自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

寝小便癖~母親の悲しみ?もっと構って欲しい症候群?

2013年01月31日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

 

おねしょ         平成25年1月31日

**********************************************************************

私は 小学生まで おねしょ をしていた。

寝小便というやつだ。

恥ずかしいが、ほんとうだ。 幼稚園ごろまでは その頻度は 多かった。

朝 起きてみると、ジワ~と 腰回りが暖かい。

”あれ~ また、やってしまった”

母親に 目が覚めて、”また、ぬれちゃった・・・”

と、小さな声で報告するときの、切り出しにくさは 心に残っている。

 

心と体の関係を勉強するようになってから、寝小便の原因を考えた。

例えば、

・10歳以下の子供の病気は 親の心の反映であることが多いと同様、子供の寝小便は

母親の影響が大きい。

なぜなら、母親は 水(陰性)の象徴だからだ。

寝小便の子供のいる家庭では、陰性が強い、といわれる。

つまり、母親の影響力が父親よりも強い場合。

また、水は涙の象徴でもある。 母親が 心の奥に秘めている悲しみが、

涙替わりに、子供の寝小便として排泄されるときがある。

 

・寝小便と子供の肉体的性的エネルギーとの関係も指摘されている。 

エネルギーが昇華されず、寝小便となって、放出される。 

体力的に発散する場所がない、運動不足、そんな時に、寝小便になる。

 

・子供が十分、親から構ってもらっていないと感じるとき、母親に注目してもらいたいため

寝小便する。 

今日は、この三番目の説を考えてみた。

なぜ、寝小便なのか?

犬と比較しては恐縮であるが、先日 アメリカから帰国した友人が、こぼしていた話しを想いだした。

彼女は愛犬を 引っ越し先のアメリカに連れて行った。 

シカゴの近くで、冬は氷点下何度という気温で文字通り凍った世界である。 

しかし、犬のトイレは 家の中でもできるように 躾てあるから大丈夫ということだった。 

ところが、彼女とご主人が仲良く、テーブルで美味しいものをいただこうとしていると、

絨毯のあちこちに、ほんの、ちょっとのおもらしを 愛犬が し始めるという。

それも ほんの ちょっと。 

それでも、彼女は慌てて、注意を愛犬に注ぐ

結果、自分たちがいただく前に、愛犬にもおやつを与えて、それで収まるという話だった。

 

子供の、寝小便もこれに似ているという。

十分、愛情を与えられている満足がないと、子供は親の注意をひくことで、かまってもらいたい

と思うらしい。 

褒められて関心を向けさせるということは、めったにないけど、

そのほかの感情で 親の注意を引き着けることを子供は知っている。  

 

大概の親たちは 忙しいこともあり、子供の心と 真正面に 向き合う時間はあるようでない。

例えば、子供が何かに挑戦して、”できた!”と 認めてもらいたいとき、

”ほんとうに、一人でできたの? えらいねえ。” 

と褒める言葉をかけるときでさえ、仕事の手を止めることなく、上の空で返答している。

どのくらい、心をこめて 語りかけ 子供と向き合っているかとなると疑問だ。

親の関心を引くということは、親の”気”をもらうこと。

気にかけてもらうこと。 これで子供たちは安心する。

だから、怒られても、褒められても、ある意味、一緒だ。

褒める機会は、あっても 実際に誉める時間は少ない。

 

しかることとなると、本気でしかる親は多い。

本気でしかるが、本当に意義(効果)のあるしかり方をしているかは別問題。

躾のつもりで 小言(こごと)を、四六時中、言っている親は 意外と多いのではないか?

 

”また、こんなところに脱ぎ捨てて。” 

”後片付けができないんだから” 

”言っても言っても 同じことをするのね” 

”何度言えば、わかるの?”

”どうして、そんなに、ぐずぐずしているの?” 

”一体、学校でちゃんと先生の話聞いてきているの?”

”仲よく しなければだめよ!”

などなど。

ましてや、親の虫の居所が悪いとき、その 八つ当たりまで 子供たちはくらっていることも

あるかもしれない。

そうなると、子供は、無意識に、悟る。

親の注意を自分にむけるには、親に褒めてもらうことをするよりも、お小言をもらえば、

手っ取り早いと。

親が お小言を言っていても その時は少なくても、自分に親の心が向いているのだ~と。

それでも、まだ、足りないとき・・・・

そこで、寝小便をする。

 

