自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

ヒマラヤに宮殿出現

2014年09月29日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

 ババジ マハサヤ師の最後のカルマを取る    2014・9・29

*****************************************

悲願だったババジとマハサヤ師の洞窟。 

ここで宮殿をマハサヤ師は見せられた。

ヒマラヤの不死身の大師、ババジが マハサヤ師を

ヒマラヤに 会社の転勤という形で呼び寄せた。

そして、山道を散策している マハサヤ師に声をかけて、

ババジとの対話が始まる。

過去の修行生活、ババジとの師弟関係、生まれ変わって、

普通の市民として生活していた マハサヤ師にとって、この対話中も

ピンとくるものはなかったようだ。

ババジはマハサヤ師を、過去生でババジのもとで瞑想三昧した

かつての修行所 岩屋に連れて行く。

ここで、マハサヤ師は 消された記憶がすべてよみがえってくるのを

感じた。

そして感涙にむせんだ。

ババジの”体を河で浄めなさい”という言葉に従って、感無量で

マハサヤ師はその身を横たえたに違いない。

 

その箇所を ヨガナンダ師の本から、引用する。

“私はババジの言われた通りにした。

凍りつくようなヒマラヤの夜が あたりを包み始めたが 私の体は

内からわいてくる温熱で快く脈打っていた。

それは、不思議でもあり驚きでもあった。

あの得体のしれない油の中に、宇宙熱でも秘められていたのだろうか!

真っ暗な闇の中で寒風が恐ろしい唸り声をたてながら、

私の周りを狂いまわっていた。

 

ときどき、ゴ~ガッシュ川の冷たい、さざ波が岩だらけの川岸に

あおむけに横たわっている私の体の上まで打ち寄せてきた。

虎が近くで吠えていた。

私の心は少しも恐怖を感じなかった。 

内部からわいてくる輝かしい力が私に、何物にも害されぬという

確信を与えてくれたからだ。 数時間が瞬く間に過ぎた。“

 

すると、いつの間にか ババジが送った一人の男が 傍らに

立っていた。その男の手で抱き起されて、乾いた服を手渡された。

“大師がお待ちです。” と男は、マハサヤ師を先導して、森の中に

入って行った。ある曲がり角をまがった。

 

すると、急にあたりの闇が光に照らされているように明るく

なった。

あれはまさか、日の出ではないでしょうね?”

とマハサヤ師が尋ねると、

“あそこに見える光は、われわれ大師ババジが今夜あなたの

ために、御建てになった黄金の宮殿の光です“ と 男は応えた。

それはどういうことなのだろう?

 

実は、マハサヤ師の心の深層に、まだ 気づかない欲望が一つ

充たされないまま残っていたのだ。

それは、“豪華な宮殿を 一度で良いから、観たい

という潜在意識に潜んでいた、唯一の現世的願いだった。

その願いは 現象世界にマハサヤ師をひきつけている最後のカルマ

なっていた。

男は続けた。

 

大師は今、あなたのその願いを叶えてくださったのです。

こうすることによって、あなたの最後のカルマの束縛から解放

れるように!

 

あのすばらしい宮殿は また、あなたが今夜クリヤヨガの引導を

受けられる場所でもあります。

あなたの兄弟たちもあなたを喜びの歌で迎えるために

あそこに集まっているのです。ごらんなさい!”

 

と指差した方を見ると、そこには、〝壮麗な黄金の宮殿“ が

出現していたのだった。

ここからは 不思議なマハサヤ師の体験談の醍醐味を失わない

ために、少し長いが ヨガナンダ師の著書からそのまま引用したい。

 

 *****************

見事な庭園の中央には 無数の宝石に飾られた,輝く宮殿が静かな

池の水に影を映している姿はたとえようもない豪華な景観だった。

 

高いアーチに飾られた通路には、大きなダイヤモンドや、サファイヤ

エメラルドなどの宝石が技巧をこらしてちりばめてある。

そして、赤く燦然と輝くいくつかのルビーの門のわきには、

天使のような気高い顔をした聖者たちが立っていた。

私は案内の男のあとについて、広々としたホールに入って行った。

そこここに、かぐわしい香料やバラの香りが漂い、ほのかな照明が

多彩な光を投げかけていた。”

 

この建物の美しさ、人間の想像をはるかに超えている宮殿が

”どのようにしてできたのか?” と、マハサヤ師は案内の男に尋ねた。

 

男は答えた:

“この建物が一夜にしてここに出来上がったことについて、

別に不思議はありません。

宇宙の万物は創造主の想念が具象化したものです。

宇宙空間に浮かんでいるこの地球という重い土の塊も、

実は神の夢にすぎません。

神はすべてのものを、ご自分の心から創りだされたのです。

それはちょうど、われわれ人間が夢の意識の中で

いろいろなものを創造しかつ、活動させているのとまったく同じ

です。

 

