自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

理想の(心身共に健康の)自分になるための想念活用

2024年08月27日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方


本音と建て前
*************************

昨日の投稿を読んでくださってありがとうございます。

過去の記事を推敲していたら、以下の記事が出てきました。
2020年2月6日のブログです。

昨日の記事内容に被さっています。

(ただし、昨日の内容には、本音と建て前という、考え方
は微塵も触れてませんでしたが。)

本筋は、4年前も今も、変らない主旨があると思いました
ので くどくなりますが、投稿させていただきます。


*****************

誰にでも、本音と建て前の自分がいる。 

本音を出せば、相手に不快感や誤解を招くから、適当に
社会的な言葉に自分の本音を変換する。
とても、笑う気分でなくても、とりあえず、周囲と
同調して楽しそうに振る舞う。

本音と建前の、その”ふり幅”が大きければ大きいほど、
ストレスを感じる。

”建て前”=”本音”で、もし、他者と接して、相手に不快感
を起こすことないほど熟成した自分であれば、人生に
ストレスは大分、なくなるに違いない。

芸能人やスポーツ選手の間で時々、大麻の所持が話題に上る。
今日も女優のEやSのその裁判に700人近い人が傍聴席の券
のために並んだとニュースに出ていた。

女優や俳優は表舞台の顔だ。
生き生きとした魅力を保つために、どれほど彼らは努力を
しているだろう。

スポーツ界のスターも、公平で、さわやかさを期待される
のはやむを得ないだろうが、人間だから、絶対見られ
たくない、“本音” の部分はあるに違いない。 

たとえば、自信のなさや不安、心配や嫉妬などで
葛藤していても、すべて押し隠さなくてはならない。

それが建て前と本音のギャップになる。 

そして彼らのように、本音の自分と建て前の自分(公の
ステージで見せる顔)とのギャップが大きくなりすぎた
とき、コントロール不能になったとき、大麻などが、
”嫌な自分(負の感情)”を”ハイな自分(プラス感情)”
へと変えるための助けとなっていたのだろう。
 
皆さまはこんな経験をしたことがないだろうか?

誰かと電話で長話をしたくなる、お酒を無性に飲んで
みたくなる。
ショッピングで予定外のものをたくさん買う、
どこか、静かな自然の美しい場所に一人旅に出かけてみたく
なる・・・

当たり前の事かもしれないが、もしかしたら、その背景
には、このギャップに耐えがたい自分がいるから
かもしれない。 

”自分の本音の負の部分”が、強くなって、そのバランスを
取るための手段になっているかもしれない。

本音の負の部分 というのは、他人がのぞけない自分の
心の奥に潜む、負の感情だ。

他人が知っている自分は、“建前の自分”だから、彼らが描いて
いる“わたし”の像には、ドロドロの内面などは見えない。

バランスが崩れると、その“スマートに演じているわたし”を 
自分自身で、想いだすために、電話で友人と話したくなる。

そうすれば、“いつものイメージの自分”を確認できて、
何となく、ほっとする。

ショッピングは、好きなモノを手に入れると同時に解放感
をもたらしてくれるから これもバランス修正善い薬だ。

お酒は言う間でもなく、飲んで酔えば、本音の声を聴かなく
てすむから嫌な気分も一時的に忘れる。

芸能人が大麻に手を伸ばすのも、我々が日常生活で’健全な
手段で、”視たくない自分” に煩わされないようにする
ことも、同じ一つの目的から来ているのかもしれない。

本音の心の負の感情 に打ちのめされないため~という
目的だ。

本音の負の部分”が強くなっていくと、こうしたレメディー
をとりながら、“建前の自分”を強くしてバランスを取る。

“世間の人々が知っている自分” と “自分しか知らない内面
の負の感情”のギャップは、ストレスを生むと同時に、
それとどう向き合うかで、二つの異なる選択肢ができる。

一つの選択肢は、内面の負の感情に眼をそむけて、そのために、
外界に眼を向けていく生活。

趣味や交友、ビジネスやパソコンゲームや、楽しく没頭できる
ことに、集中するという選択肢。
外界には、刺激を与えてくれる対象はいくらでもある。
 
もう一つの選択肢は、そういう生活を余儀なくされているに
しても、自分の内面に目を向けようとする生活だ。

内面に目を向けるためには、静寂が必要だし、時には
一人だけの時間が大切だ。

田舎暮らしという言葉が使われるようになった。 

退職後、自然の中で暮らしたいという都会人が増えてきた。
“規則・ルール・の型にはまった、これまでの会社勤めから
解放されたくなった”というのが、人里離れた離村で86歳の
一人暮らしの理由。 