寝小便はしたくてもできない~と思う方もいるかもしれない。

でも、唯心所現 (ゆいしんしょげん)の法則がある。

心(潜在意識)で強く念じると その通りのことが、現象世界に現れるという法則だ。

子供の心は純粋だけに、”お母さん、もっと、気にかけて!” の心からの叫びは、体の作用に

容易に働くだろう。

幼児にとどまらず、非行に走る青少年たちも、きっと、こうした 欲求不満を秘めている

のかもしれない。

社会をアット言わせたい、自分に注目してもらいたい、現に、こうした動機で、過去に 

街中で、悲惨な通り魔事件も起きている。

 

寝小便だけが、親の心を向ける方法でもないらしい。

例えば、病気になること。

風邪をひいても、治りを遅くすること。 

かまってもらいたい、親に自分を観てほしい、それによって、落ち着く、安心すると

いうのが子供心。

だとすれば、この幼児性は、子供だけの特権では、ないかもしれない。

こうした 形を変えた、幼児性は、成人した大人の中にも、潜在意識のどこかに、

潜んでいることがある。

 

 寝小便は ”親の注意をひきつけるため”、大人は、”人の注意をひきつけるため”に無意識に

次のような行動をとる。

例えば:

* ご機嫌をとることで、相手の関心を 自分に向ける。

* 不機嫌になって、あたりちらすことで、周りの注意をひく。

* 病気になって、ねんごろに周囲の人に看病してもらうことで、安心する。

* わけもなく、人と違う行動をとることによって、注目を浴びる。

* 自分が常に話題を引っ張っていないと、無視された気分になって、面白くない。

 

少なからず、似たような状況を思い浮かべることができる。

* ごますり、あるいは、心にもない褒め言葉を使うことは、会社などで経験はないだろうか?

* 外面のいいご亭主が、ストレスを抱えて帰宅。 

その発散を、妻に甘えて、”不機嫌”という形で 家族の前で、出すことはないだろうか?

* ファッションや、化粧を奇抜にして電車に乗り、乗客の眼をひくことで、快感を覚える。

* 会議などで、あえて、手を挙げ、理論になっていない屁理屈の質問をすることで、人目をひく。

* 話題を提供することは得意だが、人の話をゆっくり聞いてあげる余裕はなく、 

常に、自分中心で 話しまくり、場を進めていく人。

 

これも、大人の心に潜む、他者から注目を浴びたいという、子供心 のような気がする。

おねしょ は 幸い、小学校低学年で卒業できた。

でも、私自身の心の中にある、子供じみた要素、まだ、大人になりきっていない部分を

じっくりと 引き出しをあけて、整理したい気分になった。

考えてみると、これらの兆候は 年を重ね、認知症的 になったときの行動バターンとあまり、

変わりがない。 

”年取ることに、子供に帰る”~ というのは、こういう意味合いも暗示していたのだろうか?

 

   

       

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私の余命宣告とそれを越えた背景

2013年01月30日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

 

医師から;ご主人だけに話します          

平成25年1月30日

********************************************************************

 

それで、国立病院に診察に行った。

すぐ入院といわれた。

”大丈夫。癌ではないから。

なんでもないですからね。

ただの腫瘍ですから・・”と医師が 何度も繰り返し、

安心するように、言葉をかけてくれていたのが

印象的だった。

実際はすぐ、手術しなければならないほど、

局部が腫れあがっていた。

 

さらに、良性の腫瘍 と医師は私を安心させてくれたが

その実、のちに、主治医が、

主人だけに密かに事実を告げるほど、

楽天的な状況ではなかった。

手術で取り出された腐ったような卵巣が、

夏みかんほどの大きさに肥大していた。

 

そして、手術後、医師は夫を呼び、

ここだけの話ですが”と 退院後改めて、集中治療の

準備をして欲しいと告げた事実。

その話し合いは、結局、私に知らされることがなかった。

知らぬが仏、私は、腫瘍を取り除いてもう大丈夫と

自己判断で術後間もなく勝手に

病院を退院してしまった。

 

その時の主治医から聞かされたことを夫は

6年以上も黙っていた。

6年というのは主治医が当時、判断して夫に語った、

私の、余命時間でもあった。

主治医の診断では私の本当の病は、良性腫瘍ではなく、

西ドイツなどに症例があるという

血液がんの一種だった。

 

夫は私にそれを伝えなかった理由は、もし、

このまま集中室で癌治療を受けたら、本当に私

の生命は枯渇して死んでしまうと思ったからと

後から語った。 

そして、付け加えれば、義母須田麻沙子の東洋医学的
知識によって、育てられた彼は、その直観は
ごく自然のものだったのだろう。

それほど、私自身、元気だったし、”癌はとった”と

信じていたから、その信念が、何よりの薬となって、

”思うところ現実になる”という唯心所現の法則で、健康

への導かれた。

 

