忘れないと思う。 

彼は、ヒンズー教徒であると語っていた。

本来、ヒンズー教徒には、古代からの社会的階級制度ときってもきれない、

社会的背景がある。

彼は、カシミールの現地の生まれだという。

この地はもともと、モスリム教徒が比較的多く、クリスチャンやシーク

教徒など多彩な文化が混在する土地でもあり、異なる価値観を互いに

認めながらの生活が営まれているのだろう。

 

私たちが泊ったホテルからほど遠くない場所に、シーク教徒のメッカ、

アムリッツァが位置している。

アムリッツァには、シーク教徒の総本山といえる、ゴールデンテンプル

がある。カシミール地方でのシーク教徒の社会文化的影響は否めないだろう。

たとえば、シーク教徒社会には ヒンズー教徒社会のような、カーストは

存在しない。ホテルマン、プショッタムさんの言葉に、カースト制度に

対する偏見が無いことに、考えさせられた。

 

”過去の価値観が変わりつつあるかもしれない”と思える、一件でもあった。

 話の発端はデリーでの、旅に出る前々日にさかのぼる。

インドで仕事をしている息子と共に、インターネットを通してこの旅で泊る

ホテルの選択をしていたときだった。 

同行する我が家のお手伝いさんのサントシの宿泊所についての話になった。

カーストでいえば、彼女の属する階級は、最も下に置かれるそれで、文盲で

読み書きができない彼女には、トイレやふろ場の掃除という そのカースト

特有の定職以外は難しいという、社会的負い目を持っていた。

 

時々、ハイカーストのインド人が、我が家に遊びに来る。 

彼らは、なぜか、彼女の入れたチャイは決して口にしなかったが、彼女の所属

しているカーストが原因だと知るには、さほど、時間はかからなかった。・・

老いも若きも、保守的な考え方を持つ人なら、コックさんクラス(厳密に言えば、

コックさんにふさわしいカースト)以上の人が作った食べ物以外は 口に

しないのが普通だった。

 

今回、この旅にサントシを誘った理由は彼女が、熱烈なヴィシュヌデヴィの

信仰者だったからだ。

毎年、4~5日間休みをとって、この寺院に参拝するのが、彼女の年中行事

だったので、現地に明るいのは心強かった。

 

今回のヴィシュヌデヴィの山の中の寺院というのは、国際的な観光地では

ないこと、カシミールという地域が、国内紛争やテロが多発する地域であり、

決して安全ではないことから、セキュリティーを重視して、一応 4つ星

ホテルを予約した。

 

一方、同室に サントシと泊ることは、息子を含め、インドに長く住んで

いる日本人たちは、反対意見を唱えた。 

その理由は、まず、彼女自身が、毎年、参拝するたびに大衆的なゲストハウス

以上の所で泊ったことがないこと、よって、不慣れなホテルでは、居心地が

悪いだろうという。 

 

次に、私の予約したホテルは、ハイカースト(中流階級以上)のインド人

たちが対象のホテルだから、デリーのホテルでよくあるように、彼女の

属するカーストが低いことが、身なりや言葉遣いで分かったときは、当然、

ホテルの門前で、はじき出される可能性があるということだった。

 

運よく中に入れても、チェックインの時に断れるのでは?

(インド人は、その名前を見れば、カーストがわかる場合がある。特に、

彼女の場合は苗字がなかった。)

 

私も迷った。そこで、20年来のお付き合いがある、インド人の政府閣僚と

結婚している日本人妻Mさんに電話して、事の事情を話した。 

すると、彼女は、あきれたような声で、

”まあ、あなた、そんなに長くインドに住んでいて、召使と一緒に、

旅行したうえで、同じ部屋に泊まらせるなんてどうして考え付いたの?” 

と開口一番、驚いた口調で聞かれた。

 

”そういう、けじめの無さが、いろいろ、使用人とのトラブルのもとに

なっているくらい、知っているでしょう? 