周りからは、彼を、“仙人”と呼んでいる。先日の放映番組の
一コマである。

現役時代は、数百人の部下がいたというほどやり手だったの
だろう。 
が、次第に、いつかは自由で解放された人生を楽しみたい・・
という夢があったと語っていた。

この老人は番組でこうも語っていた。
“こんなに好きなことをして最後まで楽しく生きられた
ことに感謝をしたい
あと数年で命が絶えたとしても、満足だ” と。

テレビでは語られない、この人自身特有の、自分の内面との
向き合い方 があったのだと思った。 

好きなこと~といっても一人で、家を修繕する、畑を耕し
自給自足の生活をする~というもの。

ヒトは一人でいればいるほど、否応なしに、“内面と向き合う
チャンスは多くなるはずだ。
 
若いのに命を絶つ多感期の子供たちは少なくない。
“何のために生まれたのだろう?” 
“生きている価値などない”、
“自分は生まれなければよかったのだ。
いじめられ、傷つくだけで。” 

この“自分の本音”と“建前”のギャップに悩むのは、大人
だけではないことは確かだ。

十代の彼らもまた、本音の自分と建て前の自分の“ギャップ”
の狭間で“助けて!”と叫びながら、周りの普通の大人たち
や友人たちに理解されない、内面の葛藤で苦しんでいる。
 
青年期、壮年期、殆どの人はこうした“ギャップ”に気が
つきながら日々の忙しさの中で、どうすることもせず、
見て見ぬふりをする。 

それは、ちょうど、夏休みになり、楽しさに宿題や課題を
忘れ、といっても、いつも心に気にかかっている状態に
似ている。

夏休みも終わりになりかけた最後の週に、慌てて、たまった
宿題に手をつけるのが、私自身も常だった。 

同様に、眼をそらしていた“ギャップ”に、向き合わなければ
“心の平和”が取り戻せない事に気がついていても
なかなか、どうにもならないものだ。

夏休みの宿題なら、1週間で片付くかもしれないが、人生の
終焉にこのギャップに気がついても、心の奥に何層にも
積み重なった“負の感情”は、固く定着してしまい、
一朝一夕にそれを色替えするにはあまりに強固になりすぎて
いる。
 
“こんな人になりたい” とだれにでも願う像があるだろう。 

“でも到底、自分は逆立ちしてもそんな風になれるはずない” 
と同時に諦める自分もどこかにいる。

どうして、そう否定しがちになるのだろう?。 

その大きな理由の一つには、建て前の自分 と 本音の自分の
ギャップを埋めることはできないと考えているからかも
しれないし、負の感情を積み重ねていくうちに、
コントロールが効かないほど、強く心の重荷になっている
からかもしれない。
 
心療内科を確立した池見酉次郎先生は、宗教学に精通して、
ご自身でも悟りのための修行を積んでいた。 

心の奥底に眠る“負の感情”を克服するために、さらに
深い次元に潜む“すでに悟っている自分”を
掘り起こす努力をされていた。 

それは心の内面に目を向け、深く、さらに深く、内面の
感情を見つめ、その感情と身体の器官の関連性を
見つけることでもあった。

私たちが“自分”だと思っているものは、ほとんどが、
外界(家族、職場、友人、趣味活動、仕事、運動、学校、
恋愛、チャリティー活動、など) の他人とのかかわり合い
ある日常生活でつくられたものだ。 