自主退院をした私の当時の心境は、医師達に、

いかなることを宣言されようとも、

速く退院したい”という思いだけだった。 

そして、私の信念(現在の自然治癒力セラピー)で
癌となった真の原因を、浄化して、心身ともに、
正常化させたいという想いだけだった。

手術を受けて、数日後、病床の枕元に次のような内容

の置手紙を置いて、自己責任の自主退院をした。


”現代西洋医学の、対症療法には疑問があります。

東洋医学でいうところの経絡(けいらく)を

手術で、きられなかったので安心しています。

思うところあり 退院させていただきます。

お世話になりましたが・・・・云々”

 

それでも、退院して、一度だけ診察に伺った。 

担当医師は 突然 姿を消した患者に、

”西洋医学も少しは 信頼してほしいですがね・・”

と言いながら、即、検査を行った。

そして、独り言のように、しかし、私には 

はっきり聞こえるように、背中越しに、

こんな言葉を投げかけた。


やっぱり・・ もう一つ残った卵巣も摘出して

おくべきだった。転移しているようだ・・・”

 

その言葉は一抹の不安を与えたが、私は、

それきり、自分の信念に従うことを選び、

診察にはいかなかった。

”死ぬのなら、死ぬ。 でも、私の信条 

~人間神の子・病なし~ が真理なら、必ず、治る

 

想念は想いの念と書く。

自分は神の子だと、それから瞬時も言い聞かせる

ように、心の中で布団の中で口ずさみ、唱え

潜在意識の奥底にその真理を映写するように

念じ続けた。”人間実相円満完全。神の子”・・・と。

 

そして、その頃から、なぜか、急激に、

生まれつき苦しんできたアトピー性の湿疹がひいてきた。

そして手術後、2年経て、夫の転勤で、

インドに行くことになる。

 

そこで、その時のことを 彷彿(ほうふつ)と想いださせる

デリーでの出来事を想いだす。

ニューデリーで、”第三の眼” が開けたという

バラナシからの高層と出会った。

第三の眼、それは、人の過去・現在・未来の

パノラマヴィジョンを観ることができる目だ。

高僧は、目を閉じながら、一言も私と会話を

交わすことなく、沈黙の中で、つぶやくように、言った。

 

” おうおう、顔中、醜いナア。”

醜い、きたないという意味を、この僧侶は英語を

使って、”ugly” と表現した。

昔のアトピーの皮膚を持ったカサカサで、

首が象の皮膚のようにごわごわだった、

自分の姿が、高僧の目には映ったらしい。 

さらに次のようにも語った。 

”アトピー湿疹が消えたのは、亡くなった

父親の祈りが神に届いたからだ”

という。

 

あなたの父上は ネパール人かな?”

僧侶は聞いた。

父は、たしかに 鼻骨とほほ骨が高く、 

父の写真を見せたら、インドの知人に、

”日本人ぼくないねえ。かといって、

何人かちょっと、わからない顔している。” 

などと言われたこともある。 

 

私は その質問を、否定も肯定もせず、

高僧の言葉が終わるまで黙って聞いていた。

父上は シヴァ神を深く 信仰されていた”

”あなたの、顔の皮膚が綺麗になったのも、

シヴァ神の妻、パールヴァティーの祝福ですな。”

 

そういえば、父は20年間、不動明王を信仰していた。 

仏間に祀られた、30号ほどの大きな不動明王の

絵の前には、菊の花の献花を絶やしたことが

なかった。

そして、毎朝、お香をたき、お茶を供え、

般若心経、時には観音経を唱えていた。

このブログ内にも書いたが、シバ神は、不動明王である。
その理由も、ブログに書いたので、興味あるかたは
ご覧いただきたい。

 

お前たち(こどもたち)の健康を祈っているんだよ” 

と 父は 常々、私に言っていた。

私の皮膚病(アトピー)が治ったのが父の祈りで

あるのなら、癌が癌でなくなったとしたら、

私の必死な自己実相顕現の祈りが神に届いたのだ

と思った。

生かされている~と感じた。

 

これが私の簡単な、自分が体験した、自分の体の

自然治癒力の回想である。

今、生かされている。生かされているということは 

どういうことか?