神はこの地球を、最初観念として御つくりになりました。

そして、それに活性を吹き込まれると、それは原子エネルギー

になり、次いで物質という形をとるようになったのです。

 

神はいろいろな物質原子を適当に配列して、この地球という

物質の天体を造られました。

そのすべての分子は神の意思の力によって、現在の状態を

維持しているのです。

 

ですから、もし、神がそのご意思を撤回されれば、地球の

すべての原子はエネルギーに還元し、さらにその原子エネルギー

はその源である意識に戻って、地球の観念も客観性を失って

しまいます。

 

夢を構成する実質は夢を見る人の潜在意識が描く想念によって、

造られます。

 しかし、このエネルギーを凝集する働きをする想念が、

目が覚めることによって、撤退すると夢とその構成要素は消えて

しまいます。

われわれは眼を閉じて夢の世界を創りだしますが目が覚めると、

それは自然に消えてしまいます。

 

これは神の創造方式とまったく同じ方式になっているのです。

また同様に、人がひとたび、宇宙意識に目覚めると、宇宙的夢

であるこの物質界の幻覚も自然に消えてしまうのです。

 

無限の創造力を持つ神のご意思に意識を同調しておられるババジ

は、あらゆる元素の原子を自由に結集して、どんなものでも

物質化することができるのです。

一瞬のうちに建てられたこの黄金の宮殿も地上の他の物質と

同様、現実のものです。

ババジはこの美しい建物をご自身の心から創造され、意思の力

によって、それを維持しておられるのです。

・・・この建物がその目的を果たした後は大師は再び、

それを無に還元してしまわれるでしょう。“

 

 

こうしてババジの造りだした宮殿への一夜の誘いを受けた

ラヒリマハサヤ師はそこで思う存分、最後に残されていた欲求、

贅沢な豪勢な生活を本物の宮殿で味わってみるという夢を

果たした。

その宮殿に集まった多くの聖者たちとともに贅を尽くした会食

もする。

 

 時代を経ても永遠に変わらぬ マハサヤ師のグル(師匠)ババジ

によって、その夢はかなえられ、目的が果たされると、そして、

一夜の夢は瞬く間に 冷めた。 

 

”さあ、行こう!”~ババジがこういうと、今まであった豪華絢爛

な夢の宮殿は 瞬く間に元の岩屋や乾いた大地と変貌した。

宮殿を構成していた、ババジの意思で集められた原子は、

宇宙に戻ってエーテルの中に雲散霧消したのであった。

 

 

その洞窟に座り、このエピソードを想いながら瞑想した。

 

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ヒマラヤ.ババジが姿を現す

2014年09月26日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

何千年も生きて続けている不滅のヨギ、ババジとの再会 2014・9・264

***********************************

 

この薄暗い、ババジとラヒリ・マハサヤ師に縁ある洞窟が

忽然として宮殿に変わったという。

 

ヨガナンダ師は ヒマラヤのババジの正統派クリアヨガを

伝導するためアメリカに後年わたり、SRF(Self Realization

 Fellowship)をカリフォルニアに設立する。

ひと月ほど前、ロサンジェルスの本部から、何かの折、電話を

いただいた時、ヨガナンダ師の霊的半生記の紹介を、このブログで

ご紹介することの同意を得た。

これまでに、ヨガナンダ師の自伝から、面白いエピソードを

ピックアップしてきたが、今日のお話しは私が、最も、惹かれる、

摩訶不思議で、かつリアリティーを感じたエピソードの一つをご紹介

したい。

 

ヨガナンダ師の直接の師、シュリ・ユクテスワ師の先生、ラヒリ・

マハサヤ師(ババジの直弟子にあたる)の体験談だ。

 

この話はヨガナンダ師が すでに他界していたラヒリマハサヤ

師に代わって、二人のラヒリ・マハサヤ師の弟子からヨガナンダ

師が直接、聞いたという。

一人は、ヨガナンダ師のサンスクリット語の家庭教師、

スワミ・ケバラナンダから、もう一人は、ヨガナンダ師の師で

あった、ラヒリマハサヤ師の高弟、シュリユクテスワ師からである。

 

ラヒリ・マハサヤ師は 優れたヨギとして多くの弟子を指導したが、

師の偉大なところは、結婚して、社会人として市井の生活を送り

ながらヨギとしての一生も貫いた点であるだろう。

 