自分らしさ、アイデンティティーというのも、そうした外界
の社会生活の中で身に着いた、他者からみた“自分像”にすぎない。

池見先生のように、内面にさらに、奥深く内面へと、
凝視していくのには、他者の眼は役にたたない。

”本当の自分は?” という問いかけを、自分に、他者はできない。
自分が自分で、し続けていくほかない。


 
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状況に振り回される虚しさが作る症例②

2024年08月26日 | 健康のための心の波動


自分って何?自分軸を見失いそうになったときの行動
8/26/2024
*************************

ごく普通の現代人の日常で、心の真の要求に目を閉じて
”隠れ蓑(みの)的” に、余暇を楽しむことを、池見博士
は指摘していた。

つまり、自由な時間ができたとき、人は、自分の内側に
目を向けるのではなく、外側に目を向けて楽しみを探す
ということだ。

誰でも、人は、本質的な自己を求める” という。

その時点で、心の内側に、目を向ける。

が、それは、決して楽しいことではなく、自分の嫌な
に向き合うことだから、煩わしい、面倒なことでも
ある。

ならば、嫌な自分を忘れ、気になることも、忘れるために、
レクリエーションの時間に、好きなことをして、気分転換
をはかろう~それが普通だ。

が、”自分の内側を見つめる”・・・それが、池見博士の
療養法”セルフコントロール”にもつながっていくという。

そして、その、アプローチを余儀なくされることは、 
長い人生、誰にでもあるという。

共通していえることは、老若男女を問わず、たとえば、
ふっと、何か、心寂しさを感じるとき・・・


経済的にも家庭的にも安定しているのに、声をたてて
笑っている時の、心の裏側によぎる、理由なく、満たされ
ない想いに気づかされるとき・・

 
”自分のほんとうの資質は?・・自分をヒトに合わせて生きる
のは疲れた”

”生きる目的は?・・周りの期待に背いても、自分らしく
生きられる強さがあるだろうか・・・”
  
・・・人は、毎日、仕事や家事に追われ、そんなことが
頭をよぎっても、日常生活の中では、ルーティーンを
こなすことで精いっぱいだ。

だからこそ、レクリエーションの時間を大切に、日頃の
”疲れ” と ”ストレス”を発散して、また、普段の生活
の難儀さを進むエネルギーを得たいと思う。
 
しかし・・リクリエーションで活力を取り戻しても、それは
一時的なこと・・・わかっていても、内面に感じている
自分のほんとうに知りたい疑問” には、触れずに、ふたを
して置こう・・・と、目をつぶる。

自分を見失っている限り、時折、頭をもたげる”虚しさ”は 
一時的に忘れられても、必ず、再び、頭をもたげるだろう。

それが積もり積もって、いくと、どうなるだろう?

心療内科第一人者の、池見博士はそんな状態の患者の
症例の一つを 例に出す:

“何かを食べていると、そのような心の苛立ちと
空しさを、ごまかせることに気がついてくる。 

やがては、食物を喉まで詰め込まないと落ち着
かなくなる。

ひどくなると、食べては吐くという繰り返しになる。 

病的になっていく場合も、その根源には、心に
満たされない何かがあるからだ” 
 
”心に満たされない何か”を抱えたままにしておくと、
病的な症状があらわれるという。

さらに、こうした ”本当の自分の心の声”に蓋をしたとき
以下のような病の原因にもなるという。

いくつか、ご紹介したい。
 

1.  胃潰瘍 ~ 

“何のための事業なのか?”という意味を考えずに
事業欲、物質欲だけが独走して、胃潰瘍の再発
繰り返している患者がいた。 

幼児期に家が没落して、祖母から人生の出世コースを
行くように、厳しく、言い聞かされてきた。 

今でも、その患者の心に、祖母の叱咤激励の声が心に、
響いているという。

その患者は、際限なく事業の手を広げたために
(祖母の教えを守って)家庭を顧みる時間が少なくなり、
子供たちは非行にはしり、妻は忍従一筋の、冷たい家庭
しか築くことはできなかった。

家庭を顧みる余裕がなかったことが、最大の原因だった。
そんな自分自身の心の調和を図ることで、症状はだいぶ
和らいだ。
 
                              
2.  慢性下痢 ~ 

アメリカに留学した学生。

医師は患者の下痢を神経性の下痢と診断したが、
本人は、納得がいかないという。

友人たちも多くでき、学校も面白く、恋人ともうまく
いっているという、

環境適応が十分にできていて、神経的になることは
何もないともいう、

しかし、結局、慢性の下痢は、適応すぎることによる
“不適応と診断された。

日本と異なる、アメリカの文化に対して、せっかちに
表面的に適応しようとしたあまり、本当の自己(内面)
の本質を忘れ、無理した外的適応による“不適応”が
症状の原因と判断された
 
3,アルコール依存症~

妻であり母である50代前後の女性。

2年間 特別な施設にはいって、禁酒のためのトレーニング
を受けていたという。

ひとまず、状況も落ち着き退院してきたものの、やはり、
味醂やら料理酒、アルコールの入っている身近にある
調味料まで口にしたくなるという。

一口飲むと、もう止まらない。
せっかく、禁酒ができたはずなのに・・と再び
お酒に手を出したその女性に、その理由を問うと、
”さみしい。むなしい”という答えが返ってきた。

お酒が私の聞き役をしてくれるの・・そんな言葉も出た。

病的になっていく場合もその根源には、心に満たされない
何かがあるからだ” 

という池見博士の言葉は、アルコール依存症の人達にも
言える、
******************


”心に満たされない何か” は 何か??