何か、まだ、課題が残されているから。 

意義があるから、こうして、生きているのだ

と思う。

どんな人でも、何か使命があるから生きている

のだろう。

使命は社会的に大きいかどうか、ということより、

たった一人の人のためにも、

生きなければならないこともあるのだろう。

それは、自分自身のため・・・ということもある。

本当の自分になるため、本当の自分を愛するため、

本当の自分を知るため・・に。

 

 

  

           

 これでMさんの手記 喘息と、

私自身の、アレルギー体質~アトピー性疾患~

のお話しは終わりです。

この桜は、Mさんが退院された年 

あまり美しいので~と撮られた写真です。

春が来る前は、寒い冷たい冬、

春の後に夏が来て、秋がくる。 

当たり前のこと。 

でも、その流れの中にある、一貫した 

生命力、

その変化があるにせよ、雪の中にも埋もれながら、

春を待つ 生命力がある。 

これも当たり前の事・・・

自然治癒力、自分の中にある大いなる生命力の発露です・・

 

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筆者のアトピー性疾患

2013年01月28日 | 自然治癒力セラピー協会のセラピー

 

生命の実相 と 自然治癒力   平成25年1月28日

****************************************************************************************

 

この一週間にわたって、

クライアントのMさんの難治喘息の手記を

掲載しました。

今日は、私自身の体験をお話しします。

私は先天的にアトピー湿疹で、赤子の時から

を引っ掻いていたらしく、

母が私の手に手袋をして、顔を傷つけないように、

気をつけていたようです。

 

自分で湿疹の自覚が出てきたのは、

中学生になり、思春期を迎えたころでした。

それまでは、肱や膝の内側の柔らかいところが、

カサカサになって、痒い思いはしていましたが、

自分の外見にそれほど意識はなかったものです。

中学校、高校、大学と私立の女子の一貫教育

学校で教育を受けました。

友人たちは、皆美しく、身だしなみに気を使い、

紺色の制服の肩の部分に、フケの白い粉が

落ちている人は、全登校性を見ていても、

たぶん、私を除いて、誰もいませんでした。

 

私は 足、手、首、そして 頭とおでこに、

アトピーが出ていて、頭からは常に 

ぐじゅぐじゅ 汁が出ていました。

痒くて痒くて、むしるように搔けば

掻くほど、範囲は広がり、そこから出る

透明の液体は固まると 細い針のよう

なる、繊維質の体液でした。

それが 乾くと、今度はフケのように、

かさぶたになります。

かさぶたに、ついつい、勉強しながら、

手を伸ばすと、はがれたり、白い粉が落ちました。

痒いので、知らず知らず、手をやってしまう毎日

中学校の時のあだ名は、そのためか、

”おじいちゃん” と呼ばれていました。

たぶん、おでこも 皮膚がカサカサになり、

皺(しわ)が刻まれていたためでしょう。

 

その間、家の近くの 中央病院 に通い、

ステロイド軟こうをもらってました。

そして、高校生になると、常に頭痛もちと

なりました。

さらに、自律神経失調症と診断され、

一週間に一度、目の前がちかちか、線が走り、

急激な激しい頭痛で体を起こすことができないほど。

保健室のベッドで数時間眠ることが

多くなりました。

頭痛の後には、必ず、猛烈な吐き気が襲いました。

おまけに、腎臓が 遊走腎 と診断され、

正常な位置で正常な働きをしていないと

医師にいわれました。

 

部活などで、運動部の友人が、元気よく、

校庭を走りまわり、放課後元気いっぱいに

活動しているのを 重い頭をかかえて、

自分とは次元の違う世界を観るように

見ていました

よく、あんなに、放課後まで、元気 

が残っているものだ” 

クラブ活動で放課後、テニスラケットや

ソフトボールを持ち、グランドを駆け回っている

同級生たちを見ながら、それが、素直な実感でした。

 

大学生になり、社会人になり・・・ 

多感な娘時代に、だれも私の異常な肌を見て、

面と向かって 密かに悩んでいた、アトピー

症状に触れる人はいませんでした。 

唯一、父親からは、”恭代は、結婚できるかね、

首が、そんな象のような皮膚で” と 言われ

たことがありました。

今でも、その言葉とともに、悲しそうな 

同情に満ちた父の眼差し、しみじみとした心配そうな

声が脳裏に残っています。

 

大学時代、好きな英語を勉強できて、

少し、生き生きできたようです。

関東学生英語会連盟のコミッティーになり、

他校のESSの方達とも交流ができて、

アトピーは気持ちの張りとともに、

少し小康状態で、安定していました。

大学卒業後、会社に入りました。

ある日、更衣室で、先輩から 

”あら、ずいぶん、首が焼けていること。 

ハワイでも行ったの?”聞かれました。  

私のアトピーで痒くて掻きまくった首が、

海辺で焼いたように、赤黒く、てかてかとして

いたからです。

それは 掻いて掻いて、皮膚が めくれ、

体液が出て、さらに、また再生し、

それを何度も繰り返しているうちに、

だんだん皮膚は厚くなり、固くなり、

皮膚のメラニン色素が増えたせいで黒光り

していたからでしょう。

 