さて、師は、1861年秋、イギリス政府の陸軍技術省の会計官として、

べネレスの近くの町、ダナプールに勤務していた。

或る日、転勤命令が出た。

場所はそこからはるか、500マイル離れた、ヒマラヤ山麓の

ラニケットだった。当時は二輪車で30日かかる距離だった。

 

現地に到着して、役所の仕事が本格的に始まる前に、マハサヤ

師はヒマラヤの山々の散策を楽しんだ。

“偉大な聖者たちがヒマラヤには住んでいる” という噂を聞いて

いたし、会ってみたい”という 密かな師の願いもあった。

 

或る日、山中を歩いている時、遠くから はっきりと、

ガンガダール!(*1)”と呼ぶ声が聞こえた。

“見ると、岩棚の上に一人の若者が立っていて、微笑みながら、

私を迎えるように手を差し伸べている。

しかも驚いたことには、彼はその赤銅色の髪の毛を覗いては

私とそっくりの顔をしていた”

 

とその時の印象をマハサヤ師は 弟子に後日語っている。

その若者こそ、ヒマラヤの聖者、年齢不詳、千歳ともいわれる

不死身の大師、ババジ その人だった。

このとき、この生で、初めて マハサヤ師はババジと 邂逅するが

過去の記憶がないまま、自分を呼んだ若いヨギが誰なのか

想像がつかなかった

 

その洞窟を訪れたとき・・・洞窟の中で 

 

その時の様子をヨガナンダ師の著書から引用すると:

 ’ラヒリ、お前はこの場所を覚えているかね?’

とヨギは岩屋に招き、片隅にたたんでおいてある一枚の毛布を

指さした。

いいえ’ 私は思いがけぬ話の成り行きにあっけにとられながら

言った。・・・・

 

‘この岩屋で休みなさい。お前を[当地に]呼んだのは、この私だ’

ラヒリは、当惑しながら答えた。

‘でも、私は日の暮れないうちに、帰らなければなりません。

明日の朝、また役所に出かけなければならないのです‘。

すると その見知らぬヨギは、

‘私の電報がそうさせたのだ’ と言った。

 

益々私には不可解だった。私はその意味を尋ねた。

’お前をこの山奥に呼び寄せた電報のことだ。

お前の上司にお前をラニケットに転勤させるよう仕向けたの

はこの私だ。人間は 自分が全人類と一体であると感ずるよう

になれば、すべての人の心を自分の意思の中継局として

自由に操ることができるのだ。’

 

こういうと彼は優しく付け加えた。

‘この岩屋を お前は、良く知っているはずだが・・・’

私が当惑して黙っていると、聖者は近づいてきて、私の額を

やさしくたたいた。すると、その磁石のような手から不思議な

磁力が私の脳に伝わってきて、それとともに、懐かしい前世の

記憶がパノラマのようによみがえってきた。“

 

こうして、ラヒリ・マハサヤ師の脳裏に 忘れていた過去世の光景、

この岩屋で過ごした長い年月の思い出が 次々と想いだされてきた。

目の前にいる若いヨギこそ、前世の自分の師、ヒマラヤの不死身の

大師 ババジであることを知り、感涙にむせんだ。

 

大師(ババジ)は

‘30年以上もお前が帰ってくるのを待っていた’

と言いながら、

死によって、お前は私を見失ったが、わたしはお前を決して

見失ったことはない。お前が母の胎内に宿り、月満ちて赤子

として生まれたあとも、私の目はお前の上に常に注がれて

いた。

 

小さな体をお前が、川岸で砂の中に埋めて 蓮華坐の姿勢で

座っていたときも私は姿こそ隠していたがお前とともにいた。

お前を今日まで見守り続けてきたのだ。“

語り、ババジは、その岩屋をさして、話しかけた。

 

“ここはお前が愛用していた岩屋だ。

私はお前をいつでも迎えることができるように、ここを綺麗に

しておいた。ここにあるのは、お前が毎日瞑想のために座った

毛布だ。 そしてこれはお前の器だ。 

これで、お前はよく私の用意した甘露を飲んでいたではないか・・

 

こうして大師と魂の喜びの再会を果たしたマハサヤ師に ババジは

お前は体を清めなければならない。

この器の油を飲んで、川岸に横になっていなさい。”

と命じた。

マハサヤ師は凍てつくヒマラヤの高地で 真っ暗闇でトラの

咆哮が聞こえる夜、かつての、そして、現在も続いている師弟

の関係をはっきりと思いだし、師であるババジの言いつけを

素直にしかも 嬉々として受け入れ ひたひたと氷のように

冷たい水の打ち寄せる川岸に身を横たえたのだった。

 

続く~

 

 *1~ラヒリ・マハサヤの前世における名前

ババジ と マハサヤ師が瞑想した洞窟の前で(案内人と)