それは問題をつくるだけだから、考えた方がよいわ。 

どうしてもというのなら、現地についたら、彼女用のホテルを探すことを

勧めるわ。”

と電話口で Mさんの意見を語った。

 

こうして、ホテル滞在の問題が解決しないまま、サントシが、いつもなら、

電車で、18時間の一晩掛かりで行く旅路を今回は、飛行機で1時間半、

しかも、通常、バスで揺られて行くところを、飛行場からは、タクシーで

高速道路を飛ばしたので、あっという間にホテルに着き、彼女の宿泊所を

探すにはまだ、明るく、彼女をタクシーの中で待たせて、予約しておいた

4つ星ホテルのチェックインに、私は向かった。

 

ホテルマンが敏速に私のチェックインの事務的手続きを終えるのを待って、

私は、サントシの宿泊する適当な近隣のホテルの場所を聞いた。

彼女が、いわゆる、低いカーストであること、友人や家族の意見は、一緒に

泊まることに反対だが、私自身も、こうした体験がないのでどうしたら

よいのか戸惑っていることを、フロントのホテルマンに率直に話した。 

 

すると、彼(冒頭のフロント係)は、隣の席でチェックイン手続きを

している、裕福そうなインド人ゲストの前で、彼らの視線を受けながら、

次のように彼は答えた;

 

”何が問題なのですか? 

部屋には二つベッドがありますし 彼女のカーストが低いからといっても、

警察がここまで来て尋問することはありません。大丈夫ですよ。” 

 

その簡単で、シンプルで、予想外な答えに、私は、次の質問が浮かばず、

きょとんとしていると、外の車で待っていたはずのサントシが 突然、

目の前に表れた。

 

”どうしたの?” と聞くと、彼女は、

”マダム、私はあなたと一緒にいたいのです。離れたくないです”という。

そのホテルマンを前にして、私も自然に言葉が出てきた。

”そうね、部屋の確認をしたら、ベッドが二つあるというから、あなたが

一緒でも問題なさそうね”とサントシに答えて、何事もなかったように、

彼女のチェックインの手続きを同時に終えたのだった。

 

ある意味、こうした革新的に聞こえる言葉を、レセプションというホテル

の顔ともいえる場所に座っているホテルマンが口にすることは、勇気の

あることだと思った。かつ、とても新鮮な出来事であった。 

 

彼はまだ、20代であろうか?

”あなたはとても良い人なのですね” としみじみ彼の顔を見て讃嘆すると、

彼は心から可笑しそうに笑って、”マダム、そんなことを言ってくれた人は、

あなたが初めてです。”と答えた。

この人がプショッタムさんだった。

 

ところで、5日後、旅を終えてデリーに戻ると、同ホテルから、宿泊体験

感想にご協力を~とメールが届いた。

返信したところ、数日後、Trip Advisor という世界的なホテル案内のサイトから 

“Congratulations! Your review has been published …”と返事が来て、私の

コメントがこのサイトに連携していて、一般公開されたことを知った。

因みに、その時の私が書いたコメント(感想文✙感謝)は以下。

 

Every day and night, I did appreciate the Darshan of Durga Mata di

throughthe exclusivebig size of the front window of the comfortable room,

in the sceneryof the holy mountain.

I visited India for the pilgrimage to the holy shrine from Japan, my spiritual

wishwas fulfilledwith good support of the hotel staffus; special thanks to

a receptionist Pushotom-ji......