”心が満たされない”・・その”心”は、誰の心?
答え~自分の(私の)心

”自分”は何をしたら、満たされるの?”
答え~XXXXXXX

XXXXは 人それぞれ、異なるし、正解はないだろう。

少なくても、自分は何をしたら、本当に満たされるのか?

それを、ゆっくりと、瞑想でもしながら、自問自答する
ことも 有意義かもしれない。

”本当に満たされる”、それは、一時的な気晴らしや、
現実逃避ではなく、”これさえあれば、満足だ”という
自分の心からの願いが満たされている時だろう。

それも、時が移れば、変わっていくかもしれない。

変わっていくのが当たり前だろうし、その時々の
本当に満たされる と思う事を追求していけば、
ついには、”本当に満たされる”ものが何か、わかる
だろう。

ただし、真摯に追及の手を緩めない事・・
それは、自分の心の奥へ奥へと、掘り続けられるから。

その井戸の源泉のような、枯れない地下水(生命力)
の大本にたどりついたとき、”その人の満足”が、何か?
・・・が、現実に顕れ、自分の欲する状態を、ぶれること
なく見つめることができるだろう




******************* 
*    池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう)博士について:
(大正4年(1915年)612 - 平成11年(1999年)625日)
 日本の心身医学、心療内科の基礎を築いた草分け的な日本の医学者。

旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、九州帝国大学医学部卒業。
 戦後、アメリカの医学が日本に流入した際、心身医学の存在を知る。

 昭和27年(1952年)にはアメリカミネソタ州のに留学し、帰国後、
日野原重明、三浦岱栄らと共に昭和35年(1960年)日本心身医学会
を設立し、初代理事長になる。

 翌昭和36年(1961年)九州大学に国内最初に設立された
精神身体医学研究施設(現在の心療内科に当たる)教授に就任し、
内科疾患を中心に、心と体の相関関係に注目した診療方法を体系化
実用化に尽力した。

 九州大学医学部名誉教授、自律訓練法国際委員会名誉委員長、
日本心身医学会名誉理事長、
 国際心身医学会理事長、 日本交流分析学会名誉理事長などを歴任。

書に「心療内科」、「セルフコントロールの医学」などがある。
 平成11年(1999年)625日肺炎のため、福岡市内の病院で死去。
84歳。 
 
参考)
 ”セルフ・コントロールの医学” s・57年9月1日 日本放送出版協会
 
 
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心療内科池見博士の患者の例①

2024年08月21日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方


心のアンバランスが身体に表す症状 2024年8月21日
******************

ごく普通の現代人の日常で、余暇をレジャーとして楽しむ
際に、’隠れ蓑的(かくれみのてき)時間の過ごし方”と
池見博士は、語っている。

それは、心の真の要求に目を閉じて”隠れ蓑(みの)的” 
に、心の眼を、内側ではなく外側に目を向けていること
を指している。

人は、自然と、本質的な自己を求める” という意識を
持ち自覚し始めると、内側に、目を向けようとする。

が、それは、決して楽しいことではなく、自分の嫌な面や
現実を直視することが、煩わしくなることもあるだろう。

そこで、レクリエーションという、外側への注意と
楽しみを求め、日常の疲れを癒そうとするのが常だ。


本当の自分を探したい・・という欲求を意識すると、
”セルフコントロールの道”へ一歩、近づいていると
いえる。

そして、本当の自分=自分が誰にも何にも、頼らずに
自分自身で在る ということだけで、充足感を感じる
自分 と巡り合うきっかけは、 誰にでもあるという。

それは、物質的に恵まれた生活の中で、ふっと、何か、
心寂しさを感じ、満たされない想いをかみしめた時
かもしれない。

”自分のほんとうの資質は?”
”生きる目的は?”
”人生の意義は?”
  