 

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天上天下唯我独尊!そして入滅・・釈迦を想う

2014年09月23日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)

御彼岸によせて~悟りとボダイジュ  2014・9・23

*******************************

 

暑さ寒さも彼岸まで といわれる。今日は御彼岸の中日。

カレンダーを見ると、

9月20日:彼岸入り、9月23日:彼岸の中日(=秋分の日。祝日)、

9月26日:彼岸明けとある。

今日は彼岸の中日ということになる。そこで、お釈迦様にちなんだ

お話をさせていただきたい。

 

今からおよそ2600年前 ヒマラヤ南麓 タラーイ盆地を所轄していた

が釈迦族だった。

釈迦国は強大なコーサラ国の属国として独立を保っている小さな王国

だった。

その王スッドーダナと 王妃 マーヤーの皇太子として釈尊は生まれた

のだが誕生年については諸説がある。

紀元前 624年 と、 テーラワーダ仏教では決められているが 

紀元前 566年とか、463年 という説もある。

 

出産のため、マーヤ―夫人が、釈迦国の都 カピラワットゥから実家

のあるコーリヤ国に里帰りする途中 ルンピニー園に立ち寄りここで 

釈迦を出産した。

ゴ~タマ(須田注:牛~神の使い~ガウ+神性~アートマを組み合わせた

名前)・シッダッタ(目的を達成するの意味)と命名された。

 

さて、今日の話題は この誕生時に 釈尊が人差し指を天空に向かって

たてて、天上天下唯我独尊” という言葉を発したという有名な話に

ついてだ。

 

バーリー語原文(*1)では このエピソードに関して釈尊が発した言葉

は以下のような内容であると記録として、残されている。

 

Aggo ‘ham asmi lokassa 

[須田注:’hamは自分、lokassaは地球とかこの世という意味]

Jettho ‘ham asmi lokassa

Setto ‘ham asmi lokassa

Ayam antima jaati natthi dani punabbhavo

 

意味)

私は世界で(自分の本質を知っているという意味で)最も優れたもの、

私は世界の(智慧あるという意味で)最も体験あるもの

私は世界の(真理を網羅したという意味で)最も勝った者

この誕生は、私の最後の生誕であり、もはや二度と生まれ変わらない。

 

 この言葉を短縮して、日本語では、天上天下唯我独尊 と訳されている。

しかし、筆者が思うには、上記のバーリー語の意味を直訳したものと

しては、しっくりとこない。

 

釈迦は、確かに、生まれながらに、悟りを開いた、超人的な自覚を持つ

赤ちゃんだったということは 天上天下唯我独尊の短い言葉から、

容易に理解はできる。、

一方、この言葉の解釈や受け取り方は、人によって、さまざまである

ことだろう。

 

さて、釈尊は魂ではすでに悟りに目覚めていたことを象徴するこの

バーリー語の原典から読み取れる。

釈尊誕生後、7日たって、 母は無くなる。何不自由なく育った

シッタルダ王子であったが、16歳でコーリヤ族のヤソーダラー王女と

結婚。20代で息子ラーフラを設け、29歳で出家した。

 

出家後、当時、苦行林として有名だった ウルヴェーラーの森で釈尊

5人の修行仲間は”命がけの苦行”に入ったと言う。

壮絶な苦行は6年間続く。

この間にお釈迦様は 3回仮死状態に陥ったと言われる。

断食行や無呼吸の行、体は骨と皮に痩せ細るまでの苦行であったが

最終的に、釈尊は苦行によって、悟りに達するということはないと

いう結論に至る。

お釈迦様が修行をした岩屋の丘から下界に降りてきたその地

 

そこで、苦行を放棄し、近くの村ガジュマルの樹の下に座り、

釈尊は瞑想していた。そこに、スジャータ―夫人が乳粥を供養する。 

スジャータ夫人というのは筆者は少女だと思っていたが、意外なことに

すでに赤子を設けた裕福な階級の婦人という説がある。

仏典によると、その時の描写が以下のように書かれている:

 

“ガジュマルの樹の下のスジャータ家の祠で、夫人は、毎日、子供が

授かるよう祈願をしていた。

熱心な願いはかなった。 子供が授かった夫人は、その朝、特別な乳粥

[須田注:現在でもめでたい席によくいただく、甘未のあるデザート、

’キール’によく似ていると思われる】をつくり、神様に捧げることにして

いた。”

 

現在でもその粥はキールと呼ばれ、ミルクと米だけで作られ、甘い味付け

が施されている。中に木のみなどを入れて、それぞれの家で特色ある家庭

料理でもあり、特別な母の味といえそうだ。

 