(以下略)

簡単な訳をつけると、

”日がな一日、ドゥルガ女神と向き合えました(部屋の窓の景色が下の写真。

この明かりついた道の頂上に女神の神殿がある)

それは心地よい部屋の大きなフロントガラスの窓を通して。

 

日本からこの聖なる山を目指して巡礼に来た私にとって、今回、

このスピリチュアルな目的は十分に果たせました。

それは、ホテルのスタッフたちの親切な援助があってのことです。

特に、フロント係のプショッタムさんには特別の感謝をささげたいと

思います

 

 

(その窓からの夜景、前のブログ記事に書いたように、

蛇行した光の線は頂上の神殿に向かって続く道の蛍光灯)

 

この記事が公表された日、デリーの自宅に2度もマネージャークラスの人

から電話が入った。

記事投稿の感謝と、至らない点はなかったかということについてだった。

電話をもらうと同時に、プショッタムさんの眼にもこの記事は届いただろう

と感じ、間接的ではあったが、十分彼に礼をつくせたと思った。

 

カースト制度に対するデリーの私の周りの人達と、このカシミールに住む、

ホテルマンの間の温度差を感じた体験だったが、実際、サントシと同室で

不都合があったのだろうか?答えは否だ。

 

むしろ、24時間一緒に、彼女といることで、信仰心という神に対して

敬虔な気持ちの前では、すべての巡礼者は平等な立ち位置にいることを、

痛感させられた。

 

彼女は一流ホテルの中でヒギンズ博士に教育を受けた、マイフェアレディ

のごとく、私のアドヴァイスをもとに、言葉遣いを注意して、礼儀正しく

振舞った。 

5日後のチェックアウトの時は、彼女よりはるかに高給取でカースト的にも

社会的にもインドでは上位の立場であるであろうホテルマンたちから、

彼女は’マダム”という敬称をつけて呼ばれるようにまで、振舞えるように

なった。

マダム サントシと、ホテルマンに呼ばれるまでのレディーに変身したの

だった。

 Lemon Tree Hotel, Katra 私たちの泊ったホテル(Hotel Lemon Tree)

 

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女神の声に導かれて?二度目の登山

2018年05月16日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

今回の登り半分は、馬に乗りました 2018.5.16

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こうして、私たちは翌日朝4時半のウェークアップコ‐ルを

レセプションに頼んで、就寝しました。

翌朝、4時きっかりに私は目を覚ましました。身支度を整えて、

今日は早くホテルを出発しようと決めていたのです。

 

レセプションのプショッタムさんの好意のおかげで、前日に

アイデンティティー保証書(神殿への許可証明書)をホテルから

得ていたので、そのまま、直接 聖なる山へと向かいました。

普段は、このようなサーヴィスをしていないそうなのですが、

プショッタムさんが言うには宿泊中に、二度も参拝するお客様は

初めてなので心が動かされたというのです。

 

一昨日は長い手間暇をかけて、登山前に当局によって、得た許可証

でしたが、この日は、彼の好意でパソコンからダウンロードして

もらい、かつ、早朝の聖なる山登り口直行のホテルの車さえ、

用意してくれたのには感謝しました。

 

先回のブログの続きとなる、今日の記事ですが、女神の要望どおり、

サリーを身に着けてのいでたちとなりました

カメラは持って行けなかったので、出発前にホテルの部屋で)。

 

 

今回は、女神自らの導きと招待巡礼登山~これは私の勝手な、

解釈です。しかし、それにふさわしい、巡礼登山だったことは

間違いありません。

 

登山口に着きました。 

朝早かったので、多くの、ウマと御者たちが、登山口で待ち構えて

いました。サリーを着てでは、もう、ウマに乗ることもできません。

実は先回の記事には省いてしまったのですが、一昨日は、頂上参拝

してからの帰宅路が、徒歩で山を下りると深夜12時になりそうだった

ので、馬を調達して降りてきたのでした。

 

(一昨日、巡礼を終えて、帰り道の楽だったこと。)

 