それでも、人並みに結婚できました。

結婚後、地方都市で生活しましたが、

相変わらずの状態でした。 

むしろ、悪化したように見えました。

湿疹で背中も顔も 一面に赤味が広がり、

かゆみで寝られず、常に、イライラしていました。

 

そして、ついに、出かける事さえ疎ましく

なりました。

雨戸を数日間、主人が出張のときなどは、

締め切ったままでした。 

こうして、暗い家の中で悶々としていました。

お隣さんから、

”あら、東京の実家にでも、この数日

お帰りだったの?”と聞かれるほど

のひきこもり状態で、有る種の

鬱状態にもなっていたようです。

 

悶々とほとんど寝たままの状態で、家に人気

(ひとけ)を感じさせないほど、動きのない

日常でした。

あるときは 電話が鳴っても起き上がれず、

寝たきりの状態が続きました。

そんな折、電話をかけた主人が、心配して

昼休み会社から、駆け付けてきて帰ってきて、

様子を確認しにくることも有りました。

この時は、20代の前半、一番ひどかったときは、

顔をミイラのように、包帯でまいていました。

痒くて イライラして、引っ掻いて、

自己嫌悪におちいって、人並みの肌がほしいと

切に願ったものです。

痒いというのは、ほんとに 辛いものです。 

電車や人前で、掻けないので、余計、

フラストレーションがたまり、寝ているときや 

一人の時は、とにかく、ぼりぼりと ”かきむしる”、 

そんな言葉がぴったりなほど、

痒さに対処することは 並大抵ではなかったのです。

 

どうやってこれを乗り切れたのか?

そのお話しは、とても長い話になりそうなので、

要点をかいつまみます。

まず、薬を断ち切りました。 

物心ついてから高校生まで使用していた、

ステロイド軟こうを捨てました。

それは、薬で抑えることは、臭いトイレの

蓋(ふた)をする事と 同じだと

気づいたからでした。

対処療法で、症状を抑えても、その原因となる、

大本の種は、決して、なくなっていない。

だとすれば、抑えれば抑えるほど、体内で、

何かが溜まっていくのだろう・・・ 

そう ”体” と ”心” が私に教えてくれました。

 

シロアリを駆除しない限りは、

家具の表面をきれいにしても、

中から腐っていくのと似ています。

それでは根本原因は何?~ どうして、

そんな質問が出るようになったのでしょう。

 

根本原因を考えるきっかけになったのは、

人間神の子”という言葉でした。 

誰かが、自宅の入り口に投げ入れた、

生長の家” という、小さな小冊子に書かれた 

この短い言葉でした。

その言葉、中学生のころに初めて、

聖書を開いて読んだときに書かれていた

言葉でした。

”知っている言葉”のはずでした。

でも、体調を崩しているときに読んだ

その言葉は、とても、心の奥に、響き渡るような

波動がありました。

 

私は、宗教の教団組織に、なぜか抵抗を

感じていました。

それはたぶん今でもかわりません。 

しかし、特定の神様ではない、自己に

内在する無限力の神、だれでも生命の

真理を知れば、その人の家は 生長するのだ

という谷口先生の言葉を素直に受け止めました。

 

心の中では、真理 に飢えていました。

何が真実か、知りたいと切に願っていました。

そこで、谷口雅春先生の”生命の実相”

を全巻読み、”自分の実相” がようやく、

振動し始めていくのを感じました。 

喜びに手が届くという希望を観じ始めました。

それは、すべて ”唯心所現” であること、

人間の実相は 神の子”であるという真理を 

心から受け入れることができたからでした。

 

自分のアトピー湿疹も 自分の心の影なのだ

~そう納得しました。

それならば、自分の心の何が、こ

うして、不完全な皮膚を露呈させているのだろう?

自分の、生命の本来の実相を観ていないからだ、

そう、気づきました。

この考え方が のちの、ベーダ哲学の

”不二一元論” をインドで 学び、

理解するための礎(いしずえ)となったのだ

と思います。

 

生命の実相に出会ったのは20代の

はじめでした。

しかし、理論は受け入れられても、 

体のかゆみと イライラと、自己嫌悪の毎日。

先ほど書いた、岡山での生活時代が一番

のピークだったと思います。

統合失調症のような 心の波は、

結婚後、親元から離れ、独立した新婚生活

の中で容赦なく 襲ってきました。

 

結局、アトピーが消えるために 

自然治癒力の大波を超えることになります。

40度の高熱による、体内殺菌と 

膿を全身から出す、大掃除をするまで 

さらに数年 時を、待つことになります。

 

  

                       

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虎の咆哮(ほうこう)

2013年01月27日 | 健全生活のために”死”の常識を反転

心の檻(おり)      