経典によると、夫人がこのキールを造っている間いろいろな不思議なこと

起こったという。

たとえば、釜から泡が出てくるまで煮るのだが、泡は中央に向かって

はじけ鍋の外にこぼれなかったとか、鍋の渦巻が右回転を続けるのをみて、

何か吉兆の予感がしたという。

 

そんな折、ガジュマロの樹の下に座っている釈尊の光り輝く姿を見たの

だった。スジャータ夫人はおかゆを純金の鉢にいれて、頭に乗せて、樹の

下で瞑想している断食で痩せ衰えた釈尊のもとへと赴く。

 

そして、こう釈尊に話しかけた。

“わたしの希望がかないました。この食事を召し上がってください。貴方様、

ご自身の希望が かないますように“。

 

この乳粥は、その朝の夫人にとっては、神様にささげたプラサート

(神様に捧げ 神様から祝福を得た食物)だったのだ。釈尊はそれを受け取った。

そして、米を手で49口に分けて 召し上がった。

 

それから、その後49日間は 完全なる悟りと布教への自信をつける

大事な期間となる。

苦行を放棄したが、違う意味合いで、この間、全く食事を召し上がらず

再び、瞑想に入るのだ。

 このとき、断食苦行を破って 乳粥を口に運ぶ、釈尊を見て、5人の

仲間は失望し、去って行った。

そして、釈尊は一人、対岸のガヤーの森を目指してネーランジャラー河

を渡り、ウルヴェーラーの前正覚山に登り、瞑想してから、

ネーランジャラー河の河畔まで下る。

 正覚山の朝日

 

そこで、スジャータ夫人が手渡した、

乳粥の入っていた金の鉢を河に捨てた。これには深い意味合いがある

ようだ。金の鉢でスジャータ夫人が 痩せ細った苦行僧に粥を差し出した

ということ。きっと、釈尊がただの苦行僧ではないことを知っていた

のだろう。

それでなければ、価値ある金の鉢をそのまま釈尊に差し上げることが

なかっただろう。

釈尊自身も、悟りを得るために、最終的な正覚を得る、ということ

金の鉢を河に捨てることで 経典の中で、象徴的に示したのだろう。

 

その時、河の対岸に渡り、ソッティマという草刈男が、お釈迦様に

イグサを献じたと仏典にあるようだ。

対岸はガヤーの森。 森の中へ入って行きそのイグサを敷いて、釈尊は、

菩提樹の樹の下で悟りに至る最後の瞑想に入った。

“完全なる悟りを得るまでは決してここを立たない”と誓いをたてて。

 

そしてブッダ(覚者)になった。五月の満月の晩だった。釈尊時に35歳。

瞑想に入ってから49日後、釈尊は森からガヤーの森を旅立つ。

 

伝道を決意して”中道の道(*2)”に生きよ”との真理を世の人に

伝えるために。

 

*1~ 従来は釈尊が説法した言葉をパーリ語と呼んでいる。

実際には西方インドで話されていた言語ともいわれる。 

サンスクリットに比べて日常的会話で用いられていた言葉だが、

現在では サンスクリット語同様、日常生活に使われていない。

ただ、南伝仏教諸国では非常に重要視されており、僧侶を中心に

学ぶ人も多い。

初期経典がバーリー語で書かれていたというのがその大きな理由

よるだろう。

 

*2~超越道 中道について

8つの実践方法

①    正見 sammaditthi samma~完璧、完全の意味

②    正思惟 sammasankappa~思惟 怒り憎しみなど無い思い

③    正語 sammavaachaa~言葉

④    正業 sammakammanta

⑤    正命 sammaajiva~生計をたてるためでも殺生、邪淫にかかわるな

⑥    正精進 samma vayama

⑦    正念 samma sati 念とは、身体、心、真理の気づき

⑧    正定 samma Samadhi 正しい精神統一 集中、瞑想、

 

 

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ユクテスワ師語る:アートマ界とカルマ

2014年09月20日 | 健康と”悟り”・スピリチュアリズム

 生死は観念の相対性の映像  2014・9・20

******************************

 

 今日から再び、、摩訶不思議な世界に入ります。

先回の立花氏のインタヴュー番組(NHK)についての臨時投稿

記事以前からのシリーズの続きとなります。

 

ヨガナンダ師の亡き師、スリ・ユクテスワがボンベイの

ホテルの一室で祈るヨガナンダの前に姿を現した。

ユクテスワ師は、肉体を脱いで、幽体になり、さらに、

地上界にいる弟子(ヨガナンダ師)の前に顕れるために 

一時的にエーテルから肉体を再生して出現したのだ。

 