おかげで 前回の参拝は、帰宅時間は短縮、夜9時半にホテルに

着くことができました。そして、今日、サリーを着て、登山となると、

最初から、ウマに乗ることは想像していなかったので、徒歩での

道のりを体験したあとでしたので、帰りの道を考えて、4時起きの

朝出発となったのです。

サリーで馬にまたがるなど、まず、不可能です。

ところが、実際、山の麓についてみると、多くの御者たちが駆け

寄ってきて、ウマに乗らないかと私たちにしつこく、交渉をします。 

確かに、昨日、一度、この聖なる山に登ってみて、徒歩3時間の

前半部分は俗なる世間とあまり雰囲気の変わらないこと、参拝道の

両側を埋め尽くした店の賑わいと怒涛と、ウマの行きかう雑踏と

その馬の糞があちこちに落ちている有様で、できれば 頂上までの

半分までの距離は早く通過したいところでもありました。

 

そこで、決めました。

果敢にも、サリーで馬にまたがり、半分の道のりを登り、残りの3時間

をゆっくりエネルギーを蓄えて登山することにしたのです。

 

さて、半ばで降りて、徒歩で坂道を登り始めました。

”不思議な”こと。。。その一(いち)。

それは、1昨日には、長蛇の列だったいくつかの検問所にはほとんど

人は並んでいなかったのです。

しかも、女性警察官の身体検査を中で受けるのが常でしたが、検問所

の脇をスルーても、誰も咎めません。

そばに立っている警官もそんな私たちを横目でみて、見過ごしています。

 

いくつかの他の検問所も同様でした。

結局、ホテルで用意してくれた、身分証明書や神殿内許可証を一度も

要所で、見せることなく、神殿の中に入れました。

これには、同行したサントシも驚いていました。 

チェック無しということはあり得ないというわけです。

 

一昨日の体験から、どんなに小さな荷物でも、足手まといになること

がわかりました。そこで、今回は、所持品を極力なくしてホテルに

置いていきました。こうして、ロッカーの列も並ばず、靴だけは、

少々危険はありましたが、道端に脱ぎ捨てていきました。

 

こうして、やすやすと、偶像のイメージのある部屋を、足早に通り抜け、

前回は、ほとんど認識の薄かった岩屋の中の祭壇に直行することが

できました。

 

不思議な事、その2・・・の出来事です。

サントシが言うのには、この岩屋で、例外中の例外が起こったと

いうのです。私がサリーを着ていても、外国人であることは、周りの

インド人にはわかったようでした。 

パンディット(神官)も私の存在に気を留めたようでした。

 

相変わらず、祭壇のある、岩屋の中にはいると、オートメーションの

ように、次から次に参拝者の頭は 流れるように、横に横にと動いて、

出口に向かいます。そうした(参拝者)の動きは、私が祭壇の前に立つと 

急に止まりました。

 

神官が声を私にかけたことが発端でした。 

神官は丁寧に、一つ一つの聖なる石の象徴している女神の名前を右から

順番に説明してくれした。そして、その上にある、ドゥルガ女神の象徴

と由来を簡単に話してくれました。

すでに列の流れが止まって、数分が経過していました。

 

神官のすぐ隣で警備している警官が、私の肩をたたきながら、’どこから?”

と聞き、日本人だと答えると、”え、日本、それは遠いところから・・

ヒンズー語がわかる?何年インドにいたのですか?”などと嬉しそうに

葉をかけてきました。 

 

後ろに並んで待っているインド人の参拝者たちの中には、’一体この特別な

待遇を受けている人はどんな人か?”とつぶやきながら、前にいる私の顔を

見にきたと、サントシは言います・

 

”少なくても3分は、マダムは女神の祭壇の前にいましたよ。

何年も毎年、この山に参拝に来ていますが、こんな待遇は初めてです! 

