恋のお相手は、ヴィシュヌ神の化身、ラーマ皇子・・・ 2018/5/31
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ヴィシュヌデヴィを生んだ母達~向かって左から、カーリー神、、
サラスワティ神,ラクシミ神のそれぞれの、
シャクティ(女神の持つ女性的聖なる力)が統合されて、
ヴィシュヌデヴィという女神が生まれたと伝えられる。
いよいよ 三女神が自分たちの聖なる力を注ぎあって、
新しい女神を生み出すその時が来た。
驚くほど強烈な閃光とともに三神の結晶ともいえる蓄えられた
聖なる力のエネルギーが炸裂して、その中から、美しい女の子が
姿を現した。
生まれ出たその女の子は女神に聞いた:
“なぜ、私をお創りになったの?”
女神たちは答えた:“それは、あなたが地上に踏みとどまって、
現世で、姿を持ち、正義をを世の人に知らしめるために、
生きながらえるためよ”
そして、こう付け加えた。
“さあ、行きなさい。ラタンカル(Ratankar)の家へ。
そこは南インドにある地で、私たちの熱烈な信者である、
彼の妻もいます。
地球に住みなさい。正義をかかげて、霊的に覚醒して、
気高い意識を常に持ち、生きていくのです。
あなたが、その目標とする、霊的な最高覚醒を得ることが
できれば、あなたは、ヴィシュヌ神と溶け合い、一体化するでしょう。
ヴィシュヌ神とあなたは いつか、一つになるのです。”
ラクシミ神、カーリー神、サラスワティ神の三女神は、生まれた
我が子に、そう言って、祝福した。
こうして、しばらくすると、その特別なシャクティの魂を持った、
女の子は 女神たちの祝福で南インドに住むラタンカルと
その妻の間の娘となって誕生した。
夫婦はその女の子をヴィシュヌナヴィ(Vaishnavi.)と名付けた。
その女の子は幼い時より、各段の能力をもち、知的に卓越して、
如何なる本も学者も彼女の知的好奇心を満たすことはできなかった。
ヴィシュヌナヴィは 知識や外的な知恵を得ることで満足できず、
最終的な真理、本当の智慧を得るためには、自らの内なる深淵な
叡智にたどり着くほかないと、自らの真の姿を見つめ、内観に没頭した。
瞑想を学び、深奥なる自己の内部を観想することこそ、外界からの
知恵や知識を得ることよりはるかに意味あることであると理解した。
そのために、深い森の中にこもり、深層な瞑想(Tapasaya)に
すべての時間を費やすようになった。
瞑想のために森の深くに入っていった、そんな折だった。
彼女はある若者をみかけた。そして、恋に落ちた。
その若者こそ、ラーマ皇子(注インド古代物語’ラーマヤナ~र म यण
に出てくるヒーローで、ヴィシュヌ神の化身と言われるラーマであった。
ラーマ皇子はその時、義理の母の企みで、実の父である国王から
追放の刑を言い渡され、14年間の放浪生活を送っていたのだ。
ヴィシュヌナヴィは、一目、ラーマ皇子を見かけただけで、
この人こそ、ヴィシュヌ神の生まれ変わりであることを悟った。
そして、すぐさま、彼女は、ラーマ皇子に駆け寄り、一体になって
ほしいと懇願した。 母なる女神たちの予言通り、そうすれは、
彼女はヴィシュヌ神に溶け込むことができると確信したからだ。
しかし、彼女の熱情に心を動かされつつも、ラーマ皇子は今はまだ、
その時ではないと告げた。
懇願するヴィシュヌナヴィに、”私が、追放の身分から解放されるときが
きたら、必ず、再び、貴女に会いに来るから、それまで、信じて待って
いて欲しい”と言い、こう付け加えた;
次に来た時、自分がラーマ皇子だと今回同様、認識することができれば、
貴女の願いを聞き遂げよう、そのとき、私たちは一体になれるだろう~と。
ラーマ皇子にはまだ、果たさなければならない、責任が残っていた。
ランカ(現在のスリランカ)に住む横暴な王を倒し、追放刑が解かれる
までは、ヴィシュヌナヴィの言葉に添えないと説得すると、放浪の旅路に
消えた。
時は経過した。
ラーマ皇子のその言葉は真実だった。
14年の放浪の旅が終わり、ランカ王との対戦に勝利したラーマ皇子は、
ヴィシュヌナヴィとの約束を覚えていて、今こそ、それを果たす時と、
再び、深い森にやって来た。彼女の前に姿を見せた。
しかし、皇子は変装をしていた。
前回とは異なり、老人の姿となって表れたのだ。
あれほど待ち続けていた人が 目の前に現れたのにもかかわらず、
ヴィシュヌナヴィは、この老人が恋い慕うラーマ皇子であることを見破る
ことはできなかった。
変装を解いた皇子を見て、動揺する彼女を前に、皇子は次のように慰めた。
“貴女と一緒になる時期はまだ来ていないということだ” そして、言った。
”あなたと一体になれるときは、必ず訪れる。
その時は、カリユガ(真理がまかり通らない、霊的に暗黒の時代)の時だ。
その時、私(ラーマ皇子のこと)はカルキ(Kalki)の生まれ変わりとして
この世に再び生まれ変わるだろう。その時こそ、貴方と一つの身になれる。”
ラーマ皇子はそう言って、彼女に瞑想の方法を教えたという。
さらに、ヴィシュヌナヴィにこう告げた。
”トリクタ(Trikuta)の丘に悪鬼の拠点がある。そこへ行き彼らを倒して
ほしい、そうすることで、彼女の霊的レベルはさらに引き上げられ、
人類の苦しみと貧困を取り除き、祝福を与えることができるはずだ”
とラーマ皇子は言った。
さらに、続けて言った。
“その時は、ヴィシュヌ神が自ら、あなたと一体化して溶けあうことに
なるだろう。”
ドルガ女神(ヴィシュヌナヴィ)
ラーマ皇子のこの言葉を聞くと、ヴィシュヌナヴィはインド北部
のトリクタの丘を目指した。
たどり着くまでに、多くの難関場所を通り、困難な時を経て、
ついに、トリクタの丘の麓にたどりついた。
そして、そこで自ら、瞑想の場所を設け、ラーマ皇子の示唆に随い、
深い瞑想の行に入っていった。このトリクタの丘こそ、私が今回、
巡礼の旅と称して赴いたこのカシミールのこの土地でもある。
続く~
注)冒頭の三神について、すでに何度かブログでも取り上げて
いるのでご承知かと思うが、カーリー神はシヴァ神の妻である。
カルカッタという地名があったが(現在はコルカタ)ここに、
インドで屈指のカーリー寺院がある。
一説には、カルカッタのカルはカーリーから来ているという
説がある。なぜなら、カルカッタを中心としたベンガル地方では
カーリー神の信奉者は多く、タントラ派の人たちも多くカーリー神
を信仰しているほどだ。
上の写真の真ん中にいるラクシミ神は、財宝の神である。
富の豊かさを保証する。日本に伝わった弁天様の原型でもある。
ただし、日本では、弁天様はビワという楽器を手にしている。
これは、女神の持つシャクティ(神力)の財力と、智慧と芸術の
女神、サラスヴァティ双方の神徳が、弁天様の姿に現れているから
だろう。 サラスヴァティ女神の手にはビーナという楽器があり、
日本では琵琶に変った。サラスワティ女神は、文化と芸術、智慧
を司る女神といわれる。