ヨガナンダ師は “この全知の師の話にいつまでも聞き

入っていることができたらどんなに幸せだろう“ と思う。

“わたしは先生の存命中、一度にこれほど多く先生の叡智

を吸収したことはなかった。“からだ。

 

さらに、生と死を超えた体験を携えて弟子のもとにやって

きたユクテスワ師はヨガナンダ師の質問に明確に答える。

 

“霊的に未熟な人間は、三つの無知 (肉体的、精神的 魂的)

から抜け出すのに地上界、幽界、観念界(根源的なエネルギー

世界)*1に無数の生まれ変わりを経験しなければならない。“

 

すると、ヨガナンダ師は次の質問をする。

“先生、魂を三界に束縛するカルマについてもっと

詳しく教えてください。”

ユクテスワ師は さらに、語り進めた:

“幽界には2種類の魂が住んでいる。

地上に戻らなければならない魂とそうでない魂だ。

まだ果たしきれぬ、地上のカルマを持ち、それを果たすために

地上に再生する必要のあるものは、肉体の死によって、

地上から幽界に来ても一時的訪問者として、幽界の定住者とは

区別される。

 

地上のカルマをまだ果たし切っていない魂は、幽界の滞在期間が

終わって幽体を脱ぐ時期が来ても、すぐ高い観念界にはいること

はできない。

引き続き、16の荒い要素でできた肉体と、19の精妙な要素で

できた幽体に交互に身を包んで地上界と幽界との間を往復しなけれ

ばならない。

 

また、霊的にもっと、未熟な魂の場合は、肉体の死によって、

幽界に移っても、その間ほとんどが死の眠りという、深いこん睡状態

に陥っているため、幽界の美しさすら意識しない。

そして、幽界でしばらく休息すると、再び、物質界での経験を積む

ために地上に帰って行く。

 

こうして、何度か訪問の旅を繰り返しているうちに、彼は次第に

精妙な幽界に自分を順応させることができるようになる。“

それでは幽界の居住者は物質的欲望から解放されているのだろうか?

 

ユクテスワ師は答える:

“その通り。

もはや、粗雑な波動でできた地上の世界に帰る必要はない。

彼らに残っているのは、幽体のカルマと観念体のカルマだけだ。 

彼らは幽体を脱ぐと、より精妙で限りなく精緻な観念界に上って

いく。

そこで宇宙法則によって定められた、ある一定の期間を果たすと、

今度は幽界で果たし切れなかったカルマを完全に取り除くために、

再び新しい幽体を身につけて、より高い幽界の星に生まれ変わる。“

 

新しく幽界へと移行した、スリ・ユクテスワ師のお役目は、

こうした観念界から帰ってきた魂を 助けることだという。

カルマが消えるとき、それは欲望が消えるときでもある。

だから幽界人も欲望が全くないわけではないという。

 

“魂がもはや、目に美しい幽界の経験を願わず、また、そこに

帰りたいという誘惑にも陥らなくなったとき、初めて、観念界に

留まることができるようになる。“

とユクテスワ師はヨガナンダ師に語る。

 

そしてさらに、観念体のカルマを完全に根絶したとき、魂は、

これまで自分を閉じ込めてきた ”3つの無智の栓”の最後を

開いて、3つの界から抜け出すことができるというのだ。

その時に、名実ともに、“永遠なる生命、絶対なる愛と無限の

力を持つエネルギー(創造主)と一つになれる“ というのだ。

 

この話は、単なるフィクション、ドラマティックな作り話し

と思う読者もいるかもしれない。

著書には、

“わたし(ヨガナンダ師)の心は先生の心と完全に同調していたので、

先生は半分は言葉で半分はテレパシーでその意思を伝えられた” 

とある。

 

さらにこれだけ膨大な内容をいかに記憶できたのかという点に

関しては、

“このときの先生の言葉は私の内奥の羊皮紙に強く刻印された。 

私は心を超意識状態に移せば、いつでもこの神聖な経験を

はっきりと蘇らせることができるのである。” と記している。

 

ヨガナンダ師自身、ユクテスワ師とこうした問答を通して、

“これほど霊的知識を授けてくれた体験はなかった

と書いている。

“これまでにも、いろいろ霊感に満ちた物語や詩を読んだり

聞いたりしたが、これほど、霊的知識を授けてくれたものは

なかった。

 

インドの聖典は観念界や幽界、人間の3つの体のことについて、

説明しているが、私の腕の中に温かい肉体をもって、現実に

復活された先生の話に比べれば、それらは何と空虚で縁遠く

思われたことであろう。

先生にとっては、‘旅人がそこへ出かけて行くばかりで、誰ひとり、

戻ってきたことのない未知の国‘(*1)などというものは一つも

存在しないのである。“

 