人は、毎日、仕事や家事に追われ、日常生活の
ルーティーンで精いっぱいだ。
だからこそ、レクリエーションの時は、新鮮で、 
日常生活の”疲れ” と ”ストレス”を発散でき、
心に活力が戻ると信じている。
 
しかし、先ほどの、 “自分のほんとうに知りたい疑問” 
にはふたをしているままだ。

自分を見失っているような、虚しい感じは、”自問自答”
への答えが出ない限り、解決されないだろう。

そんな時、面倒くさい”自問自答”をする代わりに、
食べたり飲んだり、他の五感を喜ばす方法で その
落ち込みを一時的に解消することは、可能かもしれない。
 
心療内科第一人者の、池見博士はそんな状態の患者の
症例で、次のように言う:

“何かを食べていると、そのような心の苛立ちと
空しさを、ごまかせることに気がついてくる。 

やがては、食物を喉まで詰め込まないと落ち着
かなくなる。

食べては吐くという繰り返しになる。 

病的になっていく場合も、その根源には、心に
満たされない何かがあるからだ” 
 
こうした ”本当の自分の心の声”に蓋をしたとき
顕れた症状の実例を、いくつか、ご紹介したい。
 

B氏の場合)

42歳。係長。
病歴は、過去10年で16回の胃潰瘍で入退院を繰り
返してる。

頼まれるとNOと言えない。
素直に上司からは仕事を引き受け、自分の部下には
気遣いがあり、部下に回す仕事も 時には引き受け
るほど。

そのため、仕事はたまり、自宅で徹夜を幾晩かして、
仕事をかたづけることもある。

池見博士は、職場での人間関係を改善することを
助言。

が、本人は、なかなか実行にうつせなかった。

博士は、B氏のこうした性格の成り立ちの背景を
調べた。

B氏の性格形成の背景)

五人兄弟の長男。
両親がB氏に幼いころから、口癖のように言った
言葉が影響を及ぼしている;

”お前は長男だから、親のいう事は素直に聞き、
弟や妹をいたわり、りっぱな跡取りにならなければ
ならない”

忠実に親のこの言葉を守ったB氏は、先生には絶対
服従・
家庭では良い子で、兄弟に優しかった。

行動パターンの分析)

池見博士は、B氏が、幼児期から少年期にいたるまでの、
両親の教えといいつけを守ることで、基本的な行動
パターンができあがったと推測した。

その結果、B氏の、自然な感情C(子供の心)と冷静な
現実判断A(大人の心)のバランスが、 他人への心遣いP
(親心)が強くなり、圧倒されていた。

そこで、池見博士は、B氏に、’幼児の親子関係’、’兄弟関係’、
’職場での人間関係’を重ね合わせ、P,A,Cのバランスを
とりながら、”今、この”現実に即した生活’を指導して
いった。

特に、職場での追従型自己犠牲型の人間関係を変
えていく努力が見られた時には、一つ一つ、検証し
ながら、進歩とみなし、それを認め励まし続けた。

次第に、B氏は、職場で新しい適応方法を、身に着け、
胃潰瘍の症状は再発しなくなった。


B氏の例のように、今の人間関係の諸問題は、
幼児期の家庭環境、特に、両親との関係に端を発して
いることが少なくないようである。

*十分に愛情を与えられた意識があるか?

*ほかの兄弟と差別されていたという、不満足感
がないか?

*父親の頑固な片意地や、母親のヒステリックな
感情の波を避けるために、自分の殻に入る術を
身に着けていたかどうか?

*親から信頼されているという自信が 培われて
いたかどうか?

などの点は、成長してからも、その人の性格形成
の隠された要因になっていることが多いようだ。

家庭での教育は、学校の教育より先だって、すでに、
胎児のときから始まっている。

胎内教育は、母親の心と魂が、直に、おなかの赤子
に伝えられる。

戦前の日本では当たり前だった、大家族制度では、
祖父母が同居して、孫の面倒をみることは、
当たり前だった。

現代の、核家族では、夫婦が家事を分担しながら、
子育てをする。

保育園も増えて、他人に我が子の一日の大半を、
面倒見てもらうことも多いだろう。

それぞれ一長一短があるとは想うが、母親の子供に
対する、愛情と心構えや、向き合い方は、触れ合う
時間の長短ではなく、もっと、本質的なところで
子供の将来に、影響を与えていくようだ。

本質的なところ?