2013年1月27日

******************  

 

最近、パンドラの箱をあけてしまったのか、

いろいろな 雄叫(おたけ)びや、咆哮(ほうこう)が

心に こだま しているのです。


心の動物園の檻(おり)の箍(たが)が 

はずれてしまったようなんです。

 

だから、月が満ちてくると、檻から、抜け出した野獣たちが 

動き始め、

満月に近づくにつれて、

その ざわつきが 心の荒野に

木霊(こだま)していくかのようです。

 

時々、月の光に、一瞬、大きく開いた口が、

牙をむいて、私の心を 飲み込もうとしているのが見えます。


ええ、昨日、デニーズでお話しした、A さん、

あなたの言葉も聞こえてきます。

”すべては、合わせ鏡ですものね。” って・・・

そうなんです。

動物たちは 実は、私なんです、きっと。

 

人の心はモザイク張り。 

猫をかぶることもできるし、

ときには、兎のように、つぶらな瞳で、

ハイエナように、抜き足差し足。

獲物の横取りを狙う。


美しいナイチンゲールの夜明けを告げる鳴き声で、

あたりを、魅了させ、

時には、鸚鵡(オウム)のように、

意味のない言葉を仰々しく羅列して、

喚(わめ)き散らす。


ええ、昨日、デニーズでお話しした、Aさん、

あなたの言葉を思い出しました。

”これからは、独り立ちしていかないと、生き残れないですよね、

もちろん、霊的に、精神的に・・” 

 

独り立ち? 

モザイクの寄せ木のような 心模様(こころもよう)

それを、統一している自分が

”自分”?

それとも、統一させて、独立していると思っている

この”自分”も 寄せ木の一部?

あるいは、統一していると思っていること自体、”妄想”?

 

月明かり、真夜中3時、外に出て、冴えわたる月光の下、

彷徨う トラが 鏡のような、月にむかって、振り向いた。

 

おとなしい 兎が土の下で眠る。

こざかしい フクロウが 木の上で様子を見守る。

天空には 無数の星があるはずなのに、何も見えない。

トラが また、牙を出して、声なき唸りを上げ始める。


シリアの難民が・・

罪のない子供たちが・・、

アルジェリアの無機質な打ち合いの 目撃者が・・、

貧困で子供を売られる 母親が・・、

アフリカで 痩せ細った乳幼児たちが・・・

夢でうなされているその頃・・・

 

ああ、不条理の摂理。

この世界の、悲しみ模様。様々な 涙模様が寄せ集まり。

この世界のモザイクの材料、

月光の下で、露わになってくる。

”心の檻(おり)の野獣”に 心を占領され、

手も足も出ない 豊饒(ほうじょう)と飽食(ほうしょく)に 

慣れっこになった この肉体。

この心。

その肉体と心の眼がモザイクの模様を見つめている

 

Do not disturb (ノックしないでください) 

ドアの外に ぶら下げよう。

雪で洗われた、月の霊妙さ を、こうして、

しばし、野獣とともに、味わうために。


入り込まないで。 

静けさをそのままでにしておいて!

 こうしていたいから~

そして、だれにも 野獣の牙を見せたくないから・・・

 

”そうこうして、もう、何十年たったんだ?!”

牙をむけたトラは 声なき声で問いかけてくる。

 ”あなたが、牙をむかなければ、そうしたら、ドアを開けてもいいわ。” 

”詭弁だね”

トラは せせら笑う。

”今開けなくて、いつ、開けられる?”

 

トラは怒涛の声を 喉の奥から絞り出す。

”お前は内の静けさ、

オレは外の自由な世界求めている・・

ドアを開けてくれ! 

 

ドアを開けて オレを解放してくれ!

オレの首にかかった、この鎖を外してくれ! 

オレは帰るところに帰りたいだけだ!”

 

夜があけた。

陽が昇る。

動物園のざわめきが、一瞬のうちに、消えていく。

檻が閉じられる。

人はそれぞれ蟻 のようにモザイク張りの 

パズルに向かい動きはじめる。

 

豊饒の中で。飽食の中で。慣らされた肉体の手を動かして。

 私の心は、パズルを はめ込む主(ぬし)の手を懸命に探す。


 星が出れば、見えるかも。

月灯りでわかるかも。

太陽は眩しすぎて。

肉体は忙しすぎて。

 夜になって、トラの雄叫びに耳をふさぎながら・・

探し続けるだろう。 

また月が昇っていく

 

”虎がお前だ”

”お前がトラだ。”・・・

”お前が私だ。”

”私がトラだ。”

 

昨日のデニーズで会ったAさんの言葉が 心に蘇(よみがえ)る。

”そう、ゼロにして、もう一度、

リセットすることも 必要よね。” って。

 

リセット?