じっくりとお祈りができてうれしい!”とサントシも満足そうでした。

 

こうして、女神の招待?ともいえる二度目の参拝はつつがなくすみました。

朝6時には山を登り始め、山を下って時間を見ると、午後3時という

スピーディーな参拝となりました。

まさしく、すらすらとすべてが滑らかに、無駄なく、エネルギーの消耗は

最小で済んだ、”女神の招待”してくださった、参拝でした。

 

 

帰り道、気が付くと、山の頂上付近にヘリコプターが降りれる場所が

しつらえてありました。

その付近には看板があり、片道の乗車賃、往復ならいくら、また、予約

するための電話番号などが記されていました。

財政的に余裕ある人たちや体の悪い人たちなどは、ジャムカシミールの

飛行場までインド各地から飛行機で来て、続けて、ヘリコプターを

利用して山頂付近まで簡単にたどり着くこの方法を選んでいるようです。 

 

 

これでは功徳はないような気もするのですが、参拝しようと思う

心が一番大切なのでしょう。

こうして、二度目のダルシャンを済ませてデリーへの帰途にくたびれ

果てることなく向かうことができたのでした。

 

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ジャム・カシミール:ヴィシュヌデヴィの囁き

2018年05月11日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

参拝したものの、もう一度サリーを着て出直せという女神の声  2018・4・11

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サントシさんと山登りの一歩、すでに色々な列に並び、体力消耗・・・

もう、くたびれた~

 

さて、翌日、私たち(私と我が家のメードさんのサントシ)は

8時半には巡礼の道の山の麓に立っていました。

その時すでに疲れた顔・・・というのは、ホテルから出た後、

頂上にある神殿に入るための、パスをもらうために、山か

1キロほど離れた事務所に行き、長い列に並び、自分の名前を

登録し、顔写真をとられて、小一時間要した後、聖なる山の

入り口で、再び、長蛇の列の後ろに、並びました。

 

察官立ち合いの検問、荷物所持品チェックなど、国際飛行場の

チェックインさながら、念入りに調べられ、ようやく、登山の

前のチェックが終わり、一歩、歩き始めた時の写真が上です。

くたびれ果ててました。

 

左右を見ると、日本の門前通りのように、ヴィシュヌデヴィ寺院

に続く、山道の両脇には、食堂や、土産物屋、記念写真館、中には、

巡礼を終えた帰途の客人たち用にがくがくになった足や体をほぐす

ための、韓国製のマッサージ椅子をべた店もありました。

 

さらに、階段を100メートルほど上がると、馬たちが40頭ほど

繋がれていました。何度も来ている常連の参拝登山者たちは、

この馬を利用するメリットを体験済みのようです。

かなりの人たちが馬にまたがって、私たちの横を通り過ぎて行きました。

 

乗馬して、聖なる山の半分の地点まで、行けるのです。 

つまり、徒歩で3時間程かかる距を座ったままの姿勢で、1時間ほ

短縮して、残りの後半の神殿への道のりに体力を備えるというわけです。

 

 

時折、日本の江戸時代を思い出させる、籠のような乗り物が

通り過ぎていきます。

それは長い棒の中央に備え付けられた台座に人が座って 前後2名

ずつほどの人夫に、かつがれて、運ばれていきます。 

その揺られ方といい 人力で左足、右足、”えっさほいさ” とばかりに、

2脚(足)x 4人の計8脚の長くて細い足が 同じタイミングで、

前後してリズミカルに前に進んでいく姿は、まるで、日本の江戸時代の、

籠(かご)そのもののようでした。(下の写真参照)

 

 

私は、サントシを後目に、勢いつけて上ってはいくものの、さすがに、

2時間ほど登ると、疲れが出てきました。 

”頂上までの半分の道のりは過ぎた?”とサントシに聞くたび、

”とんでもない”という答え。

とたんに、どっと、その疲れは増して、時折、茶店に腰をかけて、

砂糖キビのジュースなどを飲み、エネルギーを補充しました。

 

さらに2時間ほど登っていくと、どうやら半分の距離は過ぎた

ようだと気づきました。

空気が変わったからです。

今まで、左右にあった、土産物店がなくなり、ウマや籠に乗る人も

ほとんどみかけなくなり、何よりも、周りの空気が澄んだ静けさの

中に荘厳な迫力も感じられ、いよいよ、あともう少しで、女神の

洞窟寺院に着くのだという実感が湧いてきて、むしろ元気が出てきた

のでした。

 