我が子といえども、独立した魂の持ち主としての
尊敬の念だろう。

私の子供、でも、私の所有物ではない。
過去生で、自分とは別な体験を積んで、沢山の記憶を
背負った、独立した魂としての向き合い方だろう。

自分とは個別の個性と、習性をもって、生まれてきた
我が子に対して、母親としての本能的な愛情のほかに
大いなる理解と、人間愛が、大切だと感じる。

両親の育児と、幼児教育にかかわる姿勢は、その子の
一生を左右する。

成長しても、その人の、基本的性格形成の一端を
になっている~といえそうだ。





参考)
 ”セルフ・コントロールの医学” s・57年9月1日 日本放送出版協会
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インスピレーション;”自分次第”の補足

2024年08月19日 | 今朝の”インスピレーション”

8月19日  

前回の8月18日の記事の最後に、’それは、”自分自身”が、
”自分自身”を、コントロールするだけが解決策になるから、
自分次第ということができると思う。’と書きました。

それが、少し言葉不足のようでした。

今日のインスピレーションは、
一般論では、 ”身体の不調は、医師に。精神の不調は、
カウンセラーに。”

と考えられていますが、魂の不調は、”自分自身に”よってのみ、
解決される、ということです。

魂の不調とは、

”自分の過去の行いの清算(カルマ)”

”自分の本来の、自分自身から外れている路線の軌道修正”

”安寧と安定を取りもどすための内的葛藤”

”自分自身が、自分の現在の境遇や結果の原因だと、知らずに
誰かや何かを責めたり、求めたりしているとき”

などを、さします。


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  人との好ましい関係を保つために③

2024年08月18日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方



言葉の誤解を避けるために
************************

臨時投稿が続いて、間があいてしまったが、8月8日の
続きとなる。

人の心のAとC【6月30日参照】とのやり取りによって、
人間関係がぎくしゃくする例を、取り上げる
***************

まずは、次の会話から・・

”お隣のご主人のボーナスは、100万円ですって。
お向かいのお宅では、150万円ですって。
どこも、いいわねえ。”

と妻が夫に、情報を知らせている会話。

その妻の言葉の裏に、”うちと比べたら・・
あなたって、甲斐性なしなのよね”

と夫の、C(子供の心)の部分に、チクリと皮肉を
さしている。

妻は、自分の欲求や感情、動機などを隠して、意識的に
遠まわしに、相手にそれを伝えている。

こうした何気ない会話の中に、それを言う人のA
(大人の心)によって、主導権が握られていると、
池見博士は言う。

もし、ここで、夫が、それに対して、

”お前は、オレが甲斐性ないと思っているのだろう”
答えれば、

”そんなこと、言っていないじゃない。
あなたって、すぐ、そうやってひねくれて取るんだから

と、妻のA(大人の心)によって言い返されるだろう。

もし、妻が、夫に、生活費をいれてくれてありがたいとか
給料は少なくても、真面目で家族を大切にしてくれている
ことが、一番だ、とか、元気で働いてくれることが
何よりだ・・・などと、ひとかけらの、感謝の心があれば?

そのような外からの情報が 外から耳にはいっても、
夫に伝えないだろうし、伝える必要性も妻は感じない
だろう。

池見博士は、このときの妻の言動を、A(大人の心)
ととらえているが、その意味では、欲望や嫉妬を主体とした、
C(子供の心)のマイナス面が出ているような気がする。

C(子供の心)の子供めいた欲求の心を、少し遠まわしの 
大人的な言葉で、カムフラージュしている、妻の言葉。

本当は、もっと、ボーナスがもらえるはずなのに、
あなたの会社は、景気悪いのね。

あなたの働きが、満足いかなかったのかしら?

ほかのご家庭が、羨ましいわね・・
といった、声ならぬ声は、A(大人の心)でカムフラージュ
されていても、必ず、相手に、真意がなぜか、届くものだ。

特に、何というわけではないが、なんとなく、話した
あとの後味の悪さや、相手の言葉の裏にある’棘(とげ)を
感じたりすることがある。

一度の体験なら、忘れるが、何度か、同じ人と会うたびに
そんな印象が残るとすれば、現在の意識では気が付かない、
根の深い、潜在的な、怒りや不満が、あるのかもしれない。

人との関係の行き違いは、こうしたことからも、起きるの
だろう。

怒りやイライラ、欲求不満・・・私たちの心から、こうした
マイナス感情の根っこを、取り去ることから、心がけたい。

取り去るのが難しければ、ひとまず、こうした感情がおさまって
から、言葉 を発することが、大切なことかもしれない。

そういう感情を修めて・・・というが、これを、押し込んで
おけば、マグマが地下に貯められるのと似ていて、リミット
が超えれば、噴火するから、やはり、忍耐強い、日頃の精神的
努力が、大切なのだろう。

が、それは、”自分自身”が、”自分自身”を、コントロールする
だけが解決策になるから、自分次第ということができると
思う。







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