今まで作ってきた、寄せ木細工の心のパズルをさかさまにして、

全部バラバラにしてしまういうこと?

 

わかった。

そうしよう。リセットだ。

 そうつぶやく私の心で檻(おり)の中で寝ていたはずの 

トラの瞼(まぶた)がピクピク 動いた。

疑惑の眼(まなこ)を そっと 開けた・・・・・

”オレを、どうするつもりだい?”

 

再び咆哮!

心を飲み干してしまいそうな、大口をあけながら・・・                                                    


  Bengal Tiger Close-Up 写真 Bengal Tiger Close-Up 写真

 

                                                 

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ステロイドと副作用

2013年01月26日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

難治喘息患者Mさんからのメッセージ        平成25年1月26日

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 ご本人の了解を得て写真を掲載しています。

 

Mさんはアートマセラピーを受け始める 1年前から新幹線には乗れませんでした。気圧の関係とかで、以前、

2時間の新幹線の道のりの間、強い発作に見舞われ、それから 新幹線に乗車することへの恐怖心が取れなかったそう

です。何年もの間、夜間の発作が続き、横になって眠れない状況が続いていたので 体力もなかったでしょう。

 

アートマセラピー施術開始後3か月後に、やっと、自動車に 喘息発作に備えての器具や、吸入装置を積みこんで、

ご主人の運転で 何年かぶりの家族旅行が実現したのでした。この夏休みは、いよいよ、新幹線で広島まで行くことを

決心したそうです。こんな、エピソードを語ってくれました:

 

” 今年は主人から、新幹線で行かない?って誘ってくれたんですよ。今までだったら、’私の体がつらいのに、新幹線

なんて! 思いやりが無いのね’~と言って、夫婦ケンカしていたでしょう。でも、私もすっかり、自分に、自信がで

きて、発作のほとんどなくなり、主人も、そこを理解してくれているからこそ、新幹線に~と言ってくれたことが判っ

ているので、有り難く、新幹線で、旅行に行かせてもらいます。”

 

昨日のMさんが当時を振り返って語る、喘息手記続き~

昨日の2度にわたる、入院時の比較図をみてくださるとわかるように、2回目はずいぶん 体に力がついていました。

その時の痰の出かたや 回復力は 驚く程 で、その時まで心の中にあった 薬への抵抗心にも変化がありました。

それは、薬の中には、治って欲しいと願う人の 心や愛情が籠っていて、その愛念が 薬として、現れているという

ことに気付いたのでした、担当の先生方へも、感謝の気持ちでいっぱいになり、湧き上がってきた感謝と愛情の念に 

有り難く繋がらせてもらおうと、今までのような薬への抵抗感もなく、入院中 治療をして頂きました。

 

周囲と調和し、薬とも調和し、おかげで、回復力の速さは担当の先生方も信じられない様子でした。

“(はじめの症状を観ていたら、こんなに早い退院は)あり得ない事だけど…” と、感想をもらされて、予定より、

ずっと早く6日間ほどで退院できました。

退院後、須田先生の所へ セラピーを受けるため、伺いました。先生は、

”アートマセラピーは、自然治癒力を高める目的で行われるので本来は自然治癒力で回復することが望ましいのですが、

今回のような、特殊な場合は、まれに、薬と相反して効果が期待できない場合もあるので、ご了承ください。

医療行為ではないので、あくまで、自己責任のもとで判断して、納得したら、セラピーを継続してください”

といわれ、”体と心のバランスの大切さを知ること、 ”バランスを急激に壊さない処置の大切さ”について再確認しま

した。そして、”今後、自己判断で 急激な薬を減らしたりしない””平成24年2月に入院し、処置を受けたS病院で体が

安定するまでは定期的にチェックを受けること”ことの2点の合意をすることでアートマセラピーを 引き続き、受け

られることになりました。

 

 

退院後の治療は、病院に行かなければなりませんでした。自分を受け入れてくれたS病院の担当の医師とは、退院時に

一つの約束があったからです。それは   重症患者にだけ 国で認められている治療薬を病院の方針で始める事でした。

私は 今までの沢山の思いが 重なり とても悩みましたが、様々な不安も、自分の心を常に、実相完全な、アートマ

に合わせ、2度目の入院で感じた 薬の中にある愛情と繋がろうと…新たな治療を決心しました。

 

この治療では ステロイドを減らすため 他の薬が投与されました。テロイドの副作用の怖さは 私は身を持って体験

していたからこの薬を ステロイドに代わって受けいれることができたのかもしれません。

医師は、抗体をつくる薬だから、ステロイドとは本質的に異なるとも

話していました。

 ステロイドの副作用について

 