 

周りの景色も当初とは変わってきました。

家々が点在するように小さく見え、周りの険しい、ヒマラヤ山脈に続く、

高い尾根なども見えてきました。

さすがに、体は疲れていたのですが、不思議なものです。

以前にもまして、誰かに後押しされているように 体が前に進むように、

足に弾みがついてきたのです。

 

(~この体験を多くの人がしているようで、これこそ、女神の祝福の力、

シャクティ―の分け前に預かっている~と感じられ、文字通り、体を

通しての体感といえるようです。)

 

後半の道中には、2カ所ほどの検問所がありました。

ジャムカシミールは、政局的に不安定な所であり、ゲリラ攻撃の

的になっているという噂もありました。

そのためか、警官の数は山の上に行くほど、増えていきました。

 

いずれの検問所を通るのにも、長蛇の列です。半時間は並ぶのです。

土曜日だったせいもあるのか、毎年、参拝にくるサントシさえ、

こんなに混んでいる事はなかったと驚くほどの、人人人 の聖なる

山の盛況ぶりでした。

 

どんな方たちが参拝に、これほどの労苦を要して登ってくるかと

観察してみると、やっと歩き始めた2~3歳の幼児から、腰を曲げて、

杖を突きながら助け合って登ってくる老夫婦がいます。

五体投地をしながら、気が遠くなるほどのゆっくりしたペース

で、一歩歩くたびに、身をひれ伏して女神に祈りを捧げながら登る

行者がいます。

 

ヒンズー教徒だけではなく、ターバンを巻いたシーク教徒の家族も

います。ジャイナ教の知人もここに来ています。宗教には関わり合いなく、

大勢の人たちをひきつけていることがわかりました。

 

結婚式を終えたばかりでしょうか?

花嫁姿の若い女性が先方を行く花婿を必死で追いかけるように

息を切らして上っていきます。

数人のグループは’ジェイ マタディ”と、女神をたたえる言葉を

大きな声で合唱しながら 気合を入れてきついのぼり道を進みます

 

ついに、私たちも最終関門のチェック場所に着きました。

神殿まではあと、半時間登れば着くところにあります。

ここもまた、長蛇の列ができていました。

この関門所のあとは、履いている靴を含め、身に着けている荷物

はすべて、携帯電話や貴重品とともに、ロッカーにしまわなければ

なりません。そのロッカーのカギをもらうために、また、小一時間

並びます。

 

神殿に詣でるために、長時間の登山は、もちろん疲労感の原因

でしょうが、こうして、随所で待たされ、人込みの中でたちんぼうを

して待っている、労力も半端ではありません。

 

ロッカーに所持品をしまい、鍵はサントシが持ちました。 

すると、それを見ていた、教養のある様子の若者が私にそっと、英語で、

耳打ちしました。

”ロッカーの中から、お金だけは出しておいた方が良いですよ。

その鍵はあなたが持つべきです。彼女に渡してはいけません”。 

 

一瞬この言葉の意味が理解できず戸惑っていると、間髪をいれず、

サントシがその男性に向かって、”今、何を、この婦人に話しかけたの?”

と問いただします。

”いやいや、別に” と、ヒンディー語でその男性はサントシの返答を濁し、

去っていきました。

 

つまり、このインドでは、特に、こうした場所では’他人は信用するな’

という一般的常識を、この男性は私に思い出させるよう、耳打ちしたの

でした。寺院参拝をしながらも、盗人が多い現実に、苦笑いをせずに

いられない、ヒトこまでした。

 

さて、これで残る目的地は一つになりました。

やっと、寺院の方向に足を向けて歩き始めることができました。

寺院の中はそれぞれの女神の偶像が置かれている、3っつの部屋があり、

最大の聖なる場所、洞窟の祭壇へと続きます。

 