注**1 ヨガナンダ師の原文では3つの人間の持つ体を、

1・The gross physical body

2・The subtle astral body

3・The idia , or causal bodyと表記している。

 1がいわゆる五感機能を持つ肉体、2が、幽体で考えたり

感情をコントロールする体、3が観念体と訳書にはあるが、

いわゆる、本質的核体であり、神の子として与えられた

本来の聖質をさす。よって、アートマ体にあたる。

 

*2~シェークスピア作、ハムレット 第三幕第一場のセリフ

 

 

 

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立花隆氏の幽体離脱解明への取組み

2014年09月17日 | 健全生活のために”死”の常識を反転

一番注目されている脳神経医の臨死体験  2014・9・17

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突然だが今日は予定外の投稿記事をお許しいただきたい。

昨日、9月14日、NHKの番組で幽体離脱の真相を科学的に

解明するために 立花隆氏が様々な人達への取材を試みている

番組があった。

 

NHKは そういう類の話、例えば、UFOも認めない立場を

とっていると思っていたから、意外な心持がして興味を持って、

たまたまチャンネルを回していた手を止めた。

 

すでに始まって10分近く過ぎており、最初の方は見逃した。

しかも、馬鹿馬鹿しくなって途中で消してしまったので最後の

結末もわからない。

いい加減なことを書いて顰蹙をかうのを承知で 立花氏の真摯

インタビュー番組に失礼と思いながらも、一言、物言いを

申し上げたいと思い、臨時投稿となった。

 

さて、たまたま番組を合わせたとき、ある米国の、脳の権威

の医者が、7年前ご自身が幽体離脱をしたということを発表

して話題になっているところだった。

 

脳の随所に膿がたまった結果、生存率2%という生死の淵を

行き来してその間、臨死体験をしたのだ。

この、著名な脳神経学者でもある同氏の臨死体験を語る

講演会がアメリカ各地で行われ、ある種のメッセ―ジを

伝えているようなのである。

 

そのメッセージというのが、講演の最後の言葉、

”あなたたち、皆様は天国から愛されています。”

という言葉で締めくくられ、喝采を受けた。

天国から愛されている、つまり、この医師は、臨死体験で

大いなる宇宙の創造主なる愛の象徴、光の存在と

出会ったことから この時味わった至福を分かち合いたいと

思ったのだろう。

 

善なる魂が皆平等に、この愛のシンボルの大いなる光

に愛されているということを確信したのだろう。

拙ブログでも以前、臨死体験の方達の体験談を研究して

いる医学博士の意見をご紹介したこがある。

 

ムーア博士だが、博士がまとめた処によると、

臨死体験の、基本的な共通事項として いくつか挙げて

いる。それは、瀕死の自分の肉体を病院や部屋の隅の上から

見下ろして、医師や家族の動向や言葉を見守っているという

ところから始まり、トンネルのような ゴーっと音のする

空間をすごいスピードで通る(落ちる)と、美しい花園の

ようなところに 亡くなった家族や愛する人達が出迎えに

来ていて、何ともいえず、暖かい心に包まれる。

 

そして、光り輝く、愛に満ちた生命体、とても幸せな心

に満たされる。その大いなる神のような存在と出会うと、

もう、地上に戻りたくないと感じるのが、臨死体験したヒト

には共通した感情だった。

 

番組の中で立花氏は語っていた。

氏、ご自身、数年前に癌の手術をされているということ。

もし、再発したら、生存率がかなり低くなるということを 

当時担当医師から警告されていた。

 

”70歳の前と後では 死に対する実感が異なります。

確実に 死 が訪れつつあることを感じるのです。”

と語り、ぜひ、この臨死体験を科学的にどのようにとらえ

ているのか知りたいと切望するようになったという。

 

さて、

立花氏は、上記の臨死体験を体験した医師の講演会に出席

して、そのあと、個人的に、インタヴューをした。

医師は”科学的”にも”自分は臨死体験をした”と言い切る。

その根拠として、当時、脳活動がほとんど停止していた瀕死

の状況時のデータ画像を解析しながら、立花氏に、コンピュータ

ーの画面を見せて自分の脳が造りだした幻影ではないと

いうことを、説明する。

 

すると、立花氏が聞く。

脳の活動がほとんど停止していたのに、どうしてあなたは

臨死体験のことを覚えていたのですか?”

素朴な疑問だった。

確かに不思議だ。

医師は答える。

”ですから、現時点では、すべての疑問に今は科学的に

答えられない。だからこそ、私は何十年にわたって脳の

研究を行っているのです。”

 

科学が先か、現実が先か、真実が先か、五感の認知作用

が先か?あるいは、エーテルや波動のエネルギーの世界

の証明が先か?