私は8年前から ステロイド服用や点滴を繰り返していました。その間の多量なステロイドの服用、八年間で何百本

ものステロイド点滴による治療、その他様々な お薬で 一応、命は取り留めていたものの 大変な副作用を経験して

きました。ステロイドでは、ホルモンのバランスが崩れ半年前後も止まらない出血、それによる酷い貧血何日も、

鉄剤や ホルモン剤の注射に通ったり、激しい咳で 弱くなった肋骨骨折(今までに7本くらい)して、毎日血圧が

とても高く浮腫も酷い状態で、頭痛も酷く一時的に半身が痺れ倒れる時もありました。

 

また免疫抑制剤 では飲んだ翌日から耐えられないほどの胸の痛み、動悸や吐き気、全身焼けただれるうな激痛で 

それに襲われると10日間は全く動けない日を過ごし 恐怖感にも襲われました。

 

そして 一般的に必ず使われる、吸入ステロイドを使えば、喉がただれどんなにうがいをしても喉や口の中全体

カンジタが出来、喘息の悪化何年も声があまりでない状況になってしまいました。

こうして、  S病院の治療も始めましたが、回復力は 退院後も目覚ましくて、血液検査や肺の中の窒素量、

ステロイドの量にも表れました。血液検査では、アレルギーと関係のある、IgEと呼ばれている値に凄く変化が現れ、

元々は 700程の値が 入院当初3000以上まで急激に上がりその後、退院後位から急激に下がり始め、現在一年程で

300前後まで下がりました。

 

  アートマセラピー受け始めて3か月後 何年ぶりかの 泊りがけ旅行

 

1度目と2度目の入院時のステロイド点滴量、錠剤、酸素マスク、歩行可能日、痰の出方の比較が以下です。

 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

①一度目入院の時のステロイド点滴量~10本、錠剤~毎日6錠、酸素マスクつけた日~4日間、

歩行開始日~5日目、痰の出方~ほとんどなし

②二度目入院(同上)~4本、(同上)~毎日4錠、(同上)1.5日間、(同上)3日目、(同上)

ティッシュボックス2箱/1晩

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

須田感想)一度目の入院時は 喘息発作は、あくまで薬で抑えられていた。なので、自然治癒力発動結果である、

痰もほとんで出ることがなく、常に、肺に圧迫感があった。そのために、酸素が思うように肺に入ってこなかったと

いう。酸素マスクは4日間つけ、ブログの写真に見られた、酸素チューブと替えられたのは退院直前の日たった。

一方、2度目の入院時は、かなり、一度目の時と異なっていた。まず、痰 が自浄作用でどんどん出た。ティッシュ

ボックスを一晩で2箱使うほど、大量の痰が排出された。さらに、酸素が 正常に、肺に入ってくるのも早かった。

2日目には マスクもチューブも、取り外せていた。其の後は自力で 十分呼吸ができるようになっていた。

こうした 違いは、1回目の入院時と比べ 顕著だった。車いすを使用しない、自力歩行 に関しては一度目の入院時

は 足が重く、退院前日まで、車いすだった。しかし、二度目の入院時は、3日めから、歩くことも難なくできたそう

だ。 そのため、退院後も ついつい動き回ってしまい、体が疲れを感じるほどだった。まるで、”駆け出すことができ

そうな気分”になるほど、軽やかな足取りに感じたという。

 

こうして、2度目の退院後は、肺の酸素吸入が満たされて、ステロイドは術後4錠から、1月に1錠ずつ減らすことが

できて、退院後、4か月目には、1錠になった。セラピーに来られた、約半年前(入院前の)には、一日8錠の量を

とっていたことを考えると、体への負担はずいぶん減ったと思う。

 

                  

 体験筆記者 Mさんの写した 滝の写真(神奈川・塩川滝)です。 セラピー中、Mさんは、この滝壺に立たれた

ときと同様の、涼しい、清らかな冷たい空気を何度も体感しています。また、 救急病院に運ばれた 昨年1月にも、

同じ空気を体感したそうです。

必死に心で祈った、すると、空気が入らない、苦しかった気管支から肺臓へと、霊妙な空気道が一筋通ったことは、

手記に述べられていました。

それは、まるで、小説、”クモの糸” の中で、 地獄に投げかけられた、蜘蛛の一本の細い糸のようです。

それを渡れば地獄から、天国にいける、そんな話しを 現実にしたような、一筋の、細い、息の通り道。Mさんは、

その時、ひたすら、そこに思念を集中して、 どうにか命を保つことができた”と話しています。

 

 

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