この洞窟の中がどうなっているのか いろいろ現地にいったインド人の

友人から話は聞いてました。

’何のことない、~~に過ぎないよ’という知人がいれば、

”洞窟の中のオーラを感じてごらんなさい。特別なそのオーラに満ちた

空気を”とアドヴァイスをしてくれる、霊的な友人もいました。

 

はっきり申し上げます。

洞窟にいたるまでの、3つの部屋、そこに飾られる、華やかな色彩の

ヒンズー教の偶像には、どうも馴染めません。 

 

このどちらかというと、世俗的な神様のお部屋もまた、長蛇の列

でした。一つの部屋に足を踏み入れたら最後、半時間閉じ込められ

ました。にっちもさっちもいかないほど 人・人・人で足場がないほど

混雑していたため、半時間の間、部屋の入口出口の扉が 人為的に

閉ざされたからでした。

 

こうして三つの部屋をノロノロと一時間ほどかけて通り抜けた後、

いよいよ、その紀元前の時代から文献にも書かれていたという

女神の力(シャクティの凝縮した岩屋の中に入っていく高揚の

時間がついに、きました。

 

その岩屋の神殿は確かに、特別でした。

ここも長い列で、神殿にたどりつくまでの50メートルほどの距離の

洞窟の中は、人々のたわいのない話の声が反響して、騒音の渦でした。

が、すでに沈黙してこの岩屋のオーラを感じようと身構えていた私には、

聖なる音”オーム”という音が本当に耳元で、聞こえていました。

 

祭壇の前の道は、まるで、オートメーション工場のベルトコンベアの

上のようです。

人々は次から次へ移動するように警察官から指示されるまま、ダルシャン

(神との対面)が流れ作業の速さで行われているのです。

 

ダルシャンとは 聖人や神 の姿を拝む行為をいいます。

警察官と神官がたたずむ、そのクライマックスといえる岩屋の奥に

しつらえた、祭壇には4つの女神のシンボル(黒い自然の石)が

祀ってありました。

 

その前を、ほんの、数秒もないスピードで通り過ぎる間に、信者が

手を合わせ、次の瞬間には帰り道に向かっユーターンを余儀なく

れています。

 

私自身も、何が何だかよくわからいまま、神官が私に早口で英語で、

その女神たちの説明をしてくれたものの、後ろの人に押されて、瞬きを

5回したかしないかのうちに、女神たちの前を通り過ぎる結果に

なりました。

 

その後は、再び、ロッカーに入れてある貴重品を受け取って、

帰路にむかいました。

実は私は、まだ、上り途中のある時、サントシにこう宣言していました。

 

”サントシ、私、デリーに還るまえにもう一回、サリーを着て、

参拝に来るわ。そうしさいという声が聞こえたのよ”

 

サントシはそれを聞いても、とりあわず、笑うだけで反応はしません。

”それは、奥さん、頂上について拝んでから、長い山道を下って、

ホテルに戻って、疲れ具合を確認してから、決めた方がよさそうです。” 

の一点張りです。

 

”これまで、一度に二回の参拝をする人は見たことがありません。

ホテルについて、翌日れだけ足が棒のようにこわばるか、マダムは

知らないから、そんなことが言えるのでしょう。”

 

確かに、くたびれ果てた足をもとに戻すために、翌日は丸一日、

ゆっくりホテルで休みました。

そして、その夜、彼女に私は再び、言いました。

 

”もし、あなたが疲れているのなら、休んでいてね。

明日は、私は一人でも、上に行きますから。サリーを着て又いらっしゃ

確かに、女神の声が 本当に聞こえたのですから。” 

 

すると、サントシは答えました。

”1人で行かせるわけには行きません。私も行きます。”

 

まさか、二度もダルシャンができるとは思っていなかった~と

嬉しさ半分、大儀さ半分の様で サントシは翌日の、再度の聖なる

山への一日がかりの登山に付きそうことを決断した様子でした。

 

 

 

 途中でサントシが振舞ってくれたコーヒーは 美味しかったです!

 

 

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