私たち現代人は、科学的 という言葉を 何かにつけて、

現象を判断する時の 第一義のように、使っている。

 

科学的だから納得,そうでなければ、胡散臭いという

ように。この医師は自ら認めた。

事実、自分が体験したものがイル―ジョンだったとは

思えない。しかし、今の科学ではどうしても説明できない

のだと

 

場面は展開して、番組は2歳のとき、言葉をしゃべり話せる

ようになった坊やにスポットを当てる。

このぼうやは、生まれて間もなく、インフルエンザをこじら

せて、集中治療室に入り、生死の淵をさまよった。

 

その際、臨死体験をはっきり記憶しており、2歳になって、

言葉を覚えてママ、僕ね。赤ちゃんのとき、死んだんだよ。” 

とその時の臨死体験のことを話したというのだ。

 

母親は聞く、

へえ、それで、どうしたの?”

”それでね、神さまにあったの。 とてもきれいな所だったよ。”

 

そして、さらに、この坊やは臨死体験の初期段階、つまり、

幽体が肉体から離れて上方から部屋の様子を見ていたときの

状況も覚えていた。

あのとき、先生はどうした、ママはどうした、それから、

こんな話をして・・・と、母親に話して聞かせたという。

 

母親は立花氏に言う。

”ええ、息子の言ったことは 実際、ほんとうに起こって

いたことなんです。”

 

さて、それから私は、テレビをオフにした。

ミシガン大学の病院の研究室に訪れた立花氏がその実験の

結果を聞いたあたりだと思う。

 

ハツカネズミに 脳のある部分に電極を当てて脳波を

調べている。そして心停止させ、その後、その脳波の変化を

細密に検討するのだ。すると、数十秒だが、死んだあとに、

精妙で微妙だが、まだ、脳波が放出されているのが、観察

されている。

 

つまり、この間、心停止したものの、脳が動いているという

ことになり、これが、いわゆる、臨死体験と関連があるのでは

ないかという疑問を研究員は、立花氏に提示する。

 

ハツカネズミ、いぬ、猿、たぶん、さまざまな高等生物で

実験されてもこの問題には、真のところは解明できるはずが

ないと筆者は思った。

なぜなら、私たちは人間 だからである。

人間の生体と動物の生体はある意味で、あるところまで

共通性や共通項を持っていることだろう。

 

しかし、人間の心 というものは、動物のそれとは決定的

にことなる所がある。

人は、神を自覚できるが動物は決してできないという点

である。或いは 人は解脱を試みるが、どんなに賢い動物も

解脱という概念は持っていないだろう。

 

人の摩訶不思議な、心の機能を知ることなくして、また生命

という深淵な謎を解くことなくして、死と臨死体験は、唯脳論的

な観点では決して把握できないだろう。

 

どんなに肉体を調べ尽くしても、細胞の中の広大なニュートロン

の閃光する小宇宙のような空間に流れるエネルギーを知ることは

今の科学では難しいだろう。

 

アポロ宇宙飛行士の言葉がここで浮かぶ。

(”人間のセンサーの不確かさ”平成25年5月27日参照)

 

科学にできること は、さまざまの事象が いかにして

生起するか説明することだけだ。

そして、説明というのは、実はある レベルの無知 別の

レベルの無知に 置き換えることでしかない。

 

たとえば、ある現象が なぜ起こるかを 物質レベルで

説明する。さらに、それはいかにしてと 問われたときに、

分子レベルの説明が出てくる。

さらに、問いが重ねられると、今度は原子レベルの説明

なされ、次には素粒子レベルの説明がなされる。

 

その先は、まだ、誰も、説明できない。現代物理学は 

この意味では、無知なのだ。

根源的な “なぜ?”という問いかけを、“いかにして?” 

に置き換えて、説明をひねり出してきた。

 

根源的“なぜ?”、存在論的な ”なぜ?“に科学は答える

ことができない。”

1965年に選抜された宇宙飛行士第4期生、ギブスンの生還後の言葉)

 

先回まで ユクテスワ師 の 幽体になって訪れている星の

話を投稿させていただいたばかりだ。

師の語る、生命と宇宙の神秘性を味わったあとで

ハツカネズミの脳をいじくりながら、真実を見ようとする

胆略さに電源をオフにした。

 

心はいったいどこにあるのだろうか?

立花氏は脳を指さしておられた。

私たちには、肉体のほかに、意識体とよべる、幽体や霊体

がある。それは次元が異なるもので、5感の感覚機能で

それをキャッチすることはほぼ不可能かもしれない。

心というエネルギー体、そして、死んでからも残る意識体

を知るのは、現在意識を超えた、”心”を働かすほかない

のである。

 

 

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